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DISAST  作者: 壱
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第20診『薔薇』

「…………仲間……? 私が……? アナタの……?」


「貴様の力を買ったわけではない。俺の目的と貴様の利害が偶然一致した。それだけの同盟だ」


 塙原(ばんばら)はゴミ箱という名の玉座に腰掛け、両腕を組んでいる。顎を上げた姿には相手を勧誘しているという慎ましさなど微塵もない。


「本来なら貴様の意見など聞かん。だが、今回は盟友(もやし)から意見を聞くように言われていてな。特別に選ぶ権利をやる」


 塙原(ばんばら)は尻ポケットから一枚のカードを取り出し指先で弾いた。カードはリコリスの横を抜け、背後の壁へ乾いた音を立てて突き刺さる。


「これは……?」


「それが、俺が貴様と手を組んでやる理由の全てだ」


リコリスは壁からカードを引き抜き、記された文字へ目を落とした。


『薔薇ノ園 首謀者 発見 協力者 捜索 求』


 文字を追うリコリスの呼吸が途中で浅く途切れた。顔から見る見るうちに血の気が引き、額には大粒の汗が浮かび始める。


 踵がアスファルトを擦り、一歩、二歩と後ろへ下がった。それでも紅い瞳だけはカードに刻まれた『薔薇ノ園』の四文字から離れようとしない。


「その反応で十分だ。──貴様、あの事件の生き残りだな?」


 返事はない。カードを摘まむ指だけが強く閉じられ、硬い紙面が小さく歪んでゆく。


 やがて、固く閉ざされていた唇が僅かに開いた。そこから零れた声は風に掻き消されそうなほど細かった。


「…………なの?」


「……? よく聞こえないな」


「本当なのかって聞いてるのっ!!!」


 これまで抑揚を持たなかった声が、路地裏の壁をまるでピンボールが跳ね返るかのように反響する。長く閉ざされていた何かが喉を突き破り、一息に噴き出したような叫びだった。


 反響が消えた後も、リコリスの肩は大きく上下を繰り返す。その手の中でカードは原形を失うほど強く握り潰されていた。


「知らんな。見つけたのは俺ではない。だが、この報告の主は嘘だけは吐かん」


「…………そう……」


 リコリスは俯いたまま、握り潰したカードを見つめる。この文字は本当に自分が追い求めてきたものへ繋がっているのか。そして、目の前の男を信じていいのか。


 答えの出ない問いが、頭の中で幾度もぶつかり合う。そんな彼女を眺めていた塙原(ばんばら)は、ふと思い出したように口を開いた。


「そういえば、今回、俺の暗殺を依頼したのは俺だぞ?」


「…………え?」


 緊急事態。緊急事態。

 自らを標的にする愚者(バカ)発見。

 直ちに避難せよ。直ちに避難せよ。


「ふぇぁっ?! えっ……! どうして……?! なんで……!」


「貴様と対面するには、これが一番手っ取り早いからに決まっているだろう」


 リコリスはその場でふらつきながら片手で頭を抱えた。レディベアに依頼するということは、そこらの殺し屋へ頼むのとは話がまるで違う。


 一度引き受けた標的は殺すまで追い続ける。それがレディベアの方針(モットー)であり、裏社会では狙われた時点で死んだも同然とまで囁かれていた。


 それにも関わらず、この男は団長(ボス)と会うが為だけに、自分自身の暗殺を依頼したのだ。


 正気の沙汰ではない。


「本当に殺されてたらどうしたのっ……!」


「俺は死なん。俺を死に追いやるなど、神ですら烏滸がましい」


「もしも……。もしも私以外の人が来てたら……!」


「この俺を殺しに来るんだ。ボスである貴様以外、有り得ないだろう」


「そんなのっ……分から……」


 言いかけた言葉が途中で途切れた。


 この男には何を言っても駄目だ。

 何を言おうと、きっと都合よく自分の理屈へと捻じ曲げる。

 これ以上話すだけ無駄だ。


 そんな諦めにも似た思考がリコリスの頭を過ぎる。


 しかし、この男はどこまでも傲慢で、やることなすこと破茶滅茶なくせに不思議と物事の本質だけは外さない。

 方法はどう考えても狂っている。それだというのに、その目的だけはこれ以上なく真っ直ぐだった。


 そのことだけはリコリスにも理解できた。


 そう考えているうちに、心做しか目の前の男が少しだけ面白く思えてきた。


 気づけば口元から小さな笑い声が零れていた。


「クハッ! 笑ったな? 知ってるか? 笑ったヤツは交渉に負ける! この俺が言うんだから間違いないぞッ!」


「そんなアナタはいつも笑ってるじゃない……!」


 また、笑いが零れた。


 今度は先ほどよりも、ほんの少しだけ大きく。


 いつ以来だろう。


 リコリスは、ずっと遠くに置き忘れていた懐かしい感情(きおく)を思い出していた。


 それはどこか温かくて。

 ひどく淡くて。


 そして何より──心地の良いものだった。


 笑い声はやがて静かに途切れた。

 先ほどまで僅かに緩んでいたリコリスの表情から、少しずつ笑みが消えていく。


 ただ、不思議と元の無表情には戻らなかった。


 どこか遠くを見るように視線を落とし、ぼんやりと床を見つめている。


「…………」


 いつもならば、この僅かな沈黙すら自分の声で埋め尽くしてしまいそうな塙原(ばんばら)も、今だけは黙ってリコリスを見ている。


 リコリスはゆっくりと瞼を伏せる。


 胸の奥に残った温もりを手繰り寄せるように、先ほど感じた懐かしい感情(きおく)へ意識を向けた。


 すると、それに引かれるようにして、忘れたかったものまで一緒に浮かび上がってくる。


 声。


 景色。


 匂い。


 そして──もう戻ることのない日々。


「…………昔」


 自分でも驚くほど自然に、その言葉が口から零れた。


 塙原は何も返さない。

 ただ、続きを待っている。


 リコリスはもう一度、口を閉ざした。

 これを話したとして何も変わらないのは分かっている。


 同情は要らない。

 慰めも要らない。


 ならば今、私は何を求めているのか。


 何も分からない。

 

 しかし、目の前にいるこの男になら話してもいいと思ってしまった。


 何故か今まで出会った誰よりも、この男の前では自分を偽る必要がないように思えた。


 リコリスは小さく息を吐く。


「…………パパとママが好きだったんだ……」


 塙原(ばんばら)は腕を組んだまま、僅かに視線を上げた。口を挟むことも、いつもの笑い声を漏らすこともなく、ただ次の言葉を待っている。


 その眼差しを受け、リコリスは再び顔を伏せた。紅い瞳は腕の中に抱いたテディベアへ向けられる。


「パパとママはね、お花屋さんだったの……。パパはね、私が落ち込んでると……。いっつも、私が好きな好きな赤いお花を持ってきてくれたんだ……」


 言葉を重ねるほど、リコリスの声は細かく震えてゆく。テディベアの毛並みへ指が深く沈み、真っ直ぐ立っていた膝も僅かに揺らぎ始めた。


「でね、ママはね……。とっても優しかったんだ……。ママの料理……。すごい大好きだった……。でも、もう居ないの……」


 最後の言葉と共にリコリスの膝が崩れた。テディベアを胸へ強く抱き締め、その場へ小さく蹲る。


 零れ落ちた金色の髪が俯いた顔を覆い隠してゆく。その隙間から落ちた雫が、ぬいぐるみの毛並みを静かに濡らした。


「パパもママも……。お花になっちゃったから……。赤い、お花に……」


 そこで、リコリスの言葉は途切れた。喉から押し殺しきれない嗚咽が漏れ、零れ落ちる涙がテディベアの毛並みを濡らしてゆく。


 何があったのか、全てを語る必要はなかった。言葉だけでなく仕草や口調、その全てが彼女の瞳に焼きついた光景を十分過ぎるほどに物語っていた。


 それまで黙っていた塙原(ばんばら)が、静かに口を開く。組んだ腕は解かず、蹲るリコリスへ視線だけを向けた。


「当時のことなら、多少は知っている。事が起きた直後、俺も現地へ足を運んだからな」


 塙原(ばんばら)は立ったまま、淡々と言葉を続ける。その声からは哀れみや落胆の色は感じられない。しかし、実直にその事実を受け止めている。そんな気概を感じさせる何かがあった。


「『薔薇ノ園事件』──。三年前、『ROSE』を名乗る殺人集団が引き起こしたテロ事件。そいつ等によって街が真っ赤に染まったことから、そう呼ばれるようになったらしいな。確かに俺が駆けつけた頃には──」


 不意に塙原(ばんばら)の言葉が途切れた。続きを紡ごうにも、上下の唇が見えない糸で縫い合わされたように開かない。


 塙原(ばんばら)の瞳が周囲を巡り、やがて蹲るリコリスを捉える。彼女は片腕でテディベアを抱いたまま、もう一方の掌を塙原(ばんばら)へ翳していた。


「それ以上……。言わないで……」


 掌を翳したまま、リコリスはゆっくりと立ち上がった。テディベアを胸へ抱き、覚束ない足取りで塙原(ばんばら)との距離を詰めてゆく。


 やがて、その足が彼の目前で止まる。ぬいぐるみへ食い込む指は震え、上げられた顔は涙でぐしゃぐしゃに濡れていた。


「憎いのッ! この世界がッ! 大っ嫌いで仕方がないのッ!」


 張り裂けた声が静まり返った辺りを揺らした。一度溢れ出した言葉は次の爆発を生んでいた。


「なんでパパとママは死ななきゃいけなかったの?! 優しかったのにッ! なんで私だけこんな想いを抱えて生きていかなきゃいけないの?! なのに、なんでみんな普通に生きてるの?! 私がこんな想いをしてるのにッ! なんでッ! なんでぇっ!」


 その瞬間、リコリスの強膜が漆黒に染まり始める。紅かった瞳も、次第に鮮烈な翠緑(エメラルド)へと塗り替えられてゆく。


 美しく輝くはずの翠緑を眼球から溢れ出した黒い靄が覆ってゆく。その禍々しさは光さえも蝕み、少女の顔へ深い影を落としていった。


 同時に、封じられていた塙原(ばんばら)の唇が激しく軋み始める。上下の唇は目に見えぬ力で締め上げられ、メリメリと皮膚から引き剥がされてゆく。


 その時──。


 ギラァァアンッ!!!


 爆ぜた黄金の煌めきが、薄暗い路地裏を一瞬にして灼き払った。


 光の中心に立つ塙原(ばんばら)の強膜は、既に墨を流し込まれたような漆黒に染まっている。その闇に浮かぶ琥珀色の双眸はそれでも尚、リコリスを遥かに上回る輝きを放っていた。


 そして、漢は煌めく歯を見せつけながら声高々に宣言する。


「その想いッ! この俺が全て受け止めようッ!」

発現事象統制機構《E.G.O.》

【公開調査記録 No.013】


-登録名称:薔薇ノ園事件

-発生時期:2016年

-関与組織:ROSE

-公開区分:一部制限


三年前、ROSEを名乗る殺人集団によって引き起こされた9.9.9(ココノツ)事件に次ぐ大規模テロ事件。


事件現場は広範囲に及び、区域内からは複数の遺体が著しく損壊された状態で発見された。被害者の多くは身体を細かく切断されており、現場一帯の路面や建造物は大量の血液によって赤く染め上げられていた。


血に濡れた肉片が広範囲へ散乱する光景が、無数の赤い薔薇が咲き乱れる庭園を思わせたことから、後に「薔薇ノ園事件」と呼称されるようになった。


犯行に用いられた異能、実行犯の人数および事件の目的については現在も全容の解明に至っていない。また、事件区域から生存者が確認されているものの、保護の観点から氏名および証言内容は公開されていない。


ROSEの首謀者および関係者については、現在も調査が継続されている。捜査の進展に関する最新情報は機密指定により公開対象外とする。

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