プロローグ K地区の廃病院
廃病院の前に立つと、澱んだ空気が肌にまとわりつくようだった。
動画投稿サイトの登場で気軽に撮った動画を投稿できるようになって、早十年。
五年ほど前から心霊動画ブームが加熱し、無許可で廃墟に足を踏み入れる若者が後を絶たない。その結果、行方不明事件は年々増加の一途を辿っている。幽霊という不確かな存在のせいにはできず、警察も表向きは通常の行方不明事件として処理せざるを得ない。だが、裏ではこうして私たちのような霊能力者が秘密裏に動いているのだ。
私は地上から見上げ屋上へ視線を移動させる。
漆黒の闇の中、さびれた手すりを掴む一人の女性の姿を私は捉える。その視線に彼女の方も気づいたのか、真顔で私へ手を振った後、突然屋上から飛び降りた。
おそらく、生前女性が命を捨てた状況が再現されているのだろう。
その時だった。
女性は頭から落ちている途中、ある階層の瞬間に右手で指したのだ。
ぐしゃ!
鈍い音と共に女性が落ちて頭が割れて、真っ赤な血の池が広がる。だが、すぐにその光景は消え、その場には何事もなく地面だけが映され、屋上を再び見上げると先ほどの女性が同じように手を振っている。
ただ、先ほどと違うところは頭から血が流れ、端正な顔の片方が真っ赤に染まっていることだけだった。
「なるほど。三階が怪しいんだな」
幽霊である女性すら危険だと言わせる三階。
私を見下ろす女性に頷くと、その足を廃病院へ向ける。
非常口の鉄扉をこじ開け、闇に沈んだ廊下へと足を踏み入れる。壁のペンキが剥げ落ち、カビの臭いが鼻をつく。だが、私の五感が捉えているのは物理的な腐敗臭ではない。恐怖、絶望、嫉妬。それらが凝縮された負の感情の臭いだ。
三階に到達した瞬間、明らかに空気が変わり、どす黒い靄が映画館で見られる案内灯のように、廊下を染め上げ一つの部屋に向かっている。
私は手で靄をかき分けながらその部屋の前に立ち、入口の表札を見て確信した。
『手術室』
「噂にあった手術室か。確か医者が現れるんだったな」
私は警戒をしながら、部屋を覗きこんだ時、奥の闇が不自然に蠢いた。
「……見つけた」
私は一歩横へと踏み出した。
ヒュンッ!
鋭い風切り音と共に、先ほどまで私の首があった空間を、何かが通り抜ける。部屋の外の壁に突き立てられたそれは、錆びついたメスだった。手術用の刃物が、まるで生き物のように震えている。
「やっぱり、な」
ゆっくりと振り返ると、闇の中に浮かぶ人影があった。白衣を纏った老人。だが、その輪郭はぼやけ、背中にはドス黒い怨念のこもった霧と錆びたメスが八本浮かんでいる。




