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エメはエミルとともに中庭に出ていた。
エミルが見つけて来た無詠唱の初級の魔法は三つ。そのどれかひとつでも身に付ければ、護身用にできる。しかし、エメが何度試しても魔法は発動しなかった。
「条件は揃っているはずなんですが」
首を傾げるエミルに、エメはしょんぼりして肩を落とす。そんな彼の頭を撫で、エミルは優しく言った。
「おそらく、加護の問題なのではないかと思います」
エメは首を傾げた。加護というと、クリスタ王妃に授けられた【祈り】の効果のことだろう。
「加護によって与えられる魔法の属性は完全なランダムです。三つの魔法の中に、加護の魔法の属性と相性の良いものがなかったんでしょうね」
クリスタ王妃による【祈り】は、付随して中位以上のスキルや上位の魔法を獲得することがある。エメはいまのところ新しく得たものはない。
「加護の魔法はいつ開花するかわかりません。いままで【癒し手】に付随したいくつかのスキルを獲得したようですが、魔法はまだ得ていないようですね」
エメが両手を見て首を傾げるので、エミルはさらに言う。
「【癒し手】は光属性です。けど【癒し手】の保有者が使える光魔法は【癒し手】のみです」
エメはまた首をこてんと横に倒した。
「最上位スキルは魔法に値します。最上位スキルを持っていれば魔法は得やすいとされていますが、光属性なので、これに付随する属性はありません。水や炎と違い、光属性は独立した属性ですからね」
それはエメには少し難しい話だった。ぽかんとするエメを見たエミルが、腰を屈めてさらに言う。
「付随というのは、簡単に言えば『おまけ』です。たとえば水属性を持っているとして、魔法で雨を降らせます。すると、足元の土がぐちゃぐちゃになりますよね? そこで土を操る魔法を得る。水属性に地属性が付随して土魔法を使えるようになる、ということです」
わかりますか、と問うエミルにエメはこくこくと頷いた。
「まれに、光属性から闇属性が派生することはあるそうですが。派生というのは、たとえば【癒し手】の対象者が闇属性を得る可能性があるということです」
エミルの説明に対するエメの反応を観察しながら、ニコライは堪えきれずにニヤニヤしている。ラースは柱に寄り掛かりながら、そんな部下に溜め息を落とした。
「おい、エメ坊ちゃんがエミル様の指導を受けてるぞ」
こそこそと話す声が聞こえて振り向くと、宮廷魔法使いのふたりが廊下からエメとエミルを見ていた。
「羨ましいよな……」
「そうだな。俺だって……俺だって、エメ坊ちゃんに魔法をお教えしたい……! そりゃもう手取り足取り!」
「エミル様は騎士なのに! 有能すぎるんだ!」
ふたりの宮廷魔法使いは、ようやくラースに気付いた様子でハッと顔を上げた。そして慌てて言う。
「ラース様、このことはどうかご内密に……」
「なんのことだ?」
そう言って不敵に笑うラースに、ふたりの宮廷魔法使いは安堵に胸を撫で下ろした。失礼します、と丁寧に頭を下げて去って行く。ニコライがまたニヤニヤと笑いながらふたりの背中を見送った。
「エメ坊ちゃんの魅力は、留まるところを知らないっスね」
「子どもに甘いだけだろ」
「そんなこと言って~。先輩だって可愛いと思ってるんでしょ? わかってるんスからね」
人を苛立たせる顔をするニコライにラースがアイアンクローを繰り出したとき、授業を終えたらしいエメがラースに駆け寄って来た。顔を掴まれて悲鳴を上げているニコライに目を丸くするので、気にするな、とラースは言った。
ようやく解放されてぜえはあと呼吸を整えたニコライが、気を取り直したようにエメに微笑みかける。
「部屋に戻ったら何するっスか?」
エメが首を傾げるので、戻ってから考えましょうか、とニコライはエメをおんぶした。いつもならラースが抱え上げるが、たまにはニコライもエメを運んであげたい。
部屋に向かって廊下を歩いているとき、エメが何かに気付いたようにニコライの肩をたたく。彼が指差したのは、クエストなどの紙を貼る掲示板だった。
「坊ちゃんもそろそろ、ひとつくらいクエストを受けてもいいんじゃないっスかね。ダンジョン攻略して経験値を上げたほうが魔法を得やすくなるっスよ」
「そうですね」と、エミル。「下位ダンジョンの三階層までくらいならいけるのではないでしょうか」
「……エメのステータスは」
「体力値は四十を超えました。魔力値は百二十です。魔法はまだ使えませんが、冒険者スキルはいくつかあります」
「…………」
渋い顔をするラースに、エメが期待をはらんだ視線を向ける。ラースはひとつ溜め息を落とした。
「わかった。だが、最下位ダンジョンだけだぞ」
エメの表情がパッと明るくなる。ただし、とラースが続けると、きょとんと目を丸くした。
「何があっても【癒し手】を使わない。これだけ約束しろ。これを守れるなら連れて行く」
エメはこくこくと頷いた。エメのことだから、仲間が命の危機に晒されたら【癒し手】を使ってしまうかもしれない、とラースは思う。それはつまり、自分たちが命の危機に直面しなければいいということだ。エメのレベルに合わせてということもあるが、最下位ダンジョンの三階層目までだったらかすり傷すら負わないだろう。
「じゃあ、受け付けして来るっス」
ラースにエメを渡し、ニコライはクエストの紙を掲示板から剥がした。期限は三日後まである。
「行くのは明日でいいっスか?」
「ああ」
行って来るっス、と言って去って行くニコライに手を振り、エメは満足げに微笑んだ。
「そうと決まれば」と、エミル。「今日は体力の回復に努めましょう。魔法の練習で消費したはずですから」
「魔法が使えないのに魔力値が伸びるのはどういう仕組みなんだ。【癒し手】だって使っていないのに」
「素養ですね。魔法の練習をすることは経験値の上昇につながります。その経験値によって、伸びしろのあった魔力値が伸びているということです」
「じゃあ、剣の稽古をつけたら体力値も上がるのか?」
「それも素養ですね。エメの場合、魔力値が伸びやすく体力値が伸びにくい。剣の稽古をつけても疲れるだけです」
「なるほどな」
「まあ、これはないと思いますが、万が一ひとつも魔法が使えなかった場合、剣の稽古を無理やりにでもつける必要があるでしょうね。戦う術はひとつは必要ですから」
「……。加護があるんだ。ひとつも魔法が使えないなんてことはないだろ。最上位スキルだってあるんだからな」
「加護による魔法が、攻撃系の魔法であるとは限りません」
「まあ、まだ何を判断するにしても時期尚早だな」
「そうですね」
エメにはふたりの話は難しく、きょろきょろとふたりを交互に見る。僕に任せておいてください、とエミルが言うので、よくわからない、と言うように笑った。
* * *
サンドイッチを黙々と食べるエメに、メイド長が頬に手を当てて感慨深そうに言った。
「ずいぶん食べられるようになりましたね」
「顔色もずいぶん良くなりました」
エミルの言葉に、うんうん、とメイド長は頷く。毎日、エメのために試行錯誤を繰り返してきた彼女としては、彼が普通に食事を取れるようになったことが嬉しいのだろう。
「まるで子育てだな」
「親ってこういう気持ちなんですね」
皮肉を言ったつもりのラースに、エミルが至極真面目に言うので、ラースは思わず苦笑いを浮かべた。
賑やかな一団が食堂に入って来る。ベルンハルト団長率いる騎士隊だった。ベルンハルトはエメに気付き、おや、と穏やかな笑みを浮かべる。
「エメ、久しぶりだね」
歩み寄って来たベルンハルトに、エメは辞儀をした。
「不自由はしていないかい?」
エメが頷くと、ベルンハルトは安心したように微笑んだ。
「ラースは意地悪してこないかい?」
ベルンハルトは冗談めかして笑う。エメもおかしそうに笑うので、ラースは苦虫を嚙み潰したような顔になった。
「あ、団長。お疲れ様です」
ニコライが食堂に入って来て、簡素に敬礼する。
「やあ、ニコライ。元気そうだね」
「っス!」
ベルンハルトは団長と言っても、アーデルトラウト王国国王直属騎士団は五つの小隊がある。ラースが一隊を担っているように、五つの小隊にはそれぞれの小隊長がいる。ベルンハルト団長が直接的に指示を下すことは、合同演習のときか出撃のときくらいである。しかし、騎士たちの中には確実にベルンハルト団長に叩き込まれた基礎がある。この国で騎士を志す者は、誰もがベルンハルト団長に憧れると言われている。
ベルンハルトが去ると、ニコライが言った。
「クエスト、受け付けてきたっスよ」
「ああ」
「そのとき、ディミトリ公爵にお会いしたんスけど」
「……ああ」
「合同を申し込まれたんでお受けしといたっス!」
あっけらかんとニコライが言うので、ラースは思わずひたいに手を当て深い溜め息を落とした。
「お受けしないわけにいかないっスからね~」
「どちらに行かれるのです?」メイド長が問う。
「『冒険者の迷宮』っス。最下位ダンジョンっスね」
ダンジョンのランクには、上位、中位、下位と三種類がある。出て来る魔物の強さ、迷宮の複雑さなどで冒険者ギルドがランクを決めているらしい。下位の中でも最も簡単なダンジョンとされているのが最下位ダンジョンの「冒険者の迷宮」だ。迷宮とは名ばかりの簡単な造りのダンジョンで、魔物もランクの低い物しか現れないため、初心者が腕試しに行くダンジョンである。騎士が三人――それも高レベル――が行くような場所ではないが、経験値の浅いエメにはちょうどいいはずだ。
「冒険者の迷宮で」と、エミル。「スキルや魔法の獲得は無理でしょうが、ダンジョンデビューの経験値はそこそこ良いですからね。ステータス上昇が期待できます」
「出るのはポケットラットくらいっスけど、一応、物理攻撃耐性のある服を着てったほうがいいっスね」
「必要ないと思うがな」ラースは言う。「すでに加護で物理攻撃耐性は上がっている。ポケットラットくらい平気だろ」
「そうやって油断してると、痛い目見るんスよ」
エメはサンドイッチを食べながら、そんな三人の話をわくわくしながら聞いていた。ダンジョンデビュー、それはエメの心を躍らせるには充分な言葉だった。
「さて、エメ坊ちゃま、どの服にいたしましょう」
部屋に帰るなり、ユリアーネが衣装ラックを引っ張って来た。いつも違う服が揃っているところは感心する。
「物理攻撃耐性というと、こちらかしら。でもこれではエメ坊ちゃまの可愛さを表現できないわ……。むしろ魔法攻撃耐性を上げる……のは意味がないわね」
ひとりでぶつぶつと呟きながら、これでもないあれでもないとユリアーネは服を次々と手に取っては流している。エメが呆然とそれを眺めていると、長くなりそうっスね、とニコライが苦笑いを浮かべた。
そこにエミルが入って来る。その手には服があった。
「僕が子どもの頃に着ていた服です。物理攻撃耐性がついています。まあ、エメに似合えば、ですが」
エミルから手渡された服を広げ、まあ、とユリアーネは目を輝かせた。どうやら御眼鏡に適ったらしい。
「とても可愛らしいです! これを着た幼き日のエミル様はそれはそれはお可愛らしかったのでしょうね……」
服を片手に天を仰ぐユリアーネに、ラースも苦笑する。彼がこほんと咳払いをするので、ユリアーネはハッとした。
「いけない、私の趣味ではダメですわ。エメ坊ちゃま、どのお洋服がお気に召しましたか?」
エメはいくつかの服を眺めたあと、エミルの持って来た服を指差した。まあ、とユリアーネは頬に手を当てる。
「さすがエメ坊ちゃま! 審美眼がおありになるのですね。ええ、ええ。ユリアーネもきっとこれがお似合いになると思いますわ。では、さっそく合わせてみましょう」
常に冷静沈着だったユリアーネはどこへ行ってしまったのか。これはこれで、ある意味では彼女らしさが出ていて良いのかもしれない。
試着したエメを見ると、ほう、とユリアーネは息をつく。
「とってもお可愛らしいです……。さすが、エミル様。頭脳明晰なだけでなく服飾のセンスもお持ちとは……」
ひとりで感激しているユリアーネに、母が買った物ですが、とエミルは極小さな声で呟いた。ラースとニコライは揃ってこの日最大の苦笑いを浮かべた。
* * *
翌朝、エメはわくわくしながら寝たためか、いつもより早く目が覚めた。もう一度寝るのはなんだかもったいない気がして、ベッドから降り靴を履く。また勝手に部屋を出るとラースに怒られるので、先に服でも着替えておこう。
窓を開けると、昇り始めたばかりの太陽が薄く輝いている。涼やかな風が気持ち良い。そんな中で本を開いてみると、すこしだけ大人になれたような気がした。
* * *
「失礼します。おはようございます――あら?」
ユリアーネとラースがエメの部屋に入ると、なぜかエメが机に突っ伏して寝ていた。開いた本を下敷きにしている。
「なぜ机で寝てらっしゃるのでしょう。服も着替えて……」
「粗方、早く目が覚めたから本でも読もうと思って、そのまま寝てしまったんだろう」
呆れてそう言い、ラースはエメの肩を揺さぶった。エメはぼんやりしながら起き、それからハッとして立ち上がる。寝てしまったのは本意ではなかったようだ。
「まあ、勝手に外に出なかったのは褒めてやる」
ラースが頭を撫でると、エメは少し気恥ずかしそうに笑う。この表情を見るに、おそらく自分の予想は当たっているのだろう、とラースは思った。
「さ、坊ちゃま。支度をしましょう」
とは言え、すでに着替えは済ませてあり、あとはリボンタイを結ぶだけだ。さすがにリボンタイを自分で巻くことはできなかったらしい。その前に顔を洗って来ましょう、と背中を押すユリアーネとともにエメは部屋を出て行く。
ダンジョンデビューが楽しみで早く目が覚めてしまったのだろう、とラースは椅子に腰を下ろしながら考えていた。
自分のダンジョンデビューはいつだったろうか、と思考を巡らせる。もう何十年か前のことだ。そのときのことはよく憶えていないが、おそらく自分も前夜は楽しみにしていたのだろうと思う。付き添いも含めて「冒険者の迷宮」に行くのはこれで何十回目になるため、自分のダンジョンデビューもそうだったかは憶えていない。
(……けっこう忘れるもんだな)
エメもいつか、ダンジョンデビューのことなど忘れ一人前の冒険者として活躍する日が来るのだろう。もしくは魔法使いとしての素養を伸ばし、宮廷魔法使いになるという道もある。エメがどの道を選ぶかはわからないが、きっとどの道に進んでも目を輝かせているのだろう、と、なんとなくそんなことを思った。




