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『知らない世界の知っている物語』 ~剣と知識を授かった平凡な会社員は、異世界の乱世を生き抜く~  作者: 相田 ソウ
第三篇 乱世の潮目

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第十話 戦場へ続く道

マティアスの配下として初めて戦場へ向かうアレク。


しかし、今回任されたのは剣を振るうことではなく、八十台もの荷車を無事にエルツェンまで運ぶことでした。


橋の損傷、荷車の故障、雨、悪路、村での物資調達。


戦場へ着く前から、戦は始まっています。


そしてアレクは、兵站とは単に物を運ぶことではなく、人と時間と道を守ることでもあると知っていきます。


その先で待つのは、シュヴァルツ伯軍の砲声。


戦火は、もうエルツェンへ届こうとしていました。

 ベルグハーフェンを出てから、まだ半刻も経っていなかった。

 それなのに俺は、もう一つ理解し始めていた。

「……遅い」

 思わず口から出る。

「何がだ?」

 隣を進んでいたマティアスが聞いた。

「進む速度です」

「見れば分かる」

「昨日まで騎馬で動いてたから、余計に遅く感じる」

「今日は騎兵隊ではない」

「分かってますけど」

 俺たちの前には長い列が続いていた。

 先頭には護衛の騎兵。その後ろを歩兵が進み、さらに荷車が続く。

 麦、塩、乾燥肉、包帯、薬草、工具、木材、予備の車輪。そのほかにも、俺には用途が分からない箱や樽が積まれている。

 八十台の荷車。

 それを馬が引き、人が歩く。

 後方にも護衛がついていた。

 そのさらに後ろには、アルヴェインから派遣されたオットー男爵率いる六百の兵が続いている。

 合計すれば千人近い人間と、何百頭もの馬。

 当然、騎馬だけで走るようには進めない。

「この速度でエルツェンまで何日です?」

「問題が起きなければ三日」

「問題が起きたら?」

「増える」

「どれくらい?」

「起きた問題による」

「嫌な答えだなぁ」

「正しい答えだ」

 反論できない。

 道は平坦ではない。

 ベルグハーフェン周辺はまだ整っているが、東へ進むほど丘陵が増え、その先にはローデン峡道がある。

 そして。

「シュヴァルツ伯軍は?」

「こちらより先にいる」

「何日くらい?」

「一日半ほどだろう」

「追いつけない?」

「今のままならな」

 俺は前を見る。

「じゃあ、エルツェンへの到着は向こうが先?」

「その可能性が高い」

「……」

 嫌な話だ。

 俺たちはエルツェンを助けるために向かっている。

 でも敵の方が近い。

「焦ってるか?」

 マティアスが聞いた。

「少し」

「荷を捨てれば速くなるぞ」

「駄目でしょう」

「なぜだ?」

「それを届けに行くんでしょう」

「ああ」

「じゃあ捨てられない」

「なら焦るな」

「簡単に言いますね」

「焦れば馬車が速くなるのか?」

「なりません」

「なら意味がない」

 正しい。

 正しいから腹が立つ。

「マティアス様」

「何だ」

「アルベルト殿下に似てきました?」

「私が?」

「言ってることが」

「それは不愉快だな」

「向こうも同じこと言いそう」

 マティアスが笑った。

「アレク」

「はい」

「今日のお前の仕事を決めた」

「やっと?」

「ああ」

「何です?」

「最後まで荷を一台も失わず運べ」

「……」

 俺は八十台の荷車を見る。

「一人で?」

「当然、違う」

「良かった」

「フェリクスと輸送隊長につけ」

「何をすれば?」

「見ろ」

「また?」

「そして問題を見つけろ」

「問題?」

「八十台を三日動かす」

 マティアスが前方の列を見る。

「何も起こらないと思うか?」

「思いません」

「なら、起こってから慌てるな」

「先に見つける?」

「そうだ」

「何を?」

「それを考えるのがお前の仕事だ」

「結局そこは教えてくれないんですね」

「全部教えたら私がやった方が早い」

「教育する気あります?」

「あるからやらせている」

「厳しいなぁ」

「嫌なら剣を持って先頭へ行け」

 前方。

 武装した兵士たち。

 その先にはシュヴァルツ伯軍。

「荷車を見ます」

「賢明だ」

 俺は馬の向きを変えた。


 ◇ ◇ ◇


「輸送隊長?」

「ああ」

 紹介された男は、俺が想像していた人物とは少し違った。

 五十歳くらい。

 大柄で、日に焼けた顔。

 短く切った黒髪には白髪が混じり、右頬から顎にかけて古い傷が走っている。

 腰には剣。

 でも鎧は着ていない。

 代わりに厚手の革製上着を着ている。

「ディートリヒ・バウマンだ」

「アレク・ハルトマンです」

「知ってる」

「また?」

「昨日からマティアス様の近くにいる若造がいると聞いた」

「若造……」

「十五だろ」

「はい」

「なら若造だ」

「反論できない」

 ディートリヒが笑った。

「それで、何をしろと言われた」

「八十台、一台も失わずエルツェンまで運べって」

「無理だな」

「即答!?」

「車輪くらい壊れる」

「あ」

「馬も潰れる。積荷も崩れる。道が悪ければ荷車そのものを捨てることもある」

「じゃあマティアス様、最初から無理な仕事を?」

「一台も失わないよう考えろ、という意味だろ」

「……」

 やっぱりそういうことか。

「何から見ます?」

「自分で考えろ」

「あなたまで!?」

 フェリクスが横で笑った。

「皆同じだなぁ」

「では一つだけ助言を」

「お願いします」

「荷車ではなく、道を見てください」

「道?」

「荷車は道の上しか走れません」

 当たり前だ。

 でも。

 だから重要なのか。

 俺は前を見る。

 土の街道。

 中央は踏み固められている。

 昨夜は雨が降っていないため、今のところ状態は悪くない。

「雨が降ったら?」

「場所によっては泥になります」

「車輪が埋まる」

「はい」

「狭い場所は?」

「一台ずつしか通れません」

「そこで一台止まったら」

「全部止まります」

「……」

 なるほど。

 八十台が動いているように見える。

 でも実際には。

 一台の故障で。

 八十台全部が止まる可能性がある。

「怖いな」

「何がです?」

「一か所の問題が、後ろ全部に影響する」

「今さらですね」

「フェリクスさんまで厳しい」

「昨日、商館でも同じものを見たでしょう」

「何を?」

「一つの船が遅れれば、その荷を待つ荷車も遅れる。倉庫への入庫も遅れる。その後の船にも影響する」

「あ」

 同じだ。

 場所が。

 市場から。

 街道へ変わっただけ。

「物流……」

「何です?」

「いや」

 俺は前を見る。

「まず道を見ます」

「どうやって?」

 ディートリヒ。

「先の道を確認する人、います?」

「斥候がいる」

「軍の?」

「ああ」

「敵を見る人ですよね」

「それだけではないが、主目的はそうだ」

「輸送用にも欲しい」

「何を見る」

「道幅。ぬかるみ。橋。坂。それから」

 考える。

「荷車が止まりそうな場所」

 ディートリヒが少し笑う。

「ようやく始まったな」

「何が?」

「お前の仕事だ」

「試してた?」

「少しな」

「皆そればっかりだ……」

 俺はため息をついた。


 ◇ ◇ ◇


 午前中。

 輸送隊から騎馬三人を前へ出した。

 軍の斥候ほど遠くへは行かない。

 目的は敵ではなく道だ。

 次の休憩地点まで。

 橋。

 坂。

 ぬかるみ。

 倒木。

 荷車が通りにくい場所を確認する。

「それだけ?」

 フェリクスが聞く。

「今は」

「他には?」

「馬」

「馬?」

「荷車ごとに状態を確認したい」

「八十台全て?」

「全部やったら大変?」

「かなり」

「じゃあ」

 考える。

「車列を分ける」

「どうやって?」

 八十。

「二十台ずつ四組」

「理由は?」

「管理しやすくなる」

 フェリクスが黙る。

「あと」

 俺は続ける。

「各組に一人、責任者」

「今でも御者頭はいる」

「あ」

「二十台前後ごとにな」

「既にあるんだ」

「当然です」

 恥ずかしい。

「じゃあ使います」

「何に?」

「毎回俺が八十台を見るんじゃなくて、御者頭に見てもらう」

「何を」

「馬の状態。車輪。積荷。それから遅れている車」

「報告させる?」

「はい」

「いつ?」

 これ。

 重要だ。

 ずっと報告されたら。

 逆に俺が何も出来なくなる。

「休憩ごと」

「それだけ?」

「大きい問題があればすぐ」

「大きいとは?」

「……」

 難しい。

「馬が歩けなくなった」

「分かりやすい」

「車輪が壊れた」

「ああ」

「荷が崩れた」

「ああ」

「あとは」

「曖昧だな」

「ですよね」

 現場の基準。

 ここは。

「ディートリヒさん」

「何だ」

「どんな時なら、すぐ報告してほしいです?」

「私に聞くのか」

「知ってる人に聞いた方が早いので」

 ディートリヒが少し笑った。

「荷車一台で直せるなら勝手に直させろ」

「はい」

「周りの車を止めるなら報告」

「なるほど」

「代わりの馬が必要なら報告」

「はい」

「荷を別の車へ移すなら報告」

「はい」

「橋や道そのものに問題があるなら最優先」

「分かりました」

 紙に書く。

「アレク殿」

 フェリクス。

「何です?」

「全部自分で考えるのでは?」

「無理です」

「即答ですね」

「俺、輸送隊を率いたことありません」

「それはそうですが」

「知ってる人がいるなら聞けばいい」

 橋の時もそうだった。

 倉庫でも。

 俺は。

 道路工事の専門家でもない。

 輸送隊の専門家でもない。

 前世の知識はある。

 でも。

 この世界の馬車がどの程度の道を走れるか。

 馬が何時間歩けるか。

 車輪がどれくらい壊れるか。

 そんなものまで知っているわけではない。

「俺がやるのは」

 何だろう。

 考える。

「皆が持ってる情報を集めて、早めに気づくことかな」

「それも仕事です」

 フェリクスが答えた。

「地味ですね」

「戦場で目立つ仕事がしたいのですか?」

「嫌です」

「なら良いのでは?」

「確かに」

 そんな話をしている時だった。

 前方から一騎。

 ドドッ。

「輸送隊長!」

 道の斥候。

「何だ!」

「一里先! 小橋あり!」

「状態は!」

「橋板一部破損! 荷車は通せますが一台ずつです!」

「幅は?」

「大型荷車でぎりぎりです!」

 ディートリヒが俺を見る。

「どうする?」

「え、俺?」

「お前の仕事だろ」

「……」

 まだ橋にも着いていない。

 でも。

 問題は見つかった。

「今の速度で行ったら」

 八十台。

 一台ずつ。

 橋。

「詰まる」

「ああ」

「前の荷車が渡っても、後ろがずっと待つ」

「そうなる」

 待っている間。

 兵士。

 馬。

 全部止まる。

 しかも。

「敵に見つかったら嫌ですね」

「そうだな」

 狭い橋。

 長い車列。

 最悪だ。

「殿下」

 俺はマティアスを探す。

 少し前方。

 馬で近づく。

「マティアス様!」

「何だ」

「先に小橋。板が壊れてて一台ずつしか通れません」

「それで?」

「少し止めたい」

「どこで」

「橋の手前じゃなくて、ここ」

「理由」

「橋の前で全部詰まらせたくない」

 マティアスが俺を見る。

「続けろ」

「先に大工を送る」

「ああ」

「直せるなら先に直す」

「ああ」

「それから荷車は四組に分けたまま、間隔を空けて橋へ」

「なぜ」

「一組が橋を渡ってる間に、次の組を近づける」

「兵は?」

「先に向こう側へ?」

「全部か?」

「……」

 待て。

 護衛。

 輸送隊。

 橋を渡る前後で分断される。

 全部先に渡したら。

 こっちの荷車が無防備。

「半分?」

「根拠は」

「ないです」

「なら数字を決めるな」

 第九話で言われたばかり。

「先に向こう側の安全を確保できるだけの兵」

「誰が決める」

「護衛隊長」

「そうだ」

 俺が全部決める必要はない。

「じゃあ、それで」

「やれ」

「いいんです?」

「お前が担当だ」

「責任重いなぁ」

「今さらだ」

 マティアスはそのまま前へ進んだ。

「……任された」

「嬉しいか?」

 ディートリヒ。

「怖いです」

「それでいい」

「皆それも言うなぁ」

 でも。

 やるしかない。


 ◇ ◇ ◇


 橋へ到着する前に、輸送隊を一度止めた。

「大工! 前へ!」

「はい!」

 大工四人。

 護衛二十。

 馬で先行する。

 さらに。

「第一組、前進準備!」

 二十台。

「残りはここで待機!」

 全部を橋の前へ押し込まない。

 道の広い場所で待たせる。

 兵士たちは周囲へ展開。

 馬には水。

 御者たちは車輪と縄を確認する。

「これ」

 フェリクスが周囲を見る。

「休憩にしました?」

「待つだけなら」

 俺も見る。

「その間にやれることやった方がいいかなって」

「悪くありません」

「本当?」

「ええ」

「珍しく褒めた」

「取り消します?」

「その文化やめません?」

 しばらくして。

 前方から合図。

「補修完了!」

 板二枚を交換。

 ただし。

 橋自体が古いため、一台ずつ。

「第一組、進め!」

 ギギギ……。

 一台目。

 橋。

 木材が軋む。

 ギィ……。

「怖っ」

「声に出すな」

 ディートリヒ。

「だって壊れそう」

「壊れん」

「本当に?」

「たぶん」

「たぶん!?」

 一台。

 渡る。

 二台。

 三台。

 順調。

 その間に。

「第二組、前進!」

 二十台が動く。

 第一組最後尾が橋を渡り始める頃。

 第二組先頭が到着する。

「……」

 止まらない。

 完全ではない。

 でも。

 長い渋滞にはならない。

「上手くいった」

「まだ全部渡っていない」

 ディートリヒ。

「厳しいなぁ」

 四十台。

 六十台。

 そして。

 七十三台目。

 バキッ!

「うわっ!」

 音。

「止めろ!」

 御者。

 車輪。

 右前輪の軸が傾いている。

「橋の上?」

 最悪。

 でも。

 橋へ入る直前だった。

「後ろ止めろ!」

「止まれ!」

 ギギギ……。

 後続が止まる。

「修理!」

 大工。

 鍛冶。

 集まる。

「どれくらい?」

「軸が割れています!」

「直せる?」

「半刻は!」

「半刻……」

 橋が止まる。

 後ろ。

 七台。

 前には七十三台。

「荷を移す?」

「別の車に積めば早い」

 ディートリヒ。

「でも積む余裕ある?」

「少しずつなら」

「何積んでる?」

「包帯、薬草、医療用酒です」

「……」

 捨てられない。

 むしろ重要。

「空いてる荷車は?」

「ありません」

「全部積んでる?」

「ああ」

 前世なら。

 予備車両。

 でも。

 八十台全部使っている。

「待つしか?」

 俺が言う。

 ディートリヒは答えない。

 考えろ。

 という顔。

「……」

 荷車そのものを直す。

 半刻。

 荷を別の車に分散。

 その方が早い?

 でも重量。

「七十三台、もう向こうにいる」

「ああ」

「そこから」

 俺は橋の向こうを見る。

「空間を作る」

「どうやって?」

「荷を少し降ろす」

「どこへ」

「一時的に道端」

「護衛は?」

「つける」

「雨は?」

「今は降ってない」

「その後は?」

「壊れた車の荷を分けて積む」

「積載超過になるぞ」

「全部じゃなくて」

 一台に少しずつ。

 七十三台に分ければ。

「数十キロずつ?」

 前世の単位。

 口に出さない。

「少しずつなら?」

 ディートリヒが考える。

「可能だ」

「車は?」

「捨てるのか」

「いや」

 修理して。

 後から。

「補修班と一緒に来てもらう」

「護衛が要る」

「数人残す」

「本隊から離れる」

「……」

 リスク。

 でも。

 全体を半刻止めるより。

「どっちが危ない?」

 俺が聞く。

「敵が近いなら、ここで八十台止まっている方だ」

 ディートリヒ。

「じゃあ」

 決める。

「荷を分散。壊れた車は修理して後から追いつく」

「やれ」

「はい」

 俺が指示を出す。

「前方十台から少しずつ荷を降ろせ!」

「何を!?」

「重い物から!」

「酒樽は?」

「駄目! 割れたら終わる!」

「薬草箱!」

「それで!」

 ガチャガチャ。

 ザッザッ。

 人が動く。

 荷物を移す。

 縄を締め直す。

 壊れた荷車から医療物資を降ろす。

 別の車へ。

 少しずつ。

「この箱は?」

「重すぎる! 次!」

「こっちへ!」

「積みすぎるな!」

 十分。

 二十分。

 壊れた荷車は道端へ。

 橋。

 再開。

 残り七台が渡る。

「全車、渡った!」

 声。

「……はぁ」

 俺は息を吐いた。

「終わった」

「まだ七十九台だ」

 ディートリヒ。

「一台残ってる……」

「忘れるな」

「はい」

 そうだった。

 一台も失わず。

 今。

 一台。

 後ろにいる。

「修理班は?」

「四人」

「護衛」

「十人つける」

「追いつけます?」

「直ればな」

「じゃあ」

 俺は前を見る。

「待つ?」

「なぜ」

「一台も失わずって言われたから」

「馬鹿か」

「え?」

「七十九台を一台のために止めるのか」

「でも」

「任務は、荷をエルツェンへ届けることだ」

「……」

「一台も失わないのは、そのための手段だ」

 あ。

「目的と手段」

「そうだ」

「……」

 危なかった。

 言われたことに引っ張られていた。

 一台を守るために。

 七十九台全部を危険に晒す。

「進みます」

「それでいい」

「修理したら追わせる」

「ああ」

 俺は少し。

 恥ずかしくなる。

「俺、まだ駄目だな」

「当たり前だ」

 ディートリヒが言う。

「初日だぞ」

「二日目です」

「似たようなものだ」

「そうかなぁ」

「最初から出来る奴などいない」

 マティアスと。

 同じことを言う。

「ありがとうございます」

「礼はいらん」

「じゃあ言わない」

「それはそれで腹が立つな」

「難しいなぁ」

 ディートリヒが笑った。


 ◇ ◇ ◇


 昼過ぎ。

 最初の大休止。

 俺は地面へ座り込んだ。

「疲れた……」

「剣も振っていないだろう」

 オットー男爵。

 いつの間にか隣へ来ている。

「頭使いました」

「珍しいな」

「酷い!」

 オットーが笑う。

「聞いたぞ。橋を上手く渡したそうだな」

「最後に一台壊れました」

「七十九台は?」

「先に」

「なら十分だ」

「でもマティアス様に一台も失うなって」

「失ったのか?」

「後から追ってきます」

「なら失っていない」

「あ」

「随分真面目に考えるようになったな」

「前は違いました?」

「最初の頃はもっと考える前に喋っていた」

「今も喋ってますよ」

「確かに」

 笑う。

「オットー男爵」

「何だ」

「エルツェンって、どんな城です?」

「行ったことがないのか」

「ないです」

「当然か」

 オットーが水を飲む。

「グランヴァルト西部ではかなり堅い城だ」

「どれくらい?」

「城壁は二重。北と西は丘、東は河川。南が主な攻め口になる」

「砲十二門なら?」

「面倒だな」

「落ちます?」

「守備兵次第だ」

「何人?」

「平時なら八百ほど」

「レオンハルト殿下の援軍が着けば」

「増える」

「シュヴァルツ伯三千二百」

「ああ」

「守れる?」

 オットーが俺を見る。

「戦は数だけで決まらん」

「分かってます」

「なら聞くな」

「でも目安が欲しい」

「守れる」

「本当?」

「ただし」

 少し。

 顔が真面目になる。

「食糧があるならな」

 やっぱり。

「どれくらい?」

「一月か。二月か。それは城の備蓄次第だ」

「そこ」

 俺たちが運んでいる。

「マティアス様の荷」

「ああ」

「重要?」

「かなりな」

 俺は後ろの荷車を見る。

 さっきまで。

 ただ八十台。

 そう思っていた。

 でも。

「これがないと」

「兵が腹を空かす」

「ああ」

「怪我人に包帯がない」

「ああ」

「車輪が壊れて物が動かない」

「ああ」

「城が落ちるかもしれない」

「そうだ」

 重い。

 一台。

 一袋。

 一箱。

 意味がある。

「剣より怖いな」

「何がだ?」

「荷物を失う方」

「その感覚は忘れるな」

「はい」

 オットーが立つ。

「ただし」

「何です?」

「いざ戦になれば剣も忘れるな」

「分かってます」

「お前は剣も使える」

「マティアス様にも言われました」

「欲張りな主だな」

「殿下と同じですよ」

「確かに」

「本人に言ってください」

「嫌だ」

「何で皆そこだけ慎重なの?」


 ◇ ◇ ◇


 午後。

 道は少しずつ悪くなった。

 丘陵。

 坂。

 そして。

 雲。

「雨?」

 空を見る。

 黒い。

「降るな」

 ディートリヒ。

「困ります?」

「かなり」

「どれくらい?」

「降ってみれば分かる」

「またその答え」

 風。

 少し冷たい。

 やがて。

 ぽつ。

「来た」

 ぽつ。

 ぽつぽつ。

 ザァァァ……。

「うわ」

 雨。

 最初は弱い。

 でも。

 すぐ強くなる。

「外套!」

「荷に覆いを!」

 ガサガサ。

 布。

 革。

 荷車に被せる。

「麦は?」

「油布!」

「薬草!」

「全部覆え!」

 雨。

 道。

 少しずつ。

 土が黒くなる。

 馬車の車輪。

 ギィ……。

 ぐちゅ。

「嫌な音」

「これからもっと嫌になる」

 ディートリヒ。

「嬉しそうに言わないでください」

 十分後。

 道が泥になる。

 ぐちゅ。

 ズルッ。

「馬を急かすな!」

「車間を空けろ!」

「下り坂! 速度落とせ!」

 今度は。

 壊れるだけじゃない。

 滑る。

 前の荷車にぶつかる。

 坂道。

 俺は見る。

「殿下」

「何だ」

「今日の野営地」

「まだ先だ」

「変更出来ます?」

 マティアスが俺を見る。

「理由」

「このまま進んだら」

 道。

 泥。

 夜。

「暗くなる前に着けないかもしれない」

「ああ」

「暗くなったらもっと危ない」

「ああ」

「手前で泊まれる場所は?」

「ある」

「どこ?」

「二里ほど先に村がある」

「本来の野営地は?」

「四里」

「村に変えません?」

 マティアスは空を見る。

「理由はそれだけか?」

「それだけじゃ足りない?」

「考えろ」

「……」

 村。

 人がいる。

 食糧。

 水。

 でも。

 千人近い。

「村に迷惑」

「それもある」

「兵を全部入れられない」

「ああ」

「敵に場所が分かりやすい」

「ああ」

「でも」

 雨。

 このまま。

 街道脇。

 野営。

「水場を探す必要は減る?」

「ああ」

「負傷者や馬を屋根の下に入れられる」

「ああ」

「食糧を村から買える」

「買うならな」

「徴発は?」

「するな」

「なら」

 メリット。

 デメリット。

「村の外に本隊を置く」

「うん」

「村から水と薪を買う」

「ああ」

「怪我人と弱った馬だけ屋根を借りる」

「ああ」

「それで?」

「村には金を払う」

「当然だ」

「じゃあ」

 俺は見る。

「そこまで進んで止まる」

 マティアスが少し考える。

「良い」

「決定?」

「ああ」

「……」

 また。

 俺の意見で。

 千人近い人間の予定が変わる。

「怖い顔をするな」

「出てました?」

「ああ」

「でも」

「何だ」

「間違ってたら?」

「今の条件なら、私も同じ判断をする」

「……」

「だから許可した」

「なるほど」

 俺が決めた。

 ではない。

 意見を出した。

 マティアスが。

 決めた。

 少し。

 安心する。

「伝令!」

「はい!」

 マティアス。

「今夜の野営地を変更! 前方のグロース村外縁!」

「はっ!」

 伝令が走る。

「村へ先行使者!」

「はい!」

「水、薪、干草を購入する! 価格は平時相場を基準!」

「承知しました!」

 俺が見る。

「多めに払わないんです?」

「なぜ」

「急に千人来るから」

「足元を見て高値を吹っかけられたら?」

「あ」

「逆にこちらが大公軍と商隊を理由に安く買えば?」

「村が損する」

「そうだ」

「平時相場」

「ああ」

「誰が決める?」

「村の直近の市場値と照らす」

「記録ある?」

「商館にある」

「……」

 ここでも。

 情報。

「マティアス様」

「何だ」

「商人って怖いですね」

「今さらか」

 雨の中。

 マティアスが笑った。


 ◇ ◇ ◇


 夕刻前。

 グロース村。

 小さな村だった。

 家は百軒もない。

 俺たちが来た瞬間。

 村人たちは。

 明らかに怯えた。

「……」

 道端。

 子供。

 母親に引かれて家へ入る。

 男たちも。

 遠巻きにこちらを見る。

 兵。

 武器。

 馬。

 荷車。

 千近い人間。

「怖いよな」

 俺が呟く。

「当然だ」

 オットー。

「俺たち、味方ですよね」

「村人からすれば」

 オットーが周囲を見る。

「どちらでも同じことがある」

「略奪?」

「ああ」

 味方の軍でも。

 食糧を取る。

 馬を取る。

 家に泊まる。

 戦国時代。

 兵農分離前。

 軍勢が通れば。

 村が荒れる。

 知識として。

 知っていた。

「アレク」

 マティアス。

「はい」

「来い」

「どこへ?」

「村長」

 中央。

 教会らしい建物の前。

 六十歳ほどの老人が立っている。

 その周囲に数人の村人。

 顔。

 硬い。

「グロース村村長、ハンス・エーベルです」

「マティアス・クレーマーだ」

「存じております」

「今夜、村外へ野営する」

「……はい」

 村長の手が。

 少し震えている。

 マティアスも気づいている。

「家屋の接収はしない」

「……」

「井戸の使用料、水、薪、干草、食糧については全て購入する」

 村長が顔を上げる。

「購入……ですか?」

「ああ」

「兵士の方々は」

「村内へ勝手に入れない」

「……」

「怪我人と弱った馬のため、納屋を数棟借りたい」

「それは」

「こちらも払う」

「いえ、それくらいなら」

「払う」

「しかし」

「払う」

「……はい」

 強い。

 でも。

 何となく分かる。

 一度ただで借りたら。

 次も。

 当然になる。

「アレク」

「はい?」

「記録を取れ」

「俺?」

「ああ」

「何を?」

「何を借りた。誰から。いくら払った」

「全部?」

「全部だ」

「また帳簿!」

「得意だろう」

「異世界まで来て帳簿ばっかり……」

 村長が。

 少し。

 笑った。

「あ」

 表情。

 ほんの少し。

 緩んだ。

 マティアスも見ている。

「任せた」

「はい」

 俺は紙を出す。

「村長さん」

「はい」

「干草って、今どれくらいします?」

 話を始める。

 価格。

 量。

 井戸。

 薪。

 干草。

 卵。

 パン。

 少しずつ。

 村人が集まる。

 最初は。

 怖そうに。

 でも。

 本当に銀貨を払うと。

 少し変わる。

「薪ならうちに余ってる」

「どれくらい?」

「二束なら」

「値段は?」

「ええと」

「いつも市場で売る時と同じでいいです」

「本当に?」

「はい」

「干草も買うのか?」

「買います」

「馬が十頭分なら」

「待って、一人ずつ!」

 いつの間にか。

 俺の周囲に。

 人。

「アレク」

 フェリクス。

「何です?」

「楽しそうですね」

「全然!」

「顔は楽しそうですが」

「皆それ言うなぁ!」

 でも。

 少し。

 分かる。

 市場。

 ヴァイスブルク。

 あの時と似ている。

 人と話す。

 金を決める。

 物を集める。

 ただし。

 今回は。

 その先に。

 戦場がある。


 ◇ ◇ ◇


 夜。

 雨は弱くなった。

 村の外。

 無数の焚き火。

 兵士たちが食事を取っている。

 荷車は円形に近い形で配置され、外周には見張り。

 馬はまとめて繋がれている。

 俺は。

 焚き火の横。

 紙。

「薪、二十七束……干草……」

 数える。

 記録。

「アレク」

「はい」

 マティアスが隣へ座る。

「まだやっているのか」

「やらせたの誰です?」

「私だ」

「なら聞かないでください」

「どうだ」

「何が?」

「今日」

 今日。

 朝。

 橋。

 荷車。

 雨。

 村。

「疲れました」

「それだけか」

「剣、一回も抜いてません」

「ああ」

「でも」

 少し考える。

「戦ってた気がします」

「何と」

「分かりません」

「考えろ」

「また?」

「聞いたのはお前だ」

「聞いてないです」

「似たようなものだ」

 俺は紙を見る。

「時間?」

「うん?」

「橋で止まったら遅れる」

「ああ」

「荷車が壊れたら物が届かない」

「ああ」

「雨が降ったら道が悪くなる」

「ああ」

「村から物を取ったら、次に来た時には協力してもらえないかもしれない」

「そうだな」

「全部」

 敵兵ではない。

「戦場へ着くまでに戦うもの?」

 マティアスが少し笑う。

「悪くない」

「またそれ」

「だが」

 前を見る。

「一つ足りない」

「何です?」

「人だ」

「人?」

「疲れる」

 兵士。

 御者。

 馬。

 俺自身。

「腹が減る。怖くなる。怒る。判断を間違える」

「……」

「物は勝手には動かん」

「ああ」

「人が動かす」

「そういうこと」

 俺は周囲を見る。

 兵士。

 寝ている者。

 笑っている者。

 靴を乾かす者。

 馬を撫でる御者。

「兵站って」

「何だ」

「物を運ぶだけじゃないんですね」

「今さらか」

「今日初めてやったんですよ」

「なら覚えろ」

「はい」

 少し。

 沈黙。

「マティアス様」

「何だ」

「何で俺にこれやらせたんです?」

「必要だからだ」

「もっと経験ある人いるでしょう」

「いる」

「ディートリヒさんとか」

「あいつの方がお前より百倍上手い」

「百倍!?」

「もっとかもしれん」

「そこまで?」

「当然だ」

「じゃあ」

 なぜ。

「お前は将来」

 マティアスが言う。

「もっと多くを動かす」

「俺が?」

「ああ」

「何人?」

「知らん」

「また」

「百かもしれん。千かもしれん。一万かもしれん」

「一万!?」

「その時」

 マティアスの目が。

 焚き火の向こうを見る。

「一人の兵が、一日にどれだけ食うかを知らない指揮官になるな」

「……」

「馬一頭に何が必要か」

「はい」

「荷車一台が止まると何が起きるか」

「はい」

「村から食糧を奪えば、その後どうなるか」

「はい」

「知らないまま、地図の上で兵だけを動かすな」

 胸に。

 残る。

「分かりました」

「本当に?」

「たぶん」

「ならまだ駄目だな」

「厳しい!」

 マティアスが笑う。

 でも。

 その時。

 遠く。

「伝令!」

 声。

 一騎。

 村へ。

 ドドドッ。

「マティアス様!」

 兵士が走ってくる。

「何だ」

「東方より!」

 息。

「シュヴァルツ伯軍!」

 周囲の空気が変わる。

「言え」

「本日午後!」

 伝令。

「エルツェン南方へ到達!」

「……」

「城との距離は!」

「およそ一里半!」

 近い。

「攻撃は?」

「まだ!」

「陣を?」

「構築開始を確認!」

 マティアスが立つ。

「砲は」

「十二門すべて確認!」

「配置」

「南西側へ集中!」

 オットーも来る。

「南西?」

「ああ」

「エルツェンの弱点は南だ」

 オットー。

「では明日にも」

「始まる」

 マティアスが地図を出す。

 焚き火。

 紙。

 駒。

「レオンハルトは?」

「本隊はエルツェンより東、約一日の距離!」

「間に合わない?」

 俺が言う。

「急げば明日夕方」

「シュヴァルツ伯は?」

「朝から攻めれば」

 オットー。

「半日、城だけで耐える必要がある」

「守備八百」

「ああ」

「砲十二」

「ああ」

 俺は。

 荷車を見る。

 俺たち。

 ここ。

 エルツェンまで。

「どれくらい?」

 マティアス。

「今の速度なら一日半」

「遅い」

「ああ」

「急げば?」

「荷を減らせば一日」

「減らさない」

 俺が言う。

 マティアスが見る。

「理由」

「届けるために来た」

「ああ」

「でも」

 考える。

 一日半。

 遅い。

 城が攻められる。

 全荷車で行く必要は?

「全部一緒に行く必要はない」

 口から出る。

「続けろ」

「必要なものから先に」

「何を」

「食糧?」

 違う。

 城が明日攻撃。

 今必要なのは。

「医療?」

 でもまだ戦闘前。

「矢」

 守る。

 矢。

 火薬。

 でも。

 俺たちは武器をあまり積んでいない。

 工具。

 木材。

 包帯。

 薬。

「……」

 何を。

 先に届ける。

「分からない」

 言う。

「何が一番必要か、俺には分かりません」

「なら誰に聞く」

 オットー。

「守城を知ってる人」

 俺はオットーを見る。

「俺か」

「はい」

 オットーが地図を見る。

「矢は城に備蓄があるだろう」

「はい」

「食糧も短期なら足りる」

「はい」

「なら」

 俺たちの荷。

「工具と木材」

「何で?」

「砲撃で壁が崩れる」

「あ」

「門も壊れる。柵も」

「直す」

「ああ」

「それと」

「負傷者が出る」

「包帯、薬、酒」

「ああ」

「じゃあ」

 俺はマティアスを見る。

「速い荷車だけ選ぶ」

「何台」

「分かりません」

「なら」

「ディートリヒさんに決めてもらう」

「良い」

「工具、木材、医療物資を積んだ中から、馬と車の状態が良いもの」

「ああ」

「護衛をつけて先発」

「誰が率いる」

 止まる。

 マティアス。

 オットー。

 見る。

「……俺?」

「なぜそう思う」

「この流れで聞くから」

「嫌か」

「怖いです」

「それで?」

 俺は地図を見る。

 エルツェン。

 まだ見えない。

 戦場。

「行きます」

「よし」

「即決!?」

「自分で言っただろう」

「少しくらい止めてくださいよ!」

「止めてほしかったのか?」

「それは……」

 違う。

「行きます」

 今度は。

 ちゃんと言う。

「俺が先発隊に行きます」

「分かった」

 マティアス。

「フェリクスもつける」

「はい」

「護衛五十」

「少なくない?」

「速さを優先する」

「アルヴェイン兵は?」

 オットー。

「三十出す」

「ありがとうございます」

「礼は帰ってからだ」

「……はい」

 帰る。

 その言葉。

 少し。

 胸に刺さる。

「出発は?」

 マティアス。

「夜明け」

「いや」

 俺は空を見る。

 雨。

 弱い。

 道。

 暗い。

「今は?」

 皆が見る。

「今から?」

 フェリクス。

「危険です」

「分かってます」

「暗い。道も悪い」

「分かってる」

「ならなぜ」

「明日朝」

 シュヴァルツ伯。

 攻撃。

 エルツェン。

 半日。

「少しでも早く届けたい」

「……」

 マティアスが俺を見る。

「道を知る者は」

 オットー。

「いる」

「松明」

「用意出来る」

「荷車」

 ディートリヒが来ていた。

「十台なら速いのを選べる」

「十台」

 工具。

 木材。

 医療。

「それで」

 俺は。

 一度。

 息を吸う。

「今夜出たいです」

 マティアスは。

 しばらく。

 俺を見る。

「条件がある」

「何です?」

「無理だと思ったら止まれ」

「……」

「到着時間を守るために、全滅したら意味がない」

「はい」

「道が危険なら夜営しろ」

「はい」

「荷を捨てて人を死なせるな」

「はい」

「人を守るために必要なら荷を捨てろ」

「……はい」

 目的。

 手段。

 また。

「分かりました」

「なら行け」

「はい」

 俺は立ち上がる。

「フェリクスさん」

「はい」

「準備」

「すぐに」

「ディートリヒさん」

「十台選ぶ」

「お願いします」

「護衛!」

 オットー。

「三十名選抜! 騎馬出来る者を優先!」

「はっ!」

 野営地が。

 再び動き始める。

 俺は。

 自分の手を見る。

 少し震えている。

「アレク」

 マティアス。

「はい」

「怖いか」

「はい」

「そうか」

「止めません?」

「止めん」

「ですよね」

 少し。

 笑う。

「行ってきます」

「ああ」

「ちゃんと追いついてくださいよ」

「お前が遅ければ追い越す」

「嫌な言い方だなぁ」

 でも。

 その方が。

 少し楽になった。


 ◇ ◇ ◇


 夜。

 十台の荷車。

 護衛八十。

 馬。

 松明。

「出るぞ!」

 俺の声。

 ギィ……。

 ギギギ……。

 車輪が回る。

 村の灯りが。

 少しずつ遠ざかる。

 前。

 真っ暗な街道。

 雨。

 泥。

 エルツェン。

 そこでは。

 シュヴァルツ伯軍三千二百が。

 もう陣を構えている。

 俺は剣の柄へ触れる。

 次に。

 鞄の紙。

 今日。

 一日。

 剣は抜かなかった。

 それでも。

 戦場へ近づいた。

 橋。

 車輪。

 雨。

 村。

 荷物。

 全部。

 戦争だった。

「アレク殿」

 フェリクス。

「はい」

「先頭へ」

「何か?」

「道が二つに分かれています」

「もう?」

「はい」

「どっち?」

「一方は近道。ただし山道です」

「もう一方は?」

「遠回りですが街道」

「……」

 初めから。

 選択。

「時間差は?」

「近道なら二刻ほど短縮出来ます」

「道の状態は?」

「分かりません」

「雨」

「降っています」

「荷車」

「十台」

「……」

 速く。

 でも。

 安全に。

 目的は。

 荷を届ける。

 俺は。

 暗い分かれ道を見る。

「偵察を出します」

「どちらへ?」

「近道」

「人数は?」

「二騎」

「分かりました」

「戻るまで?」

 考える。

「街道側をゆっくり進む」

「近道が使えたら?」

「戻って分岐まで戻るより遅くなる」

「はい」

「……」

 じゃあ。

 ここで。

 待つ?

 時間。

「五分だけ待つ」

「五分?」

「近くの状態だけでいい」

「なるほど」

「危ないなら即戻る」

「分かりました」

 二騎。

 山道へ。

 ドドッ。

 闇へ消える。

 俺たちは。

 待つ。

 雨。

 パラパラ。

 馬。

 ブルルッ。

「……」

 一分。

 二分。

 長い。

 三分。

 四分。

 音。

 ドドッ。

「戻りました!」

「どう?」

「道幅狭し! 泥深く、荷車は危険です!」

「街道」

 俺は即答する。

「遠回りします」

「よろしいのですか?」

「時間より」

 今日。

 学んだ。

「届く方が大事です」

 フェリクスが少し笑った。

「分かりました」

「行きましょう」

 先頭が動く。

 俺たちも。

 続く。

 遠回り。

 遅れる。

 でも。

 進む。

 俺は前を見る。

「絶対届ける」

 誰に聞かせるでもなく。

 呟く。

 十台。

 工具。

 木材。

 薬。

 包帯。

 まだ。

 ただの荷物だ。

 でも。

 明日。

 これが。

 誰かの命を。

 守るかもしれない。

 その時。

 遠く。

 東の空。

 低い音。

 ドォン――。

「……」

 全員が止まった。

「今の」

 フェリクス。

 また。

 ドォォン――!

 遠い。

 でも。

 知っている。

 俺は。

 ヴァイスブルクで。

 何度も聞いた。

「砲……」

 三発目。

 ドォォォン――!

 暗い空。

 エルツェンの方向。

 予定より。

 早い。

「始まった……?」

 夜襲?

 砲撃?

 分からない。

 でも。

 シュヴァルツ伯軍の砲は。

 もう火を噴いている。

「アレク殿」

 フェリクスが俺を見る。

「どうします」

 怖い。

 本当に。

 怖い。

 でも。

 答えは。

 一つだった。

「進みます」

「はい」

「少し速度を上げる」

「道が悪いです」

「無理はしない」

「分かりました」

「でも」

 俺は東を見る。

「止まらない」

 手綱を握る。

「全隊、前進!」

 ギギギギ……。

 車輪が回る。

 ドォン――。

 砲声。

 その音へ。

 俺たちは。

 向かっていく。

 マティアスに仕えてから。

 初めて迎える本当の戦場が。

 もう。

 始まっていた。

第十話をお読みいただき、ありがとうございます。


今回は、マティアスのもとでアレクが初めて本格的に兵站へ関わる回となりました。


荷車を運ぶ。

道を確認する。

故障した車両をどう扱うか決める。

雨によって予定を変更する。

村から必要な物資を買い、住民との関係を壊さないようにする。


どれも華々しい仕事ではありません。


ですが、一つ判断を誤れば物資が届かず、その先で戦っている兵士たちの命に直結します。


アレクも少しずつ、「目的と手段を取り違えないこと」や「自分一人で全てを決めず、知っている人間に聞くこと」を実際の仕事の中で学び始めています。


そして最後には、本隊より先にエルツェンへ向かう先発輸送隊を任されました。


遠くから響いた砲声。


シュヴァルツ伯軍による攻撃は、想定より早く始まっています。


次話では、アレクたちが物資を抱えたまま、すでに戦場となったエルツェンへさらに近づいていきます。

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