第2章:その2 ― じいちゃんの万年筆
指揮室の張り詰めた空気の中、アーサー・カサヴェテス大佐の右手は、ポケットの中の黒い万年筆を強く、白くなるほど強く握り締めていた。周囲の士官たちがリアムの報告を「過労による幻覚だ」と嘲笑する中、カサヴェテスの耳にはその喧騒など届いていなかった。
彼を支配していたのは、40年前の春の記憶だった。
――1870年。
庭先で日向ぼっこをしていた「じいちゃん」の姿が、鮮明に瞼に焼き付いている。幼いアーサーは、じいちゃんの膝の上で万年筆を眺めるのが好きだった。
「じいちゃん、またそのペンの話? 南の大きな怪物の話だよ」
アーサーが笑いながら尋ねると、じいちゃんは柔らかく目を細めて、彼の頭を撫でた。
「そうさ、アーサー。お前も大きくなったら、世界の果てを見に行くといい。ただな、もし鉄の道がどこまでも真っ直ぐに伸びていったら……その時は、俺の言ったことを思い出してくれ」
「うん、分かってるよ。じいちゃん」
当時は、それが将来起こる「人類の終わり」の予言だとは夢にも思わなかった。大人になれば忘れてしまうような、平和な日常のひとコマだった。だが、あの日のじいちゃんだけは、少しだけ寂しげに笑っていた気がする。
――いつか、お前がその道を見た時、俺の万年筆を握って、思い出してくれ。地上に逃げ場はない。地面を捨てて、空を獲るんだ。
記憶の淵から引き戻されたカサヴェテスは、ポケットの中で万年筆をさらに強く握り締めた。金属の冷たさと硬さが、手のひらに食い込む。40年の時を経て、今、あのおとぎ話が咆哮となって世界を鳴らしている。
大佐は万年筆を抜き放ち、地図の上に突き立てた。
「……じいちゃん、言った通りになったよ」
独り言のように、40年前の少年の声が漏れた。
その眼差しには、冷徹な指揮官としての仮面はなかった。かつて優しいじいちゃんに教わった、最後の宿題を果たす少年の、悲痛なほどの覚悟だけがあった。
彼は指揮室の窓から、遠く荒野に広がる建設予定地を見つめ、静かに、しかし鋼のような意思を込めて命じた。
「……全機を上げろ、とは言わん。だが、あの翼を完成させろ! 我々の知る世界は、もうじき終わる。……空を獲るんだ。じいちゃんが教えてくれた、あの場所へ!」




