第十二話 エルツェンの戦い(中)
援軍が到着するまで、エルツェンを持たせる。
そのためにアレクは、剣を振るうだけではなく、兵を休ませ、物資を回し、民兵まで動かさなければならなくなります。
しかし、シュヴァルツ伯軍もまた、ただ力任せに攻めているわけではありません。
南門、南西壁、西壁。
守る側の兵を少しずつ分散させながら、援軍が来る前に城を落とそうとする。
ギィンッ!
剣と剣がぶつかり、腕に重い衝撃が走った。
「くっ……!」
城壁へ上がってきた敵兵が、そのままもう一度剣を振り上げる。俺は半歩だけ身体をずらした。
ブンッ!
剣先が目の前を通り過ぎる。
相手が振り切ったところへ踏み込み、剣の柄で顔を殴りつけた。
「ぐっ!」
敵兵がよろめく。
その瞬間、横にいた城兵の槍が突き出された。
「うおっ!」
敵兵は慌てて盾を向けたが、ここは城壁の上だ。足場は狭く、後ろには登ってきた梯子しかない。
「押せ!」
「おおおっ!」
城兵が盾ごと敵兵へ体当たりする。
「うわっ!」
敵兵の身体が傾き、そのまま城壁の外へ消えた。
直後、ガンッと梯子の縁に次の敵兵の手が掛かる。
「まだ来る!」
「梯子を落とせ!」
城兵三人が長い棒を梯子へ押し当てる。
「せーの!」
ギギッ……。
梯子が少しずつ城壁から離れていく。
「もっと押せ!」
「うおおおおっ!」
完全に傾いた梯子には、まだ何人もの敵兵がしがみついていた。
「待て! 待てぇ!」
敵兵の叫び声が聞こえる。
だが、今止める理由はない。
梯子が完全に壁を離れ、そのまま外側へ倒れていった。
「うわああああっ!」
ドサッ! ドサドサッ!
人が落ちる音がする。
助かった。
そう思ったのも一瞬だった。
「次!」
カールの声が飛ぶ。
右を見ると、既に別の梯子が城壁へ掛かろうとしていた。
「何本あるんだよ!」
「数える暇があるなら動け!」
「数えてませんよ!」
俺は次の持ち場へ走った。
その途中。
ヒュンッ!
「危ない!」
誰かに肩を掴まれ、身体を引かれる。
直後、ガンッと石壁へ矢が突き刺さった。
「……助かりました」
「止まるな!」
「はい!」
振り返って相手の顔を確認する暇もない。
城壁の下では盾兵が身を守り、その背後から弓兵や弩兵が城壁を狙っている。その間にも梯子が運ばれ、少し離れた南門では破城槌が門を叩き、さらに後方からは砲撃が続いていた。
「これが攻城戦……」
知識では知っていた。
梯子を掛ける。門を破る。矢で城兵を牽制し、砲で城壁を壊す。
文字にすれば数行で済む。
だが実際には、その全てが同時に起きる。
「アレク!」
「はい!」
カールが城壁の中央付近から叫んでいた。
「左を頼む!」
「俺が!?」
「剣は使えるんだろう!」
「使えますけど!」
「なら使え!」
「分かりました!」
左側へ走る。
城兵は十人ほど。
そこへ二本の梯子が掛けられようとしている。
「そっちを押さえて!」
俺が叫ぶと、兵たちが一瞬こちらを見た。
当然だ。
突然現れた十五歳の少年に命令されれば、誰だと思う。
「カール副将の指示です!」
「分かった!」
それなら早かった。
「槍兵二人は梯子の上を見て! 残りは……」
言いかけて止まる。
全員を梯子へ集めれば、下から飛んでくる矢に晒される。
「盾を前へ! 弓から隠して!」
「おう!」
大型盾を持った二人が前へ出た。
ガンッ!
すぐに一本の矢が盾へ突き刺さる。
「槍! 上がってくる奴を狙って!」
「おおっ!」
梯子から敵兵の頭が見えた。
槍が突き出される。
「ぐあっ!」
敵兵が落ちる。
もう一本の梯子を押そうとしていた城兵が叫んだ。
「三人じゃ無理だ!」
「じゃあ五人!」
「そんなに回したら人が足りん!」
そうだった。
ここにいるのは十人ほどしかいない。
盾に二人。
槍に二人。
梯子を押すため五人を使えば、ほとんど残らない。
「……押すのやめて!」
「何!?」
「一人ずつ上がらせて倒す!」
「梯子を落とさないのか!」
「五人使って押すより、その方がいい!」
「……分かった!」
梯子の先は狭い。
敵兵は一度に一人か二人しか上がれない。
なら、その瞬間を狙う。
「来ます!」
敵兵の頭が出る。
「今!」
ザッ!
槍が突き出された。
「ぐっ!」
敵兵が落ちる。
次が上がってきた。
「盾!」
ガンッ!
敵の剣を盾兵が受け止める。
「横から!」
槍が脇腹へ突き出された。
「ぐあっ!」
また一人落ちる。
「……いける」
少なくとも、今は。
だが梯子の下にはまだ何十人もの敵兵がいる。
これをいつまで続ければいい。
「アレク!」
またカールの声が聞こえた。
「何です!」
「南門が危ない!」
直後。
ドゴォォン!
破城槌が門を叩く音が、城壁全体へ響いた。
「予備隊を回す! ここを持たせろ!」
「何人残るんです!?」
「南西壁全体で六十ほどだ!」
「無茶でしょう!」
「だから持たせろ!」
「それ答えになってない!」
だがカールは既に南門へ向かって走っていた。
「……本当に皆、無茶ばっかり言うな」
それでも、やるしかない。
◇ ◇ ◇
ドゴォォン!
南門の外では巨大な破城槌が門を叩き続けていた。
「押さえろ!」
城兵たちが内側から梁を押さえる。
ギギギギ……。
木材が悲鳴のような音を立てている。
「もう一回来るぞ!」
「支えろ!」
門の外から敵兵たちの掛け声が響く。
「せぇぇぇの!」
ドゴォォォン!
「ぐっ!」
衝撃で門が大きく揺れ、梁を押さえていた兵士たちの身体まで後ろへ押された。
「梁一本割れた!」
「交換しろ!」
「予備は!」
「残り二本!」
「持ってこい!」
そこへカールが到着した。
「状況は!」
「外板が一枚割れました!」
「閂は?」
「まだ持っています!」
「敵兵は?」
「盾兵が二百ほど! 破城槌の周囲に五十ほどいます!」
「門楼から石を落とせ!」
「敵弓兵が邪魔です!」
門楼から城兵が身体を出そうとする。
ヒュン! ヒュヒュン!
「ぐあっ!」
「下がれ!」
敵の弓兵は門楼を重点的に狙っている。
「盾を上へ回せ!」
「盾が足りません!」
カールが歯を食いしばった。
南西壁。
南門。
二か所を同時に攻められている。
シュヴァルツ伯は、こちらの兵を分散させようとしている。
「副将!」
伝令が走ってくる。
「何だ!」
「南西壁です!」
「今度は何だ!」
「敵の梯子が増えました!」
「何本だ!」
「確認できるだけで九本!」
「九……」
「それと砲撃が――」
ドォォン――!
伝令の言葉を轟音が遮った。
少し遅れて、南西側からドガァァンと大きな音が響く。
カールが振り返った。
城壁の向こうへ土煙が上がっている。
「崩れたか?」
「確認します!」
「急げ!」
伝令が走っていく。
カールはほんの一瞬だけ目を閉じた。
南門から離れられない。
だが南西壁も危ない。
指揮を執れる人間が足りない。
「……アレク」
カールは小さく呟いた。
◇ ◇ ◇
ドガァン!
「うわっ!」
砲弾が城壁へ直撃し、砕けた石と粉塵が飛び散る。
俺は身体を低くした。
「大丈夫!?」
「こっちは大丈夫だ!」
「壁は!?」
「下を見ろ!」
壁の内側を見る。
今朝、工兵たちと作った補強部分に新しい亀裂が走っている。
「亀裂が広がってる!」
俺が叫ぶ。
「見れば分かる!」
工兵長も怒鳴り返した。
「持ちます!?」
「分からん!」
「またそれ!?」
「分からんものは分からん!」
「ですよね!」
それでも敵は待ってくれない。
「アレク殿!」
伝令が城壁の階段を駆け上がってきた。
「何!」
「カール副将からです!」
「はい!」
「南西壁を任せると!」
「……」
「聞こえましたか!?」
「聞こえてます!」
聞き間違いではなかったらしい。
「俺に?」
「南門から動けないとのことです!」
「だからって……」
周囲を見る。
城兵たちがこちらを見ている。
待っている。
俺が何を言うのか。
十五歳だとか。
昨日まで物資を運んでいたとか。
今はそんなことを言っている場合じゃない。
「分かりました!」
自分でも驚くほど大きな声が出た。
「現在の兵数は!」
「南西壁全体で六十三!」
「負傷者は!」
「動けない者が七人!」
「じゃあ戦えるのは五十六……民兵は?」
「壁の下に四十ほど!」
「武器は?」
「槍を持たせています!」
「弓は?」
「扱えません!」
「分かった!」
城壁を見る。
梯子は九本。
だが、全てに同じ人数がいるわけではない。
「敵が一番多いところは!?」
「中央寄りです!」
「梯子は何本!?」
「四本!」
「じゃあ中央を厚くする!」
兵を分ける。
中央。
左右。
一瞬、頭の中で数字が混線する。
「中央二十六! 左右十五ずつ! 俺は中央!」
「はっ!」
「民兵には袋と石を運ばせて! それから水も!」
「水ですか?」
「火矢が来るかもしれない!」
「分かりました!」
今、敵が使っているのは砲と梯子と破城槌。
だが、それだけとは限らない。
次に何をしてくる。
考えろ。
前世で読んだ攻城戦では、火も使う。坑道を掘って壁を崩す方法もある。
だがシュヴァルツ伯は急いでいる。
レオンハルト軍が来る前に城を落とさなければならない。
時間の掛かる方法は使わないはずだ。
「梯子来るぞ!」
敵兵が上がってきた。
「盾を前へ!」
「槍!」
再び戦闘が始まる。
ギィン!
ガンッ!
ザシュッ!
「ぐあっ!」
敵兵が一人、城壁上へ飛び込んできた。
「入られた!」
「囲め!」
城兵三人が向かう。
だが敵兵は大型盾を持っていた。
正面から剣を当てても通らない。
なら。
俺は低く踏み込み、盾の下から脚を斬った。
「ぐっ!」
敵兵の膝が崩れる。
「今!」
城兵の槍が突き出される。
敵兵が倒れた。
「次!」
叫ぶ。
もう次が上がってきている。
「アレク殿! 左!」
「分かった!」
左側では二人の敵兵が城壁へ上がっていた。
「予備は!?」
「いません!」
「……俺が行く!」
「中央は!?」
「すぐ戻る!」
何分で戻れるかなんて分からない。
それでも走る。
「うおおっ!」
敵兵が剣を振る。
受ける。
ギィン!
重い。
だが身体は動く。
神から与えられた剣の才能は確かにある。
それでも無敵ではない。
ヒュッ!
二撃目を避ける。
別の敵が右から来た。
「アレク! 右だ!」
「分かってる!」
ガン!
盾が肩へ当たる。
「ぐっ!」
痛い。
だが剣は落とさない。
踏み込む。
敵の腕を斬る。
「ぐあっ!」
もう一人は城兵二人が押さえている。
「落とせ!」
「おおっ!」
敵兵が城壁の外へ消えた。
「大丈夫か?」
城兵が聞く。
「肩が痛い」
「動くか?」
「動きます」
「なら戦える」
「厳しいなぁ」
「戦場だからな」
「ですよね」
少しだけ笑った。
それだけでも、張り詰めていたものが少し緩んだ。
◇ ◇ ◇
昼前になっても、シュヴァルツ伯軍の攻撃は止まらなかった。
「水をこっちへ!」
「矢束、残り四!」
「中央へ二つ、左右へ一つずつ!」
「弩矢は!?」
「まだある!」
「なら弩兵を優先して!」
俺は壁の上と下を何度も行き来していた。
「負傷者!」
「教会へ! 歩ける人は自分で行って!」
「担架は!?」
「重傷者を優先!」
最初は負傷者全員を担架で運ぼうとしていた。
だが、それでは人手が足りない。
歩ける者には歩いてもらう。
担架は自力で動けない者に使う。
「アレク殿!」
工兵長が呼ぶ。
「何です!」
「補強用の袋が足りん!」
「あと何袋必要!?」
「分からん!」
「また!?」
「壁がどれだけ崩れるか分からんのだ!」
「確かに!」
空袋。
倉庫には穀物袋がある。
だが中には麦が入っている。
「麦を出す?」
「床へ出せば袋は使える!」
「駄目!」
食糧だ。
床へ直接撒けば汚れる。
雨や湿気、鼠の問題もある。
「木箱は!?」
「何だ?」
「麦を木箱へ移す!」
「箱が足りん!」
「全部移す必要はない! 空袋を二十枚くらい作れればいい!」
工兵長が一瞬考える。
「……やる!」
「倉庫長に許可を!」
「その時間があるか!」
確かに。
俺は一瞬迷った。
だが、次の砲撃までどれほどあるか分からない。
「俺が責任取ります! やってください!」
言ってから、自分でも驚いた。
勝手に軍の備蓄へ手をつける。
でも城が落ちれば、麦も箱も全て敵のものになる。
「分かった!」
工兵長が走る。
何を守り、何を捨てるか。
全部を守ることはできない。
金も、人も、物も有限だ。
どこへ使うのかを決めなければならない。
これは戦場だけの話ではない。
ヴァイスブルクでやってきたこととも、根本は同じだった。
「アレク殿!」
また声が飛ぶ。
「今度は何です!」
「敵が下がっています!」
「え?」
城壁へ上がる。
確かに、梯子に取り付いていた敵兵たちが後退し始めている。
「退いた?」
城兵が呟いた。
「勝ったのか?」
「いや……」
俺は敵陣を見る。
敵兵は走って逃げているわけではない。
隊列を崩さずに後退している。
砲撃も止まった。
「休んでるだけです」
「何?」
「見て」
敵陣の後ろから、新しい部隊が動き始めていた。
「……交代か」
最初に攻めていた兵が後ろへ下がり、その代わりにまだ疲れていない部隊が前へ出てくる。
「五百?」
「六百くらいはいるぞ」
まずい。
シュヴァルツ伯軍は三千二百。
城側は千百ほど。
敵には兵を交代させる余裕がある。
こちらにはない。
朝から同じ兵たちが戦い続けている。
顔を見る。
汗。
血。
荒い呼吸。
「……このままだと夕方まで持たない」
「どうする?」
城兵が聞く。
「伝令!」
「はい!」
「カール副将へ! 兵を交代させたいって!」
「そんな余裕ありません!」
「分かってる!」
それでも休ませなければ、立っていることすらできなくなる。
「民兵に、戦闘以外の仕事をもっと任せる!」
「具体的には?」
「水、石、矢、負傷者の運搬! 正規兵は出来るだけ戦闘に集中させる!」
「それから?」
「城壁の区画ごとに少人数ずつ休ませる!」
「何人?」
十人。
そう言いかける。
だが、それでは多いかもしれない。
「最初は五人ずつ! 状況を見て増やす!」
「どれくらい休ませます?」
「十分くらい……いや、敵が来たらすぐ戻す!」
完璧な交代制なんて組めない。
だが五分でも十分でも、座って水を飲めるだけで違うはずだ。
「分かりました!」
伝令が走った。
「……頼むから意味あってくれ」
神から知識はもらった。
だが、正解まで教えてもらったわけではない。
使い方を考えるのは俺だ。
敵陣から角笛が響く。
ブオォォォォ――!
「来るぞ!」
第二波が始まった。
◇ ◇ ◇
昼を過ぎても戦闘は続いた。
「撃てぇ!」
バシュッ!
城壁から矢が飛ぶ。
敵兵は盾を並べて進んでくる。
ガン! ガンッ!
「弩兵!」
バシュッ!
弩矢が盾を貫き、一人の敵兵が倒れる。
「進め!」
それでも敵は止まらない。
「梯子!」
ガンッ!
「右二本! 中央三本! 左一!」
「中央優先!」
第二波は朝より強く感じた。
実際に敵が強くなったのではない。
こちらが疲れているのだ。
「休憩組戻りました!」
「次の五人を下げて!」
「今ですか!?」
「今!」
「中央が危ないです!」
「なら三人! 全員休ませなくていい!」
状況に合わせて変える。
最初に決めた数字へ固執していたら駄目だ。
「アレク殿!」
「何!」
「カール副将から!」
「はい!」
「その交代方法、南門でも使うとのことです!」
「分かりました!」
俺が思いついたから特別な方法というわけではない。
兵を休ませるなど当たり前だ。
ただ、この状況で必要だった。
それだけだ。
「敵兵上がった!」
「どこ!」
「中央!」
走る。
敵兵五人ほどが城壁上へ乗り込んでいる。
「押し返せ!」
城兵十五人ほどが取り囲む。
狭い城壁上で剣、槍、盾がぶつかり合う。
ギィン! ガンッ!
「アレク! 左から回れ!」
「分かった!」
俺は敵兵の側面へ回る。
盾兵が城兵と押し合っている。
正面からは難しい。
「行きます!」
敵の脚を斬る。
「ぐっ!」
敵兵の姿勢が崩れる。
「押せ!」
「うおおおっ!」
城兵が一気に押し込む。
一人。
二人。
敵兵が城壁外へ落ちる。
三人目を槍が貫いた。
そして最後の一人。
まだ若い。
俺より二つか三つ上くらいだろうか。
一瞬だけ目が合った。
怖がっている。
それが分かる。
俺と同じだ。
だが、怖いからといって相手は剣を止めない。
敵兵が歯を食いしばり、俺へ斬りかかってくる。
ギィン!
受ける。
返す。
ザシュッ!
剣が胸へ入った。
「……」
敵兵が倒れる。
見てはいけない。
今は。
「次!」
自分へ言い聞かせるように叫ぶ。
まだ戦いは終わっていない。
◇ ◇ ◇
午後。
城内には、朝とは違う匂いが広がっていた。
煙と血、汗、土、そして火薬の臭いが混ざっている。
教会へ入ると、床には負傷者が並べられていた。
「負傷者は何人です?」
治療を手伝っていた女性へ聞く。
「ここだけで八十人を超えました」
「重傷者は?」
「二十人ほどです」
「死んだ人は……?」
女性が一瞬黙る。
「二十三人」
「……」
夜の砲撃が始まった時は三人だった。
今は二十三人。
まだ一日も終わっていない。
「アレク殿?」
「大丈夫です」
大丈夫ではない。
でも今はそれしか言えない。
「包帯は?」
「まだあります」
「酒は?」
「半分ほど」
「薬草は?」
「種類によります」
「一番足りないものは?」
「人手です」
また人。
物があっても、使う人間がいなければ意味がない。
「民兵から回せます?」
「戦える男は壁へ上がっています」
「女性は?」
「既に手伝っています」
「年配の人は?」
「出来る範囲で」
城全体が戦っている。
兵士だけではない。
子供以外のほとんどの人間が、何らかの仕事をしている。
「アレク殿!」
外から声がした。
「はい!」
「カール副将がお呼びです!」
「すぐ行きます!」
俺は教会を出た。
◇ ◇ ◇
南門と南西壁の間で、カールが地図を広げていた。
顔に血が付いている。
「怪我したんですか!?」
「他人の血だ」
「びっくりした……」
「座れ」
「はい」
言われて初めて地面へ座る。
その瞬間、自分の脚が震えていることに気づいた。
朝から、ほとんど休んでいない。
「水だ」
「ありがとうございます」
受け取る。
ただの水なのに、今まで飲んだ何より美味しく感じた。
「状況を聞く」
カールが言った。
「南門はまだ持っている」
「はい」
「南西壁は?」
「補強しながら持たせています。まだ完全な穴は開いてません」
「戦える兵は?」
「今は四十七人くらいです」
「減ったな」
「はい」
朝は五十六人だった。
九人が死傷したか、戦えなくなった。
「南門は七十一」
「予備隊は?」
「百二十」
「まだいる」
「ああ。ただし西壁と北壁も無人には出来ない」
「敵が回り込む可能性がある」
「そうだ」
全員を南へ集めるわけにはいかない。
「レオンハルト殿下は?」
「まだ来ない」
「あとどれくらい?」
カールが空を見る。
「予定通りなら二刻ほどだ」
「二刻……」
長い。
「持ちます?」
俺が聞くと、カールは少し笑った。
「持たせる」
「……俺も朝、同じこと言いました」
「なら同じだな」
少しだけ笑った。
だがカールはすぐ地図へ視線を戻す。
「問題がある」
「何です?」
「敵の砲撃だ」
「南西壁?」
「さっきから少し狙いがずれている」
「どこへ?」
カールが地図上の南西角を指した。
「南西角塔だ」
「塔?」
「ああ」
「なぜ?」
「分からん」
考える。
今まで敵は城壁の弱い場所を砲撃していた。
そこへ穴を開け、兵を入れる。
分かりやすい。
だが今は塔を狙っている。
「見てきます」
「少し休め」
「見てから休みます」
「……分かった」
俺は立ち上がった。
脚が重い。
それでも南西角塔へ向かった。
◇ ◇ ◇
塔へ上がる。
敵砲兵を見る。
「……確かに」
砲の向きが少し変わっている。
「アレク殿」
いつの間にかフェリクスが来ていた。
「探しましたよ」
「ごめんなさい」
「何を見ているんです?」
「敵の砲です」
フェリクスも見る。
「南西角塔を狙っていますね」
「何でだと思います?」
「塔を使えなくするためでしょうか」
「それだけ?」
塔があることで南壁と西壁の両方を見渡せる。
弓兵を置くこともできる。
だが、砲弾を大量に使ってまで壊す価値は。
「……角を取る」
フェリクスが呟いた。
「何です?」
「塔が使えなくなれば、南壁と西壁の接続部分が弱くなります」
「……」
俺は西側を見る。
今まで敵兵は少なかった。
だが。
「フェリクスさん」
「見えました」
敵陣の西側で、新しい部隊が動き始めていた。
「回り込んでる」
「はい」
砲で角塔を潰す。
同時に西から攻める。
守備兵をさらに分散させる。
「カール殿!」
城壁下へ叫ぶ。
「何だ!」
「敵が西から来ます!」
「何!?」
「五百……いや、六百くらい!」
カールも城壁へ上がってくる。
敵の動きを確認した瞬間、表情が変わった。
「やられた」
「朝から南に兵を集中させたのは……」
「こちらの兵を南へ寄せるためだ」
「西壁には?」
「正規兵百五十しかいない」
「敵は六百」
「そうだ」
「予備隊を回す?」
「回す」
「でも南は?」
「減らせん」
人が足りない。
時間もない。
それでも敵は待ってくれない。
「民兵を……」
俺は言う。
「戦わせるしかない?」
カールは少し黙った。
「ああ」
とうとう、物を運んでいた人たちにも武器を持たせなければならない。
「槍を配れ!」
カールが叫んだ。
「民兵百五十、西壁へ!」
「はっ!」
「正規兵百二十を西へ回せ!」
「予備隊を全部?」
「三十は残す!」
「南門は?」
「そのまま!」
「南西壁も?」
「そのままだ!」
どこもギリギリだ。
「アレク」
「はい」
「お前は西へ行け」
「俺が?」
「民兵を連れていけ」
「でも……」
「お前は人と話せる」
カールが俺を見る。
「兵ではない者を動かすなら、お前の方がいい」
神から与えられた、人の感情を読み取りやすい能力。
万能ではない。
でも、今なら少し役に立つかもしれない。
「分かりました」
「皆、怖がっている」
「当然です」
「だからこそ」
カールの目が鋭くなる。
「逃げさせるな」
「……はい」
重い言葉だった。
それでも答えた。
◇ ◇ ◇
西壁の下には百五十人ほどの民兵が集められていた。
若い男もいれば、俺の父親くらいの年齢に見える者もいる。職人、商人、農民。服装もばらばらだ。
槍を渡されているが、握り方だけでも慣れていないことが分かる。
何より、怖がっている。
表情、呼吸、視線。
神からもらった力を使うまでもなく分かる。
「聞いてください!」
声を上げる。
皆が俺を見る。
「俺はアレク・ハルトマンです! マティアス・クレーマー様の先発隊として来ました!」
名前を知らない者も多い。
当然だ。
「援軍は来ます!」
少しざわめきが起こる。
「レオンハルト殿下の軍が、今こちらへ向かっています!」
表情が少し変わった。
希望。
でも。
「ただ、まだ来ていません!」
ざわめきが大きくなる。
「敵は西壁へ回っています! 数は六百前後!」
「そんな……」
「六百だと?」
まずい。
でも嘘を言う方がもっとまずい。
「俺たちだけで敵六百を倒せとは言いません!」
皆を見る。
「援軍が来るまで、ここを持たせます!」
「俺たちは兵じゃねえぞ!」
一人が叫んだ。
「分かってます!」
「槍なんて使えねえ!」
「それも分かってます!」
「ならどうしろってんだ!」
「一人で戦わないでください!」
少し静かになる。
「正規兵が前に立ちます! 皆さんはその後ろです!」
正規兵百二十人は、既に西壁へ上がり始めている。
「敵が城壁へ上がってきたら、正面から剣で勝とうとしなくていい。槍を前へ突き出してください!」
「それだけでいいのか?」
「最初はそれだけでいい!」
本当はもっと必要だ。
でも今から複雑な戦い方を教えても混乱するだけだ。
「一人で英雄になろうとしないでください!」
俺は続ける。
「隣の人と一緒に動く! 前の兵が下がったら支える! 敵が上がってきたら何人かで槍を向ける! それだけ覚えてください!」
まだ怖がっている。
当然だ。
「逃げたい人もいると思います」
そこで一度言葉を切った。
「俺も逃げたいです!」
何人かが驚いた顔をした。
「怖いです! 本当に!」
嘘じゃない。
「でも、ここを抜かれたら」
城内を見る。
家。
教会。
そこには、この人たちの家族や友人がいるのだろう。
「後ろにいる人たちまで戦うことになります」
だから。
俺は剣を抜いた。
「俺は行きます」
西壁へ続く階段を見る。
「皆さんも、来てください」
しばらく誰も動かなかった。
その後。
一人の年配の男が前へ出た。
身体が大きく、腕も太い。鍛冶屋だろうか。
「十五のガキにそこまで言われちゃな」
「俺、十五って言いました?」
「顔見りゃ分かる」
「そんなに?」
「行くぞ!」
男が槍を握る。
「俺も行く」
「俺もだ」
一人。
また一人。
動き始める。
全員ではない。
だが、ほとんどの者が階段へ向かった。
「……」
隣でフェリクスが少し笑った。
「良かったですね」
「何が?」
「逃げませんでした」
「俺も含めて?」
「あなたは最初から行くでしょう」
「逃げたいって言ったでしょう」
「知っています」
「なら」
「それでも行くでしょう?」
「……」
この人。
俺の扱いが上手くなっている。
「行きましょう」
「はい」
俺たちも西壁へ上がった。
◇ ◇ ◇
敵兵が西から近づいてくる。
盾兵。
梯子。
数は六百ほど。
だが南側より地面に傾斜があるため、進み方は少し遅い。
「梯子を運びにくそうですね」
「ああ」
正規兵が答える。
「地形はこっちの味方か」
「少しはな」
使えるものは使う。
「弓兵!」
「まだ距離がある!」
敵が少しずつ近づく。
民兵たちは後ろで槍を握っているが、腕が震えている者もいる。
「まだ構えなくていいです!」
「え?」
「槍って重いでしょう! 敵が壁まで来てからでいい!」
「分かった!」
ずっと構えていれば、それだけで疲れる。
「弓兵、今!」
バシュッ!
城壁から矢が飛ぶ。
敵兵は盾を向ける。
ガン!
数人が倒れた。
「弩!」
バシュッ!
弩矢が盾を貫く。
「進め!」
それでも敵は進む。
やがて梯子が壁へ掛かった。
ガンッ!
「正規兵、前!」
城兵が梯子へ集まる。
「民兵はまだ!」
敵兵が上がってくる。
正規兵の槍が突き出された。
「うおっ!」
敵兵が落ちる。
だが別の梯子では、一人の敵兵が城壁へ乗り込んだ。
「右!」
「今です!」
俺が叫ぶ。
民兵三人が槍を向ける。
「突いて!」
「うおおおっ!」
一人目の槍を敵兵が盾で受ける。
二人目が肩へ当てる。
「ぐあっ!」
三人目の槍で敵兵が後退した。
「押せ!」
正規兵が盾で体当たりする。
敵兵が城壁から落ちる。
「出来ます!」
俺は民兵へ叫ぶ。
「今のでいい! 一人で倒そうとしなくていい!」
民兵たちの表情が少し変わった。
恐怖が消えたわけではない。
でも、自分たちでも何かできると分かった。
「次来るぞ!」
さっきの年配の男が叫ぶ。
「三人で槍向けろ!」
「おう!」
今度は俺が言わなくても動いた。
現場の人間が、自分たちで考え始めている。
それでいい。
「アレク殿!」
「何です!」
「笑ってる場合ですか!」
「違う!」
次の敵兵が上がってくる。
「左!」
俺も走った。
◇ ◇ ◇
午後も半ばになった。
南門では破城槌が鳴り、西壁では梯子が壁を叩き、南西では砲撃が続いている。
別々の場所で起きている戦闘音が重なり、城全体が一つの巨大な戦場になったように感じられた。
「敵下がる!」
「追わないで!」
西壁の敵兵が少し後退する。
「勝ったぞ!」
民兵が声を上げる。
「まだです!」
俺はすぐ止めた。
「まだ終わってない!」
敵は逃げていない。
弓の射程外まで下がり、隊列を組み直している。
「今のうちに休んで!」
「え?」
「座って! 水を飲んで!」
民兵たちが城壁裏へ座り込む。
「正規兵も交代してください!」
「敵がまた来るぞ!」
「来たら立つ! それまで休む!」
五分でもいい。
休める時に休む。
「アレク殿」
フェリクスが俺の肩を見る。
「何です?」
「血が出ています」
「あ」
さっき敵の盾を受けたところ。
服が少し切れている。
「大したことないですよ」
「見せてください」
「今?」
「今です」
仕方なく服を少しずらす。
「浅い切り傷です」
「じゃあ大丈夫」
「包帯を巻きます」
「でも」
「止まってください」
「……はい」
フェリクスが包帯を巻く。
「アレク殿」
「何です?」
「誕生日はいつです?」
「急に何です?」
「十五歳でこれなら、十六歳になった時には何をしているのかと思いまして」
「やめてくださいよ」
「なぜです?」
「想像すると怖い」
「確かに」
「そこで同意しないでください」
少し笑う。
十六歳。
そういえば、この世界に来てから自分の誕生日をほとんど意識していなかった。
アレクとして十五歳。
でも時間は止まっていない。
俺もいつまでも十五歳ではない。
「……十六か」
「何か?」
「いや」
今考えることではない。
でも。
この戦が終われば。
そんな日も来る。
「終わらせないとな」
「何をです?」
「この戦」
「はい」
フェリクスが包帯を結ぶ。
「終わらせましょう」
その時。
遠くから角笛が聞こえた。
ブオォォォォ――!
「敵?」
立ち上がる。
だが音は西や南からではない。
北西。
「何だ?」
城兵たちも見る。
城壁の北側。
遠くの街道に土煙が上がっている。
「騎兵!」
「どっちの軍だ!」
「旗を見ろ!」
俺も北西を見る。
まだ小さい。
だが銀色の旗が見えた。
「銀……」
そして、その意匠。
以前にも見た。
「レオンハルト殿下だ」
「援軍!」
誰かが叫んだ。
「援軍だぁぁぁ!」
城壁上から歓声が上がる。
「来た!」
「レオンハルト殿下だ!」
民兵たちの顔も一気に明るくなる。
「助かった!」
「まだです!」
俺は叫んだ。
でも。
自分でも笑っているのが分かった。
「まだ終わってません!」
敵も当然気づいた。
西側の兵の動きが止まり、南の本陣から別の角笛が鳴る。
「敵も見つけましたね」
フェリクスが言う。
「はい」
レオンハルト軍。
以前聞いた兵力は二千四百。
全て連れてきたのかは分からない。
だが戦況を変えるには十分な兵数だ。
「カール副将へ!」
「既に伝令が走っています!」
「早い!」
北西を見る。
騎兵の後ろから歩兵が続いている。
そして銀の旗。
「間に合った……」
思わず呟く。
その時だった。
シュヴァルツ伯軍本陣で大きな動きが起きた。
「何?」
兵が聞く。
「撤退か?」
「違う」
敵の砲が向きを変える。
城壁ではなく。
いや。
南西角塔。
「援軍が来たのに、まだ攻める?」
フェリクスの表情が変わる。
「まさか」
「何です?」
「援軍が城へ入る前に」
俺も分かった。
「城を落とすつもり?」
「最後の総攻撃でしょう」
背筋が冷えた。
シュヴァルツ伯は退かない。
レオンハルトが来た。
だからこそ、その前に決める。
「敵全軍、動きます!」
見張りが叫んだ。
「南から約千五百!」
「西、六百!」
「砲兵、発射準備!」
城内の鐘が激しく鳴る。
カン! カン! カン! カン!
「総員配置!」
遠くからカールの声が響く。
「休憩中の兵も全員戻せ!」
俺は民兵を見る。
疲れている。
でも。
「立てます?」
年配の男が槍を握った。
「十五のガキが立ってるんだ」
「だから俺、年齢言いました?」
「細かいことはいい。行くぞ」
「はい」
俺も剣を抜く。
シャッ――。
北西からレオンハルト軍が近づく。
南ではシュヴァルツ伯軍が動く。
エルツェンはその間にいる。
「あと少しです!」
声を上げる。
「あと少しだけ持たせる!」
「おおおおおっ!」
民兵たちが応える。
敵の角笛が鳴った。
ブオォォォォ――!
続いて北西から別の角笛。
ブォォォォォ――!
二つの音が平原の上で重なった。
援軍が来たから終わりではない。
むしろ。
ここからエルツェンの戦いは、最も激しい時間を迎えようとしていた。
◇ ◇ ◇
同じ頃。
エルツェン南方。
シュヴァルツ伯軍本陣。
「レオンハルト軍、北西より接近!」
「数は」
「およそ二千! 後続も確認しております!」
黒地に銀狼の旗の下で、一人の男が地図を見ていた。
年齢は五十代前半。
黒髪には既に灰色が混じっている。
大柄ではなく、むしろ細身だ。
それでも、その場にいる誰よりも落ち着いて見えた。
コンラート・フォン・シュヴァルツ。
シュヴァルツ伯本人だった。
「予定より早いな」
「撤退を?」
副官が聞く。
「なぜだ」
「しかし、このままでは城兵とレオンハルト軍に挟まれます」
「まだ挟まれてはいない」
「ですが……」
「城は?」
「南西壁が限界に近いです」
「南門は」
「外板を破壊しました。まだ閂までは届いておりません」
「西壁は?」
「先ほどの攻撃は失敗しました」
「守備兵が増えたか?」
「民兵です」
「民兵?」
「はい。先ほどから槍を持った市民が壁へ上がっております」
コンラートの目が僅かに細くなる。
「誰が動かした」
「確認できておりません」
「カールではないな」
「なぜです?」
「奴ならもっと早く民兵を使う」
副官が黙る。
「今朝、北東門へ入った荷車があったな」
「十台です」
「護衛は?」
「八十前後」
「指揮官は」
「確認中です」
「急げ」
「はっ」
コンラートは地図を見る。
北西からレオンハルト。
城内には守備隊。
南には自軍。
「伯爵」
「何だ」
「攻撃を続ければ、退路を失う恐れがあります」
「分かっている」
「では」
「半刻だ」
「……」
「あと半刻だけ攻める」
コンラートが南西壁を指した。
「南西へ八百」
「はい」
「南門へ五百」
「はい」
「西の六百はそのまま攻撃を続けさせろ」
「砲兵は?」
「全門、南西角塔へ集中」
「全門ですか?」
「崩せ」
「しかし、弾薬が」
「ここで使わず、どこで使う」
「……はっ」
コンラートが顔を上げた。
「半刻で壁を割る」
「割れなければ?」
「退く」
「割れれば?」
コンラートは北西から迫る銀の旗を見た。
「城内へ入る」
「レオンハルト軍が背後へ来ます」
「城壁を盾にする」
「……」
「奴が城ごと撃つか、見てみたい」
副官の顔が硬くなる。
「全軍へ伝えろ」
「はっ」
「これが最後の攻撃だ」
角笛が鳴った。
シュヴァルツ伯軍最後の総攻撃が始まる。
◇ ◇ ◇
ドォォォォン――!
十二門の砲がほぼ同時に火を噴いた。
「伏せろぉぉ!」
叫ぶ。
直後。
ドガァァァァン!
南西側から、これまでで一番大きな衝撃が伝わってきた。
城壁だけではない。
地面そのものが揺れたように感じる。
「何だ!?」
西壁の民兵が振り返る。
「塔だ!」
誰かが叫んだ。
南西角塔を見る。
煙と石片の向こうで、塔の上部が僅かに傾いている。
「……まずい」
外側ではない。
内側へ傾いている。
「下から離れろ!」
俺は叫んだ。
「塔から離れろぉぉぉ!」
声が届くかは分からない。
南西角塔の下には兵も工兵も民兵もいる。
塔がさらに傾く。
ギギギギ……。
石材が擦れ合う不気味な音が響いた。
そして。
ズズズズズ――。
「崩れる!」
ドガァァァァァン!
塔の上部が内側へ崩れ落ちた。
大量の土煙が城内へ広がる。
一瞬だけ。
戦場の音が消えたように感じた。
だが。
「敵突撃ぃぃぃ!」
すぐに城外から大歓声が上がった。
「うおおおおおおおっ!」
来る。
南西壁へ向かって、シュヴァルツ伯軍が一斉に走り出した。
「アレク殿!」
フェリクスが俺を見る。
「南西が!」
「分かってます!」
でも。
俺たちは西壁を任されている。
目の前には、まだ六百の敵兵がいる。
「行けない……」
「はい」
西壁を捨てれば、こちらから敵が入る。
南西へ駆けつけることは出来ない。
「カール殿を信じます」
「……」
俺は剣を強く握った。
「こっちはこっちで持たせる!」
敵の梯子が再び西壁へ近づいてくる。
北西からレオンハルト軍が迫っている。
だが、まだ城には届かない。
南西では角塔が崩れ、敵兵が殺到している。
城内の鐘が激しく鳴り続ける。
カン! カン! カン! カン!
その音を聞きながら、俺は初めて思った。
間に合ったと思った援軍が。
本当は間に合わないかもしれない。
あとほんの少し。
その「少し」が。
戦場では、あまりにも長かった。
第十二話をお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、エルツェン攻防がさらに激しくなり、アレクが一人の戦士としてだけではなく、現場を動かす側へ踏み込んでいく回になりました。
南西壁を任され、兵の配置を考え、疲労した兵を少人数ずつ休ませ、物資の使い方を決める。
さらに西壁では、戦い慣れていない民兵たちへ「一人で英雄になる必要はない」と伝え、正規兵と一緒に戦える形を作っていきます。
もちろん、どれもアレク一人の力で成り立っているわけではありません。
カール。
工兵。
フェリクス。
城兵。
民兵。
それぞれが自分の役割を果たし、その中でアレクも一つの判断を積み重ねています。
そして、ようやく姿を見せたレオンハルト軍。
本来なら援軍到着で流れが変わるはずでした。
しかしシュヴァルツ伯は退かず、逆に残されたわずかな時間へ全てを賭けます。
十二門の砲撃によって崩れ始める南西角塔。
そこへ殺到するシュヴァルツ伯軍。
援軍は見えている。
それでも、まだ届かない。
次話、「エルツェンの戦い(下)」へ続きます。




