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『冒険者の迷宮』は、王宮から馬で十分ほど走った場所にある。街から近いということも、ダンジョンデビューの場に選ばれる理由のひとつだ。
ダンジョンというものがどうやって生まれるのかを解明した者はいまのところいない。ダンジョンは、突然その場所に現れるのだ。発見するのは冒険者だったり、巡回の騎士だったり、街の民だったりとまちまちだ。気付くとそこに入り口がある、という具合である。現在では、入り口を発見し次第に王宮に報告を入れ、王宮が最初に攻略することになっている。なんの情報もなしに冒険者がいきなり攻略するのは、自滅しに行くようなものである。
『冒険者の迷宮』は断崖絶壁に扉が現れたダンジョンだ。さほど古い場所ではなく、ただ単に攻略が簡単という点だけでダンジョンデビューに向いている場所なのだ。
入り口のある断崖絶壁の前で、すでにディミトリ公爵とリカルド、アランが彼らの到着を待っていた。
「おはよう。今日は天気がよくて絶好の攻略日和だな」
そう言ってディミトリ公爵は笑うが、薄暗い迷宮に行くのだから外の天気など関係ない。冒険者として手練れと言われるレベルだからこそ言えるジョークだ。
馬から下ろしてやると、エメは真っ先にアランに駆け寄る。そのまま飛びつくので、アランは倒れそうになるのを足に力を込めてどうにか堪えた。
「元気だな」アランは苦笑いを浮かべる。「せっかくのダンジョンデビューだもんな」
エメは嬉しそうに笑う。ダンジョンデビューも、アランたちとともに行けることも喜んでいるようだ。
「俺も握力を鍛えてきたからな! 今日は手、離さないぜ」
そう言ってアランが気合いを入れて拳を握り締めるので、ラースは思わずひたいに手を当てた。
「骨は砕かないでくださいよ」
観音開きの扉をラースとニコライが開くと、ひんやりと冷たい空気が流れ出してきた。ダンジョンには一切の陽が射し込まないため、いつも空気が冷えているのだ。
ラースが先頭に立ち、公爵家三人とエメを挟んでニコライとエミルが続く。緊張でもしているのではないかとエメを見遣ると、辺りを見回して目を輝かせていた。
「アラン様の戦術は剣メインっスよね」と、ニコライ。「ここって、出て来る魔物はほとんどポケットラットっスけど、大丈夫なんスか?」
「剣で倒せないことはないだろ?」
「まあ、そうっスけど。かなり大変っスよ」
「ニコライたちはいつもどうやって倒してるんだ?」
「魔法使いが魔法でドンっスね。それが一番早いんで」
「ふうん」
『冒険者の迷宮』の内部は岩が剥き出しの道が続く。ダンジョンの中には、どういう仕組みかわからないが、神殿のような綺麗な壁の場所もある。「冒険者の迷宮」は十階層まであるが、そこまで深く潜るのは腕試しに来る冒険者くらいだ。依頼をこなすだけなら、深くとも五階層ほどで事足りる。冒険者の迷宮はダンジョンデビュー向けというだけあって、攻略し尽くされている。どこに何があるのか、ほとんどの解析が済んでいるとされる。
冒険者の迷宮はとても単純だが、一階層ずつが広い。端から端まで歩かないと下階への階段がなく、端から端へ辿り着くまでの時間が長い。景色も変わらないため、初級者は油断し、上級者は慢心する、と言われている。
「ポケットラットすら出て来ねえじゃん」
と、こんな具合である。
「油断するでない」ディミトリ公爵が言う。「ポケットラットとは言え、油断していると足を噛み千切られるぞ」
「アラン様は、冒険者の迷宮は初めてなのですか?」
エミルの問いに、リカルドが答えた。
「アランは、最下位ダンジョンは嫌だと言って来たがらなかったんだよ。今日はエメが行くからと――」
「余計なこと言うなよ兄貴!」
顔を赤くしてアランが声を上げるので、エメが目を丸くする。恨めしげに睨み付けてくる弟に、リカルドはおかしそうにクツクツと笑った。
退屈そうなアランとは対照的に、エメは楽しそうである。初めてのダンジョンなので当然だろう。魔物が出て来ないことは攻略が楽に済んで良いのだが、魔物と対峙するという経験も作っておきたいところだ。
あーあ、とアランは後頭部で手を組んだ。
「これじゃダンジョン攻略の意味ねーじゃん」
「意味ならあるぞ」と、ディミトリ公爵。「最下位ダンジョンだからと油断しない気概を作るというな」
穏やかに言う公爵の言葉はもっともで、アランは言い返すことができずに唇を尖らせる。
エメが、くいっとアランの手を引いた。それからどこかを指差すので視線をやると、岩の陰から何かが顔を覗かせている。ポケットラットだ。
「やっとお出ましか」
にっと笑ってアランが剣を手にする。それを見たラースは呆れて口を開いた。
「ポケットラット相手に剣で戦うんですか?」
「楽勝だろ!」
ポケットラットは最下位モンスターだが、動きがとにかく素早い。攻撃を仕掛けてくることはほとんどなく、こちらの攻撃をひたすら躱すだけだ。そのため、剣を持って追い駆けてもほとんど意味がない。その名の通り体も小さく、剣戟は当たらないと考えたほうがいい。
アランはしばらくポケットラットと追い駆けっこを続けた。そのうち三匹が姿を現したが、あちらこちらに逃げ回るポケットラットを追い駆け、アランは次第に息が上がってくる。止めようとするニコライをディミトリ公爵が制した。これも経験値のためだと言う。
すっかり疲れてアランが足を止めると、ようやくディミトリ公爵が彼に呼び掛けた。
「気は済んだか?」
ちぇ、と舌を鳴らし、アランは剣を鞘に納める。手を上にかざすとアランの手のひらから放たれた光が天井にぶつかり、小さな雷となってポケットラットの頭を貫いた。エメは感心して拍手をしているが、他の五人は呆れている。
「剣で倒す方法はねえのかな」
「効率が悪いです」と、エミル。「魔法で倒すほうが確実。ダンジョン攻略に必要なのは、その『確実』ですよ」
「わかってるよ」
アランはすっかり拗ねてしまい、とぼとぼと戻って来てエメと手をつなぐ。エメは励ますように手を握り返した。
二階層目に行くと、アランが思い出したように口を開く。
「ダンジョンではアイテムが手に入るんだろ?」
「アイテムっつーか、アイテムを作るための素材っスね。ポケットラットの皮も一応は素材なんスけど、小さいし、用途がほとんどないんで誰も採らないっスね」
「ふうん」
「……アラン様」ラースは言った。「ダンジョン攻略は初めてではないんですよね?」
「あ? ああ、そうだな」
「何回目ですか?」
「二回目だ!」
アランが胸を張って指を二本立てるので、ラースは思わず深い溜め息を落とす。なんだよ、とアランは顔をしかめた。どおりで、とラースは心の中で呟く。
「エメのお手本になるようにやってくれませんか?」
「なんだよ。充分お手本になってるだろ」
「悪影響ですよ」
アランは怪訝に眉根を寄せる。なぜそこまで不満げな顔ができるのだろう、とラースはまた溜め息をついた。
「今回のクエストは『マールム晶石』の採取だったな」
ディミトリ公爵が辺りを見渡しながら言った。エメが公爵を見上げ、不思議そうに首を傾げる。
「マールム晶石というのは、極めて純度の高いマナの結晶だ。分類は鉱石だがね。三階層で採れるはずだよ」
マナというのは空気に含まれる魔力の成分だ。マナの純度が高い鉱石は加工しやすく、魔道具を作ることもできる。その中でも「マールム晶石」のマナの純度の高さは群を抜いている。岩や土の中で結晶化した純粋なマナの塊が、外部に突出する際に空気に触れて純度が下がるのだとされている。魔道具を作る上でもっとも重宝されている鉱石だ。
ふと、エメが後ろを振り向いた。
「どうしたんスか、坊ちゃん」
ニコライがその視線を追うと、その方向にも道がある。
しかし――
「こっちは行き止まりっスよ」
冒険者の迷宮の二階層目には、行き止まりに通じる道がいくつかある。エメが指差したほうにも道はあるが、角を曲がった先が行き止まりになっているのだ。
エメはニコライを見上げ、少し不満げな表情になる。エメが足を止めるのでアランも止まり、その後ろの四人も足を止める。それに気付いたラースは、眉根を寄せた。
「行き止まりを気にしても仕方がないぞ」
諭すように言うラースにも、エメは顔をしかめる。何か気になることがあるのかもしれない。
「見るだけ見て来るっス」
そう言って、ニコライが列を離れて行った。
「え⁉」
角の向こうを覗き込んだニコライが声を上げるので、六人は顔を見合わせる。ニコライが大きく手招きをした。
「エミルくん! ちょっと来て!」
いきなり呼ばれて怪訝そうにしつつ、エミルはニコライに駆け寄る。ニコライに倣って角の先を見たエミルが、え、と小さく声を漏らすのが聞こえた。
「みなさん、こちらに来てください」
エミルが五人を呼ぶ。全員を呼ぶということは、危険なものがないのだろう。そう判断し、ラースも他の四人に目配せしてからニコライとエミルに歩み寄った。
角の向こうに広がっていたのは、一面の真っ赤な鉱石、マールム晶石だった。こんなに群生しているのは見たことがない。三階層目でもこれほど生息していない。
「すげ……」アランが感嘆を上げる。「なんだこれ」
「これは見事だ」と、ディミトリ公爵。「ここは行き止まりだと誰も気に留めなかったから、溜まっていたのだろうな」
「なんでわかったんだ?」
不思議そうに問うアランに、エメは得意げに微笑んだ。
「坊ちゃんのおかげで一階層分の手間が省けたっスね。確か依頼は十片だったっスね?」
「そうですね」エミルが頷く。「まあ、これだけあるんですから、少し多めに持って行ってあげましょう」
マールム晶石を始めとするマナを含んだ鉱石を採取する際には鑿を使う。マナが集まっている上部を傷付けないように根本から掘る。特別な手順などはない。
「ディミトリ公爵」ラースは言った。「公爵家の名義で、冒険者ギルドの情報更新をお願いしたいのですが」
「うむ。ではリカルドにやらせよう」
「お願いいたします」
「なんで兄貴? 見つけたのはエメなのに、それじゃ手柄の横取りじゃん!」
不満げに言うアランに、公爵は穏やかに言う。
「エメの名を出すのは都合が悪い。そういうことだ」
アランは口を「へ」の字にして考え込むが、ん? と首を捻った。まだアランには理解できないことかもしれない。
マールム晶石を採取したエメが、エミルに駆け寄ってそれを自慢するように見せた。
「綺麗に採れましたね。上手ですよ」
エミルが頭を撫でると、エメは満足げに微笑んだ。
「これ、どうやって持って帰んの?」
「アイテムボックスを使うんだよ」
アランの問いに、リカルドが手のひらを上に向けて広げた。一瞬だけ魔法紋が現れ、暗く空間が開かれる。空間に干渉し道具箱のように物を出し入れすることができる魔法だ。
合計で十五片のマールム晶石を採取し、リカルドが手際良くアイテムボックスに収納する。再び魔法紋で空間を閉じると、次に魔法紋を広げたときに収納したときのままアイテムを取り出すことができるのだ。
エメが物珍しそうに眺めているので、リカルドは腰を屈めて再びアイテムボックスを出した。
「アイテムボックスは大抵なんでもしまっておくことができるんだよ」リカルドはマールム晶石を取り出す。「さすがに食品はやめておいたほうがいいけどね」
おお、と口を丸く開き、エメは感心したように手をたたく。リカルドは再びマールム晶石を収納してアイテムボックスを閉じ、エメの頭を優しく撫でた。
「アイテムボックスは誰でも取得できる空間魔法だから、きっとエメも頑張れば使えるようになるよ」
エメは目を輝かせる。エメにとって、空間魔法はかなり優先度が低いのだが、いずれ覚えてもいいかもしれない。
「エメは【マナ感知】のスキルを持っているのかい」ディミトリ公爵が言う。「もしくはいま獲得したのかね?」
「前回の鑑定ではありませんでしたから、おそらくいま獲得したのだと思います」
「羨ましいものだ」
エメが首を傾げるので、エミルは腰を屈めた。
「その名の通り、周囲のマナを感知するスキルですよ。今回のような素材集めに役立つほか、敵意に乗るマナなどを感知することができます。斥候役が羨ましがりますよ」
エメはよくわからなかったようで、首を反対側に倒す。その愛らしさにエミルが一瞬だけ表情を固めたのを、ニコライは見逃さなかった。
* * *
冒険者ギルドに赴く公爵家と街の入り口で分かれ、四人は一路、王宮へ向かう。エメは馬の揺れが心地良いのか、王宮に着く頃には舟を漕ぎ始めていた。やはり体力値の低さが問題だな、とラースはそんなことを考えていた。
「坊ちゃま~! おかえりなさ~い!」
門をくぐった瞬間、そんな高い声が聴こえ、ラースに抱えられ寝かけていたエメがビクッと肩を震わせ起きる。彼らに駆け寄って来るのはユリアーネだった。満面の笑みを浮かべ、大きく手を振っている。
「ユリアーネちゃんって、あんな子でしたっけ」
ニコライが苦笑いを浮かべながら言う。
「でも」と、エミル。「最近のユリアーネさんのほうが可愛らしいと、男性のあいだでは評判ですよ」
「なんでそんなこと知ってるの、エミルくん」
エミルが肩をすくめるだけで応えないので、ニコライは顔を引きつらせた。エミルはいつも妙な情報を持っている。
「はしたないぞ、ユリアーネ」
苦言を呈するラースにユリアーネは、申し訳ございません、と辞儀をする。しかし次の瞬間には、ラースの腕から地面に降りたエメを抱き締めていた。
「ダンジョンデビュー、おめでとうございます!」
エメはくすぐったそうに笑う。ユリアーネは結果をまだ知らないはずだが、成功したと確信しているらしい。むしろエメが失敗するはずがないと思っているのかもしれない。
近くを通り掛かった神官が咳払いをするので、ユリアーネはようやくエメを離した。それからいつもの真面目腐った顔になり、お食事の用意がございます、と辞儀をした。
食事を終えて部屋に戻ると、ではさっそく、とエミルがステータスボードを取り出した。どこかそわそわしている。
「鑑定をしてもいいですか?」
エメは、ずいっと手を差し出した。
鑑定の結果がステータスボードに浮かび上がると、ふむ、とエミルは顎に手を当てた。
「体力値が五、魔力値が十、上がっていますね。それから、やはり【マナ感知】を獲得しています」
「スキル獲得ってなんの前触れもないっスよね」
「天啓とも言われているしな」
ダンジョン攻略中にスキルを獲得するのはよくあることだが、なかなか自覚することができないのだ。今回のエメのように、獲得直後に役に立つことがあれば気付くことができるのだが、皆が皆そういうわけではない。
「ステータス的には典型的な魔法使いっスけど」
「加護の魔法はまだ発動していないみたいだな」
「そうですね……。おそらく【癒し手】の影響ではないかと思います。普通は、最上位スキルを持っていたら、それに特化したステータスにしますからね」
最上位スキルを差し置いて他のステータスを伸ばすのは、無謀にも近いと言われている。今回、エメは【祈り】を得た上に【癒し手】を封じている。最上位スキルの育成ではなく加護の魔法の取得を目的としているため、目的のステータスには到達していない。
「最上位スキルと加護だったら、どっちが強いんスか?」
「どちらとは言えませんね。ほぼ同等かと」
「おおう……。ってことは、加護で得られる魔法は、最上位スキル並みってことっスか?」
「そういうことです」
「そりゃなかなか開花しないはずっスよ~」
ニコライが頭を抱える理由がわからないエメは、励ますように彼の腕をたたく。礼とともにエメを抱き締めたニコライは、気を取り直すように言った。
「ひたすら魔法レベルを上げるしかないんスかね?」
「もしくは、ダンジョン攻略で経験値を上げるか、ですね。ダンジョン攻略中にスキルや魔法が開花することは、よくあることですから」
「なるほどお……」
「加護の魔法は必要になったら開花する。無理にすぐ習得しなければならないものでもないだろう」
冷静に言うラースに、確かに、とニコライとエミルは顔を見合わせた。そもそも、加護の魔法がどういったものなのかもいまはわからない。魔法の正体が知れないのに、何をどう伸ばせばいいかなどと言うのは、荒唐無稽である。
「いまは坊ちゃんの素養を伸ばしますか」
「それがいいですね」
うんうん、と頷くニコライとエミルに、エメは不思議そうにきょとんと目を丸くした。




