第24診『診察』
──口莫山・診療所。
手術室に響く無機質な電子音。
一定の間隔で刻まれるその音に、金属同士が触れ合う硬い響きが混じる。
青い手術衣に身を包んだ包帯の男が、手慣れた動きで患者の処置を進めていた。
その手元に迷いはない。血に濡れた器具を持ち替え、傷口へ視線を落とす。
頭部から、一発。
胸部から、また一発。
肉の奥に食い込んでいた弾丸が、歪な姿を晒して引き抜かれてゆく。
取り出されるたび、金属製のトレーが乾いた音を返した。
そして、脚に残った最後の一発。
男は僅かに身を屈めると、それまでと変わらぬ手つきで鉗子を動かした。やがて傷口から現れた鉛の塊が、先に取り出された二発の隣へ転がる。
カラン、とひときわ軽い音が響く。
三つの殺意が並ぶトレーから目を離し、男は再び患者へと向き直った。
「あとは、これで……」
レーアが患部へ掌を翳す。
その手は大きくも、そこから伸びる指は枯れ枝のように細く、手袋越しにも骨の形が浮き出ている。
その手がゆっくりと退けられる。
再び明かりの下へ現れた肌には傷口どころか、縫い合わせた痕すら残っていなかった。
「……完了」
手術室の扉が開く。
廊下の椅子に腰掛けていた黒いスーツ姿の男が顔を上げる。片目を眼帯で覆ったその男はレーアの姿を認めると立ち上がった。
「先生。オペは終わったかい?」
「えぇ、終わりました。ただ、次からは可能な限り患者さんの情報もお願いしますね。向能代さん」
「すまねぇな。今回は急患なもんで、いつもみてぇに事情を調べてる暇がなかったんだ」
向能代は「ハハッ」と小さく笑った。
張っていた肩を落とし、緩めた襟元へ指を差し込む。
「しかし、あんな致命傷でも治せちまうんだな。正直、驚いたぜ」
「私も万能ではありません。救えない時は救えない。それだけは忘れないでください」
レーアはそこで言葉を切った。
外した手袋を片手にまとめ、閉じた手術室の扉へ一度だけ目を向ける。
「……必ず、救ってみせますが」
向能代は一瞬黙り、それから口の端を吊り上げた。
眼帯に覆われていない方の目が、医師の顔を面白そうに覗き込む。
「フッ、面白ぇことを言う先生だこった。現実と理想が喧嘩してやがる」
レーアはその言葉に答えることなく、着替えるために診察室へと歩き出した。
しかし、数歩進んだところで足を止める。何かを思い出したように、向能代を振り返った。
「ところで、向能代さん。毛根がなくても生えてくる育毛剤の件ですが──」
「うっせぇッ! さっさと着替えてきやがれ、この名医ッ!!!」
向能代の頭は、今日も輝いていた。
「それじゃあ先生、また何かあったらよろしく頼む」
「えぇ。出来るだけ、私の出番がないことを祈っています」
向能代は背を向けたまま片手を掲げ、手術を受けた男と共に去ってゆく。
レーアはその場に立ち、遠ざかる二人の背中を見送っていた。
「……助かって、よかったですね」
ぽつりと零し、レーアも踵を返す。
診療所へと歩き出した────その時だった。
「あんたが先生ぇ〜?」
木陰の奥から、間延びした声が聞こえてくる。
レーアがゆっくりと顔を向けると、そこには大きな黒いポリ袋を持った少女が立っていた。
片側で結ばれた紫の髪が、肩口で揺れている。
身に纏うのは、胸元をフリルで飾った黒いブラウスと、その上から腰を締める焦げ茶色のコルセット。
茶褐色のスカートは幾重ものフリルを重ね、長さの異なる裾を波打たせている。
優雅なドレスに、革と金属の無骨さを継ぎ合わせたような装いだった。
少女は黒い袋を持ち直すと、返事を催促するように首を傾げた。
その拍子に紫のサイドテールがもう一度、ふわりと揺れた。
「……はい。恐らく、その先生かと思われます」
「ここまで来るの、ちょ〜ダルかったんだけどぉ。あーしに何かごほーび無い?」
その場で身体が硬直する。
ご褒美?
はて、何に対するご褒美なのか。
少女の顔から、その手にある黒い袋へ。
そして、再び少女の顔へと視線が戻る。口を開きかけたものの、そこから言葉は続かなかった。
ここまで来るのが大変だったことは伝わった。
ただ、それに対して何を求められているのか、さっぱり見当がつかない。
「あのっ、ええと……何の報酬でしょうか……」
「コレ。運んだごほーび」
少女は、手にしていた黒い袋を前へ差し出した。
大きく膨らんだ袋は、底が重たげに垂れ下がっている。それを平然と持ち歩いてきた少女へ感心しつつ、レーアが両手で受け取った、その瞬間。
ずしり、と両腕へ重みがのしかかる。
上体がぐらりと前へ傾く。咄嗟に片足を踏み出し、どうにか袋を支え直す。
「……かなり重いですね。何が入っているのか、お伺いしても?」
「なんかね、男入ってるよ」
「男……ですか……?」
袋を支えたまま、レーアはゆっくりと顔を上げた。
普段通り、表情に大きな変化はない。ただ、少女と視線が合ってからも、次の言葉が出てくるまでには随分と時間が掛かってしまっていた。
天を仰ぎ、足元へ目を落とす。
しばし考え込んだ末、レーアは袋をそっと地面へ下ろし、その口を開いた。
覗いたのは見覚えのある紅髪だった。
鍛え上げられた引き締まった身体。
そして、一度見れば忘れようのない顔。
だが、その顔は血に濡れ、歪んでいた。
いつも白い歯を覗かせていた口元にも、今は何の動きもない。
「番さん……?! 一体、何が……!」
レーアは袋の中へ腕を差し入れ、男の上半身を抱き起こす。
その顔を覗き込み、露わになった首元の傷へ視線を走らせる。支える腕に男の重みがただ沈んでくる。
この男が負けるはずがない。
そう思えるだけの強さを知っていた。
だが、腕の中の惨状はその確信を容赦なく否定している。
「……どうして、これほどの傷を負ったのですか?」
「ゴメンだけど見てないんだわ。あーしが部屋に入ったの終わった後だし」
少女は顔を背け、辺りの木々を眺めながら答えた。
レーアは問いを重ねることもなく、塙原の傷口をただ見つめ続けていた。
次々と思考が浮かんでは、別の疑問に押し流されてゆく。
致命傷か。完治は可能か。異能で対処できる範囲に収まっているのか。
喉の奥で低く唸る。
傷の一つ一つを目で追い、取り得る手段を並べては消す。どこから手をつけるべきか。その先に、何が起こり得るのか。
考え、考え、なおも考え抜いた末。
ようやく辿り着いた結論は────。
「とりあえず、お茶にしますか……?」
紫髪の少女は、何も言わずにその場で頷いた。
──診療所・応接室。
「なにこれ、美味しいんだけど!」
「それは良かったです……」
二人が向かい合う卓上には、紅茶を注いだカップが二つ。
立ち上る湯気が、茶葉の香りを静かに広げていた。
少女の前にだけ置かれた小皿には、レーア特製のミルクレープが載っている。
薄く焼かれた生地と白いクリームが幾重にも重なり、切り分けられた断面に細かな縞を描いていた。
少女のフォークが、次の一口を切り取る。
サイドテールを揺らしながら頬張るその姿を眺め、レーアもカップへ手を伸ばした。
陶器が触れ合う小さな音。
皿の上で少しずつ小さくなるミルクレープ。
つい先ほどまで男を詰めたポリ袋が二人の間にあったとは思えないほど、穏やかな茶の時間となっていた。
「そういえば、あのおっさん、助けなくていいの?」
「応急処置は済ませています。色々と考えましたが、普段あれほど傲慢に振る舞っている方ですから。多少痛みが残るくらいの方が良い薬になるかと」
そう言い終えると、レーアは涼しい顔でカップを口へ運んだ。
少女も「あっそ」とばかりに頷き、残ったミルクレープへフォークを入れる。それ以上、男の容態を尋ねることはなかった。
「そういえば、まだ名乗っていませんでしたね。私はレーアと申します。差し支えなければ、お名前を伺っても?」
カップを受け皿へ戻し、レーアは少女へ向き直す。
その装いを改めて目に留め、言葉を続けた。
「長江さんの報告にあった、新しい仲間……その方が率いる組織の一員ですよね?」
「そそ。先生、知らないの? レディベア。あーし達、有名だと思うんだけど。あ、ちなみにあーし、アイリスね? よろ〜」
アイリスはフォークを置くと、人差し指と中指を開き、手の甲をレーアへ向けた。
そのまま目元へ斜めに添える。首まで傾けた実にこなれた裏ピースだった。
その行動の意味が分からず、思わずその手をじっと見つめてしまう。
何かの挨拶なのだろうか。ならば、返さないのも失礼に当たる。
カップを静かに置き、同じように二本の指を立てる。
手の向きを確かめ、角度を合わせ、目元へ。最後に首を傾けるところまで、律儀に再現した。
包帯に覆われた男が真顔で裏ピース。
指の角度だけはやけに正確なものだった。
アイリスの肩が跳ねた。
唇を噛みながら俯く。しかし、次の瞬間には堪え切れず、笑い声が噴き出していた。
発現事象統制機構《E.G.O.》
【公開調査記録 No.015】
-登録名称:口莫山
-分類:山岳地帯
-公開区分:一般
樹木が生い茂る比較的標高の低い山。地形はなだらかであるものの、遭難者がたびたび発生することで知られている。
同山に関しては、「口の裂けた化け物に遭遇した」「同行していた友人が食われた」など、山中に潜む存在についての証言が語られている。その内容から、巷では当該存在を「口裂けジャック」と呼称している。
ただし、これらは目撃談や伝聞に基づく情報であり、語られている被害の全容は明らかになっていない。また、遭難事例の全てが当該存在に起因するものと断定することはできない。
「口裂けジャック」の正体、および山中で相次ぐ遭難との関連性については、依然として不明である。




