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『知らない世界の知っている物語』 ~剣と知識を授かった平凡な会社員は、異世界の乱世を生き抜く~  作者: 相田 ソウ
第五篇 乱世に広がる火

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第四話 火を分ける

火縄銃五十挺の先行製作と、専用工場の建設が動き始めました。

領地の仕事を部下へ任せたアレクは、火災、秘密保持、職人の暮らしまで考えながら、工場を建てる場所と仕組みを具体化していきます。

 アイヒェンタールへ入ってから十日目の朝、領主館の前庭には、十二人の男たちが二列に並んでいた。

 年齢も体格も揃ってはいない。農作業で鍛えられた大柄な者もいれば、細身ではあるが、読み書きのできる者もいる。

 彼らはまだ正式な兵ではない。

 三十人を目安に集めている、アレク直轄隊の最初の候補者だった。

「右を向け!」

 ギルベルトの号令で、十二人が一斉に動く。

 半数は正しく右を向いた。二人は遅れ、一人は左を向き、隣にいた男と顔を見合わせた。

 笑い声は起きなかった。

 候補者たちは皆、真剣な表情でギルベルトを見ている。

「元へ戻れ。もう一度だ」

 ギルベルトは怒鳴らず、同じ号令を繰り返した。

 二度目は十一人が正しい方向を向いた。残る一人も、隣の動きを見てすぐに向きを直す。

 ここにいる者たちは、村や山中の集落で暮らしてきた。兵として隊列を組んだ経験のない者が、最初から号令どおりに動けるはずはない。

 この段階で必要なのは、間違えないことではなく、間違えた時にどう動くかだった。

「アレク様」

 俺の隣に立つマルクが、小声で尋ねた。

「本日は、どこまでご覧になりますか?」

「行進と伝令、それから荷物の確認まで見ます。その後はベルグハーフェンへ向かわなければなりません」

「槍の訓練は?」

「テオに任せます。採用を急がず、危険な扱いをした者は記録してください」

 候補者へ火縄銃の存在は知らせていない。

 彼らが聞かされているのは、俺の直轄隊として山道や軍用物資を守り、伝令、輸送、火災や災害時の救援に当たるということだけだ。

 領外へ出陣する可能性があることも、訓練中に怪我をする危険があることも説明している。

 それでも十二人は、家族の同意を得たうえで仮採用を望んだ。

「三歩進め!」

 今度はテオが号令を出した。

 候補者たちは木製の槍を持ったまま前へ進む。歩幅が揃わず、列の中央が少し膨らんだ。

「止まれ!」

 二人が余計に一歩進み、後ろの者とぶつかりかける。

 戦場であれば、わずかな乱れが隣の兵を転ばせる。火縄銃の射線へ槍兵が入り込めば、味方を撃つことにもなりかねない。

 だが、その理由まで今の候補者へ話すことはできない。

「早く動くことより、前の者との間を保つことを教えてください」

 俺が言うと、テオがうなずいた。

「承知しました」

 槍を置かせた後、ニクラスが候補者の前へ木箱を並べた。

 中には石、縄、水筒、布、木札などが入っている。

「この箱を二人で運び、向こうの杭を回って戻れ。戻った後、中身の数を報告しろ」

 候補者たちが順番に箱を運ぶ。

 力のある者ほど速く戻ってくるが、急いだ拍子に縄を落とした組もあった。木札を一枚多く数えた者もいる。

 軍用物資の輸送では、速さだけでなく、受け取った物を失わずに届けることが重要になる。

 火薬や一発筒であれば、一つの紛失も放置できない。

「読み書きのできない者には、刻み目で数を確認する方法を教えます」

 ニクラスが俺へ報告した。

「木札を十枚ずつ束ねれば、数え間違いも減らせそうです」

「その方法で試してください。ただし、束が一つなくなれば十枚まとめて失うことになります。受け渡しの時には、束の数と中身の両方を見るように」

「分かりました」

 俺が全ての訓練方法を考える必要はなかった。

 マルク、テオ、ニクラスは、先の戦で火縄銃を実際に扱っている。命令の聞き違いも、装填中の焦りも、煙で合図が見えなくなる恐怖も知っていた。

 俺の仕事は、何を身につけさせたいかを示し、三人が考えた方法に危険や抜けがないかを確かめることだ。

「仮採用の期間は、どれほどにしますか?」

 ギルベルトが尋ねた。

「まず十日です。十日で兵として完成させるのではありません。命令を守れるか、無断で持ち場を離れないか、仲間の失敗を隠さないかを見てください」

「体力が足りない者は?」

「訓練で伸びる余地があるなら残します。家族の事情で毎日来られない者も、すぐには外さないでください。ただ、秘密を守れない者と、危険な命令違反を繰り返す者は採用できません」

 体力の強い者だけを集めても、火槍隊百人は成り立たない。

 読み書きのできる者、数を確認できる者、馬や荷車を扱える者、武具を修理できる者も必要だ。

「この後は任せます」

「ベルグハーフェンの工場ですか?」

「はい。候補地を実際に見ることになっています」

「こちらは夕方までに、十二人の記録をまとめます」

「お願いします」

 俺は訓練場を離れ、領主館の執務室へ戻った。

 そこでは、村長、フェリクス、穀倉の管理人、山道の修繕責任者が待っていた。

 最初の報告は穀倉だった。

「北側の屋根板の交換が終わりました。昨日の雨では、麦袋への水滴は確認されておりません」

「木台は?」

「古い麦を置く分は完成しました。袋と壁の間にも、人一人が通れる隙間を空けております」

「刻み目を付けた木札は使えそうですか?」

「はい。古いものから運び出すようになりました。ただ、一つの袋から一部だけを使った時に、残量が分からなくなります」

「袋が半分より多いか、少ないかを木札へ追加できませんか?」

 正確な重さを毎回量るには手間が掛かる。

 まずは満杯、半分以上、半分以下という三段階で記録し、残りが少ない袋から使い切ることにした。

 細かな数字を求めすぎて、誰も記録しなくなっては意味がない。

 水車も、水路から土砂を取り除いたことで回転が戻っていた。

 傷んだ軸は交換できていないが、音が変わった時には止める担当者を決め、軸に使う木の乾燥も始めている。

「橋は、本日から軽い荷車を通しております」

 修繕責任者が報告した。

「ただ、ベルグハーフェンの商人が、二頭立ての荷車を通したいと言っております。積み荷を待たせれば損になると」

「橋の床板は、その重さに耐えられますか?」

「新しくした部分は耐えます。ですが、橋脚と両岸の土台までは直しておりません」

「なら、まだ許可できません」

「商人は、領主様の許しさえあれば通すと言っています」

「俺が許可を出しても、橋が丈夫になるわけではありません」

 前世のように、荷車ごとの重量を正確に量る設備はない。

 馬の数が同じでも、積み荷が鉄鉱石か干し草かで重さは変わる。

 そこで当面は、一頭立てで積み荷は荷台の半分ほどまでと決める。木炭や薪のような軽い荷物については、修繕責任者と普段橋を使う御者が確認して通す。

 二頭立ての満載荷車は禁止する。

「領主様に逆らって通る者が出た場合は?」

「橋の手前へ横木を置き、見張りを一人付けてください。止まらない者がいれば、直轄隊へ知らせる。ただし、荷物を勝手に没収しないように」

「承知しました」

 通行税から修繕費へ分ける記録も始まっていた。

 まだ橋と路肩の修理代を賄えるほどではないが、少なくとも道のために残した金が、別の支出へ紛れることはなくなる。

「木炭と蜂蜜の買い取りは?」

 フェリクスが別の帳面を開いた。

「木炭は荷車一台分、蜂蜜は壺十八個がクレーマー商会へ売れました。これが売上で、こちらが壺、濾し布、運賃を差し引いた金額です」

 売値だけを見れば、領民が期待したより大きかった。

 だが、容器と輸送の費用を引けば、手元へ残る金は三分の二ほどになる。

「この差額も、売った者へ説明してください。次に同じ量を売る時は、壺を再利用できるなら費用が減ります」

「割れずに戻った壺は、クレーマー商会が買い取り場所へ返すことになっています」

「返した壺の数も記録しましょう」

 木炭は、長さと太さがある程度揃ったもの、小片、原料木と窯が記録された試験用に分けて売られている。

 試験用は少量しか買わないと伝えたため、領民が一斉に同じ木の炭へ切り替えることもなかった。

 わずかではあるが、村へ現金が入り始めている。

 修繕作業へ出た者にも賃金が支払われ、食料や衣服を買うための金が動いていた。

 それでも、数回木炭と蜂蜜を売っただけで領地が豊かになるわけではない。

 橋の修理費、穀物の不足分、新しい兵舎、試験場。出ていく金も多かった。

「採石場については、ギルベルトから夕方に報告を受けます。盛った土が安定するまでは、実弾を使わないよう伝えてあります」

「本日はベルグハーフェンへ?」

 村長が尋ねた。

「はい。工場候補地を見ます。夕方には戻るつもりです。緊急でないものは、皆さんで判断して進めてください」

 必要な決定を終え、俺はフェリクスとともにアイヒェン村を発った。

 ベルグハーフェンのクレーマー商会へ着くと、マティアスはすでに三枚の土地図を机へ広げていた。

 ロルフも先に到着している。

「遅いぞ」

 マティアスが言った。

「領地の報告を聞いていました」

「領主殿は忙しいな」

「マティアス様ほどではありません」

「口だけは回るようになった」

 マティアスは一枚目の図を指した。

「候補は三か所だ。最初は東門に近い空き地。街道沿いで、荷車を入れやすい。近くに鍛冶職人も住んでいる」

「民家が多い」

 ロルフが即座に言った。

「鍛冶場だけなら置けます。しかし、火薬や完成品まで持ち込む場所ではありません」

「人目も多すぎます」

 俺も図を見る。

 東門を通る商人や旅人から、荷車の出入りが見える。警備を厳しくすれば、かえって重要な施設があると教えるようなものだ。

「二つ目は川沿いの古い倉庫群だ」

 水路に近く、荷船から直接材料を下ろせる。既存の倉を修理すれば、建設費も抑えられる。

 だが、壁には長年の湿気が染み込み、床の一部は腐っていた。

 倉同士の間隔も狭い。

「一棟で火が出れば、隣へ移ります」

「鉄も錆びる」

 ロルフが付け加えた。

「乾燥木材と火薬には、さらに悪い場所だ」

「三つ目は郊外だ」

 ベルグハーフェンの南西に、使われなくなった作業場と、その周囲の空き地がある。

 以前は荷車の修理や木材の加工に使われていたが、所有者が仕事を畳み、建物だけが残っているという。

「ここだけは、図を見ても分からん。実際に行くぞ」

 俺たちは商会を出て、最初の候補地から順に視察した。

 東門近くの空き地は、確かに便利だった。

 街道は平らで、重い鉄を積んだ荷車も通れる。周囲には食事を出す店や宿もあり、職人を集めるのも難しくない。

 しかし、俺たちが立っている間にも、何台もの荷車と人が通り過ぎた。

「ここへ工場を建てれば、何人働いているか、何台荷車が入ったかまで数えられます」

「職人が酒場へ行くにも近すぎるな」

 マティアスが周囲を見る。

「仕事を終えた者を閉じ込めるつもりはないが、酒を飲んだ口から話が漏れる可能性は高い」

「民家まで火が移れば、工場だけの損では済みません」

 第一候補は早々に外れた。

 川沿いの倉庫群では、ロルフが壁と床を調べた。

 鉄の金具には赤い錆が浮き、壁際の木箱は底が変色している。

「乾燥させるために、結局は壁と床を直す必要があります」

「船で運べる利点は大きいぞ」

「運び込んだ鉄と木が使えなくなれば、運賃より高くつきます。それに建物が近すぎる」

 火災の際に使う川の水は豊富だが、火が出てから消すことだけを考えるべきではない。

 火が別の建物へ広がらない配置の方が重要だった。

 最後に、郊外の作業場へ向かった。

 街道から枝道へ入り、しばらく進んだ場所に、古い建物が三棟残っている。

 屋根には穴があり、扉も外れかけていた。しかし、周囲には新しい建物を置けるだけの土地がある。

 最も近い民家とも距離があった。

「水路までは?」

 俺が尋ねると、同行した商会の者が西を指した。

「歩いて四半刻ほどです。途中の土地を借りられれば、浅い溝を引けます。ただ、冬に水量が減ります」

「井戸も必要だな」

 マティアスが言う。

 枝道は狭く、雨が降れば泥濘になる。街道沿いの二候補より輸送には不便だ。

 職人を働かせるなら、家族の住居も建てなければならない。毎日ベルグハーフェンの町中から通わせるには遠かった。

「最も便利なのは東門の土地です」

 俺は三か所を思い返した。

「ですが、秘密と火災を考えれば、ここです」

「俺も同じだ」

 マティアスは即答した。

「安い土地を選んだのではありませんか?」

「安いのは事実だ。だが、工場が燃えた時に周囲の家まで買い直すよりは安い」

 ロルフが敷地を歩きながら、地面へ印を付けていく。

「炉を置く鍛冶場は、あちら側だ。風下へ木工場を置くな。火の粉が飛ぶ」

「組み立ては中央の古い建物を直して使えますか?」

「屋根と床を替えればな。鉄筒と金具を測るには、雨の入らない場所が要る」

「火薬を置く場所は?」

 ロルフは敷地の端を指した。

「工場の主要な建物から、できる限り離す。火縄や火種を持ち込ませず、必要な量以上は置かない。大きな火薬倉を一つ置くより、小さく分けた方がいい」

 俺は図へ配置を書き込んだ。

 鉄筒、ばね、引金、掛け金などを作る鍛冶区域。木台を作る木工区域。部品を組み立て、検査する建物。鉄、木材、金具を置く材料倉。完成した火縄銃を保管する施錠された倉。

 火薬を扱う場所は、その全てから離す。

 職人と家族の住居も作業区域の外へ置き、柵で分ける。

「建物を一つにまとめれば、警備する場所は減ります」

 フェリクスが言った。

「一棟が燃えた時に、全てを失います」

「警備の人数は増えますよ」

「必要な人数を出してください。完成品倉と組立場は常に守る。材料倉は鉄、木材、小部品に分け、重要度に応じて見張り方を変えます」

「お前は警備を減らす気がないな」

 マティアスが苦笑した。

「火縄銃を盗まれれば、警備費より高くつきます」

「分かっている。商会の護衛を回す。ただし、全員へ中身は教えん」

 井戸、水桶、砂を置く場所も決める。

 建物同士の間には空き地を残し、延焼を防ぐ。火災が起きた時に人が逃げる道も必要だった。

 ロルフは、鍛冶場の炉と木工場の位置を何度も変えた。

「風向きは季節で変わります」

 俺が言うと、ロルフは不機嫌そうに空を見た。

「なら、今日の風だけで決めるな。ここで働いていた者を探し、冬の風向きを聞け」

 現地を知らない俺たちが図だけで決めれば、見落としが出る。

 マティアスはすぐに、以前この作業場で働いていた者と周辺の農民から話を聞くよう命じた。

「枝道の補修、水路を引く場合の土地使用、井戸を掘れる場所。今日中に調べさせる。建物の修理に必要な大工と屋根職人も出せ」

「職人の住居は?」

「工場の着工と並行して建てる。最初に来る職人は、ベルグハーフェンの宿と商会の空き家へ入れる。家族まで長く宿住まいにはできんから、住居の方も遅らせるな」

 問題を挙げるたび、マティアスは商会の人間へ仕事を割り振っていく。

 土地、職人、荷車、倉、護衛、食料。

 どれも突然現れるわけではない。

 クレーマー商会がこれまで取引してきた相手と、持っていた資産を組み替えているのだ。

「工場で全体の構造を知る者は、どこまで増やしますか?」

 俺が尋ねると、ロルフが答えた。

「鉄筒職人は鉄筒だけを作る。木工職人には、渡した型に合わせて木台を削らせる。小部品も同じだ。だが、誰かが組み立てなければ銃にはならん」

「組み立てと完成検査をする者は限定します」

「限定しすぎれば、俺が倒れた時に全部止まるぞ」

 ロルフの言葉に、俺は黙った。

 最初の試作品から十挺の製作まで、全体を確認してきたのはロルフだ。

 秘密を守るには、知る者を少なくした方がいい。

 しかし、一人へ知識を集中させれば、その一人を失った時に何も作れなくなる。

「ロルフの監督下で、組み立てを学ぶ熟練職人を数人選びましょう」

「最初から信用できる者が、都合よく数人いると思うな」

「クレーマー商会との取引期間、借金、家族、これまでの仕事を調べます」

 マティアスが言った。

「調べても、人の心までは読めん。だから、一人へ全てを任せず、互いに確認させる」

「疑われていると知れば、職人が反発します」

「秘密の仕事であることと、その分の賃金を先に説明する。嫌なら断る自由も与える。ただし、一度引き受けて情報を売れば、契約違反として処罰する」

 強制して働かせれば、不満を持った職人が秘密を売るかもしれない。

 高い賃金だけで忠誠を買えるとも限らない。

 秘密を知る理由と危険を理解させ、そのうえで契約させる必要があった。

「部品の型には番号を付けます」

 ロルフが作業場の壁へ簡単な形を描いた。

「鉄筒の外径、火皿の位置、木台の溝。完成品を作る方法まで書く必要はない。職人は、自分の部品が型へ合うかを確認する」

「誰へどの型を渡したか、帳簿へ残します」

 フェリクスが言う。

「部品箱にも番号を付ければ、不良品が出た時に作った者まで戻せます」

「失敗した部品を隠す者が出るかもしれません」

 俺が懸念を口にすると、マティアスがうなずいた。

「材料を受け取った量、完成した部品、不良品、削り屑まで大まかに合わせる。だが、失敗を申告するたび罰金を取れば、全員が隠すようになる」

「同じ失敗を何度も隠した者と、正直に報告した者は分けるべきです」

「契約へ入れろ。材料の横流しと故意の隠蔽には罰を科す。正直に出した不良品は検査記録へ回す」

 火縄銃を量産するには、成功した部品だけでなく、失敗した部品の扱いも決めなければならない。

 午後、俺たちはクレーマー商会へ戻り、五十挺分の先行発注を確認した。

 鉄と乾燥木材は、残り三十挺分まで先に確保する。

 だが、各職人へ渡すのは、まず十挺分だけだ。

 次の十挺分は材料を確保したまま、第一ロットの検査結果を待つ。

「鉄筒だけは時間が掛かる」

 ロルフが言った。

「次の十挺分も、鉄を選び、鍛える準備までは始めたい」

「後から直せない部分を作りすぎないなら構いません。第一ロットの鉄筒で点火孔や厚みの問題が出た場合、次へ反映できる段階で止めてください」

「鉄筒一本ごとに止めていたら、五十挺など作れん。どこまで先へ進めるかは俺が決める」

「分かりました。ただ、製作者と使った鉄、検査結果は一本ごとに残してください」

「それはやる」

 五十挺を一つの単位として材料と費用を計算し、完成は十挺ずつ。

 最初の十挺をアイヒェンタールで試射し、問題を次へ戻す。

 工場完成前は従来の分業方式を使い、完成した専用工場へ少しずつ工程を移す。

「これで計画は立ったな」

 マティアスが帳簿を閉じた。

「立っただけです。建物は一つも直っていません」

「明日には大工が入る。枝道の補修には、商会の荷車を運んでいる者を使う。食料は近くの農家と契約する」

「既存の鍛冶場から、職人を奪うことになりませんか?」

 俺が尋ねると、マティアスの表情が少し変わった。

「なる」

「クレーマー商会が高い賃金を出せば、町の仕事を断って工場へ移る者が出ます」

「以前の俺なら、金を出せる方が雇えばいいと言っただろうな」

「今は違うのですか?」

「俺はベルグハーフェンの領主になった。商会が儲かっても、町中の鍛冶場から職人が消え、荷車も農具も直せなくなれば、俺の損になる」

 マティアスは職人の募集数と、各工房に残すべき人数を調べさせることにした。

 工場へ移る者だけでなく、既存工房へ弟子を補充し、単純な部品仕事を渡すことで収入を残す。

 職人の住居が増えれば、周辺の食料や薪の値段も上がる可能性がある。商会が先に大量に買い占めれば、ベルグハーフェンの住民が困る。

「商売なら、安く買える時に買う。それが間違いだとは思わん」

 マティアスが言う。

「だが、領主が自分の商会に買い占めさせ、領民へ高く売るようになれば、長くは続かん」

「領主になって、面倒が増えましたね」

「お前にだけ言われたくはない」

 俺たちは顔を見合わせた。

 アイヒェンタールでは、兵や修繕の人手を集めすぎれば畑が止まる。

 ベルグハーフェンでは、工場へ職人と材料を集めすぎれば町の仕事が止まる。

 規模は違っても、起きる問題は似ていた。

 金と契約だけではなく、その土地で暮らす者の生活まで考えなければならない。

 領主という肩書は、自由に使えるものが増えることではなかった。

 自分の判断で困る者の数が増えることなのだ。

 夕方、俺がアイヒェン村へ戻ると、橋の手前に新しい横木が置かれていた。

 一頭立ての荷車が、積み荷を半分ほど載せてゆっくり橋を渡っている。

 二頭立ての荷車は橋の手前で止まり、御者が積み荷を小さな荷車へ移していた。

 不便ではある。

 だが、橋を壊して再び全ての荷車を止めるよりはよい。

 領主館へ入ると、ギルベルトたちが報告を待っていた。

「十二人の訓練はどうでしたか?」

「十人は、明日も続けさせます」

「残る二人は?」

「一人は家族が反対しています。本人は続けたいと言っていますが、家の畑を耕せる者がほかにいません。もう一人は、許可していない館裏の小屋へ入ろうとしました」

 館裏の小屋には、火薬を入れた箱を仮置きしている。

「中へ入ったのですか?」

「見張りが止めました。扉には触れていません」

「理由は聞きましたか?」

「落とした小刀を探していたと言っています。実際、小屋の近くで小刀が見つかりました」

「なら、すぐに密偵と決めつけることはできません」

「ですが、立ち入りを禁じた場所です」

「命令違反は記録してください。本人からもう一度事情を聞き、誰かに小屋の中を見ろと言われていないかも確認する。それまでは、館と採石場の仕事から外します」

「仮採用から外さないのですか?」

「好奇心や不注意だけなら、ほかの任務で使えるかもしれません。嘘をついていた場合は別です」

 秘密を守るために警戒は必要だ。

 だが、疑わしいというだけで厳罰にすれば、候補者たちは失敗を隠すようになる。

 何が起きたのかを確かめ、その結果に応じて判断しなければならない。

「採石場の土は?」

「岩壁の前へ、人の背丈ほどの厚みで盛り始めています。大きな石は取り除きました。排水溝へ水を流したところ、奥に溜まらず沢へ抜けています」

「土が締まるまでは撃ちません。木の棒を投げつけ、表面が大きく崩れないか確認してください」

「音については、材木を倒す作業と説明する予定です」

「何度も使える説明ではありません。試射の日をまとめ、周囲の道を警備しましょう」

「承知しました」

 穀倉の木台はさらに三つ増え、木炭と蜂蜜の最初の売上も帳簿へ記録されていた。

 俺がベルグハーフェンにいる間にも、仕事は進んでいる。

 報告を終えようとした時、館の外から馬の足音が聞こえた。

 しばらくして、フェリクスが一通の書状を持って執務室へ戻ってくる。

「マティアス様からです。アルヴェイン大公の使者が、クレーマー商会へ到着したそうです」

「アルベルト様から?」

「正式な会談の申し入れです」

 封を開くと、マティアスからの短い文と、アルベルトの書状の写しが入っていた。

 アルベルトは、すでに受け取った火縄銃の試作品と開発記録を確認している。

 そのうえで、今後の火縄銃について、レオンハルト、マティアス、俺と直接話したいと記されていた。

 購入する場合の数と価格。

 アルヴェイン側での追加製作と研究。

 職人と技術情報の扱い。

 火薬、弾、修理部品の規格。

 試作品を渡した後に生まれた、一発筒などの運用技術。

 生産数と譲渡先の記録。

 そして、機密保持。

 試作品と開発記録を渡すという、以前の交換条件はすでに履行している。

 今回の会談は、その続きをただ渡すためのものではない。

 アルベルトは恩人であり、俺の旧主だ。

 だが、アルヴェイン大公でもある。

 こちらも、レオンハルトとマティアスの利益を背負って条件を交渉しなければならない。

「マティアス様は、会談を受けると?」

「はい。アレク様にも同行するようにとのことです」

 俺は書状をもう一度読み返した。

 アルベルトに会うのは久しぶりだった。

 問いかけられ、考えさせられ、軽口を言われる姿が頭に浮かぶ。

 そして、もう一人の顔も思い浮かんだ。

 会談へアルベルトが来るとしても、エリーゼまで同行するとは限らない。

 重要な軍事技術の話し合いであり、彼女を連れてくる理由はないはずだ。

 それでも、もしかしたら近くまで来るかもしれない。

「出立は?」

「四日後です。明朝、詳しい場所と日程を確認します」

「分かりました」

 全ての報告を終え、俺は二階の私室へ戻った。

 衣服や書類を収めた箱の底に、小さな布包みがある。

 取り出して開くと、林檎の花をかたどった髪飾りが姿を見せた。

 手に入れた時から、渡すつもりは変わっていない。

 覚悟を決め直す必要もなかった。

 ただ、いつ渡せるのか分からなかっただけだ。

 俺は髪飾りを小箱へ戻し、会談へ持っていく荷物の横へ置いた。

 今度こそ、渡せるだろうか。

 窓の外では、領主館の見張りが交代していた。

 その向こうでは、水車が一定の音を立てて回っている。

 アイヒェンタールでは穀倉と橋が直り、新兵候補が訓練を始めた。

 ベルグハーフェンでは、火を使う鍛冶場と、火から遠ざけるべき火薬の場所を分け、五十挺を作る工場が形になろうとしている。

 そして、その火をどこまで広げ、誰へ渡すのかを決める会談が始まる。

 火を一か所へ集めれば、全てを焼く。

 離しすぎれば、一つの武器を作ることもできない。

 工場の建物も、技術を持つ人間も、国と国との関係も同じなのかもしれない。

 どこで分け、どこでつなぐのか。

 その答えを探すため、俺は再びアルベルトと向き合うことになる。

第四話を読んでいただき、ありがとうございました。

アイヒェンタールでは新兵候補の訓練や領地の修繕が進み、ベルグハーフェンでは火縄銃工場の建設地と工程ごとの役割が決まりました。

火を扱う場所を分け、秘密を知る者を限定する一方、ロルフ一人へ技術を集中させない仕組みも必要になります。量産とは、同じ武器を数多く作るだけでなく、人材、記録、警備、住居、町の暮らしまで整える仕事でした。

次回は、アルベルトとの会談に臨み、火縄銃の購入、技術協力、生産数の報告、機密保持などの条件を話し合います。そして会談の後には、アレクが待ち続けていた再会が訪れます。

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