第二十三話 シュヴァルツ伯迎撃戦(上)
王都軍とレオンハルト軍の間に残された隙間へ、シュヴァルツ伯軍が迫ります。
互いを信じ切れない二つの軍は、同じ敵を前にして動きを合わせられるのでしょうか。
「待ってください」
俺が答えると、火槍兵長は火縄を手にしたまま動きを止めた。
九挺の火縄銃には、まだ布が掛けられている。
敵の先頭は、王都軍とレオンハルト軍の間へ向かっていた。
遠目にも、盾を持つ兵が前へ並んでいるのが分かる。その後ろには長い槍が続き、さらに後方では弓兵が歩調を合わせていた。
一列に並んでいるのではない。
先頭を細くし、後ろへ向かって広がる形を取っている。
狭い場所へ入り込み、そこから左右へ広がるつもりなのだろう。
「火縄へ火を付けなくてよいのですか?」
火槍兵長がもう一度尋ねた。
「まだです」
「敵は近づいています」
「分かっています」
敵中央から進んでいるのは、少なく見ても千人ほどいる。
こちらにある火縄銃は九挺。
仮に九発すべてが当たったとしても、敵全体から見れば僅かな数だ。
丘で敵指揮官を討った時とは違う。
あの時は、指揮官を失わせることで四百人の命令を止めた。
だが、今はシュヴァルツ伯の主力が後ろにいる。
敵の指揮官を討てたとしても、その後ろから別の者が命令を引き継ぐかもしれない。
何より、敵の指揮官がどこにいるのか分からなかった。
大きな旗は見える。
しかし、その真下に目立つ鎧や外套を身に着けた者はいない。
旗の周りには盾を持った兵が多く、誰が命令を出しているのか外から判断できないようになっていた。
「敵がどこへ集まり、何を狙っているのか分かるまで待ちます」
俺が言うと、火槍兵長は敵を見た。
「中央の隙間では?」
「それだけなら分かりやすいんですが」
敵が隙間を狙っていることは間違いない。
だが、千人を投入して本当に中央を突破するつもりなのか。
それとも、こちらを動かすためなのか。
まだ判断できない。
「火縄へ火を付ければ、煙が出ます」
俺は続けた。
「敵に火槍隊の位置を教えることになります。一度見つかれば、弓兵や騎兵を向けられるかもしれません」
火縄は火を付けた瞬間に、白い煙を細く上げ始める。
九本分の煙が同じ場所に集まれば、敵からも見える。
前回は、敵が俺たちの武器を従来の火槍だと思っていた。
だが、指揮官を討たれた者たちから話を聞けば、次も同じように無警戒で近づくとは限らない。
「アレク」
後ろからマティアスの声がした。
振り返ると、護衛を連れてこちらへ歩いてくる。
「敵は見えたか」
「はい」
「どこを撃つ」
「まだ決めていません」
「敵は目の前にいるぞ」
「多すぎます」
俺が答えると、マティアスは少し笑った。
「十挺で四百人を退けた男の言葉とは思えんな」
「今使えるのは九挺です。それに、前回は敵の指揮官が見えていました」
「今回は見えんか」
「あの旗の周りが怪しいとは思います。でも、盾兵が多すぎます」
マティアスは俺が指した先を見る。
距離があるため、顔までは分からない。
それでも、敵が旗の周囲を守っていることは見える。
「向こうも考えたか」
「一度見せましたから」
「それで、九挺は撃たんのか」
「今撃っても、敵の先頭を何人か倒すだけです」
「十分ではないのか」
「その何人かを倒した後、残りが来ます」
火縄銃は弓のように続けて撃てない。
一発撃てば、次の火薬と弾を入れなければならない。
一発筒で装填を早めても、その時間が消えるわけではない。
「今回は、火縄銃だけで敵を退ける戦ではありません」
「ようやく分かったか」
「最初から分かっています」
「本当か?」
「前回の戦でも、槍兵が来なければ危なかったです」
マティアスは敵から視線を外さなかった。
「なら、槍兵が必要になる場所を見ろ」
「はい」
「九挺を持っていることに引きずられるな。使わずに終わるなら、それも選択だ」
「レオンハルト殿下は、敵を見てから俺が決めろと言いました」
「決めることと、撃つことは違う」
言われてみれば、その通りだった。
俺に任されたのは、必ず九挺を撃つことではない。
撃つべきかどうかを判断することだ。
火槍兵長へ視線を戻す。
「火縄はまだです。布も外さないでください」
「分かりました」
九挺の火縄銃は、荷を積んだ棒のように布へ包まれたまま、槍兵の後ろで待機を続けた。
その間にも、敵の先頭は近づいていた。
◇ ◇ ◇
敵の弓が届くより前に、王都軍の角笛が鳴った。
長く一度。
短く二度。
敵中央、前進。
事前に決めた合図だった。
少し遅れて、レオンハルト軍でも同じ角笛が鳴る。
両軍の兵が槍を握り直した。
しかし、中央へ出る者はいない。
王都軍の左端に並ぶ兵は、敵だけでなくレオンハルト軍を見ていた。
レオンハルト軍の右端にいる兵も同じだった。
先に中央へ出れば、敵の攻撃を受ける。
その間に隣の軍が動かなければ、自分たちだけが突出することになる。
「動きませんね」
俺が言うと、マティアスが答えた。
「動けんのだ」
「敵は来ています」
「だからこそだ。先に出た側へ敵が集まる」
敵の先頭は、まだ両軍の隙間へ向かっている。
だが、槍先の一部は東へ向き、一部は西へ向いていた。
隙間へ入った後、王都軍とレオンハルト軍の両方を左右へ押し広げるつもりなのだ。
もし王都軍だけが中央へ出れば、敵は東へ向きを変える。
レオンハルト軍だけが出れば、西へ向かう。
敵は、どちらが先に動くかを見ていた。
「同じ敵なのに」
俺が呟く。
「同じ敵だからといって、同じ軍にはならん」
マティアスが言った。
「どちらも、自分の兵を死なせたくない。兵を先に出した方が多く損をするなら、相手が動くのを待つ」
「待っていたら中央を抜かれます」
「分かっていても動けんことはある」
敵との距離が縮まる。
先頭の盾が見える。
盾の上から槍が伸びている。
足音までは聞こえない。
それでも、地面を踏みしめる振動が少しずつ近づいてくるように感じた。
レオンハルト軍の右端で、隊列を預かる者が兵へ何かを命じた。
先頭の槍兵が半歩だけ中央へ向く。
だが、そのまま止まった。
王都軍側も同じだった。
隙間は狭くなったように見えて、まだ開いている。
敵の後方から角笛が鳴った。
中央の兵が歩調を速める。
「急がせています」
俺が言った。
「あちらも、我々が決める前に入りたいのだろう」
マティアスの声は落ち着いていた。
だが、右手は腰の剣へ近づいている。
敵の弓兵が足を止めた。
前にいる盾兵と槍兵だけが進む。
弓兵たちは列を作り、矢をつがえ始めた。
「もう届きます」
俺が言った直後、敵側から複数の音が重なった。
弦が鳴る。
空へ上がった矢が、黒い線になった。
「盾を上げろ!」
レオンハルト軍の端で声が飛ぶ。
兵たちが盾を持ち上げる。
矢が降った。
木の盾へ突き刺さる音。
地面へ落ちる音。
鎧へ当たって弾かれる音。
そして、短い悲鳴。
中央へ近い兵が一人、肩へ矢を受けて倒れた。
隣の兵が引きずろうとする。
だが、二射目が上がる。
「下がるな! 列を崩すな!」
命令が飛んだ。
王都軍側でも矢を受けた兵が倒れている。
敵は隙間そのものだけではなく、その両側へ矢を落としていた。
中央へ出ようとする兵を狙っている。
「このままでは、動く前に削られます」
「レオンハルト殿下も分かっている」
マティアスが言った。
「だが、ライゼン将軍がどこまで出すか分からなければ、兵は寄せられん」
「書状は」
「まだだ」
使者の中継地点は作った。
同じ内容の書状を三通用意し、別の道から運ぶことも決めた。
それでも、書状が空を飛んで届くわけではない。
戦況は、人と馬が走る速さより早く変わる。
三射目が上がった。
今度はレオンハルト軍の兵も矢を返した。
両軍の間に矢が行き交う。
敵の盾兵は盾を傾け、その陰へ槍兵を隠しながら進んでくる。
隙間まで、あと僅かだった。
◇ ◇ ◇
後方から馬の蹄が近づいてきた。
「王都軍より!」
泥を跳ね上げながら、一人の使者が到着する。
手には細い筒が握られていた。
使者は馬を降りるより先に筒を差し出す。
「ライゼン将軍より、レオンハルト殿下へ!」
書状はすぐに後方のレオンハルトへ運ばれた。
だが、一人目の使者が去って間もなく、別の方向からもう一頭の馬が現れた。
「王都軍より! ライゼン将軍の書状です!」
二人目だった。
一人目とは違う道を通ったらしく、馬の脚には濡れた土が付いている。
二通目もレオンハルトのもとへ運ばれた。
俺たちの場所から、軍議の内容は聞こえない。
しばらくしてユリウスが二通の書状を手にこちらへ来た。
「同じ内容です」
ユリウスはマティアスへ書状を示した。
紙に記された印。
書いた時間。
使者を出した時間。
すべてが一致している。
「三通目は」
マティアスが尋ねた。
「まだ届いていません」
「二通で足りるか」
「殿下は足りると判断されました」
ユリウスが書状を広げる。
ライゼン将軍は、王都軍の左端から三百人を中央へ出す。
レオンハルト軍にも同じ数を求める。
角笛の合図に合わせ、両軍がそれぞれ隙間の半分を守る。
ただし兵は混ぜない。
王都軍は中央の東側。
レオンハルト軍は西側。
互いに相手の陣へ入り込まない。
「三百」
マティアスが言った。
「こちらにも三百を出せと」
「はい」
「王都軍は本当に動くのか」
「書状には動くとあります」
「紙の話ではない」
マティアスは東を見る。
王都軍の左端では、まだ兵が大きく動いていない。
レオンハルトも同じことを考えたらしい。
伝令が右端の部隊へ向かって走る。
「殿下のご命令です」
伝令が声を張った。
「まず二百を中央へ進める。残る百は後方で待機。王都軍の兵が動いたことを確認した後、中央へ続け!」
王都軍を信じて三百人すべてを出すのではない。
まず二百人だけを動かし、相手の行動を確認してから残りを出す。
「疑っているんですね」
俺が言う。
「疑っているから、確認する」
マティアスが二通の書状を見る。
「人も馬も余計に使った。だが、今はその余計な分で命令を信じられる」
もし一通だけなら、途中で書き換えられた可能性を疑う者が出たかもしれない。
同じ時刻に書かれた同じ内容の書状が、別々の道から届いた。
少なくとも、ライゼン将軍が同じ命令を出したことは信じられる。
だが、それだけで王都軍が命令どおり動くとは限らない。
だから自分の目でも確かめる。
レオンハルト軍の右端から、二百人が中央へ進み始めた。
盾を前へ出し、槍を立てる。
敵の弓兵がすぐに狙いを変えた。
矢が二百人の上へ降る。
一人が倒れる。
別の一人が脚へ矢を受け、隣の兵に肩を貸されながら列を離れる。
それでも部隊は止まらない。
「王都軍は」
俺は東を見る。
まだ動かない。
レオンハルト軍の二百人だけが中央へ向かっている。
「遅い」
思わず口から出た。
敵の角笛が鳴る。
盾兵が走り始めた。
歩いていた千人が、レオンハルト軍の二百人へ向きを寄せる。
「王都軍が動かないと見た」
マティアスが低い声で言った。
敵の槍先が西へ傾く。
中央へ出たレオンハルト軍だけを先に押し潰すつもりだ。
「殿下!」
どこかで声が上がった。
王都軍側を見ていた兵だ。
東の列が動いている。
遅れていた王都軍の三百人が、ようやく中央へ進み始めた。
王都軍の角笛が鳴る。
長く二度。
中央へ進め。
レオンハルト軍でも同じ合図が鳴った。
後方へ残されていた百人が前へ出る。
だが、敵の方が近い。
両軍の兵が隙間を埋める前に、敵の盾兵がレオンハルト軍の二百人へぶつかった。
木と木が激しく打ち合う。
盾が鳴る。
槍の穂先が突き出される。
先頭の兵が押され、後ろの兵が背中を支える。
「踏ん張れ!」
「列を開けるな!」
「槍を前へ!」
怒鳴り声が重なる。
敵は西側へ人数を寄せていた。
盾を押し付け、レオンハルト軍の兵を後ろへ下がらせる。
二百人の列が僅かに曲がった。
その右側には、まだ王都軍が到着していない空間が残っている。
敵兵がそこへ入り込もうとしていた。
「火槍隊を中央へ」
伝令が走ってきた。
「レオンハルト殿下の命令だ。槍兵を支援せよ!」
ようやく俺たちの番だった。
「火縄へ火を付けてください」
俺が言うと、火槍兵長がすぐに動いた。
九本の火縄へ火が移される。
白い煙が上がった。
「布を外せ!」
兵たちが火縄銃を取り出す。
第一班は五人。
第二班は四人。
火縄銃を持たない一人は、一発筒と予備の火縄、掃除棒を抱えた。
「前へ!」
俺たちは槍兵の後ろへ走った。
◇ ◇ ◇
中央へ近づくにつれて、音が大きくなった。
槍の柄がぶつかる。
盾が割れる。
負傷した兵が叫ぶ。
敵味方の命令が入り交じる。
九本の火縄から上がる煙が、俺たちの周りへまとわりついた。
敵側から声が上がる。
「火槍だ!」
こちらを見つけた。
盾兵の一部が向きを変える。
敵は俺たちが来ることを知らなかったわけではない。
火槍が指揮官を討ったという噂は、すでに敵陣へ広がっている。
だが、どこにいるかまでは分からなかったはずだ。
今、煙によって位置を教えた。
「急いでください!」
俺は槍兵の後ろへ入る。
前にいる味方の列は、敵に押されていた。
敵の槍が盾の隙間から伸びる。
味方の兵が胸を突かれ、後ろへ倒れた。
空いた場所を別の兵が埋める。
「ここで撃てますか?」
俺が火槍兵長へ尋ねる。
「味方が近すぎます」
射線の前に味方の兵がいる。
このままでは撃てない。
「前の兵を伏せさせることは」
「敵に押されています。今伏せれば列が崩れます」
火縄銃があっても、撃てる場所がなければ役に立たない。
俺は左右を見る。
レオンハルト軍の槍兵と、まだ到着していない王都軍の間。
敵兵が入り込もうとしている場所がある。
そこなら味方の列が前を塞いでいない。
だが、敵も散らばっていた。
九発を使って数人を狙うだけでは足りない。
「もう少し右へ!」
俺たちは槍兵の後ろを移動した。
火縄の煙を見た敵の弓兵が、こちらへ狙いを変える。
「盾!」
護衛の兵が盾を上げた。
矢が一つ、盾へ突き刺さる。
別の矢が地面へ落ちた。
火縄銃を持つ兵は、両手を武器から離せない。
矢を受ければ、自分で盾を上げることもできない。
「急げ!」
敵の声が聞こえる。
「火槍を撃たせるな!」
盾兵が俺たちの方向へ寄ってくる。
前回の敵とは違う。
火槍を無視して指揮官が前に立つことはない。
旗の周りにも、命令を出している者らしい姿は見えなかった。
「指揮官は」
俺は探した。
大声を出す者。
兵を動かす者。
槍を持たず、全体を見ている者。
それらしい兵は何人かいる。
だが、前には盾兵が立っている。
誰が本当の指揮官なのかも分からない。
一度見せた手は、次から同じようには通じない。
敵も考える。
狙われると知れば隠れる。
旗の下へ立たない。
目立つ格好をしない。
盾を置く。
俺の知っている歴史でも、新しい武器が使われれば、敵はいつまでも同じ方法で倒され続けたわけではない。
対策を考える。
こちらも、また次を考えなければならない。
「アレク殿!」
火槍兵長が呼んだ。
敵の盾兵がこちらへ近づいている。
その後ろで槍兵が密集し始めていた。
火槍隊を潰すため、一か所へ集まっている。
指揮官は見えない。
だが、狙う場所はできた。
「指揮官は狙いません」
俺は言った。
「先頭の盾兵と、その後ろです」
「距離は」
「まだ遠いですか?」
「当てるだけなら。ですが盾があります」
「盾を抜けますか?」
「分かりません」
これまで、厚い盾を並べた兵へまとまって撃ったことはない。
弾が盾を貫くのか。
めり込むだけなのか。
弾かれるのか。
分からない。
「狙いは、倒すことだけではありません」
俺は味方の槍兵を見る。
「前の兵が列を立て直す時間を作ります」
火槍兵長が頷いた。
「第一班、前へ!」
五人が横へ並ぶ。
その前には味方の兵がいない。
敵の盾兵がこちらへ向かってくる。
距離は五十歩ほど。
近い。
だが、戦場ではその距離が恐ろしいほど短く感じる。
敵は走っている。
数息後には、さらに近づく。
「構え!」
五挺の火縄銃が肩へ上がる。
火縄兵たちは筒の先を敵へ向けた。
火槍兵長が右手で赤い布を掲げる。
敵側から弓が放たれた。
矢が頭上を通る。
一本が火縄銃を構えた兵の足元へ突き刺さった。
兵の肩が僅かに揺れる。
それでも引金へ置いた指を動かさなかった。
赤い布は、まだ上がっている。
「待て!」
火槍兵長の声が飛ぶ。
敵の盾兵が近づく。
四十歩。
その後ろに、槍兵が重なる。
「狙え!」
赤い布が高く掲げられたまま、火槍兵長が声を出す。
兵たちは撃たない。
待てと撃てを聞き間違えた前回とは違う。
戦場の音に声が埋もれても、赤い布が見えている間は引金を引かない。
三十歩。
敵の盾の木目まで見えそうな距離になる。
「今です!」
俺が叫んだ。
火槍兵長の右手が振り下ろされる。
赤い布が落ちた。
五人の指が引金を引く。
火縄が火皿へ落ちた。
ドドドンッ!
五つの発砲音は、完全には重ならなかった。
最初の一発。
ほとんど同時に二発。
僅かに遅れて二発。
白い煙が広がり、敵の先頭を隠した。
盾へ鈍い音が響く。
一人の盾兵が後ろへ倒れた。
別の盾兵は盾を取り落とし、腕を押さえる。
弾が当たったのか、砕けた木片が刺さったのかは分からない。
盾の間から見えていた槍兵も一人倒れた。
残る弾がどこへ飛んだのかは見えなかった。
地面へ当たったかもしれない。
盾に止められたかもしれない。
五発で倒れたのは、見える範囲では三人ほどだった。
千人を止める数ではない。
だが、音と煙で先頭の足が止まった。
後ろの兵が前の兵へぶつかる。
敵の列が僅かに乱れる。
「下がって装填!」
第一班が後ろへ下がる。
火縄銃を持たない兵が、一発筒を取り出した。
第一班は筒口を上へ向け、次の装填へ移る。
その時、煙の向こうから敵の声が聞こえた。
「五つしかない! 撃った後は来ない! 今のうちに進め!」
敵は、第一班の五挺ですべてだと思ったのだ。
声に押され、止まっていた盾兵が再び進み始める。
倒れた者を越え、空いた場所へ後ろの兵が入る。
「火槍は弾を詰めるのに時間がかかる! 走れ!」
敵兵の足が速くなる。
それは、従来の火槍を知っている者なら当然の判断だった。
一発撃った後は、長く重い本体を扱いながら火薬と弾を詰め直す。
アルベルトが火槍を初撃へ集中させたのも、二発目をすぐに使えないからだ。
敵は間違っていない。
俺たちが、見えている五挺だけなら。
「第二班、前へ!」
火槍兵長の声が飛ぶ。
四人が第一班の横から出る。
敵の先頭が一瞬だけ動きを鈍らせた。
まだ火槍がある。
そう気づいた時には、第二班の四挺が肩へ上がっていた。
火槍兵長が左手で赤い布を掲げる。
「狙え!」
第二班の兵は、敵の先頭へ筒を向ける。
煙が残っている。
敵の姿が完全には見えない。
だが、前へ走る盾兵と槍兵の塊は分かる。
敵も止まれない。
後ろから来る兵に押されている。
火槍兵長の左手が下がった。
ドドンッ!
四発の音が続く。
一発は盾の中央へ当たり、盾兵ごと後ろへ倒した。
一発は盾の上を通り、その後ろにいた兵の肩へ当たった。
残る二発の行方は煙の中で見えない。
だが、二度目の銃声は、敵の足を止めるには十分だった。
五挺だと思っていた。
撃った後は来ないと思っていた。
その直後に、別の四挺が火を噴いた。
敵の先頭が下がる。
後ろの兵がぶつかる。
「押し返せ!」
味方の槍兵を預かる者が叫んだ。
レオンハルト軍の槍列が前へ出る。
一歩。
二歩。
押されて曲がっていた列が戻っていく。
敵の盾へ槍が突き出される。
火縄銃の弾だけで敵を倒したのではない。
二度の銃声で生まれた短い時間を、槍兵が使った。
「装填を続けてください!」
俺は火槍隊へ命じた。
第一班はすでに一発筒の蓋を開けている。
弾と火薬を筒内へ入れ、掃除棒で奥へ押し込む。
第二班も後ろへ下がり、装填を始めた。
敵は火縄銃が空になったと知っている。
次に来るのは槍だ。
「王都軍が来ます!」
誰かが叫んだ。
東から三百人の槍兵が到着した。
王都軍の旗が中央の東側へ入る。
レオンハルト軍の旗とは交わらない。
それぞれ別の列を作り、敵へ槍先を向ける。
王都軍の兵が東半分。
レオンハルト軍の兵が西半分。
両軍の間には僅かな隙間が残ったが、敵兵一人が走り抜けられるほどではない。
開いていた土地が、ようやく槍と盾で埋められた。
◇ ◇ ◇
王都軍の角笛が鳴った。
長く一度。
短く一度。
前進。
レオンハルト軍でも同じ合図が鳴る。
先に動いたのは王都軍だった。
東側の槍列が一歩前へ出る。
僅かに遅れて、レオンハルト軍の槍列も進む。
動きは揃っていない。
王都軍が先に進みすぎ、レオンハルト軍との間に斜めの段差ができる。
中央を預かる者たちが怒鳴り、列を直そうとする。
その間にも敵の槍が伸びる。
王都軍の兵が一人倒れた。
レオンハルト軍でも盾を割られた兵が下がる。
それでも、両軍は止まらなかった。
敵を挟むように左右から前へ出る。
敵中央の部隊は、最初に入った狭い場所で向きを変えられなくなっていた。
前からは二つの槍列。
後ろからは味方の兵。
右へ進めば王都軍。
左へ進めばレオンハルト軍。
人数では敵が上回っている。
だが、一度に前へ出られる人数は限られていた。
「押せ!」
王都軍から声が上がる。
「下がるな!」
レオンハルト軍から別の声が飛ぶ。
同じ号令ではない。
同じ指揮官でもない。
それでも、槍先は同じ敵へ向いていた。
敵の先頭が一歩下がる。
後ろの兵が押し返す。
再び前へ出ようとするが、左右から槍を受けて止まる。
火槍隊の第一班が装填を終えた。
「撃ちますか?」
火槍兵長が尋ねる。
俺は敵を見る。
先ほどまで密集していた先頭は、押し合いによって乱れている。
盾兵も散らばり、味方の槍兵との距離が近すぎる。
今撃てば、敵ではなく味方へ当たるかもしれない。
「まだです」
火槍兵長は赤い布を上げなかった。
装填を終えた五人が構えを解き、火縄を火皿へ近づけないまま待つ。
第二班も間もなく装填を終える。
九挺が再び撃てる状態になっても、撃てる場所がなければ使わない。
敵の角笛が鳴った。
短い音が何度も続く。
後退の合図らしい。
敵の後列から兵が下がり始める。
前の兵も盾を向けたまま少しずつ後ろへ退く。
王都軍の兵が追おうとする。
だが、その時レオンハルト軍の角笛が鳴った。
追撃するな。
王都軍側でも同じ合図が鳴る。
両軍の槍列が足を止める。
敵は弓兵のいる位置まで下がった。
再び矢が上がる。
王都軍とレオンハルト軍の兵たちは盾を掲げ、追撃を諦める。
中央の土地には、倒れた兵と盾、折れた槍が残された。
敵だけではない。
王都軍の兵も、レオンハルト軍の兵も倒れている。
最初の火縄銃の一撃で倒れた敵は僅かだった。
その後の槍の押し合いでは、さらに多くの血が流れていた。
やがて敵の中央部隊は、弓の届かない場所まで後退した。
王都軍側から歓声が上がる。
少し遅れて、レオンハルト軍でも兵が槍を掲げた。
だが、王都軍の兵がレオンハルトを称えることはない。
レオンハルト軍の兵もライゼン将軍の名を呼ばない。
それぞれが自分たちの隊を称え、自分たちが敵を押し返したと叫んでいる。
「一緒に押し返したのに」
俺が言うと、マティアスが隣へ来た。
「だから何だ」
「もう少し、同じように喜んでもいいのでは」
「誰が多く敵を押した。誰が先に出た。誰が遅れた。戦が終われば、すぐその話になる」
「今はまだ戦の途中です」
「だから今は、歓声だけで済んでいる」
敵を押し返したことより、王都軍とレオンハルト軍が中央で向かい合わずに済んだことの方が重要なのかもしれない。
両軍は近づいている。
槍の先が届きそうな距離に、別々の軍の兵が並んでいる。
王都軍の兵が誤って西へ一歩進めば、レオンハルト軍の列へ入る。
逆も同じだ。
敵を押し返した直後なのに、互いの兵が相手を警戒していた。
「境を越えるな!」
王都軍側で命令が飛ぶ。
「王都軍へ近づくな! 列を保て!」
レオンハルト軍でも同じような声が上がる。
一つになったのではない。
隙間を埋めるため、隣り合っただけだった。
三人目の使者が到着したのは、その時だった。
馬は汗に濡れ、使者の外套には枝が引っ掛かっている。
敵の斥候を避けて森を迂回したらしい。
持っていた書状は、先に届いた二通と同じ内容だった。
「遅かったですね」
俺が言う。
「だが届いた」
マティアスは書状を確認した者から報告を聞く。
「三人とも違う道を通った。一人が遅れても、二人は間に合った」
「使者を増やした意味はありました」
「ああ。今日のところはな」
敵が道を覚えれば、次は三人とも止められるかもしれない。
中継地点を襲われる可能性もある。
一度役に立ったからといって、次も同じとは限らない。
火縄銃と同じだった。
「アレク」
マティアスが敵陣を見る。
「何かおかしくないか」
「何がです?」
「押し返した敵の数だ」
俺も敵を見る。
中央へ来た兵は千人ほど。
その全員が倒れたわけではない。
多くは秩序を保ったまま後退している。
だが、その後ろにいるシュヴァルツ伯軍の主力は、まだほとんど動いていなかった。
大きな旗が丘の近くに残っている。
騎兵も待機したままだ。
正面に並ぶ槍兵も、列を崩していない。
「様子を見ていた?」
「それだけのために、千人を出したと思うか」
「中央を抜けるためでは」
「抜けられれば抜いた。だが、抜けられなくても構わなかったのではないか」
マティアスの視線が、王都軍の東側へ移る。
俺もそちらを見る。
王都軍は中央を守るため、左端から三百人を動かした。
その後ろから弓兵や予備の兵も中央へ寄っている。
反対側。
レオンハルト軍も右側へ三百人を出した。
火槍隊も中央へ移動した。
両軍の間にあった隙間は埋まった。
代わりに、両軍の外側が薄くなっている。
「まさか」
丘の向こうで旗が動いた。
王都軍の東側。
林の陰に隠れていた敵兵が、長い列になって現れる。
ほぼ同時に、レオンハルト軍の西側でも騎兵の旗が動いた。
待機していた馬が向きを変え、こちらの外側へ広がり始める。
中央を押し返した歓声が、少しずつ消えていく。
王都軍の角笛が鳴った。
敵東側、前進。
続いてレオンハルト軍の角笛も鳴る。
敵西側、騎兵移動。
中央へ集めた兵を、今度は外側へ戻さなければならない。
だが、戻せば再び中央に隙間ができる。
火槍兵長が俺を見る。
「どちらへ動きますか?」
答えようとして、俺は口を止めた。
火縄銃は九挺。
東と西、両方へは行けない。
そして敵は、火縄の煙によって俺たちが中央にいることを知っている。
マティアスが低い声で言った。
「これが本命だ」
敵は、疑いの隙間を破るために来たのではなかった。
俺たち自身の手で、その隙間を埋めさせるために来たのだ。
そして内側へ寄った二つの軍の外で、シュヴァルツ伯の本当の攻撃が始まろうとしていた。
第二十三話を読んでいただき、ありがとうございました。
三通の書状と共通の合図によって、王都軍とレオンハルト軍は不完全ながらも中央の隙間を守りました。
火槍隊の二段発砲も槍兵を支えましたが、それすらシュヴァルツ伯の本命を引き出すための動きでした。
次回、外側を同時に狙われた二つの軍と火槍隊は、どちらを守るべきか迫られます。




