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それから数日。エメには少し難しそうな教材を選ぶエミルの授業を、彼は真剣に受けていた。人をけなせども褒めることのないエミルが褒めていたほどだ。
字の読み書きもできるようになってきて、本に書いてあることを理解できるようになってから、エメは授業を心から楽しんでいるように見えた。
そんなふたりの様子を眺めながら、ニコライが言った。
「王妃殿下のお話では、坊ちゃんは【癒し手】のせいで寿命が二十年縮んでしまったんスよね?」
「そうみたいだな」
「ってことは、坊ちゃんの本来の寿命が五十歳だとしたら、あと十八年しか生きられないってことっスか?」
「そういうことになるな」
冷静に応えるラースに、ニコライは顔をしかめる。
「先輩はなんとも思わないんスか?」
「思わないことはない。ただ、王宮が盗賊団を取り逃がし一家の惨殺とエメの誘拐を許してしまったときに、エメにそういう運命が付与されてしまったというだけの話だ」
「……残酷っスね」
「王宮は恨まれてもおかしくないんだがな」
最上位スキル【癒し手】を有する一家がいることを、王宮は把握するのが遅すぎたのだ。最上位スキル保有者は狙われやすい。王宮の保護を受ければ、危険に晒される確率が下がる。最上位スキル保有者を発見し次第、王宮が保護を申し出て、王宮はいままでに何人もの最上位スキル保有者を保護してきた。中には「縛られたくない」という理由で申し出を拒否した者もいるが、その末路は惨憺たるものだ。
今回、王宮はエメを捕えていた盗賊団を幾度となく取り逃がしていた。その結果、エメの保護が遅れたのだ。王宮が唯一の救いの手だったというわけではないが、盗賊団の勢力は百余名。町の自警団で対処できる数ではない。王宮が早急に手を打たなければならないことだったのだ。それが遅れたためエメの家族は惨殺され、エメは八年ものあいだ盗賊団に捕らわれ続け生命力を削る結果となった。エメは王宮を恨んでいてもおかしくないだろう。
「坊ちゃんは恨んでなんかないっスよね、きっと」
「そんなこと考えてもいないだろ」
「……長生きしてほしいっスね」
「そうだな。少なくとも、俺たちより先に死なれては困る」
「俺……坊ちゃんのほうが先に死ぬかもしれないって、そんなこと考えただけで心臓が痛いっス……」
「…………」
それはおそらく誰もがそうだろう、とラースは思った。みなの中でエメの存在は大きくなっている。エメの寿命が二十年分も縮んでしまったという事実を嘆かない者はいない。自分より少しでも長く生きてほしいと、そう願わずにはいられない。それは、ラースとて同じことだった。
「もっと好きなことやらせてあげたほうがいいっスよ」
「あ?」
「クエストにも行きたがってたし、勉強なんてやってる場合じゃないんじゃないっスか?」
「なに言ってんだ。勉強だって楽しそうじゃねえか」
ラースに言われて、ニコライは授業を受けるエメを見遣る。たしかに、エメは嬉しそうにエミルの話を聞いている。
「充分、好きなことやってるだろ」
「そうなんスかね」
「……本来なら、読み書きだってとっくにできてるはずだ。あの場所でただ命尽きる時を待っているよりは、いまの暮らしは充分やりたいことをやれてるんじゃないか」
「……たしかに。もうこうなったら、やりたいって言ったこと全部やらせてあげましょう!」
「そうだな」
「クエストも連れて行きましょう!」
「それとこれとは話が別だ」
「シビアだなあ……」
授業が終わると、エメは丁寧に辞儀をした。
「覚えが早いですね」と、エミル。「今日のところはエメにはまだ早いかと思ったんですが」
エメが満足げに微笑むので、エミルは優しく頭を撫でた。
「何か教わりたいことはありますか?」
エミルがそう言うと、エメは本棚から一冊を取り出して来る。本の表紙を見たエミルは、思わず首を傾げた。
「魔法書ですか。……そうですね。そろそろひとつくらい覚えてもいいかもしれないですね」
本をぱらぱらとめくり、エミルは顎に手を当てる。
「無詠唱で……エメと相性の良い魔法……。探してみます」
言うが早いか、エミルは部屋を出て行った。
エメが不思議そうにラースとニコライを振り向く。
「エミルは即断即決っスからね」と、ニコライ。「考えながら行っちゃうんで、こっちの話は聞いてないんスよね」
「まあ、あいつに任せておけば間違いない。お前に合う魔法を見つけて来てくれるだろう」
「先輩って隊が違うのにエミルのこと信用してますよね」
「認めることに隊の違いなんて関係ないだろ」
「ま、そっスね。さあ、坊ちゃん。次は何しましょう」
手を叩いて問うニコライに、エメは首を捻った。それから窓の外を指差す。中庭に行きたいということだろう。
行きましょー、とニコライがエメの背中を押す。ラースもそれに続き、三人は中庭を目指した。
その途中、エメが何かに気を取られて足を止める。それは依頼などが張り付けられている掲示板だった。またクエストの紙を見ているのかと思いニコライが視線をたどると、クエストの紙とは別の物を見ている。
エメがふたりを見上げ、一枚のチラシを指差した。
「ああ、収穫祭か」と、ラース。「明後日、街で祭りが行われるんだ。もう街では準備が進んでいるんじゃないか?」
「坊ちゃん、行きたいんスか?」
ニコライが問いかけると、エメは目を輝かせてこくこくと頷いた。期待に満ちた瞳に、ニコライはうかがうようにラースを見遣る。ラースは溜め息を落とした。
「わかった」
祭りくらい良いだろうと思い頷いたのだが、エメは相当に嬉しいようで、両手を挙げて万歳をする。
「ただし」
ラースが語気を強めると、エメは目を丸くした。
「街では俺たちの言い付けを聞くこと。いいな」
約束する、と言わんばかりにこくこくと頷くエメに、よし、とラースは彼の頭を撫でる。エメは明るく微笑んだ。
* * *
「さあ、坊ちゃま。せっかくのお祭りですから、うんとお洒落しませんとね。どれにいたしましょうか」
祭り当日、エメ以上にユリアーネが気合いを入れていた。衣装ラックにずらっと並べられた服を、手に取ってエメに合わせては、これでもないこっちでもないと次々と放って行く。エメはただ半端に腕を上げていた。
「ユリアーネ」と、ラース。「気合い充分なのはわかるが」
「はい」
「あまりめかし込んでいると、貴族の子どもだと間違えられて攫われる可能性がある。普通にしてくれ」
「……そうですか」
ユリアーネが目に見えてしょんぼりするので、励まそうとしたエメに、放っとけ、とラースは冷たく言った。
「でも」ニコライが言う。「俺たちみたいな騎士が一緒にいたら、どちらにせよ良家のお坊ちゃんなんじゃないスか?」
「では、おふたりも変装されてはいかがでしょう」
早々に気を取り直したユリアーネが、別の服をエメに合わせながら言う。変装、とニコライが首を傾げた。
「冒険者の格好をしていたら、武器を持っていたとしても違和感がなく、騎士とはバレませんわ」
「なるほど。その案でいきましょうか、先輩」
「ああ」
着替えて来る、とふたりは部屋を出て行く。見張りのいなくなったユリアーネが羽目を外しすぎる前に戻って来なければ、とラースはそう思った。
着替えを済ませたラースが詰所に戻ると、エミルが彼に歩み寄って来た。彼も冒険者のような格好をしている。
「支度できましたか?」
「お前も行くのか?」
「当然でしょう。護衛なんですから」
「お待たせっス!」
ニコライの声に振り向いたふたりは、揃って顔を引きつらせた。言葉を失うふたりに、ニコライは首を傾げる。
「なんか変スか?」
「変も何も……」と、エミル。「なぜ女装しているのですか」
ニコライは女性物の長いスカートを穿いている。その上、胸には詰め物を入れているようだ。おまけに長髪のかつらまで被っている。化粧もしているのか、かなり女性っぽく見える。しかし声がニコライのままなので違和感がある。
「いやー、どうせなら親子にしちゃえばもっと馴染めるかなーと思って。エミルくんがお兄ちゃんで」
「……全員が兄弟でいいと思うのですが」
「だって、先輩と坊ちゃんじゃ年が離れすぎじゃないスか」
呆れて言葉を失うエミルにも、ニコライはへらへらと笑っている。ラースに至っては、かける言葉が見つからないと言わんばかりに顔をしかめて口を噤んでいる。
「ほら、坊ちゃんも待ってるっスよ。早く行きましょう」
スキップし鼻歌交じりに先を行くニコライに、ラースとエミルは顔を見合わせ、深い溜め息を落とした。
* * *
「お待たせっス!」
ラースとエミルが止める間もなく、エメの部屋にニコライが入って行く。案の定、エメはきょとんとしている。誰?と言うような顔をしているので、ニコライは思わず笑った。
「ニコライっスよ~」
エメは驚いて目を丸くし、ユリアーネは眉根を寄せる。
「なぜ女装されているのですか?」
「いや、親子にしたら違和感ないかなって」
「……兄弟ではダメだったのですか?」
「エミルくんにも同じこと言われたっス」
ニコライがけらけらと笑うので、ユリアーネはひたいに手を当てて言葉を失った。
「坊ちゃんも可愛いカッコしてるっスね」
エメは冒険者が身に着けるような茶色のベストを着ている。腰には短剣を携え、髪には編み込みが施されている。
「いいか」ラースがエメの肩に手を添える。「祭りはたくさんの人が来る。絶対に俺たちから離れるなよ」
エメはこくこくと頷いた。護衛は三人いる。必ず誰かしらが彼と手をつなぐことができるだろう。
ラースは、よし、と立ち上がりエメを抱き上げる。
「では行くか」
四人が部屋を出て行くのを、いってらっしゃいませ、とユリアーネが頭を下げて見送った。




