第二十三話 戦功の行方
シュヴァルツ伯との戦いは終わりました。しかし、勝利によって生まれた責任と変化は、これから形になっていきます。戦功を誰に、何として与えるのか。論功行賞が始まります。
論功行賞は、勝った者へ褒美を配るだけの場ではなかった。
戦場の中央に設けられた大きな天幕には、敵から接収した箱が並べられている。
銀貨。
食料の引換証。
武器や馬の記録。
シュヴァルツ伯軍が諸侯から集めた軍資金もあった。
だが、その箱が最初に開かれたのは、敵将を討った者や、敵の旗を奪った者のためではない。
「戦死者百八十三人」
ユリウスが読み上げる。
戦が終わった朝に聞いた数より、十三人増えていた。
治療所へ運ばれた後に亡くなった者と、追撃先で見つかった者だ。
「重傷者は百二十六人。そのうち、軍務へ戻れない可能性が高い者が三十九人。その他の負傷者は三百七十一人です」
天幕の中が静かになる。
百八十三という数字だけなら、六千七百人の軍で一万人を破った被害としては少ないのかもしれない。
だが、名前を一人ずつ書いた名簿は厚かった。
その一行ごとに、家族や友人がいる。
「戦死者の家族には、銀貨と一年分の食料を与える」
レオンハルトが命じた。
「子供や年老いた親を養っていた者については、家族の人数を調べ、必要なら二年目以降も扶持を出せ」
「財源は、今回接収した軍資金からでよろしいでしょうか」
ユリウスが確認する。
「まずはそれを使え。不足する場合は俺の金庫から出す」
「重傷者は」
「軍務へ戻れない者を放り出すな。読み書きのできる者は倉や役所へ、馬を扱える者は厩舎へ回せ。手足を失った者でもできる仕事を探せ」
「仕事を望まない者には?」
「故郷へ帰す。その場合も当面の食料と銀貨を渡せ」
次に、負傷した馬と失われた装備が確認された。
騎兵の中には、自分で用意した馬を失った者もいる。馬を失ったまま補償がなければ、次の戦で騎兵として働くことはできない。
槍や弓、鎧も同じだ。
戦で使えなくなった装備を兵個人の損失にすれば、次に命を懸けて戦う者はいなくなる。
「敵から得た馬を確認し、使えるものは失った者へ回せ」
レオンハルトが言った。
「ただし、元の持ち主が分かり、降伏している場合は勝手に奪うな。敵軍の共有財産だった馬と、主を失った馬を分けろ」
「時間が掛かります」
「掛けろ」
「承知しました」
レオンハルトは、すぐに次の戦を始めるような顔で命じていた。
だが、話しているのは死んだ者の家族と、傷ついた者がこれからどう生きるかだった。
「一般兵への戦勝報奨は、部隊ごとに同額を基本とする」
「敵将を討った者や、旗を奪った者への加算は」
「別に記録する。ただし、先に敵陣へ入った者だけを大きく扱うな」
レオンハルトは、天幕に集まった指揮官たちを見る。
「この戦は、最後に剣を振った者だけのものではない。土を掘った者、柵を立てた者、兵糧を運んだ者、馬を繋いだ者、負傷者を背負った者がいた。命令を守って持ち場を離れなかった者もいる」
俺の頭に、火薬や弾を運んだ支援兵たちの姿が浮かんだ。
三百挺が何度も撃てたのは、射手が一発筒を持っていただけではない。
後方の荷車から火薬、弾、一発筒、予備の火縄を運び、空になった容器を回収した者がいる。
敵が崩れた時に前へ出ず、火薬の荷車を守った者もいる。
「戦功を報告する者は、目立つ働きだけを書くな」
レオンハルトが続ける。
「誰かの失敗を止めた者。命令を復唱した者。降伏した敵を殺さなかった者も記録しろ」
指揮官たちが頭を下げる。
俺は、自分の手へ巻かれた布を見た。
シュヴァルツ伯を討った剣を握った手だ。
その俺より先に、名前も知らない兵の家族へ褒美が決められていく。
それでよかった。
そうでなければ、論功行賞ではなく、目立った者だけが戦を自分のものにする場になってしまう。
◇ ◇ ◇
一般兵への取り決めが終わると、個別の戦功が読み上げられた。
槍兵の指揮官。
土塁を守った弓兵。
敵中央の横腹へ突入した騎兵。
敗走兵を追いすぎず、命令に従って戻った者。
敵の軍旗を奪った兵。
負傷者を運んだ者。
名を呼ばれた者が一人ずつ前へ出る。
すぐにすべての銀貨や褒美を渡すわけではない。その場では戦功を認め、後から部隊と出身地を確認して正式な記録へ加える。
やがて、ユリウスが一枚の紙を持ち上げた。
「火槍隊、ギルベルト」
「はい」
俺の隣にいたギルベルトが前へ出る。
ギルベルトはレオンハルトの前で膝をついた。
「お前は以前の戦から火縄銃を扱い、兵の訓練と号令を担った」
レオンハルトが言った。
「はい」
「今回の戦では、三百人の射手と百人の支援兵をまとめた。間違いないか」
「全体を決めたのはアレク様です。私は命令を各班へ伝えました」
「その命令を三百人へ届け、三つの班を順番に動かしたのはお前だ」
ギルベルトは黙って頭を下げた。
「一班が林へ移動した後も、二班と三班は射撃を続けた。古い街道では百人を三十、三十、四十へ分け直し、後続への警戒を解かなかった」
「当然のことをしただけです」
「当然のことを、矢と煙の中でできる者は多くない」
レオンハルトがユリウスへ目を向ける。
ユリウスが、ギルベルトの戦功を記した紙を読み上げた。
三百挺の射撃を支えたこと。
聞き違いを止めたこと。
装填が遅れた兵を置き去りにせず、隊列を揃えたこと。
シュヴァルツ伯を包囲した時も、三班を街道へ向けたまま残したこと。
降伏した護衛や敗走兵へ無用な発砲をさせなかったこと。
すべて、俺も見ていた。
「ギルベルト」
「はい」
「今後、火槍隊を増やす」
ギルベルトが顔を上げた。
「今回の四百人で終わりではない。お前には、その一方を率いる隊長になってもらう」
「一方、とは」
「後で話す」
レオンハルトはわずかに口元を上げた。
「今は、褒美を受け取れ」
銀貨の入った小箱と、新しい短剣が運ばれてくる。
豪華すぎるものではない。
だが、柄にはレオンハルトの紋章が小さく刻まれていた。
「火槍隊を率いた証だ」
「ありがたく頂戴いたします」
ギルベルトは短剣と小箱を受け取り、再び頭を下げた。
こちらへ戻ってくると、俺は小声で話しかけた。
「おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「隊長ですね」
「まだ何人を率いるのか聞いておりません」
「私も聞いていません」
「嫌な予感がします」
「奇遇ですね。私もです」
ギルベルトは短剣を見た後、レオンハルトへ視線を戻した。
表情はいつもと変わらない。
それでも、小箱を抱える手には少しだけ力が入っていた。
◇ ◇ ◇
次に呼ばれたのは、ヴィクトル、カスパル、ロベルト、エイドリアンだった。
四人は揃って前へ進み、レオンハルトの前へ膝をつく。
彼らは勝者として論功行賞へ参加しているわけではない。
表向きにはシュヴァルツ伯軍へ加わり、レオンハルト軍と戦った。
その一方で、戦の前からマティアスへ情報を送り、敵軍の内部でシュヴァルツ伯を孤立させるために動いた。
どちらか一方だけを見て、処遇を決めることはできない。
「四人の働きは確認した」
レオンハルトが言った。
「敵軍の兵数、進軍経路、軍議の内容を知らせた。旗によってシュヴァルツ伯本人の移動を伝え、荷車と騎兵を動かして護衛を分断した」
「はい」
カスパルが答える。
「その働きがなければ、シュヴァルツ伯を古い街道で止めることは難しかった」
俺の百人が林を抜けても、護衛騎兵がまとまっていれば道を塞げなかったかもしれない。
シュヴァルツ伯と五人の騎兵だけを先頭へ出せたのは、四人の働きが重なった結果だ。
「だが、お前たちの兵がこちらと戦ったことも事実だ」
「承知しております」
ヴィクトルが答えた。
「敵側から見れば、お前たちは裏切り者だ。こちらから見れば、戦が始まるまで本当に約束を守るか分からない者だった」
「はい」
「ゆえに、功績があるから何もかも許すとは言わん。今後の忠誠は、これからの行動で示せ」
「承知いたしました」
四人が揃って頭を下げる。
「ただし、四人の領地は戦利品として没収しない」
その言葉に、エイドリアンの肩からわずかに力が抜けた。
「家族と領民を保護し、レオンハルト軍による略奪を禁じる。各領へ送った使者にも、同じ命令を持たせている」
「ありがとうございます」
「まだ終わりではない」
レオンハルトは声を緩めない。
「俺は国王ではない。恒久的な所領安堵には王家の追認が必要だ。だが、少なくとも俺の支配する地域で、四つの領地を勝手に奪うことは許さん」
「十分でございます」
ロベルトが答えた。
「我々が領地へ戻り、領民へ説明する時間をいただけるだけでも」
「戻る前に決めることがある」
レオンハルトの視線がマティアスへ移る。
「お前たちは、マティアスの下へ仕えることを望んだな」
「はい」
四人が答えた。
「マティアス」
「お聞きしております」
「受け入れるか」
マティアスはすぐに返事をしなかった。
四人の前へ出て、一人ずつ顔を見る。
「領地を残してもらえると決まったから、俺の臣下になるのか」
「違います」
ヴィクトルが答えた。
「では、なぜだ」
「我々の書状を読んだだけで信用せず、自ら会いに来られました」
「疑っただけだ」
「疑われて当然でした。それでも、我々の家族と領民を危険に晒さない方法を考えてくださいました」
「それで恩を感じたか」
「恩だけで主君は選びません」
ヴィクトルの言葉に、マティアスの目が少し細くなる。
「ならば、何で選ぶ」
「シュヴァルツ伯は、領地から何人の兵とどれだけの食料を出せるかだけを尋ねました。出した後に領民がどうなるかは尋ねませんでした」
ヴィクトルはマティアスを正面から見る。
「あなたは、我々が表立って寝返れば領地がどうなるかを先に尋ねました」
「だから俺なら領地を守ると思ったのか」
「守れない時には、守れないと認める方だと思いました」
マティアスが小さく息を吐く。
「買い被られているな」
「違うのであれば、今ここでお断りください」
「ヴィクトル」
カスパルが制止しようとしたが、マティアスが手を上げた。
「構わん」
ヴィクトルは頭を下げなかった。
父親を失い、若くして家督を継いだ。
誰かの言葉へ簡単に従うことを、もうやめたのかもしれない。
「俺の臣下になるなら、先に条件を聞け」
マティアスが言った。
「領地の兵数、税収、収穫量、借財を隠すな。都合の悪い帳簿だけ燃えたとは言わせん」
「はい」
「私的な戦を始めるな。境界や水の争いが起きた場合は、兵を出す前に俺へ知らせろ」
「はい」
「街道と橋を勝手に塞ぐな。通行税を変える時も、四人だけで決めるな」
「承知しました」
「求められた軍役は果たせ。ただし、出せない時は早く言え。兵も食料もないのに、できると答える者が一番困る」
「はい」
「領民が逃げ始めた時も隠すな。逃げた者を捕まえる前に、なぜ逃げたのかを調べろ」
「承知しました」
「四人の間で争いが起きた場合は、武力を使う前に俺の裁定を受けろ。シュヴァルツ伯側に残った親族や家臣と密かに取引することも許さん」
四人は条件を一つずつ聞き、最後に揃って頭を下げた。
「すべて受け入れます」
「ならば、俺も受け入れる」
マティアスがレオンハルトへ向き直る。
「レオンハルト殿下への忠誠を前提として、四人を私の臣下といたします」
「認める」
レオンハルトが答えた。
「王家の追認を得るまでは暫定的なものとなるが、四人への命令はお前を通せ」
「承知しました」
ヴィクトルたちはマティアスへ向き直り、改めて臣従を誓った。
マティアスは四人の領地を取り上げなかった。
日々の統治も、これまでどおり四人へ任せる。
ただし、外交、軍役、街道、兵站、税の基準はマティアスが統括する。
四人は名前だけを残された領主ではない。
自分の領地を治め、その結果へ責任を負う家臣となった。
「臣下になったのなら、最初の仕事を与える」
マティアスが言った。
「ヴィクトル」
「はい」
「領内の兵と城砦を確認しろ。シュヴァルツ伯の死を認めず、兵を集めようとしている家臣がいれば報告させろ」
「討ちますか」
「先に降伏を求めろ。家族を人質に取られて従っていただけの者まで殺すな」
「承知しました」
「カスパル」
「はい」
「シュヴァルツ伯側に残った諸侯の動きを調べろ。誰が降伏を望み、誰がまだ兵を集めているのか。書状と旗印も整理しろ」
「お任せください」
「ロベルト」
「はい」
「街道、荷車、倉、兵糧、借財を調べろ。特に、ベルグハーフェンから四領までの間にある橋と渡し場だ」
「通行税も確認します」
「頼む」
「エイドリアン」
「はい」
「騎兵を使って街道を巡回しろ。敗走兵が盗賊になり、村を襲っていないか確認する」
「見つけた場合は捕らえます」
「武器を捨てて故郷へ帰る者は帰せ。村から食料を奪った者は捕らえろ。一人で追うな」
「分かっています」
「本当に分かっている顔ではないな」
「分かっています」
エイドリアンの返事が少し強くなる。
「若さを見せるために先頭へ出る必要はない」
「……承知しました」
四人はそれぞれの命令を受けた。
「俺の臣下になった最初の仕事は、俺のそばへ立つことではない」
マティアスが四人を見渡す。
「自分の領民を守れ」
「はい」
四人が揃って答えた。
ヴィクトルだけが、戻る前に俺を見た。
視線が一瞬重なる。
だが、言葉はなかった。
俺の火槍隊が父親を討った事実は、臣従の誓いによって消えるものではない。
同じ主君の下へ入っても、すぐに仲間になれるとは限らない。
それでも、今は同じ目的へ向かって動く。
領地を安定させ、敗走兵による略奪を防ぐ。
最初はそれで十分だった。
◇ ◇ ◇
四人が下がると、地図が運び込まれた。
ベルグハーフェン、俺の山間領、シュヴァルツ伯の旧領、四人の領地が描かれている。
マティアスが敵領へ入る前に集めた地図へ、戦後に確認した街道と橋が書き加えられていた。
「マティアス・クレーマー」
レオンハルトに呼ばれ、マティアスが前へ出る。
「今回の戦で、お前は敵領へ入った」
「はい」
「俺の許可は出していなかったな」
「お止めになると思いましたので」
「当然だ」
「ですが、結果は得ました」
「死んでいれば、結果も何もない」
「死ななかったから、ここにおります」
レオンハルトがマティアスを睨む。
マティアスは平然としている。
「次からは先に言え」
「事情によります」
「言え」
「努力します」
「アレクと同じ答え方をするな」
「私が教えました」
「教わっていません」
俺が否定すると、レオンハルトは額へ手を当てた。
「お前たちをまとめて処罰したくなってきた」
「論功行賞では?」
マティアスが尋ねる。
「だから困っている」
天幕の中から、抑えた笑い声が漏れた。
レオンハルトは咳払いをし、ユリウスへ続きを促す。
ユリウスが、マティアスの戦功を読み上げる。
敵領へ入り、四人の若い領主と直接会ったこと。
四人から送られた情報を整理し、敵の兵数と進軍路を予測したこと。
六千七百人分の兵糧と荷車を揃えたこと。
火縄銃三百挺へ必要な火薬、弾、一発筒、予備の火縄を用意したこと。
シュヴァルツ伯の退路を予測し、四人へ護衛と荷車を動かすよう指示したこと。
戦後は捕虜へ配る食料を確保し、敗走兵が村を襲わないよう街道を封鎖したこと。
読み上げるだけでも長い。
「以前、ベルグハーフェンをお前へ与えた」
レオンハルトが言った。
「はい」
「だが、今はベルグハーフェン一つを治めるだけの立場ではない」
レオンハルトは地図上の四つの領地を指す。
「領主四人が、お前へ臣従した」
「まだ王家の追認を受けておりません」
「だから、これから受ける」
次に、ベルグハーフェンから四領へ向かう街道を指でなぞる。
「この間にあるシュヴァルツ伯の旧直轄領、後継者を失った小領地、街道沿いの村、橋、渡し場、宿場を調べさせる」
「すべてを私の領地にするのですか」
「必要な場所だけだ」
「飛び地が増えます」
「道でつなげ」
「簡単におっしゃいますね」
「道を使って金と兵糧を動かすのは、お前の得意な仕事だろう」
「その道を直す金も必要です」
「接収した軍資金の一部を使え。足りなければ、収入を得られるようにしろ」
マティアスは地図を見下ろした。
領地が増えると聞いても、笑わない。
どこに橋があり、どの道が冬に使えなくなり、どの村へ兵を置かなければならないかを考えている。
「この地域の暫定的な管理をお前へ任せる」
レオンハルトが告げた。
「正式な領有は、王家の追認を得てからだ」
「承知しました」
「四人の領主を臣下として束ね、ベルグハーフェンから四領までの街道を管理する。今のお前の立場では足りん」
マティアスが顔を上げる。
「国王陛下へ、お前を伯爵に叙するよう推挙する」
今度こそ、天幕の中が完全に静まった。
商人だったマティアスが、ベルグハーフェンの領主となった。
それだけでも、古くからの貴族には受け入れがたい話だっただろう。
今度は伯爵だ。
複数の領主を臣下として束ね、広い地域と街道を管理する立場になる。
「異論は」
レオンハルトが尋ねる。
「領地が増えるのではなく、食わせる者と守る道が増えるのですね」
マティアスが答えた。
「嫌か」
「いいえ」
「では、受けるな」
「正式に認められた場合は、ありがたく頂戴いたします」
マティアスは膝をつき、頭を下げた。
「ただし、伯爵となってもクレーマー商会は動かします」
「好きにしろ。お前から商会を取り上げれば、領地だけを持つ扱いにくい男が残る」
「随分な言われ方ですね」
「違うか」
「否定はしません」
レオンハルトはユリウスへ、伯爵推挙の書状を準備するよう命じた。
王都が簡単に認めるとは限らない。
だが、シュヴァルツ伯を討ち、四人の領主が臣従を望んだ事実がある。
マティアス以外の者へ地域を任せれば、四人が再び離反する可能性もある。
王都が反対するなら、それに代わる人物と方法を示さなければならなかった。
◇ ◇ ◇
「アレク・ハルトマン」
「はい」
自分の名を呼ばれ、前へ出る。
膝をつくと、鎧の下に残る打ち身が痛んだ。
顔には出さないようにする。
「お前の戦功は、どこから数えるべきだと思う」
レオンハルトが尋ねた。
「今回の戦であれば、火槍隊の訓練からでしょうか」
「火縄銃を作ったところからではないのか」
「作ったのは職人たちです」
「構想したのは」
「私ですが、一人では形にできませんでした」
「三百挺を作る金と材料を集めたのは」
「マティアス様とクレーマー商会です」
「兵を預けたのは」
「レオンハルト殿下です」
「訓練したのは」
「ギルベルトや教官たちです」
「では、お前は何をした」
「それぞれの方へ、必要なことをお願いしました」
レオンハルトが笑った。
「以前にも聞いた答えだな」
アルベルトからも、似たことを言われた。
俺は異なる力を持つ者たちの間へ入り、一つの形にしたのだと。
「だから、お前一人の功績とは記していない」
レオンハルトが言う。
「だが、それらを一つの戦場で動かした者の名を消すこともできん」
ユリウスが俺の戦功を読み上げる。
火縄銃の構想と改良。
一発筒と携帯用弾薬箱。
赤い布による射撃合図。
三百人の射手と百人の支援兵の訓練。
土塁、馬防柵、槍兵、弓兵、騎兵を組み合わせた配置。
三百挺による交代射撃。
敵中央が崩れた後、一班百人を率いて林へ移動したこと。
古い街道を封鎖し、シュヴァルツ伯の騎馬を止めたこと。
降伏を求めた後、抵抗したシュヴァルツ伯を討ったこと。
敵将を討った後も、街道の警戒と捕虜の管理を続けたこと。
自分のしたことを、他人の声で一つずつ聞くのは落ち着かなかった。
どれも俺一人で成し遂げたことではない。
それでも、自分がそこにいたことは否定できない。
「今のお前の領地は、ベルグハーフェンに隣接する山間部にある」
「はい」
「村と集落、山林、山道、試験場、研究所を持つ。兵百人を養うだけの収入もある」
「領民とクレーマー商会の助けがあってのものです」
「だが、これからは足りん」
レオンハルトが地図を見る。
「ベルグハーフェンと四人の領地を結ぶ道に、お前の領地が入る。火槍隊の訓練も増える」
「はい」
「現在の領地に隣接する谷の入口、その周囲にある二つの村、街道沿いの宿場、古い関所を暫定的に管理させる」
思わず地図へ目を向けた。
今の領地からベルグハーフェンへ向かう道と、四人の領地へ続く道が分かれる場所だ。
鉄鉱石を荷車から別の荷車へ積み替えられる広場もある。
「山林と牧草地も境界を調べたうえで加える」
「そこまでいただいても、すぐに管理できません」
「だから暫定管理だ。村長と今の役人を残し、急に税を変えるな」
「承知しました」
「正式な加増は、王家の追認を受けてからになる」
レオンハルトは、少し間を置いた。
「国王陛下へ、お前を子爵に叙するよう推挙する」
「私を、ですか」
「ほかにアレク・ハルトマンがいるのか」
「いません」
「ならば、お前だ」
子爵。
言葉の意味は分かる。
だが、自分のこととして聞くと、頭の中でうまく形にならなかった。
身元の分からない十五歳の少年としてラーデン村へ現れた。
マルセル神父に保護され、アルベルトの小姓となった。
マティアスについていきたいと願い、今は小さな領地と兵百人を預かっている。
それが今度は、子爵に推挙される。
「何か不満か」
「いいえ。ただ、あまりに急で」
「戦場では急に敵が来ても動いたではないか」
「爵位と敵は違います」
「似たようなものだ。受ければ責任が増える」
「それは分かります」
「ならば覚悟しておけ」
レオンハルトの言葉を聞きながら、エリーゼの姿が浮かんだ。
林檎の花の髪飾り。
首元に着けていた首飾り。
久しぶりに会えたことを、素直に喜んでくれた顔。
大公の姪であるエリーゼと、身元不明だった俺。
爵位を得れば、すぐに何もかも釣り合うわけではない。
領地を安定させ、家臣を育て、与えられた役割を果たす必要がある。
それでも、以前よりは近づけるのかもしれない。
「アレク」
マティアスに呼ばれ、我に返る。
「はい」
「国王陛下へ推挙される場で、別のことを考えるとは余裕だな」
「別のことではありません」
「では、何を考えていた」
「領地のことです」
「どの領地だ」
「私の領地です」
「アルヴェインではなく?」
「なぜそこでアルヴェインが出てくるのですか」
「顔に書いてある」
「書いてありません」
マティアスがニヤニヤしている。
レオンハルトまで、こちらを面白そうに見ていた。
「何の話だ」
「アレクが、子爵となった自分を誰に見せたいのかという話です」
「マティアス様」
「なるほど」
レオンハルトは何かを察したらしい。
「アルベルトにも知らせておくか」
「まだ正式に決まっていません」
「だから推挙したとだけ知らせる」
「エリーゼには」
言いかけて止まる。
マティアスの笑みがさらに深くなった。
「誰もエリーゼ様の名前は出していないぞ」
「今のは忘れてください」
「難しいな」
「マティアス様」
「論功行賞の最中だ。静かにしろ、アレク」
「始めたのはマティアス様です」
天幕の中から笑い声が上がる。
恥ずかしさで顔が熱くなる。
それでも、子爵という言葉を聞いた時より、少しだけ現実を感じられるようになった。
正式に認められるかは、まだ分からない。
王都の貴族が反対する可能性もある。
それでもレオンハルトは、俺の名を国王へ届けようとしていた。
◇ ◇ ◇
「これで終わりではない」
レオンハルトが言った。
論功行賞に集まった者たちが、再び静かになる。
「シュヴァルツ伯軍を破ったことで、火縄銃の価値は証明された」
天幕の外には、戦場から回収された火縄銃が並べられている。
破損したものは分けられ、ベルグハーフェンへ戻して修理する準備が始まっていた。
「三百挺で敵中央を崩した」
レオンハルトは俺とギルベルトを見る。
「ならば、三百挺のまま止める理由はない」
「追加製作ですか」
俺が尋ねる。
「火縄銃三千挺。射手三千人を揃える」
天幕の中が、先ほどとは別の意味で静まった。
三百ではない。
三千。
十倍だ。
「三千挺を、いつまでに」
「明日とは言わん」
「明日と言われても不可能です」
「分かっている。だが、目標を三百のままにすれば、工場も訓練場所も三百人分から変わらん」
レオンハルトは地図へ新しい線を引かせる。
「三千人は二つに分ける。千五百人をマティアス側、千五百人を俺の直属とする」
「指揮官は」
「マティアス側はギルベルト」
ギルベルトの顔が固まった。
「私が千五百人を?」
「そのために隊長とした」
「現在は、射手三百人と支援兵百人です」
「だから増やせ」
レオンハルトは簡単に言う。
「俺の直属千五百人には、別の隊長を置く。候補はこれから選ぶ」
「火縄銃を扱った経験がある者は、ギルベルトと教官たち以外には」
「経験がないなら学ばせろ。兵をまとめ、命令を守らせられる者を選ぶ」
その通りだった。
火縄銃の扱いに詳しくても、千五百人を動かせるとは限らない。
逆に、多くの兵を率いた経験があっても、新しい武器の危険を軽く見れば事故を起こす。
「全体の訓練方法と、合同した場合の戦場指揮はアレクに任せる」
「私が三千人を」
「一人ずつ動かせとは言っていない。二人の隊長と、各班の指揮官を使え」
「支援兵はどうしますか」
「三千人へ火縄銃だけを渡して終わりにはできません」
ギルベルトが口を挟む。
「火薬、弾、一発筒、火縄、修理道具を運ぶ者が必要です。負傷者を運ぶ者と、火薬の荷車を守る兵も」
「どれだけ必要だ」
レオンハルトが俺を見る。
「少なくとも千人は必要だと思います」
「三千人の射手に、支援兵千人か」
「戦場や移動距離によって増減します。火薬と弾を運ぶ荷車は、射手と同じ場所へ置けません。火縄と火種を管理する者も必要です」
「ならば、支援兵も千人を目標にしろ」
三千人の射手。
千人の支援兵。
合わせて四千人。
今の俺の領地だけで養える数ではない。
レオンハルトとマティアスが分担して兵を出し、火薬と弾を別に供給しなければ維持できない。
「最初は、追加百挺からです」
俺は言った。
「破損した火縄銃の修理もあります。現在の支援兵百人は基本的な射撃訓練を受けていますから、追加百挺を渡せば射手四百人へ増やせます」
「その百人が射手になれば、支援兵がいなくなります」
ギルベルトが指摘する。
「新しい支援兵を同時に集めます。全員を一度に射手へ移すのではなく、交代で実銃訓練を行います」
「次は」
「工場の状態を確認してから、数百挺単位で増やします」
「三千挺を一度に作らせないのか」
「一度に発注しても、鉄筒、ばね、木台、引金、掛け金のどこかで作業が止まります。検査できる人数にも限りがあります」
俺は指を折りながら必要なものを挙げる。
「鉄、木材、ばねを作れる職人、火縄銃を組み立てる場所、完成品を検査する者、試射場が必要です。火薬工房と鍛冶場を近づけすぎることもできません」
「火薬そのものも増やす必要があります」
ギルベルトが続ける。
「三千挺が一人十発撃てば、三万発分です。訓練用を含めれば、それ以上になります」
「一発筒も三万本では足りません」
俺は言った。
「空筒を回収して再利用できますが、壊れるものや濡れるものもあります。火薬と弾を入れる作業場所も増やす必要があります」
話すほど、必要なものが増えていく。
レオンハルトは俺たちの話を途中で止めなかった。
「マティアス」
「聞いております」
「できるか」
マティアスは、俺が挙げた項目を記録している書記官の紙を受け取った。
上から下まで目を通す。
「足りないものを一つ残らず挙げろ」
マティアスが俺を見る。
「まだあります」
「遠慮するな」
「鉄筒を検査する道具。部品の大きさを揃える基準。職人と家族の住居。工場の警備。火災に備える水と砂。火薬倉庫を分ける土地。運搬用の荷車。荷車が通れる街道」
「ほかには」
「新兵の訓練場所と、木製の模擬銃も必要です」
「全部書け」
書記官の手が忙しく動く。
「鉄が足りないなら鉱山と契約する。職人が足りないなら育てる。工房が狭いなら増やす」
マティアスは紙を机へ置いた。
「お前は必要な条件を示せ。人と金と物をつなぐのは俺の仕事だ」
「三千挺ですよ」
「だから商会の仕組みを、三千挺を作れる形へ変える」
無理ではないと言い切るのではない。
今のままで作れるとも言わない。
三千挺を作るために、クレーマー商会の仕組みそのものを変えると言っている。
「金は」
レオンハルトが尋ねる。
「三千挺すべてを一度に支払っていただく必要はありません」
マティアスが答えた。
「百挺、二百挺と完成した分を納め、その都度支払いを受けます。ただし、工場の増設と職人の育成には先に金が必要です」
「接収した軍資金を使え」
「それだけでは足りません」
「どれほど必要か出せ」
「計算してからお見せします」
「高くするな」
「安くして壊れる火縄銃を三千挺並べたいのであれば、別の者へお頼みください」
「分かった。必要な額を出せ」
レオンハルトが折れた。
マティアスは満足そうに頷く。
「アレク」
「はい」
「三千人を動かす方法を考えろ」
「二つへ分けるだけでは足りません。千五百人をさらに分ける必要があります」
「何人ずつだ」
「まずは三百人ずつが扱いやすいと思います。今回と同じように、百人ずつ三班へ分けられます」
「千五百人なら、三百人の部隊が五つか」
「はい。状況に応じて、五つすべてを並べることも、一部を別の場所へ送ることもできます」
「ならば、その形を基準にしろ」
「承知しました」
「ギルベルトは、千五百人を率いる準備を始めろ」
「何から始めればよろしいでしょう」
「それを考えるところからだ」
「随分と難しい褒美ですね」
「嫌なら短剣を返せ」
ギルベルトは腰の短剣へ手を置いた。
「返しません」
天幕の中で笑いが起きる。
ギルベルト自身も、ほんの少しだけ口元を緩めていた。
三千人は多い。
だが、二つに分ければ別々の戦場へ送れる。
千五百人を五つに分ければ、街道、橋、城、平地へ必要な数だけ配置できる。
俺がすべての場所へ行く必要もない。
ギルベルトと、これから選ばれるもう一人の隊長が、それぞれの判断で動けるようになればいい。
俺の仕事は三千人を一人で指揮することではない。
三千人が、俺の声を直接聞かなくても同じ方法で動ける仕組みを作ることだ。
◇ ◇ ◇
論功行賞が終わり、天幕の外へ出る。
戦場には、まだ撤去されていない柵と土塁が残っていた。
数日前まで敵を止めるために作っていた場所を、今は兵たちが行き来している。
「千五百人ですか」
ギルベルトが隣を歩きながら言った。
「決まりましたね」
「決まったのは目標だけです。兵も火縄銃もありません」
「これから増えます」
「四百人でも、全員の顔を覚えられておりません」
「私もです」
「アレク様は三千人の総指揮官になります」
「三千人の名前を覚えろと言われた気がしてきました」
「無理です」
「即答しないでください」
「アレク様でも無理なものは無理です」
ギルベルトは真面目な顔で答える。
「だから、教官と指揮官が必要なのでしょう」
「はい」
俺は足を止め、火槍隊の野営地を見る。
十人ごとに教える者がいる。
百人をまとめる者がいる。
三百人を動かす者がいる。
その上に千五百人を率いる隊長がいる。
俺が見るべきなのは、一人一人の指先だけではない。
命令がどこで止まり、火薬がどこで足りなくなり、どの部隊が遅れているかを報告させる仕組みだ。
「ギルベルト」
「はい」
「千五百人全員へ、自分で装填を教えようとしないでください」
「そのつもりはありません」
「よかった」
「アレク様こそ、三千人分の一発筒を自分で確認しようとしないでください」
「しません」
「本当ですか」
「たぶん」
「今、疑う理由ができました」
ギルベルトがため息をつく。
「まず、今いる教官を増やします」
俺は言った。
「今回の戦で落ち着いて動けた兵を選び、十人、百人をまとめる訓練を始めます」
「射撃が上手な者だけでは足りません」
「分かっています。間違えた兵へ怒鳴るだけではなく、どこを直せばいいか説明できる者が必要です」
「命令を復唱できる者も」
「はい」
「自分の班が撃ち終わっても、勝手に前へ出ない者」
「重要ですね」
今回の戦で誰が何をしたかという記録は、次の指揮官を選ぶためにも使える。
命中させた数だけで選べば、部下を守る者ではなく、自分だけが撃ちたがる者を教官にしてしまう。
「もう一人の隊長は、どのような方になるのでしょう」
ギルベルトが尋ねる。
「レオンハルト殿下が選ぶと言っていました」
「火縄銃を軽く見る方でなければよいのですが」
「最初に火薬の怖さを教えましょう」
「それでも聞かなければ」
「一発筒を取り上げます」
「それがいいでしょう」
俺たちは顔を見合わせる。
三千人という数字は、まだ遠い。
だが、最初の十挺も、作り始めた時には遠く感じた。
十挺が三百挺になった。
今度は三千挺だ。
同じ十倍でも、必要な金、人、土地は単純な十倍では済まない。
それでも、すべてを一度に作る必要はない。
追加の百挺。
次の二百挺。
工場を増やし、職人を育て、兵を選ぶ。
一つずつ積み上げるしかなかった。
◇ ◇ ◇
その夜、俺はエリーゼへの手紙を書いた。
戦が終わったことは、すでに短い報告で伝えている。
だが、シュヴァルツ伯を討ったのが俺だという噂は、いずれアルヴェインにも届く。
誰かの話によって知る前に、自分の言葉で伝えたかった。
紙を前にして、何度も筆が止まる。
戦場で人を殺したことを、どのように書けばいいのか分からない。
詳しく書けば、読んだエリーゼを怖がらせる。
隠せば、後から嘘をついたことになる。
最初に、無事であることを書いた。
戦は終わった。
大きな怪我はない。
マティアスから贈られた鎧と革手袋が、槍から守ってくれた。
エリーゼから以前もらった手袋は、戦場へ持っていかなかった。
大切だから使わなかったのではなく、戦場で使えば壊れると分かっていたからだ。
いや、それを大切だからと言うのかもしれない。
そこまで書いて、恥ずかしくなり、一度線を引こうとした。
結局、そのまま残す。
次に、シュヴァルツ伯のことを書いた。
生け捕りにする命令を受けていたこと。
何度も降伏を求めたこと。
それでも武器を取り、俺や兵を殺そうとしたため、最後は剣で討ったこと。
正しかったと胸を張ることはできない。
別の方法がなかったのか、今も考えている。
だが、ためらったことまで隠さずに書いた。
エリーゼなら、英雄の話だけを聞きたいとは言わない気がした。
そして、国王へ子爵叙爵を推挙されることになったと書く。
まだ決まったわけではない。
王都が反対する可能性もある。
領地も、正式に加増されたわけではない。
それでも、レオンハルトが俺の名を国王へ送る。
その意味をどう受け止めればいいのか、自分でも分からない。
次に会えた時には、手紙ではなく、自分の言葉で話したい。
最後の一文を書く。
『無事に帰るという約束は守れました。ですが、帰る場所が以前より少し広くなりそうです』
読み返す。
子爵の話より、エリーゼからもらった手袋を戦場へ持っていかなかった話の方が長い。
書き直そうかと思った。
だが、書き直せばもっと不自然になる気がする。
紙を折り、封蝋を落とす。
自分の小さな印章を押した。
この手紙は、王都へ向かう戦勝報告とは別に、アルヴェインへ向かうクレーマー商会の使者へ預ける。
届く頃には、別の噂が先に広がっているかもしれない。
それでも、何も書かないよりはいい。
以前、アルベルトにだけ手紙を書き、エリーゼへ書かなかったことで怒らせた。
同じ失敗を繰り返すつもりはなかった。
◇ ◇ ◇
翌朝、王都へ送る使者が本陣前へ集まった。
国王宛ての戦勝報告。
シュヴァルツ伯の印章と命令書の写し。
四人の若い領主が署名した帰順書。
敵味方の兵数と被害。
マティアスを伯爵へ、俺を子爵へ推挙する書状。
四人の所領安堵と、ベルグハーフェンから四領を結ぶ地域の管理案。
火槍隊の戦果も記されている。
ただし、火縄銃の詳しい構造、火薬の配合、工場の場所は書かれていない。
王都へ送る書状であっても、途中で誰の手に渡るか分からないからだ。
シュヴァルツ伯の濃紫の本陣旗は、小さく畳まれて箱へ入れられた。
街道を運ぶ間、外から見えないよう布で包んでいる。
降伏した護衛の一人も、本人確認の証人として同行する。
もう一人は、レオンハルトの本陣へ残った。
「王都まで何日ですか」
俺がユリウスへ尋ねる。
「馬を替えながら急げば、六日ほどです」
「返事は」
「国王陛下だけで決められる内容ではありません。爵位と領地については、王都の重臣や役人も調べるでしょう」
「では、かなり掛かりますね」
「普通ならば」
「普通ならば?」
「シュヴァルツ伯が討たれたという報告です。王都も放置はできません」
ユリウスは、書状を入れた革袋の封を確認する。
「レオンハルト殿下が王都軍の助力なしに一万の軍を破ったことも、重く受け止めるはずです」
喜ぶのか。
警戒するのか。
おそらく、その両方だ。
国王にとってシュヴァルツ伯は敵だった。
だが、その敵を独力で討った第一王弟も、安心できる存在とは限らない。
「アレク」
レオンハルトが本陣から出てくる。
「はい」
「お前の名も、この中にある」
使者が持つ革袋を指した。
「承知しています」
「今さら消せとは言わんだろうな」
「言っても消してくださらないでしょう」
「分かってきたな」
「少しだけ」
レオンハルトは使者たちの前へ立つ。
「王都まで、書状と証人を必ず守れ。途中でシュヴァルツ伯の残党に狙われる可能性がある」
「はい」
「宿場で酒を飲み、革袋を置いたまま眠るな」
「承知いたしました」
「王都へ着いたら、国王陛下へ直接渡せ。ほかの者が預かると言っても、正式な受取証が出るまで手放すな」
使者たちが揃って頭を下げる。
馬が動き始めた。
十数騎の護衛と、濃紫の旗を入れた箱を運ぶ荷馬車が街道へ出る。
俺は、その列が見えなくなるまで見送った。
戦場で放った火は、敵中央を崩した。
古い街道へ先回りした百人は、シュヴァルツ伯を止めた。
だが、ここから先は火縄銃でも剣でも決められない。
一通の戦勝報告。
二通の叙爵推挙。
四人の帰順書。
それらが王都で、どのように読まれるのか。
俺たちの戦功を認める者がいる。
若すぎる、身元が分からない、商人上がりだと反対する者もいるだろう。
それでも、書状には消せない事実が記されている。
一万人のシュヴァルツ伯軍が敗れた。
シュヴァルツ伯は死んだ。
四人の領主がマティアスへ臣従した。
そして、三百挺の火縄銃が戦場の形を変えた。
戦場で放った火は、今度は一通の書状となって王都へ向かった。
第二十三話を読んでいただき、ありがとうございました。
今回、兵や遺族への補償、四人の若き領主の処遇、マティアスとアレクへの叙爵推薦、そして三千挺を目標とした火槍隊の拡大が決まりました。戦場で得た勝利は、それぞれの立場を大きく変えようとしています。
次回、王都へ送られた戦勝報告と叙爵の推薦が、新たな動きを呼び起こします。
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