第二話 ダムに現れる首無し男の噂――成仏
巨人が完全に崩れ落ち、ダム湖に巨大な波紋が広がる。水飛沫が月光に煌めき、氷の足場もゆっくりと融け始めた。
私はディストレイの左手を見た。巨大な掌の中に、小さな生首が収まっている。不思議と腐敗はなく、まるで眠っているかのような表情だった。
「彼の首……取り返したぞ」
「オオ……ワタシ……ノ……クビ」
隣にいた首無し霊は、ディストレイのコクピットから抜け出すと、左手に収まる自分の首まで滑るように飛んでいく。
そして両腕を伸ばし、自分の首をそっと抱え上げた。
「ア……タマ……」
霊は自分の首を、空洞だった肩の上に載せた。
首と胴体が、淡い光に包まれて繋がっていく。
やがて、完全に首が繋がった時、霊の姿が変わった。五十代ほどの、皺の多い顔。だが、その目は穏やかで、口元にはかすかな微笑みさえ浮かんでいる。
「あんたが……取り返してくれたのか」
霊の声は、もはや濁っていなかった。
しっかりとした、労働者の声だった。
「ええ。あなたの首は、確かにここにあります」
「そうか……ありがとう……」
彼は自分の手を見つめ、それからダム湖を見渡した。
「俺は、このダムで死んだ。生き埋めにされた。でも……もういいんだ。首さえあれば、ちゃんと死ねる」
「あなたの無念は、確かにここにありました。ですが、もう大丈夫です。あなたを殺した者たちは、とっくに法の裁きを受け苦しみながらあの世へ行ったことでしょう」
「そうか……」
もちろんこれは私の嘘だ。
読んだ資料には、隠ぺいした者たちはみな法の裁きを受けることなく、この世を去っている。
真実を話すか。
いや、それで彼が未練を残してこの地に留まったら、今度こそパラサイトグリードに寄生されてしまうかもしれない。
そんな未来が来るのなら、私は嘘を言おう。
なぜなら、その小さな嘘で彼は満足そうに傾いているのだから。
「綺麗な月だな。こんな月を見たのは、何年ぶりだろうか……」
空を見上げながら、正直な感想を述べた彼の体が、元から光の粒子に変わり始める。
霊は最後に、私の方を向いて、深々と頭を下げた。
「本当に、ありがとう」
「どうか、安らかに」
私は静かに答えた。
霊は微笑みを浮かべたまま、完全に光の粒子となり、夜空へと昇っていった。
ダム湖の水面が、静かに月光を反射している。先ほどまでの異様な波立ちは嘘のように収まり、周囲には虫の声だけが響いていた。
『良かったね、翔太』
カナリアが私の肩に止まり、小さく呟いた。
「だな」
私は堤頂に立ち尽くし、しばらく月を見上げていた。ディストレイは既に光の粒子へと還り、静寂だけが残されている。
やがて東の空が白み始め、私は管理事務所へと歩き出した。




