まどろみの中に響く予言
「今日、日下部君の家に行ってきたの」――週末の夕食の席で、初音は母親の真由美からそう事後報告を受けた。
数日前、初音は「クラスの男子が、旅行中にお父さんを助けてくれた人だった」と真由美に話していた。
それを聞いた真由美は、夫の達也と共に菓子折りを携え、さっそくお礼の挨拶に赴いたのだという。
「日下部くん、何か言ってた?」
「それがね、本人に直接会ってお礼を言いたかったんだけど、急に予定が入っちゃったみたいで。お母さんもお仕事でお留守だったから、日下部くんのおばあちゃんに対応してもらったわ」
「行く前に連絡しなかったの?」
いささか不作法なアポなし訪問のようになった理由が気になり、初音は尋ねた。
「もちろん連絡はしたわよ。でも日下部君のお母さん、看護師さんで週末もお仕事なんですって。うちのお父さんは週末しか休みがないし、タイミングが合わなくて仕方なかったの」
ふーんと相槌を打つ初音に、真由美は少し声を潜めて続けた。
「日下部くんのご両親ね、どうやら離婚されているようなの。以前は奈良に住んでいたそうで、ちょうどこの春休みも父親に会いに行ったみたい」
〈あぁ、そういうことか。だからお父さんが倒れた時、日下部くんがあの場所にいたんだ〉
真由美の話を聞きながら、初音は彼が旅先に居合わせた理由に納得した。
「それでね、日下部くんのご自宅、なんと神社の敷地内にあるの!」
「へえ……家に家系図ありそうな、古そうな家なんだね」
何気なく返した初音に、真由美はぐっと身を乗り出す。
「それが、日下部くんのおばあちゃんが東洋占星術の占い師をされているそうで……気づけば私たち家族を占ってもらう流れになっちゃって」
「げほっ……!」
お吸い物を口に含んだばかりの初音は、激しくむせ返った。
「ちょっと、大丈夫? もう、はしたないわねぇ」
「いや、あまりの急展開に驚いちゃって。それより、占ってもらったって……お母さん、さすがに初対面でそこまで甘えては失礼だったんじゃない?」
初音は少し顔を赤くし、箸を止めて母親をたしなめるように言った。
「お父さんも最初は『そこまでしていただかなくても』ってやんわり断ったのよ。でも『手土産のお返しに』って言われちゃうと断れなくてね」
真由美は、無下に断ると反対に失礼になるのではないかと思ったという。
「だけどお父さん、占いなんて信じないでしょ?」
日頃、占い番組を見る家族に『占いで人生が分かれば苦労しない』て冷ややかな言葉を投げかけては時間の無駄とばかりに自分の部屋に立ち去る達也を見ていた。
「それがね、過去の転機や性格をズバリと言い当てられた瞬間から前のめり。完全に気圧されちゃって、最後は背筋を伸ばして神妙に聞き入っていたわ」
「へえ、そんなに当たってたんだ。……具体的にどんなこと言われたの?」
初音の問いに、真由美は最も印象的だった言葉を口にした。
「将来のことなんだけど、五十代で大病を患うって。死に直結はしないけれど、闘病生活はかなり過酷なものになるらしいの。『奥さんも一蓮托生なんだから、今から夫婦でしっかり生活習慣病の対策をしなさい』って釘を刺されちゃった」
「うわあ……なかなか辛辣だね」
「でも、確かにお父さんはメタボ気味だから、あれくらい厳しいことを言われてちょうどいい薬よ」
実際、占いの効果は抜群だったらしい。
達也は、帰宅するなり「ちょっと運動してくる!」と言い残し、そのままゴルフの打ちっぱなしに行ってしまったという。
クスッと笑える話が一区切りついたところで、初音はふと胸の奥がざわつくのを覚えた。
「……もしかして、私のことも何か言ってた?」
気づけば、初音も無意識のうちに身を乗り出していた。
「そんなに身構えなくても大丈夫だよ。初音はやれば出来る子だって。かなり期待の持てそうな将来だったわ」
「具体的には何て言われたの?」
日下部の祖母に自分の運命をどう見立てられたのか、初音は気が気ではなかった。
「中学生でつまずいて悪い流れを引きずるけれど、高校では良い転機が巡ってくるそうよ。身近なところにあなたの人生を刺激してくれる大切な人が現れて、良くも悪くも自分を変える努力ができるんですって。ちなみに、結婚は二十八歳だと言っていたわ」
ドクン、と心臓が跳ねた。
<中学受験に失敗して、そこからろくなことがなかった>
――当たっている。
神妙な面持ちの初音に、真由美は意味深な視線を向けた。
「お父さんを助けてもらったご縁もあるし……その『大切な人』って、案外、日下部くんのことだったりして?」
「っ……!」
心臓を直接掴まれたような衝撃に、初音の顔が一気に火照っていく。
あからさまに動揺し、視線を泳がせる娘の反応を、真由美は見逃さなかった。
楽しげにニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべ、覗き込んでくる。
その母親の視線が、今の初音にはたまらなく気恥ずかしかった。
「そ、蒼空はどうだったの!?」
初音は慌ててお茶を飲み干し、強引に話題を逸らしてその場を誤魔化した。
一足先に食べ終えていた弟の蒼空は、ソファでくつろぎながらテレビのチャンネルをコロコロと変えている。
「蒼空、宿題は済ませたの?」
蒼空は画面から目を離さないまま、「まだー」とのんびりした声を返した。
「先に済ませちゃいなさい」
そう促した真由美は、初音に視線を戻して再び口を開く。
「蒼空もね、『やれば勉強できる子だ』とは言われたんだけど……。結局やらないだろう、ですって」
芳しくない内容ではあったが、思い当たる節があるのだろう。
真由美は妙に説得力のある占いに、小さくため息をついた。
眠りにつく前の静寂のなか、占いの内容が次々と蘇ってくる。
――『高校での転機』『大切な人の出現』『自分を変える努力』。予言めいたキーワードが頭から離れない。
思い返せば、中学時代は苦痛でしかなかった。だからこそ、すべてをリセットしたくて地元の人間が誰も行かないような遠くの高校を選んだはずだった。
<この高校に入るために、勉強頑張ったんだけどな。まだ、これから自分を変える努力をしなくちゃならないのか……>
胸を押し潰しそうな不安が込み上げる。初音はその影を打ち消すように、今日、運命的な再会を果たした卓人の姿を脳裏に描き出した。
「理系志望の高校生なのに~♪」とふざけて歌っていた、あの気さくな卓人の姿を思い浮かべる。
旅行先で父親に応急処置を施してくれた少年が同じクラスの男子であり、家が神社で、祖母が占い師だという奇遇。
あのクールでどこか現実主義的な彼が、そんなスピリチュアルな環境に身を置いている。
そう思うと、奇妙なギャップを覚えずにはいられない。
そんなとりとめもない思考を胸に抱きながら、彼女は静かに微睡みの中に沈んでいった。




