第4章その2 灼熱の牙城
とにかく宿舎に戻る事にした。外のジャングルに比べれば、壁があるだけで圧倒的にマシだった。
救護班が慌ただしく動き回り、ガントの治療を始める。
突進された胸元には、恐竜の巨体が叩き込んだおぞましいほど巨大な青黒いアザが広がり、地面を転がり回ったせいで全身が傷だらけだった。それでもガントは歯を食いしばり、治療の痛みに耐えながら荒い息を吐いている。
その傍らで、カサヴェテス大佐は黒電話の受話器を掴み、中央委員会へと怒鳴りつけるように回線を繋がせた。
「――こちらカサヴェテスだ! 至急、特殊部隊の派遣を要請する!」
電話を受けた者は、早朝の当番だったため、「私の一存では、上官の許可や正式な手続きが……」と狼狽えて言い淀んだが、カサヴェテスはその言葉を荒々しく遮り、有無を言わさぬ低音で押し通した。
「手続きだと? 馬鹿野郎、今すぐ全員生きたままトカゲの餌にされるかどうかの瀬戸際なんだ! 黙って命令に従え!」
『――部隊の規模は?』と、受話器の向こうの役人が問う。
「全部だ! 残らずよこせ! マシンガンも、ダイナマイトも追加で大量に持ってこい!」
カサヴェテスは忌々しげに吐き捨てた。
「ダイナマイトは、いざとなれば1本ずつ投げて威嚇用に使おうと思ってたんだ……! だが、あいつに食われた!」
この時代の人間にとって、恐竜など耳にしたこともない者が大半だった。しかし、カサヴェテスの旧友であり、この場に居合わせたエドワードは違った。彼は専門家ではないものの、古生物の類が『好き』で、独自の知識を持っていたのだ。
カサヴェテスは血走った目をエドワードに向け、苛立ちを隠さずに問うた。
「おい、エドワード。恐竜ってのは、所詮トカゲの仲間、ただの爬虫類だろ? なんであんなに頑丈なんだよ! マシンガンの弾を浴びても突っ込んできたぞ!」
エドワードは呆れたように鼻を鳴らし、苦笑交じりに言い放った。
「馬鹿を言っちゃいけない、アーサー。アイツらのサイズなんて、せいぜい大きめのワニ程度だぞ。普通のワニにマシンガンなんて撃ったら、それこそ一発でイチコロさ」
エドワードは手元のノートをめくりながら、表情を急速に凍りつかせていく。
「……だがな、アーサー。もしあっち側の世界が、我々の想像通りの『恐竜だらけの生態系』だったとしたら話は別だ。そんな過酷な世界で生き残れるのは、並外れた適性を持った種だけだ。宿敵より強い、デカい、速い、あるいは賢い――そのどれか一つにでも特化していなければ、弱者からとっくに絶滅している」
エドワードの言葉に、部屋の空気がさらに重く淀んだ。
「そして……さっきお前さんたちがマシンガン丸々1本分をぶち込んで、ようやくギリギリのところで倒したあのLittle Boyは、向こうの基準で言えば、決して『デカい』わけでもなければ『最強の強者』枠でもないはずだ」
エドワードは青ざめた顔で、目の前の現実を突きつける。
「それなのに、あの異常なタフさだ。……あいつらにとっては生き残るための標準スペックでしかないとしたら、このジャングルの奥底には、いったいどれほどの化け物が潜んでいることか」
誰もがその言葉の重みに息を呑んだ。
そうこうしているうちに、東の空が白み、ジャングルの上空へと容赦なく太陽が昇ってきた。
赤道直下の強烈な陽射しは、じりじりと容赦なく大地を焼き付けていく。
誰も知ることはない。しかしその酷暑こそが、今の彼らにとって唯一の「恵みの陽射し」だった。
近くの藪や川辺まで忍び寄っていた恐竜たちもまた、その耐え難いほどの暑さを嫌い、木陰や深い水底へと身を隠し、熱を凌ぐためにじっと息を潜めていた。
本来であれば、誰もが準備が整うのを待ち、万全を期した明るい時間にリアムとガントのフライトを送り出す――そんな計画を想像していた。
しかし、運命は容赦なく、準備の整わないままの「開戦」を彼らに強制したのだった。
ーーー午前九時半。
常軌を逸したスピードで、黒塗りの軍用トラックと装甲車の一団が宿舎の前に急停車した。
総勢三十名ほどの特殊部隊。その先頭の車両から、軽やかな身のこなしで降り立った男がいた。
ヴィンス・ヴァンダイン少佐だ。
彼は砂煙を払いながらカサヴェテス大佐の姿を見つけると、ピタリと背筋を伸ばし、敬礼とともに満面の笑みを向けた。
「お疲れ様です、大佐! 要請通り、手塩にかけて鍛え上げた精鋭三十名と、ありったけの火薬をかき集めてまいりました!」
「まさか、お前がこれほど早く来れるとは思わなかった……! よくぞここまで来てくれた……!」
大佐は嬉しさのあまり声を上ずらせながら、ヴィンスの肩を力強く叩き、心底安堵の色を浮かべた。
二人は手早く状況を共有するため、そのまま軍用トラックに乗り込み、今朝方まで激戦が繰り広げられたジャングルのフチへと向かった。
現場の地面には、先ほどまで彼らが死闘の末に討ち取った「リトル・ボーイ」の亡き骸が転がっている。そのサイズはせいぜい大柄な男性程度――「小さい」と言っていい大きさだった。だが、そのすぐ傍らには、それとは比較にならないほど圧倒的に巨大な、もう一頭の大型の恐竜の亡き骸が生々しい血痕を撒き散らして転がっている。
ヴィンスは車を降りると、地面に転がる二頭の亡き骸に近づき、その頑丈そうな鱗や鋭い牙を好奇心のこの立った目でまじまじと観察した。
「ほお……こいつが、俺たちの部下を吹っ飛ばしやがったトカゲですか。いやあ、見事なもんだ。小さい方は大柄な男ってところか、だが隣のデカい方は迫力満点だな。剥製にして司令室に飾りてえくらいだ」
楽しげに笑うヴィンスの背後から、助手席に乗っていたエドワードが重い足取りで降りてきた。
ヴィンスはエドワードを一瞥し、ふと目を細めて問いかける。
「おや、そっちは学者のエドワードさんか。ひとつ教えてくれよ。こういうデカい動物ってのは、基本的に暑さを嫌うよな?」
エドワードは突然の問いに目を丸くしたが、すぐに対等の古生物好きとしての血が騒いだのか、手元のノートを握り直してうなずいた。
「……ああ。爬虫類や大型の生物は、体温調整が苦手だ。これだけの直射日光と猛烈な酷暑じゃあ、体が参ってしまうからな」
ヴィンスはニヤリと不敵に笑い、野生の勘を確信に変えるように言い放った。
「大佐、多分……今日の昼間は大丈夫ですよ。ヤツらは今頃、どこかの深い木陰か水底で、ハァハァ言いながらぐったり涼んでやがる頃だ」
その言葉に、カサヴェテス大佐やエドワードはハッと息を呑んだ。専門的な知識がなくても、百戦錬磨のハンターとしての本能が、この灼熱の太陽こそが最大の味方であると告げていた。
すぐに宿舎へと取って返すと、ヴィンスは瞬時に戦闘態勢へと切り替え、部下たちへ的確かつ迅速な指示を飛ばした。
「野郎ども、聞きな! 相手はただのトカゲじゃねぇ、化け物だ! だが、今は暑さでバテてやがる! だが油断するな、デカいヤツがいつ突っ込んできてもいいように備えるんだ!」
ヴィンスは屈強な部下たちを次々と指名していく。
「警戒任務は30名を10人ずつの3組に分ける。1時間ごとの完全交替制だ! いいか、こんな酷暑じゃ一瞬で集中力が切れる。短いスパンで確実にローテーションを回すぞ!」
さらに、ヴィンスは防壁を固める部隊へ厳命を下す。
「マシンガン部隊は南方向の防壁に配置しろ! ただ撃つだけじゃあの硬い皮は抜けねえ。デカいヤツが来ても対応できるように、目を狙える角度まで狙える上下駆動の調整を徹底しろ! 弱点は目だ、そこを狙い撃て!」
指示を飛ばしながらも、ヴィンスは全員を無謀な突撃に走らせるつもりは毛頭なかった。相手の規格外の頑丈さを目の当たりにすれば、地上からの銃撃だけでは限界があることなど、百戦錬磨の彼には痛いほど分かっていたのだ。これほどの化け物を相手にするなら、戦闘機の圧倒的な航空支援がなければ対抗しえない――そう冷静に踏んでいた。
一通りの指示を終えると、ヴィンスは宿舎の隅で青い顔をして座っていた男たちのほうへと歩み寄った。
「おいおい、派手にやられたな、ガント」
それはかつての古馴染みであり、気心の知れたパイロットのガントだった。ヴィンスは軽くその肩を叩き、ニヤリと軽口を叩く。
「生きて戻れただけ運がいいぜ。……どうだ、こんなトカゲ相手の危険なフライトなんてさっさと辞めて、うちの部隊に戻ってこいよ。お前みたいな腕利きなら大歓迎だぜ?」
苦悶の表情を浮かべるガントに冗談っぽく笑いかけながらも、ヴィンスはふと視線を隣の若い男へと移した。見慣れない顔だ。ヴィンスはニヤリと歯を見せて笑う。
「おっと、そっちの兄ちゃん、名前は?」
「リアム・ドレイクです!!」
勢いよく返答したリアムに、ヴィンスは満足そうにうなずいた。
「リアムか。良い目をしてるな。ヴィンスだ。よろしくな」
そして、ヴィンスは真剣な眼差しをガントとリアムの二人に向けた。
「ガント、それからリアム。お前らのフライトがなければ、この化け物どもを本当に片付けることはできねえ。今は余計なこと考えるな。いいか、命令だ。今すぐその辺の強い酒をあおって、泥のように眠れ。空からの勝負は、起きてからだ」




