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『知らない世界の知っている物語』 ~剣と知識を授かった平凡な会社員は、異世界の乱世を生き抜く~  作者: 相田 ソウ
第三篇 乱世の潮目

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第九話 最初の仕事

マティアス・クレーマーに仕えることを自分で選んだアレク。


翌朝から待っていたのは、特別扱いでも華々しい役目でもなく、いきなりの実務でした。


物資の動き、市場の変化、金の流れ、噂。

それらを組み合わせ、まだ姿の見えない敵軍の進路を読む。


そして、その判断の先には本物の戦場があります。


今回は、アレクがマティアスの配下として初めて「剣以外の力」で戦に関わっていく一歩を描きます。

 翌朝。

 目を覚まして最初に思ったのは、自分の立場が昨日までとは違うということだった。

「……」

 天井は同じだ。

 泊まっている部屋も同じ。

 窓の外から聞こえてくるベルグハーフェンの騒音も変わらない。

 それなのに。

「俺、マティアス様の配下なんだよな」

 口に出してみる。

 変な感じだった。

 昨日まで俺の主君はアルベルトだった。

 今日からは違う。

 アルベルトとの縁が切れたわけじゃない。それでも、仕える相手が変わったという事実は思っていた以上に重かった。

「……様、か」

 昨日から自然と付けるようになった。

 マティアスさん。

 そう呼んでいた相手が、今はマティアス様。

「慣れないな」

 そんなことを考えていると、扉が叩かれた。

 コンコン。

「アレク・ハルトマン殿」

「はい?」

 ゲオルクではない。

 扉を開ける。

 立っていたのは、昨日も会ったフェリクス・ローナーだった。

「おはようございます」

「おはようございます」

「マティアス様がお呼びです」

「もう?」

「もう、とは?」

「いや……」

 窓を見る。

 まだ朝食すら食べていない。

「早くないです?」

「商人の朝は早いものです」

「昨日まで大公の小姓だったんですけど」

「今日から違います」

「……そうでした」

 いきなり実感させられた。

「朝食は?」

「向こうに用意しております」

「それなら行きます」

「食事が基準ですか」

「大事ですよ」

 フェリクスが少し笑った。

「では参りましょう」

「はい」

 剣を腰へ下げる。

 部屋を出ようとして。

 一度振り返った。

 昨日までなら、まずアルベルトのところへ行っていた。

 今日は違う。

「……本当に変わったんだな」

「何か?」

「何でもありません」

 俺は扉を閉めた。


 ◇ ◇ ◇


 向かったのは昨日の旧税関ではなかった。

 ベルグハーフェン中央河港の近くにあるクレーマー商会の建物だった。

「ここが支店?」

「ベルグハーフェン商館です」

「大きいですね」

 石造りの三階建て。

 正面に派手な装飾はないが、隣接する倉庫を含めるとかなり広い。

 朝から人が出入りしている。

 商人。

 荷運び人。

 書記。

 使者らしい騎馬の男までいる。

 中へ入る。

 俺が最初に驚いたのは。

「……静か」

 外とは全然違った。

 人は多い。

 なのに、怒鳴り声がほとんどない。

 長い机が何列も並び、書記たちが紙へ文字を書いている。

 別の机では荷札を整理している。

 壁には大きな板が掛けられていた。

 そこにいくつもの木札。

「何です、あれ?」

「船の入出港予定です」

「全部?」

「クレーマー商会が関係するものだけです」

「それでも多いな……」

 船名。

 到着予定。

 積荷。

 出港予定。

 行き先。

 簡単な情報が木札に書かれ、場所ごとに並べられている。

「誰が考えたんです?」

「昔から似たものはございます」

「マティアス様じゃない?」

「何でもあの方が発明したと思わない方がよろしいかと」

「昨日も同じこと学びました」

「なら成長しましたね」

「一日で?」

「一日でも成長は成長です」

 この人。

 思っていたより話しやすい。

「フェリクスさん」

「何でしょう」

「あなた、何の仕事してるんです?」

「今聞きますか?」

「昨日は使いって言ってたから」

「マティアス様の連絡役を務めることが多いですね」

「連絡役」

「使者、情報収集、商館同士の連絡。必要なら交渉も」

「忙しそう」

「あなたも今日から似たようなものでは?」

「俺、仕事決まってないですよ」

「それは幸運ですね」

「何で?」

「決まっていないということは、何でもやらされるということです」

「幸運じゃない!」

 フェリクスが笑った。

「こちらです」

 二階。

 奥の部屋。

 扉を開ける。

「遅い」

 マティアスがいた。

「まだ約束の時間聞いてないんですけど」

「呼ばれたらすぐ来い」

「横暴だ」

「昨日仕えたばかりでもう文句か」

「仕えたから言えるんです」

「なるほど」

 マティアスが笑った。

「座れ」

 机の上。

 パン。

 チーズ。

 干し肉。

 それから温かいスープ。

「本当に朝食ある」

「疑っていたのか」

「少し」

「食え」

「いただきます」

 椅子へ座る。

 食べる。

 うまい。

 マティアスは俺が食べ始めるのを見てから、机の端に積んである書類へ手を伸ばした。

「食いながら聞け」

「はい」

「お前の扱いを決める」

 パンが止まる。

「役職?」

「ああ」

「昨日、決めてないって言ってましたよね」

「今も決めていない」

「じゃあ何を決めるんです?」

「役職を決めないことを決めた」

「……」

「何だ、その顔は」

「すごい屁理屈だなと思って」

「必要だからだ」

 マティアスが一枚の紙を俺へ渡す。

「お前を軍務だけへ置けば、内政で使えない」

「はい」

「商務へ置けば戦場へ連れて行きにくい」

「はい」

「私の小姓にすれば?」

「嫌です」

「私も嫌だ」

「そこまで言わなくても」

「だから当面、私の直属に置く」

「直属?」

「ああ」

「何するんです?」

「必要なことをする」

「一番怖いやつだ」

 フェリクスが横で笑っている。

「笑わないでください」

「私も似た立場ですから」

「仲間?」

「私は逃げられません」

「俺ももう遅い気がする」

「二人とも聞こえているぞ」

「はい」

「はい」

 声が重なる。

 マティアスが額を押さえた。

「本当に面倒なのを二人抱えたな」

「自分で選んだんでしょう」

「そうだった」

 そして。

 表情が変わる。

「アレク」

「はい」

「最初の仕事だ」

 俺も食べる手を止めた。

「何を?」

 マティアスが机の下から地図を出した。

 グランヴァルト西部。

 ベルグハーフェン。

 シュヴァルツ伯軍。

 王都軍。

 レオンハルト軍。

 見覚えのある配置。

 だが。

 昨日より駒が増えている。

「シュヴァルツ伯?」

「ああ」

「動きました?」

「夜明け前にな」

 黒い駒。

 昨日まで南東へ進んでいたシュヴァルツ伯軍。

 その先には大きな分岐がある。

 一方。

 王都方面。

 もう一方。

 レオンハルト勢力圏。

「どっちへ?」

「それを考えろ」

「……」

「答えは知ってるんですか?」

「まだ確定していない」

「じゃあ一緒に考える?」

「違う」

 マティアスが三つの紙束を置いた。

 ドサッ。

「これを読め」

「全部?」

「全部だ」

「朝から?」

「最初の仕事だ」

 嫌な予感。

 一つ取る。

 商館からの報告。

 二つ目。

 荷物の移動。

 三つ目。

 市場価格。

「軍の偵察報告は?」

「ない」

「え?」

「お前には渡さない」

「何で?」

「兵の動きだけ見れば簡単だからだ」

「……」

「私のところへ来たのだろう」

 マティアスが笑う。

「なら、私の戦い方を覚えろ」

 そういうことか。

「物と金から軍の動きを読む?」

「それだけではない」

「人と情報も?」

「ああ」

「昨日やったばっかりなんですけど」

「復習だ」

「実戦で?」

「一番覚える」

「教育が雑だなぁ」

「昼までに答えを出せ」

「何時間?」

「三時間ほど」

「短い!」

「始めろ」

 マティアスはもう別の書類を読み始めた。

「……本当にやるんだ」

 俺はスープを一口飲んだ。

 そして。

 紙束へ手を伸ばした。


 ◇ ◇ ◇


 一時間。

 最初は。

 本当に分からなかった。

「……麦」

 紙へ書く。

 ベルグハーフェンから南東へ出た麦。

 ここ三日で増えている。

「でも前から多い」

 次。

 塩。

 これも増えた。

「軍?」

 違う。

 塩は民間需要も大きい。

 次。

 飼葉。

「これ」

 昨日も聞いた。

 南東方面で値上がりしている。

 馬。

 騎兵。

 荷車。

 軍隊なら大量に必要。

 でも。

「決めるな」

 自分に言う。

 飼葉が高い。

 だから軍がいる。

 可能性はある。

 証拠ではない。

 紙を横へ。

 次。

 鉄。

 増えていない。

「武器は持ってる?」

 軍が出発した後なら、武器を大量購入する必要はない。

 次。

 酒。

 減っている。

「何で?」

 考える。

 兵士に酒を出さない?

 違う。

 民間の交易かもしれない。

 次。

 革。

 増えた。

 靴?

 馬具?

 修理?

「分からん」

 頭を掻く。

「何を見ている」

 マティアス。

「全部です」

「それが駄目だ」

「え?」

 顔を上げる。

「全部同じ重さで見るな」

「どういうことです?」

「麦一袋と針一本を同じように見るのか」

「いや」

「なら情報も同じだ」

「重要度?」

「ああ」

「でも何が重要か分からない」

「だから考えろ」

「教えてくれないんです?」

「最初から答えを教えてどうする」

「アルベルト殿下がもう一人いる……」

「嫌なら戻るか?」

「戻りません」

 即答。

 マティアスが少し笑った。

「なら続けろ」

「はい」

 重要なもの。

 軍がなければ大きく動きにくいもの。

 飼葉。

 大量の食糧。

 補修材。

 医薬品。

 矢。

 火薬。

「火薬」

 報告を探す。

 ない。

「……?」

 何で?

 砲を持っているなら必要。

 既に持っている?

 別経路?

 それとも。

「砲を使う予定がない?」

 紙へ書く。

 次。

 人。

 宿屋からの報告。

 南東へ向かう傭兵が増えた。

「傭兵」

 でも。

 誰に雇われた?

 不明。

 別の紙。

 荷馬の価格。

 上がっている。

 場所。

 分岐より。

「東」

 俺は地図を見る。

 王都へ向かうなら南寄り。

 レオンハルト領へ向かうなら東寄り。

 東側で馬の需要が増えている。

「……こっち?」

 でも。

 まだ。

 次。

 信用状。

 昨日聞いた南東への金。

 今日の報告。

 支払先。

 直接の名はない。

 ただ。

 複数の小商会。

「何これ」

 金が分散している。

 一つの大商会へではなく、小さな商人へ少しずつ。

 誰かが軍用物資を目立たないように買っている?

「……」

 そうなら。

 誰が?

 シュヴァルツ?

 王都?

 レオンハルト?

 マティアス?

 目の前の本人を見る。

「何だ」

「いや」

「私を疑ったか?」

「少し」

「悪くない」

「否定しないんです?」

「自分で確かめろ」

「面倒だなぁ」

 次。

 川船。

 上流へ向かう船が増えた。

 行き先。

 東。

 積荷。

 麦。

 乾燥肉。

 飼葉。

 塩。

「……」

 これは。

「殿下」

 マティアスは返事をしない。

「マティアス様」

「何だ」

「質問」

「内容による」

「シュヴァルツ伯軍って、今何人でした?」

「最後の確認で三千二百」

「馬は?」

「騎兵四百ほど。荷駄馬を含めればもっといる」

「一日どれくらい食べる?」

「自分で計算しろ」

「ですよね」

 前世の知識。

 一人一日一キロ。

 単純化しすぎる。

 実際はパン。

 麦。

 肉。

 酒。

 塩。

 量も違う。

 でも目安。

 三千二百人。

 三日。

 少なくとも十トン近い。

 馬はさらに食う。

「船」

 俺は紙を見る。

 昨日から上流へ出た船。

 積載量。

 正確ではない。

 でも。

 十五艘。

 全部軍用なら。

「多い」

 軍一つを支えられる。

 ただし。

 全部シュヴァルツ伯向けなら。

「東」

 ほぼ間違いなく。

 王都ではない。

「分かった?」

 マティアスが聞く。

「まだ」

「そうか」

 次を見る。

 情報。

 酒場の噂。

 シュヴァルツ伯は王都へ行く。

 東へ行く。

 北へ戻る。

 数字も行き先もバラバラ。

「役に立たない」

 でも。

 待て。

 噂そのものではない。

「誰が最初に言った?」

 記録を見る。

 商館の聞き取り。

 王都へ向かうという噂。

 昨日夕方から急に増えている。

 出所。

 不明。

 東へ向かうという噂は。

 船頭。

 村人。

 街道商人。

 複数。

「……」

 王都説だけ。

 一気に増えた。

「流してる?」

 誰かが。

 意図的に。

「シュヴァルツ伯本人?」

 分からない。

 でも。

 もし東へ向かうのを隠したいなら。

「王都へ行くって言わせる」

 その間に。

 物は東へ。

 金も東へ。

 馬も東で値上がり。

 船も東。

「……」

 俺は地図を見る。

 そして。

 一つの黒い駒を。

 東へ動かした。

「こっち」

 マティアスが顔を上げる。

「理由は?」

「シュヴァルツ伯軍は、王都じゃなくレオンハルト殿下側へ向かうと思います」

「なぜ」

「兵の話じゃありません」

「聞こう」

「物です」

 紙を並べる。

「飼葉が東側で上がってる」

「ああ」

「荷馬も」

「ああ」

「上流へ向かう船に麦、塩、乾燥肉、飼葉」

「ああ」

「金も東寄りの小商会に分散してる」

「ああ」

「それから」

 噂。

「昨日から急に、シュヴァルツ伯が王都へ向かうって話が増えてる」

「それが?」

「逆に怪しい」

 マティアスが少し笑った。

「なぜ」

「本当に王都へ行くなら、わざわざこんなに急に広まる?」

「偶然かもしれん」

「はい」

「なら?」

「これだけなら決めません」

 物。

 金。

 馬。

 船。

 全部。

「別の情報が、全部東を示してる」

「だから」

「王都説は偽情報の可能性が高い」

「可能性?」

「確定とは言えません」

「なぜ」

「俺が見てない輸送があるかもしれない。報告が間違ってるかもしれない。小商会への支払いも別件かもしれない」

「……」

「だから」

 俺は地図を見る。

「七割くらい?」

「何が」

「東へ行くと思います」

「残り三割は」

「間違ってるかもしれない分」

 マティアスがしばらく俺を見る。

「悪くない」

「正解?」

「まだ分からん」

「え?」

「言っただろう。確定していない」

「本当に知らないんです?」

「ああ」

「試験じゃなかった?」

「半分は試験だ」

「残り半分は?」

「私も判断材料が欲しかった」

「……俺の?」

「ああ」

「仕えた翌日に?」

「何か問題か」

「責任重くないです?」

「だからお前一人の判断では動かん」

「あ」

 そうだ。

 俺の意見は。

 一つの材料。

「俺が間違えても?」

「他と比べる」

「それで?」

「最後に私が決める」

「……」

 アルベルトも。

 そうだった。

 部下から情報を集める。

 意見を聞く。

 最後は大将が決める。

「でも」

 マティアスが言う。

「一つだけ訂正だ」

「何です?」

「七割という言い方は悪くないが、数字に根拠がない」

「……」

「七割という数字を出せば、聞いた側は本当に七割の精度があると誤解する」

「あ」

「なら」

「『東へ向かう可能性が高い。でも確定できない』」

「それでいい」

「なるほど」

 前世なら。

 数字で言った方が分かりやすいと思っていた。

 でも。

 その数字に根拠がなければ。

 逆に危ない。

「覚えておきます」

「ああ」

 その時。

 扉が開いた。

「マティアス様」

 フェリクス。

「何だ」

「東方より急使です」

「入れろ」

 一人の男が入る。

 泥だらけ。

 息を切らしている。

「報告!」

「言え」

「シュヴァルツ伯軍、今朝より東進!」

 俺の身体が止まった。

「進路は?」

「ローデン峡道方面!」

 地図。

 東。

 俺が動かした駒と。

 同じ。

「……当たった」

 思わず呟く。

「喜ぶのはまだ早い」

 マティアス。

「え?」

「次だ」

「次?」

 急使を見る。

「進軍速度は」

「遅いです!」

「理由」

「荷駄隊が多く、さらに民間の荷車が随伴しております!」

「数は」

「確認できただけで百二十以上!」

 マティアスの顔が変わる。

「多いな」

 俺も分かる。

 三千二百。

 荷車百二十以上。

 単なる数日の移動ではない。

「長期戦?」

 俺が言う。

「可能性はある」

「でも」

 東。

 レオンハルト勢力圏。

「本気で攻める?」

「まだ決めるな」

「はい」

 もう一つ。

 マティアスが急使へ聞く。

「砲は」

「十二門確認!」

「十二?」

 俺が声を上げる。

 ヴァイスブルクの時。

 四門でも怖かった。

 十二。

「攻城?」

「可能性は上がった」

 マティアス。

「ローデン峡道の先に何があります?」

「エルツェン」

「何です?」

「城塞都市だ」

「誰の?」

「レオンハルト側の重要拠点」

 俺の背筋が冷える。

 シュヴァルツ伯。

 三千二百。

 砲十二門。

 大量の荷駄。

 東へ。

 城塞都市。

「……始まる?」

 マティアスが地図を見る。

「もう始まっている」

 昨日も。

 俺はそう思った。

 でも。

 今度は違う。

 剣が。

 本当に抜かれようとしている。


 ◇ ◇ ◇


「フェリクス」

「はい」

「レオンハルトへ送れ」

「内容は?」

「シュヴァルツ東進確認。砲十二。荷車百二十以上」

「はい」

「エルツェンへ警告」

「既に王弟側が把握している可能性は?」

「それでも送れ」

「承知しました」

「それから」

 マティアスが別の紙を取る。

「東へ向かうクレーマー系の荷を止めろ」

「全てですか?」

「軍需に転用できるものだけだ」

「食糧は?」

「止めるな」

 俺が見る。

「何で?」

「民も食う」

「でもシュヴァルツ伯軍にも渡る」

「ああ」

「昨日は売って情報を取るって」

「状況が変わった」

「……」

「昨日までは奴の行き先が分からなかった」

「今は分かった」

「ああ」

「レオンハルト殿下を攻める可能性が高い」

「そうだ」

「だから」

「鉄、火薬、矢材、馬具。軍用へ流れやすいものは絞る」

「完全には止めない?」

「止めれば相手も気づく」

「……」

 そうか。

 急に全部止めれば。

 シュヴァルツ側から。

「情報が漏れたと思われる」

「そうだ」

「じゃあ自然に減らす?」

「事故でも起こせ」

「事故?」

「船の遅れ。倉庫の取り違え。荷車不足。理由はいくらでもある」

 俺はマティアスを見る。

「汚いですね」

「ああ」

 即答。

「否定しないんだ」

「必要ならやる」

 昨日。

 何でもするわけではないと言った。

 線はその時にならなければ分からないとも。

 これが。

 その一つなのか。

「嫌か?」

 マティアスが俺を見る。

「……」

 考える。

 商人へ損が出る。

 契約も遅れる。

 でも。

 その鉄が武器になり。

 その火薬が砲に使われ。

 人が死ぬ。

「好きではないです」

「そうか」

「でも」

 俺は答える。

「やる理由は分かります」

「それでいい」

「いいんです?」

「何でも喜んで従う奴はいらん」

 昨日の言葉。

 私が間違えたら止めろ。

「なら」

 俺も言う。

「やりすぎたと思ったら言いますよ」

「言え」

「怒りません?」

「内容による」

「そこは怒らないって言ってくださいよ」

「無理だ」

 少し笑う。

 でも。

 笑っている場合ではない。

 マティアスが次々と指示を出す。

「南東方面の信用状」

「はい」

「新規発行を一時制限」

「理由は?」

「審査強化」

「承知しました」

「北からの資金は」

「通常通り?」

「いや。一部をエルツェン側へ回す」

「名義は?」

「三商会に分けろ」

「はい」

「輸送船は」

「五艘空いております」

「二艘を東へ」

「積荷」

「麦、塩、包帯、薬草」

「武器は?」

「積むな」

「なぜ?」

 俺が聞く。

「レオンハルトは武器を持っている」

「足りないのは?」

「戦が始まった後に減るものだ」

 食糧。

 医療。

「……先を見る」

「ああ」

「いつまで?」

「最低二週間」

「シュヴァルツ伯がまだ城にも着いてないのに?」

「着いてから送ったら遅い」

「なるほど」

 俺は指示を聞く。

 前世の知識。

 兵站。

 知っていた。

 でも。

 実際には。

 今送った船が。

 何日後かに。

 誰かの命を救う。

「アレク」

「はい」

「ぼうっとするな」

「すみません」

「紙を持て」

「俺?」

「ああ」

「何するんです?」

「記録しろ」

「……最初の仕事、それ?」

「嫌か」

「いや」

 俺は紙と筆を取る。

 マティアスの指示を書く。

 一つ。

 二つ。

 三つ。

 早い。

「待って!」

「何だ」

「書く方が追いつかない!」

「速く書け」

「字が汚くなります!」

「読めればいい」

「後で俺が読めなくなる!」

 フェリクスが吹き出した。

「笑ってないで助けてください!」

「あなたの最初の仕事でしょう」

「仲間じゃなかったの!?」

「仕事は別です」

「裏切り者!」

 マティアスまで笑った。

「早くしろ」

「はい!」

 俺は必死に筆を走らせた。


 ◇ ◇ ◇


 昼を少し過ぎた頃。

 ようやく指示が一段落した。

「……手が痛い」

 俺は右手を振る。

「剣より楽だろう」

 マティアス。

「別の筋肉使うんですよ」

「知らん」

「冷たいなぁ」

 机には、俺が書いた紙が五枚。

 字は。

 後半ほど酷い。

「これ読めるかな……」

「フェリクス」

「はい」

「清書させろ」

「承知しました」

「俺じゃない?」

「お前は次だ」

「まだあるの!?」

「仕官初日だぞ」

「初日だから軽くしてくださいよ」

「初日だから使えるか見る」

「怖い会社だ……」

「会社?」

「商会です」

「変な言い方だな」

「気にしないでください」

 マティアスが地図を見る。

「アレク」

「はい」

「今朝の仕事」

「はい」

「なぜお前にやらせたと思う」

「使えるか試した?」

「それもある」

「他には?」

「昨日言っただろう」

 私が見ないものを見ろ。

「……」

「私は東進の可能性が高いと思っていた」

「最初から?」

「ああ」

「じゃあ俺いらないじゃないですか」

「違う」

「何が?」

「私がそう思っているからこそ、別の人間にも見せる」

「あ」

「私が東だと思えば、東へ向かう証拠ばかり拾う可能性がある」

 確証偏向。

 前世で聞いた言葉が浮かぶ。

「自分が間違う前提?」

「ああ」

「そこまで?」

「大きな決断ほどな」

 マティアスが俺を見る。

「お前には、私と違う答えを出してほしいこともある」

「今日同じでしたよ」

「今日はな」

「違ったら?」

「理由を聞く」

「それでも殿下……マティアス様が自分の方が正しいと思ったら?」

「私が決める」

「……」

「責任は私が取る」

 それが。

 主。

 なのかもしれない。

「でも」

「何だ」

「俺が間違った意見言って、人が死んだら」

「死ぬかもしれんな」

「……」

「怖いか」

「はい」

 即答。

「なら覚えておけ」

 マティアスの声が低くなる。

「意見を言わないことにも責任はある」

「……」

「間違うのが怖いから黙った。その結果、もっと多くが死んだ」

「……」

「それなら、お前は無関係か?」

「違うと思います」

「そういうことだ」

 重い。

 アルベルトからも似たものを教えられた。

 判断を遅らせれば。

 その間にも人が死ぬ。

「ただし」

 マティアス。

「分からないなら分からないと言え」

「はい」

「確信がないならそう言え」

「はい」

「見栄を張るな」

「はい」

「私に合わせるな」

 その言葉。

 少し。

 響いた。

「主君なのに?」

「ああ」

「普通は合わせるんじゃ?」

「そんな奴は他にいくらでもいる」

 マティアスが笑う。

「私はお前を、それをさせるために取ったわけではない」

「……」

 昨日。

 俺が仕えたいと思った理由。

 間違っていなかった。

 今は。

 そう思う。

「分かりました」

「ああ」

「じゃあ」

「何だ」

「一個言っていいです?」

「言え」

「朝食、もっとゆっくり食べたかった」

「帰れ」

「そこまで!?」


 ◇ ◇ ◇


 商館を出たのは午後だった。

 階段を降りる。

 廊下。

 見覚えのある男がいた。

「アレク」

「ゲオルク様?」

 思わず立ち止まる。

「何でここに?」

「殿下の使いだ」

「アルベルト殿下?」

「ああ」

 ゲオルクが封書を一つ渡す。

「マティアス殿へ」

「俺が渡す?」

「お前がいると聞いたからな」

「何の書状です?」

「読むなよ」

「読みませんよ!」

「お前なら聞くと思って」

「失礼だなぁ」

 受け取る。

 少し。

 妙な感じ。

 昨日までは。

 俺がアルベルトの使いで書状を運んでいた。

 今日は。

 アルベルトからマティアスへ届いた書状を。

 マティアスの配下として受け取っている。

「変な感じですね」

「そうか?」

「はい」

 ゲオルクが俺を見る。

「初日は?」

「もう帰りたいです」

「早いな」

「朝から書類読まされて、軍の進路を考えさせられて、今度は記録係です」

「合っているではないか」

「何が?」

「お前に」

「酷い」

「殿下のところでも似たようなことをしていただろう」

「……」

 そう言われると。

 そんな気もする。

「アルベルト殿下は?」

「昼からレオンハルト殿下と会っている」

「また?」

「ああ」

「シュヴァルツ伯の東進?」

「おそらく」

 ゲオルクが少しだけ周囲を見る。

「本格的に動くぞ」

「……」

「分かっているな」

「はい」

 戦。

 もう。

 近い。

「ゲオルク様」

「何だ」

「俺」

 言葉が止まる。

「やっぱり」

「何だ」

「何でもないです」

 ゲオルクが眉を寄せる。

「気持ち悪いな」

「酷い!」

「言え」

 少し考える。

「昨日までなら」

「うん」

「殿下と一緒に戦う側だったでしょう」

「ああ」

「今度は」

 マティアス。

「別のところから戦うのかなって」

「そうだな」

「変ですね」

「慣れろ」

「皆それ言うなぁ」

「ただし」

 ゲオルクが俺を見る。

「敵になるとは限らん」

「……」

「殿下もマティアス殿も、今はシュヴァルツ伯を見ている」

「はい」

「なら同じ戦場へ立つこともある」

「そっか」

「むしろ」

 ゲオルクが少し笑った。

「また殿下にこき使われるかもしれんぞ」

「それは嫌だ」

「伝えておく」

「やめてください!」

 久しぶりでもないのに。

 少し。

 安心した。

 主君が変わっても。

 全部が変わるわけではない。

「じゃあ」

 ゲオルクが歩き出す。

「またな」

「はい」

 俺も自然に答えた。

「また」

 その言葉。

 少し。

 嬉しかった。


 ◇ ◇ ◇


 マティアスの部屋へ戻る。

「アルベルト殿下からです」

「貸せ」

 書状を渡す。

 封を切る。

 読む。

 マティアスの顔が僅かに変わった。

「何です?」

「読みたいか」

「聞いていいなら」

「レオンハルトが動く」

「どこへ?」

「エルツェン」

「本人が?」

「ああ」

 俺は地図を見る。

 レオンハルト軍。

 二千四百。

「全軍?」

「千八百」

「残り六百は?」

「後方と王都への警戒だろう」

「王都も信用してない?」

「今は全員を信用するな」

「嫌な時代だなぁ」

「乱世とはそういうものだ」

 マティアスが紙を置く。

「アルベルトも動く」

「え?」

「兵を出す」

「アルヴェイン軍?」

「ああ」

「何人?」

「六百」

「少なくない?」

「他国の内乱だ」

「あ」

 そうだ。

 アルヴェインが大軍を入れれば。

 侵略に見える。

「表向きは?」

「レオンハルトからの援軍要請に応じる」

「実際も?」

「半分は」

「残り?」

「グランヴァルトが完全に崩れるとアルヴェインも困る」

「国境」

「ああ」

 戦争。

 政治。

 利害。

 単純じゃない。

「それで」

 マティアスが俺を見る。

 嫌な予感。

「何です?」

「お前も行け」

「……どこへ?」

「エルツェン」

「え?」

「聞こえなかったか?」

「聞こえましたけど」

「なら準備しろ」

「待って!」

「何だ」

「俺、仕えて二日目ですよ!」

「ああ」

「もう戦場!?」

「ああ」

「早くないです?」

「戦に都合を聞け」

「聞けるなら聞きたいですよ!」

 マティアスが笑う。

「安心しろ」

「何がです?」

「お前一人ではない」

「マティアス様も?」

「ああ」

「……」

 少し。

 驚いた。

「行くんですか?」

「当然だ」

「商人なのに?」

「昨日から何を見ていた」

「……そうでした」

 この人は。

 商人だけじゃない。

 乱世を終わらせると言った男。

「何人連れていくんです?」

「兵は三百」

「三百?」

「商人が持つには多いか?」

「かなり」

「全員私兵ではない。護衛、傭兵、レオンハルトから預かった兵もいる」

「なるほど」

「それから荷車八十」

「八十?」

 兵三百。

 荷車八十。

 多すぎる。

「何積むんです?」

「麦、塩、乾燥肉、矢、包帯、薬草、工具、予備の車輪、木材」

「……軍隊?」

「商隊だ」

「絶対違う」

「商人が運ぶのだから商隊だ」

「屁理屈だ!」

「代金も取る」

「本当に商売するんだ……」

「当たり前だ」

 でも。

 意味は分かる。

 レオンハルト軍。

 アルヴェイン援軍。

 守備兵。

 合わせれば数千。

 食う。

 使う。

 壊す。

 怪我もする。

「兵站」

「ああ」

「俺の仕事は?」

「まだ決めていない」

「また!?」

「道中で考える」

「お願いだから先に決めてください」

「嫌だ」

「即答!」

 でも。

 少し。

 胸が高鳴っている。

 怖い。

 戦場だ。

 ヴァイスブルクで。

 死ぬところだった。

 人も殺した。

 だから。

 怖くないわけがない。

 でも。

 今回は。

 違う位置から見る。

 剣を振るだけではない。

 物。

 金。

 人。

 情報。

 全部を使う戦い。

「出発は?」

「明朝」

「また朝早い」

「今夜のうちでもいいぞ」

「明朝でお願いします」

「なら準備しろ」

「はい」

 部屋を出ようとする。

「アレク」

「何です?」

「剣を忘れるな」

「忘れませんよ」

「紙もだ」

「どっちが大事です?」

「両方だ」

「……」

 少し。

 笑う。

「分かりました」

 剣。

 紙。

 前なら。

 戦場へ行くなら剣だった。

 今は。

 両方。

 それが。

 マティアスの下で戦うということなのかもしれない。


 ◇ ◇ ◇


 夕方。

 宿へ戻った。

 荷物をまとめる。

 服。

 剣。

 短剣。

 紙。

 筆。

 地図。

「……多いな」

 前は。

 もっと少なかった。

 俺自身が変わったのか。

 仕事が増えただけなのか。

 分からない。

 その時。

 扉が叩かれた。

「アレク」

 アルベルト。

「殿下?」

「入るぞ」

「どうぞ」

 アルベルトが入ってくる。

「聞いた」

「何を?」

「明日、エルツェンへ行くそうだな」

「早いですね」

「私の兵も行く」

「そうでした」

 アルベルトが荷物を見る。

「準備は」

「今してます」

「足りん」

「何が?」

「冬用外套」

「まだ寒くないですよ」

「峡道は冷える」

「あ」

「予備の靴」

「あります」

「手袋」

「ない」

「持て」

「はい」

「薬」

「マティアス様の商隊にあります」

「自分でも持て」

「……はい」

「水袋」

「あります」

「予備」

「ない」

「持て」

「殿下」

「何だ」

「お母さんみたいですよ」

「殺すぞ」

「すみません!」

 危なかった。

 でも。

 アルベルトが俺の荷物を確認する姿。

 昨日までと。

 何も変わらない。

「殿下も行くんです?」

「私は行かん」

「え?」

「他国の内乱へ大公本人が出れば意味が変わる」

「そっか」

「兵はオットーに任せる」

「オットー男爵?」

「ああ」

「久しぶりだ」

「喜ぶぞ」

「本当?」

「若い奴を鍛えるのが好きだからな」

「嫌な予感しかしない」

 アルベルトが少し笑う。

 そして。

「アレク」

「はい」

「初日だったな」

「マティアス様の?」

「ああ」

「どうでした?」

「私が聞いている」

「そうでした」

 少し考える。

「大変です」

「ああ」

「朝から書類読まされました」

「ああ」

「軍の進路まで考えさせられた」

「ああ」

「意見が間違ったら怖いです」

「ああ」

「でも」

 言葉が自然に出る。

「面白いです」

 アルベルトは少しだけ黙った。

「そうか」

「はい」

「なら良かった」

 それだけ。

 でも。

 何となく。

 嬉しかった。

「殿下」

「何だ」

「俺」

 少し迷う。

「行って良かったと思います」

「ああ」

「まだ一日ですけど」

「一日で後悔されたら私も困る」

「何で?」

「送り出した私の見る目がないことになる」

「そこですか」

「そこだ」

「相変わらずだなぁ」

 アルベルトが笑う。

「ただ」

「はい」

「忘れるな」

「何を?」

「面白い男と、正しい男は同じではない」

「……」

「マティアスを見続けろ」

「はい」

「疑え」

「はい」

「それでも仕えたいと思えるなら」

 少し。

 表情が柔らかくなる。

「最後までやれ」

「……はい」

 俺は頷いた。

「分かりました」

「ならいい」

 アルベルトが扉へ向かう。

「殿下」

「何だ」

「ありがとうございます」

 アルベルトが止まる。

「何がだ」

「色々」

「曖昧だな」

「全部言ったら長くなるので」

「ならいらん」

「酷い」

 でも。

「帰ってこい」

「はい?」

「エルツェンからだ」

「ああ」

「当然ですよ」

「そうか」

「約束しましたから」

「誰と」

「殿下と。レオンハルト殿下とも」

「なら守れ」

「はい」

 アルベルトが出ていく。

 扉が閉まる。

 俺は少しだけ。

 その扉を見ていた。


 ◇ ◇ ◇


 翌朝。

 ベルグハーフェン東門。

 まだ太陽は低い。

 それでも街道には既に長い列ができていた。

 兵三百。

 荷車八十。

 馬。

 商人。

 書記。

 荷運び人。

 医師。

 鍛冶職人。

 大工までいる。

「……本当に商隊?」

 俺は呟いた。

「商隊だ」

 隣のマティアス。

「大工いるじゃないですか」

「車輪が壊れたら誰が直す」

「鍛冶屋も」

「馬具と鉄具」

「医師」

「怪我人」

「兵三百」

「護衛」

「砲は?」

「ない」

「じゃあ商隊……なのか?」

「そう言っただろう」

 納得しそうになる。

 でも。

 荷車八十。

 どう見ても軍の兵站部隊だ。

「アレク!」

 声。

 振り返る。

「オットー男爵!」

 アルヴェイン軍。

 六百。

 少し離れた場所で隊列を整えている。

「久しいな!」

「お久しぶりです!」

 オットーが馬で近づいてくる。

 俺を上から下まで見る。

「聞いたぞ」

「何を?」

「主を変えたそうだな」

「はい」

「殿下を捨てたか」

「言い方!」

 オットーが豪快に笑う。

「冗談だ」

「心臓に悪いですよ」

「殿下から聞いている」

「何て?」

「鍛えてやれとな」

「絶対言ってない!」

「残念だ」

「何が?」

「本当に鍛えるつもりだった」

「嫌です」

 マティアスが横から言った。

「ほどほどにしてくれ」

「マティアス殿」

 オットーが頭を下げる。

「アレクを借りた」

「もう私の配下だ」

「なら貸せ」

「本人に聞け」

「何で物みたいな話してるんですか!」

 二人が笑う。

「……」

 何だろう。

 主が変わっても。

 周り。

 あまり変わらない。

 少し。

 安心する。

「出るぞ!」

 声。

 マティアス。

 商隊が動き始める。

 ギィ……。

 ギギギ……。

 荷車の車輪。

 ドドッ。

 馬。

 ガチャ。

 ガチャガチャ……。

 兵士。

 東門が開く。

 その向こう。

 街道。

 エルツェン。

 そして。

 シュヴァルツ伯軍。

 俺は腰の剣を確かめる。

 次に。

 鞄の中の紙と筆。

「剣と紙」

 小さく呟く。

「何だ?」

 マティアスが聞く。

「いや」

 少し笑う。

「両方持ってます」

「ならいい」

「何させるかは?」

「道中で決める」

「まだ決めてない!」

 マティアスが笑った。

 俺たちは東へ進み始める。

 昨日。

 俺は自分で主を選んだ。

 そして今日。

 その主の下で。

 初めて戦場へ向かう。

 ヴァイスブルクの時とは違う。

 剣だけを持って戦うのではない。

 物を運び。

 人を動かし。

 情報を集め。

 金を使い。

 必要なら剣も抜く。

 戦争は。

 戦場だけで行われるものではない。

 ヴァイスブルクで俺が学んだこと。

 市場。

 倉庫。

 橋。

 帳簿。

 物流。

 あの時は。

 人の暮らしを少し良くするために使っていた。

 今度は。

 同じ知識が。

 人の命を左右するかもしれない。

「……怖いな」

「何がだ」

 マティアス。

「俺の意見で人が死ぬかもしれないこと」

「そうだな」

「否定してくれないんですね」

「嘘を言ってどうする」

「ですよね」

「だが」

 マティアスが前を見る。

「お前の意見で、生きる者もいる」

「……」

「そちらも忘れるな」

 俺は少しだけ黙った。

「はい」

 そして。

 前を見る。

 東。

 まだ見えない戦場。

 そこへ。

 俺たちは向かっている。

 マティアス・クレーマーの配下。

 アレク・ハルトマンとしての。

 最初の戦いへ。

第九話をお読みいただき、ありがとうございます。


今回から、アレクは正式にマティアスの配下として動き始めました。


最初に任されたのは、敵軍の動きを剣や偵察報告だけで読むのではなく、麦、飼葉、船、信用状、荷馬、噂といった複数の情報から判断する仕事でした。


ただし、アレクの前世知識だけで全てを見抜けるわけではありません。

分からないことは分からないと言い、確信のない情報を断定しない。

そのうえで、自分なりの理由を持って意見を出す。


マティアスがアレクに求めているのも、ただ命令に従うことではなく、自分とは違う視点を持つことでした。


そしてシュヴァルツ伯軍は、ついに東へ進軍。

レオンハルト側の重要拠点エルツェンへ戦火が近づいています。


マティアス、アルヴェイン援軍、そしてアレクも東へ。


次話から、アレクはマティアスのもとで初めて本格的な戦場へ向かいます。

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