軽い万引き、重いリアル
「ちょうどゴールデンウイーク前のこの時期に植えるカボチャやトマト、それに茄子、ピーマン、オクラ……。どれも夏の定番野菜だけど、梅雨が明ければ容赦のない酷暑に晒される。毎朝の水やりを一日でもサボれば、それだけであっさり枯れるよ」
「……本当に、そんなにシビアなのかよ?」
家庭菜園の経験が一切ない藤本は、卓人が語る過酷さがいまいち想像できないのか、どこか半信半疑な様子で問いかける。
「ああ。欠かさず毎朝水やりをしているのに、茄子もトマトも半数は枯らしてしまう。毎年、自然の猛威を前に、自分の手による栽培の限界を思い知らされているよ」
水が足りないのか、それとも暑さのせいなのか、その原因すら分からずじまいだという。
卓人は自身の苦い失敗を明かしたのち、野菜ごとに異なる病気、引きも切らない害虫との戦い、肥料や備品にかかるコストの現実を、藤本の甘さを打ち砕くように淡々と説いていった。
「……害虫、か。いまいち、ピンとこないけど……」
土に触れる機会がなかった藤本にとって、身近な虫といえばせいぜい蚊やセミくらいなのだろう。戸惑いを隠せない様子で眉をひそめて呟く。
卓人は言葉で説明するより早いとばかりに、スマートフォンの画面をタップして、保存されている写真の一枚を差し出した。
「ここに映っているのはウリハムシという、ウリ科の植物を専門に狙う害虫なんだ。こいつらは柔らかい若葉が大好物でね。植えたばかりのカボチャの苗をたった二日で食べ尽くされて、丸ごと枯らされたこともある。本当に厄介な奴らだよ」
卓人は苦々しく言いながら画面をスワイプし、さらに別の画像を開いて見せた。
「これ、僕が作ったキャベツなんだけど……めちゃくちゃ見栄えが悪いでしょ?」
卓人は画面をピンチアウトし、五株ほど並んだキャベツの畝を拡大してみせた。そこに映し出されたのは、葉という葉に無数の虫食い穴が開いているキャベツの玉。しかも、サイズが小さく形もいびつで、なんとも見てくれの悪いものだった。
「……悪いけど、お世辞にも買いたいと思える見た目じゃないな」
藤本が率直な感想を漏らすと、卓人は「だろ?」と苦笑した。
「この虫食いの犯人は、アオムシなんだ」
「アオムシ? モンシロチョウの幼虫の?」
「そうだよ。これはモンシロチョウが卵を産み落として、孵化したアオムシが貪り食べた後なんだ。それに見た目には分からないけど、底ではナメクジが潜んで食い散らかしている。本当に、油断も隙もあったものじゃない」
「上からはアオムシ、下からはナメクジかぁ。こりゃ、大変だな。対策はあるのか?」
藤本はスーパーに並んだキャベツしか見たことがなかったのだろう。対策ありきでの問いかけだった。
「色々調べて試したよ。でもね、結局は防虫ネットを張って物理的に虫を入れないようにするのが一番確実だった。ただ、それでもナメクジはどこからともなく湧いてくるし、何より防虫ネットって長くなるほど高くて結構な出費になるんだ」
キャベツが大好物だというナメクジ、そのため栽培中の早朝は一匹ずつ箸でつまんでは排除する作業に追われるという。
そんな思いもよらない早朝のルーティンを聞かされた初音は、生々しい光景を想像して盛大にドン引きしている。
「……ってことはさ、スーパーに並んでいるあの綺麗なキャベツって、やっぱり農薬をたくさん使っているのか?」
藤本は薄々察してはいた。だが、卓人の生々しい実体験を聞いたことで、改めてその疑問を口にした。
「どんな薬剤をどれくらい使っているかまでは知らないけどね。でも、無農薬であれだけ大量のキャベツを傷一つなく育てるなんて絶対に無理だし、使われているのは間違いないと思う」
「やっぱり、あまり体には良くないんだろうな」
「……そうだろうね」
藤本の呟きに歯切れの悪い返答を返し、卓人はそのまま話を続ける。
「それに問題は、外見だけじゃないんだ。これ、見た目以上にめちゃくちゃ軽いんだよ」
「キャベツが軽い? ……なぜ、軽いんだ?」
藤本が素朴な疑問を口にすると、隣にいた初音がすかさず口を開いた。
「私、お母さんの買い物によくついて行くから分かるわ。それ、キャベツの『巻き』が圧倒的に足りないのよ」
「巻き……?」
「そう。中身が詰まってなくて軽いキャベツは、食べられる葉の量が少ないの。だからスーパーで買うときは、ずっしりとした重さがあるかを必ずチェックするんだから」
「その通り。柏原さん、よく知ってるね」
卓人に真っ直ぐ褒められ、初音は少し頬を緩ませた。
「野菜を育てるのって、想像以上に骨が折れるんだな……」
「だから、僕が作っている夏野菜なんて、基本的には家で消費するだけのささやかな家庭菜園さ。フリマアプリに出せるのは、見栄えの良いものが出来た時に、複数の野菜をアソートにして出品するくらいだよ」
卓人はそう言いながら、スマートフォンから過去の販売実績の画面を呼び出す。
そこには、茄子やオクラ、それにゴーヤやカボチャ、キュウリなどの組み合わせで販売された形跡が残っていた。
「そうか。お前が野菜をフリマで稼ぐアイデアをくれたのは嬉しかったけど……こんなに手間暇がかかるなら、部活も続けたいし俺には無理そうだな」
野菜作りの現実を知って、すぐに諦めようとする藤本に卓人は語気を強めて言い放った。
「何言ってるんだよ。お金を稼ぐってことが、そんなに甘いわけないだろ!」
「実際にやってる奴が言うと、重みが違うな」
「当然だろ。どんな商品にだって、材料費や人件費、それに作った人の時間と想いが詰まってるんだ。それを、お前はタダ同然に踏みにじったんだぞ……」
万引きという罪の重さを、卓人は逃げ場をなくすように淡々と、だが重く突きつける。言われた藤本は、何かが腑に落ちたかのようにぽつりと口を開いた。
「……日下部の言いたいことが、繋がったよ。作るのがあんなに大変なのに、それを掠め取るなんて……生産者の想いを踏みにじる万引きなんて、絶対にやっちゃいけないことだったんだな」
頭では分かっていても、現実感に乏しかった藤本。彼が自分の言葉の真意にようやく気付いたのを見て、卓人は小さく微笑みながら頷いた
「分かってくれればいいんだ。僕が君にフリマアプリでの野菜販売を提案したのは、単なる小遣い稼ぎのためだけじゃない。生産者の気持ちが、少しは分かるようになるからだ。しんどいこともあるけど、自分で作ったものが売れる喜びも味わえる。それに、シビアな収支計算をすることで金銭感覚も養われるからね」
「分かったよ。でも、部活は辞めないからな。その範囲でやれるなら、野菜作りに挑戦してみるよ」




