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『知らない世界の知っている物語』 ~剣と知識を授かった平凡な会社員は、異世界の乱世を生き抜く~  作者: 相田 ソウ
第五篇 乱世に広がる火

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第十三話 三百挺を作る仕組み

火縄銃三百挺を揃えるため、アレクたちは一つの工場だけでなく、ベルグハーフェンとアイヒェンタールを結ぶ新たな製造体制を作り始めます。

 翌朝、目を覚ますと、窓の外から斧を振るう音が聞こえていた。

 アイヒェンタールの領主館は、名前に反して大きな屋敷ではない。村で一番広かった家へ手を入れ、仕事部屋と寝室を用意したものだ。窓から村の様子を見渡せるわけでもないが、朝早くから働く者たちの声や、荷車が道を通る音はよく聞こえる。

 寝台から起き上がり、顔を洗う。

 水は冷たかった。

 エリーゼから贈られた革手袋を身につけて外へ出ると、領主館の前では、すでに昨日までの報告がまとめられていた。

 最初に聞いたのは、兵舎の建設でも訓練場の拡張でもない。

 井戸の話だった。

「昨日の夕方、兵と村の女が言い争いになりました。水を汲む順番を巡ってのことです」

 報告した男は申し訳なさそうに頭を下げた。

「手を出した者は?」

「おりません。ただ、兵が先に水を汲もうとして、女たちが怒りました。火槍兵長にも知らせ、兵には村の者を優先するよう言い聞かせてもらいました」

 今はそれで収まったとしても、同じことはまた起きる。

 領内にいた兵は百人だった。そこへレオンハルトから預かった三百人が加わり、訓練場だけでなく、寝床や水場、炊事場を使っている。

 人口が急に増えれば、必要な水も薪も食料も増える。

 兵を預かった時から分かっていたことだが、四百人という人数が、日々の暮らしへどれほど影響するかまでは見えていなかった。

「兵が使う水は、どこから取っていますか」

「村の井戸と、兵舎に近い沢です」

「沢の上流に厠は?」

 男の顔が曇った。

「上流ではありません。ただ、そう遠くもありません」

 良くない。

 井戸や沢へ汚れが入り、腹を壊す者が増えれば、訓練どころではなくなる。病気が広がれば、兵だけでなく村人まで倒れる。

 水の中に目では見えない小さな生き物がいる、などと説明しても理解してもらえないだろう。俺自身、細菌について詳しく語れるほどの知識はない。

 だが、飲み水を汚れから遠ざけることならできる。

「兵の厠を一か所へ集めます。井戸と沢より低い場所を選んでください。今あるものも、近すぎる場所は使わせないようにします」

「埋めますか」

「中身を処理してからです。場所だけ決めて土を掛ければ、次に掘った者が困ります。それから、井戸の周りに浅い溝を掘ってください。こぼれた水が井戸のそばへ溜まらないようにします」

 俺は地面へ、井戸と溝の位置を簡単に描いた。

「洗い物をする場所も井戸から離します。水を汲む者と、その場で服や鍋を洗う者が一緒になっているから混むんです」

「兵にも村の者にも、新しい場所を使わせるのですか」

「洗い場は分けた方がいいでしょう。兵が村人の場所を奪ったと思われないよう、先に兵のための場所を作ってください」

 次に、炊事場の報告を聞く。

 現在は兵舎ごとに火を使い、それぞれが鍋を掛けている。そのため、薪の受け渡し量を巡って不満が出始めていた。湿った薪を渡された兵舎では火が弱く、別の兵舎へ配られた乾いた薪を羨んでいるという。

「兵舎ごとに炊事をするのをやめましょう。いくつかの兵舎で一つの炊事場を使わせます」

「全員分を一度に作るのですか」

「四百人すべてを一つの鍋で、という意味ではありません。炊事をする場所と薪を置く場所をまとめるんです。使った薪の量が分かるよう、同じくらいの長さへ揃えてから配ってください」

 太さまで完全に揃えようとすれば、余計な手間になる。だが、長さがばらばらな枝を積み上げるより、ある程度揃えた薪の方が数えやすく、乾燥させる場所も作りやすい。

 火が一か所へ集中しすぎるのも危険なので、兵舎のまとまりごとに共同炊事場を設ける。

 俺は必要な指示を出しながら、村の道を通った荷車の報告にも目を通した。

 この数日、ベルグハーフェンから食料や木材を運ぶ荷車が増えている。その重みで、山道の一部が深くえぐれていた。雨が降れば、水がそこを流れ、さらに土を削るだろう。

「荷車を止めるわけにはいきません」

 報告を聞いていた者が言った。

「止めません。ただ、同じ場所へ何台も続けて入れれば、柔らかくなった土へ次の車輪が沈みます。荷車が来る時間を分け、雨の後は間隔を空けてください」

「商会の荷車にも待たせるのですか」

「待たせる時間を先にクレーマー商会へ伝えます。道の途中で突然止めるより、ベルグハーフェンを出る時刻を変える方がいい」

 壊れた道を毎回人手で直すだけでは、仕事が増え続ける。

 水が流れ込む場所へ溝を掘り、車輪が沈む場所には石と木を入れる。どこが傷みやすいかを記録し、荷車の間隔を変える。

 前世の道路と比べれば、ひどく単純な方法だ。

 だが、石を敷き詰めた立派な道を、すぐに山中へ通せるほどの金も人手もない。今できる方法で、少しずつ壊れにくくするしかなかった。

 一通りの話を聞き終え、俺はその場にいた者たちを見た。

「今日決めた仕事は、俺が戻るのを待たずに始めてください」

「アレク様はどちらへ?」

「訓練場を見た後、ベルグハーフェンへ行きます。火縄銃だけではなく、兵に使う箱や道具も増やさなければなりません」

 火縄銃という言葉を聞いても、この場にいる者たちは驚かなかった。領主館で日々の報告を扱う者には、山の奥で兵が新しい武器を訓練していることを知らせてある。

 ただし、一般の領民へは伏せている。

 村人に伝えるのは、領地と山道を守る兵が増え、そのために住居や訓練場所を整えているということまでだ。

「細かなことで迷った時は、何のために決めたかを考えてください。井戸の周りへ溝を掘るのは、溝を作ることが目的ではありません。飲む水の近くへ汚れた水を溜めないためです」

「分かりました」

「俺の言った形と少し違っても、その目的を守れるなら進めて構いません。夕方、戻った後に報告を聞きます」

 自分がいなければ何も決められない領地にしてはいけない。

 マティアスに言われた言葉を思い出しながら、俺は領主館を離れた。


 ◇ ◇ ◇


 訓練場へ着くと、三百人の兵が、百人ずつ三つの組に分かれていた。

 残る百人は少し離れた場所に並び、火縄や弾薬を運ぶ動作を教わっている。

 昨日は百人の列を作るだけでも時間がかかったが、今日は地面へ何本もの杭が打たれていた。兵は自分の立つ位置を杭に合わせ、十人ずつのまとまりを作っている。

「第一の組、前へ!」

 ギルベルトの号令を、列の途中にいる兵が繰り返す。

「第一の組、前へ!」

「前へ!」

 号令は端まで同時には届かない。それでも、昨日のように隣が動くのを見てから歩き出す者は減っていた。

 百人が前へ進み、杭の位置で止まる。

 まだ列は曲がっているが、昨日よりはましだ。

「構え!」

 木製の訓練具を持つ兵が、前方へ向けて構えた。

 十人ごとに間が空いている。その隙間が、射撃後に左右へ分かれて後方へ戻る道になる。

「第一の組、左右へ下がれ! 第二の組、前へ!」

 最初の組が十人ずつ左右へ分かれ、空いた中央を次の組が進む。

 中央の一か所で肩がぶつかり、二人の動きが止まった。後ろの兵も詰まり、十人ほどのまとまりが遅れる。

 それでも、昨日のように全体が絡まり合うことはなかった。

 ギルベルトは全員の動きを止めず、遅れた場所だけを教官に直させている。

 俺は三つの組が一度入れ替わるまで見届けてから、ギルベルトへ近づいた。

「昨日より動けています」

「杭がなければ、また列が曲がります」

「戦場でも杭を打てるとは限りません」

「分かっています。今は自分の立つ間隔を覚えさせます。慣れたら杭を減らします」

 現場を任せる相手として、十分に考えていた。

「今日から十人ごとのまとまりを固定してください。毎回隣が変わるより、同じ者たちで動いた方が、誰が遅れているか分かります」

「号令を繰り返す者も決めます」

「お願いします。それから、実銃を持つ者は別に訓練させてください。六十挺を二十挺ずつ三つへ分け、小さい形で交代射撃を試します」

「百人の列の中へ入れないのですか」

「まだ入れません。木製の訓練具でぶつからなくなってからです。火のついた火縄を持ったまま昨日のように転べば、一発筒や服へ火を移します」

 ギルベルトが頷く。

「アレク様は、今日はここに残られますか」

「ベルグハーフェンへ行きます」

「では、二十人ずつの射撃は私が?」

「そのために頼みました」

 ギルベルトは一瞬だけ黙った。

 前回の戦いでは、俺が射撃する場所と時機を決め、ギルベルトが号令を出した。だが、これから三百人を動かすなら、俺が一つ一つの組へ命令を出すことはできない。

 俺は戦場全体と火槍隊の使い方を考える。

 ギルベルトは、その考えを兵の動きへ変える。

「俺がいない間に、昨日より一度でも多く、ぶつからずに入れ替われるようにしてください。実銃を使う訓練では、速さより安全を優先します。不発や装填の遅れも記録してください」

「分かりました」

「夜に報告を聞きます」

 俺は訓練場を任せ、ベルグハーフェンへ向かった。


 ◇ ◇ ◇


 クレーマー商会の会議室では、机の上に火縄銃が置かれていなかった。

 代わりに並べられていたのは、鉄筒、木台、金具、装填棒、一発筒、携帯用弾薬箱、腰箱といった、完成前の部品や道具だった。

 マティアスが、それらを順に見回す。

「三百挺と言うのは簡単だ。だが、ここにある物を三百人分揃えるとなると、別の話になる」

「鉄筒だけ三百本あっても、撃てませんから」

「当たり前だ。だが、命令を出す者は当たり前の物を忘れる」

 レオンハルトの前では言わなかった言葉を、ここでは遠慮なく口にしている。

 ロルフは腕を組み、机の端に立っていた。集まっているのは、クレーマー商会で材料や輸送を扱う者と、専用工場の仕事をまとめる者たちだ。

 新しい名前を覚えるだけでも大変な人数になってきたが、今は一人ずつの名前より、誰が何を担当するかを間違えないことの方が重要だった。

 俺は帳簿の最初に書かれた数字を確認する。

「これまでに完成した火縄銃は七十挺です。アルベルト様へ十挺を納入したため、こちらにあるのは六十挺。アルベルト様へ残り二十挺を渡し、こちらで三百挺を揃えるには、あと二百六十挺が必要です」

「最終的には三百三十挺か」

 マティアスが言った。

「はい。アルベルト様の三十挺と、こちらの三百挺です」

「今までに作った数の四倍近い」

 商会の者の一人が呟いた。

 その声に責める響きはない。ただ、数字の重さを確かめているのだろう。

「職人へ急げと命じるだけでは作れません」

 俺は言った。

「作れる」

 ロルフが口を挟んだ。

「撃った時に筒が破れるだけだ」

 会議室が静かになる。

「それを、作れたとは言いません」

「だから言っている。手を抜けば数だけは揃う」

 ロルフは机の上から一本の鉄筒を取り上げた。

「外から見れば同じだ。だが、これは使えん」

「どこに問題が?」

「厚みが偏っている。ここが薄い」

 指で示された場所を見ても、俺には分からなかった。

「測れば分かりますか」

「差が大きければな。小さな偏りは、外から測っただけでは分からんこともある。作った時の音や、内側を通した棒の感触も見る」

「その確認を、今はロルフが行っている」

 マティアスが言った。

「俺だけではない。だが、最後に見るのは俺だ」

「そこが一番遅れているんですね」

 机の上には、工程ごとの完成数が書かれた紙が置かれていた。

 木台の粗削りは鉄筒より早い。装填棒も、必要な木材と職人を増やせば数を作れる。金具は種類によって差があるが、型と見本を使い、担当を分けたことで以前より安定していた。

 しかし、鉄筒は作れる職人そのものが少なく、作った後の検査にも時間がかかっている。

 さらに、完成した火縄銃の数ばかりを追った結果、一発筒と箱の製作が遅れ始めていた。

「全部の職人を同じように増やしても、完成する数は増えません」

 俺は工程ごとの紙を並べ直した。

「木台だけが百個増えても、鉄筒がなければ火縄銃にはならない。鉄筒が完成しても、それを調べる人がいなければ組み立てられない。一番遅れている場所から人を増やす必要があります」

「では、鉄筒を作る鍛冶職人を増やすか」

「それだけでは足りません。ロルフの前へ並ぶ鉄筒が増えるだけです」

 マティアスの視線がロルフへ向く。

「お前の仕事をほかの者へ教えろ」

「無理だ」

「即答だな」

「教えたからといって、すぐ同じように見られるわけがない」

「すぐでなくていい」

 俺は、不合格となった鉄筒を指した。

「合格した物と、不合格にした物を見本として残しましょう。亀裂、厚みの偏り、点火孔の位置、内側の歪み。理由ごとに分けます」

「見ただけで覚えられるものではない」

「最初は、ほかの者が確認した後、ロルフがもう一度確認します。判断が違えば、その場で理由を教えてください」

「二度調べるなら、今より遅くなる」

「最初は遅くなります」

 俺は認めた。

「ですが、その人たちが十本のうち八本、九本とロルフと同じ判断をできるようになれば、ロルフは危ない物と最終試験だけを見られます」

「見落とした一本が破裂すれば、兵が死ぬ」

「だから、検査を減らすのではありません。検査できる人を増やします」

 ロルフは不満そうに鉄筒を机へ戻した。

 自分の仕事を人へ渡したくないというだけではない。兵の命に関わる物を、経験の足りない者へ任せることが怖いのだろう。

 その感覚は間違っていない。

 だが、ロルフ一人へ任せ続けることも危険だった。

「ロルフが病気になったら、どうしますか」

「寝ながら見る」

「熱で目が霞んでいても?」

「なら、工場を止める」

「戦の直前でもですか」

 ロルフは答えなかった。

 マティアスが、鼻で小さく笑う。

「頑固な職人でも、熱には勝てんらしいな」

「うるさい」

「アレクの言うとおりだ。お前が倒れれば止まる工場では、三百挺を作った後も使えん。壊れた火縄銃を誰が調べる」

 ロルフはしばらく黙った後、低い声で言った。

「鍛冶を分かっている者を選べ。数を増やすために、昨日まで箱を作っていた者へ筒を見せるような真似はするな」

「もちろんです」

「俺が認めるまで、そいつの印だけで筒を通すな」

「最初は必ず二人で確認します」

「合格と不合格の見本は、勝手に捨てるな。理由を札に書いて、別々に置け」

 次々と条件が出てくる。

 断るための言葉ではなく、実行するための言葉に変わっていた。

「ロルフ」

 マティアスが呼ぶ。

「何だ」

「今の話をまとめると、引き受けるということでいいな」

「俺が倒れたら一本も完成しない工場では意味がない。だが、誰でもいいとは言っていない」

「十分だ」

 最初の問題は、それで動き始めた。

 だが、鉄筒と検査だけを解決しても、三百挺は揃わない。

 マティアスは、机の上にある一発筒を持ち上げた。

「これは専用工場で作る必要があるか」

「ありません」

 俺は答えた。

「獣の角を加工して作る容器です。大きさと形を揃える必要はありますが、火縄銃の全体を知らなくても作れます」

「携帯用弾薬箱は?」

「革の箱を作れる者なら、見本に合わせられます。ただし、内側の仕切り、油紙、蓋の留め具は検査が必要です」

「装填棒は?」

「長さと太さを揃えれば、木工職人へ分けられます」

 マティアスは、それぞれの部品を担当する者へ顔を向けた。

「すべてを専用工場へ集めるのはやめる。鉄筒、点火の仕組み、最終組み立て、完成品の検査は工場へ残す。木台の粗削り、装填棒、箱、一発筒、革の仕切り、木栓は、ベルグハーフェンの職人へ振り分けろ」

「秘密が漏れませんか」

 商会の者が尋ねる。

「一人の職人へすべてを見せなければいい」

 マティアスが答える。

「角を加工する者には、商会が大量に使う容器だと伝える。革箱を作る者には、その容器を十本入れる箱だと伝える。何を詰め、どこで使うかまで教える必要はない」

「木台を作る者は、武器の一部だと分かると思います」

 俺は指摘した。

「そこまで隠すのは難しいでしょう。ですが、鉄筒や点火の仕組みを同じ職人へ見せなければ、完成形までは分かりません」

「木台を粗く削るところまで外へ出し、鉄筒に合わせる調整は工場でやれ」

 ロルフが言った。

「職人ごとに形が違えば、余計に時間がかかる。見本と測る道具を渡せ」

「分かりました」

 話が進むにつれ、専用工場で行う仕事と、町の工房へ分ける仕事が整理されていく。

 火薬を扱う場所は鍛冶場から離す。完成した火縄銃は製造番号をつけ、誰がどの部品を作り、誰が検査したかを記録する。不合格品を無理に直して使わず、修理できる物と廃棄する物を分ける。

 それぞれは以前から考えていたことだ。

 だが、三百挺を作るという期限が決まったことで、必要な規模が変わった。

「工場一つで三百挺を作ろうと考えるな」

 マティアスが言った。

「ベルグハーフェンにある職人、倉、荷車、商会の契約を全部つないで作る。工場は、その流れを一挺の火縄銃へまとめる場所だ」

 マティアスは、製造数を書いた帳簿を開いた。

「次に、いつまでに何挺作る」

「一度の注文は五十挺分のままにします」

 俺は答えた。

「二百六十挺分を同時に配れば、材料がどこへ行ったか分からなくなります。ですが、五十挺分の鉄筒を作っている間に、次の五十挺分の木台や箱を用意することはできます」

「五十挺が完成するまで、次へ手をつけないわけではないということだな」

「はい。材料と帳簿は五十挺分ずつ分けます。作業は重ねて進めます」

 最初の期間は、検査を教えるために速度が落ちる。

 それでも三十挺を完成させる。

 次は五十挺。その後は六十挺以上。

 職人と検査役が育ち、不合格品が減れば、複数の五十挺分を重ねて進められる。

 紙の上の目標を聞き、ロルフは顔をしかめた。

「予定どおりにいくと思うな」

「思っていません」

「筒が十本使えなければ、十挺遅れる」

「だから、不合格品も記録します。遅れを隠して完成数へ入れることはしません」

「ならいい」

 マティアスは必要な金額を書き出していたが、途中で筆を止めた。

「良くはない。金がかかりすぎる」

「殿下へ説明しますか」

「説明する。戦場で三百挺並べたいと言ったのは殿下だ。値段も三百挺分払ってもらう」

「断られたら?」

「完成する数を減らす」

 俺が思わずマティアスを見ると、彼は笑った。

「その顔を殿下にも見せろ。お前が三百挺必要だと説明し、俺が金額を説明する。どちらかだけでは、殿下は払わん」

 武器の数だけを求めても、それを作る職人の住居と食料、材料を運ぶ荷車、倉を守る人員までは見えにくい。

 マティアスは、それらすべてへ値段をつける。

 俺が三百挺を使う戦いを考えるなら、マティアスは三百挺を存在させる金の流れを作る。

 会議が終わりかけた時、扉が叩かれた。

 入ってきた商会の者が、マティアスへ一枚の紙を渡す。

「何だ」

「各地の買い付けについての報告です。昨日の分に、追加がありました」

 マティアスは紙へ目を通し、俺へ差し出した。

 記されていたのは、鉄材、穀物、馬の飼料、革、荷車の車輪、弓弦、槍の穂先だった。

 どれも軍勢を動かすために必要な物だ。

「シュヴァルツ伯ですか」

「名義は違う」

「では、断定できませんね」

「ああ。だが、これだけの物を同じ方角へ運ぶなら、畑を耕すためではないだろう」

「火槍を作るつもりでしょうか」

 商会の者が不安そうに尋ねた。

 俺は買い付けの一覧をもう一度見る。

 鉄材と革だけなら、武器を真似しようとしている可能性もある。しかし、穀物、飼料、車輪、弓弦、槍の穂先まで揃っている。

 普通の軍勢を整えるためと考える方が自然だった。

「分かりません」

 俺は答えた。

「火槍を作ろうとしているかもしれません。単に槍や荷車を増やしているだけかもしれない。今の情報では、どちらとも言えません」

「では、どうする」

「売れた量と、運ばれた先を追います」

 マティアスが先に答えた。

「知らんことを、勝手に火縄銃と結びつけるな。どの商人が買い、どの道を通り、どの倉へ入ったかを調べろ。鉄だけを見るな。穀物と飼料が集まる場所に兵も集まる」

 商会の者が頭を下げ、部屋を出ていく。

 敵も準備を進めている。

 こちらが工場を動かす間、シュヴァルツ伯が待ってくれるわけではない。

 雪解けまでという期限が、また少し重く感じられた。


 ◇ ◇ ◇


 それからの三週間、俺の一日は似た形で始まり、毎日少しずつ違う形で終わった。

 朝はアイヒェンタールの領主館で報告を聞く。

 井戸の周囲へ溝を掘ると、最初の二日は村人から歩きにくいと言われた。そこで、井戸へ近づく場所へ板を渡した。洗い場を分けると、今度は兵の洗い場へ水を運ぶ手間が増えた。兵自身へ交代で運ばせることにした。

 共同炊事場では、誰の鍋を先に火へ掛けるかで揉めた。

 炊事を担当する者と順番を決め、兵舎ごとに勝手な時間へ火を使わせないようにする。薪は同じほどの長さへ揃えて積み、使った束の数を記録した。

 厠を移した場所では、風向きによって兵舎へ臭いが流れた。

 場所をさらに離し、土を定期的に掛けるよう命じる。

 一度の指示ですべてが良くなることはない。

 だが、問題が起きるたび、現地の者たちが俺の帰りを待つことは減っていった。

 井戸の溝へ板を渡したのも、炊事の順番を決めたのも、最初に俺が命じた形そのままではない。

 目的を伝えれば、実際に使う者が直し方を考える。

 領主である俺がすべての答えを出すより、その方が早かった。

 兵舎と倉の建設には、山から切り出した木材が使われた。

 木を切る者、乾かす者、柱へ加工する者へ仕事が生まれる。兵へ食料を売る農家が増え、皮革や蜂蜜をベルグハーフェンへ運ぶ荷車も少しずつ増えた。

 兵が増えれば負担だけが増えると思っていた領民も、売る相手が増えたことには気づき始めている。

 ただし、兵の食料を領内だけで無理に賄わせることはしない。

 足りない麦や豆、塩はクレーマー商会から運び、領内の食料価格が急に上がらないようにする。兵が領民の食べ物を買い尽くせば、領地が豊かになる前に暮らせない者が出る。

 朝の仕事を終えると、訓練場へ寄った。

 三つの組は、十人ずつのまとまりで動くことに慣れ始めた。

 初めの頃は、一度入れ替わるたびに誰かがぶつかっていた。三週間後には、木製の訓練具を持つ兵なら、三つの組を何度か続けて動かせるようになっている。

 杭も少しずつ減らされた。

 自分の位置を示す杭がなくても、隣との間隔を見て並べる兵が増えたからだ。

 六十挺の実銃は、二十挺ずつ三つの組へ分けた。

「第一の組、弾薬箱開放許可!」

 ギルベルトの号令が飛ぶ。

「一発取れ!」

 兵が携帯用弾薬箱を開き、一発筒を取る。

「装填!」

 木栓を外し、火薬と弾を鉄筒へ入れる。装填棒で奥へ押し込み、火皿へ細かな火薬を置く。火蓋を閉じ、火縄を火縄ばさみに挟んで掛け金へ留める。

 撃つ位置へ進む前に火蓋を開き、構える。

 赤い布が上がった。

 ギルベルトの声を待つ兵の肩に力が入る。

 布が振り下ろされる。

「撃て!」

 二十挺の銃声が、ほぼ一つに重なった。

 白煙が広がる。

 最初の組が左右へ分かれて下がり、二つ目の組が中央から前へ出た。

 煙の中で一人が進む場所を間違えたが、後ろの兵が腕を引き、決められた通路へ戻す。

 二度目の銃声。

 続いて三つ目の二十挺が前へ出る。

 三度目の銃声が響いた時、最初の組はまだ装填を終えていなかった。

 数人は構えられる状態に戻っていたが、列の半分ほどは火皿へ火薬を置いている。中には一発筒の木栓を外すのに手間取った者もいた。

「止めろ!」

 ギルベルトの命令で、全員が作業を止める。

 火縄を手で安全な位置へ引き上げ、火皿と筒の状態を確認する。

「最初の組は、三つ目が撃つまでに間に合っていません」

 ギルベルトが俺へ報告した。

「何人が遅れましたか」

「十二人です。遅れた理由は確認します」

「急がせるだけでは直りません。一発筒を取るところで遅れたのか、火縄を上げるところか、弾を押し込むところかを分けてください」

「分かりました」

 三百人が三つの組で撃つ時、最初の百人全員が同時に装填を終える必要はないかもしれない。

 九十人が撃てるなら、残り十人を待たずに撃つ判断もある。

 だが、それを誰が決め、遅れた者をどう次の射撃へ戻すかも考えなければならない。

 実際に動かせば、紙の上では見えなかった問題が出る。

 俺は改善をギルベルトへ任せ、ベルグハーフェンへ向かった。

 工場では、最初の一週間、完成数がむしろ落ちた。

 新しい検査役が確認した鉄筒を、ロルフがもう一度調べるためだ。

「これは通せる」

「こちらは?」

「駄目だ。内側を見ろ。弾が通る幅が途中で変わっている」

 ロルフは合格と不合格を分け、理由を書いた札を置かせていた。

 同じ鉄筒を二度調べるため、机の上には未検査の部品が積み上がる。工場の者から、本当に速くなるのかという不満も出た。

 それでも二週目には、新しい検査役とロルフの判断が一致する物が増えた。

 明らかな亀裂、点火孔のずれ、外から測って分かる厚みの偏りは、ロルフの前へ運ぶ前に分けられる。

 ロルフはすべてを最初から調べるのではなく、検査役が迷った物と、最終的に火薬を入れて試す鉄筒へ時間を使えるようになった。

 町の工房からは、木台、装填棒、一発筒、革箱が別々に届く。

 大きさの違う一発筒が混じり、携帯用弾薬箱へ十本入らないこともあった。木台の溝が鉄筒と合わず、削り直しになった物もある。

 最初から完全には揃わない。

 不合格にした理由を見本へ反映し、次に作る者へ戻す。火縄銃の構造すべてを教えなくても、自分の作った部品がどの基準から外れたかは伝えられる。

 クレーマー商会の倉には、五十挺分ずつ材料が分けられた。

 一つ目の鉄筒を鍛えている間に、二つ目の木台を削る。二つ目の金具を作る間に、三つ目の一発筒へ使う獣角を集める。

 火薬を詰める作業だけは、火種も鍛冶場もない別の場所で行う。

 どこか一つが遅れれば、商会の帳簿に印が付いた。

 俺は毎日工場へ張り付かず、その印が増えた場所だけを確認した。

 夕方になるとアイヒェンタールへ戻り、領地と訓練の報告を聞く。

 日によってはベルグハーフェンで夜を迎えたが、可能な限り領主館へ帰った。自分の領地の朝と夜を知らず、工場の帳簿だけを見る領主にはなりたくなかった。

 三週間の途中、領主館へ一通の手紙が届いた。

 封を見ただけで、誰からのものか分かった。

 俺は仕事机の前へ座り、ほかの報告書より先に封を開いた。

 エリーゼの手紙には、無事にベルグハーフェンへ戻った直後、俺が約束どおり手紙を書いたことへの礼が最初に記されていた。

 革手袋が長い移動でも役に立ったと知り、自分が贈った物を使ってもらえるのは、思っていたより嬉しいとも書かれている。

 首飾りについては、少し意外なことが書かれていた。

 アルベルトが、俺とエリーゼが互いの贈り物を見せ合っていた時のことを思い出し、時々笑っているらしい。

 俺たちは普通に久しぶりの再会を喜んでいただけなのだが、周りから見れば違ったのだろう。

 その時のアルベルトの顔を思い出し、頬が熱くなる。

 さらに手紙を読み進めた。

『再び戦の支度が必要になるかもしれないと、隠さず書いてくださったことに感謝します』

 その一文の後には、エリーゼの正直な気持ちが続いていた。

『危険なことを知れば、私はきっと心配します。ですが、何も知らされないまま、あとでアレクが危険な場所にいたと聞く方がつらいのです。ですから、これからも、すべてを平気なふりで隠さないでください』

 俺は手紙を持つ指へ、少し力を入れた。

 心配させないために何も言わないことが、相手のためになるとは限らない。

 以前の俺は、エリーゼへ手紙を書くことさえ避けていた。今は、何を伝え、何を伏せるかを考えている。

 それでも、戦が始まれば、書けないことは増えるだろう。

 敵の位置や兵数、火縄銃の製造数を、そのまま手紙へ書くわけにはいかない。途中で奪われる可能性もある。

 だが、自分が不安を感じていることや、戦支度のため忙しくしていることまで隠す必要はないのかもしれない。

 手紙の最後には、エリーゼらしい願いが添えられていた。

『次にお会いする時も、私はあの首飾りを身につけます。ですから、アレクも私の手袋をなくさないでください』

 俺は手紙から顔を上げ、自分の両手を見た。

 少し煤で汚れているが、革手袋に破れはない。

「なくすわけがないだろ」

 誰もいない部屋で答えてから、自分の言葉が急に恥ずかしくなる。

 俺はすぐに返事を書き始めた。

 手袋は今日も使っていること。

 工場と領地を往復する生活が続いていること。

 預かった兵の訓練が少しずつ進んでいること。

 首飾りを身につけたエリーゼへ再び会いたいこと。

 最後の一文を書いたところで筆が止まった。

『必ず会いに行きます』

 そう書けば簡単だ。

 しかし、戦の行方は分からない。

 必ずという言葉を、軽く使いたくなかった。

 迷った末、俺は別の言葉を選んだ。

『次に会える日を、俺も楽しみにしています。その日のためにも、今やるべき仕事を終わらせます』

 約束から逃げたようにも見える。

 それでも、今の俺が書ける正直な言葉だった。


 ◇ ◇ ◇


 三週間が過ぎた日、ベルグハーフェンの専用工場で、新たに三十挺の火縄銃が完成した。

 すべての鉄筒は検査を受け、火薬を減らした試験と、通常量を使った試験を終えている。火縄ばさみ、ばね、掛け金、引金も確認し、木台には製造番号が刻まれた。

 最初の十挺を完成させる時と比べれば、ロルフが一人で触れる部品は減っていた。

 だが、品質を下げて数へ変えたわけではない。

 ロルフ以外の者が先に確認し、その記録をロルフが確かめる。同じ判断ができる者を増やした結果だった。

「三十挺すべてを、こちらへ送るのですか」

 完成品を前に、商会の者が尋ねた。

「二十挺はアルヴェインへ送ります」

 俺は答えた。

「十挺ずつ、二度に分けてください。扱いを教える者と、クレーマー商会の担当者を同行させます」

「アレク様は行かれないのですか」

「行きません」

 行けば、エリーゼに会えるかもしれない。

 その考えが浮かばなかったわけではない。

 だが、今は四百人の訓練と、残る二百三十挺の製造を進めなければならない。アルベルトとの会談で決めた条件はすでに文書となり、二度目以降の納入に俺が必ず同行する約束もない。

 何でも自分で届けようとすれば、任せる仕組みを作った意味がなくなる。

「納入した後、アルベルト様側の受領記録を持ち帰ってください。製造番号と一致しているかも確認します」

「分かりました」

 二十挺は、油紙と布で包まれ、運搬用の箱へ収められた。

 残る十挺は、アイヒェンタールへ向かう荷車へ積まれる。

 マティアスが帳簿の数字を書き換えた。

「これで累計百挺か」

「はい」

「アルベルトへ三十挺。こちらには七十挺」

「契約した数は、すべて渡したことになります」

「ならば、次からは三百挺を揃えることだけを考えられるな」

「修理と訓練用の弾薬も考えます」

「そういうところだけは細かい」

「必要なことです」

「分かっている」

 マティアスは帳簿を閉じた。

 この三週間で完成したのは三十挺だった。

 雪解けまでに必要な数を考えれば、十分に速いとは言えない。

 だが、工場の中は三週間前とは違う。

 鉄筒を検査する者が増え、木台や箱や一発筒は町の複数の工房で作られている。クレーマー商会の倉には、次の五十挺分と、その次に使う部品が分けて置かれている。

 最初の三十挺を作り終えた時には、次の火縄銃の材料がすでに職人の手へ渡っていた。

「戻りの荷車を空で走らせるな」

 マティアスが商会の者へ言った。

「アイヒェンタールへ火縄銃を届けた後、木材と木炭、皮革を積んで戻せ。火縄銃を運んだ箱は外から見えないよう布を掛けたまま回収しろ」

「承知しました」

「アルヴェインへ向かう荷車も同じだ。帰りに買い付けた材料を積ませろ。荷車は動いている間に金がかかる。空で戻せば、その分だけ損になる」

 それが、マティアスの作る流れだった。

 火縄銃を運ぶ荷車が、帰りには領地の産物や次の製造へ使う材料を運ぶ。倉から工房へ、工房から専用工場へ、専用工場から試験場へ物が動き続ける。

 その日の夕方、新たな十挺がアイヒェンタールへ届いた。

 荷車が訓練場の倉へ入ると、ギルベルトと教官たちが製造番号を確認した。箱を開き、鉄筒、木台、点火の仕組み、装填棒を一本ずつ調べる。

 六十挺だった火縄銃は、七十挺になった。

 三百挺までは、まだ二百三十挺も足りない。

 目の前に並んだ十挺だけを見れば、先は遠かった。

 だが、火縄銃を降ろし終えた荷車は、空のままベルグハーフェンへ帰るわけではない。

 領内で切り出された木材が積まれ、鍛冶用として長さと太さを揃えた木炭が積まれる。なめした皮革と、商会へ売る蜂蜜の小樽も載せられた。

 それらの一部はベルグハーフェンで売られ、一部は次の箱や木台、鍛冶仕事へ使われる。

 俺は荷を積み終え、山道を下っていく荷車を見送った。

 三百挺は、三百人の職人が同じ場所へ集まり、一度に作るものではない。

 木を切る者がいる。炭を焼く者がいる。鉄を鍛える者がいる。箱を縫う者がいる。角を削る者がいる。部品を調べ、荷車を動かし、帳簿へ記録する者がいる。

 町と商会と領地の仕事がつながり、その流れが止まらなくなった時、初めて三百挺が揃う。

 七十挺目がアイヒェンタールへ届いた日。

 ようやく、その流れが動き始めた。

第十三話を読んでいただき、ありがとうございました。

三週間の間に新たな三十挺が完成し、アルベルトへの三十挺の納入契約も完了しました。アレクたちが使える火縄銃は七十挺となり、残る二百三十挺の製造へ集中できる段階に入ります。

領地、職人、工場、クレーマー商会を結ぶ流れは動き始めました。しかし、シュヴァルツ伯側でも軍需物資を集める動きが続いています。次回は、増えていく火縄銃を実際の戦力へ変えるため、部隊の役割と補給体制をさらに整えていきます。

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