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DISAST  作者: 壱
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第17診『社長』

「クハッ! 何だ貴様はッ! この塙原(ばんばら)に何用かッ!」


 塙原の大声が広い執務室の壁を震わせる。


「うるさい……。私……。うるさい人……。嫌い……」


 リコリスは眉ひとつ動かさず、瞬きすら忘れたように塙原を見つめている。


 やがて、彼女は片手を伸ばした。

 細い指に小さな掌。触れれば折れてしまいそうなほど華奢な手が、寸分違わず塙原の胸元へ向けられる。


 それでも塙原は動かない。

 両腕を組んだまま、床を踏み締めるように仁王立ちしている。

 逃げる素振りも、構える様子もない。ただ、その口角だけがゆっくりと吊り上がっていった。


「塙原(ばんばら) 番(ばん)……。消えて……」


 その名が唱えられた途端、差し出された掌が内側から滲むように紅く染まり始める。

 指先から手首へ。

 血を流しているわけでもないのに、鮮烈な紅が白い肌をじわじわと侵してゆく。


 リコリスは手首を返し、紅く染まった掌を床へ向けた。

 一本、また一本と時間をかけて指を折り畳んでいく。


 まるで目の前に立つ塙原の存在そのものを、掌の中へ閉じ込めるかのように。


 そして最後の指が沈み──拳が固く握り締められた。


「『|咲き止まぬ、愛しき日々よ《ラ・フルール・ア・エクロ》』……」


 音なき波動がリコリスの掌から放たれ、執務室の空間そのものを脈打たせる。

 窓ガラスが細かく震え、机上の書類が一斉に宙へ舞い上がった。


 リコリスは結果を確かめようともしない。

 技を放つと同時に塙原へ背を向け、舞い落ちる書類の中を扉へ向かって歩き始める。


 しかし、その時だった——。


 

「クハハハハハッ!!! 愚者(ぼんじん)がッ! そんなもので俺を倒せるわけがないだろうッ!」


 

 背後から轟いた高笑いが、部屋に残る静寂を吹き飛ばす。


 次の瞬間、リコリスは床を擦るほど鋭く身を翻し、声のした方へ紅い瞳を向けた。


 そこには変わらず両腕を組んだ塙原が立っていた。


 一歩も退いていない。

 膝を折るどころか、体勢ひとつ崩していない。

 最初から何も起きていなかったかのように、塙原は仁王立ちしたまま、白い歯を剥き出しにして笑っている。


 その姿を捉えた瞬間、リコリスの紅い瞳がほんの僅かに見開かれた。

 二人の間を舞い上がった書類がひらひらと横切ってゆく。


「……どうやったの……?」


「どうやった、だと? その問いからして間違っているなァ──」


 塙原はようやく腕組みを解いた。

 胸を大きく張り、リコリス目掛けてビシッと人差し指を突きつける。


「どうもしていないッ! それが答えだ、刺客(ぼんじん)ッ!」


「…………」


 リコリスの瞼がゆっくりと元の位置へ戻る。

 その腕に抱かれたテディベアの頭が、ぎゅっと僅かにへこんだ。


「…………なんか、ムカつく……」


 リコリスの掌に再び鈍い紅光が宿る。


 五指を大きく開いた瞬間、血脈にも似た紅が指先から手首までを侵食してゆく。

 次いで、その手を一息に握り締める。

 固く閉ざされた拳の隙間から、行き場を失った紅い光が脈打つように漏れ出した。


 今度は目を逸らさない。

 紅い瞳で塙原の姿を捉え、その身に訪れるはずの結末を見届けようとする。


 しかし──何も起こらなかった。


 塙原の身体には、傷ひとつ刻まれていない。

 膝どころか衣服の裾さえ微動だにしなかった。


 まるで、リコリスの下した死の宣告をこの世界自体が無視をしたかのように。


「クハハハハッ!」


 それどころか塙原はまたも両腕を組んだまま高らかに笑っている。

 己へ下された絶命の一撃すら、出来の悪い余興とでも言わんばかりに。


「嘘だッ……! 嘘だッ……!」


 リコリスが掌を開く。

 紅光が灯る。

 そして、握り締める。


 開いては握り、握っては開く。

 その度に紅い光が明滅し、目に見えぬ何かを幾度となく握り潰してゆく。


 だが、死の命令は一度として塙原へ届かない。


 コツン──。


 いよいよ塙原が一歩を踏み出した。

 両腕を組んだ姿勢も、口元に刻まれた笑みも崩さぬまま悠然と距離を詰め始める。

 

 リコリスの呼吸が次第に浅く刻まれてゆく。

 見開かれた紅い瞳は塙原に縫い付けられ、その掌だけが休むことなく開閉を繰り返していた。


 一歩、塙原が進む。

 一歩、リコリスの靴底が床を擦る。


 放たれる紅光の数だけ、リコリスの足は後退る。

 それでも攻撃の手は止まらない。

 まるで迫り来る存在を否定するかのように、何度も、何度も、何度も拳を握り締めた。


「クハハハッ! 差し詰め、その掌で標的の何かを握り潰す能力といったところかッ! だが、そんな異能はどの系統にも当て嵌らんように見えるがなァッ!」


 リコリスの表情に初めて僅かな亀裂が走る。

 眉根が寄り、固く結ばれた唇の端が微かに引き攣った。


 これまで、この掌で殺せなかったものなど一つもない。

 人間であろうと、物体であろうと関係なかった。

 標的を定め、指を閉じる。

 それだけで選ばれた何かは必ず殺すことが出来る。


 それは彼女にとって、疑う余地すらない絶対の法則だった。


 だというのに──。


 目の前の男だけが、その法則の外側に立っている。


 掌の開閉が更に速まる。

 明滅する紅光は次第に間隔を失い、爪が食い込むほど固く握られた拳から細い光が幾筋も噴き出した。


 塙原が一歩近づく度に、リコリスの踵が一歩分だけ床を擦る。

 浅く刻まれる呼吸の合間から、噛み締めた歯の音が微かに漏れ始めていた。


 ──トンッ。


 後ろへ退き続けていたリコリスの踵が、いよいよ壁際を叩いた。

 さらに半歩、身体を引こうとするものの、その背中を冷たい壁が受け止める。


 退路は尽きてしまったようだ。


 正面から歩み寄る塙原の身体が照明を遮り、リコリスの小さな身体を影の中へ沈めてゆく。

 それでも彼女は目を逸らさない。紅光を宿した掌を掲げたまま、迫る男を見上げていた。


「クハハハッ! これぞ正(まさ)しく俺様大勝利(チェックメイト)といったところか?」


「私のこと……。舐めすぎ……」


 リコリスの指先から、紅い光が細く噴き出す。

 追い詰められてなお、その掌だけは塙原を捉えて離さなかった。


「慢心! 故に『傲慢』ッ! それこそが俺という訳だッ!」


 塙原は胸を張り、逃げ場を失った少女へ白い歯を見せつける。


「覚えておけッ! 何処の誰とも知れぬ小娘よッ!」


「小娘じゃない……! 私はリコリス……! レディベアの団長(ママ)……!」


「ほォ! 名乗ったかッ! 良いだろうッ! その敬意、そして気高さ(プライド)──確かに受け取ったぞッ!」


 塙原は両腕を組んだまま、大きく息を吸い込んだ。


 胸板が風船のように膨れ上がる。

 腰は弓なりに反り返り、顎は天井へ向けて高々と突き上げられた。

 あまりに反りすぎたせいで、その顔はもはや真上を通り越し、ほとんど地面スレスレの状態で背後を向いている。


 肺いっぱいに空気を溜め込んだまま、塙原はさらに胸を張る。

 まるで、これから世界そのものへ己の名を刻みつけようとするかのように。


 そして、次の瞬間――。


「我が名はァッ! 塙原(ばんばら) 番(ばん)であるッッッ!!! 世界三指ッ! プライド社の社長にしてッッッ!!! この世の全てを司る者であるッッッ!!!」


 その名乗りは、もはや声などという生易しいものではなかった。


 大気が震える。

 執務室が揺れる。

 塙原の背後に広がる窓ガラスへ、一本の亀裂が走った。


 亀裂は瞬く間に枝分かれし、夜空を切り裂く稲妻のように窓一面を駆け巡ってゆく。


 そして──。


 バリィィィンッ!!!


 限界を迎えた窓ガラスが、塙原の咆哮に押し出されるように一斉に砕け散った。

 無数の破片が最上階から夜空へ放たれ、眼下に広がる中央都市の光を反射して、星屑のように煌めいてゆく。


 遮るものを失った窓から、強烈な夜風が執務室へ吹き込んだ。

 塙原の紅髪が大きく靡き、オレンジ色のシャツが破れ散る。

 机上に積まれていた書類の山も巻き上げられ、砕けたガラスとともに次々と夜の街へ吸い込まれていった。


 塙原は両腕を組み、胸を張り、眼下に広がる摩天楼を従えるように仁王立ちしている。


 背後には星屑のごとく舞い散る硝子。

 足元には眠ることを知らぬ中央都市。

 吹き荒れる風の中で白い歯を輝かせるその姿は、まさしく世界の頂に立つ覇者そのものであった。


 なお、先ほどまで片づけ方に頭を悩ませていた重要書類の山が、終了(フィニッシュ)どころか終焉(アポカリプス)を迎えたことに、当の本人はまだ気づいていない。


「クハハハッ! 良いか小娘よッ! 長(おさ)たる者とは何たるかッ! その身に刻み込んでやろうッ!」


「大きなお世話……! おじさん……!」


 リコリスの返答を最後まで聞き届けると、塙原は組んでいた両腕をゆっくりと解いた。


 そして、両腕を左右へ大きく広げ、正面からリコリスと向かい合う。

 胸元を無防備に晒し、避ける素振りも防ぐ構えすら見せない。

 それは迎撃の構えというよりも、自らを標的として差し出す姿に近く見える。


 砕け落ちた窓の向こうから夜風が吹き込み、紅い髪が激しく靡く。


 眼下に広がる中央都市を背負い、塙原は次なる一撃を待ち受けた。

《PSYCHO RECORD》


氏名:フリチル

年齢:推定20代後半

性別:M

身長:223cm

体重:254kg

所属:無所属

発現分類:逃避型

根源感情:恐怖

固有異能:仏壊死磓殺(ブッコワシテヤル)

《あらゆる物体と反発する》

身体所見:長丈のトレンチコート/業務用長靴/強い体臭/不揃いの歯/有り得ない巨躯

精神所見:短く単調な発話。暴力行為に対する抑制反応が著しく欠如。単純一途。

脅威度:★★★★☆


特記事項:


・実兄ヴァプルと共に「世紀の大盗賊・ヴァプル&フリチル兄弟」を自称する指名手配犯。主な標的は暴力団や悪徳政治家など。一般家庭から金品を強奪した記録は、現在まで確認されていない。


・錆びた大型の鉈を常用する。巨躯を生かした接近戦を得意としているとみられ、標的を前にしても威嚇や交渉をほとんど行わず、即座に武器を振るう傾向がある。

(鉈を持っていることをかなりの頻度で忘れる)


・言葉数は少なく、発言内容も極めて単純である。しかし、その口調と実際の加害行為との間にほとんど差がなく、行動を事前に予測することは困難。


・ヴァプルを「ヴァプ兄」と呼び、その指示や制止には一定の反応を示す。両名は視線を交わさずとも行動を合わせる場合があり、兄弟間で独自の意思疎通が成立しているものと推測される。


・単独時の行動は直線的だが、ヴァプル同行時には判断面を補完される。フリチルの膂力と異能、ヴァプルの判断速度と応用力が組み合わさるため、両名が揃った場合の脅威度は★★★★★へ引き上げることが推奨される。


・好物:ウルトラスーパーエレガンツプリンアラモードジャンボパフェ。

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