血染めのドレスと淑女の嗜み
「アリア、お前を皇太子殿下の婚約者候補として推挙することになった」
父であるバスク公爵の言葉に、アリアは内心で「来たか」と呟いた。
日課のダンジョン通い(表向きは兄の特訓の付き添い)から帰宅し、泥を落として着替えた直後のことだ。
前回の人生では、この婚約が破滅の入り口だった。
だが、今回のアリアにとって、それは単なる通過点であり、同時に「レベル上げの障害」でしかない。
(面倒だけど、断れば怪しまれるし……適当にこなして、隙を見てダンジョンに行けばいいわね)
「承知いたしました、お父様」
アリアは淑女の微笑みで応えた。
その瞳の奥で、『効率的なワイバーン解体法』のページを開いているとは、父は夢にも思うまい。
***
皇太子ディーン・ジェット・ルアンの五歳の誕生日を祝う祝賀会。
王宮の庭園には、色とりどりのドレスを纏った貴族の令嬢たちが集められていた。
彼女たちは皆、未来の国母となるべく着飾った、いわばライバル同士だ。
「皆様、本日はようこそお越しくださいました」
壇上には、金髪碧眼の美少年、皇太子ディーンが立っていた。
確かに顔だけはいい。前世のアリアが惚れたのも無理はない。
だが、今のアリアには『Lv.3 温室育ちのヒヨッコ』というラベルが額に貼られているようにしか見えなかった。
(さて、そろそろね)
アリアは空を見上げた。
前回の人生。この祝賀会の最中、制御を失った空飛ぶ魔物、ワイバーンの群れが襲来したのだ。
その時、アリアは恐怖で動けず、騎士たちが撃退するまで震えていることしかできなかった。
それが「頼りない令嬢」というレッテルの一因にもなった。(他の令嬢どころか、ディーンも固まり震えていたのに…)
だが――
「キシャアアアアアッ!!」
突如、空気を切り裂くような鳴き声が響き渡った。
快晴の空を、巨大な翼を持つ影が覆い尽くす。
ワイバーンだ。しかも、五体。
「きゃあああああっ!」
「魔物だわ! 逃げて!」
「騎士様! 騎士様はいらっしゃらないの!?」
会場は瞬く間にパニックに陥った。
令嬢たちは悲鳴を上げ、逃げ惑う。
肝心の皇太子ディーンも、顔面蒼白で腰を抜かし、へたり込んでいる。
「ひっ……く、来るな……!」
ワイバーンの一体が、無防備なディーン目掛けて急降下する。
護衛の騎士たちが駆けつけるには、距離がありすぎる。
誰もが絶望した、その時。
「うるさいわね」
凛とした声が響いた。
次の瞬間、白い影が舞った。
アリアだ。
純白のドレスを翻し、彼女はまるでダンスのステップを踏むように、ディーンの前に立ちはだかった。
その手には、どこからともなく取り出した(インベントリから出した)ミスリル製のレイピアが握られている。
「『風よ(ウィンド)』――跳躍」
アリアの体が、ふわりと宙に浮いた。
五歳児とは思えない跳躍力で、急降下してきたワイバーンの鼻先へと躍り出る。
「そこ、邪魔よ」
アリアは空中で回転しながら、レイピアを一閃させた。
銀閃が走る。
ワイバーンの硬い鱗など、紙切れ同然だった。
ズバァンッ!!
首を切断されたワイバーンが、血飛沫を上げながら庭園の噴水に突っ込んだ。
「え……?」
ディーンが呆然と呟く。
だが、アリアのダンスは終わらない。
着地することなく、彼女は空中の足場を蹴り、残りの四体に向かって突撃した。
「『氷結界』!」
アリアがレイピアを掲げると、空気が凍りついた。
襲いかかろうとしていたワイバーンたちの翼が、瞬時に凍結する。
「落ちなさい」
アリアが指を振り下ろすと、氷の重さに耐えきれなくなった四体が一斉に墜落した。
ドガガガガッ! と凄まじい音を立てて地面に叩きつけられる魔物たち。
アリアは優雅に着地し、動けなくなったワイバーンたちの眉間を、的確に、そして無慈悲に貫いていった。
「一匹、二匹、三匹……はい、終了」
レイピアについた血を振って払い、アリアはインベントリに武器をしまった。
静寂が、会場を包み込む。
白いドレスには一滴の返り血もついていない。完璧な所作だった。
アリアは振り返り、震える令嬢たちに微笑みかけた。
「皆様、お怪我はありませんか?」
その姿は、あまりにも美しく、そしてあまりにも強大だった。
恐怖で泣いていた令嬢たちの瞳に、光が宿る。
「す……すごい……」
「アリア様……なんてお強いの……!」
「あんな恐ろしい魔物を、一瞬で……!」
「あ、アリア様! 私、一生ついていきます!」
「私もです! どうか、その強さの秘訣を教えてください!」
令嬢たちが、次々とアリアの周りに集まり始めた。
それはもはや、アイドルを取り囲むファンのようであり、救世主にすがる信者のようでもあった。
一方、皇太子ディーンは。
「……あ、あ……」
彼は、目の前の光景を理解できずにいた。
自分を守るはずの騎士よりも早く、自分と同じ五歳の少女が、化け物を皆殺しにしたのだ。
その圧倒的な力の前に、男としてのプライドは粉々になり、代わりに原始的な「恐怖」が刻み込まれた。
(こ、殺される……逆らったら、僕もあのトカゲみたいに……)
アリアがチラリとディーンに視線を向ける。
ディーンは「ヒッ」と短い悲鳴を上げ、さらに縮こまった。
「殿下もお怪我がないようで何よりです」
アリアは形だけのカーテシーをして見せたが、その目は笑っていなかった。
『弱っちい男』。そう語っているようだった。
こうして、皇太子の誕生日祝賀会は、アリアによる「最強令嬢伝説」の幕開けとなり、同時に「アリア親衛隊(令嬢支部)」が結成される記念すべき日となったのである。
前生での出会いは、ワイバーンから守ろうと手を広げ、ディーンを必死に守ろうとしたアリア。ワイバーンがギァオスと、一鳴きした事で腰が抜け動けなくなりました。ディーンがアリアの勇敢さと可愛らしさに一目惚れ。婚約に至りました。
今回は恐怖に駆られるディーン王子…




