第3診『感情』
「逃走を図るくらいなら、観念してください。時間の無駄です」
「なんだ、この女! 一人で十分じゃねぇか! 部隊で来た意味あんのかよ!」
長江は歩調を変えることなく、ゆっくりと距離を詰めていく。
金髪の男は何度も背後を振り返りながら、必死に逃げる。
長江の周囲では、いくつもの水球が高速で旋回している。あまりの速さに、その軌跡は幾筋もの線となって彼女を取り囲んでいた。
次の瞬間、そのうちの一球が凄まじい勢いで放たれる。
水球は男のすぐ脇を掠め、アスファルトへ直撃した。轟音とともに路面が深々と抉れ、砕けた破片が四方へ飛び散る。
抉れた路面を目にした男は嫌でも理解する。
あれが直撃すれば、ただでは済まない。
「まだ逃げるのですか? いい加減、観念していただけると大変助かるのですが」
「死にたくねぇから逃げてんだよ! 殺す気満々じゃねぇか!」
「人を殺しておいて、ご自身は死にたくないと。……妙ですね。『死人に口なし』と聞いていたのですが」
再び、水球の一つが撃ち出される。
その軌跡は、男の目には映らない。
空気を裂く音が耳を打った時には、すぐ脇のアスファルトが深々と抉られていた。
「ッチ。テメェが俺達の想いが分からねぇって訳じゃねぇだろ!」
逃げ回っていた男が、不意に長江へと向き直る。
長江も警戒を緩めることなく、周囲に水球を巡らせて結界を張る。
「俺達、発現者は社会の癌としていつも扱われる! 俺達が何をしたってんだよ! そっちがその気なら、少しぐらい暴れたって良いじゃねぇか!」
「──遺言はそれだけですか?」
男は歯をギリギリと音が鳴るほどに噛み締めれば、何か覚悟をしたかのように後ろ脚を前に踏み出した。
「仕方ねぇ……鶏だって隅に追い詰められりゃ、振り向いて威嚇くらいするもんだぜ……」
「あら、随分あっさりと臆病者だと認めるのですね」
「いちいち癇に障る女だな……! その減らず口も、叩けるのは今のうちだッ!」
男がそう言い終えた、次の瞬間。
長江は足元にかすかな違和感を覚え、咄嗟にその場から飛び退く。
直後、アスファルトを突き破り、一振りの大剣が地中から突き上がる。
「チッ、躱したか」
「見掛けに寄らず、随分と陰湿な戦法を使うのですね」
回避が一瞬でも遅れていれば、身体を真下から貫かれていた。
そう考えるだけで、背筋が冷える。
「俺の感情は『憂鬱』。テメェを殺し損ねたせいで、また面倒が増えちまった……そんな後悔がよォ……俺をもっと強くするんだよなァ!」
「やはり『憂鬱』でしたか。実にお似合いですね」
『恐らく、これは地雷型。任意の場所から何本も剣を出現させられる能力ではなさそうですね。先ほど逃げ回っていたのもその証拠。私をこの場所まで誘い込むためだったのでしょう……』
思考を巡らせてみるものの、男がどこまで地雷を仕込んでいるのか、こちらの動きをどこまで見越しているのかは分からない。手の内を掴めない以上、迂闊に動くことはできない。
ならば、動かずに探るまで。
長江はその場に留まり、周囲の地面へ水球を次々と放つ。自ら足を踏み入れることなく、仕掛けられた地雷の位置をしらみ潰しに探るためだ。
すると、仕掛けられていた大剣が一振り、また一振りと地面から飛び出してくる。その様はまるで、土から次々と引き抜かれていく大根のようだ。
「オイオイ……そんなのアリかよ……」
「どうやら、この辺りに仕掛けられたものは、これで全てのようですね」
一通り探り終えた長江は、男との距離を詰めていく。
——ザンッ。
不意に左腕へ鋭い痛みが走り、鮮血が弾ける。
何かに切り裂かれたと理解するより早く、長江は後方へ飛び退いた。
警戒しながら辺りを見渡す。
その視線の先にあったのは、宙に浮かぶ一振りの大剣だった。
「クソッ、あともうちょいだったのに……!」
「どうやら、まだ手の内を隠していたようですね……」
長江は血の噴き出す左腕を、右手で強く押さえ込む。
傷は深く、指の隙間から鮮血が溢れ続けている。出血は一向に止まりそうにない。
「随分と厄介な砂時計を仕掛けられたものですね……」
「その傷で減っていく残り時間と、俺の仕掛けを掛けたつもりか?」
「……それを理解するほどの知性はお持ちのようですね」
「ハッ、折角だから教えてやるよ。俺の地雷は二種類——接触型と時限型。テメェはまんまと後者にハマったってわけだァ!」
『さて、不覚を取りましたね。社長なら、この程度の攻撃はすべて跳ね返してみせるのでしょうが……やはり、私では遠く及びませんね。』
どこに仕掛けられているのか。
それぞれが接触型なのか、時限型なのか。
そして、いつ設置されたものなのか。
不確定要素が、あまりにも多すぎる。
『しかし——こんな時こそ、社長流です!』
次の瞬間、長江は血の滴る左腕をものともせず、全速力で男の方へと駆け寄っていく。
「オイオイオイ! 何やってんだ、テメェ! 命が惜しくねェのかよッ!」
「命? そんなもの、遠い過去に置いてきました!」
その足が地面を踏むたび、仕掛けられていた大剣が次々と地中から突き出す。
しかし、切っ先が長江の身体へ届く寸前、大剣はことごとく何かに弾かれ、上空へと吹き飛んでいく。
「ッ!? 何が起こってんだ、こりゃァ!」
「この程度のこともお分かりにならないようでは――」
長江は速度を緩めることなく、男の脇を駆け抜ける。
一拍遅れて、男の胸元に斜めの裂傷が走った。
傷口から鮮血が勢いよく噴き出す。
「やはり、貴方は結末の決まった脇役にすぎないようですね」
「まさか、テメェ……仕掛けの位置を全部把握してやがったのか……」
「ご明察です」
振り返りざまに長江を睨みつけ、そう問いかけた男だったが、続く説明を最後まで聞くことなく、その場に崩れ落ちた。
しかし、長江は構うことなく、倒れた男へ向かって淡々と説明を続ける。
「貴方の言う通り、走り出す前には剣の位置を全て把握していました。地雷を探る際にばら撒いた水球——その一つ一つが、私と感覚を共有しています。ですから、まだ地面から姿を現していない剣の位置も、すでに捉えていました。もっとも、この傷は時限型を見抜けなかった私の詰めの甘さが招いたものです。それだけは認めましょう」
そう言い残すと、長江は他の部隊のもとへ向かって歩き始めた。
一方、その頃。
「ったくぅ、しぶといなぁ。早く倒れてくんないかなぁ?」
気怠そうにぼやく途中を前に、胸元が大きく開き、太腿まで深いスリットの入った深紅のドレス姿の女が、警戒するように一歩後退る。
『なんでこの小僧、尽く私の術を打ち破ってくんのよ!』
女は周囲の雑草を無理やり急成長させ、伸びた茎葉を途中の手足へ絡みつかせようとする。
しかし、途中はどこからともなく三メートルはあろうかという巨岩を取り出すと、その圧倒的な質量で迫る雑草をまとめて押し潰した。
「アンタ、化け物じゃないの! なんでそんなものを動かせんのよ!」
「才能かなぁ。よく聞かれるけど、自分でも分かんないやぁ」
そう言いながら、途中は雑草を押し潰した巨岩を軽々と持ち上げ、女めがけて投げつける。
女は間一髪で横へ跳び、どうにか巨岩を躱す。しかし、その顔はこの世の終わりでも見たかのように青ざめていた。
『こんな奴をまともに相手にしていたら、命がいくつあっても足りないわ……何か打開策を見つけないと……』
『私の感情は「色欲」。植物を過剰に成長させる力に加えて、私の身体に一瞬でも目を奪われた者の動きを封じる——それが私の固有能力。それなのに……何なのよ、この小僧! なんでさっきから平然とバリバリ動き回ってるのよ!』
「なんか余計なこと考えてるみたいだけどぉ、全部無駄じゃないかなぁ?」
声に気づき、女は先ほどまで途中が立っていた場所へ視線を向ける。だが、そこにはもう誰もいない。
焦って前方を見回すものの、どこにも姿はなかった。
まさかと思い背後へ振り向けば、途中はすでに拳の届く距離まで迫っている。
「このクソガ——」
女が罵声を吐き切るより早く、途中の重い拳が鳩尾へ叩き込まれる。
肺の空気を一息に吐き出し、女の身体がくの字に折れた。
息を吸おうと口を開いた瞬間、今度は鋭い蹴りが側頭部を捉える。
女の身体は凄まじい勢いで吹き飛び、ブロック塀へ激突する。そのまま塀を突き破り、民家の敷地内へと転がり込んだ。
「植物を操る力といい、その格好といい……どう見たって『色欲』さんだよねぇ? ごめんだけどぉ――」
倒れた女の下で、不意に地面が盛り上がる。
隆起した土が顔だけを残して全身を包み込み、女をその場へ縫い留めた。
「先輩のせいで目が肥えててねぇ。キミ程度じゃ、美人とも思えないんだよねぇ」
発現事象統制機構《E.G.O.》
【公開調査記録 No.003】
■登録名称:基礎異能
■公開区分:一般
発現者が有する異能のうち、心に宿る負の感情の分類に応じて発現する能力。
現在、基礎異能は以下の五つに分類されている。
『激越型』:火炎の生成・操作、および熱への干渉。
『執着型』:氷の生成・操作、および対象の冷却。
『充足型』:植物の成長および操作。
『抑制型』:土・石・鉱石の操作。
『逃避型』:水をはじめとする液体の操作。
同じ分類に属していても、具体的な発現形態や出力、効果範囲、操作精度には大きな個人差がある。




