第八話 ヴァイスブルクの戦い(上)
ベルン伯爵の本隊がヴァイスブルクへ到着し、兵力差はさらに広がります。降伏期限の裏で動き始めた敵を前に、アレクたちは夜の城を守れるのでしょうか。
朝靄が消える頃、ヴァイスブルクの西に広がる平原を、黒と黄の旗が埋め始めた。
前日に退いた六百人だけではない。その背後から槍兵、弓兵、騎兵が次々と現れ、街道を進んできた荷車が平原の端へ並んでいく。丸太を組んだ破城槌や、分解された梯子を運ぶ兵の姿もあった。
敵は前日の敗北で退いたのではなく、本隊の到着を待つために距離を取ったにすぎなかった。
城壁の上からその様子を見ていた兵たちは、誰に命じられたわけでもないのに口数を減らしていた。
アレクはトーマスとともに、矢束を抱えて石段を上っていた。
「これで最後です」
「最後なのは、この場所へ運ぶ分だけだ。倉にはまだある」
トーマスは答えながら、城壁の内側へ置かれた木箱を足で示した。
「今のうちに覚えておけ。戦が始まれば、矢が何本残っているかなんて誰も教えてくれない。持ってくる者がいなければ、弓兵は弓を持った見張りになる」
アレクは抱えていた矢束を木箱の横へ置いた。
前日まで、アレクは戦場で最も大切なのは敵の動きを読むことだと思っていた。
しかし、兵が戦うためには武器がいる。弓兵には矢が必要で、火槍兵には火薬が必要になる。負傷者を運ぶ担架も、水を入れた桶も、火を消すための砂も必要だった。
どれか一つが足りないだけで、立派な兵士が戦えなくなる。
「敵は何人ですか」
アレクの問いに、トーマスは城壁の外へ目を向けた。
「さあな。千までは数えたが、途中で面倒になった」
「面倒で済ませていい数ではありません」
「だから、お前が数えろ」
冗談のように言われたが、アレクは平原へ視線を戻した。
中央に最も厚い隊列があり、その左右にも別の部隊が展開している。後方には馬を降りて休ませている騎兵と、荷車を守る兵がいた。
兵一人ずつを数えることはできない。それでも旗の数と隊列の幅、縦に並んだ人数から、おおよその数は求められる。
「中央に千二百。北側に七百、南側に六百ほど。後ろの騎兵と荷車の護衛を合わせて、三千くらいだと思います」
「昨日の六百も入れてか」
「はい。昨日の部隊は中央に入っています」
「俺が聞いた報告と同じだ」
「数えていたのではありませんか」
「俺ではなく、物見がな」
トーマスが笑った。
「自分で見て考える癖はつけておけ。報告する者がいつも正しいとは限らない」
ヴァイスブルクにもともといた兵は、九百人に届かない。
そこへアルベルトが率いてきた先行部隊を加え、城内にいる兵はおよそ千二百人だった。
数だけなら敵の半分にも満たない。
しかも敵は中央へ全軍を集めず、北と南へ兵を分けていた。
ヴァイスブルクを三方から包むように配置することで、守る側にも兵力の分散を強いている。
中央だけを見ていれば、北か南から城壁へ梯子を掛けられる。北へ兵を増やせば、今度は中央の破城槌を止められなくなる。
まだ一本の矢も放たれていない。それでも敵は、兵を並べるだけでこちらの動きを縛り始めていた。
「嫌な並べ方ですね」
「敵が自分から戦いやすい並べ方をしてくれると思ったか」
「思っていません」
「なら、その嫌な理由をアルベルト様へ話せ。俺に話しても敵は減らん」
アレクが答える前に、城壁の下から角笛が鳴った。
敵陣の中央から、十騎ほどの一団が進み出てくる。
先頭にいるのは白い馬に乗り、濃紺の外套を身につけた男だった。兜はかぶっておらず、距離があっても、その男が自分の姿を見せようとしていることが分かる。
黒と黄の旗を掲げた騎兵が左右に並び、一人の使者がさらに前へ出た。
「ベルン伯爵だ」
トーマスの声から、先ほどまでの軽さが消えた。
城壁の中央では、すでにアルベルトとヴァイス男爵が敵を見下ろしていた。
アレクたちが近づくと、ゲオルクが片手を上げて止まるように示す。
敵の使者が、城壁へ届く声で降伏を求めた。
「ヴァイスブルクの守備兵へ告げる! ベルン伯爵は、無益な抵抗を望んでおられない! 明日の日没までに門を開き、武器を捨てよ! 従う者の命と財産は保証する!」
城壁の上で、兵たちが互いの顔を見る。
町の外に残された農地や家畜がどうなるのか。財産を保証するという言葉に、それらが含まれているのかは分からない。
ヴァイス男爵が前へ出ようとしたが、アルベルトが片手で制した。
「ベルン伯爵に伝えろ!」
アルベルトの声が城壁から平原へ響く。
「こちらも無益な抵抗は望んでいない! 兵を退き、奪った物を村へ返し、自分の領地へ戻れ! 今なら、逃げ帰る後ろ姿を追わずにいてやる!」
城壁の上から笑いが起きた。
最初は数人だった笑いが、やがて多くの兵へ広がっていく。
敵は三千、こちらは千二百しかいない。それでも、アルベルトの声には自分たちが囲まれていると感じさせるものがなかった。
使者は何も言い返さず、馬首を返した。
白馬の上にいたベルン伯爵は、しばらく城壁を見上げていた。やがて濃紺の外套を翻し、護衛とともに本陣へ戻っていく。
「降伏を待つと思うか」
アルベルトが、隣にいるヴァイス男爵へ尋ねた。
「待たないでしょう。明日の日没という期限を口にしたのは、こちらの警戒をその時刻へ向けるためかもしれません」
「俺もそう思う。今夜来るぞ」
二人の結論を聞き、アレクはもう一度敵陣を見た。
アルベルトの本隊が到着するまで、あと二日かかる。
ベルン伯爵がその事実を知らないとは考えにくい。周囲の街道には敵の物見がいる。二千五百人の軍勢が近づいてくれば、隠し通すことはできない。
明日の日没まで本当に待てば、本隊はさらに近づく。
数で優位に立っているうちに城を落とすなら、敵が動くのは今夜だった。
「何を見ている」
アルベルトに声を掛けられ、アレクは姿勢を正した。
「敵の荷車です」
「兵ではなく?」
「兵も見ています。ただ、敵が長く包囲するつもりなら、三千人分の食料が必要です」
アルベルトの口元が少しだけ上がる。
「続けろ」
「荷車の数が、三千人で長く籠もるには少ないように見えます。明日の日没まで待つつもりなら、その後に城を攻めるための食料も必要です」
「近くの村から奪えばいい」
「それでも、集めて運ぶ時間がかかります。それに、アルベルト様の本隊が近づけば、補給に出した兵が襲われます」
「つまり?」
「敵は長く待てません。今夜攻めるというアルベルト様の考えに、荷車の数も合っています」
アルベルトは満足そうにうなずいた。
「トーマス」
「はい」
「こいつに矢運びだけをさせるのは惜しいと思わんか」
「働き始めたばかりです。楽を覚えさせるのは早いでしょう」
「そうだな。では、矢運びを続けながら考えさせろ」
「承知しました」
アルベルトはそう言って歩き出したが、数歩進んだところで振り返った。
「アレク。昼の鐘が鳴ったら軍議へ来い。荷車について、もう一度話せ」
「はい」
軍議には、アルベルト、ヴァイス男爵、ゲオルクをはじめ、各城壁を受け持つ隊長たちが集まった。
卓上には、ヴァイスブルクと周囲の地形を描いた地図が広げられている。
物見から届いた報告では、敵の中央部隊はおよそ千二百人。北側に七百人、南側に六百人が布陣している。後方には二百五十騎ほどの騎兵と、予備兵、荷車の護衛がいた。
破城槌は二台。城壁へ掛ける梯子は確認できただけでも四十本を超える。
小型の火砲も四門あった。
ただし、火砲はまだ荷車から下ろされていない。砲弾と火薬を運ぶ荷車も後方に置かれたままだった。
「正面から門を破るなら、破城槌と火砲を前へ出すはずです」
ゲオルクが地図上の西門を指す。
「出していないのは、夜まで隠すためかもしれません」
ヴァイス男爵が答えた。
「暗闇の中で火砲を動かすのか?」
南側の城壁を任された隊長が疑問を口にする。
「地面の状態は昼のうちに確かめられる。火砲を撃てば自分たちの位置も見えるが、その前に門を壊せると考えている可能性はある」
「火砲を使うなら、夜襲の意味が薄れます」
アレクが言うと、軍議に集まった者たちの視線が向けられた。
声を出すのが早かったと気づいたが、アルベルトが続きを促す。
「なぜだ」
「音で攻撃が始まったと分かります。火が見えれば、どこを狙っているかも分かります。それなら暗闇より、兵と火砲を動かしやすい昼の方が敵にとって有利です」
「では、夜襲では火砲を使わないと?」
「最初から城門を壊すつもりがないのかもしれません」
アレクは地図へ目を落とした。
「門を内側から開ける者がいるなら、破城槌も火砲も必要ありません」
部屋の空気が変わった。
ヴァイス男爵が地図から顔を上げる。
「城内に裏切り者がいると言うのか」
「いると決めつけているわけではありません。ただ、外から三千人で攻めるより、内側から数人で門を開ける方が簡単です」
「領民を疑えと?」
「疑わずに門を開けられるよりはいいと思います」
ヴァイス男爵の表情が険しくなる。
ここにいる者の多くは、ヴァイスブルクで長く暮らしてきた。守るべき領民の中に敵へ通じる者がいると言われれば、気分が良いはずがない。
それでもアルベルトは、アレクの言葉を退けなかった。
「城門の守備を倍にする」
アルベルトが命じた。
「西門だけではない。井戸、穀物倉、火薬庫、武器庫にも見張りを置け。交替する兵には、その都度新しい合言葉を教える。古い合言葉で近づく者は、味方の服を着ていても止めろ」
「門を開ける場合は、どうしますか」
「隊長一人の命令では開けるな。ヴァイス男爵か俺の許可を取り、守備隊の隊長ともう一人が確認しろ」
南側の隊長が眉をひそめる。
「伝令が遅れれば、味方を門外へ残すことになります」
「その味方が敵に追われていたら、なおさら慎重にしろ。逃げ込む兵に交じって門を奪うのは、珍しい策ではない」
アルベルトは地図の北側へ手を置いた。
「城の食料は?」
「節約すれば二十日は持ちます」
ヴァイス男爵が答える。
「敵は?」
「荷車にある分だけなら十日ほどでしょう。ただし、周辺の村から集めれば増やせます」
「城を守っても、周囲の村が食い尽くされれば冬を越せん」
アルベルトの指が、北へ延びる街道をなぞった。
「本隊が着くまで城内に閉じこもっていれば、それで勝ちというわけではない。ベルン伯爵も、それを分かっている」
敵が城を落とせなくても、周囲の村を焼き、食料を奪えばヴァイスブルクは弱る。
城壁は町を守ることができる。しかし、城壁の外にある畑や村まで守れるわけではない。
「今夜の攻撃が、城を落とすためとは限らないということですか」
アレクが尋ねる。
「それを確かめるのが、今夜のお前の仕事だ」
「私の?」
「西門にいろ。戦うだけなら兵に任せればいい。敵が何をしようとしているのか見ろ」
アレクは息をのみ、うなずいた。
「はい」
「だが、考えることに夢中になって矢に当たるな。死んだ者の考えは、誰にも伝わらん」
日が沈む前に、城内の準備は終えられた。
西門には普段の倍の兵が配置され、門扉を閉じる太い横木の前にも槍兵が立った。
井戸には水を汲みに来た者とは別に見張りが置かれ、穀物倉と火薬庫へ近づける者も制限された。
住民には家の明かりを落とし、鐘が鳴っても外へ出ないよう命令が出された。火災が起きた場合に備え、城壁の内側には水桶と砂袋が並べられている。
西門の上では、弓兵が矢を配り直していた。
城壁の外にはまだ敵の火が見える。
中央の陣だけでも百を超える火が並び、北と南にも小さな光が続いていた。
これだけの火が突然消えれば、それ自体が攻撃の合図になる。
「怖いか」
隣に立ったトーマスが尋ねた。
「怖いです」
アレクは正直に答えた。
「昨日は怖くなかったように見えたぞ」
「昨日も怖かったです。考えることが多くて、怖がる暇が少なかっただけです」
「なら、今夜も考えていろ」
トーマスはアレクの腰にある剣へ目を向けた。
兵から支給された、ごく普通の剣だった。アレクの体格に合わせて選ばれてはいるが、特別な由来も力もない。
「抜く時は周りを見ろ。暗闇で振り回せば、敵より先に味方を斬る」
「分かっています」
「本当に分かっている奴は、たいていそう言わん」
夜が深くなるにつれ、敵陣の声は少なくなった。
火は消えていない。見張りが動く影も見える。
敵も休んでいるように見えた。
月は雲に隠れ、城壁の外側に広がる平原は、敵陣の火が届かない場所から黒く沈んでいる。
アレクは何度も門の下と敵陣を見比べた。
敵が攻めてくるなら、火を消して近づくはずだ。
だが、すべての火を一度に消せば動きを知らせることになる。火を残したまま一部の兵だけを進ませれば、城壁からは陣に兵が残っているように見える。
深夜を告げる鐘が鳴ってからしばらくして、西門の内側で短い言い争いが起きた。
「交替だ。門を開けろ」
「合言葉を言え」
横木の前にいた兵へ、二人の男が近づいている。
二人ともヴァイスブルク兵の上着を着ていた。一人は槍を持ち、もう一人は兜を脇に抱えている。
門番が合言葉を求めると、槍を持った男が答えた。
「白い丘」
「それは前の合言葉だ。今夜のものを言え」
「さっき交替を命じられたばかりだ。新しいものは聞いていない」
「なら、ここで待て。隊長を呼ぶ」
門番の一人が振り返る。
その瞬間、兜を抱えていた男が腰から短剣を抜いた。
「敵だ!」
アレクが叫んだ。
短剣が門番へ向けて突き出される。
門番は体をひねったが、刃が脇腹を裂いた。もう一人の男も槍を構え、横木を守る兵へ突進する。
同時に、周囲の暗がりから複数の人影が飛び出した。
倉の間、民家の陰、石段の下。
見えていた二人だけではない。
アレクは剣を抜いて石段を駆け下りた。
一人の男が横木へ手を掛けようとしている。門を開けるには何人もの力が必要だが、守備兵を倒し、仲間を集めれば動かせる。
アレクは男の腕へ剣を振り下ろした。
刃が革の袖を裂き、男が手を引く。その隙に門番の兵が槍の柄で男を横から打ち倒した。
背後で金属がぶつかる。
アレクが振り向くと、階段を駆け下りてきたトーマスが、短剣を持つ男の手首を剣で受け止めていた。
「鐘を鳴らせ!」
トーマスが叫ぶ。
「もう走っています!」
門の上にいた兵が鐘楼へ向かっていた。
だが、別の人影がその後を追う。
アレクは石段を上り直し、追っていた男と兵の間へ入った。
男の刃が横から振られる。
アレクは剣で受けたが、暗くて刃の向きが見えにくい。受け止めた衝撃で手がしびれ、足が一段下へ滑った。
男が体当たりするように距離を詰める。
剣を振る空間がない。
アレクは左腕で男の手首を押さえ、肩からぶつかった。二人の体が石壁へ当たる。
男の刃先が肩をかすめ、衣服が裂けた。
焼けるような痛みが走ったが、腕は動いた。
アレクは男の足を払い、体勢を崩したところへ剣の柄を叩き込んだ。
男が石段に倒れる。
「生きているなら縛れ!」
トーマスの声が下から聞こえた。
アレクは倒れた男を兵へ任せ、鐘楼へ向かった。
太い綱をつかみ、全身の重さを掛けて引く。
夜のヴァイスブルクに、激しい鐘の音が響いた。
一度、二度、三度。
城壁の各所から怒鳴り声が上がり、詰所にいた兵が武器を持って飛び出してくる。
その直後、城壁の外から無数の足音が聞こえた。
「来るぞ!」
西門の上で誰かが叫ぶ。
敵陣の火は消えていない。
その手前にある暗闇から、大勢の兵が現れた。
盾を掲げた兵が前を走り、その後ろから梯子を担いだ兵が続く。声を上げずに近づいていたが、鐘が鳴ったことで隠れる必要がなくなった。
敵の弓兵が一斉に矢を放つ。
矢が夜空を横切り、城壁や屋根へ降り注いだ。
「盾を上げろ! 弓兵はまだ撃つな!」
城壁の隊長が命じる。
守備兵が胸壁の陰へ身を伏せた。
敵との距離はまだ遠い。暗闇へ向けて矢を放っても、どこに落ちたか分からない。
敵の一部は松明を持っていた。梯子を運ぶ足元を照らし、前にある溝や障害物を避けるためだ。
だが、その火は敵の位置を守備側へ教えている。
「松明を狙え!」
隊長の号令とともに、城壁から矢が放たれた。
一射目の多くは暗闇へ消えた。
それでも、二つの松明が地面へ落ちる。周囲を走っていた兵の姿が揺れる炎に照らされ、続く矢がそこへ集中した。
敵の兵が松明を捨て、踏み消していく。
明かりが減れば敵を狙いにくくなるが、敵自身も城壁までの距離を測れなくなる。
「城壁の松明も消した方がいいです!」
アレクは近くにいた隊長へ叫んだ。
「何だと?」
「こちらだけ明るければ、敵の弓兵から兵の姿が見えます!」
城壁の内側には、矢箱や石段を照らすための松明が置かれている。その光を背に立てば、守備兵の姿が黒い影となって浮かぶ。
「半分消せ! 残す火も壁の下へ置け!」
隊長が命じる。
兵が松明を水桶へ入れ、城壁の上が暗くなった。
直後に飛んできた矢が、先ほどまで松明のあった場所へ突き刺さる。
「梯子だ!」
城壁の外で木が石へぶつかった。
姿は見えにくい。それでも、梯子の先端が城壁へ当たる音は聞こえる。
兵たちは音のした場所へ走り、長い棒で梯子を押し返す。梯子の下にいる敵が踏ん張り、城壁の上と下で押し合いになった。
別の場所からも木の音が響く。
「北寄りに二本!」
「中央に三本!」
「南側にも来ています!」
報告が重なり、どれが新しいものか分からなくなる。
城壁の隊長は、手元に残していた三十人を中央へ送った。
その直後、北西側から新たな梯子が掛かる。
「戻せ! 半分を北へ回せ!」
命令を受けた伝令が走る。
しかし、すでに中央へ向かっていた兵には声が届かない。伝令は暗い城壁を追いかけ、別の部隊とぶつかりながら命令を伝えた。
敵は城壁へ到達したものの、破城槌を持ってきていなかった。
火砲も動いていない。
西門の前へ集まった敵兵は、門を壊そうとはせず、梯子を掛けて城壁を越えようとしている。
アレクは肩の傷を布で押さえながら、外の音を聞いた。
敵は城門が内側から開くことを期待していた。
潜んでいた者たちが失敗した今、八百人ほどの夜襲部隊だけで城を落とすことは難しい。それでも敵はすぐには退かず、城壁の広い範囲へ梯子を掛け続けている。
城を落とせないなら、別の目的がある。
「アルベルト様はどこですか」
近くにいた伝令へ尋ねる。
「北西の塔だ!」
アレクは石段を上り、城壁を走った。
途中には矢を受けて倒れた兵や、腕を押さえて座り込む兵がいる。暗闇の中では、負傷者を運ぶ者も思うように進めない。
北西の塔に着くと、アルベルトは胸壁の陰から敵を見ていた。
ゲオルクが各所から来る報告を受け、地図に印を付けている。
「西門の中に敵が入り込んでいました!」
「門は?」
「開いていません。何人かは捕らえたと思います」
「何人いた」
「分かりません。私が見たのは十人ほどですが、他の場所にもいるかもしれません」
「井戸と倉からは異常なしの報告が来ています」
ゲオルクが言った。
「火薬庫の近くで二人を捕らえました。武器庫へ向かった者もいたようです」
敵は門だけを狙っていたのではない。
門が開かなければ火を放ち、火薬庫や武器庫を襲い、城内を混乱させるつもりだったのだ。
「外の敵は、城を落とす気がないかもしれません」
アレクが言うと、アルベルトが視線を向けた。
「理由は」
「破城槌も火砲もありません。梯子だけで攻めています。内側の者が失敗した後も広い範囲へ攻撃を続けていますが、一か所へ兵を集めて城壁を越えようとしていません」
「こちらの兵を眠らせず、矢を使わせるためか」
「それもあると思います。ただ、それだけなら八百人も使う必要はありません」
「他にも兵を動かしていると?」
「はい」
アレクは敵陣の北側へ目を凝らした。
火はまだ見える。だが、火の周りにどれほどの兵が残っているかまでは分からない。
昼間に見た荷車の位置も、暗闇に隠れていた。
「夜襲を見せている間に、別の部隊を動かしているのかもしれません」
「どこへ」
「分かりません」
アレクは答えた。
分からないことを、分かったように言ってはならない。
「ただ、城を攻めるためではない兵が動いているなら、北か南です。西へ戻れば、アルベルト様の本隊へ近づきます」
「南は川沿いの道が細い。夜に荷車を動かせば時間がかかる」
アルベルトが地図の北側を見る。
「北か」
「可能性は高いと思います」
「ゲオルク。南の守りから五十人を西へ回せ。北からは動かすな。城内の予備は三十人ずつ分け、門と北西へ置け」
「北へ物見を出しますか」
「今、門を開ければ敵が何を狙っているか分からん。夜が明けるまで待つ」
城外の動きを知りたくても、そのために門を開けば敵へ機会を与えることになる。
アルベルトは得られない情報を無理に求めず、今守るべきものを選んだ。
夜襲は、それから二刻近く続いた。
敵は北西、中央、南西へ何度も梯子を掛けた。
一か所へ集中するように見せて守備兵を動かし、別の場所から十人、二十人ずつを登らせる。城壁へたどり着いた敵兵もいたが、狭い足場では大勢が同時に戦えない。
槍で押し返され、石を落とされ、梯子ごと倒されていく。
城壁の上でも混乱は起きた。
矢箱を運ぶ兵が行き先を間違え、矢の少ない場所を通り過ぎた。負傷者を運ぶ担架と増援が狭い階段でぶつかり、どちらも動けなくなった。
伝令が聞いた命令を取り違え、北へ送るはずだった兵が中央に残った。
兵は疲れ、声はかれ、暗闇の中で自分の隣にいる者が誰なのかさえ確かめながら戦った。
アレクも矢を運び、梯子を押す兵を手伝い、負傷者を石段の下へ移した。
肩の傷は浅かったが、腕を上げるたびに痛んだ。
それでも城壁から離れなかった。
夜明けが近づき、東の空がわずかに白み始めた頃、敵の角笛が三度鳴った。
城壁の下にいた兵が、一斉に退き始める。
「追うな!」
アルベルトの命令が城壁を走った。
「矢も無駄にするな! 離れる敵は放っておけ!」
勝ったと叫ぶ兵もいたが、その声に力はなかった。
敵を退けた安堵より、ようやく休めるという疲労の方が大きい。
明るくなった平原には、倒れた兵と捨てられた梯子が残されていた。
敵は盾を掲げながら負傷者を運び、中央の陣へ戻っていく。
城門は開かなかった。
火薬庫も穀物倉も焼かれていない。井戸へ毒を入れられた形跡もなかった。
だが、守り切ったという言葉だけでは、夜の損失は分からない。
朝の鐘が鳴る頃、各所から報告が集められた。
「こちらの死者は十一人。重傷者が十六人、軽傷者が二十人です」
ゲオルクが読み上げる。
「合わせて四十七人か」
アルベルトが確認した。
「はい。敵の死傷者は、城壁の下に残された者だけで八十人を超えています。運び去られた者を含めれば、百二十人以上と思われます」
「思われる、か」
「暗闇でしたので、正確な数は分かりません」
「それでいい。見えなかったものまで数えるな」
城内へ潜んでいた者たちも、次々と見つかった。
死んだ者だけではない。負傷して捕らえられた者、武器を捨てて降伏した者もいる。
確認できた人数は十九人だった。
もともとベルン伯爵が送り込んでいた者に加え、金で雇われた者や、家族を脅されて従った住民もいた。
同じ場所で暮らしていた者が、同じ理由で裏切ったわけではない。
「捕らえた者は別々に置け」
アルベルトが命じる。
「口裏を合わせられないようにしろ。家族を脅された者と、金で動いた者を同じように扱うな。誰から命令を受け、どこで武器を手に入れ、他に何をする予定だったのか聞き出せ」
「処刑しないのですか」
兵の一人が尋ねた。
「話を聞く前に殺して、何が分かる」
アルベルトはそれだけ答えた。
戦いが終われば、裏切った者を処罰すればいい。アレクはそう考えかけていた。
しかし、殺してしまえば、その背後にいた者や、まだ城内に残っているかもしれない仲間について知ることはできない。
敵を倒すことと、敵の策を知ることは違う。
アレクは、城壁から敵陣を見た。
兵の数は、昨日と大きく変わっていないように見える。
中央には黒と黄の旗があり、北と南にも火を消した跡が並んでいる。
だが、何かが違っていた。
アレクは目を細めた。
「荷車が少ない」
近くにいたトーマスが振り向く。
「何だ?」
「昨日、北側の部隊の後ろにあった荷車です。もっと並んでいました」
「中央へ移したんじゃないのか」
中央の後方にも荷車はある。
しかし、昨日見た数と合わせても足りなかった。
壊された形跡はなく、夜襲に使われた様子もない。
荷車が動いたのなら、その荷車を守る兵も一緒に動いている。
「敵は西へ戻っていません」
「なぜ分かる」
「西にはアルベルト様の本隊が近づいています。荷車を連れてそちらへ向かう理由がありません」
「南は?」
「川沿いの道は狭く、昨日のうちにアルベルト様も、夜に荷車を動かすには時間がかかると言っていました」
残るのは北だった。
アレクとトーマスがアルベルトへ報告しようとした時、北側の塔から鐘が鳴った。
一度、間を置いて二度。
敵襲ではなく、城外からの合図を知らせる鐘だった。
しばらくして、北側の小門へ一騎の男がたどり着いた。
馬は汗に濡れ、乗っていた男の衣服には泥と煤が付いている。
門の上から合言葉を確認し、さらにヴァイス男爵の兵であることを確かめてから、ようやく小門が開かれた。
男は馬から下りると、その場で膝をついた。
「北のシュタイン村からです!」
「何があった」
ヴァイス男爵が尋ねる。
「夜明け前、ベルン伯爵の兵が現れました! 五百ほどです! 荷車も連れています!」
「村は?」
「食料を奪われました。逆らった者の家へ火を放っています。まだ村のすべてが焼けたわけではありませんが、このままでは……」
城壁の上から北を見ると、遠くの空へ黒い煙が昇っていた。
夜襲は、城を落とすためだけのものではなかった。
八百人を西門へ向かわせ、城内の協力者を動かし、守備側の目を城壁へ集める。その間に五百人と荷車を北へ移動させる。
夜が明けた後、村を焼けば、アルベルトは選ばなければならない。
城を守るために兵を残せば、村が焼かれ、食料と街道を失う。
村を救うために出れば、三千近い敵を前に城の守りが薄くなる。
「うまく動かされたな」
アルベルトは煙を見ながら言った。
怒鳴ることも、敵を罵ることもしなかった。
「敵の狙いが分かっただけでも遅くはありません」
アレクが言う。
「慰めているのか」
「いいえ。五百人と荷車が北にいるなら、敵の本陣からその分だけ減っています」
アルベルトがアレクを見る。
「続けろ」
「北へ向かった兵が村を焼くだけなら、荷車を連れていく必要はありません。食料を奪い、そのまま運ぶつもりです。動きは遅くなります」
「追いつけると?」
「騎兵なら」
ヴァイス男爵が口を挟む。
「しかし、城から兵を出せば、ベルン伯爵が攻めてきます」
「だから、大勢は出さん」
アルベルトは即座に決めた。
「ヴァイス男爵。城は任せる。西門の守りを減らすな。北側も、俺たちが出た後に増援を送る必要はない」
「アルベルト様は、何人連れていくおつもりですか」
「騎兵百五十」
「五百人を相手にするには少なすぎます」
「正面から戦うとは言っていない。村の状況を確かめ、敵の行き先を見て、本隊へ知らせる。戦うかどうかは、その後で決める」
アルベルトはゲオルクへ馬の準備を命じた。
「アレク、お前も来い」
トーマスがすぐに反対する。
「肩を斬られています」
「浅い傷だろう」
「浅くても傷です。昨夜から休んでもいません」
「だから連れていく」
アルベルトは煙から目を離さなかった。
「疲れた頭で何が見えなくなるか、自分で知っておいた方がいい」
「馬から落ちたらどうするのです」
「お前が拾え」
「私も行くことになっているのですか」
「今決めた」
トーマスが大きく息を吐いた。
アレクは肩を押さえていた布を結び直す。
眠気はあった。腕も痛み、足には夜通し城壁を走った疲れが残っている。
それでも、北の空へ昇る煙を見れば、休みたいとは言えなかった。
城を守り切っても、その外では村が焼かれている。
目の前の戦いに勝つだけでは、守れないものがある。
やがて北門の内側へ、百五十騎が集まった。
アルベルトが先頭に立ち、ゲオルクとトーマスが続く。アレクも用意された馬へ乗った。
門が開く。
冷たい朝の風とともに、焦げた臭いが城内へ流れ込んできた。
「行くぞ」
アルベルトの声を合図に、騎兵たちが北へ向かって走り出す。
その先では、シュタイン村から昇る黒煙が、朝の空を覆い始めていた。
第八話を読んでいただき、ありがとうございました。
ヴァイスブルクを守り切ったアレクたちでしたが、夜襲の裏で別働隊が北へ向かっていました。次回、アルベルト率いる騎兵隊が、黒煙の上がるシュタイン村へ急行します。
少しでも面白い、続きが気になると思ってくださったら、ページ下部にある【ブックマークに追加】や【★★★★★】での評価で応援していただけると、執筆の励みになります!




