第4診『転機』
「隊長ぉ〜、終わりましたぁ」
「相変わらず語尾が長いですね。どうにかならないのですか?」
「申し訳ないですけどぉ、無理ですぅ」
テロリストたちの拘束を終えた後、長江は隊員たちを一か所に集める。
そこへ遅れて現れた途中に対し、長江はその腹いせとばかりに、間延びした口調を指摘する。ところがあっさりと拒否され、長江の眉間にわずかな皺が寄る。
それもほんの一瞬のこと。すぐにいつもの冷静な表情へ戻ると深いため息をついた。
「敵の異能は何でしたか? 私が相手をした男も貴方と同じ抑制型の『憂鬱』でした。もっとも、貴方とは発現の経路が少し異なっていましたが」
途中はその場にしゃがみ込み、地面へ転がっていた小石に手を翳す。小石はふわりと浮き上がると、眠たげな指先の周りをゆっくりと回り始めた。
「まぁ、根源感情が一緒でも多少のブレが出ますからねぇ。例えばぁ、『怠惰』や『憂鬱』が分類される抑制型はぁ、共通して土や石、鉱石なんかを操るのに長けてますからぁ」
長江の視線が途中の指先を回る小石から、地面に刻まれた深い亀裂へと移る。
「恐らく、あの発現者は周囲の石や鉱石をかき集め、地中で大剣を形作っていたのでしょう。なんとも器用なものです」
途中は指先を軽く弾き、小石を元の場所へ落とした。そのまま膝を伸ばして立ち上がると、両手を後頭部で組みながら長江の顔を覗き込む。
「隊長ぉ? そんな分析したって別に固有能力に目覚められるわけじゃないですよぉ?」
「首から上をないないしたくて堪らないみたいですね?」
後ろに控えていた隊員の一人が、ぷっと短い息を漏らす。隣の隊員が顔を伏せ、その肩が小刻みに揺れ始めると、列のあちこちから押し殺しきれなかった笑い声が零れ落ちた。
「クハッ! 成美ィ! 端半ァ!」
「はっ、社長。現場までいらしていたのですね」
「あ〜、理事長ぉ〜。さっきぶりですぅ」
どこからともなく現れた太陽のような男に、その場にいた全員が一斉に頭を下げる。
「いやァ、参った! 俺が乗り込む前に、最後尾の車両が待ちもせず行っちまってなァ!」
「っ! なんと……! 貴方達わざと社長を置き去りにしましたね!」
『「その通りでございます! 隊長!」』
「うむっ! 正直で結構! 報酬は減らしておくので結構!」
『「えぇぇぇ!!!」』
プライド社本社、社長室——。
「社長。コーヒーをお持ちしました」
「おう! 気が利くなァ、成美ィ!」
長江は湯気の立つカップをデスクに置く。その隣には、現場へ向かう前から一枚も減っていない書類の山が鎮座していた。
「ところで社長」
「なんだ?」
「こちらの書類ですが、出発前から一枚も減っていませんね」
「クハハッ! このまま月まで積み上げるのはどうだッ!」
「名案ですね。ですが社長、月を目指すよりも地球を目指すほうが手っ取り早いかと」
長江の嫌味を高らかに笑い飛ばすと、塙原は机に向かい、積み上がった書類をあり得ない速度で捌き始めた。
「——成美。近々、知人に会いに行こうと思ってるんだ」
「あぁ、あの方ですね」
会話の間も社長の手は恐ろしい速度で動き続けている。
いつ見ても実に素晴らしい光景だ。
「そういえば、財団の衛生部隊の者達もお会いしたがっておりましたし、タイミングとしてもよろしいかと」
「ただ、アイツは極度のシャイだからなァ。毎度毎度、説得から入らにゃならんのがどうにも気に食わん!」
その後も、その知人に対する愚痴は止まらなかった。
ここが駄目だ、あれが駄目だと、社長にしては珍しく次から次へと不満が飛び出してくる。
しかし、それを語る社長の口元はどこか楽しげに緩んでいるように感じられた。
やがて、社長室へ差し込む光が茜色に変わり始める。窓の外では夕日がビルの合間へ沈み、慌ただしかった社内にも一日の終わりを告げる空気が漂い始めていた。
机を埋め尽くしていた書類の山も今では跡形もなく消えている。
「クハハハッ! これで月へ行かなくても済みそうだなッ!」
「その通りですね。お見事です社長」
「よしっ! 久しぶりに飲みに行くか! 成美ィ!」
「一昨日飲んだばかりですよ。それを久しぶりとは言いません。良い加減、肝臓を休ませてあげてください」
塙原は勢いよく立ち上がると、「そんな馬鹿な!」とでも言いたげに目と口を大げさに開き、長江へ訴えかける。
対する長江も「そんな顔をしたところで駄目ですよ」と言わんばかりに、これでもかというほど冷ややかなジト目を向けた。
しばし無言の睨めっこが続いた末、とうとう根負けしたのは長江だった。
仕方なしと深いため息を吐く。
長江のため息を了承と受け取った塙原は満面の笑みで拳を突き上げた。
「よォし! 今日は飲むぞォ!」
椅子の背に掛けていた上着を勢いよく引っ掴み、大股で扉へ向かう。
長江も諦めたように鞄を手に取り、その後へ続いた。
しかし、扉に手をかけたところで塙原が何かを思い出したように振り返る。
「そうだ、成美ィ! 今日こそ、俺の陰口を叩いてる奴らの名前を全部吐いてもらうからなァ!」
「嫌ですよ。社長は、一度聞いたことを忘れないんですもの──」
──数日後、口莫山。
山中には鳥の囀りが響き、風に揺れる木々が絶えず葉擦れの音を立てている。その合間には無数の虫達の声が入り混じっていた。
そんな口莫山には、ある奇妙な噂が付き纏っている。
標高はさほど高くない。
それにも関わらず、この山では遭難者が後を絶たないのだ。
さらに、「口の裂けた化け物に遭った」「友達が食われちまった」など、にわかには信じがたい話まで囁かれている。
噂の真偽は定かではない。
ただ、その中で語られる化け物は、巷で「口裂けジャック」と呼ばれていた。
——いい日だ。
とてもいい日だと思う。
なぜなら、何もないからだ。
何もないというのは、なぜこれほどまでに素晴らしいのか。
これだけで論文が一本書けてしまいそうだ。
「先生〜。なんか人来てますよ〜」
いい日終了。
嗚呼、さらばいい日。
「レイナさん、ご報告ありがとう。どなたか分かりますか?」
「多分、あの自己肯定感の塊おじさんのところの社員さんかなぁって思います」
「……あぁ、そうですか」
枝木のように細身ではあるものの、2メートルを優に超える長身の男は診療所の壁に片手をつき、深い溜息を吐いた。
そのまま包帯で覆い尽くされた顔をもう片方の手で押さえ、しばらく沈黙する。
やがて、覚悟を決めたかのようにゆっくりと天を仰いだ。
「通してあげてください……」
「は〜い」
蒼いワンピースを着た少女は、麓のほうへと駆けていく。
その背を見送りながら、男は一人、思考を巡らせた。
『客人だし、お茶くらい用意したほうがいいですよね。いや、でも茶葉は切らしていたような……』
そうしてあれこれ考えているうちに、少女がスーツ姿の女性を連れて戻ってきた。
「ご無沙汰しております。『Dr.LeəЯ』様」
「お久しぶりです、長江さん。訪ねてきたのが貴方で助かりました。危うく取り乱すところでした」
苦笑交じりの声でそう告げるレーアに、長江は軽く一礼を返した。それから二人は互いの近況を交えながら、しばし他愛のない世間話を続けた。
ひとしきり世間話を交わしたところで、レーアは長江を応接室へ案内する。
二人が向かい合って腰を下ろして間もなく、盆を手にしたレイナが遅れて入ってくる。レイナは二人の前に湯呑みを一つずつ置くと、そのままレーアの隣に腰掛けた。
「先生、この人も恋敵ですか?」
「いいえ。ですが、ひとまず今回はお口チャックでお願いしますね」
「ふふっ。本当に仲がよろしいのですね。見ていて、とても微笑ましく感じます」
「長江さんも茶化さないでください。レイナさんはそう言われると、すぐ天狗になってしまうので……」
そんな会話を交わしている間にも、レイナはすでにドヤ顔を披露していた。どうやら、手遅れだったらしい。
「はぁ……。それで、番さんは今回はどのようなご用件で? また、衛生部隊の講師を務めてほしいというお話ですか?」
長江は湯呑みを静かに置くと、わずかに居住まいを正した。
「はい。それも今回お声がけした用件の一つではございます。しかし、本題は別にございます」
長江の言葉を聞いたレーアは、何かを察したようにゆっくりと俯いた。
レイナはどうしたのだろうと、包帯に覆われた彼の顔を横から覗き込む。
こんな様子のレーアを見るのは初めてなのか、落ち着かなげに視線を彷徨わせる。
暫し、重い沈黙が室内を支配した。
やがて、レーアが静かにその沈黙を破る。
「——いよいよ、その時が来たのですね」
発現事象統制機構《E.G.O.》
【公開調査記録 No.004】
-登録名称:固有異能
-公開区分:一般
発現者が有する異能のうち、発現の根源となった感情に応じて現れる能力。
五つの型に共通する性質を持つ基礎異能とは異なり、固有異能は個々の感情によって、その性質がさらに細分化される。
『激越型』
・憤怒:筋力の増加をはじめとする身体強化。
・暴食:他者の身体の一部を捕食することで、瞬間的に自身の肉体を過剰強化する。
『執着型』
・嫉妬:細菌・ウイルスの操作。
・虚飾:他者への幻覚作用の付与。
『充足型』
・色欲:他者の精神への干渉および支配。もしくは他者を含めた肉体の回復。
・傲慢:自身を対象とした極めて強力な肉体の回復。
『抑制型』
・怠惰:物体の固定。
・憂鬱:物体の圧縮。
『逃避型』
・強欲:物体の引き寄せ。
・恐怖:物体との反発。
なお、同じ感情を起因とする発現者であっても、具体的な発現形態や発動条件、効果範囲には個人差が見られる。
ただし、一部の記録には、既存の分類法則から逸脱した力を有する者の存在が示唆されている。当該事例については、その真偽を含め詳細が判明しておらず、現在も調査中。




