インスタント・バディ
静まり返ったコートの脇に集まったのは、三年生の斎藤と藤島、二年生の新田。そして一年生の魚住、三好、初音の六人だった。隣で見守る藤島も、いつになく神妙な面持ちでコートの床に視線を落としている。
「みんな、私のために時間を取らせてしまってごめんなさい」
まずは新田が全員に向けて深く頭を下げた。それを受け止めるように、キャプテンの斎藤が本題を切り出す。
「一年生の三人に残ってもらったのは、他でもないわ。望海のダブルスのパートナーを、あなたたち三人の誰かに引き受けてもらえないかっていう相談なの」
「ダブルスの、ペアですか……?」
驚いたように魚住が問い返すと、新田がすかさず一歩前に出た。
「斎藤先輩、後は私から説明させてください」
斎藤が小さく頷くのを見届けると、新田は一年生の三人へと真っ直ぐに向き直った。
「実は、吉田先輩が足を痛めてしまって、夏の大会までの復帰が難しくなったの。だから、三人の誰かに私の新しいパートナーになってもらいたいと思って」
新田は言い淀むことなく、その用件をストレートに告げた。
「もし、吉田先輩が夏の大会までに復帰できたら……その時はどうなるんですか?」
魚住の鋭い指摘にも、新田は視線をそらさずに答えた。
「三年生の吉田先輩にとって最後の大会だから、その時は一度ペアを解消させてほしい。でも、大会が終わったら、また私と組んでほしいの。……ごめんね。自分勝手で、都合のいいことを言っている自覚はあるわ」
新田は、一年後に自分が引退すれば再びパートナーを探さなければならなくなるという、一年生側のデメリットまで包み隠さず伝えた。その一切の誤魔化しがない態度が、かえって彼女の切実さを物語っていた。
「私は、ちょっと……」
魚住が小さく声を濁し、三好もそれに合わせるように視線を落とした。この、ある種の自己犠牲を強いられる条件に、二人は明らかに難色を示している。
張り詰めた沈黙が体育館に広がる。その空気を見かねて、キャプテンの斎藤が助け舟を出すように声をかけた。
「初音は、どう?」
指名された初音は、臆することなく斎藤の目を真っ直ぐに見つめ返した。
「正直、私は高校では勝ち負けにこだわらず、楽しくバドミントンができればいいなと考えていて……。新田先輩とは熱量に差がありますし、私ではその熱意に応えられないと思います」
初音もまた、静かではあるが決然とした意思で、その誘いを断った。
これで、一年生の即戦力三人全員から断られたことになる。
「望海、どうする?」
斎藤の問いかけに、新田は最初から厳しい結果を予想していたのか、淡々とした口調で答えた。
「そもそも割の合わない役回りですし、こればかりはしょうがないですね。まあ、次を当たりますよ」
諦めたように笑おうとした、その時だった。
「ごめんね……望海」
背後から届いた声に新田が振り返ると、体育館の出入口に、制服姿の吉田亜優が立っていた。
「先輩、こんなところでどうされたんですか?」
「美沙希から、今日ここで望海の新しいパートナーについての話し合いがあるって聞いたの。……私、ずっと謝りたくて。去年、先輩という立場を利用して、望海の気持ちを確かめないまま、無理にダブルスを組ませてしまったこと」
吉田は痛みを堪えるような、神妙な面持ちで視線を落とした。
その言葉に新田は小さく目を見開いたが、すぐに首を横に振った。
「そんな、気にするようなことじゃありません。スポーツの世界ならよくあることですし、先輩が謝るようなことではないですよ」
「でも、私のせいで、望海のこれまでの努力を中途半端なものにしてしまったんじゃないかって……」
消え入りそうな吉田の声を遮るように、新田は先輩へと真っ直ぐに向き直った。
「そんな風に言わないでください!」
新田の張り裂けるような叫びが、静まり返った体育館の空気を激しく震わせた。
「昨年の秋の新人戦で、私が団体戦のダブルスに出られたのは先輩のおかげです。それに、今年の夏の大会だって……下からは桜井や野一色が激しく突き上げてくるし、上からは斎藤先輩と土屋先輩のペアが大きな壁になって立ちはだかっている。そのなかで団体戦のレギュラーを掴み取るために、先輩と必死で戦ってきたんじゃないですか!」
新田は一呼吸置き、真っ直ぐに吉田を見つめた。その瞳には、いささかの迷いも濁りもなかった。
「苦しくて、しんどくて……でも、本当に楽しくて! 先輩と過ごした日々は、私にとって紛れもなく完全燃焼でした。中途半端だなんて思ったこと、一度だって、一度だってありません!」
激しい言葉の余韻が消えぬうちに、吉田の目から堪えきれなくなった涙が一気に溢れ出した。
「望海……、ありがとう……っ」
ポロポロと床を濡らす吉田の涙に、キャプテンの斎藤も胸を打たれたように、そっと目元を拭っている。
誰もが二人の絆の深さに息を呑み、静まり返った体育館には、ただ微かな啜り泣きだけが響いていた。
――不完全燃焼で中途半端だった私。
この二人のやり取りを聞いていた初音は、胸の奥で蓋をしていた古い記憶が激しく疼き出した。気づけば、初音は一歩前に踏み出していた。
「……あの、新田先輩。さっきの話、私に引き受けさせてくれませんか」
その静かな感動の余韻を破るように響いたのは、遠慮がちな、けれど不思議と芯のある声だった。
斎藤は驚いたように目を瞬かせ、「初音、どうしたの?」と問いかけた。
「もし、私でよければ……新田先輩とダブルスを組ませてください」
さっきまで冷めた態度を崩さなかった初音の、まさかの百八十度の方向転換。その場にいた全員が息を呑み、呆然としている。
新田が困惑気味に、けれど諭すような口調で釘を刺す。
「柏原さん、一時の同情や感情で決めたら後で後悔するだけだよ」
その言葉を引き継ぐように、斎藤も真剣な眼差しを初音に向けた。
「前言を翻してまで、望海と組もうと思った理由を聞かせてくれる?」
初音はしばらく沈黙し、意を決したようにぽつりぽつりと心中を吐露し始めた。
「実は私、中学の途中で幽霊部員になってしまったんです。中途半端に終わってしまったこと、ずっと後悔していて……。それで先輩たちの話が、どうしても他人事とは思えなくて……」
「それって、週二日しか活動できなくなったっていう、あの話?」
斎藤も端的には知っていたが、詳細な事情までは把握していなかった。
「はい。中学二年の時に顧問の先生が変わったのが大きかったです。でも、理由はそれだけじゃなくて……。色んなことが重なって、それまでの部活の環境がどんどん壊れていってしまったんです。当時の私の力じゃ、どうすることもできなくて……」
大好きだったはずの居場所をただ失っていくのを、見ていることしかできなかったあの無力感。不完全燃焼のまま終わってしまった過去の傷跡。初音の瞳には、今も拭いきれない深い悔恨の影が揺れていた。
初音の告白をじっと聞いていた新田は、ふっと視線を落とし、小さく息を吐いた。
「私は、誰かに条件をつけられるような立場じゃないから。柏原さんが引き受けてくれるなら、理由なんて何でもいいわ」
その言葉は一見、初音を受け入れているように聞こえた。
しかしその本質は、新しい相方に対して大して期待していないという、諦念の裏返しだった。
――こうして、一度はダブルスで上を目指すことを諦めた新田と、中学時代に幽霊部員という苦い過去を抱えた初音。
前向きな絆などどこにもない、それぞれの思惑を孕んだ二人の急造ペアが、静かに始動する。




