第六話 若き大公
敵は三千。対するヴァイスブルクの兵は九百足らず。
迫る大軍を前に、アレクは初めて本格的な軍議と城の防衛準備を目の当たりにする。
そして予定より早く現れた、一人の若き大公。
その男との出会いが、アレクの中にあった小さな違和感を、さらに大きなものへと変えていく。
三千。
その数字が、頭から離れなかった。
「三千って……多いよな」
隣を歩いていたトーマスが呟く。
「多い」
「こっちは八百だろ?」
「そう聞いた」
「勝てると思う?」
「……分からない」
「またそれかよ」
「分からないものは分からない」
俺たちはグリュン村を後にし、ヴァイス男爵家の居城――ヴァイスブルクへ向かっていた。
昨日まで、俺が相手にしていた敵は三十人ほどだった。
それでも怖かった。
実際に三人を殺した。
策を使い、どうにか追い払った。
だが、今度は三千。
三十人の百倍。
こちらは八百。
単純な兵力差なら、約四倍。
「八百対三千か……」
俺はもう一度呟いた。
「そんなに言うと余計怖くなるからやめろよ」
「考えない方が怖いだろ」
「俺は考えない方が楽」
「それで騎士になれるのか?」
「なれる」
「自信だけはすごいな」
「お前は考えすぎなんだよ」
トーマスが俺の肩を叩いた。
「戦場に着いたら騎士様が考えてくれる」
「そうだといいけど」
「何だよ」
「八百人を率いる側も、人間だから」
「?」
「間違えることもあるってこと」
「縁起悪いこと言うなよ」
「だから情報が必要なんだ」
俺は前を歩くゲオルクを見る。
馬に乗らず、今日は俺たちと同じ速度で歩いている。
ハンスが負傷しているためだった。
脚に刺さった矢は、グリュン村で処置してもらった。
幸い骨には達していなかったらしい。
ただし、歩ける状態ではない。
村から借りた荷車に乗せられている。
「アレク」
荷車からハンスが呼んだ。
「何です?」
「また難しい顔をしているぞ」
「元からです」
「十五歳の顔じゃないな」
「昨日からそればっかり言われてる気がする」
「実際そうだからな」
「ハンスさんは心配じゃないんですか?」
「何が?」
「三千ですよ」
「ああ」
「怖くない?」
「怖い」
「見えないですけど」
「怖がったところで敵は減らん」
「……それもそうか」
「それに」
ハンスが笑う。
「三千人全部がお前を殺しに来るわけじゃない」
「そういう考え方?」
「戦場では大事だぞ」
ゲオルクが前から言った。
「一兵士が三千人を相手にすることはない」
「騎士様」
「実際に戦うのは、目の前の数人だ」
「でも軍全体が負けたら?」
「逃げる」
「潔いですね」
「昨日言っただろう。死ぬよりましだ」
マルセルと同じことを言う。
俺は少し笑った。
「ただし」
ゲオルクが振り返る。
「今回は簡単には逃げられん」
「どうしてです?」
「ヴァイスブルクの後ろに何があると思う?」
俺は少し考える。
「ラーデン村」
「それだけではない」
「……街道沿いの村全部?」
「そうだ」
ゲオルクの表情が変わる。
「ヴァイスブルクが落ちれば、ベルン軍を止めるものがない」
「……」
「だから男爵は戦う」
俺は黙った。
戦う理由。
領土を守るため。
名誉のため。
主君への忠義。
そういうものだけではない。
城の後ろに、人がいる。
ラーデン村。
マルセル。
トーマスの母親。
俺が帰ると言った場所。
「負けられないんですね」
「そういう戦もある」
ゲオルクはそれ以上言わなかった。
◇ ◇ ◇
昼過ぎ。
ようやくヴァイスブルクが見えた。
「……城だ」
俺は思わず足を止めた。
前世で見たヨーロッパの城とは少し違う。
巨大な石造りの城塞。
小高い丘の上。
外壁が二重。
その周囲に街が広がっている。
ただし完全な石造都市ではない。
城壁の外にも家屋が多い。
木造。
石造。
市場。
倉庫。
鍛冶場。
そして大量の人間。
「すごいな……」
「初めて見るのか?」
トーマスが聞く。
「たぶん」
「記憶喪失って便利だな」
「それ、もういいって」
街の入口には兵士がいる。
荷車。
馬。
徴集された男たち。
農民。
商人。
怪我人。
とにかく人が多い。
「これ全部兵士?」
「違う」
ゲオルクが答える。
「避難民もいる」
「避難?」
「西の村から逃げてきた連中だ」
見る。
確かに装備を持っていない人間も多い。
女性。
子供。
老人。
荷物を抱えている。
家畜を連れている者もいる。
泣いている子供。
怒鳴っている男。
荷車の上で横たわる老人。
戦争。
まだ本隊同士はぶつかっていない。
それなのに、もうこれだけの人間の生活が壊れている。
「アレク」
トーマスが小さな声で言った。
「何?」
「グリュン村だけじゃないんだな」
「……うん」
「これ」
「うん」
俺たちはそれ以上話さなかった。
◇ ◇ ◇
城門を潜る。
「ゲオルク・バウマン!」
守備兵が声を上げた。
「グリュン村方面より帰還!」
「報告がある!」
ゲオルクが答える。
「敵略奪隊三十余! 西へ撃退した!」
周囲の兵士たちがこちらを見る。
「三十?」
「何人で?」
「十五だったはずだろ?」
小さなざわめき。
「負傷一名! 死者なし!」
さらに声が上がる。
「嘘だろ」
「三十を?」
「どうやった?」
トーマスが小さく笑う。
「俺たち有名になるかも」
「やめてくれ」
「何で?」
「目立ちたくない」
「昨日、三十人追い返した奴が言う?」
「俺が好きでやったわけじゃない」
「でも騎士になるなら目立った方がいいぞ」
「俺は騎士になるって言ってない」
「じゃあ何になるんだ?」
「……」
またその質問だ。
何になる。
まだ分からない。
とにかく生きる。
それだけだった。
「ゲオルク殿!」
城内から一人の男が走ってきた。
四十代ほど。
上等な革鎧。
「男爵閣下がお呼びです」
「分かった」
「略奪隊撃退の件についても報告を」
「ああ」
男が俺たちを見る。
「この者たちは?」
「ラーデン村からの徴集兵だ」
「では兵舎へ」
「一人連れていく」
「誰を?」
嫌な予感。
ゲオルクが俺を見る。
「アレク」
「やっぱり俺?」
「来い」
「何で?」
「策を考えたのはお前だ」
「騎士様もかなり修正してくれたじゃないですか」
「それも話す」
「俺、男爵に会うんですか?」
「そうだ」
「待ってください」
「何だ」
「こういう時って礼儀とかありますよね?」
「ある」
「俺、知らないです」
「失礼のないようにしろ」
「それが分からないって言ってるんです!」
トーマスが腹を抱えて笑っている。
「頑張れ、アレク」
「他人事だと思って!」
「俺は兵舎行ってるから」
「お前も来いよ!」
「嫌だ」
「即答!」
ゲオルクが頭を押さえた。
「少し黙れ」
「はい」
「私の真似をしろ」
「分かりました」
「勝手に喋るな」
「はい」
「聞かれたことだけ答えろ」
「はい」
「余計なことは言うな」
「はい」
「……不安だ」
「俺もです」
ゲオルクは大きくため息をついた。
◇ ◇ ◇
城の内部は、俺が想像していたほど豪華ではなかった。
もちろんラーデン村の家とは比較にならない。
石造りの壁。
大きな窓。
長い廊下。
壁には絵や武具。
だが、戦時だからだろう。
人が走り回っている。
「兵糧庫の確認を急げ!」
「東門へ槍を二百!」
「鍛冶場から矢尻が届いていないぞ!」
「水樽を城壁へ運べ!」
命令が飛び交う。
俺は思わず周囲を見回した。
「アレク」
「はい」
「前を見ろ」
「すみません」
「珍しいか?」
「はい」
「何が」
「全部」
「……そうだったな」
記憶喪失設定。
便利すぎる。
だが実際、興味深かった。
城というと、前世では「戦うための建物」という認識が強い。
しかし実際には政治拠点でもある。
領主がいる。
役人がいる。
倉庫がある。
金がある。
兵糧がある。
武器がある。
馬がいる。
そして戦争になれば、城そのものが巨大な兵站拠点になる。
日本の戦国時代でも同じだ。
城は単なる「戦闘施設」ではない。
街道。
河川。
港。
市場。
農地。
そうしたものとの位置関係に意味がある。
例えば山城一つ取っても、高い山にあれば強いというほど単純ではない。
兵糧を運び込めなければ長く守れない。
井戸や水源がなければ籠城できない。
援軍が来られない場所なら孤立する。
逆に交通の要衝に城を置けば、敵の移動や物流を制限できる。
ヴァイスブルクも同じなのだろう。
ここが落ちれば西から東へ続く街道が開く。
「……だから狙われるのか」
「何が?」
ゲオルク。
「この城です」
「そうだ」
「街道を押さえている」
「よく分かったな」
「見れば何となく」
「便利な頭だ」
「褒めてます?」
「半分」
半分だけか。
◇ ◇ ◇
大きな扉の前で止まった。
「ヴァイス男爵閣下に、ゲオルク・バウマン参りました」
「入れ」
中から声。
扉が開く。
広い部屋。
長い机。
その上に地図。
十人ほどの男が集まっている。
軍議の最中だったらしい。
中央に立つ男。
五十歳前後。
灰色の髪。
大柄。
目つきが鋭い。
この人が――。
「ヴァイス男爵、オットー・ヴァイス閣下だ」
ゲオルクが小声で言う。
俺は真似をして頭を下げた。
「ゲオルク」
「はっ」
「よく戻った」
「ありがとうございます」
「ハンスが負傷したと聞いた」
「矢傷ですが命に別状はありません」
「そうか」
男爵は一度目を閉じる。
「良かった」
意外だった。
もっと「部下の一人」くらいの扱いかと思っていた。
「そして」
男爵の目が俺へ移る。
「その少年が?」
「アレク・ハルトマンと申します」
ゲオルクが答える。
「十五歳だそうです」
「十五?」
周囲から声。
「本当か?」
「子供ではないか」
「その者が策を?」
視線が痛い。
俺は黙っていた。
ゲオルクから余計なことを喋るなと言われている。
「顔を上げろ」
「はい」
男爵を見る。
「アレク・ハルトマン」
「はい」
「略奪隊を欺いた策はお前が考えたと聞いた」
「……きっかけは俺です」
ゲオルクが横目で見る。
余計だった?
「きっかけ?」
「実際の作戦はゲオルク様がかなり修正しました」
「ほう」
男爵がゲオルクを見る。
「本当か?」
「はい。ですが発想はこの者です」
「十四人を百人に見せるという?」
「最終的には二百人になりました」
「なぜ増えた」
「私が増やしました」
男爵が一瞬黙る。
「……お前らしいな」
「恐縮です」
周囲から小さな笑いが起きた。
緊張が少し緩む。
「アレク」
「はい」
「なぜ敵を追撃しなかった?」
いきなりそこか。
「……殺したくなかったからです」
部屋が静かになった。
ゲオルクの顔を見る。
何も言わない。
男爵も俺を見る。
「兵士が?」
「はい」
「敵を?」
「はい」
「甘いな」
「……そう思います」
「反論しないのか?」
「実際、追撃は必要だったと思います」
「ならなぜ反対した」
俺は少し考える。
嘘をつく必要はない。
「怖かったからです」
「自分が死ぬのが?」
「それも」
「他には?」
「人を殺すのが」
男爵の目が少し変わる。
「初陣か」
「はい」
「何人殺した」
「三人」
「……初陣で三人か」
周囲の男たちが俺を見る。
「それで嫌になったか」
「はい」
「逃げたいか?」
答えに詰まった。
「……できれば」
男爵が笑った。
「正直だな」
「すみません」
「なぜ謝る」
どこかで聞いた会話だ。
「だが」
男爵の表情が戻る。
「今回は逃げられん」
「分かっています」
「なぜだ?」
「この城が落ちれば、後ろの村が襲われるから」
男爵が少しだけ頷く。
「誰に聞いた」
「ゲオルク様です」
「そうか」
男爵は地図を見る。
「なら、お前にも見せてやれ」
「閣下?」
「ゲオルク。少年をこちらへ」
「よろしいのですか?」
「構わん」
俺は机へ近づく。
地図。
初めて、この地方のまともな地図を見る。
川。
山。
街道。
村。
城。
国境。
「……」
胸がざわついた。
何だ。
これ。
「どうした?」
男爵が聞く。
「いえ……」
俺は地図を見る。
似ている?
何に?
日本。
いや。
違う。
海岸線が違う。
山の位置も微妙に違う。
でも。
中央を通る山。
その東西。
街道。
盆地。
「アレク?」
ゲオルクの声で我に返った。
「すみません」
「何を見ていた?」
「地形を」
男爵が指を置く。
「ここがヴァイスブルク」
「はい」
「西がベルン伯領」
「はい」
「敵はここ」
指が動く。
「国境砦を落とし、街道を東へ進んでいる」
「三千」
「偵察の報告ではな」
「こちら八百」
「今は九百近い」
「徴集兵が集まった?」
「そうだ」
「でも、それでも三倍以上」
「その通り」
俺は地図を見つめる。
「籠城ですか?」
一人の男が鼻を鳴らした。
「素人が口を出すな」
四十歳ほど。
立派な髭。
鎧も豪華。
「ローデリヒ」
男爵が制する。
「構わん」
「しかし閣下」
「聞くだけだ」
男爵が俺を見る。
「どう思う?」
「俺ですか?」
「そうだ」
「……籠城すれば、すぐには負けないと思います」
「ほう」
「でも援軍が来なければ、いつか負ける」
ローデリヒと呼ばれた男が笑う。
「当たり前だ」
「はい」
「そんなことは子供でも分かる」
「そうですね」
「なら黙っていろ」
「ローデリヒ」
男爵の声。
「……失礼しました」
俺は少し考える。
城。
九百。
三千。
援軍。
「敵は城を攻める必要があるんですか?」
今度は男爵の目が動いた。
「どういう意味だ?」
「無視して東へ行くことは?」
「できん」
「どうして?」
「ここから先の街道をこの城が押さえている」
「迂回路は?」
「ある」
男爵が地図を指す。
「北の山道」
「大軍は?」
「難しい」
「荷車は?」
「さらに難しい」
なるほど。
「だからこの城を取らないと、三千人分の食料を運ぶのが難しくなる」
「そうだ」
やはり。
城そのものではない。
道。
補給。
後方。
「敵も兵糧が必要ですよね」
「当然だ」
「三千人なら、一日にかなり食べる」
「何が言いたい」
ローデリヒ。
「長く城の前にいれば、敵の方が困るんじゃないですか?」
「だから籠城するのだ」
「いや」
俺は地図を見る。
「ただ籠るだけじゃなくて」
考える。
敵の補給路。
街道。
国境砦。
昨日見た略奪隊。
「ベルン軍は現地で食料を集めてる」
男爵が頷く。
「略奪隊を出している理由か」
「はい」
「続けろ」
「敵の食料集めを邪魔すれば?」
周囲の視線が変わった。
「敵は三千人です。毎日食べる。馬もいる。城を攻めて兵が減るのは嫌なはず」
「……」
「俺たちは九百。正面からは無理。でも城から小部隊を出して、略奪隊や荷車だけを狙うなら」
「遊撃か」
ゲオルクが言った。
「はい」
「夜間に?」
「できれば」
男爵が腕を組む。
「敵の本隊とは戦わない」
「はい」
「兵糧だけを狙う」
「それと」
「まだあるのか」
「敵の睡眠を邪魔する」
「……睡眠?」
「夜に何度も騒ぐ」
ローデリヒが笑った。
「子供の嫌がらせか」
「そうです」
俺は答えた。
「嫌がらせです」
「何?」
「毎晩、いつ来るか分からない敵がいたら眠れないでしょう?」
ローデリヒが黙る。
「矢を何本か射るだけでもいい。火を見せる。鐘を鳴らす。偽の攻撃をする」
「敵を疲れさせるのか」
男爵。
「はい。三千人全部を一度に倒せないなら、三千人がまともに戦えないようにする」
静かだった。
俺は急に恥ずかしくなった。
何を偉そうに。
この場には俺より戦争を知る人間が何人もいる。
「……すみません。素人考えです」
「いや」
男爵が地図を見る。
「悪くない」
ローデリヒが何か言おうとする。
「もちろん、敵も馬鹿ではない」
男爵は続ける。
「対策するだろう」
「はい」
「だが時間を稼ぐという意味では使える」
ゲオルクが俺を見る。
少しだけ笑っている。
「何です?」
「いや」
「言ってください」
「昨日と同じ顔だと思ってな」
「?」
「敵をどう殺すかではなく、どう戦わずに済ませるか考えている」
自分では気づいていなかった。
でも。
「……できれば殺したくないので」
「その考えがいつまで続くかだな」
男爵が言った。
少し怖い言葉だった。
◇ ◇ ◇
軍議が続く。
俺は退室させられると思った。
だが男爵は何も言わなかった。
そのまま端に立たされる。
聞いていていいらしい。
「敵本隊は明日の夕刻までにここへ到達すると考えられます」
兵士が報告する。
「三千すべてか?」
「先陣およそ六百。本隊二千前後。残りは荷駄、後続かと」
「騎兵は?」
「およそ二百」
「火槍は?」
「確認できた範囲で百前後」
火槍。
やはり銃に近い。
「大砲は?」
「小型が四門」
大砲まである。
これは完全に中世ヨーロッパそのままでもない。
時代感としては、近世へ入りかけている。
「我が方の火槍は?」
「四十三」
少ない。
「弓兵は?」
「百二十ほど」
「槍兵五百」
「騎兵八十」
数字が飛び交う。
俺は頭の中で整理する。
九百と言っても全員が同じ兵士ではない。
装備。
訓練。
役割。
全部違う。
戦国時代もそうだ。
何千人と書かれていても、その中身は単純ではない。
騎馬武者。
弓。
鉄砲。
槍。
旗持ち。
小荷駄。
従者。
時代によって軍役の構成も違う。
数字だけ見て比較するのは危険だ。
「援軍の状況は?」
男爵が聞く。
一人の文官が答える。
「大公殿下より返答がありました」
部屋が静かになる。
「読め」
「はっ」
羊皮紙を開く。
「『ヴァイスブルクを捨てるな。三日守れ』」
それだけ?
文官が続ける。
「『三日後、我が軍が到着する』」
ざわめき。
「三日?」
「間に合うのか?」
「殿下はどこに?」
「東方だぞ」
俺も疑問だった。
「距離は?」
思わず小声でゲオルクに聞く。
「通常なら四、五日」
「じゃあ無理じゃないですか」
「普通ならな」
「普通なら?」
ゲオルクが少し笑った。
「アルベルト様は、普通を嫌う」
まただ。
その言い方。
「そんなに変わった人なんですか?」
「会えば分かる」
「会ったことあるんです?」
「二度ほど」
「どんな人?」
「怖い」
「……怖い?」
「頭の中を覗かれている気分になる」
「何それ」
「それでいて、突然笑う」
「余計怖いじゃないですか」
ゲオルクが少し考える。
「ただ」
「?」
「自分の兵を無駄には殺さん」
それは少し意外だった。
「合理主義って聞きました」
「そうだ」
「なら損切りも早そうですけど」
「そんぎり?」
「見捨てる判断も早そうってこと」
「その通りだ」
「じゃあ」
「だから三日守れと言われた」
「……」
「三日後には必ず来る」
「信用してるんですね」
「少なくとも、戦に関してはな」
俺は羊皮紙を見る。
三日。
八百、いや九百で三千を止める。
そして四、五日の距離を三日で来る大公。
「……似てるな」
口から出た。
「何が?」
「いえ」
信長。
織田信長には、常識外れの機動を行ったというイメージがある。
桶狭間。
上洛。
本能寺前後の各軍の動き。
もちろん後世の物語で誇張された部分も多い。
「革新的だから何でも速かった」という単純な人物ではない。
だが必要と判断すれば、従来の慣習に縛られず行動する人物だったのは確かだ。
商業。
人材登用。
火器。
機動。
いや。
まだだ。
共通点を探しているから似て見えるだけだ。
確証バイアス。
人間は一度「似ている」と思えば、似た情報ばかり拾う。
「違う」
「何がだ?」
ゲオルク。
「独り言です」
「多いな」
「自覚あります」
◇ ◇ ◇
軍議が終わった。
俺はようやく兵舎へ向かえることになった。
「疲れた……」
「何もしてないだろ」
ゲオルクが言う。
「男爵の前に立ってるだけで疲れました」
「慣れろ」
「慣れる予定ないです」
「どうかな」
「どういう意味です?」
「お前、目をつけられたぞ」
「誰に?」
「男爵に」
「嫌なんですけど」
「普通は喜ぶところだ」
「目立つと責任増えるでしょう」
「本当に十五か?」
「それ、もう何回目です?」
「数えていない」
兵舎に入る。
トーマスがすぐに飛んできた。
「どうだった!?」
「怖かった」
「男爵様?」
「うん」
「何話した?」
「色々」
「何だよ色々って」
「作戦とか」
「作戦!?」
「声大きい」
「お前、男爵様と軍議したの?」
「軍議ってほどじゃない」
「すげえ!」
「全然すごくない」
「何でだよ!」
「俺は兵士一日目だぞ」
「もう二日目だろ」
「そこ?」
周りの男たちも寄ってくる。
「男爵様、どんな人だった?」
「大きかった」
「そこ?」
「何言えばいいんだよ」
「褒められた?」
「一応」
「騎士になれる?」
「ならない」
「何でだよ!」
「お前がなればいいだろ」
「俺もなる!」
トーマスは本当に前向きだ。
少し羨ましい。
「それより」
俺は声を落とした。
「明日、敵の先陣が来る」
空気が変わった。
「……明日?」
「ああ」
「本隊は?」
「その後」
「大公軍は?」
「三日後」
「三日?」
トーマスの顔が引きつる。
「じゃあ二日くらい俺たちだけ?」
「そうなる」
「勝てる?」
「守るんだよ」
「同じだろ」
「違う」
「何が?」
「勝つ必要はない」
「?」
「三日負けなければいい」
言ってから気づいた。
そうだ。
勝利条件が違う。
敵を全滅させる必要はない。
三日。
それだけ守ればいい。
「……そう考えると少し楽だな」
トーマスが言った。
「だろ?」
「三日後に大公様が来なかったら?」
「それは言うな」
「お前も怖いんじゃん」
「当たり前だ」
◇ ◇ ◇
その日の午後から、防衛準備が始まった。
俺たち徴集兵に与えられた仕事は、まず土を運ぶことだった。
「……戦わないの?」
トーマスが泥まみれになりながら言う。
「準備も戦争だろ」
「騎士になるために来たのに土運んでる」
「最初はそんなもんじゃない?」
「夢がない」
「死ぬよりいい」
城壁の内側。
土嚢。
木材。
水樽。
矢束。
石。
火を消すための砂。
あらゆるものを運ぶ。
「これ何に使う?」
トーマスが石を持ち上げる。
「上から落とすんじゃない?」
「人に?」
「たぶん」
「痛そう」
「痛いで済めばいいな」
「……やっぱ戦争嫌だな」
「今さら?」
笑った。
でも俺は周囲をかなり真剣に見ていた。
城壁。
門。
櫓。
死角。
水。
食料。
日本の城とは構造が違う。
だから俺の戦国知識をそのまま使うことはできない。
だが基本は変わらない。
守る側の利点。
高さ。
障害物。
狭い入口。
敵が数の優位を活かせない場所を作る。
例えば城門。
三千人いても、門を一度に攻撃できる人数には限界がある。
城壁を登る梯子も同じ。
数を地形で殺す。
これは古今東西変わらない。
「アレク」
ゲオルクに呼ばれた。
「はい」
「来い」
「また?」
「嫌そうだな」
「嫌ですよ」
「仕事だ」
「俺、徴集兵ですよね?」
「そうだ」
「土運びに戻りたい」
「変な奴だな」
連れていかれたのは西門。
数人の騎士がいる。
男爵もいた。
「来たか」
「はい」
「アレク」
「はい」
「昨日のような真似はできるか?」
「昨日?」
「敵を多く見せる策だ」
「ここで?」
「逆だ」
「逆?」
男爵が城外を指す。
「我々の兵を少なく見せたい」
「……」
なるほど。
「敵に攻めさせる?」
周囲が静かになる。
男爵が笑った。
「理解が早い」
「でも、どうして?」
「最初の攻撃で敵に損害を与えたい」
「罠?」
「そうだ」
地図を見る。
西門前。
左右に低い林。
正面に街道。
「敵は三倍以上」
男爵が言う。
「我々が守りを固めていると知れば、無理に攻めず包囲する可能性がある」
「それだと三日持つんじゃ?」
「持つ」
「なら」
「だが敵にも援軍が来る」
「……」
「三日後に三千のままとは限らん」
なるほど。
こちらの援軍だけ考えていた。
敵も動く。
「今のうちに減らしたい」
「そうだ」
「何人くらい?」
「可能なら五百」
「無茶言いますね」
騎士たちの表情が固まった。
男爵だけが笑う。
「お前は本当に遠慮がないな」
「すみません」
「構わん」
ゲオルクが後ろで頭を抱えている。
「で、できます?」
「考えます」
「即答しないのか?」
「敵のこと知らないので」
「何が知りたい」
「指揮官」
男爵の眉が動く。
「敵の先陣を率いている人」
「理由は?」
「昨日の略奪隊は騙せました。でも、同じ方法が三千人に通じるとは思わない」
「続けろ」
「指揮官が慎重なら攻めてこない」
「そうだな」
「短気なら?」
「……誘える」
「だから知りたい」
男爵が一人の騎士を見る。
「答えろ」
「ベルン軍先陣は、コンラート・ヘルマン騎士団長。三十四歳。武勇で知られています」
「性格は?」
「勇猛。攻撃的」
「負けたことは?」
「二年前、北方の戦で一度」
「どう負けた?」
「敵の退却を追撃しすぎ、伏兵を受けました」
俺は思わずゲオルクを見る。
ゲオルクも俺を見る。
「……やりそうですね」
「ああ」
男爵が聞く。
「何がだ?」
「同じこと」
騎士が笑った。
「一度失敗しているのに?」
「逆かもしれません」
「逆?」
「一度失敗したからこそ、次は自分は引っかからないと思ってる可能性がある」
前世の会社でもいた。
一度失敗して反省する人。
一度失敗して「今度こそ」と意地になる人。
どちらかは分からない。
「それに」
「何だ」
「武勇で有名なんですよね」
「そうだ」
「だったら弱い敵を見たら、自分で叩きたいかも」
男爵は少し考えた。
「面白い」
「まだ策じゃないですよ」
「十分だ」
男爵が周囲に命じる。
「西門守備兵の姿を半数隠せ」
「閣下?」
「火槍兵は城壁から下げろ」
「しかし」
「敵の偵察に見せるのは百五十程度でいい」
俺は少し怖くなった。
この人。
決断が速い。
「アレク」
「はい」
「続きは?」
「え?」
「敵が来たらどうする」
「今考えてます」
「夕方までに考えろ」
「俺が?」
「お前が始めた」
「始めてないですよ!」
男爵は笑って去った。
俺はゲオルクを見る。
「……助けてください」
「嫌だ」
「騎士様!」
「経験は大事なんだろ?」
「こういう時だけ覚えてる!」
周りの騎士たちが笑った。
◇ ◇ ◇
夕刻。
俺は城壁の上に座り、外を見ていた。
トーマスが隣にいる。
「考えついた?」
「半分」
「半分って何?」
「敵を城門まで誘う方法」
「それで?」
「その後が難しい」
「何で?」
「殺しすぎると敵が引く」
「いいじゃん」
「いや」
俺は頭を掻いた。
「三日守るだけならいい。でも男爵は敵の数を減らしたい」
「なら殺せば?」
「簡単に言うなよ」
「戦争だぞ」
「……」
トーマスも少し変わった。
いや。
元々この世界の人間だ。
人を殺すことを喜んでいるわけじゃない。
でも必要ならやる。
俺の方が異常なのかもしれない。
「怖い?」
「何が?」
「明日」
「怖いよ」
トーマスは外を見る。
「でも」
「?」
「昨日よりは怖くない」
「何で?」
「お前いるし」
「……それやめて」
「何が?」
「俺を信用するの」
「何でだよ」
「責任重い」
「知らねえよ」
トーマスが笑う。
「俺は頭悪い。ゲオルク様は強い。でもアレクは考える」
「……」
「だから何かあったら考えてくれ」
「無茶苦茶だな」
「頼りにしてる」
軽い言葉だった。
でも重かった。
俺の策で人が死ぬ。
ゲオルクに言われた言葉を思い出す。
人を動かすのが怖くなくなった時、人の上に立つべきではない。
「……分かった」
「何が?」
「できるだけ考える」
「頼む」
その時。
遠くで鐘が鳴った。
一回。
二回。
三回。
城壁の兵士たちが一斉に動く。
「何!?」
トーマスが立ち上がる。
「敵?」
「違う!」
兵士が叫んだ。
「東門だ!」
「東?」
「援軍だ!」
俺とトーマスは顔を見合わせる。
「援軍?」
「三日後じゃ?」
まだ一日目だ。
城内がざわつく。
「道を開けろ!」
「大公軍だ!」
「アルヴェイン大公軍が来たぞ!」
俺は走った。
「アレク!」
トーマスもついてくる。
東門。
人が集まっている。
兵士たちが左右へ分かれる。
城門が開く。
最初に入ってきたのは騎兵だった。
泥だらけ。
馬も汗まみれ。
速く来たことが分かる。
その後ろ。
数百人の兵。
「これだけ?」
トーマスが言う。
「先行部隊じゃない?」
そして。
一人の男が馬に乗って入ってきた。
黒い外套。
派手な鎧ではない。
年齢は二十代後半。
黒髪。
細身。
顔立ちは整っている。
だが、一番印象に残ったのは目だった。
周囲を見ている。
兵。
城壁。
荷車。
倉庫。
人間。
何も見逃さないような目。
「……あれが?」
俺が呟く。
ゲオルクがいつの間にか隣にいた。
「ああ」
「アルベルト・ヴァレンシュタイン?」
「アルヴェイン大公殿下だ」
男爵が駆け寄る。
膝をつく。
「大公殿下!」
男は馬から降りた。
「オットー」
「はっ」
「立て」
「しかし」
「時間がない」
声は若い。
でも不思議とよく通る。
「ベルン軍は?」
「先陣六百、明日には到着。本隊はその後です」
「兵糧は?」
「城内に二十日分」
「水」
「問題ありません」
「火槍」
「四十三」
「少ないな」
「申し訳ありません」
「謝るな。増やす」
男は周囲を見る。
「鍛冶場は?」
「城南です」
「商人は?」
「避難してきた者を含めれば十数名」
「全員集めろ」
「商人を?」
「火薬と鉛を持っている者もいるだろう」
「はっ」
俺の背筋がぞくりとした。
商人。
火器。
即断。
アルベルトが歩き出す。
そして突然止まった。
こちらを見た。
いや。
俺を見た。
「……」
目が合った。
怖い。
ゲオルクが言っていた意味が少し分かった。
頭の中まで見られている気がする。
「ゲオルク」
「はっ」
「その少年は?」
「ラーデン村より徴集された兵です」
「兵?」
アルベルトが俺を見る。
「十五くらいに見えるが」
「十五です」
「名は?」
ゲオルクが答えようとする。
だが俺を見ている。
俺に答えろということだろう。
「アレク・ハルトマンです」
「アレク」
「はい」
「お前か」
「……何がです?」
「十四人で三十人を追い返したという少年は」
もう伝わってるのか。
「俺一人ではありません」
「そうか」
「ゲオルク様や皆がいたので」
「そういう答えをするか」
「?」
アルベルトが少しだけ笑った。
「面白い」
その言葉。
何だろう。
嫌な予感がする。
「オットー」
「はっ」
「軍議を始める」
「ただちに」
「ゲオルクも来い」
「はっ」
アルベルトが歩き出す。
三歩。
止まる。
振り返る。
「アレク」
「はい?」
「お前も来い」
「……俺も?」
「聞こえなかったか?」
「聞こえましたけど」
「なら来い」
「俺、ただの徴集兵です」
周囲が静かになった。
ゲオルクが顔を覆った。
「何だ?」
アルベルトが聞く。
「いえ」
「来たくないのか?」
正直に言うか迷った。
「……少し」
一瞬。
完全な沈黙。
アルベルトが笑った。
今度ははっきりと。
「ますます面白い」
俺は思った。
やっぱり怖い。
でも。
同時に。
目を離せなかった。
この男。
アルベルト・ヴァレンシュタイン。
商人を使う。
火器を重視する。
身分にこだわらない。
常識外れの速さで軍を動かす。
そして、十五歳の徴集兵を軍議へ呼ぶ。
似ている。
あまりにも。
「……まさか」
俺はもう一度、心の中で否定した。
違う。
この人は織田信長じゃない。
名前も。
顔も。
世界も。
全部違う。
ただ少し似ているだけだ。
そのはずだった。
それでも。
アルベルトの背中を追いながら、俺の胸の奥に生まれた違和感は、今までより少しだけ大きくなっていた。
三千の敵を前に、防衛の準備が進むヴァイスブルク。
そこでアレクは、ついに若き大公アルベルト・ヴァレンシュタインと出会う。
常識外れの行軍、火器への関心、身分にとらわれない人材登用。
あまりにも多い「偶然」に、アレクの中の違和感は少しずつ形を持ち始める。
そして、ただの徴集兵だったはずのアレクは、なぜか大公自らが開く軍議へと呼ばれることになる。




