第1診『診察』
私は怠惰だ。
そう。私は怠惰なんだ。
いつだって。何かを成し遂げたことがない。
きっと次だってそうだ。
だから私は、次に託すことにした。
何かを成し遂げられぬ私よりも、ずっと。
適任な者がいるはずだと。
せめて。何かを残そうと。
——小鳥が鳴いてる。
清々しいほどの快晴。
自分はここにいると叫ぶ蝉の声が、耳に残る。
こんな日は、山に籠もった過去の自分に感謝せざるを得ない。
山の聲が、私に生の実感を与えてくれる。
私は森林に覆われたこの山の中で、小さな診療所を営んでいる。
これといった理由があるわけでもない。適性があったから。そんな程度の理由にしがみつくようにして過ごしている。
過去の栄光に縋るわけではないが、昔は凄い医者だと褒められもした。世間の注目を集めたこともあった。
しかし、そんなものは当時からどうでもよかった。
苦しんでいる者を助けられるのであれば、医者という形でなくとも、何でもよかった。
ただ、私にはどうやら医者としての適性があった。
ただ、それだけのこと。
「レーア先生! 帰ったよ〜」
聞き慣れた声がする。
声のした方へ視線を移すと、そこには長い黒髪を靡かせ、青いワンピースを着た少女が立っていた。
片手には、そこそこ大きなビニール袋。
私の協力者。レイナだ。
初めは、彼女を連れてくるつもりはなかった。
こんな山奥まで、私の生き方に付き合わせる理由はない。彼女には彼女の人生がある。
けれどレイナは、何度断っても「ついていく」と譲らなかった。
その意志を私の勝手で退けるのも違うと思った。
だから、共に来てもらうことにした。
彼女が持っていたビニール袋には食料品やティッシュなど、日々の暮らしに必要なものが入っていた。
「わざわざ、こんな昼間に買いに行かなくてもよかったんですよ……?」
「大丈夫ですよ、先生。ちゃんと日焼け止めも塗ってますから」
そういうことを言いたいのではない。
けれど、これ以上言ったところできっと聞き入れてはくれないだろう。それに、せっかく買いに行ってくれた彼女の厚意に水を差したくもない。
私はその言葉をそっと胸の内に仕舞い込む。
「それで、どうでしたか……? 何か、収穫はありましたか?」
「全然ダメですね。先生がピンと来そうな人はいませんでした」
彼女はいつものことだとでも言いたげに、呆れた表情を浮かべた。
レイナには、私たちに力を貸してくれる者を探してもらっている。
今日もそのために、街まで出向いてもらった。
おそらく、途中で探すのに飽き、ついでに買い物も済ませてきた、といったところだろう。
「調査、お疲れさまでした。いつも助かっていますよ、レイナさん」
「それなら先生、結婚しますか?」
「いつもそれだね君は」
彼女が言い終えるのとほとんど同時に反射的に突っ込んでしまう。
褒めるといつもこうして求婚してくる。
別に苦ではない。ただ、どう反応したものか困ってしまう。
対するレイナはいつだって満面の笑みで「結婚」の二文字を口にする。
きっと、半分は冗談なのだろう。
そんな彼女の頭を軽く撫で、その手からビニール袋を受け取る。
そのまま二人で、診療所の中へと入る。
この診療所を訪れる患者は、大きく分けて二種類。
表社会に行き場をなくし、ここへ流れ着いた者。
そして、私自ら連れてくる者。
それ以外に訪れる者がいるとすれば、患者ではなく、この山で遭難した者くらいだろう。
そう。私は表社会からはみ出した者を診る闇医者として生計を立てている。
決して褒められるような仕事ではない。
それでも、この仕事に誇りを持っている。
そして、感謝もしている。
表舞台から降ろされた私には、人を救える場がそう多く残されていない。
いや、自ら降りたというべきか。
そんなことはどうでもいい。
少なくとも、ここは私にとって一種の救いとなった。
人を救うことで、私はまだ生きているのだと実感できる。
その実感でしか、自分を保てない。
医者というものは、生にしがみつく者をこの世に結び留める存在だと考えている。
だというのに、私自身もまた、生にしがみつく者に他ならないわけだ。
「先生、私の頭を撫でる時間ですよ」
「そんな時間を設けた覚えはないのですが」
診療所に入って早々、これだ。
彼女はいつも、こうして私を笑わせてくれる。
薄暗い待合室で私が長椅子に腰を下ろすと、彼女は当然のようにその隣へ横になり、頭を私の膝に預けてくる。
ふと、玄関の扉が開く音が聞こえてくる。
その音で、今日は客人が訪ねてくる予定だったことを思い出す。
いけない。すっかり忘れていた。
急いで玄関へ向かうと、そこにはスーツ姿の大柄な男が二人、立っていた。
「先生、この人たちは誰ですか? まさか、私の恋敵ですか?」
「安心してください、レイナさん。私にそんな趣味はありませんよ。」
そんなやり取りをする私たちを見て、二人の大男のうち、金髪の若い男が呆れたようにため息をつく。
「なぁ、兄貴。こんな奴らで本当に大丈夫なんですか?」
「お前は黙ってろ。俺たちは、あの方にいつも世話になってんだ」
「てか、怖くないっスか、あの見た目。何なんスか、あれ。2メートルは超えてますよ、2メートル! しかも顔は包帯でぐるぐる巻きだし、何してくるか分かんないっスよ!」
そこまで言ったところで、眼帯をつけた強面の男が、若者の頭へごつんと拳骨を落とす。
若者は頭を押さえ、痛そうにその場へしゃがみ込んだ。
「ったく。すみませんね、先生。最近の若いもんは、これだから——」
「気にしていませんよ。いつものことですから」
眼帯の男は小さく頭を下げると、「立て」とでも言うように、しゃがみ込んだ若者の背中をつま先で小突いた。
「ほら、何ぼさっとしてんだ。用があんのはてめぇだろ? 用件をさっさと言え。先生は暇な人じゃねぇんだ」
「あ、すみませんっス。あの、その……最近、発現者ってやつになっちまったんですけど。そしたら、もともと通ってた病院で、がんの治療を断られちまって――」
そこまで聞いたところで、私は片手を上げ、彼の言葉を制した。
発現者。
怒りや悲しみ、絶望。強い負の感情を引き金に、異能に目覚めた者たちの総称だ。
その存在は、公には認められていない。
だというのに、ひとたび発現者であると知られれば、昨日までと同じ人間としては扱われなくなる。
治療先や居場所を失うことも、決して珍しくなかった。
「事情は分かりました。続きは診察室でお聞きします。まずは、今の状態を確認しましょう」
「え……診てくれるんスか?」
「ええ。そのために、ここがあるんです」
若者は言葉を失い、目を見開いた。
私は診察室の扉を開き、彼へ振り返る。
「こちらへどうぞ」
若者は眼帯の男へ一度だけ視線を向けた。男が顎で「行け」と促すと、彼は慌てて私の後へ続いた。
診察室の扉が静かに閉まる。
待合室に残されたのは、レイナと眼帯の男だけだった。
「――アンタ、何者だ? 前に来たときは、先生一人だったと思うが」
「先生の妻です。どうも、いつも夫がお世話になっております」
眼帯の男は目を見開き、しばらく少女をまじまじと見つめた。
やがて、わざとらしく咳払いをすると、気まずそうに、それでいて興味深そうに口を開く。
「まさか、あの先生に女房がいたとはな。失敬、失敬。最初は冗談かと思ったが、その目を見るかぎり、本気なんだろうな……」
男は苦笑を浮かべる。
対する少女は、これでもかというほどのドヤ顔だ。
それから三十分ほどが経った頃、診察室の扉が開いた。
最初に姿を見せたのは、金髪の若者だった。
扉を出た彼は、真っ先に眼帯の男を見る。
しばらくその顔を見つめたかと思うと、両目からじわりと涙が溢れ出した。
「オイ! どうしたんだよッ!」
眼帯の男は若者へ駆け寄り、その全身を慌ただしく確かめる。
だが、どこにも異常はない。
外傷どころか、治療を受けた痕跡すら見当たらなかった。
遅れて診察室から出てきた先生へ、眼帯の男が詰め寄る。
「オイ、先生。あんた、いったい何をしたんだ?」
「彼の癌を治しました」
「…………は?」
その場の空気が、一瞬にして固まる。
涙を流し続ける若者。
開いた口が塞がらない眼帯の男。
何事もなかったように、レイナの頭を撫でる先生。
そして、我がことのようにドヤるレイナ。
しばらくして、眼帯の男がようやく落ち着きを取り戻した頃。
手術室を使わず、診察室で治療を終えたこと。
治療による外傷も、後遺症もないこと。
そして、レイナは妻ではないこと。
それらを順に説明すると、男の口は再び塞がらなくなった。
やがて二人は何度も頭を下げ、診療所を後にした。
並んで山道を下っていく二人。その背中は来たときよりもどこか軽く、嬉しそうに見えた。
眼帯の男が、若者の背中を大きな手で叩く。
若者は涙を拭いながら、それでも嬉しそうに笑っていた。
その姿が木々の向こうへ消えるまで黙って見送った。
包帯の下で、口元がわずかに緩む。
また誰かを救うことができた。
ただそれだけのことが、どうしようもなく嬉しかった。
「これも私のお陰ですね」
「レイナさん?とりあえず人が黄昏ている時に巫山戯るのは辞めましょうね」
発現事象統制機構《E.G.O.》
【公開調査記録 No.001】
-登録名称:発現者
-公開区分:一般
心に宿る負の感情を力へと変え、異能を操る人間の総称。
原則として、感情の分類に応じた「基礎異能」と、感情の種類を反映して個々に発現する「固有異能」の二つを持つ。
その存在が確認された当初は一種の病人として扱われていたが、異能の制御法が普及した現在では、社会のさまざまな場所で生活している。




