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『知らない世界で、前世の知識が武器になる』 ~剣と銃で乱世を生き抜く転生領主の成り上がり~  作者: 相田 ソウ
第五篇 乱世に広がる火

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第二十四話 火の届く先

シュヴァルツ伯との戦いから二週間。アレクたちは戦後の領地を立て直しながら、火縄銃三千挺へ向けた最初の一歩を踏み出します。一方、戦場から広がった噂は、諸国と王都を動かし始めていました。

 戦場から戻って、二週間ほどが過ぎた。

 アイヒェンタールの領主館で目を覚ます生活にも、ようやく身体が慣れ始めている。

 窓の外から薪を割る音が聞こえた。

 遠くでは牛が鳴き、誰かが鶏を追い払っている。

 兵の怒号も、矢が風を裂く音も、火縄銃の轟音もない。

 それだけのことが、ひどくありがたかった。

 寝台から起き上がり、左手を開いてみる。

 シュヴァルツ伯の槍を受けた時の痛みは、まだ少し残っている。傷そのものは深くないが、強く握ると手のひらから手首にかけて鈍い痛みが走った。

 机の脇には、マティアスから贈られた鎧が置かれている。

 戦場から戻る前に泥と血を落とさせたが、胸当てには槍が当たった跡が残っていた。職人へ預ければ目立たなくできるらしい。

 けれど、今はそのままにしてある。

 傷のない鎧へ戻したところで、あの時に槍を受けた事実まで消えるわけではない。

 顔を洗い、服を着替えて一階へ下りると、朝食の置かれた部屋にはフェリクスと二人の部下が待っていた。

 机の上には、パンと薄いスープより多くの報告書が並んでいる。

「おはようございます」

「おはようございます、アレク様」

 三人が立ち上がろうとしたので、手で制した。

「座ったままで構いません。どれから聞けばいいですか」

「まず、谷の入口にある村についてです」

 フェリクスが一枚の紙を差し出した。

 レオンハルトから暫定的な管理を命じられた地域の報告だった。

 正式な加増ではない。国王の承認が出るまでは、戦後の混乱を収めるために預かっているにすぎない。

 だが、そこに暮らす者にとっては、管理者が正式か暫定かという違いより、今日の税を誰へ払えばよいのかの方が重要だ。

「旧シュヴァルツ伯領の徴税人が、村へ来たのですか」

「はい。戦の前に納めるはずだった税が残っているとして、麦と銀貨を求めたそうです」

「シュヴァルツ伯はもういないのに?」

「本人は、領主が亡くなっても税は消えないと主張しています」

 理屈だけなら、完全に間違っているとは言い切れない。

 領主が代わるたびに税がなくなれば、土地の管理は成り立たない。

 だが、今回の戦ではシュヴァルツ伯軍が村から兵糧を集め、そのうえ敗走兵まで周辺を通っている。そこへ以前と同じ税を要求すれば、冬を越せない家が出る。

「徴税人は捕らえましたか」

「村人が追い返しました。兵は連れていなかったようです」

「では、もう一度来るかもしれません」

「関所へ兵を置きますか」

「置いてください。ただし、徴税人を見つけても殴らないように。持っている命令書を確認して、こちらへ連れてきてください」

「税は免除しますか」

「今すぐ全て免除すると決めるのは早いです。まず、戦の前に何を納め、シュヴァルツ伯軍へどれだけ持っていかれたのかを調べてください。今年の収穫と、冬までに必要な食料も」

「村ごとに帳簿を作ります」

「お願いします。調べ終わるまで、追加の徴収は禁止です。すでに納めた家から二重に取ることも認めません」

 フェリクスが頷き、紙の端へ書き加える。

 次に報告されたのは宿場だった。

「馬が足りません」

「戦で徴発されたのですか」

「十七頭を出し、戻ったのは六頭です。そのうち二頭は怪我をしています」

「荷車は」

「十二台のうち、使えるものは五台です」

 ベルグハーフェンと四人の若い領主の領地を結ぶには、その宿場を通る。

 だが、馬と荷車を失った宿場へ商人が戻るはずがない。宿泊客がいなければ、建物を直す金も、馬を買う金も得られない。

「ベルグハーフェンから馬を貸し出せないか、クレーマー商会へ問い合わせます。買うのではなく、最初は貸し出しで」

「商会が応じますか」

「使える道と宿場が増えれば、商会にも利益があります。無料ではないでしょうが、話は聞いてくれるはずです」

「宿場の修理は」

「領内の木材を使います。大工と木工職人を何人出せるか確認してください。ただし、工場へ送っている仕事を止めない範囲で」

 人も木材も無限ではない。

 領主になったからといって、必要なものを命じるだけで生み出せるわけではなかった。

「もう一つあります」

 三人目の部下が口を開いた。

「山道を通る商人が減っています。敗走兵が残っているという噂が広がっています」

「実際に襲われた者は?」

「今のところ、領内ではいません。ただ、東の村で羊が三頭盗まれました」

「人が盗んだと決まっていますか」

「足跡が残っていました。二人か三人です」

「巡回を増やしてください。兵だけでなく、山道を知る猟師にも協力を頼みます」

「報奨を出しますか」

「足跡や野営跡を見つけて報告した者へ出してください。捕らえるのは兵の仕事です。猟師に戦わせないように」

 報告書を一枚ずつ分けていく。

 すぐに命じるもの。

 調べてから決めるもの。

 クレーマー商会へ相談するもの。

 村長たちへ任せるもの。

 以前の俺なら、全ての場所を自分で見ようとしたかもしれない。

 谷の村へ行き、宿場へ行き、関所へ行き、山道を歩く。

 だが、それでは一つの問題を見ている間に、別の問題が止まってしまう。

「宿場と関所の確認は、フェリクスに任せます」

「承知しました」

「私は今日、ベルグハーフェンへ向かいます。戻るのは夕方になると思います」

「その間に徴税人が来た場合は?」

「追い返さず、命令書を確認してください。こちらの暫定管理を示すレオンハルト殿下の書状も持たせます。争いになりそうなら、村人を近づけないように」

「分かりました」

 最後に、戦傷者の一覧を開く。

 俺の領地から戦へ出た者のうち、六人がすぐには以前の仕事へ戻れない。

 一人は左腕を動かしにくくなった。

 一人は膝を深く傷つけ、長い距離を歩けない。

 二人は指を失った。

 残る二人は、治療に時間が掛かる。

「本人たちは何と言っていますか」

「扶持を減らされるのではないかと心配しています」

「減らしません」

「しかし、以前と同じ軍務は難しい者もおります」

「同じ仕事をさせる必要はありません」

 左腕を動かしにくい兵は、読み書きができる。

 関所で荷と通行人を記録する仕事なら、片腕でもできるかもしれない。

 膝を傷つけた兵は、長く歩けなくても馬の扱いに慣れている。領主館の厩舎か、宿場の馬を管理する仕事がある。

 指を失った二人も、どの指を失ったかでできることが変わる。

「一人ずつ話を聞いてください。こちらで勝手に仕事を決めないように」

「戦えなくなった兵を、兵のまま置くのですか」

「見張りや訓練の補助ならできる者もいます。本人が軍務を続けたいのか、別の仕事を望むのかを先に聞きます」

 戦場へ戻れないことと、役に立たないことは同じではない。

 だが、それを俺が口で言うだけでは足りない。

 暮らしていける仕事と扶持を実際に用意しなければ、きれいごとで終わる。

「では、今日中に聞き取りを始めます」

「お願いします。明日の朝、報告してください」

 三人がそれぞれの紙を持って部屋を出る。

 ようやくパンを手に取った時には、スープはすっかり冷めていた。

 戦が終われば暇になると思っていたわけではない。

 それでも、領主館へ戻った朝くらいは、温かい朝食を食べられると思っていた。

 考えが甘かったらしい。


◇ ◇ ◇


 ベルグハーフェンへ向かう途中、街道沿いの関所で四通の書状を受け取った。

 差出人は、ヴィクトル、カスパル、ロベルト、エイドリアンだった。

 四人は戦後、それぞれの領地へ戻っている。

 マティアスへ臣従したからといって、ベルグハーフェンで主君のそばに立っているわけではない。

 最初に命じられたのは、自分の領地を安定させることだった。

 馬上で読むわけにはいかないので、関所の小屋を借りて封を開いた。

 最初はヴィクトルからの報告だった。

 領内にある小城の守備隊が、シュヴァルツ伯の死を信じず、門を閉じていたらしい。

 ヴィクトルは兵を集めたが、すぐに攻めなかった。

 シュヴァルツ伯の印章を押した命令書の写しと、最期を見た護衛の証言を書面にして送り、城内の兵へ三日の猶予を与えた。

 守備隊は二日目に武器を倉へ納め、門を開いた。

 死者は出ていない。

 城将は拘束せず、領地から出ないことを条件に自宅へ戻したと記されていた。

「戦わずに済ませたのか」

 父親を火縄銃で失ったヴィクトルは、俺へ敵意を抱いている。

 だが、その怒りを領内の兵へ向けることはしなかった。

 書状の中に俺の名前は一度もなかった。

 それでも必要な事実と、次に何を確認するかは明確に書かれている。

 仲良くなったわけではない。

 許されたわけでもない。

 ただ、同じ主君の下で仕事をするための最初の一本が、細い糸のようにつながった気がした。

 カスパルの報告には、シュヴァルツ伯側に残った諸侯の動向が整理されていた。

 すでに降伏の使者を出した者が三人。

 条件を確かめている者が五人。

 領地へ戻って門を閉ざした者が四人。

 シュヴァルツ伯の親族を新たな主として立てようとしている者が二人。

 名前だけでなく、兵数、食料、城の位置、婚姻関係まで書かれている。

 以前の軍議で使われた旗印も添えられていた。

 誰が本気で抵抗しようとしているのか。

 誰が、降伏後の処罰を恐れて動けないだけなのか。

 同じ沈黙でも意味は違う。

 カスパルは、その違いを確かめようとしていた。

 ロベルトの書状は、他の三通より厚かった。

 街道、橋、倉、荷車、兵糧、借財。

 マティアスから命じられたものを、可能な限り数字にしている。

 ベルグハーフェンから四人の領地へ向かう商人は、途中で七回も通行税を求められる。

 橋で二回。

 渡し場で一回。

 村の入口で二回。

 領境で二回。

 しかも税額は、その日の徴税人によって変わる。

 麦袋一つにつき銅貨一枚と決まっている場所で、護衛が少ない商人には二枚を要求することもあった。

 これでは、道がつながっていても商いはつながらない。

 ロベルトは、すぐに全ての通行税を廃止しようとはしていなかった。

 橋の修理や渡し船の維持に必要な分は残し、同じ道で何度も取られている税をまとめる案を書いている。

 最後の一通はエイドリアンだった。

 敗走兵二十六人が山際の村へ近づいているとの知らせを受け、騎兵を率いて追いついた。

 敗走兵のうち十八人は、武器を捨てて故郷へ戻る途中だった。

 残る八人は村から食料を奪おうとしていたため、捕らえた。

 そこまではよかった。

 問題は、その後だ。

 エイドリアンは護衛を待たず、自分から八人の前へ出たらしい。

 書状の最後には、マティアスから命じられた追加の一文があった。


『私は、若さを示すために先頭へ出たのではないと申し上げました。しかし、結果として部下に心配を掛け、捕らえるべき者に逃げ道を与えかけました。次からは騎兵を左右へ回し、自分は中央から命令します』


 反省文だった。

「本当に書かされたんだな」

 思わず声が出た。

 エイドリアンは悔しがっただろう。

 だが、最後には、八人のうち二人がシュヴァルツ伯軍の武器を売ろうとしていたことまで書かれている。

 若い四人は、まだ完成した領主ではない。

 俺も同じだ。

 失敗し、叱られ、次に同じことをしない方法を考える。

 その繰り返しでしか、領主らしくはなれないのだと思う。

 四通を畳み、返事を書くために革袋へ入れた。

 ヴィクトルには、小城の兵を無用に殺さなかったことへの感謝を。

 カスパルには、抵抗の意思と処罰への恐れを分けて調べてほしいと。

 ロベルトには、通行税をまとめる前に橋と渡し場の維持費を確認してほしいと。

 エイドリアンには、反省文を読んだことと、次は本当に先頭へ出ないようにと書くつもりだ。

 ヴィクトルが俺の返事をどう受け取るかは分からない。

 それでも、返さないわけにはいかなかった。


◇ ◇ ◇


 ベルグハーフェンのクレーマー商会へ着くと、正面の荷運び場は戦の前より混雑していた。

 軍へ送っていた荷車が戻り、代わりに各地へ向かう商人の荷が積まれている。

 捕虜へ配る食料。

 戦で壊れた橋を直す木材。

 宿場へ貸し出す馬具。

 傷病兵のための布と薬草。

 戦が終わっても、荷車の仕事は終わらない。

 むしろ、戦場から人が戻ったことで、運ぶ先が一気に増えていた。

 執務室へ入ると、マティアスは机の上に書状を広げていた。

「遅かったな」

「領地の報告を聞いてから来ました」

「領主らしくなったではないか」

「冷めたスープを飲むのが領主なら、あまりなりたくありません」

「食べる前に仕事を始めるからだ」

「待たせていたのは仕事の方です」

「ならば明日は、仕事より先に食え」

 マティアスはそう言いながら、一通の書状を俺へ差し出した。

「これは?」

「ノルディアの商人からだ。火槍を五十本欲しいと書いてある」

「もう購入を求めてきたのですか」

「読め」

 書状には、レオンハルトが三百本の火槍を並べ、一万人の軍を破ったと記されていた。

 火槍が一度火を噴くたび、十人の騎兵が鎧ごと倒れた。

 シュヴァルツ伯軍は炎に包まれ、戦う前に逃げた。

 シュヴァルツ伯本人も、火槍の一撃で馬ごと吹き飛ばされた。

 どこから訂正すればいいのか分からない。

「随分と大きな火槍ですね」

「三百本で一万人を焼き払うらしい」

「それなら火縄銃を作る必要はありませんでした」

「アルベルト様から借りた火槍一本で十分だったな」

 マティアスは別の書状を開いた。

「こちらはヴァルデンの商人だ。火槍百本。値段はアルヴェインの言い値でよいとある」

 ラウレンシアの港湾商人からも、見本となる火槍一本と価格を求める書状が届いていた。北で国境を接するグランヴァルトの動きを警戒し、城門や港の守りに使えるか確かめたいという。

「予想していたより早く動きましたね」

「お前が考えた策だろう」

「はい。ですが、実際にこれだけの値を示されると、少し怖くもなります」

「自分で考えた策が動き始めたのに、今さら怖くなったか」

「武器を売るのです。危険がないとは、最初から思っていません」

 机の端には、商人たちが聞き集めた噂が並んでいた。

 レオンハルトは、誰も価値を認めなかった火槍を以前から集めていた。

 火槍を三列に並べ、一列が撃つたびに後ろへ下がらせた。

 火槍隊の前には、馬でも越えられない鉄の壁があった。

 白煙の中から、弾が雨のように降った。

 事実と間違いが混ざっている。

 三班を交代させたことは事実だ。

 柵と土塁で敵の勢いを止めたことも間違っていない。

 だが、柵は鉄ではなく木だ。弾も雨のように降ったわけではない。

「生き残った敵兵の話もあります」

 俺は一枚を手に取った。

「槍ほど長くなかった。肩へ当てていた。点火する者と構える者が同じだった」

「見た者はいる。当然だ」

「火縄銃の存在そのものを隠し続けるのは無理ですね」

「三百人が使い、一万人が相手だった。全員の目と口を塞げると思うか」

「思いません」

 秘密にできる段階は終わりつつある。

 だが、見たことと、作れることは違う。

 肩へ当てる。

 長い鉄筒がある。

 引金で火縄を落とす。

 そこまで知られても、同じものをすぐに作れるわけではない。

 鉄筒の厚さ。

 ばねの強さ。

 火皿と点火孔の位置。

 木台の形。

 火薬と弾の量。

 一発筒と携帯用弾薬箱。

 装填と射撃の号令。

 三班を入れ替える間隔。

 作り方と使い方の両方が揃わなければ、戦場で同じ働きはできない。

「火縄銃という名前は、まだ外へ出しませんか」

「こちらから広める必要はない」

 マティアスが答えた。

「火槍だと思う者には、そう思わせておけ。短い火槍を見たと言う者がいても、否定するな」

「肯定もしない」

「噂は、正そうとすれば正されるとは限らん。こちらが隠していると思えば、余計に大きくなる」

「以前決めたとおり、こちらから嘘の噂は流しません」

「そうしろ。嘘を作れば、後で相手に責任を押しつけられる」

 マティアスは、アルベルトの印章が押された書状を取り上げた。

「アルベルト様からだ」

 書状には、アルヴェインへ火槍の購入を求める商人が集まり始めたと記されていた。

 以前の会談で決めたとおり、アルベルトは火縄銃との置き換えによって不要になる従来型火槍を売る準備を進めている。

 ただし、一度に全てを手放すことはしない。

 使用に耐える火槍を選び、予備の火縄、交換できる小部品、扱い方を書いた紙と合わせて売る。

 故障したものを高値で押しつければ、一度は儲かっても、次の取引を失うからだ。

「三十挺の代金は、これで取り戻せそうですね」

「それだけではない」

 マティアスは書状の末尾を指した。

 売却で得た金の一部は、アルヴェイン側での職人育成と火薬、弾の研究へ回す。

 生産した火縄銃の数は、取り決めどおり記録して報告する。

 試作品と開発記録を受け取っただけで、同じ品質のものをすぐに量産できるとはアルベルトも考えていない。

 最初は購入した三十挺を使いながら、自分たちの職人へ学ばせるつもりなのだ。

「俺が提案した時にも考えましたが、従来の火槍を買った国はいずれ火縄銃との違いに気づきます」

「それまでの時間を買うのが、お前の策だったはずだ」

「はい。火槍が全く役に立たないわけでもありません。橋や城門、狭い道での初撃には使えます」

「こちらへ向けられる危険もある」

「だから、売却先と数を記録します。差し迫った敵へまとめて売らないことも、アルベルト様との会談で確認しました」

「火薬と弾の供給量もだな」

「はい。相手には従来型火槍の実物を見せ、火縄銃だとは偽らない。納得した相手に、火槍として売ります」

 噂を信じた者は、火縄銃と同じ力があると期待するかもしれない。

 だが、こちらから同じ武器だとは説明しない。

 俺が考えた策だからこそ、何をしてよいのか、どこから先が偽りになるのかを曖昧にはできなかった。

「実際に売り始めれば、こちらの思いどおりに進まないことも出るでしょう」

 俺は言った。

「火槍を分解し、改良しようとする者もいます。火薬の扱いを学ぶ者も出ます」

「だから、その間に先へ進む」

「分かっています」

「不安になったなら、策をやめるか?」

「いいえ」

 俺は首を横に振った。

「危険があるからこそ、売った数と相手を見失わないようにします。こちらが準備するために得た時間を、無駄にはしません」

 周辺国が従来型火槍を集め、扱える兵を選び、重い武器を運ぶ荷車を用意する。

 その間に、こちらは火縄銃を増やす。

 同じ火を使う武器でも、進む方向は違う。

 以前は十挺しかなかった火縄銃が、今は三百挺になった。

 その三百挺が、周辺国の金と人の動きまで変え始めている。

「工場へ行くぞ」

 マティアスが立ち上がった。

「追加の百挺について、ロルフから報告がある」

「もうですか」

「完成したとは言っていない」

「少し安心しました」

「完成していないことに安心するな」

「今日、百挺できましたと言われる方が怖いです」

「俺も怖い」

 マティアスが素直に認めた。


◇ ◇ ◇


 工場の敷地では、新しい建物の柱が立ち始めていた。

 鉄を打つ鍛冶場。

 木台を削る木工場。

 金具を作る場所。

 部品を集めて組み立てる建物。

 完成品を保管する倉。

 それぞれの間には空き地があり、火薬を扱う建物はさらに離れた場所へ置かれている。

 建物を離せば、部品を運ぶ手間は増える。

 だが、一度の火事で工場全体と火薬を失うよりはいい。

 水桶と砂箱も、以前より多く並んでいた。

 組み立て場へ入ると、ロルフが鉄筒を机の上へ転がした。

「これは使えん」

「検査役が除いたものですか」

「そうだ。内側の幅がおかしいと札を付けて持ってきた」

 ロルフは細い棒を筒へ通し、途中で止める。

「判断は合っていた。わずかに狭い。弾を押し込めても、汚れが溜まれば詰まる」

「削れば使えますか」

「削りすぎれば薄くなる」

「では不良品に?」

「短く切って試験に使う。火薬の量を変えて破裂するまで撃つ」

 完成品にはならなくても、強度を確かめる材料にはなる。

 ロルフは不良品を捨てるのではなく、壊すための試験へ回そうとしていた。

「以前育て始めた検査役は、もう内側の歪みまで見つけられるようになったのですね」

「全てではない」

 ロルフが答えた。

「明らかな亀裂、点火孔のずれ、外から測って分かる厚みの偏りは、俺のところへ来る前に除ける。この筒のように内側の幅が変わっている物も、見つけられる者は増えた」

「今もロルフが全てを最初から調べているのですか」

「検査役が迷った物と、通してよいと判断した物の記録を見る。最後に火薬を入れて試す筒も俺が確認する」

 以前、ロルフが病気になれば工場全体が止まるという問題が出た。

 そこで、鍛冶を分かっている者を選び、合格品と不合格品の見本を使って検査を教え始めた。

 最初の一週間は、同じ筒を検査役とロルフが二度調べたため、むしろ作業が遅くなった。

 だが、二週目からは判断が一致する物が増えた。

 ロルフが全ての鉄筒を最初から一人で見る体制は、すでに変わっている。

「追加百挺の進み具合は」

「鉄筒は四十二本が検査を通った。木台は五十八。金具は百挺分に足りん」

「ばねですか」

「ばねと掛け金だ。新しく入れた職人へ任せた分は、半分近く作り直しになった」

「予定より遅れますか」

「最初から、作り直す分を含めている」

 ロルフは壁に掛けた木の板を指した。

 鉄筒の長さと太さ。

 木台の幅。

 金具を取り付ける位置。

 穴の間隔。

 数字だけでなく、実際の大きさに切った板や棒が並んでいる。

「職人全員が同じ字を読めるわけではない。これなら重ねれば違いが分かる」

「三百挺を作った時に使った見本ですね」

「追加百挺にも同じ物を使う。途中で基準を変えれば、前に作った部品と合わなくなる」

 部品を作る職人が増えれば、言葉や数字だけで同じ大きさを伝えるのが難しくなる。

 見本へ重ね、長すぎるか短すぎるかを確認する。

 単純だが、部品が組み立て場へ届いてから使えないと分かるより早い。

「百挺は、いつ頃揃いますか」

 マティアスが尋ねた。

「今のままなら三十日」

「長い」

「なら、検査を省くか」

「省くな」

「では三十日だ」

「以前より検査役は育ったのだろう」

「育った。だから、三十日で済む」

「さらに短くできないか」

「検査役へ無理に数だけ見せれば、見落としが増える」

「検査役自身が、次の補助を育てることはできないのですか」

 俺は尋ねた。

「明らかな亀裂や、寸法板から外れた物を除くところまでなら教えられる」

「その後の判断は?」

「今いる検査役と俺が見る」

「では、最初の選別をする者を増やしましょう。検査役を一から作り直すのではなく、今いる検査役の負担を減らします」

 ロルフが少し考える。

「鍛冶場から選べ。昨日まで木箱を作っていた者に鉄筒を見せるな」

「分かっています」

「そいつの判断だけで筒を通すことも認めん」

「最初の選別だけです。その後は今までどおり、検査役とロルフが確認してください」

 マティアスが机の上にある工程表へ目を落とす。

「それで何日縮む」

「やってみなければ分からん」

「見込みでいい」

「二十七日」

「二十五日」

「二十六日。これ以上縮めるなら、どこかで失敗が増える」

「分かった。二十六日だ」

「予定だ。約束ではない」

「予定を守れるよう、足りないものを言え」

「掛け金を作れる職人。硬さの揃ったばね。乾いた木材」

「今日中に探す」

「今日連れてきても、明日から使えるとは限らん」

「分かっている」

 二人の会話を聞いていると、火縄銃が百挺増えるより先に、言い争いが百回増えそうだった。

 それでも、以前とは違う。

 十挺を作った時は、部品が一つ届くたびにロルフが自分で確かめ、合わなければ職人のところへ戻していた。

 今は、部品を作る場所で一度確認し、検査役が合格と不合格を分け、組み立て前に記録を確かめ、完成後に試射する。

 ロルフ一人が全てを作らなくても、ロルフが決めた基準から外れたものを除ける仕組みは、すでに動いている。

「新しい職人には、いきなり鉄筒を任せないでください」

 俺は言った。

「分かっている」

「小さな金具や装填棒から」

「それも、勝手に作らせれば使えんものが増える」

「教える者が必要ですね」

「作る者を増やせば、教える者の手が止まる」

「最初は止まっても、後で増えます」

「後で増えるまで、今の生産が減る」

 技術を教えるには、熟練した職人の時間が必要だ。

 今日の百挺だけを考えれば、教えずに自分で作った方が早い。

 だが、三千挺を作るなら、教えない限りいつまでも人数が増えない。

「追加百挺は今いる職人を中心に作る。その横で、新しい職人を育てましょう」

「作業場を分けろ」

 ロルフが言った。

「新しい者が失敗した部品を、完成品へ混ぜるな。印も変えろ」

「採用します」

「それと、火薬を鍛冶場へ持ち込んだ馬鹿がいた」

「誰ですか」

「名前は記録した。試射で使うつもりだったらしい」

「火種は?」

「持っていなかった。だが、二度目は工場から外す」

 事故が起きなかったから、問題がなかったわけではない。

 火薬を扱う場所と鍛冶場を離しても、人が勝手に運び込めば意味がない。

「入口で荷を確認する者を置きます」

 俺は言った。

「火薬を持って鍛冶場へ入れない。鍛冶道具を火薬工房へ持ち込む場合も、火種が残っていないか確認します」

「兵を使うのか」

「工場の警備兵から二人ずつ交代で置きます」

「人数が足りるか」

「今夜、領地へ戻って確認します。足りなければ、試験場の見張り方を変えます」

 工場の問題を聞き、その場で全て自分が解決する必要はない。

 必要な条件を決め、誰へ任せるかを決める。

 それが今の俺の仕事だった。

「アレク」

 建物の外から呼ばれ、振り返る。

 見覚えのない騎士が、二人の兵を連れて立っていた。

 三十歳を少し越えたくらいだろう。

 濃い灰色の髪を短く切り、派手な飾りのない鎧を着ている。腰には剣を下げているが、火縄銃は持っていない。

「ヴォルフラム・フォン・アイゼンフェルトだ」

 騎士が名乗った。

「レオンハルト殿下の命により、こちらへ来た」

「アレク・ハルトマンです」

「知っている」

 ヴォルフラムは俺を見た後、隣のギルベルトへ視線を移した。

「そちらがギルベルトか」

「はい」

「以前の戦から火縄銃を扱っていたと聞いた」

「最初の十挺から、訓練を担当しております」

 ヴォルフラムは小さく頷いた。

「俺は槍兵を五百人まで率いたことがある。行軍と陣形、部隊同士の連絡なら教えられる」

 そこで一度言葉を切り、工場の中にある火縄銃を見た。

「だが、火縄銃を撃ったことはない」

「触ったこともありませんか」

 ギルベルトが尋ねる。

「ない」

「では、最初は十人と同じ訓練からです」

 ギルベルトは遠慮なく答えた。

 ヴォルフラムの眉がわずかに動く。

 貴族の姓を持つ騎士だ。

 これまで数百人を率いた経験もある。

 それでも、火縄銃については、姓を名乗らず一兵士から隊長になったギルベルトに教わらなければならない。

「木製の模擬銃を使うのか」

「はい。実銃を渡す前に、装填、構え、火縄の扱い、号令を覚えていただきます」

「俺が率いる兵ではなく、俺自身も?」

「隊長が知らない命令を、兵へ守らせることはできません」

 ギルベルトは表情を変えない。

 ヴォルフラムはしばらく黙っていた。

 反発するかと思った。

 だが、彼は腰の剣へ触れ、静かに答えた。

「分かった。いつから始める」

「今日からでも」

「なら今日から頼む」

 今度はギルベルトが少し驚いた顔をした。

「よろしいのですか」

「知らないものを、知っているふりはできん。火薬を軽く扱えば、自分だけでなく部下を殺すとも聞いた」

「そのとおりです」

「ただし、俺も教える」

「何をでしょう」

「千五百人を一つの声だけで動かそうとすれば、声が届く前に戦が終わる。三百人を五つに分けるなら、各部隊の指揮官が地形を見て動けなければならん」

 ヴォルフラムは地面へ落ちていた細い木片を拾い、土の上へ五つの四角を描いた。

「一つが遅れた時、残り四つを止めるのか。先へ進ませるのか。伝令が戻らない時、命令を待つのか。先に決めておく必要がある」

「射撃の間隔が崩れます」

 ギルベルトが言った。

「だから、お前が火縄銃の間隔を教えろ。俺は、その間隔を崩さず千五百人を動かす方法を考える」

 二人の視線が合う。

 身分も、経験も違う。

 すぐに気が合うようには見えない。

 それでも、互いに自分だけで全てを知っているとは言わなかった。

「ヴォルフラム殿には、レオンハルト殿下直属の千五百人を率いていただく予定です」

 俺は確認した。

「そう命じられた」

「ギルベルトはマティアス様側の千五百人を率います」

「聞いている」

「私は、二つの隊で訓練方法と号令を揃えます。合同で戦う時は、全体の配置を決めます」

「十人単位の装填まで、お前が見るつもりか」

「見ません」

 以前なら、少し迷ったかもしれない。

 だが、今はすぐに答えられた。

「教官を育てます。ギルベルトとヴォルフラム殿には、その教官と三百人ごとの指揮官を見ていただきます」

「ならいい」

「なぜ安心するのですか」

「自分で全てを見ると言う者の下では、報告する側が待たされる」

 領主館で冷めたスープを見たばかりなので、反論できなかった。

「まずは現在の四百人です」

 俺は言った。

「射手三百人と支援兵百人。追加百挺が完成したら、支援兵の中から順番に射手へ移します」

「支援兵が減る」

「新たに集めます。全員を一度に移すのではなく、新しい支援兵が役目を覚えた者から交代させます」

「三千人を揃えるのは、いつだ」

「まだ決められません」

「レオンハルト殿下は急がせるぞ」

「急いでも、鉄筒は勝手に増えません」

「殿下へ同じことを言えるか」

「何度か似たことを言っています」

「それで生きているのか」

「今のところは」

 ヴォルフラムが初めて少し笑った。

「なら、俺も必要な時は止める役をしよう」

「お願いします」

「その代わり、火縄銃のことは遠慮なく教えてくれ」

 彼はギルベルトへ向き直る。

「まず、何をすればいい」

 ギルベルトは工場の壁へ立て掛けられた木製の模擬銃を一本取った。

「筒先を人へ向けないところからです」

「木でもか」

「木の時だけ許される動きを覚えれば、実銃を持った時にも同じことをします」

「分かった」

 ヴォルフラムは模擬銃を受け取った。

 槍を持つ時とは違う重さと形に、手の位置を迷っている。

 ギルベルトが持ち方を直す。

 数百人を率いた騎士が、一人の兵士から木の銃の構え方を教わっている。

 だが、不思議と情けない姿には見えなかった。

 知らないことを認め、必要な相手へ教えを求められる。

 千五百人を任せるなら、その方が信用できる。

 二人が同じ考え方をする必要はない。

 ギルベルトは火縄銃を安全に撃たせる方法を知っている。

 ヴォルフラムは、多くの兵を行軍させ、陣形を崩さず動かす方法を知っている。

 俺は、その二つを一つの仕組みにする。

 三千人という数字が、ようやく人の形を持ち始めた。


◇ ◇ ◇


 領主館へ戻ったのは、日が山の向こうへ沈む少し前だった。

 朝に命じた仕事の報告を聞く。

 徴税人は再び現れなかった。

 宿場へ貸し出す馬について、クレーマー商会から十二頭まで用意できるという返事が届いている。

 山道では、猟師が新しい野営跡を一つ見つけた。残っていた足跡は四人分で、東へ向かっている。

 巡回兵には追わせず、隣の村と関所へ知らせを送らせた。

 戦傷者への聞き取りも始まっていた。

 左腕を動かしにくくなった兵は、関所の記録係を望んだ。

 膝を傷つけた兵は、厩舎で働きたいと答えた。

 指を失った一人は軍務を離れたいと言い、もう一人は試験場の警備を続けたいと言った。

「本人の希望どおりにできそうですか」

「試験場の警備については、弓を以前と同じようには扱えません」

「門の確認と、入場者の記録を担当してもらいましょう。異常があれば鐘を鳴らす役目もあります」

「軍務を離れる者は?」

「木炭の倉で人を探していなかったか確認してください。合わなければ、別の仕事を探します」

 全員の仕事が一日で決まるわけではない。

 それでも、戦えなくなったから領地から追い出すという選択だけはしない。

 報告が終わると、机の上へ一通の手紙が置かれた。

 封蝋を見ただけで、誰から届いたのか分かった。

 エリーゼからだった。

 部下たちが部屋を出るのを待ってから、封を開く。

 最初に書かれていたのは、俺が無事に戻ったことへの安堵だった。

 戦が終わったという知らせだけでは、怪我の程度までは分からなかったらしい。

 マティアスから贈られた鎧と革手袋が俺を守ったと知り、マティアスへの感謝も書かれている。

 その後に、以前エリーゼから贈られた手袋について触れていた。


『私が贈った手袋を戦場へ持っていかなかったことを、謝らないでください。壊したくなかったと書いてくださったことを、私は嬉しく思っています。ですが、次にお会いした時には、きちんと使っているところを見せてください』


 アルベルトのもとへ火縄銃を届けた時、俺はその手袋を着けていた。

 だから、使っている姿はすでに見せたはずだ。

 それでも、次も着けてこいという意味なのだろう。

 手紙の先を読む。

 シュヴァルツ伯を俺が討ったことについて、エリーゼは簡単に「よくやった」とは書いていなかった。


『あなたが何度も降伏を求めたことを、私は忘れません。戦わずに終わらせたかったと思っていたことも、手紙から伝わりました。それでも武器を取った相手を止めなければ、あなたや周りの方が傷ついていたのでしょう』


 少し間を空けて、次の行が続いている。


『ですが、助けられなかった方のことまで、全て一人で背負わないでください。あなたが悩んでいることを、私には何も変えられないかもしれません。それでも、聞くことはできます』


 俺はその一文を何度も読んだ。

 励ますために、俺は正しかったと言い切るのではない。

 忘れろとも書かない。

 聞くことはできる。

 その言葉が、胸の奥へ静かに入ってきた。

 子爵への推挙については、驚きと祝いの言葉が並んでいた。

 ただし、正式に決まるまでは、アルベルトの前で喜びすぎないようにしているらしい。

 アルベルトが横から手紙を読もうとしたため、別の部屋へ逃げたとも書かれている。

 最後の一文で、思わず笑った。


『帰る場所が広くなっても、私の手紙が届かないほど遠くへ行かないでください』


 俺が書いた言葉への返事だった。

 領地が増えるかもしれない。

 子爵になるかもしれない。

 火槍隊三千人の訓練を任される。

 仕事も、守るべき人も増えていく。

 それでも、エリーゼからの手紙が届く場所にはいたい。

 すぐに返事を書こうと紙を取り出した時、廊下を走る足音が聞こえた。

「アレク様」

 扉の外から声が掛かる。

「どうしました」

「ベルグハーフェンから急使です。王都へ向かった使者が戻りました」

 紙を置き、立ち上がる。

「国王陛下からの返書を?」

「はい。レオンハルト殿下が、すぐにお越しになるようにと」

 エリーゼの手紙を丁寧に畳み、机の引き出しへ入れる。

 返事を書くのは、王都から何が届いたのかを知ってからになった。


◇ ◇ ◇


 ベルグハーフェンへ着いた時には、完全に日が暮れていた。

 レオンハルトが使っている館の会議室には、マティアス、ユリウス、ギルベルト、ヴォルフラムが集まっている。

 机の上には、国王の印章が押された書状が置かれていた。

「遅くなりました」

「山から来たのだ。構わん」

 レオンハルトが椅子を示す。

「返事を読んでくださいましたか」

「今から全員の前で読む」

 ユリウスが書状を持ち上げた。

 最初に記されていたのは、シュヴァルツ伯の死と軍の敗北を確認したという言葉だった。

 濃紫の本陣旗。

 印章。

 命令書。

 最期を見た護衛の証言。

 四人の若い領主が署名した帰順書。

 それらを王都の役人が確認し、シュヴァルツ伯討伐を王家に対する功績として認める。

 ヴィクトル、カスパル、ロベルト、エイドリアンの帰順も受け入れる。

 四人の所領を安堵する方向で手続きを進める。

 ただし、税、軍役、領境については、改めて記録を提出する必要がある。

 マティアスが暫定的に管理している街道、橋、宿場、村についても、戦後の秩序を維持するため当面の管理を認める。

 俺が預かっている谷の村、関所、宿場、山林についても同じだった。

 ここまでは、レオンハルトが求めた内容がほぼ受け入れられている。

 だが、書状はそこで終わらなかった。

「マティアス・クレーマーを伯爵に、アレク・ハルトマンを子爵に推挙する件について、国王陛下は功績に相応するものとして認める意思を示されております」

 ユリウスが読み上げる。

 認めた、ではない。

 認める意思がある。

 正式な叙爵は、まだ行われていない。

「ただし、陛下はお二人の顔を一度見ておきたいとのことです」

「顔ですか」

 マティアスが尋ねる。

「商人上がりの男と、身元の分からない若者へ爵位を与えるのです。書状だけで決めたくないのでしょう」

 ユリウスが答えた。

「それだけか?」

 レオンハルトが聞く。

「いいえ」

 ユリウスは続きを読む。

 国王は、一万人のシュヴァルツ伯軍を、王都軍の助力なしに破った戦について、レオンハルト本人から説明を受けたいと求めていた。

 どのような地形だったのか。

 両軍をどこへ配置したのか。

 三百挺の火縄銃が、どのように敵中央を崩したのか。

 シュヴァルツ伯は、なぜ本隊から離れたのか。

 そして、どのような最期を迎えたのか。

 最後の問いについては、俺の名が記されていた。

「私が直接話すのですか」

「お前が討ったのだ」

 レオンハルトが答える。

「何度も降伏を求めたことも話してよろしいでしょうか」

「事実なら話せ」

「決闘のような形になったことも?」

「隠す理由があるか」

「命令は生け捕りでした」

「お前は生け捕ろうとした。シュヴァルツ伯が拒んで槍を向けた。そこで剣を抜かなければ、お前が死んでいた」

「はい」

「国王陛下へ話す時も、今と同じように答えろ。自分を大きく見せようとするな。小さく見せようともするな」

 それが一番難しい気がした。

「王都へ向かうのは、我々三人だけですか」

 マティアスが尋ねる。

「書状には、レオンハルト殿下、マティアス殿、アレク殿、四人の若い領主を招くとあります」

 ユリウスが答えた。

「四人は領地へ戻ったばかりだぞ」

 レオンハルトが言った。

「国王陛下は、帰順した四人の顔と忠誠も確かめたいのでしょう」

「呼び戻す必要があります」

 俺は言った。

「ただし、四人全員が領地を空ければ、また混乱するかもしれません」

「留守を預かる者を決めさせる」

 マティアスが答えた。

「ヴィクトルには小城の兵をまとめた者がいる。カスパル、ロベルト、エイドリアンにも、家臣の中から留守を任せる者を出させる」

「王都へ向かうまで、どれくらい猶予がありますか」

「日付までは指定されていません。準備が整い次第、出立の日を知らせるようにと」

「随分と穏やかな招き方ですね」

「穏やかに見えるよう書いてあるだけだ」

 レオンハルトは国王の書状を机へ置かせた。

「王都は、俺がどれだけの力を得たのか確かめたい」

「シュヴァルツ伯を倒したことを喜びながら、殿下を警戒している」

「お前にも分かるか」

「はい」

 王家にとって、シュヴァルツ伯は反抗する有力諸侯だった。

 その敵がいなくなったことは喜ばしい。

 だが、王都軍を借りずに一万人を破った第一王弟が、以前より安全な存在になったとは限らない。

「普通に王都へ行けば、値踏みされるだけだ」

 レオンハルトが言った。

「では、どうなさいますか」

 マティアスが尋ねる。

「凱旋する」

 部屋の空気が変わった。

「軍を連れていくのですか」

「王家の敵を討ったのだ。勝った軍が、勝った姿を見せて何が悪い」

「全軍は動かせません」

 ユリウスがすぐに言った。

「シュヴァルツ伯の旧領、街道、橋、倉を守る兵が必要です。降伏していない諸侯も残っています」

「分かっている。六千七百人全員を連れていくつもりはない」

「何人を」

「二千では少ない。三千では多い」

「では、その間ですね」

 マティアスが言った。

「二千五百を基準に選べ」

 レオンハルトは地図を広げさせた。

「騎兵、槍兵、弓兵。兵站隊と荷車も揃える。シュヴァルツ伯から奪った旗も持っていく」

「捕虜は?」

「見世物にはしない。最期を見た護衛だけ、証人として同行させる」

「火槍隊はどうしますか」

 ギルベルトが尋ねた。

 レオンハルトは、その問いを待っていたように笑った。

「四百人だ」

「現在、火縄銃を持つ射手は三百人です」

「追加の百挺を作っている」

「完成まで二十六日の予定です」

「なら待つ」

「国王陛下を二十六日以上お待たせするのですか」

「出立の準備と四人を呼び戻すだけでも日数は掛かる。百挺が完成し、試射を終えてから出る」

「現在の支援兵百人を射手へ移すのですか」

 俺が尋ねた。

「そうしろ」

「新しい支援兵が必要です」

「集めろ」

「射手四百人が王都へ向かえば、工場と試験場の守りが減ります」

「全員を王都の中へ入れるとは言っていない。警備の交代要員も別に置け」

 次々に仕事が増えていく。

 俺が考えていることに気づいたのか、マティアスが口を開いた。

「新しい支援兵は、クレーマー商会の護衛と荷運び人の中から希望者を募ります。火薬を扱う者、荷車を守る者、負傷者を運ぶ者で分けましょう」

「全員へ火縄銃の基本は教えます」

 俺は言った。

「ですが、追加百挺が完成したその日に四百人で動けるわけではありません」

「今いる支援兵は、木製の模擬銃で訓練を受けているのだろう」

 レオンハルトが尋ねる。

「はい。実銃を使った訓練も、交代で少しずつ行っています」

「ならば、完成した十挺から渡せ。百挺揃うまで待ってから始めるな」

「承知しました」

「ヴォルフラム」

「はい」

「お前も同行しろ」

「火槍隊を率いるのでしょうか」

「ギルベルトと二人で四百人を動かせ。王都で、お前がこれから何を率いるのかも見せる」

「承知いたしました」

「四百挺を、王都で撃つおつもりですか」

 ユリウスが慎重に尋ねた。

「撃つ」

「城壁へ向ければ、凱旋ではなく攻撃です」

「弾は込めん」

 レオンハルトは王都の門を地図上で指した。

「門前の広場へ四百人を並べる。火薬だけを装填し、勝利を告げる空砲を撃つ」

「無断で行えば、城門守備隊が弓を構えます」

「事前に知らせる。国王陛下へ、戦勝の祝砲を行いたいと書状を送れ。城門守備隊にも、火薬だけで弾を入れないことを確認させる」

「王都の民は近づけません」

「広場を空けさせろ。見物する者は城壁か、定めた場所から見せればよい」

「四百挺を一度に撃てば、馬が暴れるかもしれません」

 俺は言った。

「騎兵と荷馬車は離します。火槍隊の前後にも人を置きません」

「火の残った紙や栓が飛ぶ可能性は」

「銃口の前を空けます。火薬の量も、実戦用より減らします」

「雨なら」

「撃たん」

 レオンハルトは迷わず答えた。

「祝砲のために事故を起こせば、笑いものになる。条件が悪ければ中止だ」

「そこまでして撃つ必要がありますか」

 分かっていながら尋ねた。

 レオンハルトは俺を見る。

「必要があるから撃つのではない。撃てることを見せる」

「王都の諸勢力へ、ですか」

「そうだ」

 国王には事前に知らせる。

 弾を入れず、門前の安全も確保する。

 表向きは、王家の敵を討ったことを知らせる戦勝の祝砲だ。

 だが、四百挺の火縄銃が一斉に音と煙を放てば、その場にいる誰も、ただの祝いとは受け取らない。

「シュヴァルツ伯軍が何を受けたのか、王都の者は書状でしか知らん」

 レオンハルトが言った。

「四百の銃口を見れば、想像する必要はなくなる」

「国王陛下を脅すことにはなりませんか」

「王都へ入る前に撃ち、全ての火縄銃を確認させる。弾も持ち込まん。俺は王家の敵を討った第一王弟として入城する」

「ですが、他の者には」

「王都軍なしで一万を破り、四百挺を王都まで運べる男に見える」

 レオンハルトは薄く笑った。

「同じ目では見られん」

 勝った事実だけでは、政治の力にはならない。

 誰が勝ったのか。

 どのように勝ったのか。

 次に何ができるのか。

 それを相手へ見せて、初めて力になる。

 マティアスが商いで商品を見せるように、レオンハルトは王都へ軍を見せようとしていた。

「アレク」

「はい」

「四百人を揃えろ」

「追加百挺の完成と検査を急がせます。ただし、検査を省くことはできません」

「省けとは言わん」

「新しい射手の訓練も必要です」

「ギルベルトとヴォルフラムを使え」

「二千五百人分の行軍と宿営も」

「マティアスを使え」

「私の領地の仕事は」

「部下を使え」

「私以外の者ばかりですね」

「三千人を一人で動かすなと言ったのは、お前だろう」

 言い返せなかった。

「王都へ行けば、国王陛下の前でシュヴァルツ伯の最期を話してもらう」

 レオンハルトが続ける。

「マティアスは、自分が何をして四人を帰順させたのか話せ」

「商人に化けて敵領へ入ったところからですか」

「そこは少し短くしろ。真似をする者が出る」

「承知しました」

「四人には、自分の言葉で帰順の理由を話させる」

「殿下は?」

 ユリウスが尋ねる。

「俺は、勝ち方を話す」

「火縄銃の構造まで?」

「話さん。国王陛下が知りたいのは、筒の作り方ではない。俺が何を持ち、次に何ができるかだ」

 会議室の全員が黙った。

 王都へ行く。

 国王の前に立つ。

 子爵への叙爵を受けるかもしれない。

 ほんの少し前まで、山間の小領地と百人の兵を与えられただけでも、自分には大きすぎると思っていた。

 今は、さらに領地が増えようとしている。

 三千人の火槍隊を動かす仕組みを作れと言われている。

 そして次は、王都だ。

「出立までに、やるべきことをまとめます」

 俺は言った。

「領地の留守を任せる者。追加百挺の製作と試射。支援兵から射手へ移る百人の訓練。新しい支援兵の募集。四百人分の火縄、火薬、一発筒。ただし、王都へ持ち込む弾と火薬の数は分けます」

「空砲用の火薬も、実戦用と同じ一発筒へ入れるな」

 ギルベルトが言った。

「間違えて弾を入れないよう、別の色と形にしましょう」

「容器そのものを変えます」

「王都へ着く前に、空砲の訓練も必要です」

 ヴォルフラムが加わった。

「一斉射撃の後、勝手に再装填する者が出ないようにする。撃った後の姿勢も揃えた方がよい」

「赤い布の合図を使います。ただし、一度だけです」

「煙で見えなくなる前に終わるな」

「はい」

 もう、四百人を一人で動かす話にはなっていなかった。

 ギルベルトが射撃と安全を考える。

 ヴォルフラムが隊列と動きを考える。

 マティアスが人と荷を揃える。

 ユリウスが王都との連絡と許可を整える。

 レオンハルトが、その全てを何のために見せるかを決める。

 俺は、それぞれの間に抜けているものがないかを確かめる。

「準備に入れ」

 レオンハルトが命じた。

「王都へ、俺たちがどのように勝ったのか見せに行く」

 会議が終わり、俺は国王の返書の写しを受け取った。

 領主館へ戻ったのは、夜が深くなってからだった。

 机の上には、朝から届いていた領地の報告書が積まれている。

 谷の村。

 宿場。

 関所。

 山道。

 戦傷者へ任せる仕事。

 その隣へ、工場から持ち帰った追加百挺の予定表を置く。

 さらに、国王からの召喚状。

 四人の若い領主からの報告書。

 最後に、引き出しからエリーゼの手紙を取り出した。

 帰る場所が広くなっても、手紙が届かないほど遠くへ行かないでほしい。

 返事に何と書けばよいだろう。

 今度は王都へ行くことになった。

 アルヴェインへ近づくわけでも、遠ざかるわけでもない。

 だが、俺の立場は確実に変わろうとしている。

 十挺から始まった火縄銃は、三百挺になった。

 三百挺の火は、一万人の軍を崩した。

 その勝利は、四人の領主をマティアスのもとへ集め、従来型火槍の値を上げ、周辺国の商人を動かした。

 マティアスを伯爵へ、俺を子爵へ近づけた。

 次は四百挺だ。

 弾を込めずとも、その音は王都の城壁を震わせる。

 机に紙を置き、エリーゼへの返事を書き始めた。


『近いうちに、王都へ向かうことになりました』


 そこで一度、筆を止める。

 次に会えるとは、まだ書けない。

 王都で何が起きるかも分からない。

 それでも、今度は自分の無事だけでなく、どこへ行き、何をしようとしているのかを伝えたかった。

 領地で生まれた火。

 工場で増えた火。

 戦場を変え、噂となって諸国へ広がった火。

 その火は村と街道を越え、ついに王都の門前へ届こうとしていた。

第二十四話を読んでいただき、ありがとうございました。


アレクが考えた火槍売却の策が動き始め、火縄銃の生産と部隊拡大も次の段階へ進みました。そして、国王から届いた召喚状によって、レオンハルトたちは王都へ向かうことになります。


第五篇「乱世に広がる火」は今回で完結です。次回から始まる第六篇では、四百挺の火縄銃による祝砲とレオンハルト軍の凱旋、国王との対面、マティアスとアレクの叙爵を巡る王都での物語を描きます。


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