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DISAST  作者: 壱
17/25

第16診『人形』

 ──中央都市・南部。

 

 会場(ホール)は夜。

 舞台は薄暗い路地裏(ナイトメア)。

 一寸先すら見通せぬ、暗く昏い闇。

 スーツ姿の小太りな男は湧き上がる恐怖を呑み込み、路地の奥へ、更に奥へと駆けていた。


「俺が何したって言うんだ! 巫山戯(ふざけ)るな!」


 ピチャ……。ピチャ……。


 男の背後から、水溜まりを踏む音が微かに響く。


 ひび割れた窓ガラスに時折映り込むテディベアの姿。

 その傍らで金色に輝く髪がゆらりと揺れる。


 男は走りざまにゴミ箱を蹴り倒し、立て掛けられた鉄材を崩し、看板を路地へ引き倒していく。

 何度も背後を振り返り、追っ手の行く手を阻みながら、なおも路地の奥へと逃げ続けた。


「テメェの望むもんはなんだ! 金か! 男か⁈」


 忍び寄る恐怖からの返答はない。

 ただ、一定の間隔で刻まれる足音だけが響いていた。

 男が振り向くと、闇の奥で紅い眼光が鋭く男を貫いた。


「ひぃっ! 来るな! 来るな────」


 メキョォ……。


 酷く乾いた、嫌な音が暗闇を包む。

 その正体を知るより早く、男の身体は地面に崩れ落ちた。

 なぜ倒れた。今の音は何だったのか。

 起き上がろうにも脚が言うことを聞かない。男は混乱したまま身を捻り、己の下半身へと目を向けた。


 そして、見つけてしまった。


 脛(すね)の半ばから、くの字に折れ曲がった己の脚を。


「ぎゃぁぁあっ!!!」


 男の悲鳴(アリア)が闇を突き刺してゆく。

 それに応じる拍手はない。

 ただ、水を踏む足音だけが変わらぬ拍を刻んでいた。


 恐怖は、未知より生まれる。

 闇の向こうに何がいるのか。己の身に何が起きたのか。そして、次に何をされるのか。

 答えのない問いは想像を蝕み、有り得もしない最期さえ鮮明に描き出してゆく。


 分かることは足音が近づいていることだけ。

 一拍。また、一拍。

 その音が響くたび、喉の奥から浅い息が漏れた。


 まだ、終幕(フィナーレ)には遠い。

 男には、自らの悲鳴がその幕開けに過ぎなかったと知る由もなかった。


「ナルケマナ・クギーン……。アナタの名前……よね?」


 暗闇から、若い女の声が聞こえた。

 少女のものと聞き違えてしまいそうな、あどけなさの残る声。だが、その響きには一切の抑揚がない。一字一句を確かめながら台本を読み上げているかのように途切れ途切れで、酷く平坦な口調であった。


 問いかけているはずなのに、好奇心も疑念も感じられない。

 返答次第で振り下ろされるギロチンの刃のような冷え切った声であった。


 その声が路地に落ちた途端、辺りの空気が凍りつく。


 喉の奥を塞がれたかのように、男の息が止まった。

 蛇に睨まれた蛙さながら全身が強張り、振り向くことさえできない。死を待つ獲物が如く鼓動だけが狂った拍を刻んでゆく。


「何が……望みだ……。俺なら、何だって叶えられる……」


「それは……。肯定として受け取るわね……。ありがとう……。答えてくれて……。」


 メキョメキョ……。


 次に折れ曲がったのは、左の前腕だった。

 男の悲鳴が喉の奥で突っ掛る。

 声にもならぬ息を漏らし、男はその場でのたうち回った。涙で歪む視界に恐れは映れど、逃げ場という甘えは映らない。


 少女はただ、その姿を見下ろしていた。

 殺虫剤を浴び、脚をばたつかせる虫を眺めるかのように。

 苦痛に歪む顔にも、喉から漏れる呻きにも、その眼差しは微塵も揺らがなかった。


「中央都市の上院議員……。強姦……。横領……。隠蔽工作……。間接的な殺人行為……。選り取り見取りね……」


「──っ! そういう事かよ! 殺し屋か! どこの者(モン)だ!」


 男の怒声が路地の壁にぶつかり、虚しく反響する。


 少女は答えない。

 腕の中のテディベアへ視線を落とすと、僅かに乱れていた耳を指先でそっと整えた。

 目の前で男が苦痛に喘いでいることなど、まるで意識にも留めていない。そんな仕草だった。


 やがて少女はテディベアを抱き直し、紅い瞳を男へ戻す。


「…………レディベア……」


「レディ……ベア……だと……」


  その名を聞いた途端、のたうち回っていた男の動きが止まった。

 横たわったまま恐る恐る少女を見上げる。

 この永遠にも感じられる刹那の時、浅い呼吸だけがその身体を小さく揺らしていた。


 そして、男はようやく眼前の姿を認識する。


 闇に浮かぶ、金色の髪。

 ゴスロリの衣装に包まれた小さな身体。

 両腕に大切そうに抱かれた一体のテディベア。

 そして何より、深淵の底で灯るような紅い瞳。


 その全てが先ほど告げられた名と結びつく。


「お前、まさか──」


 そこで、男の声が閉ざされた。


 胸の奥で、ひどく気味の悪い違和感が蠢いている。

 それは瞬く間に全身へと駆け巡り、男の身体を芯から震え上がらせた。


 抗う術のない恐怖。

 刻一刻と迫る死。

 既に定められた結末が、僅かに残された希望さえ黒く塗り潰してゆく。


「やめ……て…………」


 男の口から掠れた懇願が零れ落ちる。

 それを聞いても、少女の表情は僅かにも揺らがない。


「御機嫌よう……」


 抑揚のない声と共に、ギロチンは下ろされた。


 ぐりんッ、と男の眼球が上を向く。

 その直後、ゼンマイの止まった人形のように男の身体はぴたりと動かなくなった。


 口元から赤い泡がぶくぶくと溢れ出す。

 幾度か小さく弾けていたそれも、やがて完全に静まり返った。


 男の悲鳴が途絶え、路地裏に静寂が戻る。

 少女は終演を告げるように、静かにその名を口にした。


「『|咲き止まぬ、愛しき日々よ《ラ・フルール・ア・エクロ》』…………」






「団長(リコリス)、始末(おかたづけ)はできた?」


 路地の奥から黒いドレスをまとった黒髪の女性が姿を現した。

 その視線の先では少女が亡骸を小さく折り畳んでいた。

 何かが軋み、潰れる鈍い音が二人の間に響いている。


「うん……。頑張ったよ……。ダリア……。今日は見張り役……?」


「ううん、団長に会いたくって。最近、元気なかったから」


 そう言って、ダリアはリコリスに抱き着いた。

 リコリスは心地よさそうに目を閉じ、その抱擁を受け入れる。先ほどまで男を見下ろしていた少女は、愛おしそうにダリアの頭をそっと撫でていた。


「中央都市……。来るの疲れる……」


「警備の目が厳しいものね。さすがに、これだけ頻繁に防犯カメラを壊して回っていたら、私たちの存在も気づかれそうね」


「無茶な任務……。多すぎる……。お金沢山貰お……」


 リコリスがぱちんと指を鳴らす。

 その音を合図に、闇の中から複数の女性達が音もなく姿を現した。

 リコリスが顎で亡骸を示すと、女性達は手際よくそれを抱え上げ、現れた時と同じように闇の中へ消えてゆく。


「いい子達……。お仕事(かたづけ)が早い……」


「団長の地獄(ゆめ)のような教育を受ければ、誰だって成長するわよ」


 ダリアがリコリスの掌へ、そっと自らの手を重ねる。

 それに応えるようにリコリスは彼女の指へゆっくりと自分の指を絡ませた。


 重なり合った指の隙間へ、リコリスの手に残っていた血が滲んでいく。やがてそれは、ダリアの手にまで赤い跡を移した。

 しかし、ダリアは気に留める素振りすら見せない。立ち上がったリコリスへ身を寄せ、そのままそっと抱き着いた。


「団長? また依頼が来てるみたい」


「今度は……何……?」


 ダリアは絡めていた片手を離すと、ポケットから小さな端末を取り出した。

 その画面には、紅い髪にオレンジ色のシャツを纏い、白い歯を覗かせて自信満々に笑う男の姿が映し出されていた。





 


 ──プライド本社・最上階。


「クハハハッ! 成美(なるみ)が居ないと、こうも積もるものか!」


 紅髪の男は今、執務机に積み上がった書類の山を前に豪快な笑い声を響かせていた。


 両手は頭の後ろ。

 組んだ脚は事もあろうことか机上に。

 仕事が山積みになっているというのに、その顔には焦りの欠片も見当たらなかった。


「俺以外(ぼんじん)が提出した書類(もの)など取るに足らんが、こうも積もるとやる気がな……。うむ! 出ないなッ!」


 塙原(ばんばら)は悪びれる様子もなく、再び豪快に笑い飛ばした。


 ひとしきり笑い終えたかと思えば、次の瞬間──バンッ、と机に掌を叩きつける。

 その勢いのまま立ち上がり、今度は腕を組んで執務室を行ったり来たりし始めた。


 視線は床へ落とされ、眉間には深い皺が刻まれている。

 どうやら、あれでも書類を片づける算段を立てているらしい。


 しかし、考えれば考えるほど、眉間の皺は底知れぬ海溝のごとく深さを増してゆく。

 それに合わせて足取りも速くなり、広い執務室の同じ場所をぐるぐると巡り始めた。


「ぬぅ……ぬぬぬ……」


 口から漏れる唸り声が、徐々に大きくなっていく。

 そして、いよいよ思考が限界を迎えたのか、男はぴたりと足を止めた。

 胸の内に溜まり続けた苛立ちは、ついに一頭の獣じみた咆哮となって噴き出す。


「ンがぁぁあ! やる気が出ないぞぉぉお!!! 気分転換ッ! 気分転換がしたいッ!!!」


 塙原の咆哮が、広々とした執務室をビリビリと震わせる。

 机上に積み上げられていた書類が風圧に煽られ、その内の数枚がひらひらと床へ舞い落ちた。


 だが、次の瞬間。

 先ほどまで喚き散らしていた塙原が唐突に口を閉ざす。


 騒がしかった室内に耳が劈くほどの静寂が訪れた。


 塙原はその場で勢いよく身を翻し、誰もいないはずの部屋の隅を迷いなくびしりと指差した。


「そこのお前! 俺は今、物凄く退屈だッ! 付き合え!」


 シーーーン。


 返事はない。

 そこにあるのは照明の届かない僅かな暗がりだけ。

 低く唸る空調の音と、床へ落ちた書類の擦れる音だけが妙に大きく響いていた。


 それでも塙原は指を下ろさない。

 口元には退屈を紛らわせる玩具を見つけた子供のような笑みが浮かんでいる。


 一拍。

 二拍。


 やがて、部屋の隅に落ちていた影がゆらりと揺れた。

 壁に張りついていた闇がゆっくりと剥がれ落ちてゆく。


 その暗がりから滲み出るように、ひとりの女が姿を現した。

 幾重ものレースとフリルで飾られたゴスロリの衣装。片腕には不釣り合いなほど愛らしいテディベアが抱かれている。


 少女は塙原を見つめたまま、僅かに首を傾けた。


「見破られたの……。初めて……。厄介……」


 驚きを口にしているはずなのに、その表情にも、声にも、感情らしき揺らぎは一切ない。


 二人の視線が交わった瞬間、執務室の空気が鋭く張り詰める。


 ──今、激情と静寂が衝突しようとしていた。

発現事象統制機構《E.G.O.》

【公開調査記録 No.011】


-登録名称:レディベア

-組織分類:???

-代表者:リコリス

-公開区分:一部制限


報酬と引き換えに、指定された人物の暗殺を請け負う女性暗殺者集団。中央都市の要人を標的とした事例も確認されており、厳重な警備や監視網を突破するほどの高い潜入能力を有している。


構成員は少人数の部隊に分かれ、標的の監視、暗殺の実行、周辺警戒、遺体および証拠の処理を分担する。任務終了後の撤収も極めて迅速であり、組織の全容は現在も把握されていない。


構成員には、本名とは別に花の名を冠したコードネームが与えられているとみられる。


レディベアが依頼を受諾する基準は判明していない。犯罪歴を持つ権力者が標的となった事例は存在するものの、組織が独自の正義に基づいて標的を選んでいるのか、単に依頼と報酬に従っているのかは不明である。


活動目的、構成員数、拠点のいずれも特定には至っていない。

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