第11診『兄弟』
カーマインがキッチンへ飛び込むのと同時に、ヴァプルはカウンターを挟んだリビングへ駆け込む。
流し台下の扉を蹴り開け、カーマインは中から数本の包丁を掴み取るや否や、振り向きざまに投げ放つ。
銀色の刃が次々とカウンターを越え、走るヴァプルへ襲い掛かる。
しかし、ヴァプルも指を咥えて襲来を待つほど気長ではない。飛来する包丁へ片手を伸ばした瞬間、全ての刃が空中から掻き消え、その両手へと収まった。
勢いをそのままに身体を捻り、まとめて回転しながら投げ返す。
キィイィィィン——!
包丁同士が擦れ合いながら来た軌道を逆走する。カーマインが咄嗟に身を沈めると、刃の群れが髪先を掠め、その背後にあった吊り戸棚へ立て続けに突き刺さった。
ヴァプルのすぐ脇、窓辺に飾られていた花がモゾモゾと蠢く。
茎が瞬く間に太い蔦へと成長し、蛇のように腕や脚へ絡み付く。しかし、次の瞬間にはヴァプルの手に大きなハサミが握られていた。
腕を振るって蔦を切り裂き、そのままハサミを手放す。落下してきた柄を足の甲で蹴り飛ばすと、回転する刃が一直線にカーマインへ迫り、その頬を浅く掠めてか「カキンッ!」という甲高い音を立てながら背後の壁へ突き刺さる。
「お前の異能は自分より優れたものしか獲得できないんじゃ……! ハサミのどこがお前より優れてるっていうんだよ!」
「テメェの目は節穴かァ? 切れ味じゃあコイツの方が俺より何倍も優れてやがる! 一つでも俺に勝ってりゃ、それで十分なんだよ! 良いとこなんて探しゃ他にもいくらでもあんじゃねぇか!」
言葉を遮るように、カーマインがフライパンを振り被りながらキッチンから飛び出す。
だが、ヴァプルへ振り下ろされる寸前、その手からフライパンが掻き消えた。
直後、床を蹴ったヴァプルの手に現れる。
小柄な身体が宙で縦に一転、二転、三転────回転を重ねるたびに勢いを増し、その全てを乗せたフライパンをカーマインの頭上めがけて一気に振り下ろした。
振り下ろされるフライパンを前に、カーマインは咄嗟に両腕を頭上で交差させた。
カァンッ!
酷く場違いな愉快な音がリビングに響く。
回転を乗せた一撃は交差した腕ごとカーマインを押し潰し、両膝を折り曲げ、その身体をフローリングへ勢いよく叩き付けた。
「カハッ!」
肺から押し出された息が、潰れた声となって飛び出した。
床に転がった両腕は、前腕の半ばからくの字に折れ曲がっていた。突き上がった骨が皮膚を内側から押し、そこだけ不自然な輪郭を浮かび上がらせている。
一方、叩き付けたフライパンも無事ではない。底の中央は大きく陥没し、全体がひしゃげて見る影もなくなっていた。
「あ〜ぁ、これじゃあ使えねぇなァ。なら、こっちの部分はどーだァ!」
ヴァプルは手首を返し、ひしゃげたフライパンの底を掴む。正面へ向いた持ち手をそのままカーマインの顔に目掛けて目にも留まらぬ速さで突き出した。
カーマインの両目が限界まで見開かれる。
即座に身体を横へ投げ出すと、持ち手が鼻先を掠め、そのままフローリングへ深々と突き刺さった。
カーマインは勢いを殺さず、床を転がり続ける。
メキャッ、メキャメキャッ——!
回転する身体に合わせ、くの字に折れていた片腕が捻れながら物凄い早さで繋がっていく。骨が元の位置へ噛み合った瞬間、その手を床へ突き立て、一気に身体を跳ね起こした。
「ハァ、ハァ……ちょっとタンマとか、無理?」
「俺次第だな。だが今回はどうやらバッドケースのようだ。 残念だったなァ」
カーマインの爪先が、わずかにリビングの奥へ向く。
次の瞬間、二人は示し合わせたように同時に床を蹴った。
リビングの奥には庭へと続く大きな窓ガラスが控えている。
どちらも速度を緩めることなく、その身を使って叩き込んだ。
ガシャアァァンッ!
ガラスが砕け、無数の破片が二人を追うように庭へ飛び散る。
その破片が地面へ落ち切るよりも早く、カーマインにより放たれたナイフがガラス片の隙間を縫い、ヴァプルへ一直線に迫る。
ヴァプルは刃に気付き、身体を捻るがほんの一瞬反応が遅れる。
ナイフはその脇腹を掠め、羽織っていたトレンチコートを肩口から裾まで大きく切り裂いていく。裂けた布地が、遅れて庭の上を舞った。
庭へ着地したヴァプルは切り裂かれたコートの裾をつまみ上げた。裂け目から覗く自分の身体を一度見下ろし、ひらひらと揺れる布切れをカーマインへ向ける。
「あ〜ぁ、このコート高っけぇのによォ。なんてことしやがんだ? オォ?」
「俺の腕をこんなんにしといて、それを言うのか?」
カーマインが両腕を掲げる。
くの字に折れていたはずの腕は既に真っ直ぐ伸び、手首から指先まで何事もなかったかのように動いていた。
ヴァプルはその腕を見るや否や、厭らしく吊り上がった口角を崩すことなく、一歩だけ後退る。
「そいつぁ無限回復か? 良い物持ってんじゃねぇか」
「まぁ、回復するたび痛みは走るけどね。欠点だらけだよ」
カーマインは首を傾げ、治ったばかりの両腕を外側へ広げたかと思えば、掌を上に向けて両手を軽く広げた。
『視線にブレは無ェ。口調にも淀みなし。軽口まで叩ける余裕がある。この感じだと今の言葉に嘘は無さそうだな。回復回数に限度はなし——そいつに裏打ちされた自信ってわけか。さて、どうするヴァプル。俺はどうすんだァ?』
シュトッ!シュトッ!シュトッ!
三本のナイフが、ヴァプルを縫うように次々と地面へ突き刺さる。
一本目に首を傾け、二本目に肩を引き、三本目には踵をわずかに錯らす。どの刃も身体すれすれを通過したが、ヴァプルが動いた範囲は半歩にも満たない。
「ナイフ好きだなァ。テメェ、何本持ってやがんだよ」
「教えたら、お前の物になっちゃうだろ? 嫌だよ」
カーマインが言い終えると同時に、ローブの内側から片腕が鋭く振り抜かれ、さらに一本のナイフがヴァプルの顔を目掛けて飛来する。
ヴァプルは迫る刃をぎりぎりまで引きつけると、片足を跳ね上げ、靴先で下から弾き上げた。
ナイフが縦に回転しながら頭上へ舞い上がる。足を着くや否や軸足を捻り、身体を一転。勢いを乗せた回し蹴りで落ちてきたナイフの柄を正確に打ち抜いた。
蹴り返されたナイフが一閃となり、風を切り裂きながらカーマインへ迫る。その後を追うように、ヴァプルも地面を蹴った。
カーマインは即座にローブからもう一本のナイフを抜き、飛来する刃と寸分違わぬ軌道へ投げ放つ。
二本の切っ先が衝突する——その寸前、カーマインの投げたナイフが空中から掻き消えた。
同時に、ヴァプルの手の中へと収まる。
衝突を免れ、己が使命を全うせんとする刃がそのままカーマインへ襲い掛かる。カーマインが首を捻って刃を躱した瞬間、ヴァプルは低い姿勢のまま、その懐へ潜り込む。
駆け込んだ勢いを殺すことなく、奪い取ったナイフを胸部めがけて突き出した。
キィイィン!!!
命へ届く寸前、カーマインが左手に握ったナイフを滑り込ませる。二本の刃が激突し、弾けた火花が二人の顔を照らした。
カーマインの左腕がブチブチと音を立てながら小刻みに震える。両脚を踏ん張ると、低く潜り込んだヴァプルの上から体重を乗せ、刃ごと押し下げていく。
『──野郎ッ! 筋肉が限界超える度に回復入れてやがるな……!』
ヴァプルの肘がじりじりと曲がり、それに合わせて頭の位置も地面へ近づいてゆく。
「その、まま……潰れてくれたら、ありがたいんだけどなぁ!」
ググッ、とカーマインがさらに肩を沈め、左腕へ力を込める。
ギギギギッ——。
噛み合った刃が互いを削り合い、耳障りな音を立てながら、少しずつ欠けて歪んでいく。
押し返そうと、ヴァプルは空いていた手も柄へ添えた。その両手が完全に塞がったところで、カーマインの口角がわずかに持ち上がる。
「お前の異能は、発動前に両手が空いてないと発動できないんだろ? とんだ欠陥品だな……!」
「ケヒッ! どぉだろォなァ……。だが、こいつぁちとヤバいなァ……」
——キンッ!
ついにヴァプルの刃が朽ち果て、砕けた破片が火花と共に散る。支えを失ったカーマインのナイフが、意志を持ったギロチンのようにヴァプルの頭上へ振り下ろされる。
剥き出しになったカーマインの歯が庭の光を白く反射した。
その時だった。
メキャメキャメキャ……。
それは鈍い音だった。
それほど大きな音ではない。しかし、常人ならば思わず耳を覆いたくなるような鈍い音。
カーマインが振り返るより早く、視界の端を巨大な拳が埋め尽くした。
——パァァン!!!
巨拳が脇腹を捉え、カーマインの身体が弾丸の如く吹き飛ばされる。そのままブロック塀へ激突すると砕けた破片を撒き散らしながら跳ね返り、高速回転しながら宙を舞う。
頭上の圧力が消え去ると、ヴァプルはゆっくりと身体を起こす。手元に残った柄だけのナイフを無造作に放り捨て、片方の口角を慣れきった仕草で吊り上げた。
「遅いぜ、賢弟。俺たちゃ、ふたりで一人だろ?」
「ヴァプ兄を傷付ケるヤツ! 嫌いだ!」
ヴァプルは前を向いたまま、片拳を差し出す。
そこへフリチルの二回りは大きな拳が伸び、軽く打ち合わされる。
「さぁさぁ、ご立ち会い! 本調子はこれからだぜェ?!」
崩れたブロック塀の中で、カーマインの指がぴくりと動く。
もはや人間のものとは思えないほど悍ましく捻じ曲がった身体を、軋ませながらゆっくりと起こしていく。
正面を向けないほどずれた首。その横目だけが、拳を重ねる脅威を鋭く睨みつけていた。
-登録名称:A.C.E.(エース)
-組織分類:中央都市直属特別執行機関
-統括責任者:非公開
-公開区分:一般
重大な異能犯罪の制圧および、指定された異能犯への処罰執行を目的として設置された公的機関。事件の調査や犯人の立証を行う捜査機関ではなく、他機関によって危険対象と認定された人物や組織に対し、直接的な制圧行動を行う。
緊急性が高いと判断された場合には、逮捕、勾留、起訴といった通常の手続きを省略し、現場で処罰を執行できる特例権限を有する。執行内容は対象の危険性や被害規模によって異なり、武装解除や身柄拘束に限らず、再起不能を目的とした制圧が許可される場合もある。
所属する実働員の多くは、異能戦闘に特化した少数精鋭の発現者で構成されている。救助活動や被災地域の復旧は原則として任務に含まれず、指定対象の無力化および処罰の完遂が最優先される。
大規模な異能犯罪ではTEO財団と同時に派遣される場合もある。TEO財団が住民の避難、負傷者の救護、被害区域の封鎖を担う一方、A.C.E.はそれらを他組織へ一任し、異能犯の制圧へ直行する。
つまり、A.C.E.の出動は対象が既に「容疑者」ではなく、「凶悪犯」として認定されたことを意味している。




