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『知らない世界で、前世の知識が武器になる』 ~剣と銃で乱世を生き抜く転生領主の成り上がり~  作者: 相田 ソウ
第三篇 乱世の潮目

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第七話 荷札の向こう側

レオンハルトとの会談を経て、アレクたちはベルグハーフェンの南河港へ向かう。

荷札の向こう側にある金、人、情報の流れを追ううち、探していた人物の方から書状が届く。

 翌朝、アレクたちはベルグハーフェンの南河港へ向かった。

 空には薄い雲が広がっていたが、雨が降る気配はない。河港へ近づくにつれ、船の鐘や荷運び人の声が聞こえ始める。

「今日見るものは決まっているか?」

 馬を進めながら、アルベルトが尋ねた。

「荷物を運ばせた者、運賃を払った者、商人と船主を繋いでいる者です。それから、荷と一緒に動く情報も見ます」

「見えるのか?」

「情報そのものは見えません。でも、受け取った人の動きは変わると、昨日教わりました」

「覚えていたか」

「一晩で忘れると思っていたんですか?」

「お前は興味のあることは覚えている」

「興味のないことは忘れると言いたいんですね」

「自覚があるなら直せ」

 アルベルトは前を向いたまま答えた。

 隣を進むゲオルクが小さく笑った。

「昨日までとは違い、今日はクレーマー商会だけを追うわけではないのだな」

「はい。クレーマー式の荷札を使っているからといって、すべてがマティアスの荷とは限りません。荷札の仕組みを借りているだけの商人もいるはずです」

「なら、どうやって見分ける?」

「それを今日探します」

「分かっていないということか」

「目的は分かっています。方法を探しているところです」

 アレクが答えると、ゲオルクはもう一度笑った。

 中央河港から南へ進むにつれ、石造りの大倉庫は少なくなった。その代わり、川岸に沿って木造の倉庫や荷置き場が密集している。

 停泊している船も違った。

 中央河港には大型の川船が多かったが、南河港では中型や小型の船が目立つ。一頭か二頭の馬に引かせた荷車が狭い道を行き交い、商人、船頭、倉庫番、荷運び人が入り交じっていた。

「その樽は六番倉庫だ!」

「違う、灰色札は向こうだ!」

「荷車を止めるな! 後ろが詰まっているぞ!」

 朝から怒鳴り声が飛び交っている。

「中央河港より混乱して見えます」

「扱う商人が多いからだ」

 ゲオルクが答えた。

「一つの商会が、一つの倉庫を使っているわけではない?」

「ああ。倉庫の一部だけを借りる者もいれば、荷物を置く数日間だけ場所を借りる者もいる」

「小さな商人は、自分の倉庫を持てないからですか」

「それだけではない。年に数度しか使わない土地へ、自前の倉庫を建てても維持費が掛かる」

 アレクは周囲を見回した。

 商人の多さに対して、船着き場や倉庫の数には限りがある。それでも荷は止まらず、それぞれの目的地へ運ばれていく。

 誰かが間を取り持っているはずだった。

 馬を預けて歩き始めると、間もなく一人の男が目に留まった。

 三十代ほどで、褐色の上着を着ている。船へ荷を運んでいるわけでも、荷車を引いているわけでもない。それにもかかわらず、男のもとへ次々と人が集まっていた。

「五番船の塩十四樽は、七番倉庫へ移せ!」

「今日出る船ではないのですか?」

「船腹に空きがない。明朝の便へ回す。代わりに布を先に積め!」

「ヴァルツの麦はどうします?」

「三番船だ。船頭へ銀貨三枚を追加すると伝えろ。日暮れまでに出せ!」

 男の指示を受け、若い雇い人たちが四方へ走っていく。

 船頭が紙を差し出し、倉庫番が空いている場所を報告する。小商人らしい男が荷物の数を告げると、褐色の上着の男は別の船の名を答えた。

「見つけたようだな」

 アルベルトが言った。

「あの人だと思います」

「何者だ?」

「それを聞いてきます」

「行ってこい」

「殿下も同じことを考えていたんですね」

「分かったなら早く行け」

 アレクは荷車の間を抜け、男のもとへ向かった。

「すみません」

「荷の話なら、商会と行き先を先に言え!」

「荷ではなく、少し話を聞きたいんです」

「後にしてくれ。今は見てのとおりだ」

 男はアレクを見ようともせず、雇い人から受け取った紙へ目を通した。

「船も倉庫も持っていないのに、どうして皆あなたへ話を持ってくるんですか?」

 男の手が止まった。

 ようやくアレクを見る。その後ろに立つアルベルトたちへも目を向け、服装と護衛を確かめた。

「役人か?」

「違います」

「商人の息子か?」

「それも違います。アレク・ハルトマンです」

「アレク・ハルトマン?」

 男はわずかに眉を上げた。

「ヴァイスブルクの小姓か」

「知っているんですか?」

「名前だけだ。アルヴェイン大公と一緒に港を調べている少年がいると聞いた」

「噂が広がるのが早すぎませんか?」

「ここは河港だ。荷より先に噂が着くこともある」

 男はそう答えると、アレクの後ろへ視線を移した。

「まさか、あちらにいるのが」

「アルベルト大公殿下です」

「先に言え」

「聞かれませんでしたから」

「お前は商人に向いていないな。大事なことは聞かれる前に言うものだ」

「全部話していたら交渉にならないとも聞きました」

「誰からだ?」

「色々な人からです」

 男は呆れたような顔をした後、短く笑った。

「ベルント・クラウスだ。仕事は仲買だ」

「仲買?」

「船を探している商人へ船頭を紹介する。倉庫が必要なら空いている場所を探す。荷車や買い手を手配することもある」

「全部、自分では持っていないのに?」

「すべて自分で持っていたら、それを管理するだけで一日が終わる」

 クラウスのもとへ、また一人の船頭がやってきた。

「クラウス、四番船に麦五十袋分の空きがある」

「南へ下るのか?」

「ああ。明朝だ」

「ならローデン商会の荷を回す。帰りは塩を積めるよう、川下の仲買へ書状を出しておく」

「助かる」

 船頭はそれだけ言うと、すぐに立ち去った。

「今の船頭は、自分で荷を探さないんですか?」

「探してもいい。だが、船を出す準備をしながら、空きに合う荷を一軒ずつ探して回るのは手間だ。私へ手数料を払った方が早い」

 アルベルトとゲオルクも近づいてきた。

 クラウスは姿勢を正し、アルベルトへ頭を下げる。

「アルヴェイン大公殿下とは存じ上げず、失礼いたしました」

「仕事中に押しかけたのはこちらだ。手を止める必要はない」

「そう言われても、無視できる身分ではありませんよ」

「税を取りに来たわけではない」

「それなら安心しました」

「随分と率直だな」

「港の商人へ税の話を持ち出して、喜ばれると思いますか?」

 アルベルトの口元がわずかに緩んだ。

「少し仕事を見せてもらいたい」

「昼前までは荷が詰まっています。それでもよろしければ、勝手についてきてください」

「構わん」

「ただし、荷車に轢かれても責任は持ちません」

「気をつけよう」

 本当に仕事へ同行するつもりだと分かり、クラウスは目を丸くした。

 それでも追い返そうとはせず、次の船着き場へ歩き始める。

 アレクたちは、その後を追った。


 ◇ ◇ ◇


 一時間ほど見て回ると、クラウスの仕事が見えてきた。

 例えば、小さな商人が麦百袋を南の町へ送りたいとする。それだけでは一艘の船を借り切るには少なく、運賃も高くなる。

 クラウスは別の商人が運ぶ塩や布、鉄製品を探し、同じ行き先の荷をまとめる。船頭は空いていた船腹を埋められ、商人は船を一艘借りるより安い運賃で荷を運べる。

 倉庫も同じだった。

 一つの商会だけでは埋まらない場所へ、複数の小口の荷を入れる。空の荷車には帰路の荷を探し、川を下った船には戻りの積み荷を手配する。

「空のまま動かせば、それだけ金を失う」

 クラウスは倉庫の前で言った。

「船員や馬の食料は必要になる。船も荷車も傷む。それなのに運賃は入らない」

「だから、少し安くしても荷を積んだ方がいい」

「そうだ」

「船、荷車、倉庫の空いているところを組み合わせているんですね」

「それが私の商売だ」

 前世であれば、複数の荷主の商品をまとめて運ぶことは珍しくない。だが、この世界でも、商人たちは必要に迫られて同じような仕組みを作っていた。

 アレクが持ち込まなくても、この世界にはすでに多くの知恵がある。

「何を驚いている?」

 クラウスに尋ねられ、アレクは倉庫から出ていく荷車を見た。

「もっと、商会ごとに別々に動いていると思っていました」

「そんなことをすれば、金がいくらあっても足りん。大商会なら自前の船や倉庫を持てるが、それでも空きを放置はしない」

「便利だからやっているのではなく、利益を出すために必要なんですね」

「商売なのだから当然だ」

 クラウスは一枚の荷札を手に取った。

 送り主、荷の種類、数量、送り先が、決められた場所へ書かれている。

「これはクレーマー式ですよね」

「ああ」

「以前は商会ごとに書き方が違ったと聞きました」

「今でも違うものは多い。だが、この港ではクレーマー式が随分増えた」

「便利だからですか?」

「それもある。だが、便利だと言われただけで、長年使ってきた帳簿や荷札を変える商人は少ない」

「では、どうやって増やしたんです?」

「マティアスが金を出した」

 アレクとアルベルトが同時にクラウスを見た。

「荷札をただで配ったのですか?」

「それだけではない。書式を変えれば、帳簿の付け方も変えなければならない。倉庫番や雇い人へ教える時間も必要になる。小さな商会にとっては、それだけでも負担だ」

「その負担をクレーマー商会が引き受けた?」

「一部だけだ。最初の三か月は、この書式を使う荷の手数料も安くした」

 命令して使わせたのではない。

 使い始めるための負担を減らし、使った者が利益を得られる条件を作った。荷の取り違えが減り、異なる倉庫や船でも扱いやすいと分かれば、値引きが終わっても使い続ける者が出てくる。

「最初から全員へ変えろとは言わなかったんですね」

「言ったところで従うものか。商人は自分が得をすると分かれば動く」

「使う人が増えれば、さらに便利になる」

「そうだな。荷札の書式を理解できる船頭や倉庫番が増えるからな」

 アレクはクラウスが持つ荷札を見た。

 同じ書式で荷が動けば、扱いやすくなるだけではない。

「記録が残りますね」

「記録?」

「誰が、何を、どこからどこへ運んだのか。クレーマー式の荷札を使った荷の記録を集めれば、物の流れが分かる」

 クラウスは少し意外そうにアレクを見た。

「全部ではないぞ」

「この仕組みを通った分だけでもです」

「それならな」

「物を動かす仕組みが、情報を集める仕組みにもなっている」

 前日にレオンハルトが話していた意味が、ようやく具体的な形になった。

 どの地域で麦が多く買われているか。どこへ鉄が運ばれているか。どの街道が使われ、どの倉庫から荷が減ったのか。

 記録を広く集めれば、商人や領主が次に何をしようとしているのか推測できる。

「マティアスは、この記録を全部見られるのですか?」

 クラウスはすぐに首を横へ振った。

「お前はマティアスを大きく見すぎている」

「違うんですか?」

「クレーマー式の荷札を使っているからといって、その荷がクレーマー商会のものとは限らん。書式だけを使い、別の商人同士で取引している荷もある」

 クラウスは近くの荷車を指した。

 積まれている樽にはクレーマー式の札が付いているが、荷車にも樽にもクレーマー商会の印はない。

「それもですか?」

「ああ。別の商会が運んでいる。クレーマー商会の倉庫へ入る予定もない」

「では、昨日見た荷も」

「書式だけで持ち主を決めたなら、間違っているかもしれんな」

 アレクは返事をせず、樽を載せた荷車を見送った。

 クレーマー式の荷札、大量の荷、シュヴァルツ伯軍の移動。

 時期が近いというだけで、それらを一つに繋げようとしていた。

「同じ仕組みを使っていても、同じ目的で動いているとは限らない」

「そういうことだ」

「では、荷主を確かめるには何を見ればいいですか?」

「それが簡単に分かれば、商人は取引を隠せない」

「やはり教えてはもらえませんか」

「私にも分からんことは多い」

 アルベルトが、アレクへ視線を向けた。

「荷札で分からないなら、何を追う?」

「荷物を動かすには、船の運賃が必要です。倉庫代や荷車代、クラウスさんの手数料も払わなければならない」

「それで?」

「金を払った人を追います」

 クラウスは感心したとも困ったともつかない顔をした。

「誰が支払ったか教えてください、と聞くつもりか?」

「教えてくれますか?」

「断る。客の取引を誰にでも話していたら、仲買など続けられん」

「ですよね」

 ここでアルベルトの身分を使えば、無理に聞き出すことはできるかもしれない。

 しかし、グランヴァルトの商人へ他国の大公が圧力を掛ければ、必要以上の警戒を招く。何より、一度秘密を話したクラウスは、商人たちから信用されなくなる。

「個別の客の名前は聞きません」

 アレクは問い方を変えた。

「最近、一人の客や一つの商会が、複数の商人の運賃をまとめて払うことは増えていますか?」

 クラウスの目がわずかに細くなった。

「なぜそう思う?」

「別々の商人を同じ方向へ動かすなら、荷札だけでなく、金をまとめる者が必要になると思ったからです」

 クラウスはアルベルトを見た。

「答えたくなければ、答えなくていい」

 アルベルトが告げる。

「大公殿下にそう言われる方が困るのですが」

「すまんな」

「申し訳ないと思っている顔ではありませんね」

 クラウスはため息をついた。

「客の名は出さんぞ」

「構いません」

「ここ半年ほど、信用状を使う取引が増えた」

「信用状とは?」

「商会が支払いを保証する書状だ。遠くの土地へ大量の銀貨を持ち運ばなくても、指定された商会や両替商から金を受け取れる」

 紙そのものに価値があるわけではない。

 その書状を持っていけば、書かれた金額が本当に支払われる。そう信じられる商会が保証するから、銀貨の代わりとして使える。

「どの商会でも出せるのですか?」

「出すだけならな。だが、名も知られていない商会の保証を信用する者はいない」

「クレーマー商会の信用状は?」

「この辺りなら受け取る者が多い」

「どこで換金されているか、分かりますか?」

「両替商へ行け。私より詳しい」

 クラウスは近くの通りを指した。

「角を二つ曲がった先に、モーザーの店がある」

「紹介してもらえますか?」

「私の名前を出せば、話くらいは聞くだろう。何を答えるかは知らんがな」

「ありがとうございます」

「礼を言うなら、そろそろ仕事へ戻らせてくれ」

 クラウスの背後には、指示を待つ船頭と商人が集まり始めていた。

 アレクたちは改めて礼を言い、教えられた両替商へ向かった。


 ◇ ◇ ◇


 モーザーの店は、倉庫と商店が並ぶ通りの一角にあった。

 石造りの小さな建物で、窓には太い鉄格子が入っている。店内の奥には頑丈そうな扉があり、その前に二人の警備員が立っていた。

 アルベルトが身分を明かすと、店主モーザーは驚いたものの、すぐ奥の部屋へ案内した。

「税や借金の話でなければ、できる範囲でお答えします」

「税ではない」

「それなら安心しました」

「この町の商人は、皆同じことを言うんですね」

 アレクが言うと、モーザーは苦笑した。

「商人が税を喜ぶとお思いですか?」

「思いません」

「正直で結構です。それで、何をお知りになりたいのでしょう」

「信用状についてです」

 アレクはクラウスから聞いた話を説明した。

「最近、利用が増えていますか?」

「増えています。特に遠方との取引では、以前より頻繁に見るようになりました」

「いつ頃からです?」

「目立って増えたのは半年ほど前からでしょうか」

 クラウスの話と一致する。

「どこの商会のものが多いですか?」

「件数だけでいえば、クレーマー商会です。ただし、金額まで最大という意味ではありません。大口の取引を扱う古参商会はいくつもあります」

「クレーマー商会だけが、金の流れを支配しているわけではない」

「当然です。ベルグハーフェンは、一つの商会だけで動かせるほど小さな町ではありません」

 マティアスがすべてを思いどおりに動かしているわけではない。

 クレーマー商会が急速に力を伸ばしているとしても、長くこの町で商売を続けてきた者や、別の地域に強い商会もいる。

「それでも、クレーマー商会の信用状を使う人は増えている?」

「ええ。クレーマー商会と直接取引をしていない者が、支払いの保証だけを頼むこともあります」

「それほど信用されているのですか?」

「今のところ、支払いを滞らせていませんから」

「マティアス本人が保証しているのですか?」

 モーザーは少し笑った。

「マティアス一人が、何百件もの支払いを確認して回れると思いますか?」

「無理ですね」

「帳簿を付ける者、金庫を管理する者、各地の支店と連絡を取る者がいる。信用されているのはマティアスの名だけでなく、クレーマー商会という組織です」

 アレクは自分が、マティアス一人へ考えを寄せすぎていたことに気づいた。

 大きな仕組みを考えた者がいたとしても、一人で帳簿を付け、船を手配し、倉庫を見回り、各地へ金を届けることはできない。

「自分がいなくても動く人を集めたんですね」

「大きな商会なら当然のことです。店主が一日留守にしただけで潰れる店は、大きくなれません」

「当然のことを、もっと広く繋いだ」

 アレクが呟くと、アルベルトが先を促した。

「どういう意味だ?」

「仲買人も船も倉庫も、前からありました。信用状もマティアスが作ったものではありません。でも、それぞれを同じ方向へ動きやすくした」

「新しいものを作ったのではないと?」

「すでにある人や仕組みを見つけて、繋いだんだと思います。それぞれに利益が出るようにして、一人や一つの商会だけではできなかったことをできるようにした」

 モーザーはアレクを見つめた。

「マティアス・クレーマーをよく見ていますね」

「本人とは、それほど話していません」

「なら、なおさらです。少なくとも、商人としてのあの男については大きく外していないと思います」

「商人としての?」

「大きな商人は、商人だけを相手にしているわけではありません。領主、役人、傭兵、職人とも話す。道を安全にするためなら、盗賊と交渉する者さえいます」

「盗賊へ金を払うのですか?」

「荷を奪われるより安ければ、そうする者もいるでしょう」

 アレクはすぐに善悪を決められなかった。

 盗賊へ金を払えば、盗賊を生き残らせることにもなる。だが、護衛を雇って戦えば、商人や荷運び人が死ぬかもしれない。

 商品を目的地へ届け、利益を出すために、どこまでの手段を選ぶのか。

 マティアスにも、商人だけではない顔がある。

「最後に一つ聞きたい」

 アルベルトが口を開いた。

「最近、大きな金が南へ流れたか?」

 モーザーの表情が変わった。

「どの程度を大きいとお考えですか?」

「三千人の兵を一月養える程度だ」

 具体的な規模を示され、モーザーはすぐには答えなかった。

「現金ではありません」

「信用状か」

「はい」

「どこへ流れた?」

「取引相手の名や町までは申し上げられません」

「方角だけでいい」

 モーザーはしばらく考えた後、声を落とした。

「南東です」

「時期は?」

「ここ十日ほどです」

 シュヴァルツ伯軍が動き始める直前と重なる。

「クレーマー商会の信用状ですか?」

 アレクが尋ねたが、モーザーは答えなかった。

 沈黙したからといって、肯定とは限らない。

「今の話だけでは、シュヴァルツ伯へ渡ったとは決められません」

 アレクはアルベルトへ言った。

「ああ」

「南東へ大きな金が流れた。それだけです」

「以前なら、すぐに結びつけていたかもしれんな」

「少しは慎重になりました」

「それなら、もう一つお伝えしましょう」

 モーザーが言った。

「南東へ信用状が流れたのとほぼ同じ時期に、北からベルグハーフェンへ金が入っています」

「同じ商会ですか?」

「申し上げられません」

「金額は?」

「南東へ出た分より少ない。ただ、普段より大きな金額です」

 北から入り、南東へ出た。

 同じ取引に関わる金なのか、まったく別の動きなのかも分からない。

「物より追うのが難しいですね」

「金は姿を変えますから」

 モーザーが答えた。

「銀貨として運ばれることもあれば、信用状や借金、商品の代金として動くこともある。帳簿の数字だけが移る場合もあります」

「だから、分かりにくい」

「分かりにくいからこそ、商人は両替商へ手数料を払うのです」

 アルベルトはモーザーへ礼を告げた。

 十分な話を聞けたが、まだシュヴァルツ伯とマティアスを直接結ぶ証拠はない。

 アレクたちは店を出て、昼食を取るため河港近くの食堂へ入った。


 ◇ ◇ ◇


 食事が運ばれてくると、アレクは朝から聞いた内容を一枚の紙へ整理した。

 仲買人による共同輸送。クレーマー式の荷札。信用状。北から入った金と、南東へ出た金。

「食事中まで帳面を広げるのか」

 ゲオルクが呆れた顔をした。

「忘れる前に書いておきたいんです」

「煮込みをこぼすなよ」

「気をつけます」

 アレクは紙の上へ線を引いた。

「南東へ大きな金が流れたのは確かです。でも、誰が何に使ったのかは分からない」

「ああ」

 アルベルトがパンをちぎりながら答えた。

「クレーマー式の荷札も増えている。でも、それだけでクレーマー商会の荷とは言えない」

「ああ」

「マティアスが本当にシュヴァルツ伯を支援しているなら、レオンハルト殿下は昨日のように話せるでしょうか」

「どう思う?」

「難しいと思います。殿下はマティアスを信用し、仕事を任せています。敵になるかもしれない相手を本気で支援していたら、その関係は崩れます」

「なら、マティアスは無関係か?」

「それも、まだ決められません」

「なぜだ?」

「レオンハルト殿下が知った上で認めている可能性もあります。マティアスが、シュヴァルツ伯とは別の目的で南東へ金を動かしている可能性もある」

「分からないままか」

「はい」

 アレクは正直に答えた。

「考えると、一つの答えに決めたくなります。でも、今決めたら、その答えに合うものだけを探してしまいそうです」

「分からないものを、分からないまま置いておくことも必要だ」

「アルベルト様も、すぐに答えを決めないことがあるんですね」

「決める時と、まだ決めない時を決めている」

「難しい言い方ですね」

「お前にも、そのうち分かる」

「皆、すぐその言葉で終わらせますよね」

 アレクは苦笑し、煮込みへ手を伸ばした。

 午後は、まだ十分に追えていないものを調べる。

 情報だった。

 物や金には記録が残る。だが、噂や口伝えの話には荷札も帳簿もない。

 食事を終えると、アルベルトは河港近くの酒場へ向かった。


 ◇ ◇ ◇


 昼を過ぎたばかりだというのに、酒場には多くの客がいた。

 仕事を終えた船頭、次の荷を待つ商人、休憩中の荷運び人。旅装の者もいれば、港で雇われたらしい男たちもいる。

 アルベルトは目立つ衣服を外套で隠し、護衛を少し離れた席へ座らせた。

「ここで情報を見るのですか?」

「見るのではなく、聞く」

「噂を?」

「ああ。一人の話だけを信じるな。別の人間が同じことを話しているか確かめろ」

 アレクたちは店の隅へ座り、周囲の会話へ耳を傾けた。

「シュヴァルツ伯は王都へ向かうらしいぞ」

「東へ向かったと聞いた」

「兵は五千を超えたそうだ」

「三千ほどだろう」

「王都軍は一万いるらしい」

「王都にそんな兵がいるものか」

 話す者によって、兵数も行き先も違う。

「数字は役に立ちそうにありませんね」

「共通している話は何だ?」

 アルベルトに尋ねられ、アレクは耳にした噂を整理した。

「シュヴァルツ伯軍が動いている。王都軍も兵を出した。ですが、どちらがどこへ向かうかは知られていません」

「それでいい」

「間違った噂でも、重なる部分には少し価値がある?」

「ああ。ただし、同じ出所の話が広がっているだけかもしれん」

「確かめるほど難しくなりますね」

 さらに耳を傾ける。

 戦そのものだけでなく、商品の値段について話す者も多かった。

「南の穀物がまた上がった」

「馬も高くなっているぞ」

「飼葉まで足りないらしい」

「軍が買い集めているんだろう」

 アレクはアルベルトを見た。

「飼葉です」

「聞こえている」

 穀物なら兵が食べる。飼葉が大量に必要なら、騎兵か荷車を動かそうとしている可能性がある。

 アレクは話をしていた二人の船頭へ近づいた。

「すみません。南で飼葉が高くなっているという話を聞きたいのですが」

「商人か?」

「違います。南に知り合いがいるので気になりました」

 完全な嘘ではない。マティアスは今、南にいると聞いている。

「エーレン川の中流では値が上がっているらしい」

「どのくらい運ばれました?」

「俺が見たのは船一艘分だ。東岸で降ろした」

「荷主は?」

「そこまでは知らん」

「荷札は覚えていますか?」

 船頭が訝しそうな顔をした。

「随分と細かいことを聞くな」

「知り合いが商売をしているので、どの商会が動いているか知りたいんです」

「灰色だった気がする」

「いや、端が赤い札だったぞ」

 もう一人の船頭が口を挟んだ。

「クレーマー式ではない?」

「書き方までは見ていない。だが、赤い縁取りはあった」

 アレクは二人へ礼を言い、席へ戻った。

「赤縁の荷札だそうです」

「クレーマー式ではないな」

 ゲオルクが言った。

「戦が近づけば、マティアス以外の商人も動くということですね」

「儲ける機会を見逃さないのが商人だ」

「だとすると、マティアスがすべての物を買い集めなくてもいい」

 アレクは考えながら言葉を続けた。

「どこで何が必要になるか、他の商人より先に分かればいいんです。飼葉が高くなると知った商人は、自分の利益のために南へ運びます」

「誰かに命令されなくてもな」

「はい。商人が荷を運べば船が動く。倉庫も使われる。荷車も集まる。そこで別の物の値段も変わる」

「その流れを、最初に動いた者が利用できる」

 アルベルトの言葉に、アレクは頷いた。

「命令するのではなく、利益と理由を作る。そうすれば、人は自分から動く」

 ヴァイスブルクで市場税を下げた時も、商人へ町へ戻るよう命じたわけではない。

 以前より利益を得られる条件を作ったことで、商人たちが自分の意思で戻ってきた。

 考え方には似ている部分がある。

 しかし、マティアスが見ている範囲は、一つの市場や町ではない。複数の国を結ぶ河川と街道、何十、何百という商人を動かそうとしている。

「規模が違いますね」

「何と比べている?」

「ヴァイスブルクで自分がやったことです。少し似ていると思ったんですけど、マティアスはもっと遠くまで見ています」

「最初から同じことができると思っていたのか?」

「そこまでは思っていません」

「なら、今見えているものを覚えておけ」

 アルベルトはそれだけ言った。

 アレクはもう一度酒場を見回した。

 ここで話している者たちの多くは、マティアスから直接命令を受けていない。それでも誰かが持ち込んだ情報を聞き、自分の利益を考え、荷や金を動かしていく。

 噂には誤りが多い。

 だが、噂を聞いた者が行動すれば、それは現実の物価や物流へ影響を与える。

 情報を動かすことは、人を動かすことでもあるのだ。


 ◇ ◇ ◇


 夕方、酒場を出ると、商人風の服を着た男が道の反対側で待っていた。

 二十代後半ほどで、腰にある武器は短剣だけだった。

 男はアレクたちを確認すると、通りを渡ってくる。

「アレク・ハルトマン殿でしょうか」

「はい。あなたは?」

「フェリクス・ローナーと申します。本日は使いとして参りました」

 アルベルトが一歩前へ出た。

「誰の使いだ?」

 フェリクスはアルベルトの顔を見て、すぐに深く頭を下げた。

「アルヴェイン大公殿下とお見受けいたします」

「知っているのか」

「もちろんです」

「なら、誰の使いか答えろ」

「承知いたしました」

 フェリクスが懐へ手を入れようとした瞬間、ゲオルクと護衛たちの手が剣へ伸びた。

「ゆっくり動け」

「心得ております」

 フェリクスが取り出したのは一通の封書だった。

 黒い封蝋には、クレーマー商会の印が押されている。

「マティアス・クレーマー様から、アレク・ハルトマン殿へお預かりしました」

「俺に?」

「はい」

 差し出された封書を受け取ったアレクは、アルベルトを見た。

「開けろ。お前宛てだ」

「分かりました」

 封を切り、中の書状を開く。

 文章は短かった。


『アレクへ。

 随分と熱心に私の周りを調べているらしいな。

 ヴェラーに会い、商会の倉庫を見て、今日はクラウスとモーザーにまで話を聞いたそうだ。

 そこまで知りたいのなら、他人へ聞くより私へ聞いた方が早い。

 明日の正午、ベルグハーフェン南河港の旧税関へ来い。

 アルベルト殿下も一緒で構わない。

 以前に聞けなかった答えも、ついでに聞かせてもらおう。

 マティアス・クレーマー』


 アレクは書状を最初から読み直した。

「何と書いてある?」

 アルベルトへ黙って手渡す。

 アルベルトが読み、横からゲオルクも内容を確認した。

「今日、誰と話したのかまで知っています」

「情報が早いな」

「怖いくらいです」

 アレクたちは朝からマティアスの作った仕組みを追っていた。

 その間に、マティアス側はアレクたちが誰と会い、何を調べたのかを把握している。

「情報の速さでは負けていますね」

「最初から相手の庭で動いているのだ」

「それは分かっていましたけど、ここまで早いとは思いませんでした」

 アレクはフェリクスを見た。

「マティアスは、もうベルグハーフェンへ戻っているんですか?」

「私は書状をお届けするよう命じられただけです」

「明日会うのに、今いる場所も教えられない?」

「申し訳ありません」

 フェリクスは柔らかく答えたが、口を滑らせる様子はない。

「返事をお預かりしてもよろしいでしょうか」

 アレクはアルベルトへ視線を向けた。

「行くぞ」

 アルベルトは迷わず答えた。

「はい。俺も行きます」

「承知いたしました」

 フェリクスは頭を下げた。

「一つだけ聞いてもいいですか?」

「何でしょう」

「マティアスが書いた、以前に聞けなかった答えが何のことか知っていますか?」

「存じません」

「本当に?」

「私は書状の内容も知りませんので」

 わずかに笑っているようにも見えたが、それだけで嘘だとは決められない。

「分かりました。明日、本人へ聞きます」

「それがよろしいかと存じます」

 フェリクスはもう一度頭を下げ、人混みの中へ去っていった。

 アレクは手元へ戻ってきた書状を見た。

 ヴェラーに会い、倉庫を調べ、荷札、船、金、人のつながりを追った。

 ようやく少し近づいたと思ったところで、追っていた本人の方から会う場所を指定してきた。

「明日ですね」

「ああ」

「何から聞けばいいと思います?」

「自分で考えろ」

「やはり、そう言いますよね」

 アレクは書状を丁寧に畳み、服の内側へしまった。


 ◇ ◇ ◇


 宿へ戻る道でも、アレクは何度も書状へ触れた。

「確かめなくても消えんぞ」

 ゲオルクが言った。

「消えると思っているわけではありません。明日、何を聞くか考えているんです」

「仕えるかどうかもか?」

 アレクの足がわずかに遅くなった。

 以前、マティアスから誘われた時は断った。

 能力を高く評価され、共に来るよう求められた。それでも、どのような人間なのかをほとんど知らない相手へ、自分の人生を預けることはできなかった。

 それから、マティアスの周囲を見てきた。

 商人、船、倉庫、荷札、信用状、金と情報。

 知ったことは増えたが、それらはマティアスが何をできる人物なのかという話でしかない。

「アルベルト様」

「何だ?」

「俺がマティアスに仕えたいと言ったら、怒りますか?」

 アルベルトの歩みが、ほんの少しだけ緩んだ。

「怒らん」

「本当に?」

「ああ。誰に仕えるかは、お前が決めることだ」

 迷いのない返答だった。

 それでも、アレクは少しだけ胸の奥が痛んだ。

 アルベルトに拾われ、戦場へ連れていかれ、ヴァイスブルクで仕事を任された。失敗しても考える機会を与えられた。

 その場所を自分から離れることを考えている。

「ただし」

 アルベルトの声が、アレクの考えを止めた。

「誰かに仕えるというのは、面白そうだからついていくというだけの話ではない」

「はい」

「その者が勝っている時だけ側にいるわけではない。判断を誤った時も、敗れた時も、その選択に巻き込まれる」

 主君が始めた戦で、家臣が命を落とすこともある。主君が敵を作れば、その家臣も同じ敵から狙われる。

「自分の人生の一部を、その人間の判断へ預けることになる」

「……はい」

「マティアスに何ができるかだけを見るな」

 アルベルトがアレクを見た。

「何をしたい男なのかを見ろ」

 アレクはすぐに返事ができなかった。

 人を繋ぎ、物と金と情報を動かす能力は見えてきた。

 だが、マティアスは何のために、その力を広げているのか。

 商人として利益を得たいだけなのか。レオンハルトを勝たせたいのか。それとも、さらに別の目的があるのか。

「明日、聞きます」

「聞いた答えを、そのまま信じるのか?」

「言葉だけでは決めません。話す時の顔や、今までにしてきたこととも比べます」

「それでいい」

「それでも決められないかもしれません」

「決めないことも、お前の選択だ」

 アルベルトは前を向き、歩き続けた。

 怒らないという言葉に嘘はないように見えた。

 だが、何も感じていないわけでもない。その表情のわずかな変化へ、アレクはあえて言葉を重ねなかった。

 今ここで答えを求めることではない。

 まず、マティアス本人と向き合わなければならない。


 ◇ ◇ ◇


 その夜、宿の部屋へ戻ったアレクは、机に一枚の紙を広げた。

 今日までに見たものを、順番に思い出す。

 仲買人、共同輸送、倉庫、荷札、信用状、両替商、北から入った金、南東へ流れた金、飼葉を運ぶ船、酒場を巡る噂。

 どれも、マティアスが一から作り出したものではない。

 この世界には以前から商人がいて、船があり、倉庫も信用状もあった。

 マティアスは、それらを見つけて繋いだ。使いやすい形を整え、それぞれが利益を得られる条件を作った。

 命令されなくても、人々が自ら動く流れを作ろうとしている。

 その姿へ、前世で知る人物が重なる。

 人を惹きつけ、商人や兵站を使い、身分を越えて大きな勢力を築いた男。

 豊臣秀吉。

 似ているところはある。

 だが、同じ人物ではない。

 マティアスはこの世界で生まれ、この世界の人々と関わりながら、自分の人生を歩んでいる。前世の歴史へ無理に当てはめれば、目の前にいる人間を見誤る。

 レオンハルトも同じだった。

 知っている歴史と似た流れを感じても、この世界の未来が同じになるとは限らない。

 アレクは新しい紙の上へ、明日尋ねたいことを書き始めた。

 マティアスは何を目指しているのか。

 なぜ商人や物流の仕組みを繋いでいるのか。

 シュヴァルツ伯軍と、どのような関係があるのか。

 レオンハルトと、どこまで目的を共有しているのか。

 なぜアレクを誘ったのか。

 最後に、もう一つ書き加える。

 自分へ何をさせたいのか。

 書き終えた問いを読み返し、アレクは机の端に置いた書状を見た。

『以前に聞けなかった答えも、ついでに聞かせてもらおう』

 マティアスにとって、決してついでではないはずだ。

 以前は答えられなかった。

 今も、まだ答えは決まっていない。

 それでも、あの時とは違う。

 マティアスが何をできるのかだけでなく、何を望んでいるのかを知りたいと思っている。

 そして、その答えを聞いたうえで、自分がどこを歩くのかを決めなければならない。

 窓の外では、夜になっても河港の灯りが消えていなかった。

 船が動けば、荷が動く。

 荷が動けば、金が動く。

 その間を人と情報が行き交い、一つの流れがさらに大きな流れを生み出していく。

 マティアスは、その流れの中で何を見ているのか。

 明日、ようやく本人へ聞くことができる。

 アレクは紙を折り畳み、マティアスからの書状と一緒にしまった。

第七話を読んでいただき、ありがとうございました。

既存の船、倉庫、仲買、信用状を結びつけ、人々が自ら動く流れを作る。それがマティアスとクレーマー商会の強さの一端です。

次回、アレクはマティアス本人と向き合い、彼が目指すものと、自分を誘った理由を確かめます。


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