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『知らない世界で、前世の知識が武器になる』 ~剣と銃で乱世を生き抜く転生領主の成り上がり~  作者: 相田 ソウ
第五篇 乱世に広がる火

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第十九話 シュヴァルツ伯決戦(上)

一万のシュヴァルツ伯軍を迎え、アレクたちは三百挺の火縄銃を土塁の後ろへ並べます。

敵中央の三千人が前進する中、これまで誰も見たことのない規模の交代射撃が始まります。

 シュヴァルツ伯軍の旗が東の地平へ現れてから、戦場の空気は変わった。

 工兵が土を掘る音も、槍兵が木材を運ぶ声も、それまでより速くなったように聞こえる。

 敵はまだ遠い。

 今日中に攻めてくる可能性は低い。

 そう分かっていても、一万の軍勢が近づいていると知れば、誰もが手を急がせる。

「土塁を高くしすぎるな! 射手が前へ出られなくなる!」

「掘った土は後ろへ積め! 溝の中に残すな!」

「柵を置く場所は縄の外だ! 通路を塞ぐな!」

 高まりの上では、工兵の指揮者と兵たちの声が絶えなかった。

 浅い溝を掘り、出た土を後ろへ積み上げる。

 立派な防壁ではない。膝より少し高いだけの土塁だ。

 それでも、敵の弓矢を避けるために身を低くできる。騎兵が溝を越える時には速度が落ちる。

 槍兵たちは近隣から買い取った柵と、ベルグハーフェンから運んできた木材を組み合わせていた。

 敵の騎兵を完全に止めるものではない。

 馬が避けようとする。

 脚を緩める。

 隊列が乱れる。

 そのわずかな時間を、火縄銃の次の射撃へ変えるための柵だった。

「領主様、こちらの通路はこの幅でよろしいですか」

 工兵の一人に呼ばれ、俺は土塁の切れ目へ向かった。

 槍兵が二列で通れる幅はある。

 だが、撃ち終えた百人と、前へ出る次の百人が同時に使えばぶつかる。

「もう少し広げてください。ただし、正面から敵の騎兵が入れないよう、軽い柵を置きます」

「味方が出る時に外す柵ですね」

「はい。地面へ深く打ち込まず、二人で動かせる重さにしてください」

「分かりました」

 俺は通路の位置を地図へ記した。

 同じ通路を補給兵が使う可能性もある。

 一発筒を使い切った射手へ火薬と弾を届け、故障した火縄銃を後方へ運ぶ。

 負傷者を下げる時にも必要になる。

 兵が前へ出ることだけを考えて道を作れば、下がる者とぶつかって動けなくなる。

「アレク」

 後ろからマティアスに呼ばれた。

「火薬の荷車を置く場所を決めろ。日が暮れてから移せば、敵の斥候に数を読まれにくい」

「三か所に分けます」

 俺は高まりの裏側を指した。

「一班用は中央のくぼみ。二班は北寄りの木立の陰。三班は南側の天幕の後ろです」

「離しすぎれば、支援兵が行き来できんぞ」

「予備を共有するのではなく、最初からそれぞれへ分けます。一台が燃えても、三百人すべてが撃てなくならないようにします」

「修理用の金具は?」

「三つの荷車へ同じ数だけ分けます。点火孔を掃除する道具と予備の装填棒もです」

「火種は火薬から離せ」

「分かっています」

「分かっていても、確認しろ。戦場では、分かっていた者から死ぬことがある」

 返事をする前に、マティアスは別の兵へ声を掛けた。

 兵糧を積んだ荷車の位置を変え、馬の飼葉を火薬からさらに離させる。

 軍資金と重要書類を置く天幕には、夜のうちに別の護衛を付ける。

 戦う前から、マティアスの仕事は尽きなかった。

 俺も火槍隊の陣地へ戻る。

 三百挺は百挺ずつ木箱へ入れ、高まりの裏へ運んでいた。

 一本ずつ管理用の印がある。

 アレク直轄の一班。

 レオンハルトから預かった二班。

 同じくレオンハルト側の三班。

 どの隊へ渡した火縄銃か、木台に付けた印で分かる。

 戦場で取り違えても撃てないわけではないが、故障や不発が起きた時、製造と使用の記録をつなげられなくなる。

「箱を開けます」

 支援兵の一人が言った。

「周囲の火は?」

「炊事場は高まりの反対側へ移しました。火縄にも、まだ火は付けていません」

「開けてください」

 木箱の蓋が外される。

 油紙と布に包まれていた火縄銃を一本ずつ取り出し、兵へ渡していく。

 ロルフと工場の職人たちが検査を終えた三百挺だ。

 長い鉄筒。

 木台。

 火皿と火蓋。

 火縄ばさみ。

 引金と、火縄を落とすためのばね。

 最初の一挺を作った時には、すべての部品を一人の職人が理解しなければ形にならなかった。

 今は違う。

 鉄筒を鍛える者。

 木台を削る者。

 金具を作る者。

 ばねを整える者。

 最後に組み上げ、試射し、不良品を外す者。

 クレーマー商会が材料と人を集め、何度も荷車を走らせた結果が、目の前に並んでいる。

 だが、ここまで運んだだけでは武器にならない。

 三百人が同じ命令で動き、撃ち終えた者が下がり、次の百人が前へ出て、支援兵が火薬と弾を切らさず運ぶ。

 明日、そのすべてが初めて試される。

「アレク様」

 火槍兵長が三人の男を連れてきた。

 二班と三班を率いる指揮者と、支援兵百人をまとめる者だ。

「最終確認を始めますか」

「はい。火縄銃をすべて配った後、百人隊ごとに行います」

 俺たちは土塁の後ろへ移動した。

 一班は俺の直轄だが、戦場で俺が百人全員へ直接声を届けるわけではない。

 火槍兵長が全体の号令を出し、十人ごとの教官が兵の動きを揃える。

 二班と三班も、それぞれの指揮者が同じ号令を使う。

「私が射撃開始を命じます」

 俺は三人の指揮者を見る。

「ですが、私の声だけに頼らないでください。火槍兵長の赤い布と角笛を使います。各百人隊でも赤い布を上げ、後方まで合図を伝えてください」

「煙で赤い布が見えない場合は?」

 二班を率いる男が尋ねた。

「角笛が聞こえても、前の合図が見えなければ撃たないでください。隣の者が撃ったからといって、合わせて撃つこともしないでください」

「何挺かが遅れます」

「遅れた者は、次の射撃まで待たせます。慌てて味方が前へ出た後に撃つ方が危険です」

「撃ち終えた後は、火縄を手で引き上げる」

 火槍兵長が続けた。

「遅発がある。音がしなかったからといって、すぐ点火孔を覗くな。鉄筒は敵の方向へ向けたまま下がれ」

「一班が戦列を離れた後は、二班と三班で交互に撃つのですね」

「移動命令が出た後の話です」

 俺が答えた。

「敵の前線が崩れるまでは、三百挺すべてをここで使います。一班だけを最初から林へ置くことはしません」

 シュヴァルツ伯を捕らえる策があっても、正面で敗れれば意味はない。

 敵の中央を崩すため、最初は三百挺すべてを並べる。

「一班が抜けた後、装填が間に合わなければ?」

「槍兵を前へ出します。無理に間隔を詰めないでください」

「敵が土塁まで来た場合は」

「火縄銃で殴り合わず、槍兵の後ろへ下がります。射線を作り直してから撃ちます」

 指揮者たちは頷いた。

 兵一人に渡す一発筒は十本。

 敵と向き合う前に十発分を準備したことになる。

 だが、十発すべてを撃つまで同じ位置にいられるとは限らない。

 敵が近づきすぎれば下がる。

 雨が降れば撃てない。

 鉄筒が熱を持ち、汚れが溜まれば装填しにくくなる。

 火縄が消えることもある。

 十本あるから十発撃てるのではない。

 十発撃てる条件を、槍兵、弓兵、土塁、柵、支援兵が作るのだ。

 日が沈む頃、シュヴァルツ伯軍も東の平地へ野営地を作り始めた。

 無数の天幕と焚き火が並んでいる。

 こちらから見える火だけでも、軍の大きさが分かった。

 敵のすべてがまだ到着しているわけではない。

 街道の後方から、荷車と遅れた部隊が夜まで続いていた。

「見張りを増やします」

 ユリウスが、レオンハルトの天幕で開かれた軍議で言った。

「夜襲は?」

 諸侯の一人が尋ねる。

「敵は到着直後です。陣地が整う前に攻めれば混乱させられます」

「こちらも土塁を作ったばかりだ」

 レオンハルトが答えた。

「六千七百を暗闇の中で動かし、一万の野営地へ入れるつもりか」

「少数の騎兵なら」

「火槍隊の存在を隠したまま、敵へ警戒だけを与えることになる」

 明日の火縄銃を生かすなら、敵には正面から来てもらわなければならない。

 夜襲を仕掛けて敵が守りを固めれば、三千人を密集させて前進してこなくなるかもしれない。

「今夜は休ませる」

 レオンハルトが命じた。

「見張りと工事は交代させろ。明日槍を持てないほど土を掘らせるな。敵が夜襲を仕掛けてきた場合は、前へ出ずに土塁で受ける」

「敵の斥候は」

「捕らえられるなら捕らえろ。追いすぎるな」

 軍議は長く続かなかった。

 配置と合図をもう一度確かめ、それぞれの指揮官が持ち場へ戻る。

 俺も火槍隊の天幕へ向かった。

 三百人全員を同じ場所で眠らせない。

 百人隊ごとに場所を分け、支援兵も三つに分ける。

 一か所が夜襲を受けても、火槍隊すべてを失わないためだ。

 火縄銃には再び油紙と布を掛けた。

 夜露で火皿や点火孔が濡れれば、明日の朝に乾かす時間が必要になる。

「アレク様は休んでください」

 火槍兵長が言った。

「見回りが終わったら休みます」

「先ほども同じことを言っていました」

「先ほどは、火薬の荷車を見ていませんでした」

「今は見ました」

「弾薬箱は?」

「支援兵が確認しています」

「火縄は?」

「乾いた箱へ入れました。明日の朝、必要な長さへ切り分けます」

「柵の通路は?」

「槍兵が二人で動かせることを確かめました」

 答えられるたびに、次の確認事項を探している自分に気づいた。

 俺が夜通し歩き回っても、火縄銃の精度が上がるわけではない。

 むしろ、明日の戦場で判断が遅れる。

「分かりました。休みます」

「天幕までお送りします」

「すぐそこです」

「途中で別の物を見つけて、戻ってこないかもしれません」

 否定できなかった。

 火槍兵長に見張られるようにして、自分の天幕へ戻った。

 鎧を外し、剣を手の届く場所へ置く。

 横になったが、目を閉じても眠れなかった。

 天幕の外から、敵の野営地のざわめきが風に乗って届く。

 一万人が食事を取り、馬へ飼葉を与え、明日の命令を聞いている。

 その中には、ヴィクトル、カスパル、ロベルト、エイドリアンの兵もいる。

 四人がマティアスとつながっているからといって、その兵だけを避けて撃つことはできない。

 どの旗の下に誰がいるか、白煙の中で見分けられるはずもない。

 四人も、自分たちを避けて撃てとは求めていない。

 正面の三千人に入れば、火縄銃の弾を受ける可能性があると分かっているはずだ。

 明日、俺の命令で三百挺が火を噴く。

 十挺を初めて使った時とは違う。

 弾は三百発で終わらない。

 交代射撃が続けば、千発を超える。

 数百人が死傷するかもしれない。

 火縄銃の数を増やし、短い時間で撃ち続けられるようにしたのは俺だ。

 敵を殺すための武器だと、分かって作った。

 それでも、実際に一万人へ向けて使う夜になると、胸の奥へ重いものが沈んでいく。

 敵が来なければ撃たずに済む。

 シュヴァルツ伯が戦を諦めればいい。

 そんな可能性が残っていないことも分かっていた。

 撃たなければ、こちらの兵が死ぬ。

 火槍兵たちだけではない。

 土塁の前へ出る槍兵。

 敵の矢を受ける弓兵。

 側面へ突入する騎兵。

 兵糧と火薬を運んだ者たち。

 俺の領地で待っている兵の家族。

 アイヒェンタールの領民。

 ベルグハーフェンの職人。

 守りたいものを並べれば、撃たせないという選択はできなかった。

 俺は英雄になりたいわけではない。

 大勢の敵を倒したと誇りたいわけでもない。

 ただ、自分の兵を連れて帰りたい。

 エリーゼに、傷ついた手袋を渡したい。

 荷物を置いた箱を開け、油紙に包んだ手紙へ触れた。

『英雄になることより、生きて帰ってきてください』

 書かれていた言葉を思い出す。

 英雄になろうとしなくても、明日は大勢の命を左右する命令を出さなければならない。

 それから逃げることもできない。

「帰るために、考える」

 誰もいない天幕で、小さく口にした。

 手紙を箱へ戻し、油紙を閉じる。

 目を閉じると、しばらくして疲れが不安に勝った。


◇ ◇ ◇


 角笛の音で目を覚ました。

 敵襲を告げる音ではない。

 夜明けと見張りの交代を知らせる短い音だ。

 天幕の外へ出ると、東の空が薄く明るくなっていた。

 シュヴァルツ伯軍の野営地には、すでに多くの兵が動いている。

 焚き火の煙が上がり、騎兵が馬を引き、槍兵が隊列を作り始めていた。

 こちらも同じだ。

 土塁の後ろへ三百人が集まる。

 支援兵は火薬の荷車を確認し、乾いた火縄を配っている。

 火縄のすべてへ同時に火を付けない。

 点火した火縄を扱う者と、予備を持つ者を分ける。

 火種は蓋のある器へ入れ、火薬を置く場所へ近づけない。

「一班、火縄確認!」

 火槍兵長の声が朝の空気に響く。

 十人ごとの教官が兵の火縄を見て回る。

 火が強すぎれば短く整え、消えそうなら火種から移す。

「二班、腰箱確認!」

「三班、装填棒を抜け! 割れと曲がりを見ろ!」

 火縄銃はまだ装填しない。

 敵が動き出す前に火薬を筒へ入れて長く待てば、湿気や移動で状態が変わる。

 一発筒も弾薬箱の中に入れたままだ。

 命令が出るまで開けない。

 俺は鎧を着け、マティアスから贈られた革の手袋をはめた。

 エリーゼの手袋ではない。

 戦場で使うために作られた、厚く丈夫なものだ。

 剣を腰へ差し、土塁の中央へ向かう。

 高まりの上にはレオンハルト、ユリウス、マティアスがいた。

「眠れたか」

 レオンハルトが尋ねた。

「少しは」

「正直だな」

「眠れなかったと言えば、戦列から外してくださいますか」

「お前の代わりに三百挺を動かせる者がいるならな」

「なら、眠れました」

 レオンハルトは鼻で笑い、敵陣へ目を戻した。

 シュヴァルツ伯軍の配置が見え始めている。

 中央には、盾と槍を持つ歩兵が集められていた。

 その後ろには長い槍を持つ兵と弓兵。

 さらに後方へ、複数の諸侯軍と予備兵が並ぶ。

 左右には騎兵と別の歩兵部隊が広がっている。

「中央は三千ほどです」

 ユリウスが地図を見ながら言った。

「先頭が千二百から千五百。その後ろへ千以上。残りは弓兵と予備でしょう」

「敵の左翼は?」

「約千。林へ近づいていますが、木々の間へ大軍を入れる様子はありません」

「右翼は小川を渡るつもりか」

「一部が渡る場所を探しています。ですが、馬を使える場所は限られます」

 総兵力は約一万。

 中央正面とその予備に六千ほど。

 左右の諸侯軍に約二千。

 騎兵、護衛、後方部隊、荷車を合わせて残り二千ほど。

 一万人すべてが一斉にこちらへ向かってくるわけではない。

 最初に動くのは中央の三千だ。

 それでも、こちらの火槍隊と護衛槍兵を合わせた数より多い。

「ヴィクトルたちは?」

 俺がマティアスへ尋ねる。

「あの旗だ」

 敵中央に近い場所に、ヴィクトル・フォン・ドルンハイムの旗がある。

 シュヴァルツ伯の濃紫の本陣旗から、それほど離れていない。

 カスパル・フォン・ファルケナウの旗は少し左。

 ロベルト・フォン・リンデンフェルスの旗は、後方の荷車が並ぶ場所にあった。

 エイドリアン・フォン・モルゲンフェルトの騎兵は、敵の右翼後方にいる。

「カスパルの旗が動きます」

 マティアスのそばにいた者が言った。

 細長い旗が、別の二本の旗より前へ出る。

 風で揺れただけではない。

 旗を持つ兵が位置を変えていた。

「攻撃は正午より前だ」

 マティアスが言う。

「合図ですか」

「それだけではない。敵の弓兵を見ろ」

 中央後方にいた弓兵が、槍兵の左右へ移動している。

 太鼓を持つ兵も前へ出た。

 騎兵は馬へ乗り、歩兵の後方で待機している。

 旗の合図を知らなくても、敵が攻撃準備を始めたことは分かる。

「四人からの情報だけで判断しないのですね」

「旗が間違っているかもしれん。カスパルが疑われ、別の場所へ動かされた可能性もある。見えている敵の動きと合わなければ使わん」

 四人は、こちらが見えないものを教える。

 だが、戦場にいる俺たちが、自分の目で確かめることをやめてはいけない。

 敵陣から太鼓の音が響いた。

 一度ではない。

 ゆっくりとした間隔で、何度も鳴る。

 中央の歩兵が盾を持ち上げ、槍を揃えた。

「来ます」

 ユリウスが言う。

 レオンハルトは伝令へ命令を渡した。

「中央は動くな。敵を引きつけろ。左翼は小川を越えた敵だけを押し返せ。右翼の騎兵も待機。俺の合図なしに前へ出るな」

「承知しました!」

 伝令が馬へ乗り、左右へ走る。

 レオンハルトは中央の将たちを見る。

「敵が撃たせたい場所ではなく、こちらが殺せる距離まで来てから撃て」

 大声ではなかった。

 それでも、周囲の指揮官たちには届いた。

 俺も土塁の後ろへ下りる。

 三百人は低い姿勢で待っている。

 火縄銃は地面へ置かず、鉄筒を敵側へ向けて持たせていた。

 土塁の陰にいるため、敵からは全体が見えない。

 見えるのは、槍兵の盾と、ところどころに立つ旗だけだ。

 シュヴァルツ伯は、新しい火槍が十挺使われたことを知っている。

 捕虜や敗走兵から話を聞けば、二段に分けて撃ったことも分かるだろう。

 だからこそ、火縄銃には再装填の隙があると考えているはずだ。

 だが、十挺が三百挺へ増えたことは知らない。

 敵がそれを知るのは、最初の一斉射撃が起きる時だ。

「全員、聞け!」

 火槍兵長が声を張る。

 三百人の顔が向く。

「音で撃つな! 隣が撃っても撃つな! 赤い布が落ち、号令が出るまで待て!」

「はい!」

「撃ち終わった後は、火縄を上げろ! 不発でも鉄筒を敵へ向けたまま下がれ!」

「はい!」

 返事は揃っていた。

 訓練場と同じ声だ。

 だが、その先に本物の敵がいる。

 敵の太鼓が速くなる。

 中央の約三千人が動き始めた。

 最初は歩調を合わせるように、ゆっくりと前へ進む。

 盾が並ぶ。

 槍の穂先が揺れる。

 後ろの兵が前の者を押すように続いてくる。

 地面を踏む音が、離れているうちから聞こえた。

 三千人が同じ方向へ進む音は、雷のような一度きりの音ではない。

 低い揺れが途切れずに近づいてくる。

「まだだ」

 俺は自分にも言い聞かせた。

 敵の弓兵が前へ出る。

 弓を上げ、空へ向けて一斉に放った。

「盾!」

 味方の槍兵が盾を掲げる。

 無数の矢が弧を描き、高まりへ降ってきた。

 土塁へ刺さる。

 柵へ当たる。

 盾を叩く。

 一本が近くの地面へ突き刺さり、別の一本が支援兵の肩をかすめた。

 男が倒れかける。

 隣の兵が支え、後方へ連れていく。

 血が出ている。

 だが、歩けていた。

「火槍隊は動くな!」

 火槍兵長が叫ぶ。

 一班の一人が、矢の音に反応して火縄銃を持ち上げかけた。

 教官がすぐ肩へ手を置く。

「待て。まだ遠い」

 兵は息を吐き、銃口を下げた。

 敵は、こちらが撃たないのを見て進み続ける。

 再び矢が上がる。

 今度は最初より近い。

 土塁の後ろで兵が一人、腕に矢を受けた。

 槍兵が盾の陰へ引きずり込む。

 火槍兵たちの顔が強張った。

 撃てば、少なくとも何かをしていると思える。

 待つことは、何もできないまま矢を受けることに感じられる。

 だが、ここで撃っても遠すぎる。

 白煙と音で敵を驚かせることはできても、前線を崩すほどの弾は届かない。

「待て!」

 敵の盾に描かれた模様が見える。

 槍を持つ兵の顔が分かる。

 怒鳴り声も聞こえ始めた。

 先頭の歩兵が、歩く速度を上げる。

 その後ろから、さらに大勢が押し寄せる。

 左側へ広がろうとした兵は小川へ近づき、足を止めた。

 右側では林と柵が進路を狭めている。

 中央の兵が密集する。

 俺たちが待っていた形だった。

 先頭の盾を狙っても、その後ろには何列もの兵がいる。

 一発が盾で止まっても、盾を持つ者が倒れれば、後続の足を止められる。

「火槍兵長」

 俺が呼ぶ。

「はい」

「準備を」

 火槍兵長が赤い布を上げた。

 一班を担当する教官たちも、同じ布を掲げる。

「弾薬箱開放許可!」

 号令が走る。

 一班が腰の弾薬箱を開いた。

 蓋の留め具を外す音が重なる。

「一発取れ!」

 一発筒を一本取り出す。

「装填!」

 木栓を外し、銃口へ逆さに当てる。

 火薬と弾を鉄筒へ入れる。

 火縄を落とす金具を引き上げる。

 装填棒で弾を奥へ押し込む。

 火皿へ細かな火薬を置き、火蓋を閉じる。

 火縄を火縄ばさみへ挟み、掛け金へ留める。

 何度も訓練した動きだ。

 敵の足音が近づく中でも、兵たちは順番を飛ばさなかった。

「装填完了!」

 十人ごとの教官から声が返る。

 すべてを待つ。

 早く終わった者だけで撃たせない。

「一班、前へ!」

 百人が立ち上がり、土塁へ進んだ。

 土の陰から、百本の鉄筒が一斉に現れる。

 敵の先頭で、何人かが足を緩めたように見えた。

 十挺ではない。

 数十挺でもない。

 高まりの幅いっぱいに、百挺の火縄銃が並んでいる。

 だが、敵の後方は止まらない。

 前へ進めという太鼓が鳴り続けている。

 足を緩めた先頭を、後続が押す。

「火蓋開け!」

 百人が火蓋を開いた。

「構え!」

 木台を肩へ当てる。

 敵の先頭だけへ狙いを集めない。

 盾の上と隙間。

 その向こうに密集する二列目、三列目。

 百人が同じ一人を狙うのではなく、敵の横幅へ銃口を分ける。

 敵の槍が前へ倒された。

 突撃の声が上がる。

 歩兵が走り始めた。

 火槍兵長の赤い布が、朝の風に揺れている。

 まだ下りない。

 敵が近づく。

 先頭の顔が見える。

 口を開け、叫んでいる。

 俺は自分の息が浅くなっていることに気づいた。

 今、命令すれば大勢が死ぬ。

 命令しなければ、あの槍が土塁へ届く。

「撃て!」

 赤い布が振り下ろされた。

 百本の火縄が、一斉に火皿へ落ちた。

 轟音が大地を叩いた。

 一発ずつの銃声ではなかった。

 百の音が重なり、一つの巨大な破裂音となって胸へぶつかる。

 白煙が土塁の前へ噴き出した。

 反動で兵たちの肩が揺れる。

 鉄筒から放たれた百発の弾が、密集した敵の正面へ飛び込んだ。

 先頭の盾が割れた。

 盾を持っていた兵が後ろへ倒れる。

 その横では、槍を構えた男の胸が跳ね、前へ崩れた。

 二列目、三列目でも兵が倒れる。

 弾が誰にも当たらず通り抜けた場所もある。

 盾や鎧で勢いを失った弾もある。

 それでも、近い距離から密集した三千人へ向けて撃った百発だ。

 敵の前面で、数十人が同時に地面へ落ちた。

 後続の兵が倒れた者へつまずく。

 槍が絡む。

 盾が重なる。

 前へ進んでいた隊列に、横長の歪みが生まれた。

 火縄銃の音に驚いた馬が後方で立ち上がる。

 敵だけではない。

 土塁の左右にいた味方の槍兵も、一瞬肩を震わせた。

 十挺の発砲を知る兵でさえ、百挺の轟音は聞いたことがない。

「一班、火縄上げ! 後退!」

 火槍兵長の声が飛ぶ。

 兵たちは引金から指を離すだけではない。

 火皿へ落ちた火縄を手で引き上げ、安全な位置へ戻す。

 遅れて発火する可能性があるため、銃口は敵へ向けたままだ。

 一班が土塁から下がる。

 何人かは、目の前で大勢が倒れた光景から目を離せていない。

「後ろを見ろ! 通路を空けろ!」

 教官の声で我に返り、装填位置へ戻っていく。

 敵の前線は止まった。

 白煙の向こうで、倒れた兵を助けようとする者がいる。

 後ろへ下がろうとする者もいる。

 だが、敵の太鼓は止まらなかった。

 むしろ速くなる。

 敵の後方で旗が前へ振られた。

 火槍が撃ち終わった。

 再装填には時間が掛かる。

 そう判断したのだろう。

 後続の槍兵が、倒れた味方を越えて前へ出る。

 先頭の混乱を押し潰すように、突撃の声が再び大きくなった。

「二班、前へ!」

 一班が下がるのと入れ替わりに、二班が進む。

 白煙の中から、新しい百本の鉄筒が現れた。

 敵の先頭で、再び足が鈍る。

 先ほど撃った兵が短時間で装填したのではない。

 百挺とは別に、もう百挺が待っていた。

 敵がそれを理解した時には、後ろから押されて止まれなくなっていた。

「火蓋開け!」

 赤い布が上がる。

「構え!」

 第一射より距離が近い。

 煙で敵の姿が見えにくい場所もある。

 風が白煙を左へ流し、右側の敵が先に見えた。

 二班を率いる男が、部下の銃口を少し右へ向けさせる。

 煙の濃い場所へ勘だけで撃たず、見える敵へ集中する。

 敵が倒れた味方を踏み越える。

 槍を突き出し、土塁へ向かって走る。

 赤い布が振り下ろされた。

「撃て!」

 二度目の轟音。

 白煙が新しい壁を作る。

 第一射より近い距離から放たれた弾が、敵の前列へ食い込んだ。

 盾を持つ兵が横へ倒れ、その後ろの槍兵まで巻き込む。

 弾を受けた者が後ろへ吹き飛ぶわけではない。

 その場で膝を折る。

 前へ倒れる。

 腹や脚を押さえ、動けなくなる。

 そこへ後続が突っ込み、避けようとして隣の兵とぶつかる。

 負傷した馬が甲高い声を上げ、騎手を振り落とした。

 倒れた馬の脚へ兵が巻き込まれる。

 敵の先頭は、土塁へ近づくほど数を減らしていく。

「二班、火縄上げ! 後退!」

 撃ち終えた百人が下がる。

 一班は後方で再装填を始めていた。

「一発取れ!」

 弾薬箱から二本目の一発筒を取る。

「装填!」

 敵の怒鳴り声。

 味方の号令。

 装填棒が鉄筒の中を擦る音。

 火縄と火薬の匂い。

 すべてが混ざる。

 兵たちは目の前の手順だけを見る。

 一本目を撃った時の敵の顔を思い出す暇を与えない。

「三班、前へ!」

 三番目の百人が土塁へ進んだ。

 敵はすでに二百挺の射撃を受けている。

 前列の多くが倒れ、後続がその隙間を埋めようとしていた。

 敵の指揮官は、さらに予備の兵を押し出す。

 二百挺すべてを撃ち終えたなら、今度こそ装填の時間が生まれる。

 そう考えたように、敵の太鼓は進撃を命じ続けた。

 だが、土塁の上へ現れたのは、三つ目の百挺だった。

 敵の一部が足を止めた。

 後ろから来た兵とぶつかる。

 下がろうとする者と、進もうとする者が同じ場所に集まる。

 それでも、全軍が一度に止まることはできない。

「火蓋開け!」

 火槍兵長が叫ぶ。

 三班が火蓋を開く。

「構え!」

 敵は、これまでで最も近い。

 銃口の先に、盾の傷まで見えた。

 俺たちの土塁まで走れば、それほど時間は掛からない。

 ここで三班が崩れれば、敵の槍が届く。

 槍兵たちは土塁の切れ目で待ち、いつでも前へ出られるよう盾を揃えている。

 弓兵も弦を引き、煙の切れ間を狙っていた。

「撃て!」

 三度目の轟音が響いた。

 百本の鉄筒から火と煙が噴き出す。

 敵の前線が、目に見えて沈んだ。

 先頭の一列だけではない。

 二列目、三列目、密集していた場所ではその後ろまで、複数の兵が同時に倒れる。

 弾を受けた馬が前脚から崩れた。

 騎手が投げ出され、後続の歩兵が避けきれずに転ぶ。

 長槍が倒れた者の体へ重なり、進路を塞ぐ。

 最初の三百発すべてが命中したわけではない。

 それでも、正面で倒れている者だけで百人を大きく超えている。

 傷を負って座り込んだ者。

 倒れた味方や馬の下から動けない者。

 恐怖で前へ進めなくなった者。

 すべてを合わせれば、敵の先頭では二百人近くが戦列から外れているように見えた。

 敵の前線に、綺麗な穴が開いたのではない。

 複数の場所が押し潰され、槍と盾と人が絡み合っている。

 後ろの兵は前へ出られない。

 左右へ避けようとしても、小川と林が幅を狭めている。

 三千人という数が、今は互いの動きを妨げていた。

「三班、後退!」

 火槍兵長が赤い布を上げ直す。

 撃ち終えた兵たちが土塁から下がる。

 白煙が風に流れ、敵の姿を隠しては再び見せる。

 敵の太鼓が乱れた。

 進めという音と、隊列を整えろという音が重なっているように聞こえる。

 前線では下がり始める兵もいた。

 だが、中央後方から新しい旗が前へ出る。

 予備兵が押し出されていた。

 三百挺すべてが撃ち終わった。

 今度こそ火縄銃はしばらく撃てない。

 敵はそう考えている。

 ここで突撃を続ければ、土塁へ届く。

 敵の指揮官が、残った兵を前へ向かせる。

 盾を持つ者が倒れた味方を越える。

 長槍兵が横へ広がり、土塁の通路を狙う。

 敵の騎兵も、歩兵の後ろから動き始めた。

「一班、装填状況!」

 俺が叫ぶ。

 教官たちが部下を確認する。

「第一組、完了!」

「第二組、完了!」

「第三組、あと二人!」

「第四組、完了!」

 返事が次々に届く。

 全員を待てば、敵はさらに近づく。

 だが、装填が終わっていない兵を前へ出せば、列が乱れる。

「完了した者から前へ出すな! 隊列を揃えろ!」

 一班を率いる火槍兵長が、遅れている兵の手元を見る。

 一人は火縄を掛け金へ留めようとしている。

 もう一人は火蓋を閉じた。

「完了!」

「一班、装填完了!」

 火槍兵長の声が届いた。

 俺は敵を見る。

 三百挺すべてが撃ち終わったと思い、前へ出てくる兵たち。

 白煙の向こうに、勝機を見つけた顔がある。

 その顔へ、もう一度百挺を向ける。

「一班、前へ!」

 命令が走った。

 最初に撃った百人が、再び土塁へ向かう。

 二本目の一発筒を使い、装填を終えた百挺。

 撃ち終わったはずの火縄銃が、白煙の中から戻ってくる。

 敵の先頭で、誰かが叫んだ。

 言葉までは聞き取れない。

 だが、前進の声ではなかった。

 兵たちの足が止まる。

 後ろを振り返る者がいる。

 盾を持ち上げようとする者。

 倒れた味方の陰へ身を伏せる者。

 引き返そうとして後続とぶつかる者。

 これまでの火槍は、一度撃てば長い隙があった。

 三百挺を撃ち終えれば、さらに長い隙が生まれるはずだった。

 だが、目の前の火槍隊は終わらない。

「火蓋開け!」

 百人が火蓋を開く。

 土塁の前に漂う煙の隙間から、敵の密集した場所を探す。

「構え!」

 百本の鉄筒が、再び敵へ向けられた。

 敵の太鼓が鳴る。

 進めという音なのか、下がれという音なのか、もう分からない。

 敵の前線も、同じだっただろう。

 前へ進もうとする者。

 後ろへ逃げようとする者。

 その場へ伏せる者。

 命令を待つ者。

 動きがばらばらになる。

 火槍兵長の赤い布が上がった。

 敵との距離は、最初の射撃よりはるかに近い。

 外しにくい。

 同時に、敵の槍が届くまでの時間も短い。

 俺は赤い布を見る。

「撃て!」

 四度目の一斉射撃が響いた。

 轟音が重なり、土塁の土が震えた。

 白煙が再び敵との間を埋める。

 百発の弾が、止まりかけた敵の隊列へ飛び込んだ。

 正面の兵が倒れる。

 後ろへ逃げようとしていた兵も倒れる。

 盾を構えていた者が横へ崩れ、その後ろにいた二人を巻き込む。

 馬が倒れ、騎兵の進路を塞ぐ。

 敵の前線が、今度こそ明確に後ろへ揺れた。

 火縄銃の射撃は、三百挺が一度ずつ撃って終わるものではなかった。

 一班へ戻り、同じ輪を繰り返す。

 その事実を、敵は四度目の轟音で初めて知った。

「一班、後退! 二班、装填状況を報告!」

 火槍兵長の号令が続く。

 戦は、まだ始まったばかりだった。

 それでも、十挺から始まった三百挺の火縄銃は、ようやく一つの武器として戦場で動き始めていた。

第十九話を読んでいただき、ありがとうございました。

第一、第二、第三の百人が相次いで発砲し、さらに装填を終えた第一の百人が戦列へ戻りました。三百挺の射撃は一度で終わらず、敵の想定を超えて繰り返されます。次回、千発を超える弾丸がシュヴァルツ伯軍の中央を崩し、レオンハルト軍の槍兵と騎兵も動き始めます。


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