部活の維持費
土曜日午後、初音は卓人とショッピングモールで待ち合わせをしていた。
「柏原さん、悪いなぁ、買い物に付き合わせちゃって」
「ううん、気にしないで。そのくらいお安い御用だよ。今日は私が、日下部くんにぴったりのラケットを選んであげるから」
笑顔を交わしながら、二人は大型スポーツ用品店へと足を踏み入れた。
だが、並んだ陳列棚の向こうに、見覚えのある背中を見つけて初音は足を止める。
「あれ……藤本くんじゃない?」
「ん? あいつ、なんか挙動が怪しい……」
卓人は、周囲をキョロキョロと見回す同じクラスの藤本櫻大に目を細める。
次の瞬間、彼は手元にあった野球グローブを、滑り込ませるようにして自身の鞄へと突っ込んだ。
「えっ……!? うそ……」
間近で目撃してしまった決定的な『万引き』の瞬間に、初音は息を呑んで絶句した。
しかし、彼女が混乱しているのを尻目に、卓人は迷いのない足取りで真っ直ぐ藤本の背後へと向かう。
気配を殺して迫った卓人は、立ち去ろうとする藤本の腕を背中の後ろに回し、曲げた肘を上に押し上げるようにして肩関節をロックした。
「ひっ……!」
突然の衝撃に、藤本は短い悲鳴をあげる。
「おい、何やってんだ」
卓人が低く冷徹な声を浴びせると、藤本は店員か警察に捕まったと直感したのか、恐怖に顔を歪めた。
「ごめんなさい! ごめんなさい……っ! 許してください……っ!」
喉を詰まらせながら必死に許しを請う藤本を見て、卓人は腕を離して一歩引く。
顔面蒼白の藤本が恐る恐る振り返ると、そこには同級生の涼しげな顔があった。
「日下部……お前、だったのか……」
安堵と、それ以上の気まずさに藤本の顔が歪む。
さらに、卓人の後ろから複雑な表情を浮かべた初音までが歩み寄ってくるのを見て、藤本は完全に言葉を失った。
卓人は無言のまま、藤本の鞄を冷ややかな視線で指さした。
――今すぐ元に戻せ!
言葉にせずとも、その鋭いジェスチャーはすべてを物語っていた。
藤本は青ざめた顔で小さく頷き、操られるように指示に従う。
グローブを元の棚に戻すと、藤本はいたたまれなくなったのか、背を向けて脱兎のごとく店から飛び出した。
――このまま放っておくわけにはいかない。
卓人と初音も示し合わせたように、すぐさまその後を追いかけた。
「……お願いだから、誰にも言わないでくれ。親や学校にバレたら、俺、終わりだから……」
移動したフードコートの片隅で、藤本は消え入りそうな声で呟いた。
どうしてもあのグローブが欲しかった、けれど小遣いが足りなかった。そう吐露する藤本の表情は完全に生気を失い、青ざめている。
張り詰めた空気をほぐすように、卓人が何気ない口調で問いかけた。
「僕、バドミントン部に入ったんだ。結構お金のかかる部活でびっくりしたんだけど、やっぱり野球部もかかるの?」
「お前、バドミントン部に入ったのか。確か、中学のときは柔道やってただろ」
卓人があえて話題を変えたのだということは、察しているのだろう。
藤本の声には、先ほどまでの怯えが少しだけ引いていた。
その傍らで、じっと様子を窺っていた初音が口を開く。
「日下部くんと藤本くんって、同じ中学校だったの?」
「そうだよ。僕が中学二年のときに引っ越してきたから、一緒だったのは二年間だけどね。それにクラスが違ったからこうして話すのは初めてなんだ」
卓人は初音の方を向き、「僕たちの校区は高校まで電車で三十分程度だから、同じ中学の出身者は多いよ」と、補足した。
「バドミントンって、そんなにお金がかかる競技なのか?」
藤本が意外そうに首を傾げた。
「ああ、今日ラケットを買いに来たんだけど、下調べしたら二万円台なんてザラだよ。それに先輩たちの話だと、シャトルは1個三百円以上する消耗品らしいんだ」
「あの羽根って、そんなに高いのか?」
驚く藤本に、今度は初音が説明を引き継いだ。
「シャトルは水鳥の羽根を使った天然素材だからね。それに、新品でも羽根が折れて真っすぐ飛ばなくなったら最後、試合では使えなくなるの」
「三百円以上するのに、そんなに脆いものなのか?」
バドミントンの知識がない藤本は、至極当然の質問をする。
「だから新品を使うときは、みんなすごく神経質になるんだけど、どんなに気をつけていても打つ角度やタイミングで羽根が折れちゃうのよ。中学のときは予算がなくて、ボロボロになったシャトルをみんなで限界まで使い回してたなぁ……」
初音は少し懐かしそうに、中学時代の思い出を語った。
他にも、ガットが切れたらその購入費と張り替える工賃も必要になる。維持費という点では、他の部活より費用がかさむだろうと彼女は苦笑混じりに付け加えた。
同じ運動部に身を置く者として、藤本もその費用のシビアさには深く共感したようだった。
「確かに、消耗品のシャトルが一番厄介だよな。それじゃ、学校の補助だけでは、とても足りなさそうだな。もしかして、バドミントン部も部費の徴収があるのか?」
卓人は部費について、あらかじめ斎藤から聞いていた情報を思い出しながら答えた。
「どうやら、四つ星高校のバドミントン部はOB・OG会がしっかり機能していて、寄付を募って援助してくれているらしいんだ。……それでも、月々千円の徴収はあるらしいけどね」
「……なぁ、ちょっと質問していいか?」
「ああ、何だ?」
藤本の少し遠慮がちな問いに、卓人は気安く応じた。
「今、聞いた話だと、バドミントン部ってかなり熱心に活動している部活だよな?」
「ああ。今でこそ人数が少なくて団体戦では苦戦しているみたいだけど、一昔前は強豪校だったらしいよ。現在でも、個人戦のシングルスやダブルスで県大会ベスト4に入る選手もいるらしい」
「ってことは……練習が週に二日だけ、なんてぬるい環境じゃないよな?」
「当然だろ。なんなら土日だって普通に練習はあるよ」
卓人が少し呆れながら答えると、藤本は困惑気味に問いかけた。
「巷じゃ、バドミントン部は可愛い子が多くて、おまけに『週休五日制』だって噂になってるからさ。……お前も、そういう不純な動機で入部したクチだろ?」
藤本が、卓人の隣に座る初音をチラリと盗み見る。
その視線の意味に気づき、初音は思わずドキリとして背筋をこわばらせた。
藤本は「図星だろ」と言わんばかりに薄く笑みを浮かべる。だが、当の卓人は全く動じることなく、あっさりと否定してみせた。
「それは質の悪い噂だよ。事実もあるけど、デタラメも混ざってる。……まあ、あの噂の引き金になった勧誘ポスターを作ったのは、僕だけどね」
「は……っ!? あのポスター、お前が作ったの!?」
藤本の脳裏に、掲示板でひときわ異彩を放っていたバドミントン部の勧誘ポスターが浮かんだのだろう。
新入生であるはずの卓人がなぜ、という困惑と衝撃に、藤本はただ目を見開くしかなかった。
「一から話すと長くなるから割愛するけど、入学直後にキャプテンの斎藤先輩から『廃部のピンチだから協力してくれ』って直々に頼まれたんだ。だから、ちょっと映えるデザインにしただけだよ」
卓人は、そのポスターのせいで入部希望者が殺到し、先輩たちが対応に追われている姿を思い浮かべながら苦笑した。
「……じゃあ、そこにいる柏原は? なんで一緒にいるんだよ」
藤本はまだ納得がいかない様子で、矛先を初音に向けた。
卓人と初音は一瞬だけ顔を見合わせる。
そして、卓人が何でもないことのように肩をすくめた。
「初心者の僕に合うラケット選びに、経験者の彼女に付き合ってもらっているだけだけど。それが何か?」
「……そうか」
二人を前にして、卓人から面と向かって堂々と返されてしまうと、それ以上はツッコめなかったのか、藤本からはどこか釈然としない返事が返ってきた。
「ところで――なぜ、万引きなんかしたんだ?」
卓人がようやく、その核心へと踏み込んだ。
これまでの会話でいくぶん気持ちが落ち着いたのだろう。藤本は小さく、けれど重いため息を吐き出すと、自身の犯した過ちの背景をぽつりぽつりと話し始めた。
「実は……野球部も、スパイクやバットみたいに買い替えなきゃいけないものが多くて。それに、これから遠征や合宿の費用も必要になるんだ。親には『四つ星高校に受かったら野球を続けていい』って言われてたんだけど……これ以上、小遣い以外の負担をかけるのが心苦しくて……」
藤本は力なく、うつむいたまま拳を握りしめた。
「藤本、正直に答えてくれ。お前、これが初めてか?」
卓人の射抜くような視線と言葉の重みに、藤本はびくりと肩を震わせた。
「……過去に、二度ほどやった。うちは、その……あんまり裕福じゃないから……」
「家庭の事情なんて、万引きしていい理由になんてならない。そんなことを言い出したら、うちだって貧乏神社でおまけに片親だ」
卓人は、毅然とした声ではっきりと遮った。
「……だよな。もし、捕まってたらって思うと……俺、本当に取り返しのつかないことをしたんだな」
「念を押すけど、よくある『スリルが欲しかった』とか『魔が差した』なんて、そんなふざけた動機じゃないんだな?」
「とんでもない! 俺だって、こんなこと絶対にやっちゃいけないことくらい分かってるよ!」
藤本は思わず声を荒らげ、ハッと息を呑んで口を噤んだ。フードコートの喧騒が一瞬だけ遠のいたような錯覚に囚われた。
その切迫した空気に耐えかねて、初音はあわあわと周囲の視線を気にしながら慌てている。
卓人はそんな藤本をじっと見つめていたが、やがて短く息を吐くと、思いもよらない言葉を口にした。
「明日、俺の家に来られるか?」
「お前ん家、確か神社だったよな。場所は分かるから行くのは大丈夫だけど……一体どうしてだ?」
藤本が理由を測りかねて戸惑っていると、卓人は有無を言わせない口調で話を進めた。
「じゃあ、明日の朝六時。体操着でいいから、動きやすい服装で来てくれ」
「えっ? ろ、六時……っ!?」
予想外すぎる早朝の時間指定に、藤本は目を丸くした。
「来れば分かるから。それに、藤本にとっても得るものがあるかもしれないよ。……じゃあ、僕たちは買い物があるから」
卓人は強引に約束を取り付けると、まだ状況についていけていない初音を促し、フードコートを後にした。




