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『知らない世界で、前世の知識が武器になる』 ~剣と銃で乱世を生き抜く転生領主の成り上がり~  作者: 相田 ソウ
第一篇 乱世黎明

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第五話 十四人の軍勢

夜の森で、十四人が動き出します。

「西側は空けておく」

 地面へ描かれた図を見ながら、ゲオルクが言った。

 その夜、遠くでは今もグリュン村が燃えている。風向きが変わるたび、焦げた臭いが野営地まで届いた。

「北と東と南から、大軍が来たと思わせるのですね」

 アレクが確かめると、ゲオルクはうなずいた。

「そうだ。お前の言うとおり、西へ逃がす」

 ゲオルクは村の北、東、南へ印を付け、西側には何も描かなかった。

「逃げ道がなければ、敵は死ぬまで戦う。三十人以上が一か所へ固まり、こちらへ向かってくれば止められん」

「逃げられる場所があれば、そちらへ向かう」

「略奪のために来た者なら、荷物より命を惜しむだろう。増援が来ると信じさせ、西へ逃げる方が安全だと思わせる」

 アレクが提案した西への逃げ道を、ゲオルクは兵の配置や合図まで決めた策に整えていく。

「北、東、南に篝火を置く」

 ゲオルクが説明を続ける。

「一か所に長く留まるな。声を出したら場所を変えろ。同じ者が続けて叫べば、人数が少ないと気づかれる」

「盾や槍も打ち鳴らしますか」

「ああ。ただし、全員が同時に鳴らしてはならん。兵が移動しているように、場所と時刻をずらす」

 トーマスが不安そうに図を覗き込んだ。

「本当に、それだけで百人もいるように思わせられるんですか」

「それだけでは足りん」

 ゲオルクが答えた。

「街道へ伝令を走らせる」

「本当にヴァイスブルクへ使いを出すんですか」

「出すように見せるだけだ。こちらの兵を一人、松明を持たせて走らせる。敵の見張りに聞こえるよう、ヴァイスブルクから二百人の増援が来ると叫ばせる」

「百人ではなかったんですか」

 アレクが聞くと、ゲオルクは平然と答えた。

「多い方が怖いだろう」

「急に倍になりましたね」

「戦場で使う嘘は、敵がすぐ理解できる方がいい」

 近隣のヴァイスブルクには兵が集められている。そこから増援が来るという嘘なら、敵も簡単には聞き流せないだろう。

「全員を分ける」

 ゲオルクが顔を上げた。

「動ける十四人を三組にする。私は四人を連れて北へ回る。アレク、お前は三人を連れて東だ」

「俺が率いるのですか」

「この策を最も理解しているのはお前だ」

「ですが、俺はさっき初陣を終えたばかりです」

「終えているなら、初陣前ではない」

「そういう問題ですか」

「そういう問題にしておけ。今は人が足りん」

 残る五人は、ゲオルクやハンスとともにラーデン村へ来た兵が率い、村の南側へ回ることになった。伝令を演じる者も、この五人の中から一人出す。

 負傷したハンスは野営地に残る。ただ休ませるのではなく、森から聞こえる声を確認し、近づく敵がいれば鐘で知らせる役を担う。

「私は数に入っていないのですか」

 木へ背を預けていたハンスが、自分の左脚を見た。

「戦える十四人には入れていない」

「声くらい出せます」

「なら、後ろから百人分ほど叫べ」

「二百人では?」

「喉を潰したければ好きにしろ」

「随分と扱いが違いませんか」

「負傷者を休ませてやっている」

「仕事を与えられたようにしか思えませんが」

 張り詰めていた男たちの間に小さな笑いが起きた。

 ゲオルクはそれが収まるのを待ち、アレクを見た。

「一つ、覚えておけ」

「何でしょう」

「お前の策が失敗すれば、人が死ぬ」

 笑いが消えた。

「敵ではない。お前が連れていく者たちがだ」

 アレクはトーマスたちを見る。

 全員、名前や顔を知っている。ラーデン村で暮らし、畑を耕し、家族のもとへ帰る者たちだ。

 紙の上に置かれた駒ではない。

「怖いか」

「はい」

 アレクは正直に答えた。

「なら、その怖さは忘れるな。人を動かすのが怖くなくなった時、お前は人の上に立つべきではない」

 ゲオルクは地面に描いた図を枝で指した。

「だが、決めた後は迷うな。命令が遅れれば、それでも人は死ぬ」

「難しいですね」

「だから、指揮官は嫌われる」

 後ろからハンスが声を上げた。

「自覚があったのですね!」

「敵に聞こえる前に黙れ」

 また笑いが起きた。

 アレクもわずかに口元を緩めたが、胸に生まれた重さは消えなかった。


 ◇ ◇ ◇


 アレクはトーマス、エミール、ラーデン村の男一人を連れ、グリュン村の東側へ回った。

 森の中を進み、敵から姿を見られない距離を保つ。

「アレク」

 後ろを歩くトーマスが声を潜めた。

「何だ」

「本当に成功するんだよな」

「分からない」

「そこは成功すると言ってくれよ」

「絶対に成功する策なんてない。敵が信じなければ、こっちへ来る」

「余計に怖くなったぞ」

「俺だって怖い」

 アレクは足を止め、三人を振り返った。

「だから、決めた場所より村へ近づかないでください。敵がこちらへ向かってきたら、戦おうとせず森の奥へ下がります」

「分かった」

 エミールが答えた。

 その顔に余裕があるわけではない。槍を握る手には力が入り、何度も村の方角を確かめている。

「エミールさんも怖いですか」

「怖いに決まっているだろう。子供が三人いるんだ。こんなところで死んだら、誰が食わせる」

 もう一人の男も苦く笑った。

「俺には妻がいる。春には子供が生まれる」

「そうだったのですか」

「ああ。だから死ねん」

 自分が考えた策で、この二人が死ぬかもしれない。

 その事実を改めて突きつけられ、アレクは何も言えなくなった。

「そんな顔をするな」

 エミールが言う。

「ですが」

「正面から三十人以上と戦うよりはましだ。剣を振るより、声を出す方が俺には向いている」

「俺たちはお前に無理やり連れてこられたわけではない」

 もう一人の男も続けた。

「ゲオルク様から命令を受け、自分の足でここまで来た。お前一人で全部背負うな」

「……ありがとうございます」

「礼は村へ戻ってからにしろ。それと、今だけは丁寧に頼むな」

「どういうことですか」

「お前が俺たちの組を率いるんだろう。『火をつけてください』では、急ぐべきかどうか分からん。必要なら命令しろ」

 アレクは少し迷った後、うなずいた。

「分かった。敵が近づいたら、俺の判断を待たず森の奥へ下がってくれ」

「それでいい」

 トーマスがアレクの肩を叩く。

「アレク隊長」

「やめろ」

「隊長の命令だから従うよ」

「お前だけ一番遠い篝火を担当させるぞ」

「さっそく立場を利用した!」

「静かにしろ。敵に聞こえる」

「お前も喋ってるだろ」

 エミールが二人の背中を軽く押した。

「続きは帰ってからにしろ。まず火を置くぞ」

 冗談を言っても、恐怖がなくなるわけではない。

 それでも四人の足は先ほどより動くようになった。


 ◇ ◇ ◇


 最初の篝火は、村の東側にある緩い斜面へ作った。

 敵から炎は見えるが、その周囲にいる人間の姿までは分からない。薪を積みすぎず、すぐに消せる量に留める。

 そこから百歩ほど北へ移動し、二つ目の薪を置く。さらに南へも一つ用意した。

 火をつける順番は決めてある。

 三か所へ同時に分かれれば、互いを助けられなくなる。四人で移動しながら、順に火を増やすことにした。

 準備が終わると、四人は木々の陰に身を伏せた。

 遠くで鐘が一度鳴った。

 ハンスからの合図だった。

 各組から合図を受けたハンスが、作戦の開始を知らせていた。

「始めるぞ」

 アレクの声に、三人がうなずいた。

 エミールが火打石を鳴らす。

 乾いた草へ火が移り、薪の隙間から小さな炎が上がった。

 しばらく待ってから、アレクは息を吸った。

「三隊、東の街道へ進め!」

 声が森の中へ広がる。

 アレクたちはすぐにその場を離れた。

 二つ目の場所へ移り、今度はエミールが声を上げる。

「弓兵は前へ! 合図があるまで射るな!」

 弓兵など一人もいない。

 だが、敵からは確かめられない。

 少し間を置くと、村の北からゲオルクの声が聞こえた。

「一隊、配置につけ!」

 続いて盾を叩く音が響く。

 一つではない。音が少しずつ場所を変え、森の中を複数の兵が進んでいるように聞こえた。

 南側からも別の声が上がる。

「二隊、南の道を押さえろ!」

 敵兵たちが動き始めた。

 村の中央に集まり、炎の見える方角を指さしている。

「次だ」

 アレクが合図すると、もう一人の男が二つ目の篝火へ火を入れた。

 トーマスも大きく息を吸う。

「騎兵は街道で待機! 逃げた敵を追えるようにしておけ!」

「騎兵までいることにしたのか」

 アレクが小声で尋ねる。

「姿は見えないんだからいいだろ」

「馬の音がしないぞ」

「まだ遠くにいるんだよ」

「設定まで考えていたのか」

 北と南から、新たな号令が聞こえる。

 篝火も一つずつ増えた。

 右側から声がしたかと思えば、次は左側から槍と盾を打ち合わせる音が響く。十四人しか動いていないと知っていても、どこに誰がいるのか分からなくなりそうだった。


挿絵(By みてみん)


 森の中に点在する炎が、風に揺れている。

 敵から見えるのは、その炎だけだ。

 火の周囲に五人いるのか、二十人いるのかは分からない。声を発した者が同じ場所に残っているのか、別の部隊と合流したのかも確かめられない。

「動いている」

 エミールが村を見ながら言った。

 敵兵たちは略奪品を荷車へ積む手を止めていた。槍や剣を持ち、村の中央へ集まっている。

 まだ逃げてはいない。

 篝火と声だけでは、疑っているのかもしれない。

 鐘が二度鳴った。

 次の合図だった。

 やがて街道の東側に、松明を持った一人の兵が現れた。

「伝令! ヴァイスブルクより伝令!」

 夜の街道を走りながら、大声を張り上げる。

「増援二百、間もなく到着! グリュン村のベルン軍を包囲せよとの命令!」

 敵兵たちの間に明らかな動揺が広がった。

 荷車の周囲にいた者が西を指さす。指揮官らしい胸当て姿の男が怒鳴り、兵をまとめようとしているが、全員が命令を聞いてはいない。

 食料袋を荷車から下ろす者がいる。

 家畜をつないでいた縄を切る者もいた。

「効いているのか」

 トーマスが囁く。

「まだ分からない。全員が村を出るまで動くな」

 行け。

 西へ逃げろ。

 アレクは祈るような思いで敵を見つめた。

 敵を殺したくないという理由だけではない。

 敵が東へ向かえば、ラーデン村が襲われる。

 敵が森へ突入すれば、アレクたちの人数はすぐに知られてしまう。

 一人の敵兵が荷物を担ぎ、西へ走り始めた。

 別の二人も続く。

 指揮官が止めようとしたが、村の北と南から再び号令が響いた。

「一隊、前進!」

「二隊は村の南へ回れ!」

 敵兵たちは荷車を放棄した。

 持てるだけの食料を抱え、西側の道へ向かって走り出す。

「逃げた」

 トーマスの顔が明るくなる。

「本当に逃げているぞ」

 エミールも安堵の息を漏らした。

「まだだ」

 アレクは村から目を離さなかった。

 大半の兵は逃げ始めたが、胸当て姿の男はその場に残っている。周囲の兵へ何かを命じ、森の方角を指した。

 六人が集まった。

 剣を持つ者が三人、槍を持つ者が二人、弓を持つ者が一人。

 六人は東側の森へ向かってくる。

「確かめに来る」

 アレクが立ち上がった。

「どうする」

 トーマスが槍を握り直す。

「下がる。ここでは戦わない」

「でも、この火を見られたら」

「だから消す」

 四人は土を掛け、目の前の篝火を消した。

 そのまま森の奥へ下がり、離れた場所に準備していた薪へ火をつける。

 敵から見れば、最初の場所にいた部隊が森の奥へ移動したように見えるはずだった。

「敵は六人だ」

 エミールが言う。

「こちらは四人。待ち伏せれば」

「戦わない」

 アレクは言い切った。

「敵は、森に兵がいるか確かめるために来る。なら、最後まで確かめさせなければいい」

 四人は互いの姿が見えなくなる程度に離れ、木々の陰へ隠れた。

 敵の足音が近づく。

「火が消えている」

「さっきまで、ここにあったはずだ」

「兵はどこだ」

「奥へ動いたんじゃないのか」

 声が聞こえる距離まで来ている。

 アレクは手を上げ、エミールへ合図した。

 森の右側から、エミールが叫ぶ。

「敵の偵察を発見!」

 六人の足音が止まった。

 今度は左側から、村の男が声を上げる。

「東へ十人回せ!」

 トーマスが少し離れた場所から続ける。

「弓兵は木の間を狙え!」

 最後にアレクが、六人の正面から叫んだ。

「追い立てろ! 西へ逃がせ!」

 敵の誰かが息を呑んだ。

「罠だ!」

「戻れ!」

 足音が一斉に遠ざかっていく。

 アレクたちは追わなかった。

 敵が村へ戻って指揮官と合流する可能性もあるため、しばらく森の中で声を出し続ける。

 やがて西側から馬のいななきと荷車の軋む音が聞こえた。

 残っていた敵も村を離れたらしい。

 鐘が三度鳴った。

 ゲオルクからの集合命令だった。


 ◇ ◇ ◇


「敵は全員、西へ退いた」

 合流したゲオルクが告げた。

 十五人全員が戻っている。

 ハンスの傷から再び血が滲んでいるものの、意識ははっきりしていた。

「成功したんですね」

 トーマスが笑った。

「ああ。少なくとも、敵を村から出すところまではな」

 ゲオルクは西の街道を見た。

「これから最後尾を追う」

 アレクは耳を疑った。

「追うのですか」

「そうだ」

「敵はもう逃げました。目的は果たしたはずです」

「我々がグリュン村から追い払うことだけを目的にするならな」

「他に何があるのですか」

「敵がすぐ近くで足を止め、こちらの人数に気づけばどうなる」

 敵は三十人以上いる。

 落ち着きを取り戻して反転すれば、今度こそアレクたちに勝ち目はない。

「さらに西へ押し戻す必要がある」

「ですが、追撃すれば人が死にます」

「敵をそのまま逃がし、別の村が襲われても人は死ぬ」

 アレクは言葉を失った。

 ゲオルクの言うことは正しい。

 敵を追い返したというだけでは、脅威そのものが消えたわけではない。

「……追いたくありません」

「理由は」

「もう、これ以上殺したくないからです」

 周囲が静かになった。

「甘いと思われても構いません。俺は、さっき三人を斬りました。それだけで十分です」

「お前が決めることではない」

 ゲオルクの声は厳しかった。

「この場の指揮官は私だ」

「……はい」

「だが、お前が間違っているとも言い切れん」

 アレクが顔を上げる。

「ここで敵を十人減らせば、後の戦で味方が助かるかもしれん。逆に、欲を出して追えば、待ち伏せを受けて我々が全滅するかもしれん」

「正しい答えはないのですか」

「後からなら、誰にでも正しい答えを言える」

 今日逃がした敵が翌日に村人を殺せば、追って倒すべきだったと言われる。

 今日追撃して味方が死ねば、敵を逃がしておくべきだったと言われる。

 その結果を、今のアレクたちは知らない。

 アレクが前世で知っていた歴史も同じだった。後世の人間は結果を知った上で、なぜ別の判断をしなかったのかと問える。

 だが、決断した者には未来など見えていない。

「だから、指揮官は自分が何を守るかを決める」

 ゲオルクが言った。

「全部を守ることはできん」

「ゲオルク様は、何を守るのですか」

「ここにいる十五人と、街道沿いの村だ」

 ゲオルクは剣の柄へ手を置いた。

「敵の最後尾だけを叩き、西へ走らせる。深追いはしない。負傷者が出れば、そこで終わりだ」

「分かりました」

「アレク」

「はい」

「敵を殺すことだけが、追撃の目的ではない。二度と戻ろうと思わせないことも戦だ」

 ゲオルクが歩き出す。

 アレクも剣へ手を添え、その後に続いた。


 ◇ ◇ ◇


 追撃は長く続かなかった。

 略奪品を抱えていた敵は、隊列を整えられないまま西へ逃げていた。

 ゲオルクたちは森沿いから最後尾へ近づき、一斉に声を上げた。

「追え!」

「逃がすな!」

 敵は、二百人の増援が本当に到着したと思ったらしい。

 多くは振り返らず、抱えていた袋や武器まで捨てて走った。

 応戦した敵は数人だけだった。

 一人がゲオルクの剣に倒れ、もう一人も槍を受けて道端へ崩れる。

 アレクの前には、若い兵が立ちはだかった。

 年齢はアレクより少し上に見える。

 敵兵は剣を振り上げたが、足が震えていた。

 アレクも剣を抜く。

 刃が一度ぶつかった。

 敵兵の握りが浅い。アレクが剣を押し返すと、相手の剣が地面へ落ちた。

 敵兵は両手を上げ、動きを止める。

「行け」

 アレクが言った。

「……何?」

「武器を置いて、西へ逃げろ」

 敵兵は信じられないという顔でアレクを見た。

「早く行け!」

 叫ばれ、敵兵は身を翻した。

 落とした剣を拾わず、仲間たちの後を追って走る。

 ゲオルクはその様子を見ていたが、何も言わなかった。

「ここまでだ!」

 やがて追撃停止の命令が下る。

 敵は街道の先へ消えていった。

 こちらの死者はいない。

 負傷者はハンス一人。

 敵の死者は、アレクが森で倒した三人と、追撃で倒れた二人の計五人だった。

「勝ったぞ!」

 トーマスが声を上げた。

 村の男たちも武器を掲げる。

「三十人以上を追い返した!」

「こっちは誰も死んでいないぞ!」

「二百人に見せたんだ!」

「最初は百人の予定だった!」

 アレクが言うと、笑いが起きた。

「それでも、考えたのはアレクだろ!」

 トーマスが肩へ腕を回してくる。

「俺だけじゃない。配置と合図を決めてくださったのはゲオルク様だし、みんながそのとおりに動いてくれたから勝てたんだ」

「でも勝った」

「ああ」

 剣だけでは退けられなかった相手を、仲間とともに追い払った。

 アレクはようやく、笑みを返した。

「アレク」

 ゲオルクに呼ばれた。

「はい」

「敵を全滅させるのではなく、村から退かせる。その判断はよかった」

「ありがとうございます」

「それにしても、お前は何者だ」

「記憶を失った十五歳です」

「それは聞いた」

「本当です」

「剣を扱え、兵の食料を気にし、初陣で敵を欺く策を出す。それを普通の十五歳だと思えと言うのか」

「自分でも普通とは思っていません」

「正直だな」

 アレクは笑ってごまかした。

 前世のことを話すわけにはいかなかった。

「昔、いろいろな本を読んでいたのかもしれません」

「記憶はないのに、本の内容は覚えているのか」

「全部を失ったわけではないようです」

「都合のいい記憶だ」

「俺もそう思います」

 ゲオルクはしばらくアレクを見ていたが、やがて追及をやめた。

「まあいい。生きていれば、そのうち分かる」

「分かりますかね」

「分からなくても構わん。こちらへ剣を向けない限りはな」

「向けません」

「なら死ぬな」

 マルセルにも言われた言葉だった。

 アレクはうなずいた。

「はい」

「グリュン村へ戻るぞ」

 勝利を喜んでいた男たちが静かになった。

 戦は終わったが、村は今も燃えている。


 ◇ ◇ ◇


 夜が明ける前に、十五人はグリュン村へ戻った。

 炎は弱くなっていたが、何軒もの家が焼け落ちている。

 敵が放棄した荷車の周囲には、破れた麦袋や酒樽が残されていた。逃げる際に踏み荒らされた穀物が、土と混じっている。

 道端には村人の遺体が並んでいた。

 つい先ほどまで勝利を喜んでいた者たちは、誰も声を上げなかった。

 生き残った村人たちが、燃え残った家や納屋から姿を現す。

 最初はアレクたちを見て怯えていた。

「アルヴェインの兵だ!」

 ゲオルクが武器を鞘へ収めた。

「ベルン伯の略奪隊は西へ退いた!」

 その言葉を聞き、座り込む者がいた。

 泣き出す者もいる。

「助かった……」

「ありがとうございます」

「子供が怪我をしています!」

「こっちにも動けない者が!」

 喜んでいるだけの時間はなかった。

 ゲオルクがすぐに指示を出す。

「動ける者は火を消せ! 井戸から水を運べ! 負傷者は村の中央へ集めろ!」

 アレクたちも水桶を手に取った。

 その途中で、アレクは見覚えのある二人を見つけた。

 偵察中に敵兵から殴られていた老人と、その老人を庇った女性だった。

 老人は頭へ布を巻き、家の壁にもたれている。女性も頬を腫らしていたが、自分の足で立っていた。

「あなたたちが、兵を追い払ってくださったのですか」

「……はい」

 女性が深く頭を下げた。

「ありがとうございます」

 アレクの胸が痛んだ。

 二人が襲われていた時、アレクは森の中から見ていた。

 助けに行かなかった。

 あそこで飛び出せば、ハンスとともに殺されていた可能性が高い。結果として敵を追い出し、二人を救えた。

 それでも、何もしなかった時間が消えるわけではない。

「すみません」

「なぜ謝るのですか」

「もっと早く、助けられなくて」

 女性は困ったようにアレクを見た。

「来てくれました」

「ですが」

「来て、追い払ってくれました。それで十分です」

 アレクは顔を上げた。目の前の二人は生きている。今から助けられる人も、まだ残っていた。

「アレク!」

 ゲオルクの声が飛んだ。

「西側の家へ水を運べ! 火が納屋へ移る!」

「はい!」

 アレクは桶を持ち、井戸へ走った。

 朝日が昇る頃、最後まで燃えていた納屋の火が消えた。

 アレクは空になった桶を地面へ置いた。

 異世界へ来てから、まだ数日しか経っていない。

 その間に初めて剣で人を殺し、初めて人へ命令し、初めて自分の策で敵を退けた。

 勝ったという実感はある。

 だが、思っていたよりもずっと重い勝利だった。


 ◇ ◇ ◇


 昼前、東の街道から騎兵が現れた。

 二十騎ほどの一団だった。

 先頭の騎士は村へ入ると馬から降り、ゲオルクを探した。

「ゲオルク・バウマン殿は?」

「私だ」

「ヴァイス男爵閣下より、帰還命令を預かっております」

 封をされた羊皮紙が差し出される。

 ゲオルクは印を確かめてから開き、素早く内容を読んだ。

 その表情が険しくなる。

「何があったのですか」

 アレクが尋ねる。

「ベルン伯の本隊が動いた」

「兵数は」

「およそ三千だ」

 昨夜の敵は三十人から四十人だった。

 その百倍近い兵が、一つの軍として動いている。

「国境の砦が一つ落ちた。ベルン伯軍はヴァイスブルクへ向かっている」

「ヴァイス男爵の兵は何人ですか」

「現時点で八百余り。周辺から戻る部隊を加えても、九百には届かん」

 トーマスが息を呑んだ。

「九百人で三千人と戦うんですか」

「そのために、可能な限り兵を集めている。我々もすぐにヴァイスブルクへ向かう」

「援軍はないのですか」

「要請は出している」

「どこへ」

 ゲオルクは羊皮紙を畳んだ。

「アルヴェイン大公へだ」

 アレクは以前にも、その人物の名を聞いていた。

 アルベルト・ヴァレンシュタイン。

 若くしてアルヴェインを治め、古い慣習に縛られず、人の能力を見て取り立てるという大公。

「援軍は間に合うのですか」

「予定より早く出陣したらしい」

「大公本人も来るのですか」

「ああ。アルベルト自ら兵を率いてくる」

 ゲオルクがアレクを見た。

「昨夜とは比べものにならない戦になる」

「うれしそうに言わないでください」

「喜んではいない。だが、若き大公がどのように戦うかを見られる機会は多くない」

 アレクは西の空を見た。

 三十人以上を追い返しても、戦は終わらなかった。

 今度は三千人の軍が迫っている。

 そして、その軍を迎え撃つため、一人の若き大公もヴァイスブルクへ向かっている。

 アルベルト・ヴァレンシュタイン。

 その名を、アレクは忘れないよう心の中でもう一度繰り返した。


第五話を読んでいただき、ありがとうございました。


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