第一話 褒美の重さ
シュヴァルツ伯軍を退け、グリュン川大橋と兵糧を守り抜いたレオンハルト軍。
戦後の論功行賞で、マティアスとアレクには、これまでの立場を大きく変える恩賞が告げられます。
戦に勝った翌朝も、橋の周囲から血の匂いは消えていなかった。
夜のうちに死体の多くは運び出されていたが、踏み荒らされた土には黒ずんだ跡が残り、折れた槍や砕けた盾が道の脇へ積まれている。生き残った兵たちは勝利を喜ぶより先に、負傷者を運び、崩れた柵を直し、散らばった矢を拾い集めていた。
グリュン川大橋の上でも、守備兵と職人たちが慌ただしく動いている。
橋そのものに大きな損傷はない。それでも、馬や荷車が何度も往来し、敵兵まで押し寄せたのだ。石の継ぎ目、欄干、橋詰めの柵を一つずつ確かめなければならない。
勝ったからといって、何もかもが元通りになるわけではなかった。
「八挺、異常なし」
火槍兵長が、敷物の上へ並べた火縄銃を見下ろしながら報告した。
十挺のうち、最後まで使えた八挺だ。
銃身についた煤は落とされ、木台や金具も布で拭かれている。それでも、戦場で使う前とまったく同じ状態には見えなかった。木台には細かな傷が増え、火皿の周囲には黒い汚れが残っている。
「本当に異常はありませんか?」
「少なくとも、我々が確かめられる範囲では」
慎重な答えだった。
以前なら、それを頼りないと感じたかもしれない。だが、今は違う。分からないことを分かったふりで報告される方が怖い。
「ばねと掛け金は?」
「動きます。火縄を挟む金具にも歪みはありません。ただ、三番の火蓋が少し緩くなっています」
「撃てなくなるほどですか?」
「今すぐではありません。しかし、このまま使い続ければ、勝手に開くようになるかもしれません」
「記録しておいてください。ロルフにも見てもらいます」
「承知しました」
俺は八挺の横へ視線を移した。
そこには二つの木箱が置かれている。不発を起こした二挺は、他の火縄銃と混ざらないよう別々に収めてあった。
一挺は西側の攻防で、もう一挺は中央で使えなくなった。
同じ不発でも、原因が同じとは限らない。
点火孔に煤が詰まったのかもしれない。湿気が入ったのかもしれない。火皿の火薬へ火が移っても、その火が筒の中まで届かなかった可能性もある。兵が装填のどこかで手順を誤ったことも考えられる。
戦場で起きたことを思い返しても、一つには絞れなかった。
「二挺は、このままロルフの工房へ運びます」
「掃除はしなくてよろしいのですか?」
「外側の汚れを落とすだけにしてください。点火孔や火皿の内側は触らないでください」
掃除をすれば、詰まりや汚れまで消してしまうかもしれない。
直してから原因を考えるのでは遅い。どのような状態で不発が起きたのかを残しておかなければ、次も同じ失敗をする。
「分かりました」
兵長が答え、近くにいた兵へ指示を出した。
二挺が不発。
十挺しかない中での二挺だ。
割合だけを見れば五挺に一挺が、必要な時に撃てなかったことになる。
最初の交戦では、敵兵約四百人を退けた。
第一班の五挺を撃った後、敵の指揮官は、火槍は五つしかなく、次の射撃は来ないと判断した。そこへ第二班の五挺が撃ち、弾の一発が指揮官へ命中した。
敵兵四百人を十挺で倒したわけではない。
指揮官を失わせ、四百人を一時的に戦えなくしただけだ。
それでも大きな戦果ではある。
だが、その後の戦いでは、煙で前が見えなくなり、装填が遅れ、命令を聞き違えた兵もいた。槍兵がいなければ、装填中に敵へ踏み込まれていた場面もあった。
最後に橋を守った時は、八挺を撃ってすらいない。
敵へ見せることで警戒させ、槍兵、弓兵、騎兵、守備隊と合わせて後退させた。
火縄銃が強かったのではない。
使える状況を作り、他の兵と組み合わせたから役に立った。
「また難しい顔をしているな」
後ろから聞こえた声に振り返る。
マティアスが、フェリクスを伴ってこちらへ歩いてくるところだった。
「難しいことを考えていたので」
「何を」
「二挺の不発です」
「四百を退けたことではなく?」
「そちらは終わったことですから」
「不発も終わったことだろう」
「原因を残したままなら、終わっていません」
マティアスは八挺の火縄銃と、二つの木箱を順に見た。
「ロルフへ送るのか」
「はい。なるべく使った時の状態を残してあります」
「何日掛かる」
「調べてみなければ分かりません」
「直せるか」
「それも、まだ」
俺が答えるたび、マティアスの眉が僅かに動いた。
「何です?」
「少しは学んだようだな」
「何をですか」
「分からない時に、分からないと答えることをだ」
「前から答えていたと思いますけど」
「前のお前なら、聞いてもいない可能性を十ほど並べていただろう」
「今も頭の中にはありますよ」
「口へ出さなくなっただけ成長だ」
褒められている気がしない。
「それで、何の用ですか?」
「呼びに来た」
「誰を?」
「お前をだ」
「どこへ?」
「論功行賞だ」
「ああ」
昨日、ユリウスから話を聞いていた。
戦が終われば、誰がどの働きをしたのかを確かめ、それに応じて恩賞を決める。兵へ渡す金や食料の量、昇進、今後の役目なども、この場で定められるらしい。
「マティアス様の論功行賞ですよね」
「俺だけではない」
「商会の人たちも?」
「それもある」
マティアスは俺を見た。
「お前も来い」
「俺も?」
「最初からそう言っている」
「俺は火縄銃を作って、戦場へ持ってきただけですけど」
「それを働きと呼ぶ」
「作ったのはロルフたちです」
「金と材料を集めたのは商会だ」
「兵を出したのはレオンハルト殿下です」
「実際に撃ったのはそこの十人だな」
「はい」
「それでも、最初に作ると言い出したのはお前だ」
「そうですが」
「なら、お前の働きが消えるわけではない」
マティアスは火縄銃の一挺へ手を伸ばしかけ、触れる前に止めた。
「一人で作ったと思い上がるな。だが、自分は何もしていないと逃げることも許さん」
「逃げているつもりはありません」
「なら来い」
短く言い切ると、マティアスは先に歩き出した。
フェリクスが俺へ小さく頭を下げ、その後を追う。
俺は火槍兵長を見る。
「ここをお願いします」
「承知しました」
「二挺を運ぶ者には、落とさないよう念を押してください」
「既に三度言ってあります」
「では、もう一度」
兵長が僅かに笑った。
「アレク殿も、行ってください。殿下方を待たせる方が、箱を落とすより恐ろしい」
「それもそうですね」
俺は八挺の火縄銃をもう一度見てから、マティアスたちの後を追った。
◇ ◇ ◇
論功行賞が行われたのは、橋の東側にあるローゼンハイム男爵の館だった。
会議室には、レオンハルト、ユリウス、マティアスのほか、今回の戦に関わった何人かの騎士や兵站担当者が集まっている。
ライゼン将軍の姿はない。
王都軍はレオンハルト軍と完全に一つになったわけではなく、戦後もそれぞれの指揮系統を保っている。ライゼン将軍は王都軍の負傷者や捕虜、退却した敵への警戒を優先していた。
同じ敵を退けても、一つの軍になったわけではない。
それは戦が終わった後も変わらなかった。
「揃ったな」
レオンハルトの声で、室内の話し声が止まった。
机の上には地図と、何枚もの報告書が置かれている。
「まず確認しておく」
レオンハルトは集まった者たちを見回した。
「我々は勝った」
何人かの騎士が僅かに胸を張った。
「だが、シュヴァルツ伯を討ち取ったわけでも、捕らえたわけでもない。その主力のすべてを失わせたわけでもない」
すぐに空気が引き締まる。
「ヴァルナーも退いたにすぎん。橋を渡って追えば、こちらが損害を受けた可能性もある」
勝利を大きく見せる言葉ではなかった。
「今回残ったものは何だ」
唐突な問いに、室内が静まった。
誰へ向けた質問なのか分からない。
俺が黙っていると、レオンハルトの目がこちらを向いた。
「アレク」
「俺ですか?」
「聞こえなかったか」
「聞こえました」
「なら答えろ」
どうしてこういう時、俺へ振るのだろう。
少し考える。
「橋です」
「それだけか」
「倉と兵糧。帰還路。負傷者を運ぶ道。それから、戦える兵です」
「火縄銃は?」
「八挺残りました」
「十挺ではないのか」
「二挺は不発です。直せるかどうかは、ロルフが調べなければ分かりません」
「敵を退けた勝利は?」
「残りました」
「では、何が残らなかった」
「シュヴァルツ伯を倒したという結果です」
レオンハルトが僅かに笑った。
「その通りだ」
視線が俺から離れる。
「我々が得たのは、シュヴァルツ伯を滅ぼした勝利ではない。橋と倉と兵糧、そして次に戦える力を残した勝利だ」
レオンハルトは机の地図を指で叩いた。
「王都軍と我が軍は、最後まで別の軍だった。命令も一つではない。互いに疑い、相手が本当に動くか確信も持てなかった」
その通りだった。
俺たちは使者、書状、角笛、時刻、目視確認を使い、同時に動いただけだ。
「それでも動けたのは、道があり、馬があり、伝令がいたからだ。腹を空かせた兵を立たせておく兵糧があり、負傷者を運ぶ荷車があったからだ」
火縄銃という言葉は出てこない。
だが、それでいい。
「敵指揮官を撃った新たな火槍も働いた。槍兵も、弓兵も、騎兵も働いた。橋を守った兵も、倉で袋を数えた者も、荷車の車輪を直した職人もだ」
レオンハルトの声が低くなる。
「どれか一つを勝因と呼べば、次の戦でその一つに頼る愚か者が出る。今回の勝利は、すべてが同じ時刻に間に合った結果だ」
俺はその言葉を頭の中で繰り返した。
すべてが同じ時刻に間に合った。
戦場へ着かなければ、どれほど優れた武器も役に立たない。兵糧も、兵も、命令も同じだ。
論功行賞は、最初に現場の兵や騎士たちから行われた。
負傷者への見舞金。死者の家族へ渡す金と食料。敵の攻撃を受けながら倉を守った兵の昇進。伝令として何度も戦場を往復した者への褒賞。
華々しい話ばかりではない。
誰へ、何を、どれだけ渡すのか。
その一つ一つに理由が付けられ、ユリウスが記録していく。
褒美を渡すにも、記録が必要なのだ。
やがて、レオンハルトが一枚の書状を手に取った。
「マティアス・クレーマー」
「はい」
マティアスが一歩前へ出る。
「今回、クレーマー商会は兵糧、荷車、馬、職人を集め、グリュン川大橋と周辺の倉を維持した。敵の接近後も輸送を止めず、撤退が必要となった場合の経路まで用意した」
「商会として請け負った仕事です」
「その代金は既に払っている」
「では、それで十分かと」
「十分ではない」
レオンハルトは書状を机へ置いた。
「ベルグハーフェンを、お前の領地として認める」
室内が静まり返った。
俺も、すぐには意味を理解できなかった。
ベルグハーフェン。
河川輸送と交易の要衝であり、クレーマー商会の本拠でもある町だ。
マティアスは驚いた顔をしない。
ただ、目が少しだけ細くなった。
「どこまでを含みます」
最初に出たのは、喜びの言葉ではなかった。
「町と東西の河港。周囲十二村。既存の街道と河川倉。北の丘陵地の一部までだ」
「河港の使用権は」
「現在の商人たちの権利を引き継がせる。勝手に取り上げることは認めん」
「通行税は」
「従来の税率を上限とする。変更には届け出を出せ」
「王家が持つ倉は」
「王家のものだ。管理は任せるが、売ることは許さん」
「兵役は」
「平時百五十。戦時は状況に応じて追加する」
「税は」
質問が続く。
土地をもらった直後の人間とは思えない。
だが、領地とは地図の上を線で囲んだものではない。そこには既に暮らしている人がいて、商いがあり、契約があり、税がある。
分からないまま受け取れば、後で必ず問題になる。
レオンハルトも嫌な顔をせず、一つずつ答えた。
「ほかには」
「ベルグハーフェンに属する債務と、未完の契約を確認したい」
「ユリウス」
「一覧を用意しております」
ユリウスが厚い書類の束を机へ置いた。
マティアスはその厚みを見ても表情を変えない。
「分かりました」
「受けるか」
「受けます」
「随分と簡単だな」
「断れば、別の者がベルグハーフェンの領主になるのでしょう」
「ああ」
「クレーマー商会の本拠を、商いを知らない貴族へ渡すわけにはいきません」
マティアスらしい理由だった。
「それだけか?」
「領主としての権限があれば、これまで出来なかったことも出来ます」
「何をする」
「まだ申し上げる段階ではありません」
レオンハルトが笑った。
「よかろう」
ユリウスが書状をマティアスへ渡す。
マティアスはそれを両手で受け取った。
この瞬間、二人の関係が変わった。
これまでのマティアスは、レオンハルトの兵站を請け負い、金を貸し、人や物を用意する商人だった。互いに必要だから利用し合う関係だった。
だが今、マティアスはレオンハルトの許可によって領地を持った。
単なる取引相手ではない。
だからといって、すべてを捨てて忠誠を誓った家臣とも少し違う。
商人であり、領主でもある。
その立場が、今後何を生むのか。俺にはまだ分からなかった。
「次だ」
レオンハルトが言った。
「アレク・ハルトマン」
「はい」
反射的に返事をしてから、周囲を見た。
「前へ出ろ」
「俺もですか?」
「お前以外に、ここにアレク・ハルトマンがいるのか」
「いませんけど」
「なら前へ出ろ」
マティアスの隣へ立つ。
何を言われるのだろう。
火縄銃の製作費を追加で認める。あるいは、不発二挺の調査を命じる。その程度だと思っていた。
レオンハルトではなく、マティアスが俺を見た。
「アレク。お前に土地を与える」
「……はい?」
聞き間違えたのかと思った。
「土地ですか?」
「そう言った」
「畑を?」
「領地だ」
「誰に?」
「お前にだ」
俺はレオンハルトを見る。
レオンハルトは面白そうにこちらを見ている。
「マティアス様」
「何だ」
「ベルグハーフェンの領主になったばかりですよね」
「ああ」
「もう領地を分けるんですか?」
「ベルグハーフェンに隣接する山間部だ。俺がレオンハルト殿下へ許可を求め、既に認められている」
「聞いていません」
「今、話した」
「そういう意味ではありません」
室内の何人かが笑いを堪えている。
俺は笑えなかった。
「場所は」
マティアスが地図を広げた。
ベルグハーフェンの北西。川沿いの平地から離れ、山へ入り込んだ場所を指す。
「アイヒェンタール」
「アイヒェンタール……」
「中心はアイヒェン村。周囲に六つの小集落がある」
地図を覗き込む。
大きくはない。
山に挟まれた細い谷と、その周辺の森林。道が一本、谷を抜けてベルグハーフェンへ続いている。
「人口は?」
「およそ千二百」
「農地は」
「谷間にある。豊かとは言えん」
「それでは、何で暮らしているんです?」
「木材、薪、木炭、狩猟、皮革、蜂蜜。山道を通る荷から得る通行税もある。谷の北側には小さな鉄鉱床があり、さらに北から運ばれる鉄鉱石の中継地にもなっている」
「収入は?」
「平年なら、兵百人の食料と基本的な扶持を賄える」
「百人?」
嫌な言葉が聞こえた。
「今、百人と言いました?」
「ああ」
「なぜ領地の収入を説明するのに、兵百人が出てくるんですか」
「お前に百人を預けるからだ」
今度こそ、室内が静まり返った。
いや、静かだったのは俺の頭の中だけかもしれない。
「待ってください」
「待たん」
「俺は十六歳ですよ」
「知っている」
「領地を治めたことはありません」
「それも知っている」
「百人を率いたこともありません」
「だから何だ」
レオンハルトが口を挟んだ。
「出来る者にしか、初めての仕事を与えてはならんのか」
「そうは言いませんけど」
「なら、やれ」
「簡単に言いますね」
「簡単ではないから、お前にやらせる」
どこかで聞いたような理屈だった。
マティアスを見る。
「これは褒美ですか?」
「そうだ」
「罰ではなく?」
「褒美だ」
「領地と百人を押しつけるのが?」
「欲しがる者はいくらでもいる」
「代わってもらっても」
「構わんぞ」
「本当に?」
「ただし、火縄銃と火薬を、そいつに預けることになる」
「それは困ります」
「なら、お前がやれ」
逃げ道を塞がれた。
「兵百人といっても、全員へ火縄銃を持たせるわけではない」
ユリウスが補足する。
「そもそも、火縄銃は十挺しかありません」
正確には、問題なく使えるのは八挺だ。
「では、残り九十人は何をするんです?」
「まず訓練だ」
レオンハルトが答える。
「火縄銃が完成してから兵を集め、装填の方法から教えるつもりか」
「それでは遅いですが」
「なら先に教えろ」
「木の棒で?」
「お前は以前、木で形を作っていただろう」
最初の試作品を作る際、俺は木と紙で形を考えた。
実銃がなくても、同じ大きさと重さに近づけた模擬銃を作ることはできる。火薬や弾を使わず、装填と構え、号令に合わせた動きを教えることも可能だ。
「全員が射手になる必要もない」
マティアスが地図を指した。
「槍で射手を守る者。火薬と弾を運ぶ者。火縄を管理する者。壊れた武器を後方へ送る者。見張りも必要だ」
「全員に基本は教えます」
「好きにしろ」
「ただ、実戦では役割を分けます」
「それも好きにしろ」
俺はもう一度、アイヒェンタールの地図を見る。
「兵の住居は?」
「足りん」
「足りない?」
「現在の兵舎に入れるのは四十人ほどだ」
「残り六十人はどうするんです」
「建てろ」
「費用は?」
「最初の建設費は商会から出す。維持費は領地からだ」
「食料は」
「平年なら足りると言った」
「凶作なら?」
「ベルグハーフェンから買う」
「値段が上がったら?」
「そのために倉を作る」
「百人が急に入れば、村の食料を買い尽くす可能性があります」
「最初から百人全員を移すとは言っていない」
「訓練場所は?」
「村の南に放牧地がある」
「実射は無理です。流れ弾が出ます」
「山中に使われていない採石場跡がある。背後は岩壁だ」
「火薬を置く倉は?」
「まだない」
「火縄銃を保管する場所も?」
「ない」
「領地を管理する役人は?」
「村長と徴税人がいる」
「その二人だけで?」
「だから、お前が必要な者を選べ」
「俺が不在の時は?」
「任せられる者を置け」
「山道の状態は?」
「春の雨で一部が崩れたままだ」
「直さなければ、鉄や木材を運べません」
「直せ」
問題が出るたび、マティアスは短く答える。
解決しているわけではない。
だが、何が領地の負担で、何を商会が支えるのかは分けられていた。
「火縄銃と火薬、弾、一発筒まで、アイヒェンタールの収入で払えと言われても無理です」
「それは求めん」
マティアスが即答した。
「武器と火薬は、レオンハルト殿下の軍資金とクレーマー商会から別に出す。アイヒェンタールが負担するのは、兵の食料、住居、日常の衣服、訓練場所、山道と試験場の維持。それに火縄銃、火薬、今後作る施設の警備だ」
「それでもかなり掛かります」
「だから領地を与える」
兵だけを与えられても、その兵を食べさせる収入がなければ維持できない。
領地と百人は、別々の褒美ではなかった。
一つが、もう一つを支える形になっている。
「なぜ、アイヒェンタールなんです?」
「ベルグハーフェンに近い」
「それだけですか?」
「木材と木炭がある。鉄鉱石も運ばれる。人里から離れた場所で試射が出来る。谷へ入る道が限られているから、秘密も守りやすい」
「最初から、火縄銃のために選んだ?」
「それだけではない」
マティアスが俺を見る。
「お前が領地を持てば、兵の食料を他人へ要求するだけでは済まなくなる」
「……」
「百人へ撃てと命じるなら、その百人が前日まで何を食べ、どこで眠り、どれほど歩いたかも、お前の責任になる」
返す言葉がなかった。
「兵站を学びたいのだろう」
「はい」
「なら、自分の兵を養ってみろ」
それは確かに、帳簿を眺めるだけでは分からないことだった。
税を取りすぎれば領民が苦しむ。
取らなければ兵を養えない。
兵を増やせば守りは強くなるが、食べる者も増える。訓練を増やせば練度は上がるが、その間は道や畑の仕事に使えない。
百人という数字の後ろには、百人分の食事と寝床がある。
その家族まで含めれば、責任を負う相手はさらに増える。
「俺に出来ると思いますか?」
思わず聞いた。
マティアスはすぐには答えなかった。
「分からん」
「そこは出来ると言ってくださいよ」
「なぜ嘘を言う」
「少しくらい励ましても」
「出来るかどうかは、お前がこれから決めることだ」
厳しい言葉だった。
だが、無責任に大丈夫だと言われるより、今は信じられた。
「ただし」
マティアスが続ける。
「領地を得て喜ぶより先に、食料と住居を聞いた」
「気になったので」
「だから、お前に与える」
「それだけですか?」
「それだけではない」
マティアスの目が、僅かに柔らかくなった。
「お前は、自分が撃つ武器より、それを持つ兵の失敗を先に考えた。責任者としては面倒だが、人を預けるには都合がいい」
「褒めています?」
「好きに受け取れ」
俺は地図へ目を戻した。
アイヒェンタール。
今日まで、自分には何の関係もなかった土地だ。
だが、これからは違う。
そこに住む千二百人の暮らしと、百人の兵の行く末に、俺の判断が関わることになる。
「アレク・ハルトマン」
レオンハルトが改めて名を呼んだ。
「アイヒェンタールは、マティアス・クレーマーの領地であるベルグハーフェンに付属する。お前はマティアスの配下として、これを預かる」
「はい」
「私から直接、独立した領主として与えるものではない」
「承知しています」
「兵百人も同じだ。編成と移管は私が認めるが、お前とその兵は、マティアスの指揮下にある」
「はい」
「なら受けるか」
逃げたい気持ちがないと言えば、嘘になる。
俺は十六歳だ。
前世でも会社の小さな仕事を任された経験はあっても、千人を超える人の暮らしや、百人の命に責任を負ったことなどない。
それでも。
火縄銃を作ると決めた時、マティアスは責任を取ると言ってくれた。
責任の取り方も知らない者が大口を叩くな。それでもお前を信じる。責任は自分が取るから、好きにやれ。
あの言葉がなければ、最初の一挺は完成しなかった。
今度は俺が、誰かの責任を引き受ける番なのかもしれない。
「受けます」
自分の声が、思ったよりはっきり響いた。
「アイヒェンタール領と、兵百人を預かります」
レオンハルトが笑う。
「決まりだ」
ユリウスが新たな書状を取り出した。
そこには、アイヒェンタールの範囲、マティアスから俺へ土地を預けること、百人隊の編成を認めることが記されている。
署名を求められた。
筆を取る。
アレク・ハルトマン。
名前を書き終えた瞬間、何かが変わった気がした。
だが、室内の景色は同じだった。
俺の身体も急に大きくはならない。領主らしい知識や経験が増えたわけでもない。
増えたのは、責任だけだ。
「ところで」
俺は書状から顔を上げた。
「百人は、いつ来るんです?」
「既に十人いる」
レオンハルトが答えた。
「火槍兵ですか?」
「ああ。残り九十人はこれから選ぶ」
「誰が?」
「お前がだ」
「俺が?」
「自分の兵だろう」
「兵の経歴も出身も知りません」
「一覧はユリウスに用意させる」
「全員を一度に選ぶ必要は?」
「ない。最初は三十人でも構わん」
「それなら助かります」
「ただし、いつまでも十人のままにはするな」
「分かっています」
火縄銃が百挺揃うわけではない。
だが、兵の訓練は始められる。
木製の模擬銃を作り、装填の順序と構え、号令に合わせた動きを覚えさせる。実銃が完成したら十挺単位で受け取り、訓練を終えた者から実射へ移す。
それでも問題は多い。
教える者が足りない。訓練場所も整っていない。百人分の模擬銃を作るにも木材と職人が要る。
考え始めれば、いくらでも出てくる。
「また難しい顔になったぞ」
レオンハルトが言った。
「難しい仕事を渡されたので」
「褒美だ」
「皆さん、そう言いますね」
室内に笑いが起きた。
◇ ◇ ◇
論功行賞が終わった後、俺は館の裏手にある練兵場へ向かった。
既存の火槍兵十人が、二列に並んで待っていた。
戦の前と同じ十人だ。
負傷して動けない者はいない。ただし、何人かの顔には疲労が濃く残っていた。肩や腕へ布を巻いている兵もいる。
彼らの後ろには、八挺の火縄銃が木箱へ収められている。不発の二挺は既にロルフの工房へ向けて運び出された。
「待たせました」
俺が声をかけると、火槍兵長が一歩前へ出た。
「アレク殿」
「はい」
「我々十名は本日付で、アレク殿が率いる百人隊の所属となるよう命じられました」
「俺も、ついさっき聞きました」
「我々もです」
「それなら同じですね」
「何がでしょう」
「何が起きているのか、まだよく分かっていないところが」
兵長は少しだけ口元を緩めた。
「ですが、命令は理解しております」
「俺の命令に従う、ということですか」
「はい」
その返事を聞いて、胸の奥が重くなった。
これまでも訓練では俺の指示を聞いてもらっていた。戦場へ出る前には、火縄銃を作った責任を自分が負うつもりだとも話した。
だが、正式な上官ではなかった。
彼らはレオンハルトの兵から選ばれ、俺は新しい武器の使い方を教える立場だっただけだ。
今日からは違う。
彼らの訓練も、配置も、戦場でどこへ向かわせるかも、俺の責任になる。
「分かりました」
俺は十人の顔を順に見た。
知っている顔だ。
何か月も一緒に訓練をして、戦場にも出た。
それなのに。
「すみません」
「何でしょう」
「そういえば、火槍兵長の名前を聞いていませんでしたね」
兵長が黙った。
後ろの兵たちも黙った。
風の音だけが練兵場を通り抜ける。
「……今までですか?」
「はい」
「一度も?」
「たぶん」
「訓練を始めてから、何か月経ちました?」
「五か月ほどです」
「その間ずっと、私を火槍兵長と?」
「新型火器は秘密でしたし、そういう役職だと思っていたので」
「間違ってはいません」
「ですよね」
「ですが、名前くらいは聞くものでは?」
「俺も、今そう思いました」
後ろの兵の一人が吹き出した。
それにつられ、何人かが笑う。
兵長は額へ手を当てた。
「ギルベルトです」
「ギルベルト」
「はい」
「分かりました。これからも火槍兵長と呼ぶことはあると思いますけど、改めてよろしくお願いします」
「こちらこそ」
ギルベルトが頭を下げる。
俺も頭を下げた。
「それから、教官を決めたいと思っています」
「教官?」
「新しく入る九十人へ、俺一人で装填や号令を教えることはできません。今いる十人には、班の中核になってもらいます」
「全員を教官に?」
「最初は全員です。ただ、その中でも訓練全体を見られる人を何人か決めたい」
ギルベルトは後ろを振り返った。
「マルク」
「はい」
三十歳くらいの、肩幅の広い兵が前へ出る。
「テオ」
「はい」
今度は背の低い、素早い動きをする兵だった。
「ニクラス」
「はっ」
三人目は、十人の中では比較的若い。戦場でも装填後の確認を何度も行っていた兵だ。
「この三人が適任かと」
「どういう理由です?」
ギルベルトは一人ずつ説明した。
「マルクは動作が正確です。遅い兵へ同じことを何度説明しても怒鳴りません」
「大事ですね」
「テオは装備の扱いに細かく、不足や破損へ早く気づきます」
「腰箱の予備火縄が一本足りないと報告したのは?」
「テオです」
「覚えています」
「ニクラスは最も若いですが、号令をよく聞きます。ほかの兵が間違えた時も気づきます」
俺は三人を見る。
「ギルベルトから聞いた通りです。新しい兵の教官をお願いします」
「承知しました」
三人が揃って答えた。
「ただし、成功したことだけを教えないでください」
マルクが首を傾げる。
「どういう意味でしょう」
「今回の戦で失敗したことも教えてください」
俺は八挺の入った箱を見る。
「命令の聞き違い。煙で赤い布が見えなくなったこと。装填が遅れたこと。一発筒を落としかけたこと。火縄の先を気にしすぎて、敵から目を離したこと。不発も二挺ありました」
十人の表情が少し硬くなった。
「不発は、我々の扱いが原因でしょうか」
ギルベルトが聞く。
「分かりません」
「ですが」
「ロルフが調べます。二挺とも同じ原因とは限りませんし、一つに決められないかもしれない」
「もし兵の失敗なら?」
「その時は、次の兵が同じ失敗をしないようにします」
「処罰は」
「わざと手順を破ったのでなければ、しません」
俺は十人を見回した。
「失敗を隠される方が困ります。一挺が撃てなかったと正直に言ってくれれば、槍兵を厚くすることも、別の火縄銃を回すこともできます。でも、撃てるふりをされたら、その場所にいる全員が危険になります」
戦場では、成功より失敗の方が重要になる時がある。
成功は条件が変われば再現できない。
だが、失敗の原因を知っていれば、少なくとも同じ場所へ落ちることは避けられる。
「新しく来る兵には、自分たちが上手く撃てた話だけをしたくなると思います」
テオが少し気まずそうな顔をした。
「もう、してしまいました」
「誰にです?」
「橋の守備兵に。四百を退けた時のことを」
「どのように?」
「十挺の新型火槍で、四百を退けたと」
「間違ってはいません」
「はい」
「でも、十挺で四百を倒したわけではありません」
「指揮官を撃ったから、敵が退いた」
「そうです。それに、第一班の射撃だけなら敵は止まりませんでした。第二班がいることを隠せたから、もう撃てないと思わせられた」
「次は同じ手が使えないかもしれない」
ニクラスが言った。
「その通りです」
敵が火縄銃の存在を知れば、同じようには進んでこない。
散開するかもしれない。盾を増やすかもしれない。雨の日を選ぶかもしれない。射程の外から弓や従来型の火槍を使うことも考えられる。
「だから、教官の仕事は英雄になることではありません」
「では、何でしょう」
「新しい九十人を、戦場から帰せる兵にすることです」
言ってから、その言葉の重さを感じた。
全員を帰せる保証などない。
百人を率いて戦場へ出れば、死者が出る可能性の方が高い。
それでも、帰るための方法を教えることはできる。
火縄銃だけに頼らないこと。
撃った後は槍兵の後ろへ下がること。
火薬を濡らさないこと。
弾薬箱を勝手に開けないこと。
煙で見えない時に、聞こえたと思った号令だけで撃たないこと。
遅発を警戒し、発射後の筒口を人へ向けないこと。
覚えることはいくらでもある。
「承知しました」
ギルベルトが答えた。
「我々が間違えたことも、すべて教えます」
「お願いします」
「アレク殿」
「はい」
「一つ、お聞きしても?」
「何です?」
「百人隊は、何と呼ばれるのでしょう」
考えていなかった。
「火縄銃隊では?」
「新型火器の名を、外へ出してもよろしいのですか」
「あ」
まだ火縄銃は秘密だ。
兵たちは表向き、従来型火槍を扱う火槍隊として通してきた。
「では、これまで通り火槍隊で」
「百人になっても?」
「変ですか?」
「いえ。分かりやすいかと」
「では、火槍隊です」
歴史書には、どう残るのだろう。
火槍隊と呼ばれながら、誰も知らない火縄銃を使った百人の兵。
もっとも、今はまだ十人しかいない。
「明日から、何をします?」
マルクが尋ねた。
「まず休んでください」
「訓練ではなく?」
「戦が終わった翌日ですよ」
「しかし、新しい兵を選ぶのでしょう」
「疲れたまま教えたら、教える方が間違えます」
俺は八挺の木箱を指した。
「火縄銃もロルフの検査を受けます。それまでは撃ちません」
「では、いつ再開を?」
「三日後に、今までの訓練と戦場での問題を整理します。新しい兵へ教える順番を決めましょう」
「木の銃も必要になります」
「はい。実物と同じ長さにします。重さも出来るだけ近づけたい」
「百挺ですか?」
「最初から百挺は作りません。まず十挺。それで問題を確かめてから増やします」
木製だからといって、適当に作ればいいわけではない。
引金の位置も、装填棒を使う動きも、実物に近くなければ間違った癖がつく。
「分かりました」
「今日は、食べて寝てください」
「命令ですか?」
「命令です」
ギルベルトが後ろを向いた。
「聞いたな! 本日の任務は食事と休息!」
「はっ!」
十人の声が揃う。
その声を聞きながら、俺は以前の戦を思い出していた。
最初に人を指揮した時、俺の下にいたのは十三人だった。
俺を含めて十四人。
正面から戦えば勝てない相手を、大軍がいるように見せかけて退かせた。
あの時も、人の命を預かることが怖かった。
エミールには三人の子供がいた。
ヨハンの妻は妊娠していた。
俺の命令一つで、その家族から父親を奪うかもしれなかった。
ゲオルクは言った。
人を動かすのが怖くなくなった時、お前は人の上に立つべきではない。
十人でも、怖い。
百人なら、もっと怖い。
だが、その怖さから逃げれば、別の誰かが命令を出すだけだ。
それなら、少しでも彼らを帰す方法を考えたい。
火槍隊の十人が解散し、宿舎へ向かっていく。
俺も館へ戻ろうとしたところで、入口に立っていたマティアスに呼び止められた。
「終わったか」
「はい」
「何を話した」
「名前を聞きました」
「今まで知らなかったのか」
「皆、同じ反応をしますね」
「当然だ」
マティアスは呆れたように息を吐き、抱えていたものを俺へ差し出した。
分厚い帳簿と、丸められた地図だった。
「何です?」
「お前の褒美だ」
「さっき領地をもらいました」
「その領地の中身だ」
帳簿を受け取る。
重い。
開く前から、嫌な予感がした。
「アイヒェンタールの人口、村ごとの収穫、家畜、山林利用、通行税、徴税記録だ」
「全部?」
「確認できた範囲だけだ」
「だけ?」
「春の雨で崩れた道。壊れた水車。屋根の修理が終わっていない穀物倉。三年分の税を滞納している集落。鉄鉱床の採掘権を主張する商人もいる」
「聞いていません」
「今、話した」
「その返し、流行っているんですか?」
「誰が使った」
「マティアス様です」
「なら問題ない」
帳簿を開く。
細かな数字が何頁も続いている。
村ごとの人口。耕作地。麦と豆の収穫。羊、山羊、牛。伐採した木の本数。木炭の生産量。山道を通った荷車から取った税。
空欄も多い。
記録の形式も村によって違う。
「これ、本当に褒美ですか?」
「褒美だ。ありがたく受け取れ」
「仕事が増えただけに見えます」
「領地を持つとは、そういうことだ」
「もう少し喜べるものかと思っていました」
「城でも欲しかったか」
「維持費が掛かるので、いりません」
「なら、その帳簿で我慢しろ」
マティアスは俺の手にある帳簿を指で叩いた。
「褒美だから、お前に責任を取らせられる」
「それ、褒美を渡された人間に言う言葉ですか?」
「俺もベルグハーフェンと一緒に、あれだけの書類を渡された」
「仲間が欲しかった?」
「違う」
「少しはありますよね」
「ない」
即答された。
俺は地図を開いた。
アイヒェンタール。
細い谷と、山林と、七つの村や集落。
その外側には、ベルグハーフェンへ続く道が描かれている。
地図の上では小さな土地だ。
だが、その小さな線の内側で、千二百人が暮らしている。
そこへ、これから百人の兵が加わる。
「いつ出発します?」
「二日後だ」
「早くないですか?」
「自分の領地を見ずに、ここで何をする」
「不発の調査を」
「ロルフはお前が横にいなければ、鉄も叩けんのか」
「そういうわけでは」
「なら任せろ」
俺が全部を見る必要はない。
ロルフにはロルフの仕事がある。ギルベルトには火槍隊の仕事がある。
領地を持つなら、俺自身も人へ任せることを覚えなければならない。
「分かりました。二日後に出ます」
「最初はギルベルトたち十人だけを連れていけ」
「残り九十人は?」
「領内を見てから選べ。住居も訓練場所も知らずに連れていけば、村を混乱させるだけだ」
「はい」
「フェリクスも付ける」
「いいんですか?」
「商会と領地の連絡役が必要だ」
「助かります」
「それと」
マティアスが帳簿の後ろに挟まっていた紙を抜いた。
「何です?」
「百人の候補だ」
紙には何十人もの名前と年齢、出身地、兵歴が記されていた。
「全員、俺が選ぶんですよね」
「ギルベルトと相談しろ。剣や槍が強い者だけを選ぶな」
「分かっています」
「文字を読める者、数を数えられる者、鍛冶や木工を知る者も必要だ」
「農業の経験も」
「なぜ」
「兵が領内で暮らすなら、訓練以外に何もさせないわけにはいきません。道や兵舎を直す仕事もあります」
「好きに決めろ」
その言葉を聞き、少し笑った。
「何だ」
「前にも言われたなと思って」
「何を」
「責任は俺が取るから、好きにやれと」
マティアスは俺を見る。
「あの時とは違う」
「そうですね」
「今度は、お前が取る責任もある」
「はい」
「だが、すべてを一人で背負うな」
意外な言葉だった。
「お前の上には俺がいる。兵にはギルベルトがいる。領地には村長も、現場を知る者もいる。分からなければ聞け」
「マティアス様にも?」
「金の掛かる話以外ならな」
「一番聞きたいのは金の話です」
「ならヨハンにでも聞け」
「ヴァイスブルクにいますよ」
「手紙を書け」
アルベルトだけでなく、ヨハンにも手紙を書くことになりそうだ。
「行くぞ」
「どこへです?」
「食事だ」
「まだ仕事が」
「お前が兵へ出した命令は何だ」
「食べて寝ろ、です」
「自分は従わないのか」
「……従います」
帳簿と地図を抱え、マティアスの後を追う。
十六歳の自分が、領地と百人の兵を持つ。
昨日まで、そんなことは考えてもいなかった。
俺は火縄銃を作った。
戦場で使い、その力と弱さを見た。
それだけで終わるつもりだった。
だが、新しい武器は、それを扱う兵を必要とする。
兵は食料を必要とする。
食料には土地と人の働きが要る。
武器一つを変えれば、戦い方だけでなく、その後ろにある仕組みまで変えなければならない。
火縄銃の音が戦を変え始めた日。
俺自身の立場もまた、元には戻れないところまで変わっていた。
第一話を読んでいただき、ありがとうございました。
マティアスはベルグハーフェンの領主となり、アレクもまた、アイヒェンタール領と百人の兵を預かることになりました。
火縄銃を作るだけでなく、それを扱う兵の食料、住居、訓練、そして領民の暮らしにまで責任を負う立場へ進んだアレク。次回は、自らの領地となったアイヒェンタールの現状と、新たな火槍隊づくりに向き合います。




