第6話 バズりすぎた朝と、静かな森の朝食
月曜の朝、佐藤悠真はいつものようにアパートのベッドから起き上がった。
体は軽く、週末の異世界でのんびり過ごした余韻がまだ残っていた。
しかし、スマホを手に取った瞬間、その軽さが一瞬で吹き飛んだ。
インスタの通知が、異常な数で鳴り響いていた。
フォロワーは一千三百人を突破。
昨夜アップした「湖の向こう側からの夜景」写真が、爆発的に拡散されていた。
いいねは一万を超え、保存数も異常に多い。
コメント欄はもうカオスだった。
「この星の配置、絶対に日本じゃない。北半球のこの季節でここまで南の星が出てるの?」
「木の葉の形と湖の透明度、明らかに国内のどの湖とも違う。海外? それとも……」
「キャンプ飯のホイル焼きに使ってる草、見たことない種類だよね。誰か植物オタク解析して!」
「この人、毎回同じ場所の写真上げてるけど、場所特定班動いてるらしいよ」
「マジで秘境すぎて怖い。AI生成じゃないよね?」
悠真は冷や汗を拭いながらスクロールを止めた。
「やばい……本格的に解析され始めてる」
特に気になるのは、あるアウトドア系YouTuberのコメント。
「この写真のEXIFデータ消してるけど、撮影時刻と星の位置から計算すると、国内のどのキャンプ場とも一致しない。
もし本物の写真なら連絡ください。共同で調査したいです。」
悠真はすぐにそのコメントを非表示にし、投稿の編集画面を開いた。
すべての写真の位置情報はオフ、EXIFも削除済み。
加工もかなり慎重にやっているはずだったが、星の位置までは完全に隠せなかったらしい。
「これ以上アップするのは危ないかも……」
会社へ向かう電車の中で、悠真は深く考え込んだ。
インスタを続けたい気持ちと、秘密を守りたい気持ちがせめぎ合う。
でも、異世界の絶景を誰にも見せられないのはもったいない。
少し投稿のペースを落とすか、もっと大胆にぼかす必要がありそうだ。
その日の仕事は、珍しく比較的穏やかだった。
上司の無茶振りはあったが、週末の癒し効果か、心に余裕があった。
「疲れたら異世界へ逃げられる」という安心感が、現代のストレスを和らげてくれている。
火曜の夜。
今週はまだ疲れ果ててはいないが、週末のご褒美キャンプを前倒しでやりたくなった。
仕事が終わった午後八時、軽自動車に荷物を積んで山奥のキャンプ場へ向かった。
到着は夜九時半。
他のキャンパーは少なく、静かな夜だった。
いつもの手順でテントを設営し、焚き火台に火を起こす。
炎がパチパチと音を立て始めると、自然と心が落ち着いてきた。
「今夜は少し奥へ行ってみよう」
焚き火を見つめながらそう願い、缶ビールを一口飲む。
炎が青白く変わり、煙が渦を巻き、光の門が開いた。
疲れ果てていなくても、ちゃんと反応してくれる。
その事実に、ほっと胸をなで下ろした。
バックパックにコーヒーセットと簡単な朝食材料を詰め、門をくぐった。
異世界の夜はいつも通り静かで美しい。
湖畔を少し離れ、今夜は森の奥へ少し入ってみることにした。
ランタンの柔らかい光を頼りに、木々の間をゆっくり進む。
足元は柔らかい苔と落ち葉。
空気は甘く、木の樹皮からほのかにハーブのような香りが漂っていた。
三十分ほど歩くと、小さな清流が見つかった。
水の音が心地よく、星明かりが水面に反射している。
ここを今夜のキャンプ地に決めた。
シートを広げ、小型ガスバーナーで湯を沸かし、コーヒーを淹れる。
異世界の清流で冷やした水で淹れるコーヒーは、香りがさらに深かった。
一口飲むと、体の芯から温かさが広がり、心がふわっと軽くなる。
スマホで撮影を始めた。
清流の水音をバックに、湯気の立つコーヒーカップ。
背景の木々をぼかし、光の加減を調整して「日本の山奥の秘境渓流」風に加工。
「#渓流キャンプ #夜のコーヒータイム」
キャプションはいつも通りぼかして下書き保存。
夜が更け、シュラフに包まって横になる。
清流のせせらぎと、木々の葉ずれの音だけが聞こえる。
現代の喧騒が、遠い夢のように感じられた。
朝が来た。
異世界の森の朝は、息をのむほど穏やかだった。
木々の隙間から差し込む柔らかい朝陽が、霧を優しく照らしている。
清流の水がキラキラと輝き、朝露に濡れた葉が宝石のように光っていた。
悠真は起き上がり、深呼吸した。
冷たくて甘い朝の空気が、肺いっぱいに広がる。
「ここに来ると、本当に世界が違う……」
クッカーで清流の水を汲み、丁寧に沸かしてコーヒーを淹れる。
持ってきた食パンに、ベーコンと昨夜拾った見慣れない香草を乗せて軽く炙る。
シンプルな朝食だが、異世界の空気の中で食べるそれは、格別な味がした。
朝食を終え、スマホで朝の清流を撮影。
霧のかかった森と、輝く水面。
「#秘境の朝 #森の朝食」
加工は最小限に抑え、木の形を少しだけぼかした。
撮影を終えた後、悠真は清流のほとりに座り、しばらくぼんやりと景色を眺めた。
心が、完全にリセットされていた。
インスタのコメントで感じた焦りも、会社の仕事のプレッシャーも、ここではただの遠い記憶だ。
ふと、近くの木の根元に、赤紫色の小さな実が実っていることに気づいた。
食べられそうに見えるが、毒があるかもしれない。
慎重に一つ摘み、匂いを嗅いでみる。
甘酸っぱい、ベリーのような香り。
「今度、現代に持ち帰って調べてみようかな」
異世界の素材を現代に持ち込む——それも新しい楽しみになりそうだ。
午前十時頃、門がゆっくりと薄れ始めた。
自然と現代側へ引き戻される。
俺は名残惜しそうに清流を振り返り、光の門をくぐった。
現代のキャンプサイトに戻ると、焚き火の灰はすっかり冷えていた。
テントを撤収し、軽自動車に荷物を詰めながら、悠真は小さく微笑んだ。
「インスタは少しペースを落とそう。
でも、この場所は絶対に守る」
アパートへ帰る道中、車内のラジオから流れる軽やかな音楽を聞きながら、
心の中で次の週末の計画を立て始めた。
異世界の森は、まだまだ知らない場所がたくさんある。
湖のさらに奥、丘の向こう、清流の上流……
少しずつ、俺だけの秘密のキャンプ地を広げていこう。
月曜の夜、ベッドに横になりながらインスタを開くと、
フォロワーが一千五百人を突破していた。
新しいコメントには「この人の写真を見ていると、心が癒される」と書かれているものもあった。
悠真はスマホを胸に当て、目を閉じた。
「癒されるのは、俺の方だよ」
秘密の焚き火が、静かに俺の心をリセットし続けている。
これからも、この穏やかな往復生活を続けていきたいと思った。
(第6話 終わり)




