023
廊下を歩いている時、獣の哮った声が何度も聞こえた。恐らく飛竜の鳴き声だろう。聖教会の関係者が、この学院に来ていることを物語っていた。
すれ違う人こそ、殆どいなかったが、学院の慌ただしい雰囲気というものを肌で感じる。
本来静かなはずの校内に満ちた人の気配。人の駆ける足音や声高な喋り声が、絶え間なく続く。
姫月は、事態の深刻さを実感し始めた。
連れて来られたのは、学院の地下墓所。聖教会自身が迫害された時代に作られたという、忘れられた聖地。滑った土壁に、傷んだ石畳の床。蜂の巣のように、開けられた穴倉には、かつて聖教会に尽くし殉教していった者たちの頭蓋骨が並んでいる。
姫月は、一時的な安置所として利用されていたであろう、鉄格子の土牢に押し込められた。
マリア先生の拷問部屋にでも、連れて行かれるのかと思っていただけに、拍子抜けした格好だが、主を失った部屋に連れて行かれるはずがなかった。
それでも、拷問部屋よりましだと喜べる場所ではない。見張りの衛兵がいる間は、火が灯されており、食事の時間こそ問題は無かったが、彼らが去ると、辺りは闇に包まれてしまう。どこからともなく聞こえる水滴の音。単調なリズムが永遠に刻まれる閉塞の空間。気が狂いそうだった。
子供の頃、悪戯をして告解室に閉じ込められたことがあったが、その時とは比べものにならない孤独感。世界から一人だけ取り残されたような気分になる。
そのような場所で、楽しいことを考えられるはずもなく、嫌な考えばかり浮かんでしまう。
―異端審問官には、もうなれない……。
いや、それどころではない。最悪、姫月を待っているのは……。
「死刑……」
呟いた言葉が、死者の招きのように反響して聞こえる。
せっかく手にしたミスリルダガーも取り上げられてしまった。あれさえあれば、脱獄もできるのに、と馬鹿なことまで考える。
―ダメね。これでは……。もっと有意義に時間を使わなくては。
姫月は、今一度事件を整理してみることにした。核となるのはタクマ=ソウギ。結局、彼は何がしたかったのか……。
―なるほど、それが査察の表向きの理由ですか。
ジェイド先生が、タクマに言った台詞を思い出す。あの時の言葉の意味……もしかすると、タクマは、ジェイド先生を監視するために派遣されたのかもしれない。ジェイド先生とタクマの所属する派閥が政敵の関係にあるのか、ジェイド先生自身が国から疑われるような何かをしていたのか、いずれにせよ、二人は敵同士だった……。
そして、タクマは自分がこの学院に派遣されたことを利用して、テロを計画した。だとすれば、今回の事件が査察の、裏向きの理由になる。
では、テロの理由は……。
―あなたは東方の出身でしょう。その黒い髪を見れば一目でわかる。
これもジェイド先生がタクマに告げた言葉だ。タクマは否定していたが、恐らく当たっているのだろう。東方征伐で亡ぼされた国の出身者。いつぞや、ジェイド先生が言っていた、若い巫女が治めていたという国の人間。そういえば、タクマは死の間際、自分を姫様と呼んでいた……。
―きっと、私と重ね合わせていたのね……。
あの時、タクマが言っていたのは、主君への想いだったのか、と納得した。余程、その姫のことが好きだったのだろう。人として、あるいは女性として愛していたのか。ここまで人生を捧げたタクマの忠義に、敬意にも似た感情を抱いたが、ファムを死に追いやった張本人でもある。タクマの忠義と、ファムのことは別問題。ファムへの仕打ちをを許すことはできない。
―いえ、ファムを追いつめたのは私も同じ……。
タクマは、ファムを失うつもりはなかったのかもしれない。ファムが直接姫月と戦うことを拒み、自ら死を選んだ。タクマと姫月の間で、板挟みになり、出した答え。
ここまで、全てジェイド先生の言うことが当たっていたと仮定した場合、一つだけ間違えていたことがある。
―彼女、姫月=アルテナが東方征伐を指揮したサリア=アルテナの実の娘だからといって……。
ここまでの展開を、正確に読んでいたジェイド先生の犯した間違い。姫月は、サリア=アルテナの実の娘ではなく、義理の娘。血は繋がっていない。タクマは東方征伐を指揮した、アルテナ院長を恨んでいた……。
―あえて私を狙わせた?
ジェイド先生は、わざとタクマの注意を姫月に向けさせたとも取れる。そういえば、今回の黒幕がタクマと知っていながら、後手に回っていた様子。考えてみれば、生徒全員を異端審問にかけようとしたのも、行動を起こさせるための布石だったのかもしれない。
おそらく、タクマは、アルテナ院長への復讐のため、姫月を魔獣の召喚に使い、学院を破壊させ、そしてその魔物を自身の手で討伐することによって事態の収束を図り、責任をジェイド先生に押し付けようとした。
一方で、ジェイド先生は、タクマに事件を起こさせ、失脚させるつもりだった……?
今回の異端審問で力になると言っていたが、本当に信用できるのか。
―姫月さん……。マリア先生もジェイド先生も、信用しない方がいいですよ……。
ファムの言葉も頭に引っかかる。マリア先生は命を懸けて自分を助けようとしてくれた。でも、ジェイド先生は……。
そういえば、大事なことを忘れていた。一体誰が、自分をあの異空間から連れ出してくれたのか。
―もしかして、ジェイド先生はあの場所にいたの?
そして、自分を狙った攻撃。タクマが庇ってくれなければ、死んでいたのは自分。その後、気を失ってしまったようだが、しかし、自分が狙われたにしては、気を失っている間に殺されていない。
考えれば考えるほど、混乱してくる。これ以上、このことを考えても仕方がない。ジェイド先生が敵か味方かはわからないが、どちらかを選ぶしかない。敵だという方に賭ける利点が特に見当たらない以上、味方と考えた方が無難。姫月は、ジェイド先生を信じることにした。
そして、ここから無事に出られたら、孤児院のアルテナ院長に手紙を書いて聞いてみようと思った。東方のこと、その国を治めていた巫女のこと、聞きたいことは山ほどある。
そう、もし無事に全てが終わったら……。
ジェイド先生が、朗報と共に励ましに来てくれるのではないかという淡い期待は、期待のままで終わり、異端審問の日を迎えようとしていた。




