第2診『役目』
私の名前は長江 成美。
とある大企業の社長専属の秘書を務めている。
責任の重い仕事だ。それでも、あの方のすぐ傍で働けることを心から光栄に思っている。
午前6時、起床。
ニュース番組を流しながら朝食を摂り、同時に身支度を整える。
国内外の情勢、海外市場の動き、自社に影響しそうな出来事。
その日の予定に関わる情報だけを拾い上げ、頭の中で整理していく。
午前7時、自宅を出る。
社長が出社するまでに、予定の変更、面会者の要件、昨夜から今朝にかけて起きた問題、可能な限りの情報を把握しておかなければならない。
それが、出来る秘書というもの。
予定時刻とほぼ同時に黒塗りの社用車が自宅前へ到着した。
「おはようございます」
車から降りた専属運転手と短く挨拶を交わし、助手席へ乗り込む。後部座席は当然ながら社長の席だ。
移動中も休んでいる暇はない。
道路の混雑状況、目的地までの所要時間、面会者の経歴、各部署から届いた報告。社長に伝えるべき情報と、私の判断で処理できるものを選り分けていく。
情報を全て社長へ渡すのは、秘書の仕事ではない。
あの方が判断すべきことだけを必要な順番で差し出す。
それが、出来る秘書というもの。
午前7時25分、社長邸到着。
予定より5分早い。
運転手が後部座席の扉の脇へ立ち、私は玄関を望める位置で背筋を伸ばす。
やがて、予定時刻ちょうどに玄関の扉が開いた。
見慣れた姿が、こちらへ歩いてくる。
「おはようございます、社長。お迎えに上がりました」
「クハッ! おはよう、成美! 調子はどうだ!」
「はい。いつも通りです。それはもう、最高に」
「流石だな! 俺も最高の気分だ!」
閑静な住宅街などお構いなしに、豪快な笑い声が響き渡る。
紅い髪にオレンジ色のシャツ。上がった口角に真っ白な歯が特徴的な男が姿を現した。
このお方こそ、世界でも三本の指に入る大企業・プライド社の社長。
塙原番である。
声量も、機嫌の良さも、いつも通り。健康状態が見て取れる。
運転手が開いた扉から社長が後部座席へ乗り込む。それを確認してから私は助手席へと戻った。
「それでは、本日の予定をご説明いたします」
「クハッ! 頼む!」
車が静かに走り出す。
後部座席から上機嫌な鼻歌が聞こえてきた。
社長が鼻歌を口遊むのは、決まって何か画期的なアイデアを思いついた時だ。
そして、そのアイデアを現実のものにするのが私の役目でもある。
今日もどうやら予定表通りの一日にはなりそうにない。
その予感が現実になったのは、本日の予定をひと通り説明し終えた直後だった。
「おい、聞いているか! 成美ィ!」
「はい。社長の尊いお――コホン。とても大きなお声ですので、よく聞こえております」
「財団の様子を見に行くぞ!」
「はい。そう仰ると思い、本日午前に予定していたズケミ社との面談は、先方の了承を得て来週へ変更しておきました」
「クハハッ! 流石だなァ!」
「勿体無きお言葉」
その一言だけで、今日一日を最高の気分で乗り切れそうだった。
やはり、社長は褒め上手なお方だ。
午前8時30分。財団本部へ到着。
TEO財団。
「超」。
「偉い」。
「俺が設立した」。
塙原社長ご自身が考案した簡潔にして力強く、創設者の偉大さまで一目で伝わる、実に見事な名称である。
ところが世間には、これを「壊滅的な命名センスによって名を背負わされた悲しき財団」などと評する者もいるらしい。
まったく理解に苦しむ。これほど覚えやすく、設立の経緯まで明瞭な名称がほかにあるだろうか。
財団員は皆、至って真面目で仕事熱心だ。社長を平然と「バカ」呼ばわりする不届き者が多い点については、いずれ厳しく話し合う必要があるものの、仕事ぶりそのものに文句はない。
20年前、この街を襲った「9.9.9事件」。
街に甚大な被害を残し、医療も警備も、復旧に携わる人手さえも、何もかもが足りなくなった未曾有の大事件である。
支援する組織が足りないのなら、自分で作ればいい。
そんな実に社長らしい考えから、人と物資を集め、被害を受けた人々へ届けるために設立されたのがTEO財団だった。
医療従事者への支援、混乱の残る地域の警備、被災地の復興。現在まで続く活動の原点は、全てこの時に生まれている。
街の復旧を終えた現在も、医療従事者への資金・物資支援、警備員の不足する現場への人員派遣、被災地の復興支援など、その活動は多岐に渡る。財団員同士の仲も良く、現場での連携も申し分ない。
そして何より素晴らしいのは、働きに応じて塙原社長からたんまりとご褒美を頂けるところである。
実に健全で、非の打ち所のない財団だ。
車を降りた私達を酷く間延びした声が出迎えた。
「お疲れ様ですぅ、長江隊長ぉ」
「その話し方については、以前にも注意したはずですよ。途中副隊長。語尾を伸ばし過ぎです」
TEO財団特務部隊副隊長、途中 端半。
この気の抜けた話し方とは裏腹に、戦闘能力と指揮能力は確かな人物だ。私が秘書業務に就いている間は、特務部隊の管理を一任している。
特務部隊とは、負の感情を力へと変え、異能を操る者達──通称「発現者」を中心に編成された精鋭部隊である。
主な任務は、発現者による犯罪や異能が関わる事件への対処。必要とあれば、同じ発現者を相手に制圧や確保を行うこともある。
「申し訳ないですぅ、隊長ぉ。でも、治そうと思って治るものでもなくてぇ」
「社長の御前ですよ。せめて今くらいは、しゃんとしてください」
「クハハッ! 愉快で結構! 端半! 元気そうだなァ!」
「おかげさまでぇ、理事長ぉ」
社長が面白がっているのなら問題はないか。
毎回この繰り返しになっている気もするが、気にしないことにした。
「今回ここへ来た理由は、皆も分かっているだろう! 今朝のニュースで報じられていた件だ!」
「はい。X区で発生した発現者集団による大規模テロ事件ですね」
今朝の報道によれば、X区内の複数地点がほぼ同時に襲撃され、建物や道路を含む広い範囲に被害が及んでいるという。
区の一部は現在も封鎖され、被害の全容は明らかになっていない。犯行に加わった発現者の人数も、その目的も不明のままである。
複数の発現者によって周到に計画された組織的な犯行。
警察や通常の警備員だけでは対処しきれない。まさしく、私たち特務部隊の領分だった。
「その通り! ならば、俺たちがやることは一つだ!」
端半が、ひどく緩慢な動作で片手を掲げる。
「さぁ、みんなぁ? いつもどおりぃ~?」
『「俺たちなら、できるッ!!」』
間延びした号令とは対照的に、重なった声は建物中へ力強く響き渡った。
——X区・住宅街。
道路には割れた窓ガラスが散乱し、何軒かの住宅から細い煙が立ち上っている。外壁の崩れた家屋や、傾いた電柱も見受けられた。
それでも大半の住宅は原形を保ち、道路も辛うじて通行できる。
まだ決定的な崩壊に至っていないようだ。
遠方から新たな爆発音が響き、地面が微かに揺れる。続いて黒煙が膨れ上がり、避難する住民たちの悲鳴が住宅街を駆け抜けた。
状況は今まさに、取り返しのつかない段階へ差しかかろうとしている。
その時、複数のエンジン音が住宅街に響く。
獅子の紋章を掲げた車両が次々と住宅街へ進入し、急停車する。扉が一斉に開き、装備を整えた特務部隊の隊員たちが飛び出す。
私も車を降り、周囲の状況を素早く確認する。
「特務部隊、現着! 前方に敵性発現者三名を確認! 全員、直ちに展開し、住民の避難路を確保しなさい! 単独交戦は禁止! 必ず複数名で対象を包囲、能力の発動を確認次第、即時報告しなさい!」
『「はっ!」』
指示を受けた隊員たちが、迷うことなく陣形を組み始める。
「そのライオンの紋章……TEO財団のヤツらか。なぜ俺達の邪魔をする……」
「貴方達こそ、幕が上がる前から結末など決まっていたはずでしょう? なぜわざわざ舞台へ上がるのですか?」
「なんて冷徹な……」
武装した男が、表情を引きつらせながら後ずさる。
それを追い詰めるように、長江は一歩、前へ出る。
「冷徹? 貴方達がその言葉を口にするのですか?」
「では、貴方達にも味わっていただかなくてはなりませんね。本物の『恐怖』というものを……」
長江の周囲に、ピンポン玉ほどの小さな水泡がいくつも浮かび上がる。
「私の異能は『恐怖』。背筋が凍るとはどういうことか——とくと、ご覧あれ」
長江は静かに口角を上げる。
それは、結末の決まった舞台へ立つ者達を嘲るような、冷たく乾いた笑みだった。
発現事象統制機構《E.G.O.》
【公開調査記録 No.002】
-登録名称:異能犯
-公開区分:一般
異能を用いて犯罪行為に及んだ発現者の総称。
犯行の規模や目的を問わず、犯罪への異能の使用が確認された場合に分類される。通常の犯罪者と比べて逮捕・制圧に特殊な対応を要するため、各国では一般的な治安維持機関で対処しかねる場合、専門機関が対処にあたっている。
一部の異能犯が災害に匹敵する被害を引き起こしたことから、「ディザスト」の呼称が定着した。




