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『知らない世界の知っている物語』 ~剣と知識を授かった平凡な会社員は、異世界の乱世を生き抜く~  作者: 相田 ソウ
第五篇 乱世に広がる火

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第二話 帳簿の外側

論功行賞でアイヒェンタール領と百人の兵を預かったアレク。

新たな領地へ向かった彼を待っていたのは、帳簿だけでは分からない領民の暮らしと、積み重なった問題の数々でした。

 論功行賞から二日後、俺はベルグハーフェンを発った。

 目指すのは、俺が領地として預かることになったアイヒェンタール。その中心となるアイヒェン村までは、ベルグハーフェンから馬で半日ほどだと聞いている。

 同行するのはフェリクスと、ギルベルトをはじめとする十人の火槍兵だった。

 表向き、彼らは従来型の火槍を扱う部隊ということになっている。

 新型の火縄銃について知っているのは、レオンハルトやマティアスの周辺、製作に関わった職人、実際に訓練と戦闘を経験した者など、ごく限られた人間だけだ。

 シュヴァルツ伯軍との戦いで使われたという噂がどこまで広がっているかは分からない。それでも、領主になった俺が連れてきた兵が、見たことのない武器を持っていると知られれば、噂はすぐに山を越えるだろう。

 だから、使用可能な八挺は一挺ずつ布と油紙で包み、二つの木箱へ分けて収めていた。

 箱には錠を掛け、その上から革覆いを掛けて、他の軍用物資と見分けがつかないようにしている。

 不発となった二挺は、原因を調べるためロルフの工房へ預けてある。火薬と弾も今回は必要最小限しか持ち込まず、火縄銃とは別の箱へ収めていた。

 箱の中身を知っているのは、俺、フェリクス、そして既存の火槍兵十人だけだった。

「この道を進めば、アイヒェン村へ着くのか?」

 馬上から尋ねると、フェリクスが手にしていた帳面から顔を上げた。

「はい。途中で道が二つに分かれますが、右へ進めばアイヒェン村です。左は山中の集落と、鉄鉱石を運び出していた道へ続いています」

「運び出していた?」

「現在も少量は運ばれているはずですが、帳簿を見る限り、ここ二年ほど通行税が減っています。鉄鉱石だけでなく、木材や木炭を積んだ荷車の数も減っています」

 フェリクスが開いた帳面には、アイヒェンタールから上がる税や産物が細かく記されていた。

 少ないながらも農地があり、麦や豆が取れる。山林からは木材と薪、木炭が得られ、狩猟による皮革や肉、蜂蜜もある。山中には小規模な鉄鉱床があり、さらに別の場所で採掘された鉄鉱石をベルグハーフェンへ運ぶ中継地にもなっている。

 帳簿だけを見れば、豊かではないが、百人の兵に食料と基本的な扶持を与えることはできそうだった。

 ただし、それは書かれている数字が正しければの話だ。

 ベルグハーフェンを出た直後は、荷車二台が行き違えるほどの道幅があった。ところが、山が近づくにつれて道は狭くなり、車輪の跡も浅くなっていく。

 さらに進むと、先頭を歩いていた兵が手を上げた。

「止まってください」

 俺たちは馬を止めた。

 前方では、道の端が大きく崩れていた。山側から流れた水が路面を削り、その土を谷側へ押し流したらしい。

 人や馬なら通れるが、荷車が通れる幅はぎりぎりしか残っていない。

 先に進もうとした荷車の片方の車輪が、柔らかくなった地面へ沈んだ。

「押せ!」

 ギルベルトの号令で、兵たちが荷車の側面と後ろへ回る。

 俺も馬を下り、車輪の横へ向かった。

「アレク様は下がっていてください」

「ここで俺だけ見ているわけにはいかない」

「領主に荷車を押させたと知られれば、俺たちが叱られます」

「なら、知られないようにしてくれ」

 ギルベルトは何か言いたそうな顔をしたが、今は言い争う時間ではないと判断したらしい。

「右の車輪へ丸太を入れろ。谷側へ寄せるな。マルク、馬を急に引かせるなよ」

「分かっている」

 兵が近くに落ちていた太い枝を車輪の下へ差し込んだ。

 俺たちが荷車を押し、馬をゆっくり歩かせると、沈んでいた車輪が泥を跳ね上げながら動き始めた。

 どうにか崩れた場所を越え、荷車を安全なところまで進める。

 俺は泥の付いた手を布で拭きながら、崩れた道を振り返った。

「この状態になったのは、最近か?」

 フェリクスは周囲の草と土を見た。

「一度の雨で崩れたようには見えません。以前から少しずつ削られていたのでしょう」

「修理の記録は?」

「昨年、山道の補修へ銀貨が支出されています。ただ、どの場所へ、どれだけの人を使ったかまでは書かれていません」

 金だけを受け取って修理をしなかった者がいるのかもしれない。

 あるいは、別の場所を直した直後に、ここが崩れた可能性もある。

 まだ何も分からない段階で、不正と決めつけるべきではなかった。

「帰りに、危険な場所を全て確認しよう。この場所だけ直しても、別の場所で荷車が止まれば意味がない」

「承知しました」

 俺は再び馬へ乗った。

 帳簿には、アイヒェンタールの山道から通行税が入ると書かれている。

 だが、その道を荷車が通れないのであれば、帳簿に書かれた税収が現実になるはずもない。

 数字が間違っているとは限らない。

 数字が作られた時と、今の現実が違っているのだ。

 それから四半刻ほど進むと、道は二つに分かれた。

 右の道には人と家畜の足跡があるが、左の道は草が伸び、車輪の跡が途切れかけている。鉄鉱石を積んだ荷車が頻繁に通っているようには見えなかった。

 分岐を右へ進むと、山の間に開けた谷が見えてきた。

 狭い農地には収穫前の麦が揺れ、その向こうに木と石で造られた家々が集まっている。谷間を流れる川の脇には水車小屋があり、斜面には山羊や羊の姿も見えた。

 アイヒェン村だった。

 村の入口には、村長をはじめ、二十人ほどの領民が並んでいた。

 歓迎のために集まったというより、新しい領主がどのような人間かを確かめようとしているように見える。

 無理もない。

 村人からすれば、戦が終わったと思った途端、十六歳の見知らぬ領主が十人の武装した兵を連れてやってきたのだ。

 兵たちが運ぶ二つの箱へ目を向けている者もいた。

 だが、箱は外から見れば、武具や衣服を入れた荷物にしか見えない。

 俺が馬を下りると、白髪の混じった男が一歩前へ出た。

「アレク・ハルトマン様でいらっしゃいますか」

「そうです。あなたが村長ですか?」

「はい。アイヒェン村の村長を務めております。本日は領主様をお迎えするため、ささやかながら宴の用意をしております」

 男の後ろには、籠を抱えた女たちがいた。籠からは焼いたパンや干し肉が見える。

 酒樽も一つ用意されていた。

 村長は宴と言ったが、住民が千二百人ほどしかいない山間の領地にとって、それは決してささやかな負担ではないだろう。

「用意してくれたことには感謝します。ただ、宴は必要ありません。持ってきたものは、それぞれの家へ戻してください」

 村人たちの間に小さなどよめきが起きた。

 村長の顔にも緊張が走る。

「何か、ご不満がございましたでしょうか」

「違います。戦が終わったばかりです。村の食料を、俺を迎えるために使わせたくありません」

「しかし、新しい領主様を何もせずにお迎えしたとなれば……」

「では、今夜は俺たちが持ってきた食料を村の人たちと一緒に食べましょう。それなら、俺も歓迎されたことになりますし、皆さんの食料も減りません」

 村長は戸惑ったまま俺を見た。

「領主様が、村人と同じ場所で食事をなさるのですか」

「食事をする場所が違っても、腹が減ることに変わりはないでしょう」

 背後でフェリクスが小さく息を吐いた。俺が余計なことを言ったと思っているのかもしれない。

 ただ、領主になった初日に領民の食料を食べ尽くしておいて、明日から税を納めろとは言えない。

「それより、村を案内してください。領主館へ入る前に、水車と穀倉を見たい」

「領主館を先にご覧にならなくてもよろしいのですか?」

「館は逃げません。しかし、水車が止まっているなら、村の仕事も止まります」

 村長は一度後ろを振り返り、村人たちと顔を見合わせた。

 やがて、深く頭を下げる。

「承知いたしました。ご案内いたします」

 村長に案内されている間、ギルベルトたちは荷車を領主館へ運ぶことになった。

 俺はギルベルトへ近づき、村人には聞こえない声で言った。

「二つの箱は、館の中へ入れてください。窓が少なく、扉に錠を掛けられる部屋を選ぶように」

「見張りは?」

「常に二人置きます。村人には軍用物資とだけ説明してください。中身を聞かれても答えないように」

「承知しました」

「火薬を入れた箱は、同じ部屋へ置かないでください。館の周囲を確認し、民家や竈から離れた場所に仮置きできる建物があるか調べてください。ただし、村長たちには詳しい用途を話さないように」

 ギルベルトは短くうなずいた。

 最初に向かったのは、村へ入る前に見えた水車小屋だった。

 川から引かれた水路には泥と枯れ枝が溜まり、水の流れが弱くなっている。水車は動いているものの、回転するたびに軸が低く軋んだ。

 中へ入ると、粉挽き職人が申し訳なさそうに帽子を脱いだ。

「止まっているわけではありません。ただ、以前の半分ほどしか挽けなくなっております」

「いつからですか?」

「春の雪解け水で土砂が入りまして。その前から軸も傷んでいましたが、替える木材と人手が足りず……」

「領地には山ほど木があるはずです」

「木ならございます。しかし、軸に使えるような太く真っすぐな木は、切った後に乾かさなければなりません。生木のまま使えば、すぐに曲がります。それに、誰が山から運び出すかという問題もございます」

 確かに、山に木があることと、必要な形で使える木材があることは同じではない。

 俺は水車の構造を詳しく知っているわけではなかった。

 前世で水車の映像や図を見たことはあるが、軸の太さや歯車の組み方を説明できるほどの知識はない。下手に口を出せば、今より壊れやすいものを作らせることになる。

「今ある軸は、あとどれくらい使えますか?」

「無理をさせなければ冬までは。ただ、音が急に変わった時は止める必要があります」

「それなら、まず水路の土砂を除いて流れを戻す。並行して、軸に使える木を選び、切り出して乾燥させてください。新しい軸の形は、あなたと木工職人で相談して決める」

「私どもで決めてよろしいのですか?」

「この水車を毎日使っているのは、俺ではなくあなたです。必要な材料と人数を出してください。無理なものは無理だと言いますが、できるだけ用意します」

 粉挽き職人は何度か瞬きをした後、深く頭を下げた。

 次に穀倉へ向かった。

 扉を開けた瞬間、麦の匂いに混じって、湿った土と黴の臭いが鼻に入った。

 中には袋に詰められた麦や豆が積まれていた。帳簿に記された量と大きく違うようには見えない。しかし、壁際に置かれた袋のいくつかには染みができ、床にも湿った跡がある。

 俺は天井を見上げた。

 屋根板の隙間から細い光が差し込んでいる。

「雨が入ったのか?」

 村長の横にいた穀倉の管理人が、うつむきながら答えた。

「先月の長雨で、北側の屋根から入りました。濡れた袋は移しましたが、全てを広げて乾かす場所がなく……」

 俺は袋の一つを開けてもらった。

 上の麦は乾いているが、底に近い部分は固まり、一部が黒ずんでいた。

「これは人が食べられるのか?」

「黒くなったものは難しいかと。家畜の餌に回せるものもございますが、黴がひどいものは捨てるしかありません」

 帳簿上では、袋一つ分の麦が存在している。

 だが、中身が腐っていれば、食料としては存在しないのと同じだ。

「傷んだ袋を、傷みの程度で分けてください。食べられるもの、家畜へ回せるもの、捨てるしかないもの。それぞれの量を調べてほしい」

「いつまでに行えばよろしいでしょうか」

「明日は、どれだけ調べれば全体を見積もれるか確認してください。その後の作業日程は、畑仕事を妨げないように決めます」

「承知いたしました」

「屋根は今日から応急修理を始める。次の雨まで待つ理由はありません」

 俺はフェリクスを振り返った。

「ベルグハーフェンから持ってきた、荷物を覆うための布は使えるか?」

「全体を直す量はありません。ただ、穴の大きな場所を塞ぐまでなら使えます」

「まずそれでいい。木工職人に屋根を見てもらい、必要な板と釘の数を出してもらおう」

 穀倉の次は兵舎だった。

 石造りの壁に木の屋根を載せた細長い建物で、寝台は四十人分ほどある。しかし、半分近くは縄が切れ、藁も古くなっていた。

 壁の一部には雨水が染み込み、隅には鼠の糞が落ちている。

 ギルベルトが寝台を手で押した。木枠が大きく軋む。

「十人なら寝られます。四十人は無理です」

 村長が近くにいるため、ギルベルトも余計なことは口にしなかった。

 俺は兵舎の広さを見回した。

「百人なら、どうなる?」

「床まで使えば身体を横にするだけはできるでしょう。ただし、朝には半分が病人になっています」

「残りの半分は?」

「病人の世話で訓練になりません」

 村長は青ざめた顔をしていた。

「百人の兵が来るとは聞いておりましたが、すぐに全員がお越しになるのでしょうか」

「いいえ。今ここにいる十人だけを先に置きます。残りは住む場所と食料を用意してから増やします」

「ですが、領主様がお命じになれば、村の家々へ分けて泊めることも……」

「それをすれば、領民は自分の家で兵の顔色を見ながら暮らすことになる。短期間ならともかく、常に百人を置く方法ではありません」

 百人の部隊を任された時、俺は訓練と武器の数を先に考えた。

 しかし、兵は訓練場だけで暮らすわけではない。

 寝る場所があり、食事を作る場所があり、身体を洗い、服を乾かし、病人を休ませる場所が必要になる。軍用物資を置く倉や、部外者を近づけない区画も要る。

 百人という数字だけを受け取っても、百人の部隊にはならないのだ。

「ギルベルト。新しい兵は、最初に三十人ほどを選ぶ。既存の十人を合わせて四十人だ。それ以上は、兵舎の修理と増築の見通しが立ってからにする」

「承知しました。選抜条件については、後ほどご相談します」

 ギルベルトは村長へ聞かせる話と、聞かせてはならない話を理解している。

「村長には、志願者を集める準備だけお願いします。腕力だけでなく、読み書きや計算のできる者、鍛冶や木工の経験がある者、荷車を直せる者、馬を扱える者、山道に詳しい者がいれば教えてください」

「戦いの強い者だけではないのですか?」

「兵の仕事は、武器を持って戦うことだけではありません。荷物を運び、道を守り、見張りをし、記録を付ける者も必要です」

「承知いたしました」

 村長たちに兵舎の修理箇所を確認してもらった後、俺はギルベルトと既存の兵だけを建物の奥へ集めた。

 入口にはフェリクスを立たせ、村人が近づいていないことを確かめる。

「領民には、火縄銃のことをまだ知らせません」

 俺が言うと、ギルベルトたちは無言でうなずいた。

「新しく集める者にも、最初から教えない。表向きは俺の直轄隊として、槍、警備、輸送、山道の見張り、読み書きを訓練します」

「木製の模擬銃は、どうしますか?」

「候補者の中から、口が堅く、命令を守れる者を選んでからです。それまでは作る場所も保管場所も隠す。訓練場も村や街道から見えない場所を探してください」

「実銃を使う訓練へ移す時には、秘密を明かすことになります」

「全員へ一度に明かす必要はありません。完成した火縄銃が十挺ずつ届くなら、その十挺を扱う者から選びます。他の者には槍や警備、輸送の訓練を続けてもらう」

 ギルベルトが腕を組む。

「途中で、自分たちだけ何も知らされていないと不満を持つ者も出ます」

「だから、最初から全員が同じ仕事をする部隊ではないと説明します。ただし、秘密を知る者だけを優遇しているようには見せない。役割ごとに必要な技能が違うことを理解させてください」

「選抜は、戦う力より口の堅さを優先しますか?」

「どちらも必要です。ですが、秘密を酒場で話す者に火縄銃を持たせることはできません」

「分かりました。マルクには基本動作の訓練案、テオには槍兵との連携、ニクラスには弾薬と装備の管理方法をまとめさせます。内容は十人の間だけに留めます」

「他の七人にも、戦場で困ったことを話させてください。命令の聞き違い、煙で赤い布が見えなくなったこと、装填が遅れたことも含めて」

「失敗も教えるのですか?」

「成功だけを教えれば、新兵が同じ失敗をします」

「承知しました」

 兵舎を出た後、俺たちは村の外れにある領主館へ向かった。

 領主館と聞いて想像するような立派な城館ではない。石造りの一階に木造の二階を載せ、周囲を低い石垣で囲んだ建物だった。

 以前は、この領地を管理する役人が使っていたらしい。

 玄関の扉は少し傾き、開けるたびに床を擦った。

 執務室には机と棚が残されていたが、椅子の背は割れている。二階の寝室へ上がると、部屋の隅に桶が置かれていた。

「これは?」

 俺が尋ねると、案内していた村長が気まずそうに答えた。

「雨が降ると、その辺りから水が落ちます」

「穀倉だけでなく、領主館も雨漏りするのか」

「申し訳ございません」

「村長が謝ることではありません。俺が寝る場所より、食料を置く場所を先に直しましょう。こちらはしばらく桶で受ければ済みます」

 フェリクスが窓枠を押しながら、呆れたように言った。

「マティアス様がこの館をご覧になったら、すぐに大工を送れとおっしゃるでしょうね」

「その前に穀倉を見せれば、そちらを先に直せと言うはずです」

「どちらも直せ、と言われると思います」

「それもそうだな」

 俺は机の前へ立った。

 ここが今日から、俺が朝を迎え、領地の報告を聞く場所になる。

 立派ではない。椅子は壊れ、屋根から雨が入り、扉も傾いている。

 それでも、俺の判断によって千二百人ほどの暮らしが変わる場所だった。

 そう思うと、戦場で剣を握った時とは違う重さが胸に沈んだ。

 午後からは、村長と各仕事の責任者を館へ集めた。

 机の上へ紙を広げ、今日見た問題を書き出していく。

 穀倉の屋根と傷んだ穀物。水車の水路と軸。崩れた山道。兵舎。軍用物資を保管できる倉。訓練場。鉄鉱床の権利。木材や木炭を売るための道と荷車。

 全て必要だが、全てを同時に始めれば、どれも終わらない。

「最初に穀倉の屋根を塞ぎます。次に、水車の水路から土砂を取り除く。同時に山道の危険な場所を調べ、修理する順番を決める。兵舎は十人が安全に寝られる場所を先に直してください」

 村長が紙の上を見ながら尋ねた。

「新しい兵舎を建てるのは、後でよろしいのでしょうか」

「はい。百人を集めるために、領民の食料や家を奪っては本末転倒です。軍用物資を保管する場所も必要ですが、置く物によって適した場所が違います。こちらは、兵たちに調べさせます」

「修理に出す人手は、各家から一人ずつでよろしいですか?」

「無償で出させるつもりですか?」

 俺が尋ねると、村長は困った顔をした。

「これまでは領主の仕事で人手が必要な時、各家が日数を決めて出しておりました」

「畑の仕事がある時でも?」

「命令があれば、出すしかありません」

 それでは、道を直すために畑を放置し、次の税を納められなくなる者が出る。

 領主のために働かせ、そのせいで収穫が減り、税を払えなければ罰する。そんなことを続ければ、領民が豊かになるはずがない。

「今回は、働いた日数に応じて賃金を出します。銀貨で払えない分は、今年の税から差し引く方法も認めます。ただし、誰が何日働いたかを必ず記録してください」

 村長だけでなく、集まった者たち全員が驚いた顔をした。

「税を、減らしていただけるのですか?」

「働いた分を別の形で納めたと考えます。何もせずに減らすわけではありません」

 前世の公共事業のような大規模なことはできない。

 だが、道や水車を直すために支払った賃金が領民の手へ渡り、その金で必要な物を買えば、村の中でも金が動く。道が直れば商品を運べるようになり、通行税も戻る。

 もっとも、前世の仕組みをそのまま持ち込めるわけではなかった。

 この領地には、十分な銀貨が流通していない。税の免除ばかりにすれば、今度は兵を養えなくなる。修繕に参加できない老人や病人のいる家だけが不利になる可能性もある。

 だから、実際のやり方は村の事情を知る者に考えてもらう必要がある。

「村長は、各家の畑仕事と人数を確認してください。粉挽き職人は水路と水車の修理に必要な人数と材料を出す。木工職人は穀倉と兵舎の修理を調べる。山道は、普段そこを通る木こりと荷車の御者に危険な場所を挙げてもらってください」

「領主様は、どの仕事をご覧になるのでしょうか」

「最初は全て確認します。しかし、毎日俺が横に立っていなければ進まない仕事にはしません。それぞれの責任者が、朝か夕方に進み具合と問題を報告してください。判断が必要なものだけ、俺が決めます」

 粉挽き職人が、おそるおそる口を開いた。

「私が水路の仕事を任されたとして、領主様の考えと違う方法を取ってしまった場合は、罰せられるのでしょうか」

「理由を説明できるなら、罰しません。俺はこの土地の水の流れを、あなたほど知りません。俺の案よりよい方法があるなら、そちらを使ってください。ただし、勝手に人数や費用を増やさず、先に報告すること。それと、失敗を隠さないことです」

 失敗をした者を片端から罰すれば、次からは誰も失敗を報告しなくなる。

 報告がなければ、同じ失敗を何度も繰り返す。

 火縄銃でも、領地経営でも、その点は変わらないはずだ。

 話し合いが終わる頃には、窓の外が赤く染まり始めていた。

 村の広場では、俺たちが持ってきたパンや干し肉と、村人が用意していた野菜の煮込みが並べられた。

 酒樽は開けず、戦が終わった祝いとして後日、村人たちだけで飲んでもらうことにした。

 俺は村長やギルベルトたちと同じ長机に座った。

 領民たちはまだ俺を警戒している。しかし、到着した時よりは、こちらを見る目から硬さが少し消えていた。

 食事の途中、村長から税の滞納について報告を受けた。

「税を納めていない家が、十四戸あります」

「理由は分かっていますか?」

「山道が悪くなり、木炭や蜂蜜を売れなくなった家が多くございます。中には、働ける者が病で倒れた家もあります。ただ……払えるのに払わない者がいないとは申し上げられません」

「一軒ずつ調べてください。払えない者と、払わない者を同じに扱うつもりはありません」

「滞納分は、いつまで待ちましょうか」

「今は決めません。道と水車が直れば払えるようになる家もあるでしょう。まず、何が原因かを確認します」

 税を全て許せば、真面目に払った者が損をする。

 逆に、事情を無視して取り立てれば、家畜や種麦を失い、来年はさらに払えなくなる。

 優しさだけでも、厳しさだけでも領地は回らない。

 前世で見てきた仕事でも、数字の後ろには必ず理由があった。

 売上が落ちた。納期が遅れた。費用が増えた。

 結果だけを見て担当者を叱っても、原因が分からなければ次も同じことが起きる。

 食事を終えた後、俺は領主館へ戻った。

 館の中では、ギルベルトの部下二人が交代で木箱を見張っていた。

 村長たちへは、戦で使った重要な軍用物資だとだけ説明している。

 それで納得したかは分からないが、領主館の一室へ無断で入ろうとする者はいなかった。

 火薬を入れた箱は、館から少し離れた石造りの小屋へ移している。その小屋も仮置きにすぎず、長く使うなら安全な保管場所を新しく考えなければならない。

 俺は木箱の錠を確かめてから二階へ上がった。

 寝室の寝台には新しい藁が敷かれていた。村人が急いで用意してくれたらしい。

 桶の置かれた部屋で横になると、慣れない天井が見えた。

 今日だけで、直すべきものがいくつも見つかった。

 それでも、全てを自分で直そうとは思わなかった。

 俺が屋根へ上り、水路の土砂を掘り、山道へ石を積み、兵舎の寝台を直していたら、領主として決めるべきことが止まってしまう。

 誰に何を任せ、どこまで任せ、何を報告させるか。

 剣を振るうよりも、そちらの方が難しいのかもしれない。

 翌朝、俺は日の出前に目を覚ました。

 顔を洗って一階へ下りると、執務室にはすでに村長と三人の職人が待っていた。

 最初の報告は、穀倉の屋根だった。

「大きな穴は三か所です。昨日お借りした布で塞ぎました。板を張り替えるなら、乾いた板が二十枚ほど必要になります」

「村の中にありますか?」

「全てはありません。十枚なら用意できます。残りは近くの集落から買うか、新しく切った木を乾かす必要があります」

「近くの集落に余裕があるか確認してください。無理に持ってこさせないように。値段も記録してください」

 水路については、土砂が溜まっている範囲を調べるため、朝から六人が上流へ向かったという。

 山道には、木こり二人と御者一人が出た。昨日荷車が沈んだ場所だけでなく、橋や斜面も確認する予定だった。

 俺は必要な判断を下し、それぞれの責任者へ仕事を戻した。

 その後、部屋へギルベルトだけを呼び、扉を閉めた。

「兵舎はどうですか?」

「寝台十人分は今日中に使えるようにします。見張りは二人ずつ交代させます。二つの木箱は当面、館で保管できます。ただ、人の出入りが増えれば隠し続けるのは難しいでしょう」

「分かりました。新しい保管場所と訓練場の候補を探してください。採石場の跡があると聞きましたが、村や街道から見えないかも確認するように」

「承知しました。新兵の候補については、村長から若者の名を聞きます。ただし、武器のことは話していません」

「そのままでお願いします。読み書きのできる者が少なければ、教えることも訓練に含めましょう」

 朝の報告が終わると、俺は簡単な食事を取った。

 その後、フェリクスとともにベルグハーフェンへ向かう。

 ギルベルトはアイヒェン村へ残り、兵舎の整備と新兵選抜の準備、秘密の訓練場所の調査を進める。

 昨日通った山道では、すでに木こりたちが斜面を調べていた。俺がいなくても仕事が進んでいることに、少し安心する。

 ベルグハーフェンへ着いたのは、昼前だった。

 クレーマー商会の建物へ入ると、マティアスは商人たちから報告を受けているところだった。

 机の上には、橋を渡った荷車の数、倉に残る兵糧、貸し付けた金額、戦で失われた馬や車輪の数まで記された紙が積まれている。

 ベルグハーフェンの領主になっても、マティアスの仕事が減ったようには見えなかった。

「戻ったか、若き領主殿」

 俺に気づいたマティアスが、からかうように言った。

「その呼び方はやめてください」

「昨日一日で領地を豊かにしてきたのではないのか?」

「昨日一日で、直す場所が増えました」

「増えたのではない。見えていなかったものが見えただけだ」

「俺も同じことを考えていました」

 俺はアイヒェンタールで確認した内容を報告した。

 山道、水車、穀倉、兵舎、税の滞納、鉄鉱床の権利。そして、火縄銃を領民へ伏せたまま保管し、訓練する場所が必要なこと。

 マティアスは途中で口を挟まず、最後まで聞いた。

「領民に見せなかったのは正しい。味方だから秘密を漏らさないとは限らん。悪意がなくても、酒場で見たものを話す者はいる」

「いつまでも隠し続けることはできません」

「必要な者から知らせろ。千二百人全員に秘密を守らせるより、二十人に守らせる方がましだ」

「新兵も、最初は普通の直轄隊として集めます」

「それでいい。それで、お前はクレーマー商会に何を求める?」

「穀倉を直す板と釘、水車の軸に使える木材、山道を直す道具。それから、当面の賃金に使う銀貨を貸してください」

「いくら必要だ?」

「まだ正確な額は出せません。今、現地で必要な材料と人日を調べさせています」

「金額も分からずに金を貸せと言うのか?」

「見積もりが出る前に、使える上限を知りたいんです。その範囲で優先順位を決めます」

 マティアスは椅子の背へ身体を預けた。

「少しは領主らしいことを言うようになったな。だが、貸した金をどう返す?」

「アイヒェンタールの木材、木炭、蜂蜜、皮革をクレーマー商会に買い取ってもらいます。道を直して運び出せる量を増やし、その売上と通行税から返します」

「商会に高く買えと言うのか?」

「いいえ。ベルグハーフェンで売って利益が出る値段で構いません。ただし、領民から不当に安く買いたたかないことを条件にします」

「ずいぶんと都合がいい条件だ」

「領民が貧しくなれば、来年以降に商品を作れません。長く買い付けるつもりなら、潰さない方が商会にも得です」

 マティアスは口元を緩めた。

「その言い方なら、慈善ではなく商売として聞ける」

「商会には利益を出してもらわなければ困ります。援助だけでは、いつか打ち切られますから」

「分かっているならいい。ただし、道を直せば商品が勝手にベルグハーフェンへ来ると思うな。木炭一つ取っても、焼き方が悪ければ値は下がる。木材も太さと長さが揃っていなければ、買い手を探しにくい。蜂蜜に虫や木屑が混じっていれば、次から誰も買わん」

「品質と量を揃える必要があるということですね」

「それだけではない。いつ、どれだけ持ってくるのか。どこへ保管するのか。荷車を誰が用意するのか。帰りの荷車に何を載せるのか。空の荷車を走らせれば、その分だけ費用が増える」

 道を直すことは、始まりにすぎない。

 作った物を売るには、規格、保管、輸送、契約まで必要になる。

 俺は前世の知識を使って領地を発展させたいと思っている。

 だが、新しい物の作り方を一つ教えれば、翌日から村が豊かになるわけではない。売る場所がなければ商品は余り、材料が足りなければ続かず、品質が揃わなければ信用を失う。

「アイヒェンタールで、産物ごとの量と品質を調べさせます。クレーマー商会から、買い取れる基準を教えてもらえますか?」

「担当の商人を一人出そう。ただし、そいつは領地経営を助けるためではなく、商会が損をしないために行く」

「それで構いません。現地の者にも、相手が何を求めているのか分かった方がいい」

「修繕費については、見積もりが出てから決める。緊急の穀倉修理には先に銀貨を出す。帳簿はフェリクスに見せろ」

 フェリクスが横でうなずいた。

「鉄鉱床の契約については?」

 俺が尋ねると、マティアスは表情を引き締めた。

「契約書を持ってこさせろ。商人が採掘権を持っていたとしても、道、水、森林まで自由に使えるとは限らん。逆に、こちらが領主になったからといって、以前の契約を一方的に破れば、今度は誰もお前と契約しなくなる」

「内容を確認するまでは、採掘も止めない方がいいですね」

「危険がない限りはな。相手が証拠を隠す前に、契約書とこれまでの支払い記録を押さえろ」

「分かりました」

 報告を終えた俺は、クレーマー商会を出てロルフの工房へ向かった。

 扉を開けると、金属を叩く音と熱気が押し寄せてくる。

 工房の奥では、ロルフが不発になった二挺を別々の作業台へ置いていた。部品は取り外され、布の上へ順番に並べられている。

「領主様のお出ましか」

 ロルフは手を止めずに言った。

「あなたまで、その呼び方をしないでください」

「領地をもらったのは事実だろう。それとも、返してきたのか?」

「返してはいません。二挺の原因は分かりましたか?」

「分かったとは言っていない。怪しい場所が見つかっただけだ」

 ロルフは片方の鉄筒を持ち上げた。

「こっちは点火孔の周りに煤と燃え残りが溜まっていた。細い棒を通せば穴は開いているが、戦場では火皿の火が十分に筒の中へ届かなかった可能性がある」

「清掃が足りなかったのでしょうか」

「それもある。だが、前に撃ってから何発目だったか、どれだけ時間が空いたか、兵が移動中にどちらを上へして持っていたかでも変わる。点火孔の形が少し狭い可能性もある」

 ロルフはもう一挺を指した。

「こっちは火蓋と火皿の合わせが悪い。工房で見れば、使えないほどではない。だが、雨の後で湿気があり、走ったり伏せたりしたなら、火皿の細かな火薬が片側へ寄ったかもしれん」

「二挺は、別の原因ですか?」

「同じ原因でない可能性が高い。ただし、どちらも一つの原因だけで不発になったとは限らん。部品の形、煤、湿気、火薬の置き方、兵の動かし方。そのどれか一つが少し悪くても撃てたかもしれんが、二つ三つ重なれば撃てなくなる」

 戦場では、不発になった瞬間しか見えなかった。

 引金を引いても火縄が落ちない。あるいは火縄が火皿へ落ちても、弾が出ない。

 だが、その瞬間より前に原因が積み重なっている。

「直せますか?」

「直すだけなら難しくない。点火孔を掃除し、火皿と火蓋を合わせ直せばいい。だが、同じことが別の銃で起きないようにする方が面倒だ」

「清掃と検査の手順を決めましょう」

「手順を増やせば、兵が全部守ると思うのか?」

「守れない手順なら減らす必要があります。最低限、いつ何を確認するかを決めたいです」

 俺は作業台の横にあった紙を取り、フェリクスから借りた筆記具で項目を書き始めた。

 訓練の前。射撃の後。雨や川を渡った後。戦場へ運ぶ前。

 毎回全てを分解することはできないが、点火孔、火皿、火蓋、火縄、引金、ばね、掛け金、鉄筒の中は確認できる。

「不発になった時の手順も必要です」

「すぐに銃口を覗かないことだ」

「遅れて発火する可能性があるからですね」

「ああ。火縄を安全な位置へ上げ、銃口を敵や味方へ向けず、しばらく待つ。火皿だけが燃えたのか、筒の中まで火が入ったのか、音と煙も見ろ。慌てて次の火薬を入れれば、筒の中に火が残っていた時に顔を焼く」

「ギルベルトにも伝えます。訓練へ組み込ませます」

 ロルフは俺の書いた紙を見た。

「八挺が撃てたから成功だと言って終わらせるよりはましだな」

「八挺を次も撃てるようにするために、二挺の失敗が必要です」

「失敗する前に分かれば、もっとよかったがな」

「それは否定できません」

 ロルフは鼻を鳴らした。

「もう一つある。次に五十挺を作るつもりなら、今までと同じやり方では検査が追いつかん」

「職人を増やすだけでは駄目ですか?」

「増やせば、形の違う部品が増える。十挺でも、俺が基準の一挺と比べて部品を削り直した。五十挺、百挺となれば、作る職人だけでなく、途中で測る者と、完成品を検査する者が要る」

「部品の大きさを揃えるための型は使えませんか?」

「小さな金具なら使える。鉄筒は同じ型へ入れれば同じものができるほど簡単ではない。鍛える者によって厚みも歪みも違う。鋳型へ流し込めば数は作れるかもしれんが、中に穴や亀裂が残れば撃った時に破裂する」

「鉄筒は鍛造を基本にして、小さな部品から型を使う」

「試すならな。それと、火薬を扱う場所を鍛冶場の隣に置くな。火縄銃だけを作る場所を建てるなら、そこから考えろ」

 専用の工場。

 レオンハルトがどこまで考えているかは分からないが、火縄銃を自軍だけでなく、アルベルトへの販売や、将来の他勢力への供給まで考えるなら、ロルフの工房だけでは足りなくなる。

 鉄、木材、職人、住居、倉、警備、輸送路。

 アイヒェンタールで見つけた問題に加えて、さらに大きな仕事が近づいている。

「まず、不発二挺の記録をまとめてください。工場については、マティアス様と相談します」

「俺は工場を建てるとは言っていない」

「建てることになった時に、できない理由を全て教えてください」

「できない理由なら、いくらでもある」

「それを一つずつ解決します」

「簡単に言うな」

「俺一人では解決しません。クレーマー商会全体に働いてもらいます」

 ロルフは呆れたように俺を見た。

「領主になって、他人へ仕事を押しつけることを覚えたか」

「任せると言ってください」

「同じことだ」

 工房を出る頃には、日が西へ傾き始めていた。

 俺はフェリクスと馬を走らせ、再びアイヒェンタールへの山道へ入った。

 昨日荷車が沈んだ場所では、道の山側に浅い溝が掘られていた。斜面から流れた水を逃がし、路面へ集まらないようにするためのものらしい。

 崩れた路肩の本格的な修理はまだだが、次の雨で被害が広がるのを防ぐ作業は始まっている。

 アイヒェン村へ戻ると、領主館の前でギルベルトが待っていた。

「お戻りになりましたか」

「何か問題がありましたか?」

「問題というほどではありません。報告がいくつかあります」

 執務室へ入ると、村長たちも集まってきた。

 穀倉では、濡れた袋の確認を始めたという。全体の一割ほどは広げて乾かす必要があり、そのうち食用に戻せないものがどれだけあるかは、明日までに見積もれるらしい。

 水路からは、荷車二台分の土砂と枝を取り除いた。水の流れが少し強くなり、水車の回転も昨日より安定している。

 山道では、昨日の場所を含めて危険な箇所が五つ見つかった。橋の一本は、見た目よりも床板の腐食が進んでいるという。

 兵舎では十人分の寝台を直し、鼠の穴を塞いだ。ギルベルトたちは今夜からそこで眠れる。

「新兵の候補は?」

 村長がいる間は、俺も一般的な内容だけを尋ねた。

「読み書きのできる者が三人、鍛冶仕事を手伝った経験のある者が二人、木工職人の息子が一人いると聞きました。狩人や木こりにも声を掛けます」

「本人の意思も確認してください。領主の命令だからと、家の働き手を無理に連れてこないように」

「志願者だけで三十人集まらなかった場合は?」

「兵になることで得られる食料と扶持、身につけられる技能を説明してください。それでも足りなければ、周囲の集落へ広げます」

 俺が留守にしていた間にも、領地の仕事は進んでいた。

 水路から土砂を一掻きするたびに俺の許可を求められていたら、ベルグハーフェンへ行くことなどできない。

 任せた者が判断し、結果と問題だけを報告する。

 まだ始まったばかりだが、この形を作らなければ、領地と火縄銃とクレーマー商会の仕事を同時に進めることは不可能だ。

「もう一つ、お預かりしたものがあります」

 村長が、一通の手紙を差し出した。

 封蝋に刻まれている印を見て、俺は姿勢を正した。

 エリーゼからだった。

 戦の間は、手紙を書く余裕がほとんどなかった。

 以前、俺がアルベルトにだけ手紙を書き、エリーゼへ書かなかったことで、彼女を怒らせてしまった。その後は誕生日を祝う手紙を送り、次に会う時までに贈り物を考えると約束した。

 林檎の花の髪飾りは、すでに俺の荷物の中にある。

 渡す覚悟はできている。

 問題は、いつ会えるのかだった。

 俺は報告を終えた者たちを帰し、執務室で手紙を開いた。

『アレクへ。

 新しい領地を預かったと叔父上から聞きました。

 お祝いを申し上げるべきなのでしょうが、驚きの方が先に来てしまいました。少し前まで、あなたは戦場へ行くことさえ迷っていたのに、今では領地と百人の兵を預かる立場になったのですね。

 叔父上に詳しいことを尋ねても、これから苦労するだろう、と笑うばかりでした。あの笑い方をしている時の叔父上は、たいてい何かを知っていても教えてくださいません。

 領主になったあなたを想像しようとしました。

 立派な椅子に座り、難しい顔で書類を読んでいる姿は浮かびました。けれど、あなたはそのうち椅子から立ち上がり、自分で外へ見に行ってしまいそうです。

 きっと、想像の中でも忙しい人なのでしょう。

 私は最近、領地の収穫や家々の支出について書かれた帳面を読む練習をしています。数字が並んでいるだけに見えますが、叔父上は、数字の後ろにいる人を見なければならないとおっしゃいました。

 難しくて、まだよく分かりません。

 それでも、あなたが今見ているものへ少しでも近づけるなら、学んでみたいと思っています。

 叔父上のもとでの暮らしは、大きく変わっていません。

 ただ、以前より会議に呼ばれる方が増え、廊下ですれ違う人々の顔が険しくなりました。戦が終わっても、全てが元どおりになるわけではないのですね。

 あなたも、これから多くの人に領主様と呼ばれるのでしょう。

 そのことを嬉しく思う一方で、少しだけ遠くへ行ってしまったようにも感じます。

 手紙の中では、これまでどおりアレクと呼んでもよいでしょうか。

 あなたも、私への手紙では、難しい報告ばかりを書かないでください。

 領主になったからといって、以前より遠い人にならないでほしいと思っています。

 エリーゼ』

 俺は最後の一文を読み、しばらく手紙を置けなかった。

 領地を与えられた時、最初に感じたのは責任の重さだった。

 領民の税、兵の食料、山道、水車、穀倉。

 自分の立場が上がったことより、失敗した時に困る人間が増えたことばかりを考えていた。

 だが、エリーゼから見れば、俺は遠くへ進み始めたように見えるらしい。

 実際には、雨漏りする館で壊れた椅子を使い、濡れた麦の量を数えているだけなのだが、それを彼女は知らない。

 俺は新しい紙を取り出した。

『エリーゼへ。

 手紙をありがとうございます。

 領主になったと聞いて驚いたのは、私も同じです。論功行賞へ出た時には、領地や百人の兵を預かることになるとは考えていませんでした。

 今いる領主館には、立派な椅子はありません。執務室の椅子は背が割れ、寝室は雨漏りしています。部屋の隅には雨水を受ける桶があり、雨の夜には役に立つそうです。

 あなたが想像したように、私は椅子へ座った後、すぐに外へ出ました。

 山道は崩れ、水車は軋み、穀倉へ雨が入り込んでいました。帳面には麦があると書かれていても、濡れて食べられなくなっていれば、そこに食料はありません。

 アルベルト様がおっしゃった、数字の後ろにいる人を見るという言葉を、私も今になって少し理解し始めています。

 けれど、全てを自分で直そうとすれば、何も終わらないことも分かりました。

 今日は、水路を直す者、穀倉を見る者、山道を調べる者に仕事を任せ、私はベルグハーフェンへ行きました。夕方に戻ると、私がいない間にも水車の流れが少し戻り、兵舎の寝台が直っていました。

 誰かに任せることは、何もしないことではないのですね。

 何を任せ、何を報告してもらい、どこで自分が決めるのか。今は、それを学んでいます。

 あなたが帳面を読む練習をしていると知り、驚きました。

 もし私より早く数字の後ろにいる人を見つけられるようになったら、次に会った時に教えてください。

 手紙の中で、これまでどおりアレクと呼んでください。

 私も、あなたに領主としての報告だけを書くつもりはありません。

 今日、この館へ戻ってあなたの手紙が置かれているのを見た時、ここが少しだけ自分の帰る場所になったように感じました。

 領主になっても、私は私です。

 あなたから遠い人になったつもりはありません。

 エリーゼが最近学んでいることや、難しいと思ったことも、また教えてください。うまくできたことだけでなく、失敗して悔しかったことも知りたいです。

 次の手紙を待っています。

 アレク』

 最後に自分の名を書き、筆を置いた。

 窓の外を見ると、水車の方角に灯りが見えた。

 職人たちが、今日取り除いた土砂と水の流れを確認しているのだろう。兵舎の前にも小さな灯りがあり、ギルベルトたちが交代で見張りに立っている。

 館の別の部屋では、二つの木箱に収めた八挺の火縄銃が、外から見えないまま次の出番を待っている。

 領民の多くは、あの箱の中に何があるのかを知らない。

 今は、それでよかった。

 秘密を守りながら兵を育てることも、領民に不要な恐怖や期待を与えないことも、俺の仕事になる。

 明日の朝、俺はここで領地の報告を聞く。

 必要な判断を下した後はベルグハーフェンへ向かい、火縄銃とクレーマー商会の仕事をする。そして夕方には再び山道を通り、ここへ帰ってくる。

 毎日が同じになるとは限らない。

 戦が始まれば領地を離れなければならず、マティアスやレオンハルトに呼ばれれば、遠くへ向かうこともあるだろう。

 それでも今は、この雨漏りする館が俺の帰る場所になった。

 領民の暮らしを守る領主として。

 火縄銃を扱う百人を育てる指揮官として。

 クレーマー商会に仕えるマティアスの配下として。

 そして、一日の終わりにエリーゼへ手紙を書く、十六歳のアレク・ハルトマンとして。

 帳簿には、税と穀物と兵の数しか書かれていない。

 だが、その数字の外側には、軋む水車があり、濡れた麦があり、崩れた道があり、そこで暮らす人々がいる。

 俺が預かったのは、紙の上の小領地ではない。

 明日の朝も腹を空かせ、働き、笑い、眠る人々の暮らしそのものなのだ。

第二話を読んでいただき、ありがとうございました。

アイヒェンタールへ入ったアレクは、傷んだ山道や水車、穀倉と向き合いながら、全てを自分で抱えず、現地の者へ仕事を任せる領地経営を始めました。

同時に、火縄銃の秘密を守ったまま百人の部隊を育てる準備や、不発となった二挺の調査も進み始めています。再開したエリーゼとの文通も含め、領主、指揮官、マティアスの配下という複数の役割を担うアレクの日々を描いていきます。

次回は、領地の修繕と産業づくりを部下たちへ任せながら、火縄銃の増産を現実のものにするための新たな課題へ踏み込みます。

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