第3章 その2:霧の回廊 鋼の咆哮
研究所の格納庫は、もはや工場と呼ぶにはあまりに殺気立っていた。あちこちで溶接の火花が散り、ニッケル鋼の軋む音が響き渡る。
滑走路は、鉄道の敷設技術を転用した「強制射出カタパルト」として、泥臭く、しかし強固に建設が進められていた。
「おい、こんな短くて飛べるのか? 鉄の塊を空に飛ばすなんて、最初から呪われてるのさ」
ガントが土埃を払いながら叫ぶ。
「飛行機に翼の揚力だけを頼るな。このカタパルトで、最低でも600メートルの直線を強引に加速し、初速を稼ぎ出すんだ。蒸気機関のトルクをレールに伝達する。鉄道屋の意地を見せてやれ!」
リアムの指示は冷徹だった。枕木と鉄板を叩きつけた、無骨な「鉄の道」。それは滑走路というより、棺桶へと繋がるレールにも見えた。
エドワードが組み上げた一機目、リアムが「アイアンクラウンNo.1」と名付けた機体のテスト飛行の日。
リアムの設計は理論上、完璧だった。しかし、ニッケル鋼の過剰な重量と、蒸気機関の爆発的な出力の不均衡を計算に入れ損ねていた。
エンジンが咆哮を上げ、機体がカタパルトを滑走した瞬間――主翼が鋼の重みに耐えきれず、歪な音を立てて根本からひしゃげた。機体は滑走路の端で無様に跳ね、火花を散らして鉄屑の山へと成り下がった。
「……計算通りにはいかないな」
灰にまみれたリアムの呟きに、ガントは冷ややかに笑う。
リアムはふと、ひしゃげた真鍮のプレートを拾い上げた。その名を目にした瞬間、胸の奥で何かが軋んだ。
「……『アイアン・クラウン号』……」
リアムは呟いた。その音を口にした瞬間、まるで錆びた記憶の扉をこじ開けたような寒気が背筋を走る。
「……おい、どうした? そんなに難しい顔をして」
ガントが怪訝そうに覗き込む。
「……いや、なんでもない。ちょっと作業が続きすぎて、疲れてるのかな」
リアムは苦笑いを張り付けて誤魔化した。
(なんだ、今の感覚は……。俺が自分で名づけたはずなのに、まるで遠い過去の記憶を呼び起こされたような……。いや、そんなはずはない。でも、胸の奥で何かが引っかかっている……)
鼓動がトクンと重く、強く跳ねる。そのただならぬ様子を、少し離れた場所で作業の手を止めたエドワードがじっと見つめていた。
「おい、リアム。さっきから何をぼやいてるんだよ。『アイアン・クラウン号』なんて、お前が自分で設計した機体に付けた名前だろ」
エドワードが怪訝そうに歩み寄ってくる。
「……ああ、すみません。自分で名づけておいて、なんだか変な気分がしたものですから。ただの気まぐれな思いつきです」
リアムは努めて明るく笑ってみせたが、エドワードは納得いかないといった様子で眉をひそめた。
「自分で付けた名前に自分で気味悪がるなんてどうかしてるぞ。……まあいい、それよりもテスト飛行の準備を進めよう」
エドワードはそれ以上追及しなかったが、リアムは冷や汗が背中を伝うのを隠せなかった。自分で付けたはずの名前なのに、なぜこれほどまでに不吉な響きとして胸に突き刺さるのか。
「……No.1は失敗だ。次はNo.2とNo.3だ」
気を取り直した二人は、二機目と三機目に再びその名を冠した。
二機目はより強固に、三機目はより軽量に。彼らは失敗したNo.1の残骸を「供物」として、再び作業へと没頭した。
霧の向こう、最前線の蒸気機関車では、撮影隊がシャッターを切り続けている。
森林伐採が招いた冷涼な霧の回廊を、巨大な影が音もなく近づいてくる。リアムは王宮の城壁を砕く大口径弾を抱えた機体を見つめ、暗い自責の念に駆られていた。
「俺たちが切り開いた道だ。……俺たちが蒔いた種だ。終わらせるのも、俺たちじゃなきゃいけないんだ」
No.2とNo.3。
かつて海を飲んだという、根拠のない呪わしき名を背負い、二機の「鉄の王冠」は、霧の地獄へと飛び立つ準備を整えた。
その夜、研究所の滑走路脇。
リアムはひとり、月明かりの下で懐の小瓶を取り出し、琥珀色の液体を喉へ流し込んでいた。
「おい、スキニー!……お前、酒飲まなかったよな?」
背後からやってきたガントが、怪訝そうにリアムの肩を叩く。
リアムは動きを止め、手元の小瓶を見て目を瞬かせた。
「……あ、あれ? そうだね。俺は、なんでこれを飲んだんだ?」
自分でも答えが分からない。ただ、この喉を伝うアルコールの感覚が、妙に落ち着くのだ。恐竜の足音を聞いた時のような、脳の奥底が焼けるような「懐かしさ」が、自然とこの液体を手に取らせていた。
ガントはそんなリアムの困惑などお構いなしに、大笑いしながらその背中を強打した。
「知るかよ!! お前はこれから空を飛び、人類を救う英雄になるんだ。ウイスキーくらい飲んで、腹を据えろ! ガハハハハ!」
ガントの豪快な笑い声が、静まり返った格納庫に響く。その笑い声に、リアムは不思議と安らぎを感じた。アランという名の若者がかつて感じた最期の絶望も、今は霧の中に溶けていく。
「……そうだな。英雄か」
リアムはもう一口、琥珀色の液体を飲み干した。
霧の向こうから、地平線を覆い尽くすほどの咆哮が聞こえ始めていた。観測隊からの最終報告によれば、あの巨大な怪物の群れが本部の防衛線を突破するまで、残された時間は「あと1ヶ月」。
――リアムたちは知る由もなかった。
彼らが目の前で破壊した試作機ではなく、その「アイアン・クラウン号」という名こそが、1543年に「向こう側」へと消えた、ただ一隻の帆船の名であったことを。
「今度こそ」俺たちが終わりにケリをつけてやる。




