第十二話 エルツェンの戦い(中)
エルツェンへ物資を届けたアレクは、南西壁の防衛を任されます。南門と城壁へ攻撃を分散させるシュヴァルツ伯軍に対し、限られた兵と物資を動かしながら援軍を待ちます。
剣と剣がぶつかり、アレクの腕へ重い衝撃が走った。
城壁へ上がってきた敵兵が、足場を確保しきれないまま二度目の剣を振り上げる。
アレクは半歩だけ横へ動いた。
剣先が胸元を通り過ぎる。敵の体勢が前へ崩れたところで、剣の柄を顔へ叩き込んだ。
「ぐっ!」
敵兵がよろめく。
「今です!」
横にいた城兵の槍が突き出された。
敵兵は盾を向けたが、梯子から城壁へ移ったばかりで踏ん張れない。槍を盾で受け止めたものの、その衝撃で身体が城壁の外側へ傾いた。
「押せ!」
別の城兵が盾ごと体当たりする。
敵兵は足を滑らせ、そのまま城壁の外へ落ちていった。
「次が来ます!」
梯子の縁に、新たな敵兵の手が掛かる。
「梯子を落とせ!」
城兵三人が長い棒を梯子へ押し当てた。
敵兵も下から梯子を支えている。城兵たちが力を込めても、すぐには動かない。
「盾を前へ!」
アレクが叫ぶ。
城壁下に並んだ敵弓兵が、梯子を落とそうとする兵を狙っていた。
盾兵が前へ出た直後、矢が石壁と盾へ突き刺さる。
「押してください!」
「おおおっ!」
三人が同時に棒へ体重を掛けた。
梯子が城壁から少しずつ離れる。その途中には、何人もの敵兵がしがみついていた。
「待て! 押すな!」
敵兵の叫びが聞こえる。
城兵たちは構わず押し続けた。
梯子が完全に城壁から離れ、後ろへ倒れていく。敵兵の悲鳴と、地面へ叩きつけられる鈍い音が続いた。
だが一息つく間もなく、右側へ別の梯子が掛かる。
「右です!」
アレクたちは城壁上を走った。
その途中で矢が風を切った。
「伏せろ!」
近くの城兵に肩を引かれ、アレクは姿勢を低くする。
直後、頭があった場所のすぐ後ろへ矢が当たり、石壁で弾けた。
「助かりました」
「止まるな。次が上がってくるぞ」
「はい!」
城壁の下では、大型盾を持った兵が並んでいる。その後ろから弓兵と弩兵が矢を放ち、さらに後方では別の兵たちが梯子を運んでいた。
南門からは、破城槌が門を叩く低い音が響いている。
砲声、弓弦の音、剣と盾がぶつかる音、敵味方の怒鳴り声。それらが一度に重なり、誰の命令なのか聞き分けることさえ難しい。
前世で読んだ攻城戦では、梯子を掛け、門を破り、砲で城壁を崩すと数行で説明されていた。
実際の戦場では、そのすべてが同時に起きる。
「アレク!」
少し離れた場所からカールが呼んだ。
「はい!」
「左の区画を頼む!」
指された先では、十人ほどの城兵が二本の梯子を守っていた。
「俺が指揮を?」
「剣を使えるだけでは足りん。周囲を見ろ!」
カールはそれだけ告げると、別の梯子へ向かった。
アレクは左側の城兵たちへ走る。
「カール副将から、ここを任されました!」
「どうする!」
「盾を前へ出し、下からの矢を防いでください! 槍兵は梯子の上を見て!」
城兵が動き、二人の盾兵が壁際へ立つ。
すぐに矢が飛来し、盾へ突き刺さった。
一つ目の梯子から敵兵の頭が出る。
「槍!」
槍兵が突き出した穂先を、敵兵が盾で受けた。
もう一人の槍兵が横から狙い、敵兵の肩へ刃を食い込ませる。
傷を負った敵兵が梯子から落ちた。
しかし、もう一本の梯子は城壁へ深く掛かっている。城兵三人が棒で押しているが、敵兵が下から支えていて動かない。
「二人追加しろ!」
「待ってください!」
アレクは城兵を止めた。
ここにいるのは十人ほどしかいない。
盾に二人、梯子の監視と攻撃に槍兵を二人使っている。さらに五人を梯子へ集めれば、もう一方から敵が上がった時に対応できない。
「その梯子は落としません」
「何だと?」
「上がってくる敵を、一人ずつ倒します」
「残していいのか」
「梯子の先は狭いです。一度に上がれる人数は限られています。五人で落とそうとするより、盾と槍で待ち構えたほうがいい」
城兵は一瞬迷ったが、敵兵が梯子から顔を出したことで考える時間はなくなった。
「来るぞ!」
「盾を!」
敵兵が城壁へ剣を振り下ろす。
盾兵が受け止め、横から槍が突き出された。
「ぐあっ!」
脇腹を突かれた敵兵が落ちる。
次の敵兵も同じ梯子を上がってきたが、同時に城壁へ立てるのは一人だけだった。
「正面の攻撃は盾で受けてください! 槍は横から!」
盾、槍、剣を持つ兵が、それぞれの役割に集中する。
梯子を落とせなくても、城壁へ上がらせなければいい。
「このままなら守れるぞ!」
城兵が声を上げた。
「今は、です! 下の敵が増えたら呼んでください!」
敵は同じやり方を続けるとは限らない。それでも、少ない人数で守る方法は見つかった。
その時、南門から一際大きな音が響いた。
城壁全体がわずかに震える。
「破城槌です!」
伝令が階段を駆け上がってきた。
「南門の外板が割れ始めています!」
カールが周囲の敵を確認した。
「予備兵を南門へ回す! アレク、ここを持たせろ!」
「南西壁の兵は?」
「全体で六十ほど残す!」
「敵の梯子は増えています!」
「だから、お前に任せる!」
カールは答えながら階段を下り、南門へ向かった。
無理な命令だと思う。
だが、カールが南門から動けなくなれば、誰かがこちらを守らなければならない。
「敵が上がります!」
アレクは再び剣を構えた。
◇ ◇ ◇
南門では、屋根へ濡れた皮を掛けた破城槌が、何度も扉を叩いていた。
門の内側では、城兵たちが太い梁を押さえている。
「来るぞ!」
外から敵兵の掛け声が響く。
破城槌が門へ衝突し、扉と梁が大きく軋んだ。内側から支えていた兵たちの足が石床を滑る。
「梁が一本割れた!」
「交換しろ!」
「予備は残り二本です!」
「持ってこい!」
カールが南門へ到着した。
「状況は!」
「外板が一枚割れています! 閂はまだ持っています!」
「敵兵は?」
「盾兵が約二百! 破城槌の周囲に五十人ほど!」
「門楼から石を落とせ!」
「弓兵に狙われています!」
門楼から顔を出した城兵へ、敵の矢が集中する。
一人が肩を射抜かれ、壁の内側へ倒れた。
「盾を門楼へ回せ!」
「南西壁でも足りません!」
カールは南西側へ目を向けた。
南門と南西壁。シュヴァルツ伯軍は二か所を同時に攻め、こちらの兵を分けさせている。
「副将!」
伝令が走り込んできた。
「南西壁の梯子が増えました!」
「何本だ!」
「確認できるだけで九本! 中央寄りに四本です!」
報告の直後、砲声が響いた。
少し遅れて、南西壁の方角から大きな着弾音が届く。城壁の向こうへ土煙が上がった。
「壁の損傷を確認しろ!」
「はっ!」
「それからアレクへ伝えろ。南西壁の指揮を任せる」
伝令が驚いたようにカールを見る。
「あの方へ、全体をですか」
「私は南門から動けん。ほかに誰がいる」
「……承知しました!」
伝令が走り去る。
カールは破城槌の音へ向き直った。
「次が来るぞ! 新しい梁を入れろ!」
南門へ再び激しい衝撃が走った。
◇ ◇ ◇
砲弾が城壁へ直撃し、砕けた石と白い粉塵が飛び散った。
アレクは身を低くして石片を避ける。
「内側の亀裂が広がっています!」
工兵が城壁下から叫んだ。
「支柱は?」
「まだ持っています! 袋を追加しています!」
「分かりました!」
「アレク殿!」
カールの伝令が城壁へ上がってきた。
「南西壁全体を任せるとのことです!」
「俺に?」
「カール副将は南門から動けません!」
周囲の城兵たちがアレクを見た。
今まで一つの区画を守っていただけだった。だが伝令は、九本の梯子が掛かる南西壁全体を任せると言っている。
自分に出来るかを考えている時間はなかった。
「現在の兵数は?」
「正規兵は六十三人! そのうち七人は動けません!」
「民兵は?」
「城壁下に四十人ほどいます!」
「武器は持っていますか」
「槍を持たせていますが、戦闘には出していません!」
戦える正規兵は五十六人。敵は九本の梯子を掛け、そのうち中央の四本へ多くの兵を集めている。
九本すべてへ同じ人数を置けば、敵が集中する中央から突破される。
「中央を厚くします! 左右は敵が増えたらすぐ知らせてください!」
「何人ずつ置きますか!」
「中央へ二十六人! 左右へ十五人ずつ!」
「アレク殿は?」
「中央へ行きます。ただし左右から報告が来れば動きます!」
「はっ!」
伝令が配置を伝える。
「民兵には水、石、矢、補強用の袋を運ばせてください! 負傷者を下ろす人も残します!」
「槍は?」
「敵が城壁へ上がるまでは使わせません! まず正規兵が戦える状態を保ちます!」
敵が梯子を上がってくる。
「中央、盾を前へ!」
大型盾を持った敵兵が城壁へ身体を乗り上げた。
正面から剣を当てても、盾に弾かれる。
アレクは姿勢を低くし、盾の下から敵兵の脚を斬った。
「ぐっ!」
敵の膝が崩れる。
「槍!」
城兵の槍が肩へ突き刺さった。
敵兵が倒れ、後ろから来た者の進路を塞ぐ。
「押し返せ!」
城兵二人が盾ごと敵を梯子へ押し戻した。
別の梯子では、既に二人の敵兵が城壁へ上がっている。
「左、入られました!」
「中央は今の配置で続けてください!」
アレクは左へ走った。
敵兵の一人が城兵と剣を合わせ、もう一人が盾で道を広げようとしている。
「右から行きます!」
声を掛け、盾を持つ敵兵の側面へ回る。
敵が振り向こうとした瞬間、アレクは剣を腕へ振り下ろした。
「ぐあっ!」
盾が下がる。
「押せ!」
城兵たちが一斉に前へ出た。
一人が梯子から落ち、もう一人も槍で突かれて城壁の外へ消える。
「ここは持ちます! 中央へ戻ってください!」
左側の城兵が声を上げた。
「敵が三人以上上がったら、すぐ知らせてください!」
「分かった!」
アレクは中央へ戻る。
すべての場所へ自分が居続けることはできない。各区画の兵に任せ、危険な場所へ動くしかなかった。
肩へ矢が飛んでくる。
盾兵の後ろへ身を入れた直後、矢が盾へ当たった。
「下の弓兵を見ろ! 城壁の縁へ集まりすぎるな!」
「敵の頭が見えないぞ!」
「槍兵だけ前へ! 剣兵は上がってからです!」
守備兵が配置を変える。
梯子を上がっている敵兵を、全員で覗き込む必要はない。必要な者だけが壁際へ立ち、残りは矢を避けながら次の敵へ備える。
南門では破城槌の音が続いている。
南西壁では砲弾の着弾が重なり、足元の石まで震えていた。
城を攻める側は、兵を休ませながら次々と新しい部隊を前へ出せる。
こちらには、その余裕がなかった。
◇ ◇ ◇
太陽が高くなる頃、最初に攻めてきた敵兵たちが後退を始めた。
「退いていくぞ!」
「勝ったのか?」
城兵たちの間から安堵の声が上がる。
アレクは敵の動きを見た。
敵兵は背を向けて逃げていない。盾をこちらへ向けたまま、隊列を崩さず下がっている。砲撃も一時的に止まった。
「休憩です。戦いは終わっていません」
「何だと?」
「敵陣の後ろを見てください」
最初の部隊と入れ替わるように、新しい歩兵が進み始めていた。
「六百ほどいるぞ」
「今まで戦っていた兵を休ませ、別の兵へ交代させるつもりです」
シュヴァルツ伯軍には三千二百人いる。攻撃に使っていない部隊を残しておき、疲れた兵と交代させる余裕がある。
南西壁の守備兵は、夜の砲撃から休めていない者も多い。
汗で顔が濡れ、腕を押さえている者がいる。息を切らしながら、水を飲む間もなく武器を握っている者もいた。
このまま同じ兵を立たせ続ければ、夕方まで持たない。
「こちらも兵を休ませます」
「交代させる兵などいないぞ」
「全員を一度には休ませません。区画ごとに三人から五人ずつ下げます」
「敵が来たら?」
「すぐ戻します。長く休めなくても、水を飲み、腕を休める時間は作れます」
「その間の持ち場は?」
「残った兵で間隔を詰めます。敵がまだ遠いうちに始めてください!」
中央から五人、左右から三人ずつが城壁裏へ下がった。
民兵が水を運び、休憩する兵へ渡す。座り込んだ者は剣を手放さず、敵の動きを見ながら荒い息を整えた。
「次の者と交代してください!」
最初に休んだ兵が戻り、別の兵が下がる。
完全な交代制ではない。それでも、数分だけでも腕を休ませれば、盾や槍を握る力が戻る。
「アレク殿!」
カールの伝令が来た。
「兵を小分けにして休ませているそうだな!」
「はい! 敵がまだ遠い間だけです!」
「南門でも行う! 休ませる人数は現場で変える!」
「分かりました!」
伝令が戻っていく。
アレクが決めた人数を、そのまま南門へ当てはめる必要はない。門と城壁では、敵の攻め方も必要な人数も違う。
カールが使えると判断し、現場へ合う形に変えればいい。
「敵が来ます!」
新しい敵部隊が歩調を揃え、南西壁へ近づいてくる。
「休憩中の兵を戻してください!」
水を飲んでいた兵たちが立ち上がった。
「弓兵、まだ撃つな! 盾兵が射程へ入るまで待て!」
城壁上に弓と弩が並ぶ。
敵は盾を頭上へ掲げ、梯子を守りながら進んでくる。
「今です!」
矢と弩矢が一斉に放たれた。
敵の盾へ矢が当たり、隙間を抜けた弩矢が一人の兵を倒す。
それでも敵は止まらない。
梯子が再び南西壁へ掛かった。
昼を過ぎても、戦闘は続いた。
アレクは中央と左右を何度も往復した。
敵兵が城壁へ上がれば剣を振るい、味方が負傷すれば別の兵を回す。矢が足りない場所へ矢束を運ばせ、水が切れれば民兵へ命じる。
左側へ上がった敵兵を止めようとした時、別の敵が盾を構えて横からぶつかってきた。
肩へ激しい痛みが走り、アレクは石壁へ押しつけられた。
「アレク殿!」
「大丈夫です!」
剣は手放していない。
敵が盾を引いた瞬間に身体を沈め、膝の内側へ剣を当てる。
敵兵の体勢が崩れた。
「今です!」
城兵二人が槍を突き出し、敵を城壁から押し落とした。
アレクは肩を動かした。
痛みはあるが、骨が折れている様子はない。服の一部が裂け、浅く血が滲んでいた。
「それで戦えるのか」
城兵が尋ねる。
「腕は動きます」
「なら無理をするな。次は俺たちが前へ出る」
城兵二人がアレクより前へ立った。
一人で何人もの敵を相手に出来るわけではない。剣を扱う力があっても、矢や盾をすべて避けられるわけではなかった。
「ありがとうございます」
「礼は後だ。次が来るぞ」
再び敵兵が梯子を上がってくる。
城兵が正面で受け、アレクは横から剣を振るった。
◇ ◇ ◇
「補強用の袋が足りん!」
工兵長の声を聞き、アレクは城壁の階段を下りた。
「あと何枚必要ですか」
「壁の崩れ方次第だ。少なくとも二十枚は欲しい!」
工兵所にあった空袋は使い切っている。
「倉庫に穀物袋があります!」
民兵の一人が言った。
「中の麦を床へ出せば、袋は使えます!」
「床へ直接出しては駄目です」
「だが次の砲撃が来るぞ!」
麦を床へ広げれば、泥や石くずが混ざる。雨水が流れ込めば濡れ、鼠に荒らされる可能性もある。
城を守るための袋が必要だからといって、籠城に必要な食料を無駄にするわけにはいかない。
「空いている木箱は?」
「工兵所と倉庫にいくつかあります!」
「すべての麦を移す必要はありません。袋二十枚分だけ、木箱へ移してください!」
「倉庫長の許可は?」
正式な許可を待っている間にも、砲弾は飛んでくる。
しかし勝手に軍の備蓄を動かせば、後で数が合わなくなる。ほかの者が使おうとした時、どこへ移されたのかも分からなくなる。
「袋を空ける前に、麦の量を記録してください。移した木箱にも、どの袋から移したか札をつけます」
「そんな時間があるか!」
「誰か一人が書けばいい! ほかの人は移してください!」
「許可はどうする!」
アレクは一瞬だけ迷った。
「俺が責任を取ります。二十枚だけです。それ以上必要になったら、カール殿へ伝えます」
工兵長が頷いた。
「聞いたな! 空の木箱を運べ!」
「はっ!」
民兵たちが倉庫へ走る。
麦は木箱へ移され、空いた袋へ土と細かな瓦礫が詰められた。袋の口を縄で縛り、二人一組で南西壁の内側へ運ぶ。
「もっと右へ積め! 亀裂の下を塞げ!」
工兵長が指示を出す。
方法は既に工兵たちのものになっている。アレクが積み方を一つずつ教える必要はなかった。
「アレク殿!」
フェリクスが城壁下へ来た。
「肩から血が出ています」
「浅い傷です」
「動かないでください」
「今ですか?」
「今だからです。戦えなくなってから巻いても遅い」
フェリクスは持ってきた布を傷へ当て、素早く肩へ巻いた。
「教会の状況は?」
「負傷者は八十人を超えました。重傷者が約二十人。死者は二十三人です」
夜の砲撃が始まった時、死者は三人だった。
本格的な攻撃が始まってから半日も経たないうちに、さらに二十人が命を落としている。
「包帯と酒は?」
「まだあります。ただ、治療を行う人手が足りません」
物資を届けても、それを使う人間が足りなければ、負傷者を救えない。
「民兵から何人か回せませんか」
「既に女性や年配の者も手伝っています。戦える者は城壁と門へ」
「分かりました。重傷者を優先してください。歩ける人は、出来るだけ自分で移動してもらいます」
「承知しました」
再び砲声が響いた。
だが着弾音がしたのは、先ほどまで砲撃されていた城壁の補修箇所ではなかった。
「今のは、どこです?」
「南西角塔の近くです」
工兵長が答える。
次の砲声が届き、今度は角塔から石片が飛び散った。
「狙いを変えた?」
アレクは城壁へ上がり、敵の砲列を見た。
十二門のうち何門かが、南西壁の補修部分ではなく、その端にある角塔へ向きを変えている。
「塔の上に弓兵がいるからでしょうか」
追ってきたフェリクスが尋ねる。
「それだけなら、十二門の狙いを変える必要はありません」
南西角塔は、南壁と西壁が交わる場所にある。塔が崩れれば、二つの壁の間で兵や伝令を動かしにくくなる。
アレクは西側へ目を向けた。
敵陣の端で、これまで動いていなかった部隊が隊列を整えている。
「フェリクスさん」
「見えています」
六百人ほどの歩兵が、盾と梯子を持って西側へ移動していた。
朝から南門と南西壁を攻め、守備兵を南へ集める。そのうえで南西角塔を砲撃し、西壁との連絡を断とうとしている。
「西壁を攻めるつもりです」
「カール副将へ伝えなければ」
「伝令!」
近くの兵を呼ぶ。
「敵約六百、西壁へ移動中! 砲は南西角塔を狙っています! カール副将へ急いで伝えてください!」
「はっ!」
伝令が走り出す。
敵軍は数が多いだけではない。
こちらの兵がどこへ集まり、次にどこが薄くなるのかまで見ていた。
◇ ◇ ◇
西壁の下には、槍を渡された民兵百五十人が集められていた。
職人、商人、農民。服装も年齢もばらばらで、鎧を身につけている者はほとんどいない。
正規兵百二十人は、既に西壁へ上がっている。
カールはアレクへ言った。
「民兵を率いて西へ行け」
「俺がですか」
「正規兵だけでは、六百を止められん」
「この人たちは、ほとんど戦ったことがありません」
「分かっている。だからお前が行け」
「なぜ俺なんです?」
「お前は、相手へ何をすればいいか伝えられる。複雑な命令はするな。出来ることだけをさせろ」
民兵たちの表情を見れば、恐れていることはすぐに分かる。握った槍の穂先が震え、城壁へ続く階段から目を逸らす者もいた。
「逃げさせるな」
カールはそれだけ言うと、南門へ戻った。
重い命令だった。
逃げたい者を剣で脅し、無理やり戦わせるつもりはない。それでも、ここで逃げれば西壁を守れず、敵兵が城内へ入ってくる。
「聞いてください!」
アレクは民兵たちへ声を上げた。
「敵約六百人が、西壁へ向かっています!」
ざわめきが広がる。
「六百だと?」
「俺たちは兵じゃないぞ!」
「分かっています!」
一人の男が槍を握ったまま叫んだ。
「槍なんて、まともに使ったこともない! そんな俺たちに六百人を倒せと言うのか!」
「皆さんだけで倒す必要はありません!」
民兵たちがアレクを見る。
「正規兵が前に立ちます。皆さんはその後ろから槍を出してください」
「それだけでいいのか」
「最初は、それだけです。一人で敵を倒そうとしないでください。隣の人と一緒に動き、敵が上がってきたら何人かで槍を向ける。前の兵が下がったら支える。それだけを覚えてください」
「本当に守れるのか?」
アレクにも断言はできない。
正規兵百二十人と民兵百五十人で、敵六百人を相手にする。城壁と地形があるとはいえ、簡単な戦いではなかった。
「援軍は来ます。レオンハルト殿下の軍が、こちらへ向かっています」
「いつ来る!」
「早くても夕方です」
「それまで持つのか?」
「持たせます」
「俺たちに死ねってことか!」
「違います!」
アレクは民兵たちを見回した。
「一人で英雄になろうとしないでください。敵を倒すことより、壁から入れないことを優先します」
それでも、恐怖は消えない。
「怖くないのか」
誰かが尋ねた。
「怖いです」
アレクはすぐに答えた。
「俺も逃げたいです。それでも、ここを抜かれれば、次に戦うのは城内にいる人たちです」
民兵たちの視線が、街の家々や教会へ動く。
そこには家族や友人がいるはずだ。
「正規兵だけに任せれば、いつか人数が尽きます。だから手を貸してください」
アレクは剣を抜いた。
「俺は西壁へ行きます。皆さんも来てください」
すぐに動く者はいなかった。
やがて、腕の太い年配の男が前へ出る。
「若いお前にそこまで言わせて、俺たちが隠れているわけにはいかんな」
男は槍を持ち直し、城壁へ続く階段へ向かった。
「俺も行く」
「俺もだ」
一人、また一人と後へ続く。
全員が覚悟を決めたわけではない。震えたまま歩き出す者も、何度も後ろを振り返る者もいる。
それでも、ほとんどの民兵が西壁へ向かった。
「良かったですね」
フェリクスが言った。
「何がです?」
「逃げませんでした」
「まだ、俺も含めて逃げるかもしれませんよ」
「それでも先頭へ行くのでしょう」
アレクは返事をせず、剣を握って階段を上がった。
◇ ◇ ◇
西壁の外には斜面が広がっていた。
南側の平地と違い、敵は長い梯子を担いだまま坂を上らなければならない。そのため進む速度は遅く、隊列も少し乱れている。
「地形はこちらに有利です」
「だからといって、六百が消えるわけではないぞ」
西壁を守る正規兵が答えた。
「分かっています。弓兵は敵が射程へ入るまで待ってください!」
民兵たちは城壁の内側で槍を握っている。
既に穂先を構えている者もいた。
「まだ下ろしていてください! 敵が壁へ来るまで持ち上げなくていい!」
「だが、すぐ来るぞ」
「今から構えていたら、腕が疲れます!」
民兵たちは戸惑いながらも槍を下ろした。
敵盾兵が斜面を上がってくる。
「弓兵、放て!」
城壁から矢が飛ぶ。
盾に弾かれるものもあれば、隙間を抜けて敵兵へ刺さるものもある。数人が倒れたが、後ろから来た兵が列を埋めた。
「弩兵、撃て!」
弩矢が大型盾を貫き、その後ろにいた敵兵が倒れる。
それでも敵は前進を止めない。
最初の梯子が西壁へ掛かった。
「正規兵は前へ! 民兵はまだ待ってください!」
敵兵が梯子を上がる。
正規兵の槍が上から突き出され、先頭の敵兵を落とした。
だが別の梯子では、大型盾を持つ敵が城壁へ身体を乗り出している。
「右の梯子です! 民兵三人、来てください!」
近くにいた三人が恐る恐る前へ出た。
「槍を向けてください。一人ずつではなく、同時に!」
敵兵が城壁へ上がる。
「今です!」
三本の槍が突き出された。
一人目の穂先は盾へ弾かれた。二人目は鎧をかすめ、三人目が敵の肩へ刺さる。
「ぐあっ!」
敵の姿勢が崩れた。
「押せ!」
正規兵が盾ごと体当たりし、敵兵を梯子へ押し戻した。
そのまま敵兵が城壁の外へ落ちる。
「今のでいいです!」
アレクは民兵たちへ叫んだ。
「一人で倒せなくても、三人で動けば止められます!」
民兵の表情が少し変わった。
恐怖が消えたわけではない。それでも、自分たちの槍で敵を押し返せると分かった。
「次が来るぞ!」
先ほど最初に歩き出した年配の男が声を上げる。
「三人ずつ並べ! 前へ出すぎるな!」
周囲の民兵が男の声に従って動き始める。
アレクが一人ずつ指示しなくても、現場で互いに声を掛け合っていた。
「右は俺たちで見る! お前は中央へ行け!」
一瞬だけ迷ったが、任せることも必要だった。
「お願いします! 敵が増えたら呼んでください!」
「分かった!」
アレクは中央へ走った。
盾と槍がぶつかり、矢が石壁へ当たる。
南西側からは砲撃が続き、南門からも破城槌の音が響いている。
西壁だけを見ていればいいわけではない。だが今ここを離れれば、六百人の敵が城内へ入る。
「中央の梯子、敵が上がります!」
アレクは剣を構え、正規兵とともに前へ出た。
敵の攻撃が一度弱まると、アレクは民兵と正規兵を城壁裏へ下がらせた。
「水を飲んでください! 敵が戻るまで座って休みます!」
「追わなくていいのか」
「敵は逃げていません。斜面の下で隊列を整えています」
民兵たちは城壁の内側へ座り込み、運ばれてきた水を回して飲んだ。
正規兵も数人ずつ交代で休ませる。
「アレク殿」
フェリクスが傷を負った肩へ目を向けた。
「包帯が緩んでいます」
「まだ動かせます」
「巻き直します。敵が離れている今しか出来ません」
アレクは諦めて壁際へ座った。
フェリクスが血の滲んだ布を外し、新しい包帯を巻く。
「深くはありません。ただ、もう一度同じ場所を打たれないように」
「敵へ伝えておいてください」
「聞いてくれるとよいですね」
わずかな冗談に、近くの兵が笑った。
張り詰めていた空気が少しだけ緩む。
その時、城壁の北側にいた見張りが叫んだ。
「北西の街道に軍勢!」
全員が立ち上がり、城壁の外を見る。
丘陵の向こうに土煙が上がっていた。
先頭には騎兵。その後ろから歩兵の列が続き、風の中に黒い旗が見える。
「レオンハルト殿下の軍です!」
誰かが叫んだ。
城壁上から歓声が上がる。
「援軍だ!」
「間に合ったぞ!」
民兵たちの顔にも安堵が広がった。
だが黒い旗は、まだ遠い。城へ到達するには、少なくとも半刻ほど掛かる。
「まだ終わっていません!」
アレクは声を上げた。
「敵は退いていません! 持ち場へ戻ってください!」
シュヴァルツ伯軍も援軍の到着に気づいた。
敵陣でいくつもの角笛が鳴る。
撤退の合図ではなかった。
南側に残っていた歩兵が一斉に動き、南門と南西壁へ向かっている。西壁の敵部隊も、斜面の下で再び隊列を作り始めた。
「援軍が来たのに、まだ攻めるつもりですか」
フェリクスが敵陣を見る。
「援軍が城へ着く前に、決着をつけるつもりです」
砲列も動いていた。
十二門の砲が、すべて南西角塔へ向けられている。
「南西角塔から離れろ!」
アレクは叫んだ。
ここから南西壁まで距離がある。声が届いたかは分からない。
敵砲兵が火を入れる。
複数の砲口から、ほぼ同時に白煙が噴き出した。
「伏せてください!」
轟音が重なり、空気そのものが揺れた。
直後、南西角塔へ砲弾が集中する。
石が砕ける音とともに、塔の上部が大きく傾いた。
「崩れます!」
塔の石組みが内側へ崩れ始める。
大量の石と木材が城内へ落ち、土煙が南西壁を覆い隠した。
敵軍から歓声が上がる。
南西へ向かっていた歩兵が、盾を掲げて一斉に走り始めた。
「南西壁へ敵が突撃!」
「南門にも来ます!」
「西の敵も前進!」
城内の警鐘が激しく鳴り響いた。
アレクは土煙に包まれた南西壁を見た。
工兵長とカールがいる。袋と木材を使った補強も、あの場所にある。
「南西へ行きますか」
フェリクスが尋ねた。
駆けつけたい。
しかし西壁の外では、敵兵六百人が再び梯子を担ぎ、斜面を上り始めている。
ここを離れれば、西から城内へ入られる。
「行けません」
アレクは南西壁から目を離した。
「カール殿と工兵長へ任せます。俺たちは西壁を守ります」
「はい」
黒い旗を掲げたレオンハルト軍は、確実に近づいている。
それでも、まだ届かない。
普段なら短い半刻が、戦場ではあまりにも長かった。
「休んでいた人も持ち場へ戻ってください! 正規兵は前! 民兵はその後ろから槍を!」
アレクは剣を抜き直した。
「一人で戦わないでください! 援軍が来るまで、ここを持たせます!」
「おおおおっ!」
城兵と民兵の声が重なる。
敵の梯子が西壁へ近づく。
南西では土煙の向こうから戦闘の怒号が響き、南門では破城槌が再び門を叩いた。
黒い旗は見えている。
だが援軍が到着するまでのわずかな時間に、シュヴァルツ伯軍は残る力のすべてを注ぎ込もうとしていた。
エルツェンを巡る戦いは、最も激しい時間を迎えた。
第十二話を読んでいただき、ありがとうございました。
南西壁を任されたアレクは、疲労した兵を少人数ずつ休ませ、民兵には運搬や正規兵の援護を任せることで戦線を維持しました。しかし、レオンハルト軍の黒い旗が見えても、援軍はまだ城へ届いていません。
次話では、崩れた南西角塔へシュヴァルツ伯軍が殺到する中、レオンハルト軍が城外から戦場を動かします。
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