第一話 凱旋の支度
シュヴァルツ伯との戦いを終えたアレクたちは、国王の召しに応じて王都へ向かうことになりました。四百挺の火縄銃を伴う凱旋へ向け、領地の留守と新たな射手、秘密を守るための準備を整えていきます。
国王からの召しが届いた翌朝、俺はほとんど眠れていなかった。
夜遅く、アイヒェンタールの中心にあり、領主館が置かれているアイヒェン村へ戻り、エリーゼへの手紙を書き終えた頃には、窓の外がわずかに白み始めていた。それでも寝台へ横になると、王都、国王、子爵、四百挺という言葉が次々に浮かび、目を閉じても頭の中だけが働き続けた。
ようやく眠ったと思った直後、扉を叩く音で目を覚ました。
「アレク様、朝の報告をお持ちしました」
「入ってください」
返事をしてから、まだ鎧を着ていないことに気づく。
戦が終わってからも、朝になるとマティアスから贈られた鎧を着ることが増えていた。以前の服より動きやすく、山道を歩いても邪魔にならない。何より、領民や兵の前へ出た時、俺がこの土地を預かる者だと伝わりやすかった。
だが、今日は急いで着る必要もない。
入ってきた書記が抱えていたのは剣でも火縄銃でもなく、薄い木板に挟まれた何枚もの報告書だった。
「村長たちは揃っていますか」
「はい。広間でお待ちです」
「朝食を食べながら話を聞きます。皆さんにも何か用意してください」
「承知しました」
顔を洗い、服を整えて広間へ向かう。
長い机の上には、黒パン、温めた豆の煮込み、薄く切った燻製肉が並んでいた。領主の朝食としては質素なのかもしれないが、出発までに決めなければならないことを考えると、豪華な食事をゆっくり味わう時間はなかった。
集まっていたのはアイヒェン村の村長、周辺集落をまとめる者、領主館の書記、倉の管理を任せている者、山道の見回りを担当する元兵士だった。
全員が立ち上がろうとしたため、俺は手で制した。
「座ったままで構いません。食べながら話しましょう」
「よろしいのですか」
「皆さんにも仕事があります。私を待つために朝食を抜かれては困ります」
俺が先にパンをちぎると、皆も遠慮がちに食べ始めた。
「最初に、戦へ出た家のことを聞かせてください」
アイヒェン村の村長が書記の作った名簿を開いた。
「この領地から戦へ出た者のうち、亡くなった者はおりません。負傷者は七人。二人はまだベルグハーフェンの治療所におりますが、命に別状はないと聞いています」
「畑へ戻れない者は」
「今のところ一人です。左足を深く斬られ、傷が治っても以前のようには動けないかもしれないと」
「家族は?」
「妻と子供が二人おります」
「今年と来年の税を免除してください。本人が戻った後、領主館か倉でできる仕事があるか確かめます」
「畑はどういたしましょう」
「近隣の家へ頼み、収穫を手伝ってもらってください。手伝った家には、領主の倉から穀物を出します」
「どれほど出せば」
「手伝った日数と人数を記録し、後で書記と決めてください。先に一律の量を決めると、大きな畑と小さな畑で不公平になります」
俺が細かな量まで決める必要はない。
必要なのは、負傷した一人の家族が冬を越せるようにすることと、手伝った者が損をしない仕組みを作ることだ。
「次に、街道の補修です」
山道の見回りを担当する男が地図を広げた。
「雨で崩れた箇所は三つあります。荷車が通れないほどではありませんが、王都へ向かう軍が通れば広がる恐れがあります」
「凱旋軍をこの道へ通す予定はありません」
アイヒェンタールの山道は、ベルグハーフェンへ抜ける近道ではある。しかし、二千人を超える兵と荷車を通せば、細い道も小さな橋も傷んでしまう。
「それでも直してください。薪や木炭を運ぶ荷車が増えれば、いずれ崩れます」
「人手が足りません」
「戦へ出なかった村人だけで直す必要はありません。ベルグハーフェンへ木材を運んだ帰りの荷車に石を積ませます。石を下ろす場所を決め、道の近くへ集めてください」
「商会の荷車を使うのですか」
「マティアス様へ頼みます。帰り道に何も積んでいない荷車だけです。積み荷があるものには無理をさせません」
前世で働いていた時も、行きだけ荷物を満載し、帰りは空になる輸送があった。
ただし、荷車へ何でも積めるわけではない。石を積みすぎれば車軸が折れるし、馬も疲れる。
「一台に積む量は、荷車を扱う者に決めてもらってください。多く運ぶことより、壊さず続けることを優先します」
「承知しました」
「冬に備えた薪は」
倉の管理人が別の帳簿を開く。
「アイヒェン村は足りています。北側の二つの集落で不足する見込みです」
「薪を切る場所を増やしますか」
「いいえ」
俺は首を振った。
「今年だけ不足を補うために近い木を切りすぎれば、来年はもっと遠くまで取りに行くことになります。倒木と、木材に使えない枝を先に集めてください。それでも足りない分はアイヒェン村の蓄えから回します」
「アイヒェン村の者が反対するかもしれません」
「無償では取りません。北側の集落には、春に道の補修を手伝ってもらいます」
金だけで税や労働を動かせるほど、この領地には銀貨が流通していない。
薪を受け取る代わりに、雪が解けた後の労働を約束してもらう。記録さえ残せば、現物と労働でも取引はできる。
報告は木炭、蜂蜜、皮革、山羊の数へ続いた。
一通りの報告を聞いた後、俺は机の中央へ一枚の紙を置いた。
「しばらく領地を空けます」
村長たちの表情が変わった。
「また戦でしょうか」
「違います。国王陛下にお会いするため、レオンハルト殿下と王都へ向かいます」
広間が静かになる。
国王という言葉は、山間の小さな村に暮らす者にとって、隣村の領主よりはるかに遠い存在だ。
「いつお戻りになるのでしょうか」
「まだ分かりません。王都までの往復だけでも日数が掛かります。だから、私がいない間の決め方を残します」
俺は紙に書いた項目を順番に説明した。
穀物倉から一度に出してよい量。
道や橋が壊れた時に集めてよい人数。
盗賊が出た時、誰が見回りの兵を動かすのか。
火事が起きた場合、どの倉を先に守るのか。
領境を越える問題が起きた時は、勝手に兵を動かさず、ベルグハーフェンへ使者を出すこと。
「私の許可を待っていたら間に合わない場合もあります」
俺は一人ずつ顔を見た。
「人命に関わることは、ここにいる皆さんで決めてください。後から責めるためではなく、同じ失敗を繰り返さないために、誰が何を決めたかだけは残してください」
「我々だけで決めてよろしいのですか」
「決めてもらわなければ困ります。私が王都から戻るまで、壊れた橋を眺め続けるわけにはいかないでしょう」
不安そうな顔は消えなかった。
当然だと思う。
これまでは何かあれば、領主館へ来て俺の判断を求めればよかった。任されるということは、間違えた時の責任も負うということだ。
「一人で決める必要はありません。村長、書記、倉の管理人の三人で確認してください。兵を動かす場合は、見回りの責任者も加えます」
「意見が分かれた場合は」
「人の命と、後から取り戻せないものを先に守ってください。銀貨や木材は失っても集め直せます」
俺自身に言い聞かせているような言葉だった。
火縄銃の部品も、火薬も、帳簿も大切だ。
だが、それを守るために人を使い捨てれば、何のための領地なのか分からなくなる。
「それから、山の試験場へ近づく者がいた場合は、警備の兵へ知らせてください。領民が自分で捕まえようとする必要はありません」
「何を試している場所なのですか」
「兵の装備と訓練です」
それ以上は話さなかった。
村長も深く尋ねなかった。
領地の者たちにとって、山の奥で何度か響く音は、まだ詳しく知る必要のない軍の仕事だった。
やがて、その秘密を守り続けることは難しくなる。
三千人の火槍隊を作るなら、兵舎も訓練場も火薬庫も増える。何も知らない領民の目を永遠に欺くことはできない。
それでも、今はまだ伏せておく。
王都へ向かう四百人の一斉射撃が何を意味するのか、俺たち自身にも分かり切っていなかった。
◇ ◇ ◇
会議が終わった後、俺は自室へ戻った。
机には、昨夜書きかけたエリーゼへの返事が残っている。
インクは乾いていたが、最後の一文だけが決まっていなかった。
もう一度、エリーゼから届いた手紙を開く。
シュヴァルツ伯を討ったことを、すべて一人で背負わないでほしい。
自分には何も変えられないかもしれないが、話を聞くことはできる。
帰る場所が広くなっても、手紙が届かないほど遠くへ行かないでほしい。
俺が何を書いても、心配を完全に消すことはできない。
無事ですと書いたところで、すでに戦場へ出た後だ。心配しないでくださいと頼むのは、心配をかける行動をした側の勝手だろう。
だから、今回は自分がどこへ行くのかを隠さず書くことにした。
『近いうちに、王都へ向かうことになりました。レオンハルト殿下が国王陛下から召しを受け、マティアス様や私も同行します』
そこで筆を止め、少し考える。
『シュヴァルツ伯との戦いについて、陛下へ直接お話しすることになるようです。何を聞かれるのか考えるだけで、戦場とは違う緊張を感じています』
国王の前へ立った経験などない。
アルベルトやレオンハルトと初めて会った時も緊張したが、今では二人の表情から、ある程度は考えを読めるようになった。
国王は違う。
どのような人物なのか。
レオンハルトとどのような兄弟関係にあるのか。
商人上がりのマティアスと、身元の分からない俺へ爵位を与えることを、本心ではどう考えているのか。
分からないことばかりだった。
『正式に決まったわけではありませんが、私の立場が変わるかもしれません。手紙へ書くだけではうまく伝えられないため、戻った時に直接お話ししたいと思っています』
子爵という言葉は書かなかった。
国王の前へ出る前から、自分が子爵になると決まったように知らせたくなかった。
『以前見ていただいた鎧も、王都へ持っていきます。マティアス様から、身なりを気にしなさすぎると言われて贈られたものですが、国王陛下の前へ着ていっても失礼にならないか、今になって不安になってきました』
あの鎧を着た俺を見て、エリーゼは似合っていると言ってくれた。
本人は少し照れながら言っていたが、その言葉を思い出すだけで、王都へ持っていくことへの迷いは薄くなる。
『首飾りを大切にしてくださっていると知り、安心しました。次にお会いした時も身につけてくださっていたら、きっと嬉しいと思います』
書いてから、あまりにも素直すぎた気がして消したくなった。
だが、乾く前の文字を削れば紙が汚れる。
俺は諦めて、そのまま続けた。
『王都へ向かっている間も、手紙はベルグハーフェンへ送ってください。戻るのが遅くなっても、必ず受け取ります。私からも、途中の宿場か王都から書きます』
最後に、自分の名を書いた。
折り畳んだ手紙へ封をし、届ける使者を手配する。
アルヴェインへ向かう荷車は、数日後にベルグハーフェンを出る。俺たちが王都へ出発するより先に手紙を送り出せるはずだ。
返事がいつ届くかは分からない。
それでも、戦の最中には止まりがちだった文通を、今度は途切れさせたくなかった。
◇ ◇ ◇
ベルグハーフェンの工場では、追加の百挺を作る作業が続いていた。
シュヴァルツ伯との決戦で使った三百挺は、すでに一度すべて分解され、煤や火薬の残りを落とし、不具合がないか確かめられている。
筒に異常がなかったとしても、ばねが弱くなっているものや、掛け金が摩耗しているものがあった。
戦場で撃てたから、次も撃てるとは限らない。
「三百挺のうち、部品交換が必要だったのは二十七挺」
ロルフが帳簿を指で叩いた。
「木台の割れが六。ばねが弱くなっていたものが九。火縄ばさみが歪んだものが四。掛け金と引金の調整が必要なものが八だ」
「筒は?」
「煤がひどいものはあったが、割れや膨らみは見つかっていない」
「すべて試射できますか」
「修理したものから撃つ。戦場から戻ってきた時に外から見ただけで、使えると決める気はない」
「お願いします」
ロルフの後ろでは、複数の検査役が部品を確認していた。
以前なら、最後の検査はほとんどロルフ一人へ集中していた。今は部品ごとの検査を任せられる者が育ち、ロルフがすべてを最初から見る必要はなくなっている。
ただし、筒と完成品の最終確認は、今もロルフと限られた職人が行っていた。
「追加分は?」
「今日の分で十挺。これで新しく完成したのは三十挺だ」
壁際の台へ、油を薄く塗られた火縄銃が並んでいた。
一見すると同じ形に見える。
だが、木台の色も、金具のわずかな厚みも完全に同じではない。
工場を建て、工程を分けても、すべてが同じ品質になるわけではなかった。
「この十挺を試射場へ運びます」
「先に帳簿へ番号を記録しろ」
「分かっています」
「分かっていると言う奴ほど忘れる」
「ロルフが何度も言うから忘れられません」
「なら、もう一度言っても困らん」
完成品には番号を刻み、どの職人がどの部品を作ったのかを記録する。
不具合が出た時、一挺だけの偶然なのか、同じ職人が作った部品に共通する問題なのかを調べるためだ。
十挺を木箱へ収めると、クレーマー商会の護衛が試験場へ運んでいく。
追加の百挺すべてが揃うまで待つ必要はない。
完成し、検査を通った十挺から兵へ渡し、訓練へ使う。
王都への出立までに百挺が揃ったとしても、初めて触れた兵がすぐに一斉射撃できるわけではないからだ。
「国王陛下へ見せる一挺も選びたいのですが」
俺が言うと、ロルフの眉間の皺が深くなった。
「撃つのか」
「撃ちません。王宮へは火薬も弾も持ち込みません」
「なら、何を見せる」
「構造です」
「どこまでだ」
「レオンハルト殿下が判断します。ただ、筒の中や細かな部品まで見せるつもりはありません」
「王に見せた後は戻すのか」
「その予定です」
「予定では困る」
ロルフにとって、相手が国王でも火縄銃の扱いは別らしい。
「献上品にはしません。国王陛下へ見せるために持参し、終われば持ち帰ります」
「なら、最初の一挺を持っていけ」
「試作品を?」
「あれはアルベルト様へ渡した」
「そうでした」
最初の試作品と開発記録は、従来型火槍を借りた条件としてアルベルトへ渡している。
「今ある中から、動きが一番安定しているものを選ぶ」
「新しく完成した一挺ではなくてよいのですか」
「見た目だけ新しいものを王へ見せてどうする。何度も撃ち、壊れず、部品を交換した記録のあるものを選ぶ」
「使った実績を優先するのですね」
「武器だ。飾りではない」
ロルフは修理を終えた三百挺の帳簿をめくった。
「この一挺だ。戦で何度撃ったかも残っている。筒、ばね、掛け金に異常なし。木台には傷があるが、磨けば目立たん」
「傷も残した方が、戦場で使ったものだと分かりませんか」
「王へ汚れたものを見せろと言うのか」
「煤や錆は落としてください。傷だけです」
ロルフは俺を見た。
「お前が決めろ」
「残します」
「なら、木台へ油だけ塗る」
選ばれた一挺から火縄を外し、筒内が空であることを確認する。
王宮へ持ち込む直前にも、王宮側の者が検査する。
それを嫌がる理由はなかった。
「木箱は私が用意します」
近くで話を聞いていたクレーマー商会の担当者が言った。
「鍵を付けますか」
「鍵だけでは、箱を開けたか分かりません」
俺は答えた。
「革紐で縛った上から封蝋をしてください。途中で封が壊れた場合は、その場で箱を開けて中を確認します」
「火薬と弾は」
「同じ荷車へ積みません。王都へ運ぶ空砲用の火薬も、別の荷車で管理します」
「城門を通る時には?」
「王都側の役人に数を確認させます。祝砲に使った残りは、王都の外に置いた陣へ戻します」
「一発筒は持ち込みますか」
「国王陛下へ見せる箱には入れません」
一発筒は、試作品をアルベルトへ渡した後に作られた運用道具だ。
国王へ火縄銃を見せるからといって、関連するものをすべて並べる必要はない。
見せる一挺を決めた後、俺は工場の別棟へ向かった。
そこでは、四百挺を包むための覆いが作られていた。
油紙だけでは、行軍中に枝や荷車の角へ触れた時に破れやすい。革だけでは重くなり、雨が続けば内側へ湿気がこもる。
そこで、火縄銃へ油紙を巻いた上から、筒と発射機構を隠す革の覆いを被せることになった。
木台の下側まで完全に包むのではなく、銃口から火皿、引金までを隠し、肩へ担ぐための部分だけを残す。
「四百枚すべてを厚い革で作れば、時間も金も掛かります」
担当者が試作品を差し出した。
「外側は薄い革です。擦れやすい銃口と金具の周りだけ二重にしています」
「雨は」
「縫い目へ油を塗ります。ですが、水へ浸せば中まで濡れます」
「行軍中の雨を防げれば十分です」
火縄銃へ被せてみる。
外から見えるのは、細長い革の包みと木台の一部だけだった。
従来型火槍と比べれば短いことは分かる。それでも、火皿、火蓋、火縄ばさみ、引金の形までは見えない。
「着脱にどれくらい掛かりますか」
「慣れた者なら一挺につき十数えるほどです」
「四百人が同時に自分の銃へ掛けるなら、それほど待たせずに済みますね」
「ただし、撃った直後は使えません」
「筒が熱いからですか」
「それもあります。火縄や火皿に火が残っていれば、油紙へ燃え移る恐れがあります」
「祝砲の後は、銃身が冷えるまで整列したまま確認します」
見栄えだけを考えれば、撃った直後に火縄銃を隠し、白煙の中から何事もなかったように行進を始める方が印象的かもしれない。
だが、四百挺の火縄銃へ油紙を巻いて火事を起こせば、違う意味で王都の記憶へ残ってしまう。
「火縄を外す。火皿を空にする。点火孔と筒内を確認する。筒が冷えた後に油紙を巻き、革の覆いを掛ける。この順番を兵へ覚えさせます」
「覆いには番号を付けますか」
「付けてください。火縄銃と同じ番号でなくても構いませんが、誰に渡したかは残します」
「革までですか」
「四百枚あれば、なくす者が出ます」
担当者は苦笑したが、すぐに書記へ指示を出した。
武器を隠すための覆いも、作っただけでは運用できない。
保管し、配り、回収し、濡れれば乾かす者が必要になる。
火縄銃が増えるたび、武器以外の仕事も同じように増えていった。
◇ ◇ ◇
試験場には、四百人の射手候補が集められていた。
シュヴァルツ伯との戦いで撃った三百人に加え、これまで弾薬運搬や火縄の管理をしていた支援兵百人が並んでいる。
新たに支援を担当する者たちは別の場所で訓練を受けていた。
射手が百人増えたからといって、部隊全体が百人増えるだけでは済まない。
四百人分の火薬、弾、一発筒、予備の火縄を運ぶ者。
負傷者を運ぶ者。
火薬の荷車を守る者。
空になった一発筒を回収する者。
壊れた火縄銃を後方へ運ぶ者。
戦では撃つ者ばかりが目立つが、支援を減らせば、撃てる回数が減る。
「今日は、王都の門前で行う祝砲の訓練をする」
ギルベルトが四百人へ告げた。
「弾は使わない。実戦の射撃と同じつもりで勝手に装填するな」
四百人は百人ずつ四つの隊列へ分かれていた。
戦場では一班、二班、三班による交代射撃を行ったが、今回は四百人が一度だけ同時に撃つ。
敵へ途切れず弾を送るための並び方ではない。
銃口を安全な方向へ揃え、号令を全員へ同時に届けるための隊列だ。
「空砲用の容器を見せろ」
ヴォルフラムの号令で、先頭の兵たちが容器を掲げた。
獣の角を加工した点は一発筒と同じだが、長さを短くし、表面に二本の深い溝を刻んである。
暗い場所でも、手で触れば実戦用と区別できる。
中に入っているのは量を減らした火薬だけで、弾は入っていない。
「実戦用の一発筒とは別の箱に入れる。二つを同じ場所へ置くな」
ギルベルトが続ける。
「王都へ実戦用の弾薬箱を持ち込む者はいない。自分の箱が空であることは、出発前、宿営地、門前の三度確認する」
「はい!」
四百人の声が返ってきた。
試験場の前方には、人も馬も荷車も置いていない。乾いた草は刈り、土をむき出しにしてある。
銃口は水平ではなく、斜め上へ向ける。
火薬が筒の奥から動かないよう、薄い羊毛の詰め物を軽く押し込むが、弾のように強く押し固めない。発射時には前方へ飛ぶ可能性があるため、銃口の向こうには誰も立たせなかった。
「装填」
火薬が筒へ入れられる。
火縄を落とす金具を兵が手で引き上げ、羊毛を軽く押し込む。
火皿へ細かな火薬を置き、火蓋を閉じる。
実戦なら一発筒を取るところから急がせるが、今日は速度を競わない。
一人でも間違えれば、四百人全員を止める。
ギルベルトとヴォルフラムが列の間を歩き、装填を確認する。
俺は少し離れた高台から全体を見ていた。
四百人。
三百人でも広く感じた射線が、さらに横へ伸びている。
王都の門前には、これだけの幅を取れる場所があるのだろうか。全員を一列へ並べられなければ、前後二列にし、後列を一段高い場所へ置く必要がある。
だが、城門前に都合よく段差があるとは限らない。
「アレク様」
近くに来たギルベルトが声を掛けた。
「装填は終わりました」
「前後の間隔を、もう半歩広げてください」
「二列目の銃口ですか」
「はい。前列の兵が驚いて後ろへ下がった時、後列の銃口に触れます」
「下がらないよう訓練します」
「それでも下がる者はいます」
ギルベルトは一度隊列を見渡し、間隔を広げさせた。
四百人が動くと、それだけで時間が掛かる。
戦場なら敵が待ってくれることはない。
ただ、今回の相手は敵ではなく、王都に集まる人々の目だ。
「点火」
火縄へ火が移される。
細い煙が四百か所から立ち上った。
「火縄確認!」
各百人隊の指揮を任された者が、一列ずつ火縄を見て回る。
一人の火縄が途中で消えていた。
別の一人は、火縄ばさみに挟んだ位置が浅い。
撃つ前に直せた。
実戦より時間を掛けられる祝砲で、確認を省く理由はない。
「構え!」
四百挺の火縄銃が斜め上へ向けられた。
ギルベルトが赤い布を高く掲げる。
後方の兵からも見えるよう、通常より長い棒の先へ結んでいた。
同時に、ヴォルフラムの横で角笛を持つ兵が息を吸う。
目だけでは、前列の兵が後列を隠す。
耳だけでは、風向きや周囲の音で合図が遅れる。
赤い布と角笛の両方を使い、二つが揃うまで撃たせない。
角笛が鳴った。
赤い布が振り下ろされる。
轟音が試験場を揺らした。
四百挺が完全に一つの音になったわけではない。
最初の発砲から最後まで、わずかなずれがあった。それでも、離れて聞けば巨大な一発に近い。
白煙が横一面へ広がる。
山の斜面へ音がぶつかり、少し遅れて戻ってきた。
胸の奥まで震える。
発射を知っていた俺でさえ、無意識に肩へ力が入った。
「火縄を上げろ! 再装填するな!」
ギルベルトの声が響く。
「その場を動くな!」
ヴォルフラムも叫ぶ。
煙の向こうで、一人の兵が火縄を落とした。
別の兵は、発射したつもりで銃口を下げたが、火皿の火薬だけが燃え、筒内へ火が届いていない。
「不発! 銃口を上へ向けたまま待て!」
周囲の兵が離れる。
遅れて発砲する可能性がある。
兵は顔をこわばらせながらも、銃口を斜め上へ保った。
しばらく待っても音はしなかった。
火縄を外し、火皿の火を消してから、担当の職人がその一挺を受け取る。
「全員、火皿を確認!」
四百人が火縄を外す。
点火孔の周りに燃え残りがないか確認し、筒内へ水を入れることはせず、掃除用の棒で残りを確かめる。
筒が冷えるまでは覆いを掛けない。
「最初の音と最後の音で、どのくらいずれましたか」
俺が尋ねると、少し離れた場所で聞いていた兵が答えた。
「三つ数えるほどではありません。一つ数えるより短いです」
「王都では、もっと揃えたいですね」
「初めて四百人で撃ったにしては十分では?」
ヴォルフラムが言った。
「十分だと思ったところから崩れます」
「ギルベルトから聞いていたとおりですね」
「何をですか」
「アレク様は、できなかった時より、できた時の方が細かくなると」
ギルベルトを見ると、視線を逸らされた。
「褒めたのですが」
「今の話のどこに褒めるところがありましたか」
「気のせいでしょう」
俺は煙の薄れた隊列を見た。
「火縄が消えた者が一人。不発が一挺。発射が遅れた者が十人ほど。火縄を落とした者が一人ですね」
「記録させます」
「不発の原因が分かるまでは、その一挺を使わないでください」
「承知しました」
「もう一度撃ちますか」
ヴォルフラムが尋ねる。
「今日は撃ちません」
「一回だけで終わりですか」
「四百人分の火薬を何度も使えば、祝砲だけでかなりの量を消費します。次は木製の模擬銃で、合図と発射後の動きを繰り返します」
兵に経験を積ませる必要はある。
だが、王都へ見せるためだけに、実戦で使える火薬を大量に燃やすわけにはいかない。
「覆いを掛けるところまで続けます」
筒が冷えたことを確認し、兵たちへ油紙と革の覆いが配られた。
火縄を外す。
火皿を空にする。
点火孔を確認する。
筒の熱を確かめる。
油紙を巻く。
革の覆いを被せる。
順番を飛ばした者は最初からやり直す。
四百挺が覆われると、先ほどまで火と煙を吐いた武器には見えなくなった。
同じ形の細長い革包みを肩へ担いだ兵が、四百人並んでいるだけだ。
何の武器か分からないからこそ、不気味にも見える。
「これで王都の市街を歩きます」
俺は兵たちへ告げた。
「門前で見た者には、火を吐いた武器だと分かるでしょう。ですが、近くを歩く市民に、仕組みまで見せる必要はありません。覆いは宿営地へ戻るまで外さないでください」
「破れた場合はどうしますか」
一人の兵が尋ねた。
「その場で自分だけ直そうとせず、近くの指揮官へ知らせてください。予備の覆いを用意します」
「雨で濡れた場合は」
「油紙まで水が染みたなら、王都の中では開かず、指定した宿営地へ戻ってから確認します」
「火縄はどこへ」
「祝砲の後、百人隊ごとに回収します。市街では火種も持ち歩きません」
四百人の兵が返事をする。
見せることと、隠すこと。
相反する二つを、同じ日の同じ武器で行おうとしている。
門前では音と煙を見せつけ、市街へ入れば構造を覆い隠す。
王都の者たちは、見えなかった部分を自分たちで想像するだろう。
おそらく、実物以上に恐ろしい武器として。
◇ ◇ ◇
追加の百挺が完成へ近づいた頃、ヴィクトル、カスパル、ロベルト、エイドリアンがベルグハーフェンへ戻った。
四人とも、自分の領地を離れる準備に時間を掛けていた。
若くして家督を継いだ彼らにとって、信頼できる家臣を留守へ残すことは簡単ではない。
古くから父親へ仕えていた者の中には、レオンハルトへの帰順を快く思わない者もいる。若い領主が王都へ向かっている間に、シュヴァルツ伯の残党と通じる可能性もあった。
マティアスは四人から留守を任せる家臣の名と、その者が管理する兵数、倉、城門の鍵まで聞き取った。
「家臣を信用するなとは言わん」
マティアスが言った。
「だが、信用しているから確認しないというのは、領主の怠慢だ」
「はい」
四人が答える。
「王都へいる間も、五日ごとに領地から報告を送らせろ。異変がなくてもだ」
「何もないと書くだけでも送らせるのですか」
エイドリアンが尋ねた。
「何もないという報告が来なくなった時、初めて異変に気づくのでは遅い」
「承知しました」
「王都で勝手に他の貴族と約束をするな。領地の婚姻、借金、通行税、兵の貸し借りについて話を持ち掛けられたら、俺へ知らせろ」
四人は若い。
王都の貴族から見れば、シュヴァルツ伯を裏切って生き残った、経験の浅い領主だ。
親切に手を差し伸べるように見せて、領地や街道へ手を伸ばそうとする者もいるだろう。
「国王陛下にお会いした後、我々の領地は本当に安堵されるのでしょうか」
カスパルが尋ねた。
「俺に聞いても決められん」
マティアスは答えた。
「レオンハルト殿下の求めは受け入れると書かれていた。だが、正式な書状へ国王の印章が押されるまでは、決まったと思うな」
「もし認められなければ」
「認めさせるために王都へ行く」
マティアスは当然のように言った。
「お前たちが戦の前からこちらへ情報を送り、自分の領地を危険に晒してでもシュヴァルツ伯の軍を分断した。その事実を、自分たちの口で話せ」
「父たちがシュヴァルツ伯へ従ったことも?」
「隠すな。国王はすでに知っている」
ヴィクトルが静かに息を吐いた。
その視線が、少し離れて立っていた俺へ向く。
俺はマティアスへ断り、ヴィクトルと二人で部屋の外へ出た。
館の中庭では、王都へ同行する兵が荷車を整えていた。
しばらく、どちらも口を開かなかった。
「国王陛下は、父の最期もお尋ねになるでしょうか」
先に話したのはヴィクトルだった。
「分かりません」
「尋ねられたら、あなたが話しますか」
「必要なら話します」
俺は答えた。
「ですが、私が直接見たのは、火縄銃を撃ったところまでです。その後のすべてを見たわけではありません」
「父は、あなたの火槍隊に討たれた」
「はい」
「今は火縄銃と呼ぶのですね」
「レオンハルト殿下の軍の中では」
「王都では?」
「新型の火槍と呼ぶことになると思います」
ヴィクトルは中庭に積まれた革の覆いを見る。
「隠すのですか」
「仕組みは見せません」
「我々にも?」
「あなた方には、戦場で撃つところを見られています」
「撃つところと、作り方は違う」
「そのとおりです」
ヴィクトルは少しだけ笑った。
「正直ですね」
「嘘をついても、いずれ分かります」
「では、私も正直に言います」
笑みが消えた。
「父を討った武器を増やしているあなたを、まだ仲間だとは思えません」
「はい」
「ですが、憎んでいるだけでもありません。父が戦場へ出たことも、シュヴァルツ伯へ従うと決めたことも事実です」
「そう思えるようになる必要はありません」
「どういう意味ですか」
「私を許さなければ、マティアス様へ仕えられないわけではありません。仕事で必要な時に協力できれば、それで十分です」
「あなたは、私がいつか背中から斬るとは思わないのですか」
「思わないとは言えません」
ヴィクトルが目を細める。
「そこは否定するところでは?」
「否定して安心できるなら言います」
「結構です」
彼は中庭へ視線を戻した。
「あなたも、私を信用していないのですね」
「信用しようとしています。ただ、何もなかったことにはできません」
「同じです」
それ以上の言葉は必要なかった。
すぐに友人のようになる方が不自然だ。
消えないものを抱えたままでも、同じ主君の下で働くことはできる。
マティアスが四人を臣下として受け入れたからといって、俺たち五人の関係が一日で変わるわけではなかった。
「王都では、父のことを自分の口で話します」
ヴィクトルが言った。
「父の選択も、私の選択も」
「私も、自分がしたことを話します」
「小さく見せず、大きく見せずに?」
「レオンハルト殿下にも同じことを言われました」
「難しそうですね」
「難しいです」
今度は、二人とも少しだけ笑った。
◇ ◇ ◇
国王からの召しが届いてから二十七日目。
追加の百挺がすべて完成した。
最後の十挺が試験場へ運ばれ、ロルフたちの確認を受ける。
一挺ずつ試射し、火縄ばさみ、ばね、掛け金、引金の動きを確かめる。筒の外側だけでなく、発射後の煤や点火孔も調べる。
作業を急がせることはあっても、検査を省かせることはなかった。
四百挺を揃えて王都へ見せるために、一人の兵の顔の前で筒を破裂させるわけにはいかない。
「最後の十挺、すべて使える」
ロルフが告げた。
「ありがとうございます」
「王都で壊すな」
「撃つのは一度だけです」
「一度なら壊れないという武器はない」
「分かっています」
「戻ったら全部調べる」
「四百挺すべてですか」
「撃ったなら調べる」
ロルフは当然のように言い、国王へ見せる火縄銃が入った木箱へ目を向けた。
箱は革紐で縛られ、封蝋が押されている。
「それも戻せ」
「努力します」
「戻せ」
「戻します」
今度は言い切った。
火縄銃はレオンハルトの軍事力を支える武器だ。
国王へ敬意を示すための献上品ではない。
もし国王が欲しいと言った場合、レオンハルトがどう答えるのかは分からないが、少なくとも俺から差し出すことはできなかった。
出発前日、凱旋軍の最終検分が行われた。
ベルグハーフェンの外に広がる平地へ、約二千五百人の兵が並ぶ。
先頭にはレオンハルトの旗。
その後ろに騎兵、槍兵、弓兵が続く。
シュヴァルツ伯から奪った濃紫の本陣旗は、勝利の証として別の旗手が持つ。
ただし、地面へ引きずったり、踏みつけたりはしない。
敵の旗を辱めることより、確かに奪ったと王都へ示すことが目的だった。
捕虜を鎖でつないで歩かせることもしない。
同行するのは、シュヴァルツ伯の最期を見た護衛と、戦後の降伏を取りまとめた者だけだ。彼らは見世物ではなく、証言するため王都へ向かう。
四人の若い領主は、それぞれ少数の供回りを連れていた。
豪華な服も、新しい旗も用意していない。
彼らは勝者としてではなく、自らの帰順と働きを国王へ認めてもらうために同行する。
そして、軍列の中央に火槍隊四百人がいた。
火縄銃は油紙と革の覆いに包まれ、外から構造を見ることはできない。
火縄は百人隊ごとの箱へ収め、火種とは離してある。
空砲用の火薬も兵個人には持たせず、二台の荷車へ分けて積んだ。一台に事故が起きても、すべてを失わないためだ。
実戦用の弾薬は、王都の手前に設ける宿営地まで運ぶ護衛用の最低限だけにした。
王都の市街へ入る兵には持たせない。
「揃ったな」
馬上のレオンハルトが軍列を見渡した。
「はい」
ユリウスが答える。
「王都から祝砲の許可も届いております。城門前の広場は、当日の朝から守備隊が立ち入りを制限します」
「国王陛下は何と?」
「王家の敵を討った勝利を告げるものとして認める。ただし、弾が入っていないことを王都側の兵にも確認させる、と」
「当然だ」
「城壁の弓兵は配置されたままになります」
「それも当然だ」
レオンハルトは気を悪くしなかった。
第一王弟とはいえ、四百挺の武器と二千五百人の兵を連れて王都へ入ろうとしている。
国王が何の警戒もしない方がおかしい。
「アレク」
「はい」
「四百人は撃てるか」
「撃てます。ただし、雨が降った場合は中止します。風が強く、火の粉が市街へ流れる場合も撃ちません」
「分かっている」
「王都側の確認に時間が掛かった場合、火縄へ点火するのは最後にします」
「任せる」
「撃った後、火縄銃を冷まして覆いを掛けるまで、凱旋行進は始められません」
「どのくらい掛かる」
「問題がなければ、四半刻までは掛かりません」
「見物人を待たせるな」
「事故を起こすよりはよいかと」
「急げとは言ったが、省けとは言っていない」
「承知しました」
レオンハルトは火槍隊の列へ馬を進めた。
覆われた四百挺を見ながら、口元をわずかに上げる。
「隠すと、かえって目立つな」
「同じ形のものを四百人が担いでいますから」
「王都の連中は、中に何があるか知りたがる」
「門前で撃つところは見せます」
「見た後の方が知りたくなる」
「だから覆うのですか」
「そうだ」
レオンハルトは楽しそうだった。
秘密は、完全に隠している時より、一部だけ見せた時の方が人を引きつける。
四百の銃口。
一斉に響く音。
広場を覆う白煙。
その後、武器は革の下へ隠される。
王都の貴族も商人も、見えなかった仕組みを知るために人を動かすだろう。
その動き自体が、誰が火縄銃へ関心を持っているかを教えてくれるかもしれない。
「国王陛下へ見せる一挺は」
「こちらです」
俺は護衛された荷車を示した。
「火薬、弾、火縄は入っていません。箱へ封をし、途中の宿営地ごとに確認します。王宮へ入る際は、私が剣を預けた後、王宮側の検査を受けます」
「一発筒は?」
「持ち込みません」
「開発記録は?」
「持っていません」
「よい」
レオンハルトは短く答えた。
「陛下には実物を見せる。だが、作り方まで渡すわけではない」
「どこまで説明しますか」
「戦場で、どのように使ったかだ」
「三つの班による交代射撃も?」
「話す」
「土塁や馬防柵との組み合わせも?」
「話す」
「装填手順や筒の作り方は」
「聞かれても話すな。俺が答える」
「承知しました」
国王に隠し事をする。
そう考えると、背中へ冷たいものを感じる。
だが、火縄銃を国内へ広げれば国力が上がるというほど単純ではない。
誰へ何挺渡すのか。
誰が火薬を管理するのか。
製造した数を誰が記録するのか。
国外へ売る者が出た場合、どう止めるのか。
王家の倉へ納めた火縄銃が、王位を巡る争いでどちらへ向けられるのか。
答えのない問題が多すぎる。
王だから何もかも話すのではなく、王に見せるべきものをレオンハルトが選ぶ。
その判断が正しいのかは、王都へ着いてみなければ分からなかった。
「緊張しているのか」
レオンハルトが尋ねた。
「国王陛下へお会いするのですから」
「俺と同じ人間だ」
「レオンハルト殿下と初めてお会いした時も緊張しました」
「今はしないのか」
「別の意味でします」
「どういう意味だ」
「次に何を命じられるか分かりません」
レオンハルトが笑う。
「それなら王都でも同じだ。陛下が何を言うか、俺にも分からん」
分からない未来を、歴史の似た出来事へ当てはめて決めつけることはできない。
王都へ行けば、王家、王兄、レオンハルト、地方諸侯の間にある力の差が、以前とは変わっているはずだ。
王都軍の助けを借りずに、一万人のシュヴァルツ伯軍を破った。
四人の若い領主を帰順させた。
ベルグハーフェンから四領へつながる道を、マティアスが管理しようとしている。
火縄銃は三百挺から四百挺になり、これから三千挺へ増えようとしている。
レオンハルトは勝利を報告しに行くだけではない。
変わった力関係を、王都の全員へ認めさせに行く。
そのための凱旋だった。
◇ ◇ ◇
出発の朝、ベルグハーフェンの門の外には、多くの市民が集まっていた。
まだ王都へ着いてもいないのに、見送る者たちの間では、レオンハルトの軍が国王から褒美を受けるという噂が広がっている。
マティアスが伯爵になる。
俺が子爵になる。
火槍隊が王都で千挺を撃つ。
国王がレオンハルトへ王冠を譲る。
聞いたこともない話まで混じっていた。
噂とは、事実の足りない部分を、人の想像が勝手に埋めたものなのだろう。
訂正して回ることはできない。
俺はマティアスから贈られた鎧を身につけ、革の手袋を確かめた。
戦場へ向かう時とは違い、剣は抜きやすさより見た目を優先した位置へ下げている。
それでも、飾りだけの装備ではない。
王都までの街道で、何が起きるかは分からない。
「身なりは整えたようだな」
馬へ乗ったマティアスが言った。
「誰かに、領内や火縄銃のことばかりで身なりを気にしていないと言われましたので」
「誰だろうな」
「心当たりはありませんか」
「ない」
マティアスは平然と答えた。
「エリーゼ様へ手紙は送ったのか」
「送りました」
「王都で爵位をもらうと?」
「まだ決まっていないので、そこまでは書いていません」
「慎重だな」
「決まらなかった時に困ります」
「決まらせるために行く」
「マティアス様は緊張していないのですか」
「しているように見えるか」
「見えません」
「なら、それでいい」
実際には緊張しているのかもしれない。
商人として諸侯と交渉してきたマティアスも、国王から爵位を授けられた経験はない。
伯爵になれば、クレーマー商会の扱いも変わる。
商人が領主になった時以上に、古くからの貴族は警戒するだろう。
「アレク」
「はい」
「王都では、聞かれたことへ答えろ。聞かれていないことまで話すな」
「火縄銃のことですか」
「それだけではない。領地、兵数、商会、アルベルト様との関係、エリーゼ様とのこと。何を聞かれるか分からん」
「最後のことまで聞かれるでしょうか」
「お前がヴァレンシュタイン家と親しいことを、王都の者が知らないと思うか」
林檎の花の髪飾りを贈ったことまで知られているとは思いたくない。
だが、アルベルトの元で小姓をしていた身元不明の少年が、マティアスについて行き、レオンハルトの周囲で領地と兵を得た。
政治的に見れば、俺個人の気持ちに関係なく、アルヴェインとレオンハルトの間をつなぐ者に見えるはずだ。
「聞かれたら、嘘は言いません」
「それでいい。だが、火縄銃の仕組みや、昔読んだ本の知識まで詳しく話すなよ」
「分かっています」
火縄銃を思いついた理由を尋ねられても、前世のことを話すつもりはない。
昔読んだ本から着想を得たと答え、それ以上は伏せる。
マティアスは俺の表情を少し眺めたが、それ以上は追及しなかった。
やがて、角笛が鳴った。
先頭の旗が動き始める。
騎兵が進み、槍兵と弓兵が続く。
荷車の車輪が土を踏み、馬具の金具が重なって鳴った。
四人の若い領主も、それぞれの供回りを連れて列へ入る。
火槍隊四百人が、革に覆われた火縄銃を同じ角度で肩へ担いだ。
ギルベルトが前方を率い、ヴォルフラムが後方の列を確認する。
俺はその間を馬で移動できる位置に入った。
四百挺の銃身は見えない。
火縄も、火薬も、弾も見えない。
それでも、何が包まれているか知っている俺には、革の覆いの一つ一つが重く見えた。
「出発する!」
レオンハルトの声が響く。
兵たちが一斉に応じた。
ベルグハーフェンの門を抜け、軍列が街道へ入る。
見送る市民の声が背後から追ってきた。
戦場へ向かう時とは違う。
敵軍が待つ場所へ進むわけではない。
それでも、胸の奥にある緊張は、戦の前と似ていた。
国王は俺たちをどう見るのか。
王都の貴族たちは、レオンハルトの勝利をどう受け取るのか。
マティアスの伯爵位と俺の子爵位は、本当に認められるのか。
四人の領地は守られるのか。
そして、門前で放つ四百挺の音は、王都の力関係をどこまで動かすのか。
答えはまだ分からない。
俺は一度だけ後ろを振り返った。
ベルグハーフェンの屋根が朝日に照らされ、その向こうにはアイヒェンタールへ続く山が見える。
領地には、俺がいなくても仕事を進める者たちがいる。
工場には、ロルフと職人たちが残っている。
手紙はアルヴェインへ向かっている。
帰る場所を残したまま、俺は王都へ行く。
前を向くと、レオンハルトの旗が風を受けて大きく広がった。
その後ろを、二千五百人の兵が進んでいる。
王都へ持っていくのは、勝利の報告だけではない。
シュヴァルツ伯を倒した軍。
マティアスのもとへ集まった四人の領主。
新しく結ばれようとしている領地と街道。
そして、革の下へ隠された四百挺の火縄銃。
戦場で広がった火は、今度こそ王都の門前へ向かっていた。
第一話を読んでいただき、ありがとうございました。
アレクは領地の仕事を部下へ託し、追加の百挺と新たな射手を揃えました。レオンハルトが率いる約二千五百人の凱旋軍は、四百挺の火縄銃を革の下へ隠し、ついに王都へ向けて出発します。
次回は王都門前で行われる四百挺の祝砲と、その轟音を聞いた王都の人々や諸勢力の反応を描きます。
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