第十二話 三百挺の命令
シュヴァルツ伯が再起へ向けて動き始めました。迫る次の戦いに備え、アレクたちは火縄銃三百挺と、それを扱う部隊の育成に挑みます。
アルベルトのもとを発った翌日の昼過ぎ、俺たちはベルグハーフェンへ戻った。
出発した時より荷車は十挺分軽くなっていたが、帰路を急ぐ馬の蹄は重く聞こえた。
シュヴァルツ伯が動いている。
その報せは、アルベルトとの再会で得た温かな余韻を消し去るには十分だった。
ただし、シュヴァルツ伯がすぐに大軍を率いて攻めてくるわけではない。
前回の戦いで、彼は集めた兵の一部を失い、従えていた諸侯にも敗北を見せた。本人は逃げ延び、主力も残しているが、敗れた直後と同じ命令で、同じ数の兵を動かせるはずがなかった。
兵を集めるには食料がいる。食料を買うには金がいる。金と食料を用意しても、敗れた将のもとへ兵を出す理由を諸侯へ示さなければならない。
それらを一つずつ整えるには時間がかかる。
だからこそ、シュヴァルツ伯は今から動き始めたのだ。
こちらに残された時間が、まだあるうちに。
ベルグハーフェンへ着くと、マティアスは旅装を解く暇もなく商会へ入った。俺もその後に続き、途中でクレーマー商会の者から渡された報告書へ目を通した。
先に戻っていた使者が情報を伝えていたらしく、商会の中はすでに慌ただしく動いている。荷車の手配を確認する者、各地から届いた手紙を分ける者、倉の在庫を書き出す者が、俺たちの横を足早に通り過ぎていった。
「殿下は?」
マティアスが尋ねると、出迎えた商会の男が頭を下げた。
「お戻りを待っておられます。ユリウス殿もすでに到着しております」
「休ませてもらえそうにはないな」
「シュヴァルツ伯が休んでくれるなら、俺も休みたいです」
俺が答えると、マティアスは口の端を上げた。
「お前はアルヴェインからの帰り道でも書類を読んでいただろう。馬車の中で休めと言ったはずだ」
「読まなければ、会議で何も答えられません」
「領主らしくはなってきたが、相変わらず身なり以外のことばかり気にする奴だ」
そう言って、マティアスは俺の鎧を指先で軽く叩いた。
今回の旅で初めて長い時間着用した鎧は、胸や腹を守りながらも、腕と肩を動かしやすく作られている。重さが消えるわけではないが、以前使っていた装備より馬にも乗りやすく、歩いた時にも足を取られなかった。
エリーゼに見せられたことを思い出すと、鎧を叩かれた場所とは違うところがくすぐったくなる。
「気にしていなかったわけではありません」
「そうか。エリーゼ様に見せる時だけは気にしたということだな」
「今はシュヴァルツ伯の話をしているんですよね?」
「そうだったな」
マティアスは笑いを残したまま歩き出した。
からかわれている場合ではないのに、否定しきれない自分がいる。
俺はエリーゼから贈られた革手袋を一度見下ろしてから、報告書を握り直した。
会議が行われる部屋には、すでにレオンハルトとユリウスがいた。ほかにも数人の指揮官が集まり、机の上へ広げられた地図を囲んでいる。
「遅かったな」
レオンハルトがこちらを見る。
「アルベルト様へ火縄銃を届けた翌日に出発しました。これ以上早く戻れと言われると、馬を潰すことになります」
「口は動くようだ。ならば頭も働くだろう」
「休ませるおつもりはありませんか」
「シュヴァルツが半年ほど眠ると誓えば考えてやる」
「俺もマティアス様へ似たようなことを言ったところです」
レオンハルトの口元がわずかに緩んだ。
以前なら、王弟を前にこんな答え方はできなかったと思う。無礼にならない限度は考えているつもりだが、レオンハルト自身が堅苦しい応答を好まないことも、これまでのやり取りで分かっていた。
マティアスが地図の前へ進む。
「それで、どこまで確かな話です?」
ユリウスが一通の書状を手に取った。
「シュヴァルツ伯が複数の諸侯へ使者を送ったことは確認できています。金と穀物を集め、傭兵を雇おうとしていることも、おそらく間違いありません。ただし、集まる兵数までは分かっておりません」
「おそらく、というのは?」
「金の流れは商人を通じて追えます。穀物についても、いくつかの町で普段より大口の買い付けがありました。しかし、シュヴァルツ伯の名で直接買っているわけではありません」
マティアスが書状を受け取り、素早く目を走らせる。
「名義を分けていますね。買い付ける場所も散らしている。一つ一つは戦支度だと断言できるほどの量じゃない」
「だが、すべてを同じ場所へ運べば、数千人を養える」
レオンハルトが地図上の一点を指で押さえた。
「前回の敗北で、シュヴァルツは慎重になった。こちらに準備を悟らせぬまま兵を集めるつもりだ」
「それだけではありません」
ユリウスが別の手紙を広げた。
「各地の諸侯へ送られた書状の内容も、一部が分かりました。シュヴァルツ伯は、前回の敗北を自らの指揮の失敗とは認めておりません。正体の分からない火槍と、王都軍の介入によって戦場が乱されたためだと主張しています」
その言葉に、集まった指揮官たちの間から低い声が漏れた。
ずいぶんと都合のいい説明だと思う。
だが、諸侯をもう一度集めるための言葉としては悪くない。
自分たちは弱くなかった。敵が卑怯な武器を使い、予想外の援軍が現れたから敗れた。次は事前に備えれば勝てる。
敗北の責任を引き受けるより、その方が兵を出す側には受け入れやすい。
「火槍に対する備えとは、何をするつもりなのでしょう」
俺は尋ねた。
「そこまでは分かっていない」
ユリウスが答える。
「前回の戦場から逃げた兵を集め、話を聞いているようです。火槍が何挺あったのか、どれほどの間隔で撃たれたのか、何人が倒れたのか。そうしたことを調べさせています」
胸の奥がわずかに冷えた。
最初の実戦では、十挺を五挺ずつ二班に分けた。最初の五発を見た敵指揮官は、撃った後には続かないと判断して突撃を命じた。その直後に残りの五挺が火を噴き、指揮官が倒れたことで、約四百人の部隊が崩れた。
だが、その手は二度目には通用しない。
敵が一度目の戦いを調べるのは当然だ。こちらが新しい武器を増やしている間に、向こうも新しい武器への対策を考える。
「敵は火縄銃を何挺と見積もっている?」
レオンハルトが俺を見た。
「戦場で確実に見られたのは十挺です。その後、橋では八挺を撃たずに見せました。別の武器だと思われていなければ、敵は十挺前後と考えるはずです」
「増えることは予想するか」
「すると思います。ただ、どれほど増やせるかまでは分からないでしょう」
「こちらにも分からん」
レオンハルトの指が机を二度叩いた。
これは俺に答えろという意味だ。
「現在、こちらで使える火縄銃は六十挺です。アルベルト様へ十挺を引き渡しましたが、契約した三十挺のうち、残り二十挺も製作しなければなりません」
「六十挺で、シュヴァルツの軍を破れるか」
部屋の視線が一斉に俺へ集まった。
六十挺。
前回の六倍であり、十挺の初陣を考えれば十分に多く見える。百人、二百人ほどの部隊を止めるだけなら、地形と撃つ時機を選ぶことで大きな力を発揮するだろう。
しかし、シュヴァルツ伯が率いるのは小部隊ではない。
「敵の一部隊を止めることはできます」
「質問に答えろ」
「シュヴァルツ伯の主力を破るには足りません」
俺ははっきりと答えた。
火縄銃は六十挺あれば何でもできる兵器ではない。射撃した後には装填が必要になる。敵が数千人いれば、六十発で前列を倒しても、その後ろから次の兵が来る。
槍兵に守られ、敵が狭い場所へ密集し、最初の銃声で指揮官が倒れる。前回は、そうした複数の条件が重なった。
次も同じ幸運があると考えてはいけない。
「シュヴァルツ伯は、どれほどの兵を集められますか」
俺が尋ねると、ユリウスは地図上に置かれた小さな駒を動かした。
「今の段階で従うことが確実なのは、伯自身の兵と、前回も最後まで行動をともにした諸侯の兵です。それだけなら五千ほどでしょう」
「最大では?」
「離れた諸侯と傭兵まで加われば、一万に近づく可能性があります。ただし、そこまで集めれば、食料も命令もまとまりにくくなります」
五千から一万。
幅がありすぎるが、今の時点で正確な数を求めても仕方がない。シュヴァルツ伯自身も、何人集まるか決められていないはずだ。
「攻めてくる時期は」
「冬の間に大軍は動かしにくい」
レオンハルトが言った。
「兵を集めても食わせるだけで金が減る。シュヴァルツが狙うなら、雪が解け、街道を荷車が通れるようになった頃だ」
雪解けまで。
俺は頭の中で残された日数を数え、工場の製作記録を思い浮かべた。
これまでの七十挺は、最初の試作品から積み重ねた結果だ。職人たちは工程を覚え、部品ごとの基準も整い始めている。専用工場も動き出し、最初の頃より製作は明らかに速くなった。
それでも、必要な数を考えれば簡単ではない。
「何挺あれば足りる」
再びレオンハルトが尋ねた。
六十では足りない。
百ならどうか。二百なら。
俺は数そのものではなく、敵がこちらへ押し寄せる光景を想像した。
一度に撃てる銃の数を増やすだけでは、最初の一斉射撃が大きくなるだけだ。重要なのは、次の射撃までの空白をどう埋めるかだった。
前世で知っている戦いの形が、頭の中へ浮かぶ。
柵の向こうに並ぶ銃兵。撃つ者と装填する者を分け、前後を入れ替えながら射撃を続ける。史実のやり方については諸説あり、俺自身も細かな手順まで知っているわけではない。
だが、原理なら使える。
一つの部隊が撃った後、装填している間に別の部隊が撃つ。
それを繰り返せば、敵に与えるのは一度の衝撃ではなく、何度も続く衝撃になる。
「三百挺です」
口にした数字に、部屋が静まった。
マティアスだけは驚いた顔を見せなかった。代わりに、目を細めて俺を見ている。
「今、六十挺と言ったな」
レオンハルトの声は低い。
「はい」
「アルベルトへ、あと二十挺を渡す」
「契約ですから、守る必要があります」
「つまり、新たに二百六十挺を作れと言っているのか」
「アルベルト様へ渡す分を含めれば、そうなります」
指揮官の一人が息を吐いた。
「三百挺もの火槍を、一度にどう使う。横に並べるだけでも相当な場所が必要だぞ」
「一列には並べません」
俺は地図の横に置かれていた白紙を引き寄せ、細い木炭で三本の線を引いた。
「百人ずつ、三つの組に分けます。最初の百人が前へ出て撃つ。その百人が下がって装填している間に、次の百人が前へ出て撃ちます。さらに、その次の百人が撃つ。三つ目の組が撃ち終える頃までに、最初の組の装填を終わらせ、もう一度前へ出します」
「三百人が順番に撃ち続けるということか」
ユリウスが紙を見つめた。
「それができれば、です」
「できない可能性があるのか」
「初めから正確に動けるとは思っていません」
百人が一斉に前へ出て、隣の兵と間隔を保ち、同じ号令で構え、撃つ。それだけでも難しい。
さらに、火のついた火縄を持つ兵と、火薬や弾を抱えた兵が前後に動く。焦った者が銃口を味方へ向けるかもしれない。煙で前が見えなくなれば、どこまで進めばいいか分からなくなる。
号令が聞こえなければ、列の一部だけが動くこともある。百人の横列なら、端と端で命令を受け取る時間にも差が出る。
「昔読んだ戦の記録で、射撃する組と装填する組を入れ替える方法がありました。ただ、記録に残っていたのは考え方だけです。実際に百人ずつ動かすには、列の間隔、進む歩数、号令、弾薬を運ぶ道、煙の流れる向きまで、こちらで確かめなければなりません」
「三百挺あっても、兵が動けなければ意味がないか」
「はい。ですが、動けるようになれば、六十挺を一度に撃つより大きな力になります」
俺は三本の線の先へ、敵を示す印をいくつも書いた。
「最初の百発で敵の前列を倒します。敵は、こちらが装填する前に距離を詰めようとするでしょう。そこへ二つ目の百発を撃ちます。それでも進むなら三つ目を撃つ。敵が三度の射撃を耐え、こちらへ近づいた時、最初の百人がもう一度撃てる状態になっていれば、敵が期待した空白は生まれません」
初陣で敵指揮官が犯した判断の誤りを、今度はより大きな規模で作り出す。
撃った後には来ないと思わせ、実際には次が来る。
ただし、今回は十挺を二つに分けるのではない。三百挺を三つに分け、何度も循環させる。
「百発で何人を倒せる」
レオンハルトが尋ねた。
「分かりません」
俺は正直に答えた。
「距離、地形、敵の密集、弾や火薬の品質で変わります。百発すべてが当たることはありません。ですが、横に広がった百挺が、密集して進む敵へ向かって撃てば、外れた弾も別の兵へ当たる可能性があります。最初の百発だけでなく、二度、三度と続けて撃てれば、敵の前列は立っていられなくなります」
音と煙だけではない。
三百挺を揃える以上、今度は火縄銃そのものが敵兵を倒す力を、戦場で見せなければならない。
レオンハルトはしばらく紙を見つめていた。
「敵が横から回り込めばどうする」
「火槍隊だけでは防げません。前には障害物か土塁を用意し、左右を槍兵と弓兵で守る必要があります。騎兵が迂回してくるなら、こちらの騎兵にも備えてもらいます」
「敵が散開したら」
「一発で倒せる人数は減ります。その代わり、敵の進み方も遅くなり、命令を届けにくくなります。散らばった敵に無駄撃ちはせず、距離を詰めて密集する場所を選びます」
「雨なら」
「火縄銃を主力とする作戦そのものを変えます」
万能な答えはない。
だからこそ、火縄銃が力を出せる場所と天候を、こちらが選ぶ必要がある。
レオンハルトはさらにいくつか質問を続けた。
射撃中に敵の騎兵が突入した場合。火薬を運ぶ荷車へ火が移った場合。三つの組の一つが崩れた場合。指揮官が倒れた場合。
俺は答えられるものには答え、まだ決めていないことは、これから試す必要があると認めた。
すべてを考え終えてから準備を始める時間はない。
準備をしながら問題を見つけ、一つずつ直すしかなかった。
やがてレオンハルトが椅子から立ち上がった。
「アレク」
「はい」
「雪が解けるまでに、火縄銃を三百挺揃えろ」
予想していた命令なのに、実際に言葉として聞くと胸の奥が重くなる。
「アルベルトへ渡す残り二十挺とは別に、ですか」
「当然だ。交わした契約を、俺の命令で破らせるつもりはない」
「分かりました」
「射手三百人を、百人ずつ三つの組へ分ける。残る百人は弾薬の運搬、火縄と火種の管理、故障した火縄銃の交換、伝令、予備の射手として鍛えろ」
これまで預かっていた三百人と、俺の領地にいる百人。
全員へ火縄銃の基本を教えているが、実銃を使った訓練を始められた者は、その一部にすぎない。
これからは、四百人の役割を明確に分けることになる。
「一発筒は一人十本。携帯用弾薬箱と腰箱も三百人分だ。予備の火薬、弾、火縄、装填棒、交換部品を運ぶ荷車も用意しろ。号令は三つの組で共通にする」
「お待ちください、殿下」
それまで黙っていたマティアスが口を開いた。
「待たん」
「そう言うと思っていました。ですが、三百挺と命じれば三百挺だけが出来上がるわけではありません」
「何が必要だ」
マティアスは俺が引いた三本の線の横へ、必要な物を書き加えていった。
「一発筒だけで三千本。携帯用弾薬箱が三百。腰箱、火縄、装填棒、掃除用の道具、点火孔へ使う細い棒、予備部品。弾を同じ大きさへ揃え、火薬を一発分ずつ量り、一発筒へ詰める人間も必要です。火薬を湿気から守る油紙も、三百人分となれば今までとは量が違います」
「用意できないのか」
「できます」
マティアスは即答した。
「ただし、クレーマー商会全体で動かします。火縄銃だけを見て職人を増やしても、弾薬箱がなければ兵は戦場へ弾を持っていけない。荷車がなければ予備の火薬を運べない。食料がなければ、三百人は訓練を続けられない。どれか一つを忘れれば、三百挺のうち何十挺かは撃てない鉄の筒になります」
「ならば忘れるな」
「忘れないよう、先に金の話をしているんです」
レオンハルトとマティアスの視線がぶつかる。
しばらくの沈黙の後、レオンハルトが笑った。
「必要な金額を出せ。理由の分からん項目があれば削る」
「理由が分かるまで説明しますよ」
「説明している間にも金は減るぞ」
「戦場で兵と一緒に減るよりは安いでしょう」
この二人は立場も考え方も違う。
レオンハルトは勝つために必要なものを命じ、マティアスはその命令を、人と金と物へ置き換える。俺が考えた三つの組による射撃も、二人の力がなければ紙に引いた線のままで終わる。
俺は製作記録を机へ広げた。
「工場では、今までより工程を細かく分けられるようになっています。鉄筒はロルフたちが検査しなければなりませんが、木台や一部の金具、一発筒、箱まで、同じ場所で作る必要はありません」
「五十挺ずつ作る方法は変えないのか」
マティアスが尋ねる。
「変えません。一度に二百六十挺を頼めば、どこで何が遅れているのか分からなくなります。五十挺分ずつ材料を分け、先の五十挺の鉄筒を作っている間に、次の五十挺の木台や金具を用意します。完成した火縄銃は十挺単位で訓練場へ運びます」
「アルベルトへ渡す二十挺は?」
「次に完成した分から十挺、その次の分から十挺を送ります。扱いを教える者とクレーマー商会の者に同行してもらえば、俺が毎回行く必要はありません」
「行きたいとは言わんのだな」
「エリーゼには会いたいです」
考えるより早く答えてしまった。
マティアスが笑い、レオンハルトまで面白そうにこちらを見る。
「ですが、行くたびに製作と訓練を止めるわけにはいきません。それに、手紙は書けます」
付け加えた言葉が言い訳のように聞こえた。
今度の手紙には、無事にベルグハーフェンへ戻ったことを書こう。鎧が長い移動でも使いやすかったことも、革手袋のおかげで手綱を握りやすかったことも伝えたい。
シュヴァルツ伯が動き出したことを、どこまで書くべきかは迷う。
何も伝えなければ、後でエリーゼは怒るだろう。だが、不安にさせるためだけの手紙にもしたくない。
「手紙を書く時間くらいは残してやれ」
レオンハルトが言った。
「ありがとうございます」
「ただし、三百挺が間に合わなければ、俺がお前の代わりに遅れた理由を書いて送る」
「それだけはやめてください」
どんな文面になるか想像したくもない。
張り詰めていた部屋の空気が、ほんの少しだけ緩んだ。
だが、机の上に書かれた三百という数字は消えない。
会議が終わる頃には、すでに外が暗くなり始めていた。
俺はそのままアイヒェンタールへ帰ろうとしたが、マティアスに呼び止められた。
「今日はベルグハーフェンで休め。暗い山道を急いで落馬したら、三百挺を指揮する者がいなくなる」
「領地の報告を聞かなければなりません」
「使者を出せ。お前は領主だが、毎晩自分の目で村を見なければ何も動かせない領主になるな」
返す言葉がなかった。
領地の仕事を部下へ任せ、自分はベルグハーフェンで火縄銃やクレーマー商会の仕事をする。その形を作ろうとしてきたのは、ほかでもない俺だ。
俺はアイヒェンタールへ使者を送り、明朝戻ることと、兵の食料、寝床、訓練場所の状態をまとめておくよう伝えた。
その夜は商会の一室を借りた。
眠る前にエリーゼへの手紙を書こうとしたが、机へ向かうと三百挺のことばかりが頭へ浮かんだ。
今ある六十挺でも、火薬や弾がなければ撃てない。
三百挺なら、三千本の一発筒を兵へ持たせるだけで終わらない。訓練で消費する火薬と弾もいる。戦場まで運ぶ途中で濡れたり、壊れたりする分も考えなければならない。
そして、一度の戦いで千発以上を撃つつもりなら、兵が携帯する分だけに頼れない。後方から安全に補充する方法が必要になる。
三百挺の命令は、三百本の武器を作れという命令ではなかった。
三百挺が何度も火を噴き続けられる仕組みを作れ、という命令だ。
考え始めると、終わりが見えなくなる。
俺は一度筆を置き、別の紙を取り出した。
明日、誰へ何を任せるかを書き出していく。
工場では、鉄筒、木台、金具、火縄ばさみ、ばね、掛け金の製作状況を確認する。ロルフには、検査する職人を増やせるか尋ねる。すべてをロルフ一人が見ていては、そこで製作が止まる。
クレーマー商会には、鉄、木材、油紙、獣の角、革の確保を任せる。
アイヒェンタールでは、四百人が動ける訓練場所と、三つの組がぶつからずに入れ替われる道を作る。兵が増えれば、食料と薪も増やさなければならない。
全部を自分で確かめるのは不可能だ。
それぞれの担当へ目的と期限を伝え、報告を受ける。問題が起きた場所にだけ自分が行く。
分かってはいるが、任せることにも慣れなければならなかった。
書き出した紙を横へ置き、今度こそエリーゼへの手紙を書く。
無事に戻ったこと。
鎧と手袋が旅の間も役立ったこと。
首飾りと髪飾りを身につけた姿を見られて嬉しかったこと。
最後の一文は、書いてから少し迷った。それでも消さずに残した。
シュヴァルツ伯の動きについては、再び戦支度が必要になるかもしれない、とだけ書いた。心配しなくていいとは書けない。俺自身が心配しているのに、そんな言葉を並べても嘘になる。
代わりに、今度は戻った後すぐに手紙を書くと約束した。
書き終えた時には、夜もかなり更けていた。
◇ ◇ ◇
翌朝、俺はベルグハーフェンを出て、アイヒェンタールへ戻った。
領主館では、留守中の報告がすでにまとめられていた。
村と周囲の集落では、今のところ大きな問題は起きていない。冬を越すための薪は予定どおり集まり、食料の保管場所も増やされている。山道では一か所、荷車の車輪が深く沈む場所が見つかり、石と木を入れて補修を始めたという。
木炭については、長さと太さの揃ったものが鍛冶用としてクレーマー商会へ出荷されていた。別に分けて焼いた木炭は、木の種類と窯ごとに印を付け、商会の試験へ送る準備が進んでいる。
領民には、何の試験に使うかは知らせていない。クレーマー商会が、燃え方の違いを調べるため質の良い木炭を高く買う、と説明してある。
今はそれで十分だった。
報告を聞き終えると、俺は村の暮らしに関わる仕事を、その場にいた者たちへ振り分けた。
山道の補修は今の方法を続け、雪解け水が流れ込む場所には溝を掘る。兵の食料は、村の蓄えと混ぜず、クレーマー商会から運び込まれた分を別の帳簿につける。領内で新たに用意する寝床は、兵だけに使う建物だと目立たないよう、木材置き場と倉も近くへ増やす。
領民へ知らせるのは、守備の兵が増えることまでだ。
彼らが何を扱い、山の奥で何を訓練しているかは、まだ伏せておく。
「今日から兵の動かし方を大きく変えます。俺は訓練場へ行きますが、村の仕事はこちらで進めてください。日が暮れる前に戻ります」
細かな判断まで俺を待たないこと、ただし、食料や木材が予定より不足しそうならすぐ知らせることを伝え、領主館を出た。
山林に囲まれた訓練場では、ギルベルトが兵を並ばせていた。
前回のシュヴァルツ伯との戦いを経験した十人を中心に、実銃を扱う者が訓練を続けている。その後ろでは、木製の訓練具を持った兵たちが装填の動作を繰り返していた。
残りの者は、火薬を運ぶ時の決まりや、火縄と火種を離して扱う方法を教わっている。
四百人すべてが射手になるわけではない。
だが、支える側にも火縄銃の仕組みを理解させなければ、戦場で何をしてはいけないか判断できない。
「お戻りになったばかりで、すぐこちらへ来られたのですか」
ギルベルトが近づいてくる。
「昨夜はベルグハーフェンで休みました。領地へ戻ったのは今朝です」
「では、今日は訓練をご覧になるだけですか」
「いいえ。人数の分け方を変えます」
俺は、会議で決まった内容を伝えた。
三百挺を用意すること。
三百人を射手として、百人ずつ三つの組に分けること。
残る百人は弾薬、火縄、火種、修理、伝令、予備の射手を担当すること。
ギルベルトは黙って聞いていたが、三百挺という数字を聞いた時だけ、後ろの兵たちへ目を向けた。
「この者たち全員を、三つの組として動かすのですか」
「雪が解けるまでに」
「簡単ではありません」
「分かっています」
「六十挺を六つに分け、交代で撃つのでは駄目ですか」
当然の疑問だった。
「小さな組に分ければ、動きを覚えさせるのは楽になります。ただ、戦場で百挺を一度に撃つには、百人が同じ列で動かなければなりません。十人でできることが、百人でもできるとは限りません」
「今から百人ずつ動かす訓練を始める、と」
「実銃が足りない間は、木製の訓練具を使います。撃つ動作だけでなく、前へ出る、止まる、列を揃える、撃った組が後ろへ下がる、次の組が前へ出る。その順番を先に体へ覚えさせます」
ギルベルトは地面を見た。
訓練場は、十人や二十人が横へ広がるには十分だが、百人を一列に並べるには狭い。周囲には木があり、片側は緩い斜面になっている。
「木を切る必要があります」
「必要な分だけ切ります。切った木は兵舎と倉に使ってください。ただし、外から訓練場が見えるほど開かないようにします」
「列の間隔は?」
「最初は広く取ります。兵同士がぶつからずに入れ替われることを優先します。慣れてから狭めます」
「百人へ一つの声は届きません」
「ギルベルトの号令を繰り返す者を、組ごとに置きます。赤い布も使います。ただ、煙で見えなくなることを考えて、声と布の両方で動けるようにします」
話しながら、決めなければならないことが次々と増えていく。
百人を一つの組と呼んでも、実際には十人ずつのまとまりを作り、その中で列を揃えさせた方がいい。号令を伝える者も、一人では足りない。
前列が下がる道と、次の列が前へ出る道を分けなければ、途中でぶつかる。
火のついた火縄を持った兵が密集すれば、隣の兵の服や一発筒へ火を近づける危険もある。
「まず、今日いる者を三つに分けましょう。実銃の有無は関係ありません。百人ずつ並べ、残りは後方の役を試します」
「いきなり百人で始めますか」
「最初から成功させる必要はありません。どこで止まるかを見たいんです」
ギルベルトは少し考えてから、兵たちの方へ向き直った。
号令が飛び、四百人が動き始める。
それだけで、すぐに問題が起きた。
所属する組を告げられても、自分がどこへ並べばいいか分からない者がいる。十人ずつ並んだ時には整っていた列が、百人になると大きく曲がった。右端を揃えようとすれば左端が前へ出て、左を直せば中央に隙間ができる。
ようやく一つ目の組が形になる頃には、先に並んだ兵が寒さで足を動かし始めていた。
二つ目、三つ目の組を作ると、訓練場の端まで人で埋まった。
「第一の組、前へ!」
ギルベルトの声が響く。
近くにいた兵は動いたが、遠くの兵は一瞬遅れた。さらに端の兵は、隣が動いたのを見てから歩き出す。
百人の列が、波のように崩れながら前へ進んだ。
「止まれ!」
今度は中央が止まり、端が二歩ほど余計に進む。
構える動作では、木製の訓練具を隣の兵へぶつける者が出た。前の兵の肩越しに構えようとした者もいる。
火薬を入れていない木製品だから、怒鳴り声と痛みだけで済む。
これが実銃なら、笑えない。
「第一の組、後ろへ! 第二の組、前へ!」
二つの組が同時に動く。
そして、予想していた以上にひどくぶつかった。
後ろへ下がる兵と、前へ出る兵が同じ隙間を通ろうとし、肩を押し合う。木製の銃身が絡み、一人が転ぶと、その後ろの二人まで足を取られた。
端ではうまく入れ替わっているのに、中央では人が固まり、全体が止まってしまう。
「止めろ!」
ギルベルトが赤い布を上げ、大声を張り上げた。
それでも、全員が止まるまでしばらくかかった。
兵たちは不安そうに互いを見ている。
三つの組による交代射撃と聞けば、紙の上では簡単に思える。
撃ったら下がり、次が出る。
たったそれだけの動きさえ、三百人では思いどおりにならない。
だが、失敗した場所は見えた。
「下がる者と進む者の道を分けます」
俺は地面へ二本の線を引いた。
「撃ち終えた組は、二つに分かれて左右から後ろへ回る。次の組は中央を通って前へ出る。横一列のまま後ろへ下げようとすると、必ずぶつかります」
「列の端に着くまで時間がかかります」
「百人全員を完全な一列にはしません。十人ずつのまとまりを作って、間に通路を置きます。後ろへ回る者は、決められた通路だけを使うようにします」
ギルベルトが地面の線を見ながら頷く。
「号令も増やす必要があります」
「はい。どの組を動かすか、前へ出るのか、左右へ分かれるのか。短く、聞き違えにくい言葉を決めましょう」
「兵が言葉を覚えるまで、火縄銃は持たせない方がよさそうです」
「俺もそう思います。まず木製の訓練具で歩かせます。実銃を使う時は、十人ずつ増やしてください」
最初の失敗で兵たちの顔は強張っていた。
俺は彼らの前へ出る。
「今の動きで、戦場へ出せると思った者はいますか」
誰も答えない。
「俺も思いません」
兵たちの間に戸惑いが広がった。
「だから、今ここで失敗してもらいます。戦場で初めてぶつかれば、その間に敵が来ます。ここなら、転んでも起き上がれます。号令を聞き違えても、木の棒が弾を撃つことはありません」
俺は、今度はゆっくりと兵たちの顔を見渡した。
「雪が解ける頃、皆さんの前には本物の敵がいるかもしれません。その時、三百挺の火縄銃を並べます。百人が撃ち、次の百人が撃ち、さらに次の百人が撃つ。最初の百人が装填を終えれば、もう一度前へ出る。敵が近づいても、射撃を途切れさせない部隊を作ります」
初めて聞く数字に、兵たちがざわめいた。
「今あるのは六十挺です。残りはこれから作ります。火縄銃が完成するのを待っていたら、兵の方が間に合いません。だから、今日から三百挺があるつもりで動いてください」
一度目は、まともに入れ替わることすらできなかった。
二度目も、中央で兵がぶつかった。
三度目は道を分けたことで少し動けたが、左右へ散った兵が後ろで再び固まった。
四度目には、号令を聞き違えた一部が、ほかの兵と反対へ進んだ。
それでも、繰り返すたびに、どこを直せばいいかが見えてくる。
日が傾く頃には、最初より短い時間で二つの組が入れ替われるようになっていた。
きれいとは言えない。戦場で使える動きには、まだ遠い。
だが、朝には存在しなかった三つの組が、形だけは生まれている。
訓練を終えた後、俺は領主館へ戻った。
村と集落の仕事について報告を聞き、山道の補修へ使う石の量を確認する。兵の食料は予定より豆が少なく、代わりに麦を増やせるという。俺は不足分をクレーマー商会へ知らせるよう指示し、明日の仕事を担当者へ任せた。
領地の仕事が終わると、今度はギルベルトから訓練の報告を受けた。
列を組むまでにかかった時間。
転んだ兵の数。
号令が届かなかった場所。
兵同士がぶつかった回数。
木製の訓練具が壊れた数。
どれも、戦果とは呼べない数字ばかりだ。
それでも、これが出発点になる。
部屋へ戻り、机の上へ製作記録と訓練記録を並べた。
現在、こちらにある火縄銃は六十挺。
これから作るのは、アルベルトへ渡す二十挺と、こちらで使う二百四十挺。
合計二百六十挺。
その先に、三百人の射手が並ぶ。
今日の訓練では、木で作った武器を持つ兵たちが、入れ替わるだけで何度もぶつかった。
いつか彼らが持つものは木の棒ではない。火薬と弾を込め、人を倒す火縄銃だ。
三百挺が一度に敵へ銃口を向ける光景を想像する。
十挺の初陣とは、何もかもが違う。
百発の銃声が三度続き、最初の百挺が再び火を噴く。それが何度も繰り返されれば、敵の前列だけでは済まない。後ろから押し寄せる兵も、倒れた者を踏み越えようとする馬も、煙の向こうで次々と弾を受ける。
俺が作ろうとしているのは、敵を驚かせて退かせるだけの部隊ではない。
大軍の正面を、本当に打ち崩す部隊だ。
怖くないと言えば嘘になる。
だが、シュヴァルツ伯が集めようとしている兵も、こちらを脅すためだけに槍を持つわけではない。準備が足りなければ、倒れるのはこちらの兵であり、その後ろにいる町や村の人々になる。
俺は二枚の記録の一番上へ、同じ言葉を書いた。
三百挺。
片方は、まだ作られていない武器の数。
もう片方は、まだ正しく動けない兵の数。
雪解けまでに、その二つを一つの部隊にしなければならない。
シュヴァルツ伯が次の戦場を整え始めたのなら、こちらも同じだった。
戦はまだ始まっていない。
けれど、勝敗を決めるための戦いは、すでに始まっていた。
第十二話を読んでいただき、ありがとうございました。
六十挺から三百挺へ。今回、レオンハルトの命令によって、火縄銃の製造と四百人の部隊育成が本格的に動き始めました。
武器を揃えるだけでなく、三百人を百人ずつ交代させ、射撃を途切れさせない部隊を作らなければなりません。雪解けまでに製造と訓練を間に合わせられるのか。次回は、三百挺を実現するため、工場とクレーマー商会が新たな規模で動き出します。




