第五話 森山花蓮の受難――プロローグ
十二月の冷たい雨が、街を灰色に染めていた。
森山花蓮は警視庁から支給された黒い傘を差し、都心から少し外れた住宅街に建つ十階建てのマンションを見上げた。
築十五年ほどだろうか。外壁はところどころに雨染みが浮き、ベランダには無造作に洗濯物が干されたままになっている。
「ご苦労さまです、森山警部補」
現場の制服警官が敬礼をする。
花蓮は軽く会釈を返し、マンションのエントランスへと足を踏み入れた。
エントランスホールは閑散としていた。
壁に貼られた集合郵便受けのいくつかは、チラシが溢れかえっている。
住人の入れ替わりが激しいのかもしれない。管理会社の清掃も行き届いていない。
彼女はエレベーターに乗り込み七階のボタンを押した。
ドアが閉まる瞬間、かすかに冷たい空気が流れ込んだ気がしたが、気のせいだろうと首を振る。
七階に到着し、廊下を進むと突き当たりの部屋の前に人だかりができていた。鑑識課の職員たちが黙々と作業を進めており、誰もが口数少なく重苦しい空気に包まれている。
「森山警部補、こちらです」
現場を仕切っているのは、花蓮よりも五年ほど先輩にあたる刑事田辺警部補だった。彼は疲れ切った顔で花蓮を手招きする。
「死亡していたのは、この部屋の住人小野寺健太。三十四歳、独身。IT企業に勤めるプログラマーだ。発見者は今朝、様子を見に来た同僚。連絡が取れなくなったことを不審に思ったらしい」
「死因は?」
「それが……まだはっきりとは。司法解剖に回しているが、外傷は一切ない。ただ……」
田辺が言葉を濁し、部屋の奥へと視線を向ける。
花蓮は意を決して遺体の安置されている寝室へと足を踏み入れた。鑑識のカメラのフラッシュが、暗い室内を断続的に照らし出している。
ベッドの上に横たわる遺体を見た瞬間、花蓮は思わず息を呑んだ。
男性――小野寺健太は仰向けに倒れていた。その顔は恐怖に歪みきっており、両目は大きく見開かれ白目が剥き出しになっている。口はだらしなく開かれ、まるで断末魔の叫びを永遠に封じ込められたかのようだった。両手は硬直し、指は虚空を掴もうとするかのように曲がっている。
花蓮はプロとして幾度となく遺体を見てきた。しかし、これほどまでに禍々しい表情を浮かべた死者は初めてだった。自然死や事故死はもちろん、殺人事件の被害者でさえここまで極端な恐怖の痕跡を残すことは稀だ。
「まるで……ホラー映画のキャラに殺されたみたいだな」
後ろで田辺がぽつりと呟いた。




