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024

 地下墓所に閉じ込められて二週間。それが調査期間として長いのか短いのかわからないが、遂に異端審問の日がやってきた。

 姫月は、地下から出されると、手枷を嵌められまま、屈強な衛士に連れられ、校内を歩かされる。

 その様子を眺める生徒達が、好奇の目でひそひそと囁き合っていた。貴族の娘からすれば、土壁の泥に塗れた姫月は、さぞみすぼらしく見えただろう。一目で罪人とわかる格好。まるでこれから死刑場に向かう、囚人のような扱い。

 しかし、姫月の表情に曇りは無かった。姿勢を伸ばし、衛士を伴った騎士のように快活に歩く。 

―辛いときほど、胸を張りなさい。そして、笑顔を忘れてはなりません。 

 アルテナ院長の言葉を思い出しながら、気持ちだけはせめて負けまいと気張っていた。

 中には心無い言葉を浴びせる者もいる。同級生でありながら、女と見くびって下品なことを言う者もいた。

 そして、姫月を攻撃する者の中には、見知った顔もあった。

「よくも! よくもわたくしのファムを!」

 ファムの主人であるマチルダだった。貴族のマチルダからすれば、ファムはただの従者に過ぎないはず。それでも、目に涙を浮かべている。

 罵声の中、なぜかそのことが気持ちよかった。例え嫌われても、ファムの死を悼んでくれることが純粋に嬉しかった。

「姫月さん! 僕は信じていますよ!」

 ニコルが、暴れるマチルダを羽交い絞めにしながら声をかける。

 姫月は、二人に穏やかな視線を送ると、その場を後にした。



 姫月が連れて来られたのは、白を基調とした学院の雰囲気にそぐわない、黒い門の前だった。両脇には、剣を高く掲げた六枚羽の天使像が置かれている。その扉を衛士がノックした。

 荘重な扉が軋みながら、ゆっくりと開いていく。部屋の中は、聖教会の関係者とおぼしき人で溢れていた。学院の生徒は殆どいない。それだけに制服姿のシェリーが目立って見える。森の民という正体がバレれば即刻死刑になる身。にもかかわらず、こんな危険な場所にまで顔を出してくれている。何か言いたかったが、仲間と思われればシェリーに迷惑がかかる。目を合わせないようして、奥へ進んだ。


 中央の証言台の先には、コの字形の評議席が設けられている。評議席は、証言台を見下ろす高さにあり、黒い布を纏った総勢二十名ほどの評議員が座っていた。そして、目の前の一番高い席に、議長らしき白鬚の老人が座っている。

 その老人の背後にある、ステンドグラスが、証言台の手前を虹色に照らしていた。


「異端者を殺せ!」

 傍聴者の誰かが叫んだ。そして、周りにいる者たちが次々に呼応していく。

 見ず知らずの者たちが自分の死を願っている。なぜこれほどまでに、憎まれなければならないのか。

 雰囲気に呑まれ、動くこともままならない姫月を、衛士が突き飛ばす。そのまま、証言台の前まで追い立てられていった。

 自分に向けられる視線と言動の数々。自分を囲う世界が、ぐるぐると回転しながら迫ってくるようで、気持ち悪い。

  

「これより、被告人、姫月=アルテナの異端審問を始める」

 しわがれた議長の声に、傍聴者の私語が止んだ。先ほどと一転して、緊張感と共に静寂が訪れる。

 訴追官と見られる若い男が、姫月の前に歩み出て、資料を広げながら語りかける。

「被告人に問う。被告人は、禁忌とされる召喚魔術を行使するため、ファム=リペインを殺害。そして、それを止めようとした炎聖騎士団団長タクマ=ソウギも殺害した。この事実に相違ないか」

 弁護人も誰もいない裁判。いざ自分が当事者になってみると、心細くて堪らない。

「違います。召喚魔術を行使したのは……」

 答えようとして、言葉に詰まった。真実をそのまま話せば、ファムは重罪人。殺人を犯したとはいえ、ファムは大切な友人だった。自分は甘いのだろうかと、逡巡してしまう。

「どうかしたのかね?」

「……全ては、タクマ団長の画策です。母国を亡ぼしたこの国へ復讐するため、今回の事件を引き起こしたのです」

「それを裏付ける証拠はあるかな」

 訴追官は、呆れ顔で肩を竦めた。

「ありません。しかし、失礼を承知で申し上げますが、私が有罪であるとの立証責任はそちらにあるはず。私が犯人であるとの証拠を提示して頂きたい。でなければ反論の仕様がありません」

 なんと不遜な態度かと、会場の中でざわめきが起こった。

 小娘の分際で生意気だと、罵る声があちらこちらで囁かれる。

 姫月自身、やや冷静さを欠いている自覚があった。しかし、こればかりは仕方がないと、自分を慰める。慣れようと思って慣れるものではない。手探りでも、とにかく何か発言しなければ、たちまち有罪にされてしまうだろう。

「もっともな意見だ。被告人に証拠を提示してもらえるかな」

 議長の促しに、訴追官が応じた。

「では、あなたにもお見せしましょう。これは、我々が学院及び、炎聖騎士団を捜査した結果です」

 姫月は、示された資料を見て目を疑った。

 信じられない単語が、いくつも視界に入る。

「皆さんの手元には既にございますが、改めて説明致しましょう。これは優秀なタクマ騎士団長が、赴任直後から被告人をマークし、彼女がテログループの一味であるという確信を得ていた証拠です」

 それはあり得ない。タクマが、そのような捜査をしていたわけがない。仮に、事件を起こした後で、姫月に罪を擦り付けるつもりでいたとしても、あの段階でこれほどの準備を終えているわけがない。そこまでの時間は無かったはずだ。だとすれば、これは、何者かがこの裁判のために捏造したことになる。

「では、反論して頂きましょうか。そちらも、証拠の提出がおありでしたら、出して頂いても結構ですよ」

 男は笑う。少なくともこの男は、証拠が偽物であることを知っているはずだ。なぜ、このようなでたらめをするのか、この異端審問会そのものに不信を抱かざるを得ない。

 やはり、ジェイド先生の言った通りなのか……。

「タクマ団長が、赴任当初からそのような資料を収集しているわけがありません。学院で調査して頂ければ、私やタクマ団長の当時の行動記録と矛盾が出てくるはずです」

「これは、我々が調べた結果だと、申し上げたはずです。学院で調査した結果、矛盾などありませんでした。それどころか、あなたが犯人であるとの確信を得たほどです。ご不満がおありでしたら、どうぞ、証拠をお出し下さい」

「私は、牢に入っていたのです。そのような証拠を用意する時間はありませんでした。時間を下さい。必ず立証してみせます」

「それは無理です。今、ここで結論を出すために我々は集まったのですから」

 議長が口を挟んだ。というより、暗に自分への問いかけであると気づいたから答えたのだろう。議長の態度は、公正・公平なもののように思えたが、訴追官は明らかに姫月を陥れる側の人間。それを証明するように、いやらしい笑みを浮かべて姫月を見ていた。

「議長。被告人から証拠の提出もないようですし、採決をとってもよいのではないか」

 姫月から見て、右斜め上に座っていた、恰幅のいい中年の男が挙手をした。他の者も頷いている。あまりにもいい加減な審議。

「待って下さい。せめて当時の状況を述べさせて下さい」

「その必要はないでしょう。状況証拠は既に揃っています」

 そう述べた訴追官に対して、一人の女性が叫んだ。

「待って下さい!」

 姫月は思わず振り返った。マリア先生が証言台の横まで歩み出る。

「先生! ご無事だったのですか!?」

 姫月の声に、マリアは微笑みで返すと、議長に告げた。

「私は事件当時、姫月さんとデバイスで通信を行っていました。その時の会話記録を証拠として提出します。そして、実際に現場で暴走したタクマ=ソウギと戦った身として、姫月さんが無実であることを証言致します」

「それはおかしいですね……」

 議長が言葉を続ける。

「事件の調査記録に、あなたが現場にいたという記述はありませんが。それに、行方不明になっていると……」

「それは、事件の調査記録がいい加減であることの裏返しでしょう。私は、タクマ氏との戦いで重傷を負い、治療を受けていました。つい先日まで意識が無かったものですから、公の場に出る機会がなかっただけです。詳細は、デバイスの分析をして頂ければわかるはずです」

 そう言うと、腰に下げていた長剣を訴追官に突き出した。彼は、身じろぎを隠さなかった。

「い、異議あり。被告人の関係者の証拠は、証明力の観点からも、信用性が薄いと言わざるを得ません」

「あら、それを言うのでしたら、タクマも事件関係者です。まさか、この私の提出する証拠が、炎聖騎士団団長の記録よりも価値が低いと仰っているのかしら」

 マリア先生が不気味に顔を歪ませながら、微笑みかける。

「先ほどの異議を却下します。しかし、デバイスの分析には時間がかかる。時期に遅れた証拠提出として、却下せざるを得ませんな」

「やむを得ません……しかし、私の証言自体は採用して頂けますか?」

「もちろん、採用しましょう」

 議長は落ち着いた様子で同意した。マリア先生の狙いは最初からこれだったのだろう。つまり、心証の回復。 

 そもそも、魔法による妨害で、デバイスに有益といえる情報があるはずがない。マリア先生も、それがわかったうえで、あえて試みてくれたのだろう。だが、そんなことはどうでも良かった。姫月は、マリア先生が生きてくれていたこと、それだけで嬉しかった。


「ふん、人を殺すしか能のなかった野良犬風情が、今では我々と同格のつもりでいるのか。どう足掻いても犬は貴族になれぬのだぞ」

 先ほど採決を促した中年の男性が聞こえるよう、これ見よがしに言い放つ。

「いえいえまさか。わたくしは主人の靴を舐めるしか能の無い下卑た犬。ただ、わたくしの主は、あなたではないということを、お忘れなきよう」

 マリア先生は、獲物を狙う蛇のような顔で深々と頭を下げた。姫月にとって、これほど心強い援軍はない。しかし、それも束の間、姫月の目はマリアの異変を捉えていた。

 中々、下げた頭を上げないと思っていると、荒い息遣いが耳をつく。マリアは詫びるように、姫月を見た。

「姫月さん。申し訳ありませんが、私は席を外さなければなりません。勝負はこれからなので、油断なきよう」

 マリア先生の顔から、汗が噴き出ていた。表情こそ、普段の通りだが、立っているのも既に限界のはず。傷が完全に癒えたわけではないのだろう。いや、そもそも生きていることがおかしいぐらいの状況。にも拘らず、自分のためにこの場まで来てくれた。

「ありがとうございます……先生」

 姫月は、小さな声で感謝を述べた。

「議長。病み上がりゆえ、これで退室させて頂きますが、必要とあればいつでも喚問して下さい」

 議長の頷きを見届けると、マリア先生は、衛士に連れ添われながら去っていった。再び、一人きりの戦い。しかし、先ほどよりも不安が薄らいでいるのを感じる。

 議長は咳払いをすると、姫月に告げた。

「さて、それでは審議を再開したいと思いますが、被告人から何かありますか?」

「はい。訴追官の方には、マリア先生の存在が調査の結果から抜け落ちていたことに対する説明を求めます。先ほどは、調査結果に自信を見せていらっしゃいましたが、信用性に欠けるのではないでしょうか?」

 訴追官の男は、不愉快そうな態度を示していたが、それでも優位な立場を崩そうとしなかった。

「私から申し上げることは特にありません。証拠の信用性に関しては皆さまの良識に委ねます。あえて一点付け加えるならば、本件が有罪の結論で落ち着いた場合、我々はマリア氏を偽証の疑いで訴追することになる……ということです」

 下手な言い訳をして相手の土俵に乗るよりも、当初の立場を押し通す方が良いと判断したのだろう。絶対の自信があるのか、それとも既に根回しが済んでいるのか……。 

「少し、よろしいか?」

 姫月から見て左上に座っていた初老の男性が、手を伸ばした。

「ふと、気になったのだが……被告人の後見人にサリア=アルテナの名前がある。彼女の下で育った人間に異端の疑いを掛け、あまつさえテロリストの一味と断ずるには迷いを覚えるが、どうだろう。今回の事件をアルテナ院長は知っているのかね? 後見人としての意見を聞いてみたいものだ」

 それを聞いて、向かい合って座っている中年の男が異議を唱えた。先ほどから姫月を目の敵にしている男だ。

「その必要はないでしょう。今回は、監督者の責任が問題となるようなケースではない。それに、見よ! あの髪と肌の色を。どうせ、異端の血を引く孤児だ。浅薄な考えから、身勝手な理屈で我々に復讐を考えたのだろう。そのような者を、アルテナ院長の威光を傘に、逃したとあっては異端審問会の恥。むしろ、院長に失礼というものではないか」

「儂は、そういうつもりで言ったわけではない。ただ……」

と、言いかけて黙ってしまった。横に座る男に宥められたのと、中年の男に睨まれたのが原因だろう。どうやら、中年の男は評議員の中で有力な立場にいるらしい。この男の存在が、訴追官が余裕を見せている理由なのだろうか。いや、むしろ訴追官がこの男の意向で動いている可能性が高い。だとすれば、結論ありきの茶番劇になる。

 評議員の中から味方が現れることは、期待できない。敵ばかりではない、と知れただけでも僥倖と言うべきか。姫月は、溜息をつくと天を仰いだ。再び、やるせない気持ちが込み上げる。


 その様子は、傍から諦めの姿に見えたのかもしれない。ここぞとばかりに、攻撃の手が加えられる。

「被告人には、異教徒の魔術を使用していたとの報告もあったが、その点についてはどうかね」

 中年の男性が睨むように告げた。

「……仰る意味がわかりませんが」

「とぼけるのかね? 異教の神をその身に下ろす、秘術を身に着けているそうではないか」

―異教の神を下ろす秘術?

 心当たりが全くないわけではない。しかし、自分以上にこの男が事態を知っているわけがない……。 

「ほぅ、それは面白い」

 突然の横やりに、会場の視線が一点に集中した。皆の視線の先にいたのは、ジェイド先生だった。

「マルコス閣下。現場にいたのは、姫月、ファム、タクマの三名のみ。この場にいる姫月を残して当事者は全て死亡。それが本議題当初の前提事実のはずですが、一体どこからそのような情報を得られたのか、非常に興味をそそられます」

 会場に再びざわめきが起こった。そのほとんどが、ジェイドの発言についてではなく、ジェイドという男がこの会場に現れたことへの驚きの声だった。

 誰もが、彼の発言に異議を唱えず、畏敬と疎ましさを入り混じらせた表情を浮かべている。

「マルコス殿。何か発言はありますかな」

 議長が、先ほどの中年の男性に向かって発言を促した。

「……先ほどの発言は撤回する」

 憮然とした態度で席にもたれた。ジェイド先生も、それ以上何を言うでもなく、後ろに控えたままだ。  


「皆さんの方から何も無ければ、最後にそれぞれの主張を聞くことにしましょう。では、まず訴追官から」

 訴追官の男が中央に歩み出る。

「私の方からは、特に付け加える点はありません。既に述べた通りです。姫月=アルテナは、テロを計画し、ファム=リペイン、及び、タクマ=ソウギを殺害した。以上です」

 議長は、訴追官の言葉を頷きながら聞くと、「では、次に被告人」と促す。

「私は、今回の事件の引き金となった、召喚術の使用はできません。それに、訴追官の集めた証拠には、幾つもの欠落が存在し、また事実とかけ離れた内容が含まれています。それは、再調査をして頂ければ必ずご理解頂けると思います。私は、無実です」

 姫月の発言を、まともに聞こうとする者は少なかった。評議員までが、どことなく目を逸らし、部外者を装っている。

 ジェイドは無言で、姫月の数歩後ろに陣取っていた。そして、檀上にいる評議員たちを端から順に一瞥している。

「では、これより決議に入ります。被告人、姫月=アルテナが有罪であると考える方は、挙手を願います」

 手が上がった。一人、また一人。ジェイドの顔色を伺いながら手を挙げていく。マルコスと呼ばれた男も高く手を伸ばす。

「結果が出たようですな」

 議長が木槌を大きく振り下ろす。静まり返った議場に音が反響した。  

「被告人、姫月=アルテナを異端者と認め、これを処刑に処す!」

 結果は明らかだった。数えなくとも、過半数を超えているのが見てとれる。姫月は、深く息を吐いた。 

―ああ、私に死刑が下されたのか。

 どこか他人事のように思えた。心のどこかで、何とかなると思っていたはずなのに、その期待を裏切られた割りには、それ程ショックではない。自分でもそれが不思議だった。現実を受け止めきれていないのか。だとすれば、自分の甘さに嫌気が指す。

「議長」

 再び、静かな声が響き渡る。ジェイドだった。

「私の目には、同数のように見えた。もう一度、決を取り直して頂けませんか」

「くどいぞ貴様! 神判は下ったのだ。神判に過ちなどあり得ぬ。故に決議の取り直しなどあり得ぬのだ! 同様の議題での再審は認めぬ。この異端審問神判の基礎を知らぬ貴様ではあるまい」

 マルコスが机を叩き、立ち上がって指を差しながら、唾を飛ばす。

「何も同じ議題で、再審をしろと言っているのではない。正確な票差が知りたいと申し上げている」

「ええい。猊下の覚えめでたいからと、頭に乗り過ぎではないのか!」

「それは、教皇猊下へのご不満を述べられていると、受け取ってよろしいか?」

「なぜそうなる!」

 マルコスは顔を真っ赤に怒らせ、檀上から飛び降りんばかりの勢いだった。

「静粛に!」

 議長が、木槌を数度打ち付け、場の空気を掌握する。

「これより、決議をとる。ジェイド殿、これでよいですな」

「ありがとうございます、議長」

「異議あり!」

 マルコスが抗議の声を上げた。

「異議は認めません。さぁ、皆さん挙手を」

 木槌を何度も打ち付け、促し続ける議長に対して、再び手が挙げられていく。先ほど挙手した者の幾人かは手を下げたままにしていたが、それでもなお、挙手したものが過半数に達しているのは明らかだった。マルコスはその様子に満足げな笑みを浮かべ、自身も再び手を挙げた。堂々と、誇らしげに。

「結果が出たようですね。数は数えるまでもありませんな、ジェイド殿」

 議長がジェイドに応答を求め、ジェイドは仮面越しに、ええ、とだけ答えた。

 姫月は、完全に蚊帳の外だった。自身の命が関わることなのに、わけのわからない茶番が繰り広げられている。ジェイド先生が何を考えているのかも、さっぱりわからない。

 助ける気があるのか、ただ遊んでいるだけなのか。死刑判決を幾度も受けたという不名誉で、歴史に名を刻んでもうれしくない。

 その時、ふと、アルテナ院長の顔が浮かんだ。この恥晒し、と怒るだろうか。そんな人ではないとわかっていても、想像してしまう。ありうるのは、無言で睨みつけることだろう。死ぬときになってまで、他人の評価を気にするというのはいささか滑稽ではあったが、アルテナ院長に失望されることを思うと、心が痛かった。


 議長が最後の通牒を告げた。

「被告人、姫月=アルテナを無罪とする」

 後ろで待機していたシェリーが歓声を上げた。ただ一人の歓声。他の者たちは茫然としている。

「馬鹿な! 議長! これは! これは一体どういうわけです!!」

「あなた自身が言ったではありませんか。マルコス殿」

 議長に代わってジェイドが答える。どこか笑いを堪えているような口ぶりで発言を続けた。

「神判において、同様の議題での再審はあり得ぬと。だから、先ほどの決議が姫月の有罪についてなら、今回の決議は、姫月の無罪について採ったということになる。結果はご覧の通り。矛盾などあり得ぬのが神判ですから、先ほどのはやはり数え間違いだったのでしょう」

「そ、そんな馬鹿な理屈が通るか!」 

「以上で解散とする!」

 議長が早々に席を立つ。騒然とする会場の中、ジェイドが姫月に耳打ちした。

「君は、今回の私の行いが正しいと思うか?」

「思えるわけがありません」

 姫月は、すねた子供の顔になっていた。素直に喜べれるはずもない。

「それでいい。それでこそ彼女の娘だ……」   

 言葉の語尾は、喧噪に取り込まれ聞こえなかった。抱き着いてくるシェリーを背にして、会場を後にするジェイド先生の後ろ姿を眺める。

 自身の無力さと、信念の揺らぎを感じた。権力の誘惑の中、己の目指すべき道がわからなくなる。

―ただ……今は、シェリーとこうして抱き合えることに感謝しよう。

 紛糾する議場の中で、姫月とシェリーは、力強く抱き締め合った。





 その後、異端審問評議会の過半数の者たちが改選され、議長は栄転になった。

 しかし、その一方で、ジェイド先生は、公職を含む一切の地位を剥奪され、学院を去ることになった。

 裏でどのような権力闘争が行われていたのか、大人ならざる姫月は知る由もない。ただ、確かなことは、姫月への表立った非難が無くなったということと、それどころか姫月の名声が、日増しに高まっていたということだ。  

 姫月が無罪となったことの裏返しとして、上層部は全ての責任をタクマ=ソウギに押し付けることを選んだ。それは奇しくも真実と一致する結果となり、姫月は騎士団の団長を異例の若さで打ち破った、英雄となった。

 人里離れた学院で生活を送る姫月にとって、それほど実感できるものでもなかったが、確実に姫月の名は広まっている。

 そんな状況の中で、上級生と下級生を交えた新学期が、今まさに始まろうとしていた。

 一度は、閉ざされたかに見えた異端審問官への道。それを姫月は、再び歩むことができる。ただ、彼女にとって何よりも嬉しかったこと、それはミスリルデバイスを返してもらえたことだった。

 第一話、ようやく完了しました。区切りがいいので、とりあえずこの辺りで休憩を。

 といきたのですが、通読者の方が限りなく0に近くなってしまいました……。なので、事実上『完』です(涙)。

 読み続けて頂き、本当にありがとうございました。かなり大変だったと思います。

 第二話で、となるかわかりませんが、またどこかでお会いできたら嬉しいです。

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