第二十二話 戦の終わった朝
シュヴァルツ伯を討ち、長く続いた戦いに決着をつけたアレクたち。しかし、戦場には多くの死傷者と捕虜、そして新たな政治的責任が残されていました。
シュヴァルツ伯の遺体を載せた荷車が本陣へ着いた時、空はすでに赤く染まり始めていた。
白い布を掛けた荷車の前を、降伏した護衛二人が歩いている。その後ろには、濃紫の本陣旗と印章、命令書を運ぶ兵が続いていた。
俺たちの姿を見た兵たちが道を開ける。
シュヴァルツ伯が討たれたという知らせは、俺たちより先に本陣へ届いていた。
それでも、歓声を上げる者はいなかった。
荷車の上にある人の形を見て、誰もが声を抑えている。
長く戦ってきた敵の中心人物だ。シュヴァルツ伯の命令によって家族や仲間を失った兵もいるはずだった。
だが、白い布の下にいるのは、すでに武器を持たない一人の死者でもある。
「アレク・ハルトマン殿、マティアス・クレーマー殿、前へ」
ユリウスに呼ばれ、俺とマティアスは本陣の中央へ進んだ。
レオンハルトは折り畳んだ椅子へ座らず、広げられた地図の前に立っていた。鎧には泥と煤が残り、外套の裾も汚れている。
その周囲では、各部隊から届いた書状が次々に整理されていた。
「本人か」
レオンハルトが荷車を見る。
「確認しました」
俺は答えた。
「顔、紋章、印章、濃紫の本陣旗、所持していた命令書があります。同行させた護衛二人も、シュヴァルツ伯本人であると証言しています」
「布を取れ」
ユリウスが兵へ命じた。
白い布が胸元まで下げられる。
泥の付いた顔が現れた。
目は閉じられている。古い街道で確認した時には開いたままだったが、荷車へ載せる前に護衛の一人が閉じた。
降伏した護衛二人が、その顔を見て膝をついた。
「シュヴァルツ伯本人に間違いないか」
ユリウスが尋ねる。
「間違いありません」
一人目の護衛が答えた。
「私も、この方がシュヴァルツ伯であると証言いたします」
二人目も続いた。
ユリウスは二人の名前と立場を記録させる。続いて、印章と命令書を一つずつ確認した。
敵将を討ち取ったと報告するだけでは足りない。
後から別人だったと疑われれば、降伏した諸侯が再び兵を集める口実になる。
「死因は」
レオンハルトが俺を見る。
「私が剣で刺しました」
「命令は生け捕りだった」
「はい」
「最初から討ち取るつもりで斬ったのか」
「違います」
俺は古い街道で起きたことを、順番に話した。
三十人ずつの一班と二班が騎馬を狙い、シュヴァルツ伯を落馬させたこと。
三班の四十人を後続へ向けて残したこと。
武器を捨てて降伏するよう複数回求めたこと。
シュヴァルツ伯から一騎討ちを求められ、拒否したこと。
降伏するように見せかけたシュヴァルツ伯が、地面に落ちていた槍を拾って襲いかかってきたこと。
槍を手放させた後も、短剣を抜いて俺の首へ手を掛けたこと。
「手加減を続ければ、私か周囲の兵が死ぬと判断しました」
最後まで話し終え、頭を下げる。
「生け捕りにできませんでした。申し訳ありません」
レオンハルトはすぐには答えなかった。
俺の鎧に残った槍の跡を見る。次に、裂けた右手の手袋へ目を向けた。
「一騎討ちは受けなかったのだな」
「はい」
「自分が敵将を討ったという名声欲しさに、兵を下がらせたことは」
「ありません」
「周囲にいた者は」
レオンハルトが尋ねると、ギルベルトが一歩前へ出た。
「アレク様の報告に間違いはありません」
「お前が現場を指揮していた火槍兵長か」
「はい。ギルベルトと申します」
「アレクが一騎討ちを受けようとしたなら、止めたか」
「止めました」
ギルベルトは迷わず答えた。
「ですが、アレク様は最初から一騎討ちを受けておりません。シュヴァルツ伯が降伏を装い、突然槍を取りました。アレク様が戦っている間も、三班は後続へ銃口を向けたまま残しました。敵将一人のために、街道の警戒を解いたこともありません」
「分かった」
レオンハルトが俺を見る。
「顔を上げろ、アレク」
俺はゆっくり顔を上げた。
「生け捕りにできなかったことは残念だ。生きていれば、どの諸侯と何を約束し、王都の誰と書状を交わしたのか聞けた」
「はい」
「だが、お前は命令を捨てて決闘を楽しんだわけではない。降伏を求め、その間も部隊の役割を守った。最後は自分と兵を守るために剣を使った」
レオンハルトは白い布の掛かった遺体へ視線を移した。
「シュヴァルツ伯の死によって、戦場に残っていた敵の降伏も始まった。これ以上、同じ者が諸侯を集めて戦を繰り返すこともない」
「では」
「命令違反とはしない」
胸の奥に溜まっていた息を、ゆっくり吐いた。
「ありがとうございます」
「礼を言う場面ではない」
レオンハルトの声は厳しいままだった。
「お前が討たなければ、別の者が討つ必要があった。戦を始めた者が、必ず生きて裁きを受けられるとは限らん」
それは慰めではなかった。
俺が正しかったと言っているわけでもない。
あの場で他に選べる道がなかったことを、確認しているだけだ。
その方が、今の俺にはありがたかった。
「遺体は家臣へ返しますか」
ユリウスが尋ねた。
「まだだ。本人確認が終わるまで本陣で守れ。晒すな。傷つけることも許さん」
「承知しました」
「濃紫の旗、印章、命令書は別に保管しろ。護衛二人は捕虜として扱うが、証人でもある。危害を加えるな」
命令を受けた兵たちが動き始める。
白い布が再びシュヴァルツ伯の顔を覆った。
勝った側が、死者をどのように扱うかまで決められる。
俺は泥の付いた荷車を見送りながら、あの街道で首だけを持ち帰ることを断ってよかったと思った。
「次だ」
レオンハルトが言った。
俺の後ろで待っていた四人の若い領主が前へ出る。
ヴィクトル、カスパル、ロベルト、エイドリアン。
四人は並んで膝をついた。
年齢だけを見れば、誰もが若い。だが、それぞれが領地と領民を背負い、つい先ほどまで敵軍の中にいた。
「名乗れ」
レオンハルトが命じる。
「ヴィクトル・フォン・ドルンハイムにございます」
「カスパル・フォン・ファルケナウにございます」
「ロベルト・フォン・リンデンフェルスにございます」
「エイドリアン・フォン・モルゲンフェルトにございます」
四人の声が続く。
「お前たちは、シュヴァルツ伯の旗の下でこの戦へ加わった」
「はい」
ヴィクトルが代表して答えた。
「それでいて、戦の前からマティアスへ情報を送っていた。違うか」
「違いません」
「なぜだ」
ヴィクトルは一度だけ、隣の三人を見る。
「父たちがシュヴァルツ伯へ従うと決めた時、我々は反対しておりました」
「反対しただけで止められたか」
「いいえ」
「なら、父の決定に従ったということだ」
「そのとおりです」
ヴィクトルは言い訳をしなかった。
「ドルンハイム家はシュヴァルツ伯家と領地が近く、血縁もございます。ほかの三家も、交易路、借財、婚姻、過去の軍役によって縛られておりました。我々だけが旗を変えれば、家族と領民が先に攻められていたでしょう」
「だから表向きは従った」
「はい」
「父親が死んだ後も」
ヴィクトルの手がわずかに動いた。
俺の火槍隊によって父親を失った。
その事実は、レオンハルトの前でも変わらない。
「父が死に、私が家督を継いでも、すぐに旗を変えることはできませんでした」
「それで密書を送ったのか」
「四人で決めました」
今度はカスパルが答えた。
「シュヴァルツ伯が再び兵を集めていることを知り、このままでは我々の領民も以前より大きな戦へ動員されると考えました」
「誰に送るかは、どのように決めた」
「王都ではなく、マティアス・クレーマー殿へ送りました」
「なぜ俺ではない」
「殿下へ直接届く使者を出せば、途中で疑われます。商人へ送る注文書であれば、領内から出しても不自然ではありません」
レオンハルトの口元が、ごくわずかに動いた。
「それだけか」
「マティアス殿なら、書状が本物かどうかを確かめに来ると考えました」
カスパルの答えに、レオンハルトがマティアスを見る。
「読まれていたぞ」
「若者に期待されただけです」
マティアスは平然としている。
「商人に姿を変え、敵領へ入った者の言葉とは思えんな」
「四人が罠を仕掛けている可能性もありました。人となりを見ずに、軍の動きを預けるわけにはいきません」
「死ねばどうするつもりだった」
「その場合は、後をアレクに任せようかと」
「聞いていません」
思わず口を挟むと、マティアスがこちらを見た。
「言わなかったからな」
「そういうことは先に言ってください」
「お前が知れば、顔に出る」
「出しません」
「エリーゼ様の話をした時ほどではないが、出る」
「今ここで関係のない話をしないでください」
張り詰めていた空気が、少しだけ緩んだ。
レオンハルトは短く息を漏らした後、四人へ話を戻す。
「この戦で何をした」
カスパルが、敵の本陣と作戦を知らせたことを説明する。
ロベルトは兵糧と荷車の配置、シュヴァルツ伯が使おうとしていた退路を伝えた。
エイドリアンは護衛騎兵の一部を味方騎兵への迎撃へ向かわせ、本陣から引き離した。
ヴィクトルは敵中央に残り、シュヴァルツ伯本人が退却を始めたことを旗で知らせた。
「我々は、マティアス・クレーマー殿から受けた指示に従いました」
カスパルが締めくくる。
「それによってシュヴァルツ伯の護衛と本隊が離れ、アレク殿の百人が先回りできました」
「敵軍の中にいながら、こちらへ利するよう動いたわけだ」
「はい」
「シュヴァルツ伯側から見れば、裏切り者だ」
四人の表情が硬くなる。
「承知しております」
「ならば、今後、お前たちが再び別の相手へ同じことをしないと、何をもって信じればよい」
すぐに答える者はいなかった。
簡単な誓いだけで信用されるとは、四人も考えていない。
やがてヴィクトルが口を開いた。
「言葉だけで信じていただけるとは思っておりません」
「では」
「我々の領地、家族、兵を隠しません。求められた軍役を果たし、税と兵数を報告します。必要であれば人質も差し出します」
ヴィクトルは顔を上げた。
「ただし、一つだけお願いがございます」
「言え」
「領民を戦利品として扱わないでください」
敵側にいた領主が、勝者へ条件を出せる立場ではない。
それでもヴィクトルは言った。
「父たちの決定に従い、この戦へ兵を出した責任は我々にあります。処罰が必要なら、我々四人が受けます。領地を焼き、残った者からすべてを奪うことだけはお許しください」
「ほかの三人も同じか」
「同じです」
カスパル、ロベルト、エイドリアンが揃って答えた。
「誰の下へ仕えるつもりだ」
「お許しいただけるなら、マティアス・クレーマー殿の下へ」
ロベルトが答えた。
「俺ではなく、マティアスか」
「殿下への忠誠を拒むものではございません」
「ならば、なぜだ」
「我々の書状を信じるだけでなく、自ら会いに来てくださいました。そのうえで、今すぐ旗を変えれば領地が危険に晒されると判断し、戦が始まるまで敵側に残ることを認めてくださいました」
ロベルトの声は静かだった。
「我々の領地を守りながら、この戦を終わらせる方法を考えたのはマティアス殿です」
「なるほどな」
レオンハルトはマティアスを見る。
「お前はどうする」
「四人が本当に約束を守った場合は、助命と所領の保護を殿下へ願うと伝えました」
「臣下にするとも言ったのか」
「そこまでは」
「では、今初めて聞いたのか」
「はい」
マティアスが四人を見る。
「俺の下へ来れば、領主だからと座っているだけでは済まんぞ」
「承知しております」
「街道を直せと言う。兵糧の数を報告させる。税が足りなければ理由を聞く。領民が逃げれば、逃げた者ではなく領主に原因を尋ねる」
エイドリアンが顔を上げた。
「望むところです」
四人の中で最年少の少年が、少し強い声で答えた。
「父は、若い私に領地のことは分からないと言い続けました。その結果が今です。分からないなら学びます」
「口だけでなければいい」
「確かめてください」
マティアスはすぐに返事をせず、レオンハルトへ向き直った。
「四人の処遇は、私からもお願いいたします」
「お前が責任を負うのだな」
「四人から送られた情報を使い、敵軍の内部を乱したのは私です。約束を守った者を切り捨てれば、今後こちらへ情報を送る者はいなくなります」
「それだけか」
「若い領主が四人も、領地ごと働きたいと言っているのです。断る理由がありません」
「最後の一言が本音だな」
「すべて本音です」
レオンハルトは四人をしばらく見た。
「今日この場で、すべてを決めることはできん」
四人の肩へ力が入る。
「だが、お前たちと兵の降伏は受け入れる。四つの領地を略奪の対象から外し、家族と領民を保護する」
四人が揃って頭を下げた。
「ありがとうございます」
「まだ礼を言うな。所領をそのまま認めるか、誰の下へ置くか、どれだけの軍役を負わせるかは、戦功を調べた後に決める」
「承知いたしました」
「領地へ使者を出す。俺の名で保護を命じる書状を持たせろ」
レオンハルトがユリウスへ命じた。
「四人から一人ずつ案内役を出させる。兵は多すぎるな。各領へ騎兵十人と書記官二人。降伏を伝えるには十分だ」
「途中に敗走兵がいる可能性があります」
ユリウスが言う。
「ならば二組ずつ同じ道を進ませ、分かれ道で分けろ。戦が終わったことも知らせながら進め」
「承知しました」
四人の領地へ送る書状の準備が始まる。
ヴィクトルたちが立ち上がった。
ヴィクトルは俺の横を通る時、一度だけこちらを見た。
何も言わない。
俺も声を掛けなかった。
父親を討った者と、その息子。
同じ側へ移ったからといって、一日で消せる関係ではない。
今は、四人の領地へ兵が向かわないことの方が大切だった。
◇ ◇ ◇
日が沈む前に、レオンハルトは全軍へ新しい命令を出した。
許可のない追撃を禁止する。
降伏した兵から武器を集める。
敵の荷車や天幕から勝手に物を取らない。
捕虜へ食料を与え、負傷者は敵味方を分けず、重傷者から治療する。
戦場で倒れた者の確認は、暗くなる前に可能な範囲だけ行う。
夜は部隊ごとに野営し、持ち場を離れて酒を飲むことを禁じる。
「勝った夜に軍を失う者は、戦に勝ったとは言わん」
レオンハルトの言葉が、各部隊の指揮官から兵へ伝えられた。
命令が出た直後、敵の荷車から酒樽を降ろそうとしていた兵が捕らえられた。
別の場所では、敗走兵が捨てた袋を奪い合う者もいた。
長い戦闘を生き残り、勝利した。
緊張が切れれば、好きに振る舞いたくなる気持ちは分かる。
だが、ここで規律を失えば、降伏した兵との戦闘が再び始まる。
周辺の村へ略奪に向かう者が出れば、勝った軍が新しい敵を作ることになる。
処罰を受けた者の姿を見て、ほかの兵たちは持ち場へ戻っていった。
俺たちも役割を分けた。
ギルベルトには、火槍隊四百人の点呼と装備の確認を任せた。
三百人の射手だけではない。火薬と弾を運び、負傷者を助け、火縄を管理した支援兵百人も含めて、一人ずつ所在を確認する。
ユリウスは追撃へ出た騎兵を呼び戻し、各部隊の野営場所を決める。
マティアスは捕虜へ配る兵糧、負傷者を運ぶ荷車、武器を集める場所を決めていた。
四人の若い領主は、自分たちの兵を敵の捕虜から分けて集める。
俺は古い街道から運ばれた負傷者を確認した後、火槍隊の野営場所へ戻った。
火縄銃は十挺ずつ敷物の上へ並べられていた。
撃ち終わった鉄筒へ、すぐ油を塗ることはできない。まず装填したままのものがないか確認し、火皿と点火孔から火薬を取り除く。
火の付いた火縄は、火薬や一発筒から離れた場所へ集めて消す。
弾薬箱は命令なしに開けない。
戦が終わっても、火薬が安全になるわけではない。
「全員戻っていますか」
俺が尋ねると、ギルベルトが記録板を見る。
「射手三百人は確認できました。支援兵は三人足りません」
「死傷者のところは」
「二人は治療所におります。一人は、二班の弾薬箱を運んだ後に姿を見た者がいません」
「探しましょう」
「すでに十人を向かわせました」
ギルベルトは次の記録へ目を移す。
「射手の負傷者は二十七人。支援兵は十九人です」
「重傷者は」
「射手が三人、支援兵が五人。矢傷と、土塁を越えた槍で負傷した者が中心です。火縄銃の破裂による負傷者はいません」
「分かりました」
射手三百人が一人も死ななかったわけではない。
ギルベルトはまだ、治療所へ運ばれた重傷者の生死を確認できていない。
夜を越えられない者がいるかもしれなかった。
「アレク様の手袋も、確認した方がよろしいのでは」
ギルベルトが俺の右手を見る。
「これは火縄銃の装備ではありません」
「そういう意味ではありません」
「あとで見ます」
「今見てください」
言われて、裂けた手袋を外す。
掌に赤い線が残っている。血は出ていないが、槍の柄を剣で受けた時の衝撃で皮膚が擦れていた。
「治療所へ」
「この程度なら」
「重傷者の邪魔になると思われるなら、布を巻くだけでも構いません」
ギルベルトは引かなかった。
「分かりました」
近くにいた兵から、清潔な布を受け取る。
自分で巻こうとしたが、左手だけではうまく結べない。
ギルベルトが無言で布を取り、右手へ巻いた。
「ありがとうございます」
「戦場では、ご自身で前へ出すぎないように申し上げました」
「覚えています」
「今は戦の後なので、別のことを申し上げます」
「何でしょう」
「部下に治療を受けさせる方が、自分だけ傷を放置しないでください」
「はい」
布を結び終えたギルベルトは、再び記録板を持つ。
「それから、一人見つかりました」
探しに出た兵が、足りなかった支援兵を連れて戻ってくる。
男は捕虜の負傷者を治療所まで運び、そのまま別の担架を運ぶのを手伝っていたらしい。
「勝手に持ち場を離れて申し訳ありません」
「次からは近くの者へ伝えてください」
「はい」
「ですが、負傷者を運んだことを責めるつもりはありません」
これで四百人全員の所在が確認できた。
重傷者はいる。
負傷者も少なくない。
それでも、三百挺の鉄筒が破裂し、射手を巻き込むような事故は起きなかった。
俺は並べられた火縄銃を見た。
土と煤で汚れ、木台には細かな傷が付いている。
初めて作った十挺から、ここまで増えた。
十挺の時でさえ、戦場へ持ち込む責任が重いと感じた。
三百挺が同時に火を噴き、目の前の兵を倒す光景は、知識として想像していたものよりはるかに重かった。
「残りは任せてもいいですか」
「はい」
ギルベルトが答える。
「アレク様は」
「鎧を脱いで、剣を手入れします」
「眠れる時に休んでください」
「努力します」
自分の天幕へ戻り、マティアスから贈られた鎧を外す。
胸当てには槍の穂先が滑った跡が残っていた。
深くはない。
だが、薄い革鎧しか着ていなければ、胸か肩を裂かれていたかもしれない。
動きやすさを残しながら、急所を金属で守るように作られた鎧。
領内のことや火縄銃ばかり考え、自分の身なりを気にしなさすぎると言われて贈られたものだ。
その鎧と手袋が、俺を生きて本陣へ戻した。
次に剣を抜く。
街道で一度拭ったが、刃の根元には黒く乾き始めた血が残っている。
水で濡らした布を当て、ゆっくり拭う。
刃を動かすたび、シュヴァルツ伯を刺した時の感触が手へ戻ってくる。
硬い鎧へ当たり、その隙間を抜けた感触。
首当てを掴んでいた指から、急に力が抜けたこと。
泥の上へ倒れた男の目。
俺が刺さなければ、俺か周囲の兵が死んでいた。
頭では分かっている。
だからといって、何も感じずに眠れるわけではなかった。
「アレク様」
天幕の外からギルベルトの声がした。
「入ってください」
ギルベルトが布を持ち上げ、中へ入る。
俺の前に置かれた剣を見た。
「火槍隊の確認は終わりました」
「ありがとうございます」
「眠っていませんね」
「まだ剣の手入れが終わっていません」
「先ほどから同じ場所を拭いています」
手元を見る。
血はもう残っていない。
それでも俺は、同じ場所へ布を当て続けていた。
「シュヴァルツ伯のことを考えていました」
「はい」
「生け捕りにする方法が、ほかにあったんじゃないかと」
「槍を取る前なら、あったかもしれません」
ギルベルトは簡単に否定しなかった。
「もっと離れた場所から降伏を求めるべきだった。最初から槍兵だけを近づければ」
「その場合、伯は槍兵を盾にして馬へ向かったかもしれません」
「一班と二班にも再装填させておけば」
「アレク様と伯の距離が近すぎました。装填されていても撃てません」
「最初の射撃で、馬ではなく本人を負傷させていれば」
「生け捕りにする命令へ反します」
どの答えも、完全な正解ではない。
別の選択をしていれば、違う結果になった可能性はある。
だが、その結果が今より良かったかどうかは分からない。
「ギルベルトは、私が迷わず斬ればよかったと思いますか」
「戦場で迷わなければ、もっと早く終わっていました」
率直な答えだった。
「ですが、アレク様が最初から迷わず斬る方であれば、我々は降伏を求める命令を信じられません」
「どういうことです」
「口では生け捕りと言いながら、敵を前にすればすぐ殺す指揮官もおります。その指揮官の下では、兵も降伏した敵を殺します」
ギルベルトは、手入れを終えた剣を見る。
「アレク様は何度も降伏を求めました。ご自身が危険になっても、生け捕りにしようとしました。だから我々も、武器を捨てた兵へ撃ちませんでした」
「そのために私が死ねば、意味がありません」
「はい。ですから、次はもう少し早く我々を頼ってください」
「頼ったつもりでした」
「足りません」
ギルベルトの声は変わらない。
「ですが、ためらうこと自体を捨てる必要はないと思います」
慰めではなかった。
俺がしたことをすべて正しかったと認める言葉でもない。
それでも、剣の血を消そうと同じ場所を拭き続けていた手は止まった。
「ありがとうございます」
「私は報告しただけです」
「そういうことにしておきます」
剣へ薄く油を塗り、鞘へ戻す。
眠れるかどうかは分からない。
それでも、横になることはできそうだった。
◇ ◇ ◇
戦の終わった朝は、静かではなかった。
夜明けとともに、負傷者を運ぶ声、捕虜を並ばせる声、馬を探す声が野営地のあちこちから上がる。
昨日まで敵兵が埋め尽くしていた平地には、壊れた槍、盾、旗、荷車が残っていた。
中央正面には、特に多くの人と馬が倒れている。
三百挺の火縄銃が、最初の四巡だけで千二百発を撃ち込んだ場所だ。
すべての弾が命中したわけではない。
敵の盾へ当たった弾。
土へ食い込んだ弾。
高く外れた弾。
倒れた者の鎧へ当たり、止まった弾もある。
それでも、密集して進んでいた敵中央では、一発が外れても、その先に別の兵がいた。
撃たれた馬が倒れ、後続を巻き込んだ。
前列が止まったところへ後列が押し寄せ、槍と盾が絡み合った。
火縄銃で倒れなかった者も、倒れた仲間を越えようとして転び、味方の足に踏まれた。
そこへ味方槍兵が土塁を越え、レオンハルトの騎兵が横から突入した。
火縄銃だけで一万人を倒したわけではない。
だが、三百挺の射撃が敵中央を崩さなければ、槍兵も騎兵もあれほど深く入ることはできなかった。
午前中には、最初の被害報告が本陣へ集まり始めた。
「敵の遺体は、確認できただけで八百を超えました」
ユリウスが読み上げる。
「林と小川、古い街道まで含めれば、さらに増えると思われます」
「負傷者は」
「捕虜として収容した者のうち、治療が必要な者が六百余り。武器を捨てて捕らえられた者は、負傷者を含めて二千近くおります」
「四人の兵は入っているか」
「入れておりません。ヴィクトル殿らがまとめた兵は、武器を預けさせたうえで別に野営させています」
敵軍は約一万人だった。
八百人以上が死亡し、二千人近くが捕らえられた。
四人の若い領主が率いていた兵も、戦場から離れている。
残る者の多くは、武器を捨てて周辺へ散ったか、自分の領地へ向かって逃げていた。
「こちらは」
「現在までに確認できた死者が百七十余り。負傷者は四百六十余りです。追撃部隊と離れた場所の確認が終わっていないため、多少増える可能性があります」
六千七百人の軍から出た被害として、少ないとは言えない。
百七十人には家族がいる。
四百六十人の中には、二度と剣や槍を持てない者もいるだろう。
勝ったという言葉だけでは消せない数字だった。
「敵中央の損害が突出しています」
ユリウスが地図の中央を指す。
「敵の死者と重傷者の半数近くが、この狭い範囲へ集中しております」
小川と林に挟まれ、土塁へ向かって三千人が密集した場所。
火縄銃が最大限の効果を出す条件を、こちらが作った場所だ。
「火槍隊の報告を」
レオンハルトに促され、ギルベルトが前へ出る。
「射手三百人は、全員が最初の連続射撃へ参加しました」
戦の間は役職で呼ばれていたが、今はもうギルベルトだ。
「一班、二班、三班が四巡し、最初の段階で千二百発を発射しております。一班が林へ移動した後も、二班と三班は交互射撃を継続しました」
「総数は」
「空になった一発筒を回収中です。補充に使った分の記録も照合する必要がありますので、確定しておりません。ただし、千二百発を大きく超えております」
「古い街道では」
「一班と二班の六十挺が一度ずつ発砲しました。三班の四十挺は後続へ備えたため、発砲しておりません」
レオンハルトが頷く。
「不発は」
「点火の遅れを含めれば、複数発生しております。ただし、大半は火皿の清掃、火薬の入れ直し、火縄の調整によって再使用できました」
「戦場で使えなくなったものは」
「ばねの破損が二挺、掛け金の不具合が三挺、木台に大きな亀裂が入ったものが一挺あります。鉄筒の破裂はありません」
三百挺を何度も使い、完全に壊れたものが六挺。
多いと見るか、少ないと見るかは、今後の修理結果にもよる。
ばねや掛け金を交換するだけで戻せるなら、武器そのものを失ったわけではない。
「兵の失敗は」
俺が尋ねる。
「号令を聞き違えかけた者が三人。装填棒を抜き忘れかけた者が一人。火蓋を開くのが遅れた者、火縄を掛け金へ留められなかった者もおります」
「事故には」
「教官の確認と赤い布で止めました。装填棒を入れたまま発砲した者はいません」
大きな戦では、すべてを訓練どおりに動かすことはできない。
銃声、怒鳴り声、白煙、矢、倒れる味方。
その中で一度も間違えない兵を作ることは不可能だ。
必要なのは、間違いが事故や敗北へつながる前に、周囲が止められる仕組みだった。
「ロルフへ送る記録を作ってください」
「すでに教官たちへ書かせています」
「成功したものだけでなく、不発と破損も」
「承知しております」
ギルベルトは、俺が言う前から分かっていたらしい。
「アレク」
レオンハルトに呼ばれ、俺は姿勢を正した。
「この結果を、どう見る」
「三百挺の火縄銃は、敵中央を崩す力を示しました」
「それだけか」
「こちらが土塁と馬防柵を作り、敵の進める場所を狭め、槍兵と弓兵が火槍隊を守ったからです。何もない平地で火縄銃だけを前へ出しても、同じ結果にはなりません」
「敵が次も同じように進んでくると思うか」
「思いません」
今回の戦を生き残った者は、三百挺の前へ密集して進む危険を知った。
噂を聞いた敵も対策を考える。
散開する。
雨の日を選ぶ。
夜に近づく。
騎兵を左右へ大きく回す。
土塁を避け、兵糧や火薬を運ぶ荷車を狙う。
「次は今回より難しくなります」
「ならば、次までに考えろ」
「はい」
「だが、今は勝ったことを認めておけ」
レオンハルトが、戦場の中央を見る。
「三百挺は役目を果たした。火槍だけで勝ったのではない。だが、火槍がなければ、これほどの差では勝てなかった」
否定することはできなかった。
敵中央が崩れた光景を、俺自身が見ている。
十挺で敵指揮官を倒し、四百人を退かせた最初の戦とは違う。
今回は三百挺が何度も発砲し、敵の兵そのものを大きく削った。
新しい武器が、戦場の形を変え始めていた。
◇ ◇ ◇
戦果の報告が終わると、レオンハルトは大きな地図を広げさせた。
王都からベルグハーフェン、グリュン川大橋、シュヴァルツ伯の領地までが描かれた地図だ。
マティアス、ユリウス、俺が地図を囲む。
少し離れた場所には、ヴィクトルたち四人も立っている。
「王都軍は来なかった」
レオンハルトが言った。
「はい」
ユリウスが答える。
「援軍を求める書状は送っておりません」
「求めなかったから来なかった、というだけではない」
レオンハルトはシュヴァルツ伯の領地へ指を置く。
「王都軍の力を借りず、六千七百で一万を破った。シュヴァルツ伯は死に、四人の領主がこちらへ帰順を求めた」
王都軍と協力してシュヴァルツ伯を退けた以前の戦とは違う。
今回はレオンハルトの軍が単独で戦場を作り、マティアスが兵站を支え、三百挺の火縄銃が敵中央を崩した。
勝利のすべてがレオンハルト一人のものではない。
だが、外から見れば、レオンハルトが王都の助けを得ずにシュヴァルツ伯を討ったことになる。
「この報告が王都へ届けば、どうなりますか」
俺が尋ねる。
「喜ぶ者もいるだろう」
レオンハルトが答える。
「シュヴァルツ伯は王家にとっても扱いにくい敵だった。その敵を俺が消した」
「警戒する者も」
「そちらの方が多いかもしれんな」
レオンハルトは笑わなかった。
「王都軍を使わずに一万を破れる第一王弟がいる。しかも、その近くには金と兵糧を集める商人上がりの領主と、三百挺の新しい火槍を動かす若者がいる」
「商人上がりは余計です」
マティアスが言う。
「王都の貴族はそう呼ぶ」
「好きに呼ばせればよろしいでしょう」
「気にしないのか」
「商人だったことは事実です。呼び方を変えたところで、私が用意できる荷車と兵糧の数は減りません」
「だから警戒される」
レオンハルトが地図へ視線を戻す。
「これまでは、俺が何かを求めれば、王都へ許しを求める形になった」
「今後は違うと?」
ユリウスが尋ねる。
「少なくとも、同じではない」
レオンハルトは濃紫の本陣旗を入れた箱を指した。
「シュヴァルツ伯を討ち、領地を押さえ、降伏した者を保護するのは俺たちだ。王都から役人が到着するまで何も決めなければ、その間に敗走兵が村を襲い、残った家臣が領地を奪い合う」
「こちらで先に秩序を作る必要があります」
「そうだ」
レオンハルトはヴィクトルたちを見る。
「四人の降伏を受け入れる。家族と領地を守る。その判断を王都へ報告する」
「許可を求めるのではなく?」
カスパルが慎重に尋ねた。
「こちらが決めたことを認めさせる」
レオンハルトははっきり答えた。
「ただし、俺は国王ではない。恒久的な所領安堵と爵位の授与には、王家の追認が必要だ」
勝ったからといって、何でも独断で決められるわけではない。
もしレオンハルトが国王の権限を無視して爵位や領地を配れば、シュヴァルツ伯を討った直後に、自分が新しい反逆者だと見なされる。
「戦勝報告を作れ」
レオンハルトがユリウスへ命じる。
「敵味方の兵数、被害、捕虜、降伏した諸侯を記す。濃紫の旗、印章、命令書の写しも付けろ」
「原本は」
「こちらへ残す。王都へ送った後で、都合よく消えたと言われては困る」
「護衛の証言も必要ですね」
「二人から書面を取れ。一人は戦勝報告を運ぶ使者へ同行させる。もう一人は本陣へ残す」
「四人の帰順書は」
「作らせろ」
ヴィクトルたちが頷く。
「マティアスとアレクの戦功も記録します」
「当然だ」
俺は思わずレオンハルトを見る。
「私のことまで王都へ送るのですか」
「三百挺を誰が動かしたことにするつもりだ」
「レオンハルト殿下の火槍隊です」
「それは間違いではない。だが、誰が訓練し、誰が戦場で指揮したかを隠せば、後で別の者が自分の功績だと言い始める」
「ですが」
「功績を記録することと、秘密をすべて広めることは違う。新しい火槍の細かな仕組みまでは書かん」
レオンハルトは、今度はマティアスを見る。
「四人をお前の下へ置く場合、何が必要だ」
「道です」
マティアスは即答した。
「兵ではなく?」
「兵も必要ですが、先に道です」
マティアスがベルグハーフェンへ指を置き、そこから四人の領地まで順に指を動かす。
「四領をそのまま安堵しても、間の街道、橋、渡し場を別の領主に押さえられれば孤立します」
「その領主がこちらへ従えばよい」
「今は従っても、王都の力関係が変われば旗を変えるかもしれません。通行税を上げるだけでも、兵糧と商品は止まります」
「すべての土地を取り上げるつもりか」
「必要ありません」
マティアスは地図上のいくつかの場所を指した。
「シュヴァルツ伯の旧直轄領。後継者のいない家の土地。街道沿いの村、宿場、橋、渡し場、倉を置ける町。最低限、ベルグハーフェンから四領まで、軍と荷車を止められずに通せるようにします」
すべてを地続きの広大な領地にする必要はない。
要所だけを押さえ、通行と警備の権利を持てばよい。
「四人の領地は」
「四人のものとして残します」
マティアスが答えた。
「領地を取り上げてしまえば、四人が命を懸けて守ろうとした意味がありません」
ヴィクトルたちの表情がわずかに変わる。
「ただし、外交、軍役、街道、兵糧、税の基準は私がまとめます。日々の領地経営は四人に任せます」
「お前の領地が増えるだけではないな」
「四人の領主と、その領地を束ねる責任が増えます」
「ベルグハーフェン一つの領主に負わせる責任ではない」
レオンハルトの言葉に、マティアスは何も答えなかった。
俺にも意味は分かった。
複数の領主を臣下として束ね、広域の街道と軍役を管理するなら、それに見合う立場が必要になる。
「王都は反対します」
ユリウスが言った。
「商人から領主となって間もないマティアス殿へ、さらに四人の領主と土地を預けるとなれば」
「反対させればいい」
レオンハルトが答えた。
「そのうえで認めさせる」
「そのための戦勝報告ですか」
「濃紫の旗と一万人を破った記録を前にして、何を理由に功績がないと言うか見てみたい」
王都での力関係が変わった。
レオンハルトは、すでにそれを確信している。
国王の権限を奪うのではない。
だが、王都が無視できない現実を先に作り、その追認を求める。
戦場で勝つだけでなく、勝利を政治の形へ変えようとしていた。
「アレク」
突然名前を呼ばれた。
「はい」
「お前の領地は、この辺りだったな」
レオンハルトがベルグハーフェンに隣接する山間部を指す。
「はい。中心村と周囲の集落、山林、山道があります」
「兵は百人」
「はい」
「火槍隊は四百人を動かした」
「私の兵は百人だけです。残りはレオンハルト殿下とマティアス様から預かった兵です」
「知っている」
「では」
「今回の戦功を調べさせる」
「私はすでに、領地と兵百人をいただいています」
あの時も、自分が領主になるとは考えていなかった。
今も、その領地を満足に整えられたとは思っていない。
村の水路、山道、冬の薪、木炭、鉄鉱石の運搬、兵の住居。
帰れば確認しなければならないことがいくつもある。
「それは以前の働きへの褒美だ」
レオンハルトが言った。
「今回の働きまで先に払った覚えはない」
「ですが、火縄銃を使うことは、領地をいただいた時から決まっていました」
「三百挺を動かし、一万人の中央を崩し、百人で退路へ先回りし、シュヴァルツ伯を討つところまで決めていたのか」
「それは」
「決めていなかっただろう」
答えられなかった。
マティアスが横から口を挟む。
「三百挺を動かし、シュヴァルツ伯を討って、何も増えずに領地へ帰れると思うな」
「マティアス様まで」
「お前は褒美を受け取れば仕事が増えると思っているだろう」
「違うのですか」
「違わない」
「それなら、今のままでも」
「今の立場ではできない仕事が増えた」
マティアスは地図上の俺の領地を指す。
「ベルグハーフェンと四領を結ぶなら、お前の山道と領地も途中に入る。研究所と試験場もある。火槍隊の訓練も続ける」
「はい」
「百人を養うだけの小領地のままでは、いずれ足りなくなる」
それは俺も感じていた。
兵百人の日々の食料と住居は、今の領地で支えられる。
だが、研究所、試験場、火薬と弾の警備、ベルグハーフェンとの往来が増えれば、今の山道と小さな村だけでは支えきれない。
「それでも、爵位や領地は王都が認めなければならないのでしょう」
「だから認めさせる」
レオンハルトが言った。
「マティアスにも、お前にも、今回の勝利に見合う地位をな」
「私にも爵位を?」
「まだ何を与えるとも言っていない」
「今、地位と」
「褒美を決める前に、戦功をすべて調べる。お前が火槍隊を動かしただけなのか、ほかに何をしたのかもな」
レオンハルトはユリウスへ視線を移す。
「論功行賞の準備を始めろ。各指揮官から戦功と被害の報告を集める」
「承知しました」
「王都へ送る戦勝報告とは別に、こちらでも記録を残せ。誰が何をしたか、後から書き換えられんようにな」
ユリウスが書記官へ命じ、必要な書類を準備させる。
ヴィクトルたちも、自分たちの行動を証明する書状と証人を揃えることになった。
マティアスはすでに、街道と領地の境界を調べる者の名前を挙げている。
俺だけが、地図の前で自分の領地を見つめていた。
身元の分からない十五歳の少年として、この世界へ来た。
ラーデン村でマルセル神父に保護され、アルベルトの小姓になった。
その後、自分から望んでマティアスについてきた。
今は小さくても領地があり、百人の兵がいる。
さらに地位が上がると言われても、実感がなかった。
ふと、エリーゼの顔が浮かぶ。
大公の姪であるエリーゼと、身元不明だった俺。
以前なら、隣に立って話をするだけでも、周囲から不思議に思われる関係だった。
今はどうなのだろう。
林檎の花の髪飾りと首飾りを身につけ、笑っていたエリーゼ。
鎧と革手袋を見て、無事に帰ってほしいと言った少女。
自分の地位が上がれば、エリーゼとの距離が縮まる可能性までは、まだ考えられなかった。
いや、考えようとしなかったのかもしれない。
「何を考えている」
マティアスに尋ねられ、地図から顔を上げる。
「領地へ帰った後のことです」
「本当か」
「本当です」
「顔が赤いぞ」
「戦場が暑いからです」
「朝だぞ」
「鎧を着ていますから」
「そういうことにしておいてやる」
マティアスはニヤニヤしている。
エリーゼのことを考えていたと、完全に気づかれていた。
「まずは王都へ報告が届くのを待つ」
レオンハルトが地図を畳ませる。
「それまでは、捕虜、領地、街道を安定させる。シュヴァルツ伯を討っただけで、この土地が勝手に治まるわけではない」
「はい」
俺たちは揃って答えた。
戦は終わった。
だが、この場にいる誰も、昨日までと同じ立場へは戻れない。
四人の若い領主は、敵側の諸侯からマティアスへの臣従を望む者へ変わった。
マティアスはベルグハーフェン一つの領主から、複数の領地と街道を束ねる立場へ進もうとしている。
レオンハルトは王都軍の助けを借りず、一万の軍を破った第一王弟となった。
そして俺も、百人を預かるだけの小領主ではいられなくなろうとしていた。
戦の終わった朝、新しく動き始めたものは、火縄銃の煙よりも広く、この国へ広がろうとしていた。
第二十二話を読んでいただき、ありがとうございました。
王都軍の助力を得ずに一万の敵軍を破ったことで、レオンハルトを取り巻く力関係は大きく変わり始めました。帰順した四人の若い領主、領地と街道を束ねようとするマティアス、三百挺の火縄銃を率いたアレクも、戦前と同じ立場へは戻れません。
次回は今回の戦功をもとに論功行賞が行われ、マティアスとアレク、四人の若い領主の新たな地位と役割が決まります。
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