不条理なペアリング
週が明けた月曜日、十人近い男子生徒が入部届を手にやってきた。
その後も部員は毎日のように増え続け、週末を迎える頃には二十四名にまで膨れ上がることになる。
「あの勧誘用ポスター、効き目は抜群だったみたいだな」
部室に入りきれず、外で着替えの順番を待っている新入生たちを眺め、三年生の藤島は半ば呆れたように呟いた。
「そうですね。女子は結局十一名でしたが、男子がこれほど集まるとは予想外でした。ただ、少し気がかりなことがありまして……」
「気がかり?」
卓人の言葉に、藤島が怪訝そうに眉をひそめる。
「僕たち一年生の間で、妙な噂が広まっているんです。週二日しか練習がない楽な部活だとか、可愛い子が多い部活だとか、といった内容なんですが……」
「ああ、それなら僕の耳にも入っているよ」
藤島が頷くと、卓人はさらに言葉を続けた。
「中には『バドミントン』を『バトミントン』と言い間違えている奴もいるくらいです。おそらく、軽い気持ちで入ってきた者が大半でしょう」
「なるほど、現実の壁にぶつかって退部者が続出するのを心配しているわけか」
藤島は、卓人の言わんとする核心をあっさりと見抜いた。
「はい。僕の取り越し苦労ならいいのですが……」
「確かに、不純な動機で入ってきたなら厳しいだろうな。練習は毎日あるし、うちの女子たちも外見に似合わず勝気な奴が多い。甘い妄想なんて、すぐに幻滅に変わるだろうな」
こればかりは成り行きに任せるしかない、と言いたげに藤島は首を振った。
着替えを終えた二人が体育館へ足を踏み入れると、すでに集まった部員たちがそれぞれストレッチを始めていた。
顧問に呼ばれて遅れて来る主将の斎藤に代わり、二年生の大前華子が声を張り上げて場を仕切っている。その声に従って、卓人は藤島と二人一組になって体をほぐし始めた。
緊張と期待が入り混じる新入生たちのぎこちない様子を見渡しながら、卓人が小声で耳打ちした。
「この中に、即戦力になりそうな経験者はいるんですか?」
「一人だけ、栃尾という経験者がいる。ほら、あそこで屈みながら柔軟をしている奴だ」
藤島が視線で促した先には、だるそうに準備運動をこなす男子生徒の姿があった。
「……全くやる気が感じられませんね」
「中学での実績があると聞いて期待していたんだけど……。あの調子じゃ、すぐに辞めてしまいそうだな」
藤島がため息混じりに呟いた、そのときだった。
「ちょっと、そこの君! 血が出てるわよ、大丈夫!?」
大前の鋭い声が響き、全員の視線が一斉に一人の新入部員へと集中した。
慌てて口元を抑えた彼の手には、真っ赤な血がべっとりと付着している。
「す、すみません……鼻血が……」
情けない声を上げたのは、卓人と同じクラスの谷口だった。
周囲を見渡せば、女子の先輩たちは半袖シャツに、生足が眩しいショートパンツというスポーツウェア姿。
谷口がどこを凝視していたのかを誰もが察し、体育館のあちこちから、こらえきれない失笑が漏れ出した。
「どこを見てるのかしら……。ほら、早く洗い流して、しばらく壁際で大人しくしてて!」
大前は額を押さえ、心底呆れたように首を振って指示を飛ばした。
◇ ◇ ◇
この一週間、新入生たちは二つの班に分かれ、練習時間の半分を外で過ごしていた。
学校の裏手にある堤防を十周する、計五キロのランニング。
その後は、グラウンドの片隅でドッジボールやバスケ、サッカーといったミニゲームで汗を流すのが日課だった。
「飽きさせずに基礎体力を養う」というもっともらしい大義名分はあったが、その実態は、急増した部員を収容しきれないがゆえの苦肉の策にすぎない。
バドミントン部に割り当てられたスペースは、体育館の半分にあたるコート三面のみ。
バスケ部やバレー部といった他の室内競技と平等に分け合わねばならず、元より週に二日は外での練習を余儀なくされるシビアな環境だった。
「どう? 新入生たちの様子は?」
様子を見にやってきた斎藤が、大前に問いかけた。
大前華子は二年生ながら、部内でシングルス上位の実力があり、先輩たちからも一目置かれる存在だ。手元のメモに目を落としながら、彼女は答える。
「機敏に動けるのは、せいぜい五、六人といったところでしょうか。たった五キロのランニングでバテる生徒もいます。特に男子の体力不足は、見ていて少し不安になりますね」
大前は冴えない表情を浮かべ、ため息混じりに首を横に振った。
「中学時代に運動部に入っていなかった子もいるようだし、まずは基礎体力をつけるところからスタートだね。それで、女子の経験者たちの様子はどう?」
「まだラケットを持たせていないので技量はわかりませんが、それなりに動けそうなのは魚住と三好の二人でしょうか」
「初音はどう?」
聞き慣れない名前に大前が一瞬戸惑ったのを見て、斎藤はすぐに補足した。
「あ、ごめん、柏原初音のことだよ」
「ああ、柏原ですか。彼女、経験者だったんですね」
「小学生の頃は、地元じゃ負け知らずのバドミントンキッズだったの」
大前は記憶の糸をたぐり寄せようとしたが、どうしても思い出すことができず、怪訝そうな顔で口を開いた。
「そうなんですか? それほどの実力者なら、中学の大会で名前くらい聞いていてもおかしくないんですけどね」
「私も詳しい事情までは聞いていないんだけど、中学に入ってからは思うように練習できる環境じゃなかったみたいよ」
「そうだったんですか。分かりました、彼女のことは少し気にかけておきます」
「それはそうと、日下部くんの様子はどう?」
唐突に予想外の名前を挙げられ、大前は誰の話題なのか即座に理解できず、一瞬口ごもってしまった。
「ああ、日下部のことですね。五キロ走はいつも平均的な順位ですし、球技もそれなりですかね。良くも悪くも『普通』という印象です。ただ、歩き方にちょっと難があるんですよね……」
大前はふう、と小さく息を吐き、遠くでドッジボールをしている卓人へ目を向けた。
「すり足で歩く癖のことね。実は私も気になっていたの。中学時代は柔道に打ち込んでいたらしいから、あの独特の足運びが身体にしみついているのでしょうね」
斎藤の言葉に、大前も改めて日下部の足元へ目を凝らし、静かにため息をもらした。
◇ ◇ ◇
数日後、一年生の指導にあたっていた大前のもとへ、斎藤がふらりと歩み寄った。
「望海の相方、目処は立ちそう?」
かけられた声の低さに、大前はわずかに身を硬くした。その眼差しは数日前とは違い、瞳には主将としての鋭い真剣みが宿っている。
「一年生女子の経験者は四人いるのですが、私が見た限りで候補になりそうなのは魚住、三好、柏原の三人ですね。望海自身も、この三人を軸に考えているようです」
大前の予想外の返答に、斎藤はすぐ近くを通りかかった新田望海を呼び止めた。
「望海、ちょっとこっち来て」
「何ですか?」と歩み寄る新田に、斎藤が確認する。
「初音はブランクが長いって聞いてたけど、候補に入れてるんだ?」
「はい。一通り組んでダブルスのゲームをやってみたんですけど、柏原と組んだときが一番、しっくりくる気がするんです」
新田が重視しているのは、個人の実力の優劣よりも、お互いのプレースタイルが噛み合うかどうか、という相性の良さだった。
元々、三年生の吉田亜優とダブルスを組んでいた二年生の新田望海。
一年前、新入生だった新田は、当時二年生だった吉田から指名される形でダブルスを組むことになった。
それからの一年間、ダブルスを磨くべく互いに切磋琢磨してきたのだが、ここへきて吉田が半月板を損傷し、長期離脱を余儀なくされてしまう。
そのため新田は、急遽新たなペアの相手を探さざるを得ない状況に陥った。
だが、周囲はすでにペアが固定されており、今さら新田がそこへ割り込める隙などどこにもあるはずもなく。
すでに一か月以上、ペアの決まらない宙ぶらりんの状態で、新入生の入部という不確かな望みに縋るしかなかった。
それが意味すること、それはこの夏の団体戦でわずか二枠のダブルスレギュラーから漏れるということ。
それだけではない、二年生になって相方探しに奔走しているようでは、来年の席すら絶望的だということだ。
そもそも、吉田とダブルスのペアを組んだ当時、新田に拒否権など無いのに等しかった。入部直後に上級生に頼まれれば、断りづらいに決まっている。
そんな半強制とも思われる不条理な経緯を、斎藤は重々承知していた。
だからこそ、キャプテンとして彼女に重い足枷を背負わせてしまったという贖罪の念が、斎藤を突き動かす。
「――何としても、次の相方を見つけなければならない」と。
斎藤が女子経験者を必死になって勧誘していた裏には、そんな新田の切実な窮状があった。
「斎藤先輩、来週早々にあの三人と話し合う場を設けていただけませんか?」
「話し合い?」
話し合いの場を設けたいと言う新田に、斎藤がその真意を問う。
「はい。一学年上の私とペアを組めば、来年私が引退したとき、彼女たちはまた新しいパートナーを探さなければならなくなります。その頃には同期のペアは固まっているでしょうから、彼女たちを今の私と同じ境遇に立たせてしまう。たった一年で解消することになるわけですから、そんな不利益を承知の上で、それでもいいと納得してくれた子と組みたいんです」
「もし……誰からも理解が得られなかったら?」
「その時は、経験者に限定せず、一年生の初心者も含めて一から相手を探すつもりです」
迷いのないその返答を聞き、斎藤の胸には、新田が一人で背負い込んでいる現実の重みが一段と深く沈み込んでいった。
◇ ◇ ◇
部活を終えた初音は、卓人と並んで最寄り駅へ向かっていた。
一緒に帰るこの時間が、入部以来のすっかりお決まりの日常になっている。
「日下部君、その足どうしたの?」
どこかぎこちない足取りを見かねて、初音は声をかけた。
「大前先輩から、しばらくはつま先で歩くように言われて……。軽いフットワークの癖をつけるためということなんだけど」
「いくらなんでも、帰り道じゃ危ないよ。先輩だってそこまで四六時中やれって意味じゃないって」
言われてみればその通りだと思ったのか、卓人は苦笑いを浮かべ、元の歩行に戻した。
「柏原さんは、部活楽しい?」
ふと振られた卓人の問いに、初音は気負わずに笑ってみせた。
「うん、楽しいよ! 日下部くんは?」
「バドミントンはやっぱり難しいな。でも、先輩たちも丁寧に教えてくれるし、同級生もなんだか個性的で面白そうな奴ばかりだからやっていけそう。あ、そうだ……続けられそうだし、そろそろ自分のラケットを買いに行かないとな」
思い出したように呟いた卓人に、初音はすぐさま提案した。
「よかったら、私が日下部くんに合うラケット選んであげようか?」
「ほんと!買い物に付き合ってくれるの? すごく助かる」
卓人はそう言って、珍しく嬉しそうな笑みをこぼした。




