初陣
明けて迎えたゴールデンウィーク。連休初日の休みを挟み、二日目の練習日が次の登校日となった。
「ええっ、嘘、ちょっと待って!?」
「うわ、めちゃくちゃ切ったじゃん!」
「すごい可愛い……びっくりした!」
部室に足を踏み入れた初音の姿に、一年生の女子たちが一斉にどよめきを上げる。
そのざわめきは、体育館に移動してからも止まらなかった。これまでのポニーテールを潔く切り落とした初々しい変貌ぶりに、周囲の部員たちは不意を突かれたように視線を奪われていく。
そんな緊張をほぐすように、学校一の美少女と名高いキャプテンの斎藤が、持ち前の明るさで歓迎してくれた。
「初音、ベリーショートじゃん! それ、マッシュショート? 断然可愛いわ」
「ありがとうございます。気持ちを入れ替えて、しっかり部活を頑張ろうかと思いまして……」
照れくさそうに首をすくめる初音に、斎藤がさらに後押しするように微笑む。
「うん、すごく良い! 覚悟を決めてきたって感じで、髪型もやる気もベリーグッドだよ」
潔い姿勢を評価され、初音は少し照れながらも嬉しそうに小さく頭を下げた。憧れの先輩からのストレートな賛辞に、悪い気がするはずもない。
一方で、コートの奥に佇む新田は、劇的な変化を遂げた初音の姿をただじっと見つめていた。「彼女なりの決意の表れなのだろう」と頭では理解しつつも、その瞳の奥には、どこか冷めた色が色濃く残っていた。
「新田先輩、私とシングルスをしていただけませんか?」
「いいよ!」
後輩からの突然の挑戦にも、新田は少しも動じることはなかった。まるでウォーミングアップの延長線といった、気さくな調子で快諾する。
実力差は歴然、自分の方が格上――ここまでの彼女のプレーを見てそう確信していた新田。だが、このすぐ後に自分が慌てふためく羽目になるとは、この時点では夢にも思っていなかった。
◇ ◇ ◇
「華子、真剣な顔してどうしたん?」
対戦中のコートを凝視する二年生の大前華子に、ダブルスの相方である同級生の桜井夏保が声をかける。
コート上では、新田望海と一年生の柏原初音による11点2ゲーム先取の変則マッチが佳境を迎えていた。
「望海が、一年生相手に1ゲーム目落としたの」
「今年の一年は、魚住のワントップだと思ってたんやけど、他にも有望株おったんか。名前、柏原やったっけ?」
桜井の口から、他人ごとのような大阪弁が漏れる。
そんな悠長な疑問を切り捨てるように、大前が鋭い声を放った。
「よく見てて。クロスカット来るよ!」
次の瞬間、大前の声と重なるように、初音が鋭く腕を振り抜いた。
放たれたシャトルは鮮やかな対角線をなぞり、ネット際ギリギリをかすめてコートに吸い込まれていく。
コートの奥に押し込まれ、体勢を崩されていた新田は、対角線上の一番遠い場所に鋭く落ちるシャトルにラケットを出すことすらできず、ただ呆然と立ち尽くした。
「えげつな……。何なんやあれ?カットちゃう、クロススマッシュやん」
桜井が一目見ただけで嫌そうに眉をひそめると、大前は厳しい表情のまま首を横に振った。
「確かに、腕の振りはスマッシュそのもの。だから望海は奥を警戒して一瞬足が止まった。でもシャトルは、スマッシュにブレーキがかかったみたいに、手前でスッと減速して鋭い角度を伴って落ちるの。インパクトの瞬間にスライスをかけてるんだわ。フォームが全くブレないから、打たれるまでコースも球種も読めない。相当な技術よ、あれは」
大前が驚異のメカニズムを見出すかのような表情で分析を口にすると、桜井はまるで一種の魔球を目の当たりにしたかのように呟いた。
「あれ、スライスカットの感覚で打っとるんか……。うち、あんなえげつないクロスカット、今まで見たことないわ」
桜井が呆然と本音を漏らした。
「っていうか、あれって狙って打っとるん?」
「さっきから何度も決まってるから、間違いなく意図的。あの一年生、あのクロスカットを決め球にして、ラリーを組み立てるパターンを一つの武器にしてるみたい」
新田がどれほど前を警戒していようと全く反応できていない。その事実の重さを、大前は厳しい表情のまま突きつけた。
「それにしても、さっきから結構シャトル落としとるな。凡ミスが目立つわ。せやけど、実力はまだまだこんなもんじゃないのは一目瞭然や」
ブランクのせいで身体が鈍っている現状を差し引いても、すでに新田と互角以上に渡り合えている。そう予感させる初音のプレーに、桜井も警戒感を露わにした。
それもそのはず、新田はこのバドミントン部でシングルス五番手までに入る強者。
桜井や大前にとっても決して侮れない好敵手で、昨秋の県新人戦では当時一年生にしてシングルスベスト16に食い込んだ実力者だ。
この二ゲーム目、スコアこそ新田が意地でリードしていたが、初音に左右へ激しく揺さぶられ、必死にシャトルに食らいつくその表情にもはや余裕など微塵も感じられなかった。
◇ ◇ ◇
辛うじて二ゲーム目を奪い返した新田は、荒い息を整えながら初音に視線を向けた。
「……柏原さん、とんだ秘密兵器を持っているのね」
「クロスカットですか? 久しぶりで不安でしたけど、感覚が残っていて良かったです」
悪びれずに微笑む初音。新田は、彼女がまだ底を見せていないことを確信し、小さく息を吐き出した。
「シングルスのファイナルはやめて、ダブルスに切り替えない? 体力、まだある?」
「はい、大丈夫です」
初音の迷いのない返事を聞くや否や、新田はその手を取り、斎藤の元へと歩き出した。
「斎藤先輩! ダブルスを試したいんですけど、許可をいただけませんか!?」
物凄い熱量で迫る新田に、斎藤は完全に気圧され、事情を飲み込めないままその要望を承諾した。
「あ、うん、いいよ。なんなら、私たちが相手をしようか?」
「はい! よろしくお願いします!」
斎藤がコートに入り、スイッチを入れるためのルーティンを始める。足を後ろで掴んで前大腿を伸ばしたあと、長い脚を前方にしなやかに振り上げ、リズミカルに高く伸ばしきる。
左右のストレッチを終え、ラケットを握り直した斎藤は、ペアを組む土屋にそっと耳打ちした。
「琴美、物凄く嫌な予感がするんだけど……」
二人がコートに入ったわずかな間に、周囲の空気は一変していた。
「同感……。やけにギャラリーが多いし、なんだか背筋がザワザワする」
コートの外を見れば、他の部員たちが練習の手を止め、品定めをするような視線をじっとこちらに注いでいる。
その中には、団体戦の枠を競うライバルである桜井・大前ペアと野一色・白石ペアの姿もあった。
さらに、ただの模擬戦ならライン際はセルフジャッジが当たり前なのだが、大前の指示によるものか、いつの間にか線審まで配置されている。
模擬戦とは思えない異様な雰囲気に、三年生の土屋琴美はゴクリと息を呑んだ。




