第十四話 勝った後に残るもの
エルツェンの戦いは終わりました。
しかし、勝利したからといって、町が元通りになるわけではありません。
崩れた城壁。
傷ついた兵士。
家を失った住民。
減った食糧。
そして、次の戦に備えるための補給と復旧。
アレクは今回、戦う側ではなく、勝った後に残されたものを立て直す側へ回ります。
翌朝。
エルツェンの町に、いつもの朝は来なかった。
夜が明ける前から人の声が聞こえていた。荷車の車輪が石畳を軋ませ、工兵たちが崩れた城壁から瓦礫を運び出し、教会の前では負傷者を運び込む兵と住民が絶えず行き交っている。
昨日まで城外から響いていた砲声は、もう聞こえない。
それなのに、町は戦っていた時より忙しいように見えた。
「……これが勝った後か」
宿として使われている建物の窓から外を眺めながら、俺は小さく呟いた。
昨日、マティアスが言っていた。
戦は、勝ってからの方が長い。
その意味が、少しだけ分かった気がする。
「アレク殿」
「はい?」
後ろから声を掛けられて振り向くと、フェリクスが立っていた。
「マティアス様がお呼びです」
「もう?」
「もう、とは?」
「いや、昨日あれだけ戦ったから、せめて朝くらいはゆっくり出来るのかなって」
「医師には診てもらったのでしょう?」
「診てもらいましたけど」
「肩は?」
「打撲です。骨は大丈夫だって」
「では問題ありませんね」
「フェリクスまでマティアス様みたいになってきたな……」
「光栄です」
「褒めてないですよ」
俺は上着を羽織った。
肩を動かすとまだ痛む。
だが、剣を握れないほどではない。
「それで、何の用です?」
「被害状況の確認です」
「昨日言ってたやつか」
「はい。それと」
「まだある?」
「物資の配分、負傷者の収容先、城壁の応急修理、住民への食糧供給についても話すそうです」
「……」
「どうしました?」
「本当に戦ってからの方が長そうだなって」
「まだ一日目です」
「聞きたくなかった」
フェリクスが僅かに笑った。
◇ ◇ ◇
城館の会議室へ入ると、既に何人も集まっていた。
マティアス。
カール副将。
工兵長。
補給担当のディートリヒ。
そして、昨夜から城外に陣を張っているレオンハルトもいる。
「遅い」
マティアスが言った。
「呼ばれてすぐ来ましたよ」
「私たちは先に来ている」
「皆が早すぎるんです」
「座れ」
「はい」
空いている椅子へ座る。
机の上にはエルツェンの地図と、何枚もの紙が広げられていた。
「まず被害だ」
カールが紙を一枚取った。
「守備隊の死者七十三。重傷者百十一。軽傷者は二百を超える」
昨日まで一緒に戦っていた人たちの顔が頭に浮かぶ。
西壁。
南門。
南西角塔。
俺が名前すら知らないまま死んだ人もいる。
「民兵は?」
俺が聞いた。
「死者三十八。重傷者四十七。軽傷者は確認中だ」
「……そうですか」
「敵側の遺体は城内と城壁周辺だけで二百を超えている。城外についてはレオンハルト殿下の兵が確認している」
レオンハルトが続ける。
「昨日確認出来た範囲で三百六十前後だ。負傷者は不明。撤退時に運ばれた者も多い」
「捕虜は?」
「百七十二」
「そんなに?」
「西翼が崩れた時に取り残された者が多い」
俺は地図を見る。
勝った。
確かに勝った。
それでも数字として聞くと、昨日の戦いが違って見える。
「次に城だ」
工兵長が別の紙を広げた。
「南西角塔は上部がほぼ崩壊。再建が必要だ。南西壁は一か所大きく損傷し、今は土嚢と木材で塞いでいる」
「どれくらい持ちます?」
「敵が来なければいくらでも」
「敵が来たら?」
「砲を撃たれれば終わりだ」
「ですよね……」
「南門も外板三枚が破損。閂も一本交換が必要だ。西壁は比較的軽いが、梯子を掛けられた場所の胸壁がいくつか壊れている」
カールが腕を組む。
「本格的に直すなら一月は欲しい」
「一月?」
俺が聞き返す。
「石材を運び、足場を組み、角塔まで直すならな」
「敵は一月待ってくれます?」
「待つと思うか?」
「思いません」
「だから応急修理を先にする」
工兵長が地図の南西部分を指した。
「まず崩れた箇所の内側に木柵を二重に作る。その間へ土を入れる」
「土塁みたいにする?」
「土塁?」
「あ、いや。土で壁を作るってことです」
「そうだ。石壁を直す時間がないなら、その方が早い」
なるほど。
見栄えは悪い。
だが今必要なのは、綺麗な城壁ではない。
次の攻撃に耐えられる壁だ。
「木材は?」
マティアスが聞いた。
ディートリヒが帳簿を見る。
「持ち込んだ分だけでは足りません。町の材木商から買い上げても、必要量の七割程度です」
「残りは」
「近隣から運ばせるしかありません」
「何日だ」
「早くても三日」
「遅い」
「分かっています」
俺は地図を見る。
「壊れた家の木材は使えませんか?」
全員の視線がこちらへ向いた。
「どういう意味だ」
マティアスが聞く。
「昨日、町の南側で何軒か家が壊れてましたよね」
「ああ」
「住めないくらい壊れた家なら、使える柱や板だけ回収出来ないかなって」
工兵長が顎へ手を当てる。
「使える」
「本当ですか?」
「全てではないがな。焼けていない梁や柱なら補強材に出来る」
「じゃあ」
「待て」
マティアスが止めた。
「はい?」
「誰の家だ」
「……町の人です」
「その家を勝手に解体するのか?」
「あ」
言われて気づいた。
前世の感覚で、廃材として見てしまった。
だが、そこには持ち主がいる。
「買い取る?」
「金だけで済むと思うか」
「……」
「昨日家を失った人間のところへ行って、城壁に使うから残った柱まで寄越せと言うのか?」
「それは……嫌ですね」
「なら考えろ」
アルベルトもそうだった。
マティアスも、答えをすぐには言わない。
俺は少し考えた。
「代わりの材料を渡す」
「何を」
「新しい家を建てる時に必要な木材を、後で優先的に渡す。それと、解体と運搬はこっちでやる」
ディートリヒがこちらを見る。
「金銭補償も必要でしょう」
「はい」
「だが、それなら応じる者はいるかもしれん」
工兵長も頷く。
「焼け残った家は、いずれ解体しなければ危険だ。こちらで解体するなら住民側にも利点はある」
「では、その条件で交渉しろ」
マティアスが言った。
「俺が?」
「お前が言い出した」
「そうなると思った」
「フェリクスを連れていけ」
「はい」
また仕事が増えた。
だが、これは必要な仕事だ。
「次だ」
マティアスがディートリヒを見る。
「食糧」
「問題はこちらです」
ディートリヒが帳簿を開いた。
「城内の備蓄は、戦闘前の時点で十二日分でした」
「今は?」
「七日程度です」
「そんなに減ったんですか?」
俺が聞く。
「兵が増えた」
ディートリヒが答える。
「民兵も城へ集めた。避難してきた周辺住民もいる。それに昨日は戦闘中だったため、予定より多くの水と食糧を配った」
「マティアス様が運んできた分は?」
「それを含めて七日だ」
「……少ない」
「だから問題だ」
俺は帳簿へ視線を落とす。
七日。
シュヴァルツ伯がすぐ戻ってくるとは思えない。
だが王都軍も動いている。
レオンハルト軍もいる。
マティアスの兵もいる。
人が増えれば、それだけ食べる。
「レオンハルト殿下の軍は?」
「我々の分は持ってきている」
レオンハルトが答えた。
「何日分です?」
「五日」
「五日?」
「兵二千四百を動かしながら一月分の食糧を運べと?」
「無理ですね」
「分かればいい」
俺は地図を見る。
ベルグハーフェン。
街道。
河川。
倉庫。
つい最近まで追っていたものが頭に浮かぶ。
「川は使えませんか?」
マティアスが俺を見る。
「続けろ」
「ベルグハーフェンから全部陸路で運ぶより、途中まで船で運んだ方が早いですよね」
「そうだな」
「エルツェンに一番近い荷揚げ場は?」
ディートリヒが地図を指した。
「ここだ。南西に小さな河港がある」
「シュヴァルツ伯軍が退いた方向に近い……」
「ああ」
「使えない?」
「今は危険だ」
「じゃあ北側は?」
「遠回りになる」
「どれくらい?」
「二日余計に掛かる」
「でも安全?」
「比較的な」
俺は考える。
速いが危険な南西。
遅いが比較的安全な北。
「両方使うのは?」
ディートリヒが眉を上げる。
「どういうことだ」
「全部を一つの道で運ぶ必要はないですよね」
「続けろ」
「絶対に必要な食糧は北から運ぶ。遅くても安全な方で確実に届ける」
「南西は?」
「失っても城が飢えない範囲だけ運ぶ」
「囮か?」
「囮にはしたくないです。運ぶ人がいるから」
俺は地図上の二本の経路を見る。
「でも、少ない荷なら護衛も付けやすい。シュヴァルツ伯軍の位置が分かった時だけ南西を使う」
マティアスは何も言わない。
ディートリヒが先に口を開いた。
「出来なくはない」
「問題は?」
「管理だ」
「荷札を使う」
「……」
ディートリヒが俺を見る。
「ベルグハーフェンで見たやつです」
「クレーマー商会の荷札か」
「はい。行き先と中身と優先度を最初から分ける」
マティアスが少し笑った。
「ようやく使い方が分かったか」
「最初から教えてくださいよ」
「見て覚えろ」
「そういうところアルベルト殿下と似てるなぁ」
「二度と言うな」
「そんなに嫌ですか?」
レオンハルトが笑った。
「本人に伝えておこう」
「やめてください」
「面白そうだ」
「第一王弟が面白さで外交問題を起こさないでくださいよ」
カールが咳払いをした。
「話を戻してもよろしいでしょうか」
「お願いします」
なぜか俺が答えた。
「お前ではない」
「すみません」
少しだけ会議室の空気が軽くなった。
◇ ◇ ◇
会議が終わった後、俺とフェリクスは町へ出た。
最初に向かったのは南側の居住区だった。
昨日の砲撃で何軒かの家が壊れている。
屋根が落ちた家。
壁に穴が開いた家。
火が移って半分ほど焼けた家。
昨日は戦うことしか考えていなかった。
今見ると、その一つ一つに生活の跡が残っている。
割れた皿。
倒れた椅子。
泥に汚れた子供用の靴。
「……」
「アレク殿?」
「いや」
俺は小さく首を振った。
「行きましょう」
最初の家の前には、四十代くらいの男とその妻らしい女性がいた。
男は壊れた屋根を見上げている。
「すみません」
「何だ?」
「アレク・ハルトマンです。マティアス・クレーマー様の命令で、被害状況を確認しています」
「マティアス様の?」
「はい」
男の警戒が少しだけ薄れる。
「家、見せてもらってもいいですか?」
「ああ」
中へ入る。
屋根の半分が落ちていた。
「住めます?」
「無理だな」
「今夜は?」
「教会の倉庫を借りている」
「家族は何人です?」
「五人だ」
「怪我は?」
「ない」
「それは良かった」
俺はフェリクスを見る。
フェリクスが紙へ書き込んでいく。
「それと、一つお願いがあります」
「何だ」
「この家の使える柱と板を、城壁の修理に使わせてもらえませんか」
男の顔が変わった。
やっぱり。
「家まで取るのか」
「違います」
「何が違う」
「勝手には取りません」
俺は出来るだけ落ち着いて話す。
「こちらで解体します。使える木材を城壁へ回す代わりに、新しく家を建てる時には同じ量以上の木材を優先して渡します。解体費用もこちらで負担します」
「いつ家が建つ」
「分かりません」
嘘は言えない。
「分からない?」
「今すぐ何日後とは約束出来ません。でも、記録は残します」
「記録?」
「フェリクス」
「はい」
紙を見せる。
「誰の家から、何を、どれだけ使ったか全部書きます。その記録を城側とマティアス様側の両方で持つ」
「……」
「口約束にはしません」
男は壊れた家を見る。
「断ったら?」
「それでもいいです」
「本当に?」
「あなたの家ですから」
男はしばらく黙っていた。
やがて、屋根を支えていた太い梁を見る。
「どうせ、このままじゃ住めん」
「はい」
「本当に新しい木材をくれるんだな?」
「約束します」
「お前が?」
その言葉に詰まった。
俺個人が約束していいのか。
「……確認してからでもいいですか?」
男が少し笑った。
「正直だな」
「勝手に約束して怒られるの嫌なので」
「誰にだ」
「マティアス様に」
「怖いのか?」
「怖いですよ」
男が初めて笑った。
「確認してこい」
「はい」
「認められたら使っていい」
「ありがとうございます」
俺たちは次の家へ向かった。
◇ ◇ ◇
昼過ぎ。
教会の前へ戻ると、昨日西壁で一緒に戦った男を見つけた。
「あ」
向こうも気づいた。
「アレク!」
「フーゴさん」
「生きてたか」
「昨日会ったでしょう」
「戦の翌日に会って初めて生き残った気がするんだよ」
「……それ、分かるかもしれません」
フーゴの右腕には布が巻かれている。
「怪我したんですか?」
「かすり傷だ」
「皆そう言うなぁ」
「お前もだろ」
「俺は打撲です」
「似たようなもんだ」
フーゴが教会を見る。
入口では負傷者の家族らしい人たちが待っている。
「知り合いが?」
「三人いる」
「……」
「一人は駄目かもしれん」
「そうですか」
何と言えばいいのか分からなかった。
「アレク」
「はい」
「昨日はありがとな」
「俺?」
「俺たちは兵じゃない」
「はい」
「槍なんて、祭りの訓練で持ったことがあるくらいだ」
フーゴは自分の手を見る。
「でも、お前は難しいことをやれとは言わなかった」
「出来ることをお願いしただけです」
「それが良かったんだろ」
「……」
「生き残った奴が多い」
「死んだ人もいます」
「ああ」
フーゴは否定しなかった。
「だから忘れるな」
「はい」
「でも、生きた奴も忘れるな」
昨日マティアスに言われたことと似ている。
「最近、同じようなことをよく言われます」
「なら皆、似たようなことを考えるんだろ」
「そうかもしれません」
フーゴが俺の肩を軽く叩いた。
「痛っ!」
「何だ?」
「そこ打撲してる!」
「先に言え!」
「触ると思わないでしょう!」
久しぶりに大きな声を出した。
周囲の人がこちらを見る。
「すまん」
「俺じゃないです。フーゴさんが」
「お前も騒いだだろ」
「痛かったので」
少しだけ笑った。
戦が終わった町にも、こういう声は残っている。
それが何となく嬉しかった。
◇ ◇ ◇
夕方。
城館へ戻ると、マティアスはまだ会議室にいた。
「戻りました」
「遅かったな」
「二十七軒回ったんですよ」
「結果は」
「十二軒が木材の提供に応じてくれそうです。ただし条件があります」
「言え」
「新しい家を建てる時、提供した量以上の木材を優先的に渡すこと。それと解体費用はこちら持ち」
「いいだろう」
「即答?」
「ああ」
「俺、確認してからって言ったんですけど」
「正解だ」
「勝手に約束したら?」
「殴る」
「聞いておいて良かった……」
「他は」
「五軒は考える。十軒は断りました」
「理由は?」
「家族との思い出が残ってるから壊したくないとか、まだ直せると思ってるとか」
「そうか」
「説得します?」
「なぜだ」
「必要な木材だから」
「十二軒で足りるか」
「工兵長に聞いたら、応急修理の最初の分には足りるそうです」
「なら放っておけ」
「いいんです?」
「必要以上に恨みを買ってどうする」
「……」
俺は少し驚いた。
「何だ」
「いや」
「言え」
「もっと効率優先の人かと思ってました」
「効率の話をしている」
「え?」
「家を失った者から無理に木材を奪えば、その者は我々を恨む」
「はい」
「その恨みを抑えるために兵が必要になる」
「あ……」
「兵を置けば食糧が必要になる。金も掛かる。命令にも従わなくなる。復旧作業も遅れる」
「そこまで含めて効率?」
「当然だ」
やっぱり、この人は俺より先を見ている。
「勉強になります」
「なら覚えろ」
「はい」
マティアスが次の紙を見る。
「それと、明日からお前は補給の再編を手伝え」
「やっぱり仕事増えるんですね」
「嫌か」
「嫌です」
「そうか」
「でもやります」
「知っている」
俺は椅子へ座った。
「マティアス様」
「何だ」
「一つ聞いていいですか?」
「内容による」
「シュヴァルツ伯」
マティアスの手が止まる。
「昨日、退きましたよね」
「ああ」
「次はどうします?」
「来ると思うか?」
「すぐには来ないと思います」
「なぜだ」
「攻城戦で兵を失った。砲は残ってるけど、もう一度同じことをしてもレオンハルト殿下の軍がいる」
「それで?」
「だから、次は城を直接攻めない」
マティアスの目が少し変わった。
「続けろ」
「俺なら補給を狙います」
「なぜ」
「エルツェンには今、人が多すぎるから」
守備隊。
住民。
避難民。
レオンハルト軍。
マティアスの兵。
「食糧を止めれば、城の中にいる人数そのものが弱点になる」
「そうだ」
「……やっぱり?」
「ああ」
「じゃあ南西の河港は」
「既に斥候を出している」
「早いなぁ」
「お前が気づく前から考えていた」
「悔しい」
「追いつけ」
「簡単に言うなぁ」
マティアスが僅かに笑った。
その時だった。
扉が開く。
「マティアス様」
入ってきたのはディートリヒだった。
「何だ」
「レオンハルト殿下からです」
「何があった」
「王都軍の位置が判明しました」
部屋の空気が変わった。
俺も立ち上がる。
「どこです?」
「エルツェン東方」
「東?」
予想していなかった。
シュヴァルツ伯は南へ退いた。
王都軍は東。
つまり。
「挟むつもり?」
「まだ分からん」
マティアスが立ち上がる。
「兵数は」
「約千八百。報告通りです」
「距離」
「ここから一日半」
「近い……」
昨日の戦いが終わったばかりなのに。
もう次が来る。
「レオンハルトは」
「至急会いたいと」
「行く」
マティアスが上着を取る。
俺も立ち上がった。
「お前は残れ」
「え?」
「休め」
「いや、今の聞いたら無理でしょう」
「肩を痛めている」
「打撲です」
「昨日一日戦った」
「マティアス様も動いてたでしょう」
「私は十五ではない」
「こういう時だけ年齢使うのやめてくださいよ」
マティアスが俺を見る。
少し考えてから、ため息をついた。
「来い」
「はい!」
「ただし黙っていろ」
「努力します」
「信用出来んな」
「アルベルト殿下にもよく言われました」
「だろうな」
俺たちは部屋を出た。
◇ ◇ ◇
夜。
レオンハルトが使っている館には、既に地図が広げられていた。
「来たか」
レオンハルトが顔を上げる。
「アレクまで連れてきたのか」
「本人が来ると言った」
「止めてくださいよ」
「止めた」
「もっと強く」
「なら帰れ」
「帰りません」
「面倒な奴だな」
「知ってるでしょう」
「ああ」
昨日まで戦っていたとは思えない会話だ。
だが、地図へ視線を向ければ空気はすぐに変わる。
レオンハルトが東側へ駒を置いた。
「王都軍、千八百」
「指揮官は?」
マティアスが聞く。
「オットー・フォン・ライゼン」
「やはりか」
「知ってる人ですか?」
俺が聞く。
「古い軍人だ」
レオンハルトが答える。
「王家への忠誠が厚い。慎重で、命令には忠実だ」
「強い?」
「弱くはない」
「一番困る答えだな」
「事実だ」
俺は地図を見る。
エルツェン。
南にはシュヴァルツ伯。
東には王都軍。
レオンハルトは城外。
マティアスもここにいる。
「王都軍の目的は?」
「まだ分からん」
「シュヴァルツ伯と合流?」
「可能性はある」
「レオンハルト殿下を攻撃?」
「それもある」
「エルツェンを取り返す?」
「それもだ」
「全部あるじゃないですか」
「だから困っている」
レオンハルトが平然と言った。
俺はもう一度地図を見る。
何かがおかしい。
シュヴァルツ伯は昨日負けた。
普通なら距離を取る。
王都軍も、こちらにレオンハルト軍二千四百がいることは知っているはずだ。
それなのに千八百で近づいてくる。
「……戦うつもりじゃない?」
思わず呟いた。
マティアスがこちらを見る。
「なぜそう思う」
「数です」
「続けろ」
「千八百じゃ少ない。シュヴァルツ伯と合流するなら分かるけど、昨日負けたばかりの軍とすぐ合流出来るか分からない」
「それで?」
「それでも近づいてくるなら」
俺は東側の駒を見る。
「戦う以外の目的があるのかも」
レオンハルトが腕を組む。
「例えば?」
「……使者?」
「誰に」
俺は地図を見る。
エルツェン。
マティアス。
レオンハルト。
そして。
「レオンハルト殿下?」
部屋が静かになった。
「なぜ私だ」
「王都軍を率いてる人は王家への忠誠が厚いんですよね」
「ああ」
「だったら、シュヴァルツ伯の味方とは限らない」
「……」
「王家とレオンハルト殿下も対立してる。でも、まだ完全に敵になったわけじゃない」
少なくとも、俺が知る限りでは。
「だったら」
俺は駒を見た。
「戦う前に話したいのかもしれない」
レオンハルトとマティアスが視線を交わす。
「マティアス」
「何だ」
「どう思う」
「可能性はある」
「お前もか」
「ああ」
「なら」
レオンハルトが何かを言おうとした。
その瞬間。
廊下から足音が聞こえた。
扉が開く。
「殿下!」
ユリウスだった。
「何だ」
「東方より騎兵一騎!」
「王都軍か」
「はい!」
俺はマティアスを見る。
マティアスも俺を見た。
「使者です!」
ユリウスが続ける。
「オットー・フォン・ライゼン将軍より、第一王弟殿下へ書状を預かっていると!」
「……」
レオンハルトが俺を見る。
「当たったな」
「偶然ですよ」
「偶然でも当たりは当たりだ」
「内容までは分かりません」
「ああ」
レオンハルトがユリウスへ向き直る。
「通せ」
「はっ!」
ユリウスが出ていく。
俺は地図へ視線を落とした。
昨日まで、敵は城壁の外にいた。
砲を撃ち、梯子を掛け、門を壊そうとしていた。
だから何をすればいいのか分かりやすかった。
守ればいい。
敵を入れなければいい。
だが、戦が終わった途端、それが変わった。
死者を弔い、負傷者を治療し、城壁を直し、食糧を運び、住民の生活を戻さなければならない。
その間にも、敵か味方か分からない者が動く。
昨日の敵が明日も敵とは限らない。
今日の味方が明日も味方とも限らない。
剣だけ見ていればよかった時間は、もう終わったのかもしれない。
俺は東側に置かれた千八百の駒を見る。
戦は、勝ってからの方が長い。
マティアスの言葉が、昨日より重く感じられた。
そして数分後。
王都軍から届いた一通の書状が、エルツェンの戦いで動き始めた流れを、さらに大きく変えることになる。
第十四話をお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、エルツェンの戦いが終わった後の復旧と、その裏で次の情勢が動き始める回になりました。
城を守った後には、負傷者の治療、死者の確認、城壁の修復、食糧の確保、住民への補償など、戦っている最中とは違う問題が一気に押し寄せます。
アレクも、壊れた家の木材を城壁へ利用するという一見合理的な案を出しますが、そこには当然、その家で暮らしていた人間がいます。
効率だけを見れば正しくても、人の感情やその後まで考えなければ、本当の意味で良い判断にはならない。
マティアスのもとで、アレクは戦場とはまた違う形で「人を動かすこと」を学び始めています。
そして、シュヴァルツ伯が退いた直後に現れた王都軍。
千八百という兵力で接近しながら、すぐには戦おうとしない理由を考えたアレクの前に、実際に使者が現れました。
その書状に何が書かれているのか。
レオンハルトと王都の関係は、ここからどう変わるのか。
エルツェンの戦いで生まれた流れは、まだ止まりません。




