第2章:鉄路の終わり、地獄の始まり
1910年。人類は蒸気と鋼鉄の力で、ようやく「ワールズエンドライン」を攻略できると信じていた。
赤道付近、灼熱の砂漠とジャングルが入り混じる境界線上に、人類の誇りをかけた鉄路が敷かれた。幾重にも連なる給水塔。近代文明という防波堤を築き上げ、北半球の科学者は高笑いした。「我々は遂に、神の境界を克服した」と。
建設現場は、熱気と汗に満ちていた。大柄な男、ガントは無精髭をたくわえた顎を突き出し、部下たちに怒鳴り散らしていた。
「おいコラ! そこは真っ直ぐだ! 線路が曲がれば、俺の機嫌も曲がるぞ!」
ガントは太い葉巻の先端を切り落とし、マッチを擦った。ゆっくりと立ち昇る、濃密で重厚な紫煙。彼は満足げにそれを吸い込み、砂混じりの風に向かって吐き出した。
「ワールズエンドラインだぁ? 笑わせるぜ。ただの地面じゃねえか。俺たちが鋼鉄の道を通せば、ただの『通り道』に成り下がるんだよ」
彼らは毎日、他愛のない冗談を言い合い、粗末な飯を食い、明日の開通を夢見ていた。ここは地獄の入り口ではなく、人類の黄金時代の夜明け前だと信じていたのだ。
しかし、その平穏は少しずつ、音もなく削り取られていた。夕暮れ時、遠くの森から響いてくるのは、風の音とは似ても似つかない重低音の唸り。線路を伝わって足元に届く、規則的すぎる地響き。ガントはそれを「蒸気機関車の振動が地盤に響いているだけだ」と断じていたが、リアムだけは違和感を拭えずにいた。
完成記念の祝杯が上がる前夜。測量班として境界線の奥深くへ先行していたリアムは見た。
赤道の向こう側から、鉄路を「道」として利用し、ゆっくりと、しかし確実に北上してくる巨大な影を。彼らは迷うことなく、真っ直ぐに、人間の作った鋼鉄の轍をなぞっていた。
――連中は、最初からここを「道」として知っていたのだ。
リアムは死に物狂いで、工事用のトロッコに飛び乗った。
「頼む、動いてくれ……!」
彼は重い手動レバーを必死に押し引きした。ガチャン、ガタンと、金属が悲鳴を上げるような音を立ててトロッコが加速する。背後からは、線路そのものを破壊しながら迫る獣たちの咆哮。リアムは泥と汗にまみれ、死地から文明の最前線へと、ただひたすら鉄路を駆け抜けた。
防衛本部の敷地内へ入り込むと、リアムは限界までレバーを引き絞った。
「キーーーーッ!!」
金属の摩擦音が大地を切り裂き、トロッコは火花を散らして本部の入り口で急停車した。
リアムは入り口のドアを突き破るようにして叫ぶ。その瞳には、恐怖を通り越した狂気が宿っていた。
「神話は本当だったんだ!! ここはWorld's End Lineだ!!!」
指揮室の空気は凍りついた。地図を広げる士官たちは、リアムの言葉を「極度の疲労による幻覚」として鼻で笑う。
「落ち着け、坊や。泥遊びでもしてきたのか?」
その時、指揮室の重い扉が開き、歴戦の風格を纏う一人の男が足を踏み入れた。カサヴェテス大佐だ。彼は部下たちの嘲笑を一瞥し、絶望に震えるリアムの背中に、冷たい手袋をはめた手を力強く当てた。
「リアム、話を聞かせてくれ。君の見たものの全てを私に聞かせてくれ。誰か! リアムに水を持ってきてやれ」
士官たちがたじろぐ中、カサヴェテスはリアムに水を渡し、リアムは震える手でそれを一口飲んでから、血走った目で地図を見つめて話し始めた。
「……大佐、彼らは何もかも知っていました。僕らが敷いたのは、ただの鉄の道じゃなかった。あれは、彼らにとってこの豊かな北の世界へ侵攻するための……『開かれた招待状』だったんです」
リアムは泥と鮮血で汚れた指先で、地図の線をなぞった。
「彼らは線路の脇を歩くことさえしませんでした。まるで最初から、この鉄路がどこに続き、どの給水塔で喉を潤せるかを知っているように、真っ直ぐにこちらへ向かってきている。先頭を歩いていたのは、かつての伝説で見たような獣なんかじゃない。鋼鉄の装甲をも貫くような牙を持ち、機関車の汽笛を聞きつけて、むしろそれを『獲物の在処を知らせる合図』として喜々として近づいてくる……。あの鉄路の上を、奴らは支配者として堂々と練り歩いているんです。僕が戻る直前、ガントたちの祝杯の笑い声が聞こえた。でも、その直後、線路が軋む音すらしない巨大な影が、まるで最初からそこにいたかのように現れて……。
あいつらのデカさは、言葉じゃ伝えられない……。**グリズリーのような巨体を誇るあのガントですら、奴らにとっちゃハンバーガーみたいなものだ。
大佐、彼らにとって僕らの技術も、線路も、すべてはただの『餌場の誘導路』に過ぎないんです!」
士官たちが絶句する中、カサヴェテスは地図上の『ワールズエンドライン』に、万年筆の先を突き立てた。
「我々は歴史上で初めて、人間が食物連鎖の頂点から転落した瞬間に立ち会っているんだ」
カサヴェテスの静かな言葉が、部屋の空気を塗り替える。カサヴェテスは窓の外、滑走路に並ぶ未完成の複葉機を指差した。
「奴らは我々の鉄路を使い、北へ侵攻する。なら、やることは一つだ。地面を捨て、奴らの頭上を取る」
静寂が訪れたその瞬間、はるか遠くの夜空を焦がすように、尋常ではない爆発音が響き渡った。数キロ離れた建設現場のほうから、風に乗ってガントたちのものとは違う悲鳴と断末魔が微かに届く。本部はまだ直接の脅威に晒されてはいないが、確実に、破滅の足音がそこまで迫っていた。
大佐は無言のまま、地図を焼き払うそためのマッチを擦った。人類の夢見た「征服」は、鋼鉄の轍の上で終わりを告げた。ワールズエンドラインの向こうから、世界を塗り替える巨影が、今、完全に北上を開始したのだ。




