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『知らない世界の知っている物語』 ~剣と知識を授かった平凡な会社員は、異世界の乱世を生き抜く~  作者: 相田 ソウ
第三篇 乱世の潮目

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第十五話 剣を抜かない戦い

エルツェンの戦いが終わり、ようやく一息つけるかと思われたアレクたち。


しかし、今度は王都軍からレオンハルトへ会談の申し入れが届きます。


王都、レオンハルト、シュヴァルツ伯。


三つに割れかけたグランヴァルトの中で、今度の戦いは剣を抜く前から始まっていました。


そして戦と移動に追われる中で、アレク自身もいつの間にか十六歳を迎えます。


乱世の中でも時間は止まらない。


そのことを、アレクはアルベルトから届いた一通の手紙によって改めて知ることになります。

 王都軍からの使者が通されたのは、それから間もなくだった。

 レオンハルトが使っている館の応接室には、俺とマティアス、レオンハルト、それからユリウスが残っていた。

 扉が開き、四十代ほどの男が入ってくる。濃い茶色の髪に綺麗に整えられた短い髭。鎧は着ておらず、深い緑色の外套の下には簡素な軍服を身につけていた。腰には剣があるが、その柄へ手を伸ばすような気配はない。

 男は部屋へ入ると、その場で片膝をついた。

「第一王弟レオンハルト・フォン・グランヴァルト殿下にご挨拶申し上げます」

「名は?」

「ハインツ・フォン・レーゲン。オットー・フォン・ライゼン将軍の副官を務めております」

「立て」

「はっ」

 ハインツが立ち上がる。その視線が一瞬だけ俺とマティアスへ向けられたが、すぐにレオンハルトへ戻った。

「書状を」

「こちらに」

 ハインツが両手で差し出した書状をユリウスが受け取り、レオンハルトへ渡す。封蝋にはグランヴァルト王家の意匠が入っていたが、王家が公式に使うものとは少し違う。

「ライゼン個人の印か」

「はい」

 レオンハルトが封を切り、紙を開いて黙って読み始める。

 俺は当然、後ろから覗き込むような真似はしなかった。その代わり、レオンハルトの表情を見ていた。最初に見えたのは警戒だった。それから僅かな驚きがあり、最後には何かを考えるように灰色の瞳が細められた。

「……なるほど」

 レオンハルトが小さく呟く。

「何て書いてあるんです?」

 思わず聞いてしまった。

 ユリウスの視線が俺へ向く。

「アレク」

 隣からマティアスの低い声が飛んできた。

「はい」

「黙っていろと言ったな」

「……すみません」

 忘れていたわけではない。ただ、気になってしまった。

 レオンハルトが書状を畳む。

「ライゼンは会談を求めている」

「殿下と?」

 今度はマティアスが聞いた。

「そうだ。場所はエルツェン東方にある小さな村だ。明日の正午、双方の兵は五十以内と指定している」

「理由は?」

「書かれていない」

「なら、直接聞くしかないな」

「そうなる」

 レオンハルトがハインツを見る。

「ライゼン本人が来るのか?」

「はい」

「王兄殿下の命令か?」

 その瞬間、ハインツの返事が僅かに遅れた。

「その件につきましては、将軍ご本人からお答えするとのことです」

「そうか」

 レオンハルトの目が僅かに細くなる。

 俺も今の間には気づいた。王兄の命令なら、そう答えればいい。それを答えられないのか、それとも答えたくないのか。どちらにしても、ただの会談ではなさそうだった。

「ご返答をいただけますでしょうか」

「会おう」

 レオンハルトは即答した。

「明日正午、指定された場所へ向かう」

「承知いたしました」

「それと、ライゼンへ一つ伝えろ」

「何でしょう」

「剣を抜かずに済む話であることを願う、と」

 ハインツは一瞬だけレオンハルトを見た。

「確かにお伝えいたします」

 一礼して、ハインツが部屋を出ていく。扉が閉まるまで誰も口を開かなかった。

 そして足音が遠ざかったところで、俺はレオンハルトを見る。

「今度は喋っていいです?」

「好きにしろ」

「絶対何かありますよね」

「何がだ?」

「王兄殿下の命令かと聞かれた時、あの人は答えませんでした」

「見ていたか」

「はい」

 レオンハルトが椅子へ座る。

「では、どう見る?」

「そこまでは分かりません。でも、王兄殿下から正式に会談を命じられているなら、隠す必要はないと思います」

「続けろ」

「逆に、王兄殿下から殿下を攻撃しろと命じられているなら、こうやって会談を申し込むのは変です。だったら、ライゼン将軍自身の判断で会おうとしている可能性がある」

「悪くない」

 レオンハルトがマティアスを見る。

「お前は?」

「同じだ。問題は、なぜライゼンが自分の判断で動いたかだ」

「王都軍の中でも意見が割れている?」

 俺が聞くと、マティアスは少し考えてから答えた。

「王都軍というより、王兄とライゼンの考えが完全には一致していない可能性がある」

「でも、ライゼン将軍は王家への忠誠が厚いんですよね?」

「ああ」

 レオンハルトが答えた。

「王家を守ることと、王兄の全ての判断に従うことは同じではない」

「……なるほど」

 俺は地図へ視線を落とした。

 王都、シュヴァルツ伯、レオンハルト。グランヴァルト国内では三つの大きな力が、それぞれ別の思惑を抱えながら動き始めている。

「前から聞こうと思ってたんですけど」

「何だ?」

「レオンハルト殿下と王兄殿下って、結局何でここまで対立してるんです?」

「今さら聞くのか」

「大まかなことは知ってますよ。でも詳しくは聞いてないです」

「長くなるぞ」

「じゃあ短くお願いします」

「無茶を言うな」

 レオンハルトが呆れたように笑ったが、すぐに地図上の王都へ指を置いた。

「王兄は中央へ権力を集めようとしている」

「地方領主の力を削って?」

「ああ。税制を統一し、軍役を改め、地方領主が持つ裁判権の一部を王都へ移そうとしている。王都から役人を送り込む構想もある」

「それ自体は悪いことなんですか?」

「必ずしも悪くはない」

 意外な答えだった。

「殿下は反対じゃない?」

「国として考えれば必要な部分もある。問題はやり方だ」

「急ぎすぎてる?」

「そうだ」

 マティアスが会話へ加わる。

「長年持っていた権利を突然取り上げられて、喜んで従う領主はいない。しかも王兄は、反発する者ほど早く従わせようとした」

「それで余計に反発した」

「ああ」

 レオンハルトがシュヴァルツ伯領を指した。

「そこへシュヴァルツが入り込んだ。王家の圧政から地方の権利を守ると称して、不満を持つ諸侯を自分の周囲へ集め始めた」

「本当に地方を守りたいわけじゃない?」

「少なくとも、それだけではない。奴自身が王家に匹敵する力を欲している」

「じゃあ王兄殿下が完全に間違ってるわけでも、シュヴァルツ伯側の領主が全員悪いわけでもない?」

「そういうことだ」

「……面倒ですね」

「ようやく分かったか」

「剣で戦ってる時の方が分かりやすいですよ。敵が城壁の向こうにいますから」

「昨日まで戦を嫌がっていた男の言葉とは思えんな」

「嫌なのは変わりません。でも、敵が誰なのか分からないよりはましです」

 マティアスが小さく笑った。

「覚えておけ。戦場の方が簡単なこともある」

 その言葉が妙に耳に残った。


 ◇ ◇ ◇


 翌朝、俺たちはエルツェン東門から出発した。

 レオンハルト、マティアス、俺、ユリウス。それに護衛を加えても四十四人しかいない。双方五十人以内という約束を守るためだった。

「本当に俺まで行くんですか?」

 馬へ乗りながら聞くと、レオンハルトがこちらを見る。

「今さら何を言っている」

「いや、正式な会談でしょう?」

「お前は昨日、使者の反応を見抜いた」

「見抜いたっていうほどじゃありませんよ」

「それに、ライゼンはマティアスとも面識がある。マティアスが行くなら、その配下であるお前が同行しても不自然ではない」

 その言葉を聞いて、俺は少しだけ不思議な気持ちになった。

 マティアスの配下。

 もう、それが当たり前のように扱われている。

 アルベルトのもとを離れると決めた時には、あれほど大きな決断に思えた。それなのに人間というのは不思議なもので、時間が経てば新しい立場にも少しずつ慣れていく。

「嫌なら残ってもいいぞ」

 マティアスが言う。

「行きます」

「なら文句を言うな」

「文句を言うのと行くのは別です」

「面倒な奴だ」

「最近それよく言われます」

 東へ向かう街道には、まだ戦の跡が残っていた。道端には壊れた荷車が放置され、畑の一部には兵が野営した跡が残っている。それでも昨日まで砲声が響いていたエルツェンから少し離れるだけで、驚くほど静かだった。

 しばらく進んだところで、マティアスが馬を寄せてくる。

「アレク」

「はい?」

「昨日話した食糧輸送だが、北回りを主経路として使う」

「採用されたんですか?」

「ああ。南西の河港は斥候が安全を確認出来た時だけ使う」

「良かった」

「喜ぶのは早い。帰ったら一日当たりに必要な食糧と、荷車の必要数を計算しろ」

「やっぱり仕事が増えるんですね」

「三日以内だ」

「期限まで付いた」

「出来るだろう」

「俺ならやると思ってません?」

「思っている」

「それは信用なのか酷使なのか分からないなぁ」

 少し前を進んでいたレオンハルトが振り返る。

「両方だろう」

「殿下まで言わないでくださいよ」

 僅かに笑いが起きる。

 だが、目的地が近づくにつれて、自然と会話は減っていった。


 ◇ ◇ ◇


 会談場所に指定されたのは、小さな村の外れにある石造りの礼拝堂だった。

 周囲には二十軒ほどの家と畑が広がっている。既に王都軍側も到着しており、礼拝堂から少し離れた場所にはグランヴァルト王家の旗が立っていた。

 こちらも向こうも兵数は約束通りだった。

 だが、全員が剣を持っている。

 誰も抜いてはいない。それでも、何か一つ間違えればすぐ戦いになることくらいは俺にも分かった。

 昨日来たハインツが一人で前へ出る。

「第一王弟殿下。ライゼン将軍がお待ちです」

「中には何人いる?」

「将軍を含め十名です」

「なら、こちらも十名で入る」

 レオンハルトが護衛を選び、俺もその中に入った。

 礼拝堂の中には長椅子が並び、その中央に簡素な机が置かれていた。

 机の向こうに、一人の男が立っている。

 六十歳前後だろう。短く切られた髪はほとんど白くなっているが、背筋は伸び、年齢を感じさせないほど肩幅も広い。ただ、目元には深い皺が刻まれていた。

「レオンハルト殿下」

「ライゼン」

 二人はしばらく黙って互いを見る。

「久しいな」

「出来れば戦場の近くでは会いたくなかった」

「同感だ」

 これがオットー・フォン・ライゼン。

 王都軍千八百を率いてエルツェンへ接近していた男だ。

 ライゼンの視線がマティアスへ移る。

「マティアス・クレーマー。お前までいるとはな」

「お久しぶりです、将軍」

「相変わらず色々なところに顔を出しているらしいな」

「必要な場所へ行っているだけです」

「その結果がエルツェンか」

「今回はそうなります」

 やはり二人も面識があるらしい。

 そして最後に、ライゼンの視線が俺へ向いた。

「その少年がアレク・ハルトマンか」

「そうだ」

 レオンハルトが答える。

「アレクです」

「話は聞いている」

「……またですか」

 思わず言ってしまった。

 横でユリウスが小さく咳払いをする。

「失礼しました」

「いや、聞いていた通りだ」

「誰から聞いたんです?」

「色々な者からだ」

「最近、皆それ言うなぁ」

「アレク」

 今度はマティアスだった。

「はい」

「座れ」

「はい」

 余計なことを言う前に座ることにした。

 全員が席につくと、ライゼンの表情から僅かに残っていた笑みが消えた。

「時間がない。すぐ本題へ入る」

「何が起きる?」

 レオンハルトが聞く。

「王都が動く」

「もう動いているだろう」

「そういう意味ではない」

 ライゼンが一度言葉を切った。

「王兄殿下は、シュヴァルツ伯討伐のため諸侯へ総動員令を出す」

 俺は思わずマティアスを見る。

「いつだ?」

「三日以内」

「集まる兵は?」

「全てが命令に従えば、一万を超える」

「一万……」

 声が漏れた。

 エルツェンで戦った兵は数千だった。それでも城壁から見れば地面を埋め尽くすほどに見えた。

 それが一万。

 しかも王都軍だけで、その規模になる可能性がある。

「全て王都側へ集まるわけではないだろう」

 マティアスが言う。

「ああ。命令を拒む者もいる。シュヴァルツ側へ行く者もいるだろう」

「だから会談を求めたのか?」

 レオンハルトが聞いた。

「それもある」

 ライゼンが真正面からレオンハルトを見る。

「お前がどちらへ立つのか聞きに来た」

「私が王都へ従うか?」

「ああ」

「答えを知っているだろう」

「以前ならな。しかし、エルツェンがあった」

 ライゼンの声が少し低くなる。

「シュヴァルツは王家へ弓を引いた。お前も王家の血を引く者なら、今だけでも王都と手を組め」

「条件は?」

「王兄殿下への臣従だ」

「断る」

 レオンハルトは即答した。

「最後まで聞け」

「聞く必要がない。私は王家には従うが、兄の臣下になった覚えはない」

「今の王都では同じことだ」

「だから問題だと言っている」

 二人とも声を荒らげてはいない。

 それでも、部屋の空気が一気に重くなった。

 俺はライゼンを見る。

 怒っている。

 だが、それだけではない。

 焦りと、困惑に近いものが混じっている。

「将軍」

 気づけば声を出していた。

 マティアスがこちらを見る。

 今度こそ怒られるかと思ったが、ライゼンが先に俺へ顔を向けた。

「何だ?」

「王兄殿下は、レオンハルト殿下を敵だと思っているんですか?」

「……」

 ライゼンはすぐには答えなかった。

「今は敵ではない」

「今は?」

「王都の命令に従わなければ、敵だと判断する者は増える」

「王兄殿下自身は?」

 また沈黙した。

 俺はその表情を見ていた。

「……分からないんですか?」

「アレク」

 マティアスに呼ばれたが、ライゼンは手を上げて止めた。

「構わん」

 そして、深く息を吐く。

「分からん」

 その答えは意外だった。

「王兄殿下は焦っている。国が割れることを恐れているからこそ、全てを王都へ集めようとしている」

「それは私も同じだ」

 レオンハルトが言う。

「分かっている。だから私はここへ来た」

 ライゼンの拳が机の上で固く握られる。

「私は王家を守りたい。シュヴァルツを討つことに異論はない。だが、その後にお前と王都が戦えば何の意味もない」

 レオンハルトが黙る。

「だから一度だけ、並んで戦え」

「シュヴァルツを討つまでか?」

「ああ」

「その後は?」

「その後に決めればいい。王家をどうするのか、国をどうするのか、その時に話せ」

 俺は二人の話を聞きながら、前世の歴史を思い出していた。

 共通の敵がいる間だけ手を組む。

 珍しいことではない。

 むしろ戦国時代なら何度もあった。

 だが、だからこそ、その後が怖い。

「それだと」

 俺は口を開いた。

「シュヴァルツ伯を倒した後に、もっと大きく揉めませんか?」

 ライゼンが俺を見る。

「なぜそう思う?」

「今はシュヴァルツ伯っていう共通の敵がいるから、王都とレオンハルト殿下が一緒に戦える。でも、その敵がいなくなったら、今まで隠れていた対立が全部出てくると思います」

「続けろ」

 今度はマティアスだった。

「俺は政治のことは詳しくないです。でも、『シュヴァルツ伯を倒したら後で考える』だけだと危ないと思います。一緒に戦うなら、その後にどうするのかも少しは決めておいた方がいい」

 ライゼンが目を閉じる。

「十五の少年に言われるとはな」

「……」

 その言葉を聞いた時、胸の奥に僅かな引っ掛かりを覚えた。

 だが、今はそれを考えている場合ではなかった。

「条件を決めればいい」

 マティアスが言った。

「どんな条件だ?」

「第一に、王都軍とレオンハルト軍の指揮系統を分ける」

「別々に戦うのか?」

「違う。作戦は調整するが、兵を一つに混ぜない。王都軍はライゼン将軍、レオンハルト軍は殿下が指揮する」

 俺にも理由は分かった。

 今まで別々に動いていた兵を突然一つにすれば、命令系統が混乱する。それ以上に、互いを信用していない兵同士を無理に混ぜる方が危険だ。

「二つ目。シュヴァルツ伯討伐後も、レオンハルト殿下の軍を解散させない」

 ライゼンの表情が僅かに険しくなる。

「王都は嫌がる」

「なら共同は成立しない」

「……」

「武器を捨てた状態で王都へ来いと言われて、従う者はいない」

「その通りだ」

 レオンハルトが頷く。

「三つ目は、シュヴァルツ伯討伐後に王兄殿下とレオンハルト殿下が直接会談することだ。場所は王都以外の中立地。双方の護衛数も同数とする」

「王兄殿下が受けると思うか?」

「受けるかどうかは将軍が聞けばいい」

「相変わらず簡単に言う」

「簡単ではないから、あなたがここへ来たのでしょう」

 ライゼンがしばらくマティアスを見た。

 やがて、深く息を吐く。

「持ち帰ろう」

「返事は?」

「明日までに欲しい」

「短いな」

「総動員令が出れば、諸侯はどちらにつくか選び始める。一度兵を出せば、簡単には戻れん」

 それは分かった。

 兵を出すということは、自分の立場を示すということだ。

 王都へ兵を送る。

 シュヴァルツ伯へ兵を送る。

 レオンハルトへ兵を送る。

 その選択一つで、領主だけではなく、その家族や領民の運命まで変わる。

「分かった」

 レオンハルトが答えた。

「明朝までに返事を出す」

「承知した」

 ライゼンが立ち上がる。

「今日は剣を抜かずに済んだな」

「ああ」

「次もそうありたいものだ」

「私もだ」

 二人は握手をしなかった。

 ただ、しばらく互いを見ていた。

 その姿を見ながら、俺は思った。

 敵を倒すより、敵にしない方が難しい。

 もしかすると、これが戦場の外で戦うということなのかもしれない。


 ◇ ◇ ◇


 エルツェンへ戻ったのは夕方だった。

 宿へ入る前にフェリクスが俺のところへやって来た。

「アレク殿。書状が届いております」

「俺に?」

「はい」

「誰からです?」

「アルヴェイン大公殿下です」

「アルベルト殿下?」

 俺はすぐに手を伸ばした。

「ください」

「ここで読むのですか?」

「気になるので」

「せめて部屋へ戻ってからにしてください」

「……はい」

 宿の部屋へ戻ると、荷物を置くより先に封を切った。

 懐かしい筆跡が目に入る。


『アレクへ。

 エルツェンで生き残ったと聞いた。まずはそれでいい』


「それだけ?」

 思わず呟いたが、当然まだ続いていた。


『レオンハルトから、お前が民兵まで指揮して城壁を守ったと聞いた。調子に乗るな。十五の若造が一度城を守った程度で、将軍になったつもりになるな』


「祝いの手紙じゃないな、これ」

 思わず苦笑する。

 だが、その次の一文を読んだところで、俺の手が止まった。


『そういえば、戦の最中だったせいで祝いの言葉も送れなかったな。十六歳になったそうだな。遅くなったが、おめでとう』


「……あ」

 俺はしばらく、その一文を見ていた。

「そういえば……俺、十六になったのか」

 本当に忘れていた。

 戦があった。

 移動があった。

 マティアスを追い、アルベルトのもとを離れ、今度はエルツェンの城壁で戦った。

 そんなことを繰り返しているうちに、自分の誕生日などすっかり頭から抜け落ちていた。

 この世界へ来た時、俺は十五歳だった。

 ラーデン村の近くで目を覚まし、自分がどこにいるのかさえ分からないまま歩いた。マルセル神父に助けられ、初めてこの世界の兵士を見ただけで緊張していた。

 あの頃から、まだ一年ほどしか経っていない。

 それなのに、随分遠くまで来てしまったように感じる。

 今の俺はマティアスの配下として他国へ入り、城壁で兵や民兵と一緒に戦い、第一王弟と王都軍の将軍が話し合う席にまで座っている。

「一年か……」

 たった一年。

 でも、短かったとは思えない。

 俺が知らない世界へ放り出されてから、この乱世はずっと続いている。

 そして俺自身も、その中で一つ歳を取った。

 書状へ視線を戻す。


『ゲオルクもヨハンも、お前が無事だと聞いて安心している。トーマスは自分もエルツェンへ行けばよかったとうるさい』


「トーマスらしいな」

 思わず笑ってしまう。


『エルツェン復旧に必要な材木については、アルヴェインからも一部融通する。ヨハンが金額を見て嫌な顔をしているが、必要経費だと説得しておいた。もっとも、後でマティアスには請求する』


「結局取るんだ」

 そこもアルベルトらしい。

 だが、その次に書かれていた一文で、また手が止まった。


『それと、もう少しすればエリーゼも誕生日だ』


「……エリーゼ?」

 読み進める。


『お前と誕生日が近いのだから、今度は忘れるな。もっとも、自分の誕生日まで忘れていたお前に言っても無駄かもしれんが』


「何で俺が忘れてるって分かるんですか」

 目の前にアルベルトがいたら、間違いなくそう言っていた。


『最近、エリーゼはお前の話を聞きたがる。私を伝書鳩代わりにするくらいなら、お前から手紙の一通くらい書いてやれ』


「殿下……」

 さらに続きがある。


『大公としての命令ではない。叔父としてのお節介だ』


「自分でお節介って書いてるじゃないですか」

 呆れながらも、俺はその一文を何度か読み返した。

 エリーゼ。

 アルベルトの姪で、俺がアルヴェインにいた頃から何度も話した少女。

 最初の頃は大公の姪というだけで緊張していたはずなのに、いつの間にか普通に話せるようになっていた。

 俺がアルベルトのもとを離れてマティアスへ仕えることを決めてから、以前のように顔を合わせることもなくなった。

 それでも、彼女が俺の話を聞きたがっている。

「……手紙か」

 机の上に紙を一枚置く。

 筆記具を持ったところで、手が止まった。

「何を書けばいいんだ?」

 戦場でどう兵を動かすかを考える時より困る。

 俺はしばらく悩んだ末、最初の一文を書いた。


『エリーゼへ。

 アルベルト殿下から、もうすぐ誕生日だと聞きました』


 そこまで書いて、少し考える。


『少し早いけれど、おめでとう』


 さらに続ける。


『俺も少し前に十六歳になったそうです。そうです、と書くのも変だけど、戦の最中だったので自分でも忘れていました』


「……これ、書いていいのかな」

 まあいいか。

 嘘を書くよりは俺らしい。

 次に何を書くか考えて、エルツェンのことを思い出した。


『エルツェンでは大きな戦がありました。肩を少し怪我したけれど、大したことはありません。ちゃんと生きています』


 そこまで書いてから、怪我のことを書けば心配させるのではないかと思った。

 消そうにも、もう書いてしまった。

「……まあ、大したことないって書いたからいいか」

 誰もいないのに言い訳する。

 そして最後に、少しだけ迷ってから書いた。


『アルベルト殿下から、エリーゼが俺の話を聞きたがっているとも聞きました。

 俺も、エリーゼが元気にしているか気になっています。

 次に会えた時には、ここであったことを色々話します。

 誕生日の贈り物も、その時まで覚えていたら何か考えます』


 書いてから首を傾げた。

「覚えていたら、は駄目だな」

 さすがに失礼な気がする。

 そこだけ書き直す。


『誕生日の贈り物も、次に会う時までに何か考えておきます』


「……これでいいか」

 最後に名前を書く。


『アレク』


 短い。

 でも、俺が無理に綺麗な文章を書くよりはいい気がした。

 手紙を封じながら、ふと考える。

 俺が十六歳になった。

 もうすぐエリーゼも一つ歳を取る。

 戦をしている間にも、時間は止まらない。

 誰かが生まれ、誰かが歳を取り、誰かが死ぬ。

 俺が十五歳から十六歳になるまでの一年間にも、この世界では数え切れないほどの出来事があった。

 この先、俺が十七になっても。

 十八になっても。

 乱世は続いているのだろうか。

 そんなことを考えて、少し嫌になった。

「さすがに、その頃には落ち着いててほしいな」

 誰に聞かせるでもなく呟いた。

 だが、翌朝にはそんな希望を簡単に打ち消す知らせが届いた。


 ◇ ◇ ◇


 翌朝、王都軍から再び使者が来た。

 俺がマティアスのいる会議室へ向かうと、既にレオンハルトも来ていた。机の上には昨夜までなかった駒がいくつも置かれている。

「早いですね」

「王兄から返事が来た」

 レオンハルトが書状を持ち上げる。

「もう?」

「ライゼンが夜のうちに伝令を飛ばしたらしい」

「条件は?」

「第一。王都軍と私の軍の指揮系統を分けること」

「はい」

「認めるそうだ」

「おお」

「第二。シュヴァルツ伯討伐後も、私の軍を解散させないこと」

「それは?」

「認める。ただし、兵数を現在より大幅に増やさないことが条件だ」

「殿下がこれ以上兵を集めるのを警戒してる?」

「そうだろうな」

「三つ目は?」

「討伐後、王兄と私が中立地で直接会談する」

 レオンハルトが僅かに笑う。

「これも認めた」

「全部?」

「ああ」

 俺は素直に驚いた。

「思ってたより簡単に通りましたね」

「簡単だと思うか?」

 マティアスが聞く。

「……いや」

 俺は書状を見る。

「王兄殿下が急いでる?」

「私もそう見る」

「何かあったんですか?」

 レオンハルトが机の上の地図を広げる。

「総動員令が出た」

「昨日は三日以内って」

「早めたらしい」

「どうして?」

「諸侯が動き始めた」

 地図を見ると、昨日までなかった駒が各地に置かれていた。

「現時点でシュヴァルツ側へ三家。王都側へ五家。私のもとへ二家が兵を出すと連絡してきた」

「もうそんなに?」

「ああ。まだ態度を決めていない家の方が多い」

「兵数は?」

「王都側が現時点で約六千。シュヴァルツ側が五千前後。私の軍も援軍を含めれば三千ほどになる」

「……昨日と全然違う」

 俺は地図を見つめた。

 数日前まで三千人の軍を見て多いと思っていた。

 今は、その倍近い兵が一つの陣営に集まり始めている。

「これ、もっと増えますよね」

「ああ」

「どれくらいまで?」

 マティアスが答える。

「一方だけで一万五千に届く可能性もある」

「一万五千……」

 昨日聞いた一万より、さらに多い。

 それだけの人間が動けば、必要になる食糧も武器も馬も桁が変わる。

 俺は少し怖くなった。

「アレク」

 マティアスがこちらを見る。

「はい」

「怖いか?」

「怖いですよ」

「そうか」

「でも」

 俺は地図に置かれた駒を見る。

「少しだけ、前より分かるようになった気がします」

「何がだ?」

「潮目っていうものが」

 以前、レオンハルトとの会談で俺が使った言葉だった。

 どちらへ流れるか分からない。

 けれど、一度流れが傾けば、一気に人が集まる。

 今、まさにそれが起きようとしている。

「王都側が大きく勝てば、まだ迷ってる領主が王都へ行く。シュヴァルツ伯が勝てば、その逆になる」

「ああ」

「だから、戦う前に味方を増やした方がいい」

「ようやく見えてきたな」

「次は諸侯への調略ですか?」

「外交と言え」

「言い方が違うだけじゃないです?」

「その言い方が大事なんだ」

「なるほど」

 レオンハルトが地図の北側へ指を置く。

「私は北部諸侯へ使者を出す。まだ立場を決めていない家が多い」

「マティアス様は?」

「西だ」

「俺は?」

 そう聞くと、マティアスがこちらを見た。

「お前も来い」

「どこへです?」

「商人に会う」

「また商人?」

「ああ。ただし、前とは違う」

「何が違うんです?」

 マティアスの指が地図の南側へ移動する。

「今度会うのは、シュヴァルツ伯と長く取引している商人だ」

「敵側の?」

「敵と決めるのは早い」

「でもシュヴァルツ伯と取引してる」

「商人は誰とでも取引する。だからこそ使える」

 ベルグハーフェンで見たものを思い出す。

 倉庫、荷札、船、荷車。

 物を運ぶ人間は、戦場の外側にいるように見えて、実際には戦そのものを支えている。

「何を聞くんです?」

「聞くだけではない」

「じゃあ?」

「選ばせる」

「何をです?」

 マティアスが地図上の街道を指でなぞる。

「これから、どちらへ荷を流すのかをだ」

 俺はその指先を目で追った。

 王都軍が増える。

 シュヴァルツ伯軍も増える。

 レオンハルトも兵を集める。

 兵が増えれば、それだけ大量の食糧が必要になる。武器も矢も馬の飼料も必要になる。

 どれだけ兵を集めても、食べるものがなければ戦えない。

 エルツェンで嫌というほど思い知らされたことだった。

「剣を抜く前から、もう戦ってるんですね」

「ああ」

 マティアスが答える。

「今さら気づいたか?」

「前にも言われましたね」

「なら忘れるな」

「はい」

 俺はもう一度地図を見る。

 エルツェンで一つの城を守った。

 だが、それで何かが終わったわけではなかった。

 むしろ、あの戦いをきっかけに、それまで迷っていた者たちが一斉に動き始めている。

 王都。

 レオンハルト。

 シュヴァルツ伯。

 地方諸侯。

 そして、その全てを繋ぐ商人たち。

 次に起きる戦は、エルツェンより遥かに大きくなるかもしれない。

 その勝敗を決めるのは、剣を振るう兵士だけではない。

 誰が味方になるのか。

 どこから食糧が届くのか。

 どの街道を使えるのか。

 誰が金を出し、誰が情報を運ぶのか。

 戦場に兵が並ぶ頃には、既に勝敗の一部が決まっている。

 前世では知識として知っていた。

 今は、それが目の前で現実になろうとしている。

 十五歳でこの世界へ来た俺は、戦の中で十六歳になった。

 そして十六歳になった最初の仕事は、剣を握ることではない。

 これから始まる、もっと大きな戦の前に。

 誰に、どちら側へ立つのかを選ばせることだった。

第十五話をお読みいただき、ありがとうございます。


今回は、エルツェンの戦いから一転して、王都軍との会談と、これから始まるより大きな争いへの準備を描きました。


ライゼン将軍が求めたのは、レオンハルトと王都が一時的に手を組み、まずシュヴァルツ伯を討つこと。


しかし、共通の敵がいる間だけ結ばれた同盟は、その敵がいなくなった瞬間に崩れる可能性があります。


だからこそマティアスは、指揮系統、兵力の維持、その後の会談まで含めて条件を決めようとしました。


戦場へ出る前に、何を約束し、誰を味方につけ、どんな形を残しておくのか。


アレクも少しずつ、「戦は兵がぶつかってから始まるわけではない」ということを実感し始めています。


そして今回は、アレクが十六歳になったことも描きました。


十五歳で知らない世界へ放り出された少年が、戦場を経験し、主君を変え、城を守り、気づけば一つ歳を重ねている。


誕生日そのものは戦の中で過ぎてしまいましたが、こうした年齢の変化を通して、この乱世の中でも確かに年月が流れていることを描いていきたいと思います。


さらにアルベルトからは、もうすぐエリーゼの誕生日だという知らせも届きました。


大公としてではなく、叔父として余計なお節介を焼くアルベルト。


そして、その言葉に押されながらエリーゼへ手紙を書くアレク。


戦や政治だけではなく、離れていても続いていく人との関係も、これから少しずつ変化していきます。


次話では、マティアスとアレクがシュヴァルツ伯と関係を持つ商人のもとへ向かいます。


今度の目的は、情報を聞き出すことだけではありません。


これから誰に物を売り、どちらへ荷を流すのか。


剣を抜く前の戦いは、第四篇に向いさらに本格化していきます。

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